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レディ・ローディアの言えなかった言葉

作者: 柑橘眼鏡

 シャンデリアが眩しい豪華絢爛なシアター。そのボックス席に座りながら、私はどこを見るでもなく、ぼんやりしていた。


 この前の役者は情熱的で個性豊かで、好みだった。今回は違う役者だから楽しめるかどうか……。


 思わずため息をつきそうになるところ、すっかり存在を忘れていた隣の男性から声をかけられた。


 今日のパートナーは、確か貿易で財を築いた人だったはず。財政の厳しい貴族に手を貸しているとも聞いたが、正直どうでもよかった。きっと、この人も私の表面的な部分しか見ていない。


 関心の低い私に嫌な顔をせず男は微笑んだ。


「周りの視線を集めるのには慣れているけれど、こんなに注目されるのは初めてだよ。君の美しさはどんな宝石よりも眩しく、人を惹き付けるね」


 甘いバリトンの声が優しく耳を撫でる。金髪をオールバックにした姿がやけに似合うパートナーは、下手な役者より端正な顔立ちをしている。


 外から見たら、私たちの様子も見世物になるのだろう。彼の言うとおり、痛いほど視線を感じる。だからと言って、取り乱すことはないけれどね。


「ありがとうございます。お上手ね」


 自分の容姿が優れていることを理解している私は、定型文で返す。感情を揺さぶられた訳ではないが、相手に失礼が無いように一応は微笑む。


 気を良くした男性は、後ろに控えていた従者から緑色の箱を受け取って、私に差し出した。金の縁の刺繍から、隣国で最近話題の宝飾店の物のであることが分かった。


 お茶会でも話題になった流行りのブランド。誰だったか、意中の男性からプレゼントしてもらったと言っていた。その話を聞いた時は私もときめいた。それと同時に、そのブランドをプレゼントしてもらえれば、この埋まらない気持ちも埋まるのではないかと期待した。期待したけど――――。


「君に似合いそうなジュエリーがあってね。取り寄せたんだ。よかったら今日のお礼に受け取ってくれないか」


 やっぱり、現実は違うわね。


「私のために? 嬉しいわ」


 この言葉は嘘ではない。時間を使ってくれた。お金を使ってくれた。この私のために。嬉しくないわけがない。でも、どこか埋まらない気持ちは、依然として私の中にあって。


 満たされているはずの人生なのに、どうして私の心は満たされないのだろう。


 受け取ったボックスを開けると、大粒のルビーが鎮座していた。小さなダイヤモンドで周りを囲んでいるネックレスだった。見事なカットはシャンデリアの光を煌びやかに跳ね返す。繊細で美しい輝きは、どうしても私とは別世界の物に思えてしまった。


 結局、その男性とは上手くいかなかった。


 両親はこのことを気にしなかった。政略結婚だったものの、愛を育むことに成功した両親の方針は、おおらかなもので、決められた年齢までは自由に相手を探して良かった。その年齢を過ぎるまで見つからなかったら、両親が相手を見つける。そんなのんびりとした方針。


 兄はそれで良い相手を見つけた。この方針が間違っていない、という認識の家族は、私を一時的ではあるが自由にさせてくれた。それが私にとって、良いことなのか悪いことなのか、分からない。いっそのこと相手を決められている方が、気持ち的に楽なのかもしれない。まあ、よそのお家のリンゴの方が甘く見えるのと一緒ね。


 積極的、と言えるほどではないけれど、ほどほどに社交を行っては、埋まらない気持ちに気づかされる日々を送る。


 そんなある日、私は興味深い男と出会った。


 母と一緒に出掛けたはずの私は一人で辻馬車を探していた。というのも、途中で母の友人に出くわし、先に帰れと母に言われたからだった。屋敷の馬車は母に譲った。


 辻馬車を探しながらストリートを見渡していると、よたよたと歩く不審な男に目がいった。辻馬車探しを忘れて、思わず観察をしてしまう。男は布に包まれた大きなキャンバスを抱えていた。ななめがけの使い古された鞄も重そうだ。細い身体では耐え切れない重さ故に、ふらついているのだろう。


 どこを目指して歩いているのだろうか。というより、目的地にたどり着けるのだろうか。ふらつく背中を見守りながら、そんなことを考えていると、突然、男はバランスを崩して手に持っている物を勢いよく落とした。更に運の悪いことに、鞄も帯の部分が切れ、地面に落下した。中身も散乱してしまった。


 たくさんの不幸を一気に味わった運の悪い男は、慌てながら拾い始める。気の毒に感じた私は、思わず彼のもとに駆け寄った。途中で落ちている瓶に入った絵の具を拾う。割れてなくてよかった。


