第21話 コーヒー 初心 いらっしゃいませ
喫茶店の朝はサラダ作りから始まる。
日替わりランチやハンバーグ、オムライスやパスタ、サンドウィッチにもサラダは付き物だ。
早朝のカフェ“のおあ~る”の厨房の中で、ルーシェルは店主のユウゴを手伝って、サラダに乗せるパプリカを切っていた。切ったパプリカを、言われたようにおずおずとサラダに乗せる。
「黄色と赤が三角形になるように乗せて……そうそう、上手いよ」
「やったあ! 褒められた!」
「じゃあ、あと30皿サラダを作ってね。今日の分だよ」
「ひょえ~、多い!」
ルーシェルがサラダを作っている間に、ユウゴは一日分の野菜や肉の下ごしらえを終え、本日のスープ「かぼちゃのポタージュ」を仕上げた。
開店の10分前になると、朝礼と発声練習をして、いよいよ今日の営業が始まった。
ルーシェルはわくわくと胸が高鳴るのを感じる。人生で一度はこんな素敵な喫茶店で働いてみたかったのだ。上手に「いらっしゃいませ」と言えるだろうか?
「ルーシェルちゃん、外の植木に水あげてきて」
「はーい!」
腰ほどの高さがあるブルーベリーの木にじょうろで水をあげていると、一人のおじいさんがお店に入っていった。
水をあげ終えたルーシェルは手を洗い、お冷とおしぼりを持ってドキドキしながらおじいさんの座ったテーブルへ向かった。初めての「いらっしゃいませ」が、今か今かと喉の奥から飛び出していきそうだ。
「いらっしゃいませ! ご注文が決まりましたら、」
「いつもの」
「いつもの? 分かりました!」
ルーシェルはユウゴに困惑しながら注文を伝える。
「お父さん注文です! いつものだそうです!」
「誰がお父さんかな? はいはい、いつものね」
ユウゴは慣れた手つきでコーヒーを煎れ始めた。豆を測り、機械で挽いて粉にして、フィルターに入れて少しずつお湯を回し入れる。
コーヒー豆の量も、お湯の温度も細かく入念にチェックしている。ユウゴの顔は真剣そのものだ。きっとこの丁寧な儀式めいた作業が、コーヒーの美味しさに繋がっているのだろう。
ルーシェルはコーヒー自体よりも、ユウゴの職人のような洗礼された手つきに見入っていた。
「ココアのクッキーを二枚、小皿に出して。はい、いつもの出来上がり。持って行ってね」
「はーい」
おじいさんはお盆を運ぶルーシェルをじっと見ていた。
「お待たせしました!」
「君、見ない子だね。バイトで入ったの?」
「いえ、ちょっとお手伝いしてるんです! まかないも食べられるし!」
「へえ。それはいいねえ。今日のまかないは何なの?」
「ユウゴさあ~ん!! 今日のまかないは何ですかあ~!?」
ルーシェルが厨房に向かって叫ぶと、小さく返事が聞こえた。
「玉子安かったからオムライス~デミグラスの~」
「聞きました!? デミグラスのオムライスだそうです! やったあ!」
ルーシェルが嬉しそうにピョンピョン跳びはねて喜んでいるのを、おじいさんは微笑ましそうに見ていた。
お会計を終えて、おじいさんが出ていく背中を見送る。ルーシェルに向かって小さく手を振ったので、ルーシェルは全力で手を振り返す。
「あのおじいさんは毎日、コーヒーを飲みに来てくれるんだよ。だからクッキーもつけるようにしてるんだ。常連さんだからね。さ、テーブル片づけてきて」
「はい! あのおじいさん、店長の煎れるコーヒーも、この喫茶店も大好きなんだね!」
ルーシェルがテーブルを拭いているのを、ユウゴは眩しそうに見つめた。
自分の好きなもの、こだわっているものを、他の人も好きになってくれる。そんな素晴らしいことはなかなか無い。毎日繰り返して当たり前になっていた日常に、急に新しい風が吹き始めた。扉が開かれて鳴るドアベルが、かけがえのないものに思えてくる。
「いらっしゃいませ!」
ルーシェルの楽しそうな声が店内に響く。初心に返って、ルーシェルのように全力で料理をこなそう。一つひとつのことに心を込める。簡単なようで、とても難しい。さあ、次の注文は何がくる?
「注文入りまーす!」
ルーシェルの鈴の鳴るような透き通った声が、ユウゴの心に沁み渡った。
「えっと、えっと、カルボナーラ運んで、テーブル片づけて、お冷持ってって、カルボナーラ運んで……」
「る―シェル、とりあえずカルボナーラ運んできてね。私がお冷持って行くからね~」
「シイカさ~ん! 分かりました!」
ランチタイムに入り、店内はお客さんでいっぱいになった。いつの間にかシイカがやってきて、てきぱきとホールを切り盛りし始める。あたふたしていたルーシェルは心の底からホッとした。忙しい時に現れる助っ人は、まるで女神のように見える。
「お母さん遅いよ~、何してたの~」
「誰がお母さんよ。私は夜型だから、さっきまで寝てたんだもん」
頭の中をフル回転させて、次の行動を組み立てる。これは一人だと大変すぎる。人を増やして連携しないと、お店が回らないどころじゃない。頭が回らなくなってショートしてしまう。その後は行動も思考も停止して、いらないインテリアになってしまうだろう。忙しい時に手が足りない。その絶望感を想像して、ルーシェルはゾッとした。
しばらく忙しい時間が続いていたが、やっとのことでランチタイムの波は過ぎ去った。シイカは慣れない仕事をしているルーシェルを気遣い、顔を覗き込む。
「いやあ、やっと落ち着いてきたわねえ。ルーシェル、疲れてない?」
「……はい」
「大丈夫?」
「……お腹が空きましたあ。泣きそう」
シイカは、あははと笑ってルーシェルの背中をポンと叩いた。
「もうこっちは私一人で大丈夫だから、ご飯食べておいで。今ユウゴが何か作ってくれてたよ」
「わかりました! ありがとう!」
ルーシェルが厨房に飛び込むと、ユウゴがまかないのオムライスをお皿に盛りつけているところだった。デミグラスソースがトロリとして美味しそうだ。
「はい。ルーシェルちゃん、できたよ」
「いただきます!!」
オムライスを奪うようにして、ルーシェルは二階のリビングへと走っていった。
誰もいない室内で一人オムライスを食べていると、スプーンとお皿がぶつかるカチャリという音がよく響く。さっきまでの喫茶店の中とはまるで違っている。別の世界に移動したような気がするのは、騒めいていた喫茶店と、静かなリビングの音の違いだけではない。一人で落ち着いて食事をしていると、喫茶店で働いていた時のルーシェルは気持ちが逸り、ちっとも落ち着きが無かったことに気付いた。頭の中がグルグルと忙しく動転していたようだ。
喉を通る、ポットのアイスティーが冷たくて気持ちい。ふう、と息を吐いて、ルーシェルはやっと頭を空っぽにすることができた。
「ただいまあ」
アルゴが家に帰ってきた。ルーシェルはその声を聞いただけでホッとする。
「おかえりなさ~い」




