第17話 蜂蜜 数学 カラスを追え!
ミケランドールにある街、メイランへ再び訪れた一行。街外れに小さな喫茶店を営んでいるという、アルゴの実家を目指すのは翌日にすることになった。まずは一日を休息にあてることにした。
ルーシェルはピンク色の髪をふわふわと揺らしながら時間を持て余していた。
フウマとガラはくたくたになって、しばらく宿屋で寝ていると言っていた。アルゴと街を一緒に散策しようと思ったら、アルゴはフウマとガラ以上に疲れていたらしく、何も言わずに宿屋の部屋から出てこなくなった。きっと今頃夢の中だろう。
ルーシェルの体力はまだまだ余裕がある。
「こんなに朝早くから寝ていたらキノコが生えちゃうよ」
ルーシェルは宿屋を出て歩き出した。早朝の街は賑やかだった。朝日が眩しい。人の波を縫って歩きながら、ざわめく人の声や馬車が走る音を聞いていた。朝市で客引きをする威勢のいい声も聞こえる。
ふと、ルーシェルは立ち止まった。……どこかからパンの焼けるいい匂いがしてくる。ハチミツのような匂いもしている。ルーシェルはクンクンと鼻を鳴らし、獲物を探す猟犬のように周りを見回す。
ルーシェルはパンの香りに導かれるように、フラフラと歩き始めた。どこから香りが漂ってきているのか、鼻に神経を集中させた。先ほどまでお腹は空いていなかったのに、急にグウウとお腹の虫が鳴き始めた。
「よしよし、焼きたてのパンが食べたいんだね。でも私が全部食べちゃうんだからあげないよ」
ルーシェルはお腹を撫でながら歩く。
辿り着いたパン屋さんは、こじんまりとしていて香ばしい、いい香りがしていた。ログハウスのような手作り感のある見た目がとても可愛らしい。
木の扉を開けて中に入ると、ポニーテールの可愛い女性の店員さんが挨拶してくれた。
「いらっしゃいませ! ただいまハチミツメロンパンが焼きたてです!」
「わ~やったあ! 美味しそう~」
私は嬉しくなって、ハチミツメロンパンを二つトレーに乗せた。あとはクリームパンとチョコデニッシュとミルクの切り株と……。気づけば甘いものばかりになってしまったけれど仕方ない。包んでもらったパンとカフェモカを片手に持って、鼻歌を歌いながらお店を出た。
近くの公園のベンチに座ってパンの包みを開けた。焼きたてのハチミツメロンパンはまだホカホカだ。齧るとカリカリのクッキー生地が、口の中でホロホロ崩れる。ほんのり甘くてハチミツの香りがして最高だ……。わめいていたお腹の虫も、満足そうに黙っている。
パンが最後の一つになった時、事件は起きた。とっておいたもう一つのハチミツメロンパンを手に取り、あーん、と大きく口を開けた瞬間、目の前に一瞬大きくて黒いものが見えた。と思う間もなく、手に持っていたハチミツメロンパンが消えてしまったのだ。
何が起きたのか分からずに一瞬思考が止まってしまう。
ハッとして見上げると、上空を飛ぶカラスが私のハチミツメロンパンを持って飛び去るのが見えた。
「こ、こらああああ!!」
私は激怒した。絶対に彼の者から私のハチミツメロンパンを取り戻さねばならぬ!