「大丈夫?」


 手に持った瓶を差し出しながら、筆などの画材道具を一生懸命這いつくばりながら拾う男に声をかける。すると男は顔をあげて、こちらを見つめた。勢いよく顔を上げた衝動でかけていた眼鏡はずれていた。少し間抜けで笑いそうになるのをこらえる。


「あ、ありがとう」


 男に瓶を手渡しながら、私は自分の手袋が汚れたことに気がつく。瓶の回りに付着していた絵の具がついてしまったようだ。男もそれに気がついたようで狼狽えた。


 男はずれた眼鏡を正しい位置に戻し、手袋の汚れを確認したかと思うと、顔を青くする。そのまま手袋からゆっくりと私に視線を移した。手袋の質や服装から、私が上流階級に属する人間だということに気づいたようだ。


「し、失礼しました! 高そうな白い手袋が……!」


「いいのよ、洗えばとれるかもしれないし。駄目だったら、新しいのを買うわ」


 青ざめる男を無視して私は次々と落ちているチューブやら瓶やらを拾っては鞄に入れていく。


「こ、これ以上はご迷惑になりますから大丈夫です!」


 そう男は告げると、私が拾おうとした瓶を先に掴んで集めていく。なんだかそれが面白くない私は片眉を上げながら、抗議する。


「もしかして、スプーンより重たいものを持てないと思われているのかしら? それなら心外ね。そんなことないというのをお見せするわ」


 満面の笑みを浮かべ、私も遠慮なく拾うのを再開する。対抗心が芽生えてしまったので、負けじと速度を上げて拾っていった。


 ある程度片付いたところで、私は布が外れたキャンバスを拾い上げる。そこには沈んでいく夕日が淡く描かれていた。それを眺める猫が小さく描かれているのがとても可愛らしい。


「素敵な絵ね」


 思わず零れた言葉に、男は鞄を整理する手を止めはにかむ。


「ありがとう。依頼された絵なんだけど、自信作なんです」


「貴方は画家なの?」


 そう尋ねると男はよれたジャケットのポケットからカードを出し、私に差し出した。


「ええ。一応、ですが……」


 差し出されたカードには彼の名前と画廊の住所が記載されていた。


「クライヴ・アディストロと言います。よかったら、作品を見に来てください」


 私はカードを受け取り、クライヴと名乗った男を見やる。気弱そうだけど、優しい笑顔が印象的で、なんだか作品と雰囲気が似ていた。


 淡々と過ぎる日々を送っていた私にとって、クライヴとの出会いは刺激的でわくわくするものだった。すぐに私はスケジュールを調整し、カードに書かれた住所を訪れた。


 画廊は最近開発が進んでいるショッピングストリートに面した建物の一階にあった。


 屋敷の馬車を降りた私はゆっくりと左右を見渡す。開発中のこの通りは新しいものや最先端のものを取り扱う店が多く入っていたが、ほとんどが中流階級向け。賑わってはいるが、私のような社会に属する人はあまり見当たらない。付いてきた侍女もこのような場所を訪れると思っていなかったらしく、困惑した表情を浮かべていた。


 浮いていないか心配になりつつも、私は店の扉を開いた。


 壁には絵画が均一に並べられていた。様々な画家のものを取り扱っているようだが、どれも筆のストロークが印象的だった。


 室内は静寂に包まれており、人の姿は確認できない。


「あの、どなたかいらっしゃる?」


 少し大きめな声で呼び掛けると、部屋の奥にある扉が勢いよく開いた。出てきたのはクライヴだった。


「来て下さったんですね!」


 クライヴは私の姿を確認すると、眉を下げながら微笑んだ。相変わらず、ジャケットはよれよれだ。


「ええ、せっかくだからお邪魔しようと思って」


「ありがとうございます。嬉しいです。ちょうど僕が画廊にいる日でよかった。僕の作品まで案内しますね。こちらです」


 クライヴに誘導されながら進んでいく。たどり着いた先には、色彩豊かな作品が何点か飾られていた。どれも光の描写が美しく、感傷的な気持ちにさせた。


「……素敵ね。特に、このベンチに腰掛けている女性の絵は素晴らしいわ」


 私は一つの絵画に視線を集中させながら、感想を伝える。木漏れ日の下で、ベンチに腰掛けた女性が気だるげに本を読んでいる情景は、親しみと愛らしさを覚えた。


「あなたのようなレディにそう仰ってもらえて光栄です。モデルも喜ぶでしょう」


 クライヴは私の感想が嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべる。


「人物も描くのね。動物だけかと思ったわ」


 身体を彼の方に向け、思ったことをそのまま告げる。この前拾った絵は猫が描かれていて、その印象が強かったからか、人物も描いていることが意外だった。クライヴは私の発言を受けて、暢気な声で答えていく。


