メンタント公爵領
キューガスラ王国のメンタント公爵が統治するメンタント領。
領主の執務室には、領主であるメンタント公爵、本妻のメリンダ、娘のシアノ、そしていつもの通り表情に変化がない執事がいた。
「シアノ、次の手は?」
「今まで経験した事の無い数の魔獣が来ていると報告を受けています。私の統治術は、想定以上の魔獣に対する対応は得意ではありません。一先ず王都に討伐依頼を出していますので、問題ないかと思います」
第一隊のラプス隊長の疑問に対する回答はここにあった。
答えは単純で、スキルに対して対応するべき案件の難易度が高すぎたのだ。
統治術は、確かに今まで経験した事、恐らく多少のずれは合っても問題はないのだろうが、対応は出来る。
だが今回の魔獣は、数が今まで経験した事の無い数になっているので、シアノが持っている魔力で使えるスキルでカバーできる範囲を大きく超えてきているのだ。
ムロトの魔力を貸与されて統治術を発動すれば、十分に対策も出来るのだが……
「既に王都からは連絡が来ている。第二隊?いや、元第一隊が来るそうだ」
地方領主であるメンタント公爵は、王都での騎士隊の混乱についての詳細な情報を得ていなかった。
ただし、騎士隊は成果によって隊の位が変動する事は知っていた。少し前にラプス隊長率いる第一隊が第二隊に降格したからだ。
だが、再びラプス隊が第一隊に昇格したと聞いたため、奮起して功績を立てたと判断したのだ。
決して元第一隊の成果がないので降格したとは思っていない。
「飛ぶ鳥落とす勢いで第一隊になっていたが、隊の内部で混乱があっただろう?その間にラプス率いる第二隊が功績を上げて第一隊に返り咲いたに違いない」
メンタントが言っている隊内部の混乱とは、冤罪であるムロト元隊長の事を言っている。
この話は有名なので、貴族レベルであれば誰でも知っている事だし、既に一部の民にも知られ始めている。
「第二隊になったとは言え元第一隊。あの龍すら無傷で始末して見せた実績があるのだから、今回の魔獣の件については安心して良いだろう。だが、度々王都に応援を頼んでしまうと我らの評価が下がる恐れがある。対策は任せたぞ、シアノ」
「はい、お任せくださいお父様」
シアノのスキル、統治術によって領内の経済は上向いているかのように見えている。
実際は、スキル統治術による判断に加えて、シアノの陰湿な性格による個人的な判断もあって、一般の領民から税収を上げている事による見かけ上の繁栄なのだ。
領主であるメンタント一族、その配下の貴族達は潤うが、領民の生活レベルは下降する。
その結果、治安も徐々に悪化しているのだが、シアノの統治で懐が潤っている治安を管轄している貴族達は、何も言わない。
そして、現在防壁上部から必死で魔獣の侵入を防いでいる冒険者達の扱いも悪くなっている。
買い取り金額が下がり、その分の差額はギルド上層部や、管轄する貴族に流れているのだ。
そんな中、町の住民を守るために必死で戦っている冒険者。
本来はメンタント公爵の騎士も出動してしかるべきだが、シアノ独自の判断で、公爵邸の護衛に充てられている。
メンタント公爵としては、シアノがスキルによる方針なのか、シアノ本人の考えなのかは判定する事は出来ないので、全てスキルによる方針だと判断している。
そのため、今回の魔獣襲来対策の騎士派遣も、シアノの一言で中止した。
この行動こそが領地繁栄につながると一切疑っていなかったのだ。
シアノの母で正妻でもあるメリンダも、邪魔者のレトロを追い出した直後から非常に機嫌が良い。
自分の娘が決定した方針で領地経営がなされているのだから当然だ。
だが現実は非情に厳しい状況になっている。
現在の防壁の状況が、冒険者からギルド、そしてギルドから宰相へ伝わり、領主へ情報が上がってきたのだ。
執事からその情報を聞いたメンタント公爵は顔を顰める。
「今防壁の情報を得た。冒険者共が対応しているのだが、状況は思わしくないそうだ。既に魔獣の遠距離攻撃により被害が出ており、このままでは一晩持ちこたえられない可能性が高いらしい。どうするシアノ?」
普通であれば騎士を派遣すると言う一択だ。
当然この状況に陥った時の統治術の判断も同じになっているが、シアノは個人の判断を優先した。
この場で騎士が邸宅から離れた場合に、自分の危険が増す可能性があるからだ。
「それでは、魔笛を使いましょう。最近税収に対して文句を言ってきた者を見せしめにもできますし、丁度良いのではないでしょうか?」
スキルは基本的には公平だ。
一部の欲望を果たすためだけの結果になるような回答を出すわけはないのだが、メンタントやメリンダは分からない。
「でもシアノ、私が持っていた魔笛はレトロを始末するために使用してしまいましたが?」
母であるメリンダに、メンタント領から王都に向かおうとしているレトロとその母を亡き者にするべく御者に魔笛を渡した事を指摘され、その事実を思い出したシアノは醜く顔を歪めた。
「そうでした。どこまでも私達の邪魔をするのですね、レトロ!」
完全な逆恨み以外の何物でもないのだが、自分の作戦が成り立たない事に苛立ちを隠せないシアノ。
このままでは防壁を破られ、いくら騎士が邸宅を守っていると言え、明るい未来が見えないので、止む無く統治術の判断に従う事にした。
但し、自らの判断を追加するのも忘れない。
「止むを得ません、騎士を派遣しましょう。但し、不甲斐ない結果をもたらした冒険者は、王都からの騎士が到着して魔獣を始末し次第、厳しい処罰が必要です。これも、今後の統治に大いに影響しますので」
「そうだな、信賞必罰。確かにその通りだ」
「流石はシアノね。素晴らしい統治術だわ」
正に恐怖政治。
信賞必罰の“罰”しかない事に一切気が付いていないメンタント公爵。
普通に考えれば、そんな事をすれば冒険者達からも見放され、領民からも愛想をつかされる事位は気が付くのだが……
有用なスキルである事、娘を手放しで信用している事、見かけ上一時的に自らの懐が潤っている事が重なって、正確な判断ができなかった。
但し、一部ではあるが統治術によって判断された行動、騎士の派遣を行う事で戦況は盛り返した。
「流石はシアノだ。今の状況ならば王都から第二隊が到着するまでは持ちこたえる事が出来るそうだ。そうなると、魔獣共を前後から挟み撃ちに出来る事にもなる。フフ、相当数の魔獣がいるらしいからな。その素材も中々の収益になりそうだ」
メンタントは最新の情報を伝える。
彼は、実際に現場を見るような事は一切せずに、只々安全な場所で報告を受け、その報告に基づいて娘であるシアノのスキル、統治術による判断された結果(と思っている)通りの指示を出しているに過ぎない。
「落ち着いたら腹が減ったな。休憩にするか?」
冒険者や騎士が命がけで戦闘を行っているにも関わらず、たいして活動もせずに休憩を始める始末。
口にしている食料も、領民から半強制的に徴収した物であるのだが、領民は領主に尽くす存在であると信じて疑っていないので、少し口にして残りは捨ててしまっていた。
その頃の領民は、一日の食事量を大幅に減らして生活している事を知らない。