私は走った。公園を抜け、朝市の人混みを横切り、湖畔の散歩道を走り抜け、学校の広い校庭を駆けていた。少し離れた校舎には、人の沢山いる気配がするが、誰もいない校庭はシンと静まり返っていた。カラスはまだ巣に戻るような素振りを見せない。走りながらカラスの動向を窺った時、私は目の前に大きな水たまりが広がっているのを見落としていたらしい。
私は勢いよく水たまりに足を踏み入れる。バシャン! と水飛沫が立ち、まるで表面の水なんか存在しなかったように穴の中に入るようにして、私は水たまりの中へと落ちていった。
気付くと私は机に向かって座っていた。周りには同じように机に向かう子たちがたくさんいる。
……これはもしかして、学校だろうか。
なんでいつの間にこんなことに? 自分の服装を見てみると、周りの子たちと同じ白いブラウスに水色のプリーツスカート。ピンクの髪の毛はおさげの三つ編みに結ばれていた。
頭が着いて行かずに、放心状態で卓上の先生の話を聞いてみる。……先生の話にも頭が着いて行かなかった。ワイとかパイとか、一体何の授業なんだろうか。
机の上の消しゴムに手があたり、コロコロと前の方に転がってしまった。私が拾いに立つよりも早く、前の席の男の子が消しゴムを拾ってくれた。私に振り返って差し出してくれる。
その男の子は、アルゴくんだった。
私が驚いて何も言えずにいると、笑ってまた前に向き直る。
ど、どうことだろう。何が起きているのか見当もつかない。アルゴくんも周りの男の子たちと同じ服を着ている。白いワイシャツに黒いスラックス。
どういう状況かは分からないけれど、アルゴくんが拾ってくれた消しゴムが、急に大切なものに思えてくる。私は嬉しくなって、胸の前でぎゅっと消しゴムを握った。
「ルーシェル、起きて。もう授業終わったよ」
私はハッとして、机にうつ伏せていた頭を上げる。アルゴくんが私の肩を叩いて起こしてくれていた。私はそっと、よだれを拭った。どうやら先生の呪文のような、お経のような授業を聞いていて、いつの間にか寝てしまったらしい。
「さ、早く準備して。一緒に帰ろうよ」
「う、うん……」
私は言われるがままに、机の横にかけてあるカバンに、机の上に広げてある物を詰め込んだ。消しゴムは胸ポケットに入れておく。
アルゴくんと廊下を歩きながら相談してみた。
「ねえ、こんなの変だよね? 私、学校なんて行ったことないのに。私たちは一緒に旅をしていて、やっとメイランまで戻ったから、フウマとガラとアルゴくんは宿屋で寝ていて、私だけ街を散策してたんだよ。パン屋さんで買ったハチミツメロンパンを食べようとしたら、カラスに盗られちゃって、追いかけてたら水たまりに落ちて……」
黙って話を聞いていたアルゴくんは、突然楽しそうに笑いだす。
「ルーシェル、まだ夢からちゃんと覚めてないみたいだね。僕とルーシェルは高校二年生で、家が隣同士だから赤ちゃんの頃からの幼馴染。将来は僕の実家の喫茶店を二人で継ぐために、卒業したら僕は大学で経営学を、ルーシェルはイタリアで料理の修行をするって話は忘れたの?」
「と、とっても素敵……」
そんな素敵な人生設計、思いつきもしなかった! アルゴくんとずっと一緒にいられるなら、これが現実でもいいかもしれない。私は嬉しくなって、隣を歩くアルゴくんの手を握った。アルゴくんは何も言わずに手を握り返してくれる。やっぱり私たちは結ばれているんだね。確かな手のぬくもりに、胸がドキドキして幸せを感じる。
下駄箱で靴を履き替え、校舎の扉を出た。
そこは見覚えのあるメイランの街並だった。
「あれ? アルゴくん?」
私はキョロキョロと辺りを見回すが、先ほどまで手を繋いでいたはずのアルゴくんの姿が見えなくなっていた。学校の校舎があるはずの私の後ろには、皆が休んでいるであろう宿屋がある。学校も校門も、影も形もなかった。私の服も、いつもの旅の服装に戻っている。
朝日が眩しい。
「夢でも見てたのかな?」
首をひねって考えていると、宿屋からアルゴくんが出てきた。
「あれ、ルーシェルさん、おはようございます。ちょうど良かった。一緒に朝ごはん食べに行きませんか?」
アルゴくんも学校の制服は着ていない。……やっぱり元に戻っている! その証拠に、少し前にあんなにたくさんパンを食べたのに、もうお腹がぺこぺこだった。
「行く! もうお腹ぺこぺこなの!」
私は笑顔でアルゴくんの手を取って、ぎゅっと握って歩き出した。やっぱりアルゴくんは顔を赤くしてなかなか手を握り返してくれない。そういうところが可愛くて好きなんだ。
私たちは朝日の眩しい街へと繰り出した。今日はなんだかいい一日になりそうな予感がする!
ただ一つだけ、胸ポケットに入れておいた、アルゴくんが拾ってくれた消しゴム。あれが無くなってしまったのが残念だ。
上空にはハチミツメロンパンをくわえたカラスが飛んでいた。