「ええ、人も動物も描きますよ。以前、お伝えしたかもしれませんが、あの絵は依頼された絵だったんです。猫が大層好きな方で、どの絵にも必ず猫を入れるよう言われていて。そういう事情なんです」


 クライヴはそのまま続けて、唯一のお得意様なので大事にしているんですと口にした。よれよれのジャケットから分かっていたけど、やっぱり画家としての生活は厳しいみたいね。


 確かに古典的な描き方ではないけれど、魅力的なのに評価されていないだなんて勿体ない。なんて感情が込み上げてきて、私はそんな自分自身に驚きが隠せなかった。どうやら、相当気に入ったみたいね。


 もう一度、女性の絵に視線を戻す。……私を描いてもらったら、どうなるのだろうか。ただただ美しい上流階級の令嬢として描かれるのだろうか。それとも、この女性の様に温かくて、親しみのある令嬢として描かれるのだろうか。


 気になってしまった私の気持ちは、止まらなかった。


「ねえ、依頼したら絵を描いてくれるの?」


 突拍子の無い私の発言に、クライヴは困惑しながら恐る恐る返していく。


「は、はい。その、僕に描ける範囲なら、ですけど……」


「私を描いて欲しいの。肖像画は結構な枚数を描いてもらってはいるけど、こういうテイストのものは無くて。今、何か依頼でも受けているのかしら? その仕事が終わったら、私の絵を描いてもらえると嬉しいのだけれど」


「え、ええ!? 本当ですか……! 今、何も依頼は無いので、すぐにでも!」


 クライヴは全く想像していなかったようだ。興奮気味な彼は目を大きくしながら、前のめりになる。


「なら丁度良かったわ。それじゃあ、あなたの準備ができ次第、連絡をいただける?」


 そう言って、私はカードを渡す。名前と住所が入っているので、これで連絡先に困らないはず。


 その後、今後の流れを確認していく。侍女に教えてもらった平均的な肖像画の依頼料に少し色をつけた額を提示したら、クライヴの想定より多かったらしく、彼は身体を震わせた。私はそんな彼を気にせずに、小切手を押し付けて画廊を去った。


 いつもと違う刺激は、私の何かが足りていない心の隙間を埋めてくれたように思えた。


 帰り道の足取りは驚くほど軽かった。


 何度か手紙でやり取りをし、日付を決めていく。本当に暇だったらしく、すぐに私は彼のアトリエへお邪魔することになった。


 王都の屋敷から馬車で揺られること一時間半の郊外に、クライヴのアトリエはあった。画廊のオーナーが所有する離れを借りて、そこで制作活動を行っていると手紙に記載されていた。どんな場所なのか、想像をしながら揺られていく。悪くはない時間だった。


「空気がだいぶ違うわね」


 ようやく馬車から降りた私は、外の空気を目一杯吸う。王都は石炭から出る煙であまり空気は美味しくないけど、こちらの空気は森林の香りがする。目の前に広がる長閑な村の奥には何か出そうな森が広がっていた。一時間半の移動でここまで景色が変わるのだから不思議ね。


 屋敷の馬車の音が思いのほか轟いていたのか、クライヴがレンガ造りの家から現れ、私に駆け寄ってくれた。


「お待ちしていましたよ! まずはお茶でも飲んで一息つきますか? お口に合う茶葉とケーキじゃないと思うんですが……」


「いいえ、大丈夫よ。それよりも早く完成した肖像画を見たいから、早速作業に取りかかりましょう?」


 私の提案に、クライヴは大きく頷き、出てきた家に戻っていった。きっとあの家が借りているというアトリエなんでしょうね。想像より温かく、良い意味で歴史的な建物だった。


 屋内で作業するのかと思っていた私は、クライヴから外で描くと聞かされ驚いた。今までの肖像画は全部屋内だったから、当然、今回もアトリエ内で行うのだとばかり思っていた。


「自然の中で描くのがいいんです」


 そう満面の笑みで答えられた私は、彼に付き添っていく以外の選択肢が見つからなかった。


 大量の荷物を抱え、ふらふらと歩くクライヴの後に続く。彼は村を出て森の方へと向かっていった。そのまま森の中に入ることになったら、流石にこのドレスでは厳しい。そんな不安を抱きながら、歩を進める私だったが、それは杞憂だった。その手前にある小川でクライヴはイーゼルを置いた。


