第8話 ルー 解決 恋の予感
ルーシェル・ルーは雪の降る夜に生まれた。
清潔にされた部屋の中で、女性たちはお産を手伝うために立ち働いていた。お湯を沸かす者、汚れた布を洗う者、その場にいる全員が汗をかき、母親に声をかけながら無事を祈る。
産声を上げた赤ん坊は、祝福に満ちた部屋の中で母親と出会った。
“ルー”の民族は戦闘を生業にしている、一部の地域では有名な戦闘民族だ。戦争あるところにルー家あり、という言葉が存在するように、ルーの一族は傭兵として戦争に駆り出される。
ルーの一族に生まれた子どもは、一人残らず戦闘の訓練を受けて育つ。
それはとても過酷な幼少期だ。
子ども達は遊びも知らず、睡眠時間も最低限。毎日戦いを繰り返すだけの、味気ない日々だった。
朝起きた時と一日の訓練の終わりに、水を一杯飲むことができる。ルーの一族は飲み物を水しか飲まない。
子ども達は質素な食事よりも、水を飲む瞬間がこの上なく好きだった。冷たい水が喉を通る感触。それがとても楽しい娯楽だ。
幼いルーシェルは一冊の絵本に出会う。
旅の行商人が落としていったものを拾い、その表紙を見てルーシェルは息を吸うことを忘れた。
綺麗なピンク色で描かれた遊園地の物語。灰色だったルーシェルの心に、色とりどりの風景が流れ込んでくる。
ルーシェルの虚ろな目に光が宿った。
その絵本をルーシェルは大切に持ち帰り、誰にも見つからないように保管した。外の世界の片鱗を知ってしまったルーシェルには、戦闘だけの毎日が途端に辛いものになってしまった。
飛び道具を操る訓練の最中、よそ見をしていたルーシェルは、飛来する鋼鉄のブーメランに直撃して地面に倒れる。
それに激高した隻眼の師範はルーシェルを怒鳴りつけた。
「どうしたルーシェル!! 最近よそ見ばかりしてたるんでいるぞ! 気合いを入れろ! 歯をくいしばれ!!」
師範の拳を右頬に受けたルーシェルは、鈍い音を立てて壁に激突した。
ルーシェルの心は疲れ果てていた。絵本の中のような世界が本当にあるのなら、実際に行ってみたい。ただ楽しく遊んで一日を過ごしてみたい。
ルーシェルの憧れは日に日に積み重なっていく。訓練の毎日が辛い時、逃げてしまおうかと考えてしまう時。そんな時はこっそりと人目を忍んで、絵本を読んで過ごしていた。その瞬間だけが、ルーシェルに喜びを与えてくれた。
ある時、一族中が震撼する事件が起きた。
大人たちの様子から、若者は何かが起きたことを感じ取っていたが、一部の者にしか内容は知らされない。
対人格闘の訓練をしていたルーシェルは、突然
族長に呼び出された。対峙していた適役の師範を背負い投げで一本とり、それに応じて族長の元へ急いだ。
「ルーシェル、ただいま参りました!」
荒い呼吸を整えながら、ルーシェルは膝をついて挨拶をした。
「頼みがある。一族の若者の中で、一番出来のいいお前にしか頼めんことだ」
「何なりとお申し付けください!」
ルーの一族には、代々伝わる秘宝がある。
普段は隠されていて、祭事の時にだけそれは人目に晒される。
「それが盗まれたのだ。誰に、どうやって盗まれたのか見当もつかん。……ルーシェル、お前は秘宝を見つけ出せ」
「は……」
突然の話にルーシェルは口をポカンと開けて驚いている。
「あてのない旅になるかもしれん。盗んだ者はおそらく魔術師の類だろう。そうでなければ説明がつかん」
「分かりました! 分かりました! 私ルーシェルは必ずや一族の秘宝を見つけ出してみせます!」
ルーシェルは目を輝かせて喜んだ。族長の前で身を低くしていたのも忘れて、手を上げて小躍りする。
やっと私の旅が始まる!
「やけに嬉しそうだな」
怪訝な表情で族長はルーシェルを見ていた。
慌てて姿勢を元に戻すルーシェル。しかし、顔はずっとニヤついてしまうので、俯いて誤魔化した。
他言無用の極秘の任務。
誰にも見送られることなく、ルーシェルは一人きりでひっそりと村を出た。
小さな荷物の中に、憧れの象徴である絵本を忍ばせている。嬉しそうにカバンを撫でて、中に絵本が入っているのを確かめた。
ルーシェルの胸中は期待と希望で満ちていた。可愛いものをたくさん探そう! 優しくて頼れる仲間ができたり、いろんな人やいろんな甘い食べ物と出会ったり、強くて逞しい男性と恋に落ちたり……。
「なんちゃって……! きゃああ!!」
ルーシェルは赤くなった顔をぶんぶんと振りながら走り出した。
風を切る音がする。こんなにも広い世界を走るのは生まれて初めてだと気づいた。
走っても走っても、どこまでもどこまでも道は続いている。
これからは生まれて初めてのことで溢れているんだ……。まずは短い髪を長く伸ばして、ヒラヒラのワンピースを着るんだ!
