第18話 病床 吹雪 玉子味
朝起きると、体の節々がだるかった。体中に痛みを感じて、目を開けるのすら億劫だ。ぼんやりとした頭で思考を巡らせる。いつものように考えることができない。まるでブチブチと短くちぎれた思考の糸が流れてきて、それが目の前を通り過ぎているようだった。ただ一つ分かることを口に出す。
「きつい~……」
フウマは宿屋のベッドの上で、体を動かせずにいた。チカチカと暗く明滅する瞼の裏側を感じることしかできない。
いつの間にか自分でも気づかないうちに、もう一度意識を手放した。
目の前のマグカップからは、もう湯気はたっていない。コーヒーをちびちびと飲んでいる間に、いつの間にか冷めてしまった。
宿屋の小さな食堂で、フウマが起きて朝ごはんを食べに来るのを待っていたが、なかなかフウマはやってこない。
もう昼に近い時間だというのに珍しい。よほど疲れてまだ寝ているんだろうか。
ルーシェルとアルゴはもう居なかった。宿屋の主人から二人分の伝言を聞いたのだ。気づかない間に起きていて、二人で街を散策しているのだろう。
いつまでも待っているのも退屈なので、フウマの部屋まで起こしに行くことにしよう。
食堂の簡素な木のベンチから立ち上がり、フウマの寝室へと向かった。
トントントン、とフウマの寝室のドアをノックする。木を叩く軽い音が廊下に響く。
「フウマ。まだ寝てるのか?」
しばらく待っても返事は無い。ドアノブを回してみると、扉はすんなりと開いた。
……鍵をかけて寝ろよ。相変わらず不用心な奴だ。
中に入ると、フウマはまだベッドで寝ていた。
起こすために声をかけようとして異変に気付く。なんか顔が赤いな。それに呼吸が荒くて苦しそうに見える。
フウマのおでこを触ると、かなり熱かった。左手で自分の額を触り、右手でもう一度フウマの額を触る。そうすると、フウマの熱がかなり高いことが分かった。
やれやれ。
踵を返して、フウマの寝室のドアを閉めて出ていく、宿屋の主人から水をくませてもらわなくては。
水の音が聞こえて目を覚ますと、ガラがタオルを水につけて絞っていた。洗面器ではなく、旅の最中に煮炊きをするための小さな鍋だ。冷たいタオルを僕の額に乗せようとして、僕が目を覚ましていることに気付いたようだ。少し驚いている。
「まだ寝てろよ」
そう言いながら額に冷たいタオルを乗せてくれる。ひんやりして気持ちいい。やっぱり熱があったんだな。
「もう寝すぎたよ。それに随分よくなった気がする」
関節の痛みはいつの間にか消えていて、頭の中はスッキリしてきていた。まだ本調子ではないけれど、隣にガラがいてくれて安心する。
「今何時?」
「もうすぐ昼だ。食欲あるか?」
「あんまり無いけど……。食べれないってほどじゃない」
「じゃあ、お粥でも作ってもらうか」
ガラがどこかへ行こうとするので、とっさに服の裾を掴んだ。
「どこ行くんだよ」
「いや、お粥を頼んでくるだけだ」
「そんなの後でいいから! 体調崩すと寂しくなるんだから甘えさせろよ! 病人を一人にするな!」
「はあ……」
ガラは面倒くさそうな顔で枕元に椅子を置いて、隣に座ってくれた。布団の上から、お腹と頭をポンポンと軽く叩いてくれる。
そうそう。それでいいのだ。
僕は満足してニヤニヤ笑う。
「お前は昔から、体調崩すと横柄になるよな」
「ふふん」
ガラに世話を焼かれている部分が心地いい。額や頭やお腹から、じわじわと治っていっている気がしてくる。
「ガラ、もういいぞ。お粥を作ってもらってくれ」
「ん」
ガラは大人しく出て行った。……やっぱりちょっと寂しい。僕は目を閉じて、ガラが戻ってくるのを待つ。
小さな農村だった故郷の村は、大人たちがいつも忙しく立ち働いていた。僕とガラの両親も同じく、家に両親がいる時間はとても短い。