「ここで描きます。レディ・ローディアは川の前で腰掛けていただけますか。敷物を用意するので、少し待ってくださいね」


 いつもの暢気な顔から一変し、真剣な面立ちでテキパキと準備をしていく。私は指示を出された通りに敷物の上に置かれたクッションに腰をかけ、穏やかな時間を楽しむことにした。


「ここ、良いところね」


 キャンバスと私を交互に見ながら筆を動かしているクライヴは、私の雑談に応じてくれた。


「僕も気に入っています。王都にもそれなりに近いのに、自然がいっぱいあって。レディ・ローディアも王都の喧騒に疲れたら、是非遊びに来てくださいね」


「そうね、それもいいかもしれないわ。逃げたくなったらあなたに連絡するから、その時はよろしくね」


「ご満足いただけるか分かりませんが、精一杯おもてなししますよ」


 クライヴはそう言いながら、にっこりと私に笑いかける。私もつられて笑った。


 日が暮れ始めた頃、クライヴの筆の動きが止まる。今日はもう終わりとのことだった。後は仕上げをすれば完成らしい。そんなに早く描き終わるのかと驚いていると、そういう技法だとクライヴは教えてくれた。


 クライヴは完成するまで見せたくないようで、その日はすぐに解散となった。


 それから間を空けずに、クライヴから手紙が届いた。絵が完成したというので、私はすぐに村を再度訪れることになった。


 到着するとクライヴが暢気な笑みを浮かべながら歓迎してくれた。案内されるままアトリエへ入ると、独特な香りと何枚もの絵が私を出迎えてくれた。描きかけのものはなく、全て描き上げられていた。


 遠目に見るだけでも、優しさと透明感を感じさせる絵に、私は感嘆のため息をついた。


「私、やっぱりあなたの作品好きだわ」


「ありがとうございます。……依頼された絵もお気に召すといいんですが」


 クライヴは私に椅子を勧めると、すぐ近くに置かれたイーゼルへと向かう。そのイーゼルは勿体振るかのように白い布がかけられていた。


 一瞬私に視線をやったクライヴは、ゆっくりと布を取る。現れたキャンバスには、誇らしげな表情を浮かべた女性が描かれていた。勝気な笑みを浮かべながら、遠くに視線を送る姿は、儚さや優しさとは無縁で、勇ましさすら感じさせた。


 これが、クライヴから見た私……。絵自体はとても素敵で好ましいのに、なんだか腑に落ちない。唇を尖らしたくなってしまう。はしたないから、そんなこと実際にはしないけれど。


「素敵な仕上がりだけど、私、なんだか勇ましいわね」


「あなたの意思の強さを描きたくなって。自分の中ではかなり気に入っている作品です」


「意志の強さって、それって気が強いって言っているのと変わりないわよ?」


 片眉を上げながら言う私に、クライヴは視線をずらした。どうやら、図星のようね。


「……否定は、……できませんね。初めてお会いした時、僕よりも速い速度で拾っていったあなたの姿がどうしても忘れられなくって」


 クライヴが屈託のない笑みで言うものだから、私は何も言えなくなってしまった。確かに、あの時の私はかなり好戦的だったし、否定はできない。


 そして不思議なことに、私の印象を率直に告げるクライヴに悪い印象を抱けなかった。それどころか、どこか胸がすく思いだった。


 その後、私はクライヴのアトリエにある作品を色々と見せてもらうことになった。


 私も訪れたことのあるリゾート地が描かれている絵には驚かされた。私にとってはただの海水浴も出来る海沿いの街なのに、クライヴから見ると陽射しを受けた建物も人も海がきらきらと光るように輝いていたようで、絵は生き生きとしていて美しかった。


 なんだかその感性が、とても眩しかった。


 肖像画を屋敷に持ち帰ると、芸術に関心の高い父が待ち構えていた。父の反応は想像以上に良いもので、これに似合う額縁を用意せねばと息巻いていた。それどころか、今度屋敷に呼びなさいとまで私に言ってきた。来月開く父主催の芸術の夕べのゲストとして招きたいとのことだった。


 あのよれよれのジャケットを着た彼が、この屋敷に来るだなんてなんだか面白い。不安げに視線を彷徨わせる姿が簡単に想像できてしまう。いつも退屈だったこの企画が、初めて待ち遠しく思えた。


 手紙を送ると、すぐに返事が来た。快諾の返事と、どのような絵を持っていけば良いのか相談に乗ってほしいということが書かれていたので、画廊で簡単な打ち合わせをすることになった。