ルーシェルは走りながら涙を流していた。涙の粒は、風のように走るルーシェルに応えるように、後ろに向かって流れて行った。
海岸を走っていたルーシェルが遠くを眺めると、アクアグールの群れに襲われているフウマとガラを見つけた。
ルーシェルは加勢しなければと、軌道を変えてそちらに向かって走り出す。
三人が出会うのはあともう少し。
「フウマ……。二人とはこの街でお別れしないといけない……」
ルーシェルは辛そうに泣きじゃくっている。
フウマはルーシェルを安心させようと、笑顔で頭をよしよしと優しく撫でる。
「ルーシェル、大丈夫だ。ルーシェルの探し物の、手がかりが見つかったんだね?」
「うん……そうなの……似たものが競りに出て、モジャラに売られて行ったんだって……私、それを追わなきゃ……二人は、次は、サンニャーチコに行くんでしょ? ……逆方向だよお……!」
うわあああん!! とルーシェルは声を上げて泣き出す。
「それで泣いてるんだね」
フウマはルーシェルのいじらしさに、思わず微笑んでしまう。
フウマとガラと離れるのが嫌で、ルーシェルはこの世の終わりだというように泣いていたのだ。自分の旅の目的が近づいているというのに。
「ルーシェルは可愛くて、いいやつだなあ! そんなに泣かなくても、僕がなんとかしてやる! だからもう泣くなって!」
フウマは元気づけようと、ルーシェルの肩をポンと叩いた。
「え……? な、なんとかって……?」
ルーシェルは驚いてフウマを見る。
フウマは、ふふ、と笑ってルーシェルの鼻水をハンカチで拭いてやる。
「僕には守り神様がついてる。まだ僕の願い事を叶えてもらってなかっただろ。ルーシェルの探し物を見つけてもらえないか、守り神様に頼んでみよう!」
フウマはニコニコ笑いながらそう言った。
「ええええええ!!??」
ルーシェルは驚きで涙も引っ込んでしまったようだった。
「だ、だ、ダメだよ!! 何言ってるのフウマ! フウマの願い事を叶えないと……!」
「僕の願いは、ルーシェルが泣き止んで、また皆で笑って旅を続けることだよ」
フウマは胸に手を当てて、守り神に呼びかけた。ニャーンと言って、三毛猫がベッドの上に現れる。
「ミケ様、そういうことなんだけど……」
『はいよ~』
光がルーシェルを包んだ。
「わわっ! なになに!? なんか暖かいよお!?」
光が小さくなって収まると、ルーシェルの手には古めかしい短刀が握られていた。装飾や色使いはとても地味だが、その重厚さはとても趣がある。神話の世界で神が使っていた短刀だと言われても納得してしまうだろう。
「わああああああ!! こ、これ、これ……」
ルーシェルはまじまじと手にした短刀を見つめている。
「それが探し物? 見つかってよかったな!」
フウマは満足そうに笑った。手にはミケ様を抱いている。
「フウマ、良かったの? 私の為にお願い事使っちゃって、良かったの?」
ルーシェルはわなわなと震えている。
「もちろん!」
フウマは嬉しそうに笑って、ミケ様の背中を撫でる。
ミケ様はしっぽをピンと立てて、ゴロゴロと嬉しそうだ。
「フウマ、ありがとう。ありがとうね……」
先ほどの悲しい涙とは違い、今度は嬉し涙だ。ルーシェルは涙を流しながらも、嬉しそうにほほ笑んだ。
翌朝。宿屋の食堂に集まった三人は、朝食を囲む。焼きたてのふわふわ白パン。厚切りのベーコンエッグに、ヨーグルトサラダ。ほうれん草のバターソテーに、牧場から届いたばかりのミルクとコーヒー。
三人が集まると、挨拶もそこそこにルーシェルが張り切って叫んだ。
「さあ二人ともー!! サンニャーチコに出発だよお!!」
「で、お前の旅の目的はどうなったんだ?」
ガラはコーヒーを一口飲みながらルーシェルに聞いた。昨日、泣きながら走っていくルーシェルを見て以来、胸に何かつっかえたように気になっていた。
フウマは我先にとばかりに朝食を頬張りながらそれに答える。
「守り神様に探し物を見つけてもらったんだ。ルーシェル、これからはどうするんだ?」
「私の旅の目的は、フウマのおかげで果たされたわ! 本当は故郷に帰って見つけたものを届けるべきだけど、それは後回しにする。いつだって帰ろうと思えば帰れるもの。見つけちゃえばもうこっちのものよ! それに私、まだ帰れない。やりたいことがあるんだもの」
「それって何?」
フウマは元気になったルーシェルを見て嬉しそうだ。白パンにせっせとバターを塗っている。
「やりたいことって何だよ。もったいぶらないではよ言え」
ガラはベーコンエッグに齧りつきながら言った。
「それはね……」
ルーシェルは恥ずかしそうにもじもじしながら、顔を赤らめている。
「私、恋をしてみたいの!!」
力強く拳を握り締めてルーシェルは言った。
キャー! 言っちゃったあ! と大興奮している。
「つまりルーシェルは運命の人と出会うために旅を続けるんだね。夢があっていいじゃないか」
フウマは真面目な顔をあいて言った。ほうれん草のバターソテーに入っているハムを食べて、美味しそうに笑った。
「もお~! フウマったらそんな素敵なこと言わないで!」
ルーシェルは顔を赤らめてフウマの背中をバシバシと叩く。
「おい。もう分かったから食えよ! 朝からうるさいんだよ!」
どうでもいい話題になってきたのを感じて。ガラはルーシェルを急かした。女同士の恋バナに巻き込まれることほど、いたたまれないものはない。
「はあ~い」
ルーシェルは笑いながらやっとスプーンを手に取った。
一人で村を旅立った時よりもずっと楽しくてワクワクしている。
心が躍るような恋が見つかるといいな。ルーシェルは期待に胸を膨らませて、ヨーグルトサラダを食べた。