僕とガラは家が隣同士なのもあって、兄弟のようにいつも一緒だった。
どちらかが風邪をひいても、どちらかが看病していた。両親が傍にいられない時でも、僕にはガラが、ガラには僕がいるから安心だ。
寒い冬のある日。窓の外は猛吹雪だった。窓がガタガタとうるさくて、幼い日のガラはとても怯えていた。
両親が家にいない理由は忘れてしまったけれど、風邪をひいたガラと二人きりで、ガラの家で僕はガラの看病をしていた。ガラの額に乗せた冷たい手拭いをたまに取り替えながら、ベッドに横になっているガラと手を繋いで、外の吹雪の様子を窺う。
「なんで具合いの悪い時って、寂しくなるんだろうね」
ガラが手をぎゅっと握って呟いた。
「お腹が空いてるんだよ。お腹が空いてるのと寂しいのって似てるだろ?」
「そうかも……?」
ガラは腑に落ちないというような顔で首をひねる。
「そうだよ! 食べ物あるか探してくるから待ってろ!」
僕は戸棚を漁って、イチゴジャムの瓶詰めを見つけた。それをヨーグルトに混ぜてガラのベッドへ戻る。
甘酸っぱいイチゴジャムの、いい香りがする。
「はい。ガラ、あ~ん」
スプーンですくって差し出すと、ガラは、あ~んと大きな口を開けてヨーグルトを食べた。
僕も同じスプーンでヨーグルトを食べる。甘くなったヨーグルトが口の中に広がる。
「あ!! フウマだめだよ! 僕の風邪がうつるよ!」
ガラは凄く焦っている。
「僕はへっちゃらだよ。ガラよりも丈夫だもん。それにさ」
僕は安心させようとガラに微笑む。
「それにさ、僕にうつったらガラの風邪は治るだろ?」
「そういう問題じゃないよう」
他に誰もいなくたって、ガラと二人でいるといつも楽しかった。幼い日の楽しい思い出は、ガラがいたおかげであまりにも多い。
その日の二日後、ガラの風邪は治ったけれど、今度は僕が風邪をひいてしまったけれど。
ガラが扉を開けて戻ってきた。目を開けてそちらを見ると、ホカホカ湯気が立ち昇るお皿を持っている。
「ガラ、ありがとう。大好きだよ」
「え、なんだよ気持ち悪いな」
ガラは上体を起こした僕に、お皿とスプーンを僕に手渡そうとする。僕はそれを無視して、目を閉じて、あ~んと口を開けた。しばらく待っても口の中にスプーンが入ってこないので、目を開けてガラの様子を見る。
ガラは顔を赤くして僕を呆れたように見ていた。
やっと観念したのか、椅子を引き寄せてベッドの隣に座る。
改めて、あ~んと口を開けると、ガラは木のスプーンですくったお粥をふうふうと吹いて冷まして、僕の口に入れてくれた。
「玉子のお粥だ~。美味しい」
薄味のお粥だけれど、玉子の優しい味がとても美味しい。少しだけ入っている塩昆布のしょっぱさがいいアクセントだ。
ガラは黙々とスプーンですくい、ふうふうと冷ましている。まるで機械的に作業をしているみたいだ。
大方、恥ずかしくなって、お粥を食べさせること以外を考えないようにしているんだろう。
「ん。これで最後だ」
ガラは最後の一口を僕の口に入れた。その頃にはもう湯気はたっておらず、ガラが無我の境地でふうふうする必要もなくなっていた。
「美味しかった。ありがとう」
満足してお腹をポンポンと叩いていると、ガラにジッと見られているのに気づいた。
何かと思うと、ガラはいきなり僕にキスをしてくる。どうしよう。玉子味だったかもしれない。
焦って顔を背けた。
「何やってるんだ! 風邪がうつるだろ!」
耳元でガラが囁いた。
「俺にうつったら、お前の風邪は治るだろ」
「そういう問題じゃない……」
僕は恥ずかしくなって、蚊の鳴くような声で返事をした。
……僕の思い出はガラの思い出でもあるんだな。あの吹雪の日と同じやりとりに、胸がくすぐったくなった。