 父の好みは大体把握しているので、事前の打ち合わせはすぐに終わってしまう。短時間で帰ってしまうのは勿体ない気がして、その後は他愛のない話をした。クライヴとの会話は、飾らず自然のままで心地よく、気がついたら予定の時間をだいぶ過ぎていた。


 その後も手紙で何度か相談を受けながら、私は関心の低い夜会をこなし、芸術の夕べまでの日数を数えながら過ごしていった。楽しいことを知ってしまうと、今まで以上に夜会がつまらなく感じてしまう。困ったものね。


 ようやく迎えた芸術の夕べは、とても素晴らしいものだった。


 クライヴはどこで調達したのか、それなりの燕尾服を見にまとっていた。想像通り、屋敷に到着したクライヴは視線を彷徨わせていたので、私から声をかけることにした。


 緊張で喉が渇いているだろうから、私はクライヴ用に飲み物を用意することにした。カップに紅茶を注ぎ、ミルクを加える。出来たミルクティーを差し出しながら、私はクライヴに話しかけた。


「緊張しているわね」


 クライヴは受け取ったミルクティーをゆっくり口にし、深呼吸をする。


「そ、そりゃあ、緊張しますよ! 僕、浮いてないか心配で」


「大丈夫よ、燕尾服似合っているわ。それに、料理を口にすれば、すぐに緊張なんて飛んでいっちゃうわよ?」


「そうであることを祈ります……」


 得意げな表情で伝えた私に、クライヴは小さな声で返してくれた。


 十数人規模の晩餐会は、穏やかなもので、食事と会話を皆が楽しんでいた。席が離れてしまったクライヴも緊張から解放されたようで、笑みを浮かべていた。


 食事が終わり男女で一度別れた後、再び応接間で合流する。応接間にはこの日の為に移動させたグランドピアノや、招待した画家の絵を並べていた。


 ピアノやバイオリンの音色が響く中で、詩を朗読する声が聞こえてくる。それぞれ関心のある分野を耳や目で楽しみ、会話に興じた。


 クライヴの絵もここでは好感触で、数名と楽しそうに会話をしていた。


 暫くするとクライヴが一人になったので、私は声をかけた。


「楽しんでいるようね。私が言った通り、食事楽しめたでしょ?」


「ビックリしました。食前酒から終わりのデザートまで、いままで食べたことのない奥行きのある味で……。良い思い出になりました」


 クライヴはいつもと変わらない暢気な笑みを浮かべながら、声を弾ませた。


「それは良かったわ。……あなたもすっかり人気者ね」


「展覧会などとは違って、温かく受け入れてもらえて嬉しいです。色々とありがとうございました」


「お礼を言うなら父に言ってちょうだい? あなたを呼ぶよう私に依頼したのは父なの」


「そうですね、伯爵にもお礼を伝えなくてはいけませんね。でも、その前に僕はレディ・ローディアにお礼を伝えたいです。一度で終わらず、何度も相談してしまったのに、丁寧に回答をいただけて、とても助かりました」


 真っ直ぐと私を見つめながら、クライヴは優しく微笑んだ。何故だか胸に残る笑顔で、私はすぐに言葉を返せなかった。


 芸術の夕べの後も、私は画廊やアトリエに何度かお邪魔することになった。領地の病院に献上する絵を描いてもらったり、個人的に購入したりして、良き支援者であると共に友人になっていった。


 気がつけば夏の暑さが厳しい季節に変わり、シーズンも終わりを迎えようとしていた。


 来週、王都の屋敷を離れ、領地に戻ることになった私は、別れの挨拶をするべく、クライヴのアトリエを訪問していた。


 アトリエに用意された椅子に腰をかけると、クライヴが紅茶の用意をしてくれた。ミルクを先に注ぎ、紅茶をカップに淹れていく。私は差し出されたミルクティーを受け取り、一口飲んだ。そして、カップを置きながら口を開く。


「今日はあなたにお別れを言いにきたの。クライヴ、暫くあなたに会えなくなるわ」


「ああ、そう言えば社交界のシーズンも終わる頃ですもんね。ローディアも伯爵家の領地に戻るんですか?」


 クライヴは首を傾げながら、私に質問をする。いつからか、親しい友人としてお互いの名前を呼び合うようになっていた。


「ええ、そうよ。向こうではのんびり過ごすことになるわ。退屈よ。でも、いいの。今年のシーズンがあなたに会えてとても面白かったから。絵も描いてもらったし」


 あの絵は、王都の屋敷にあるロング・ギャラリーに飾られている。額縁も絵に影が落ちないよう、シンプルなデザインのものにした。


 私はあの絵を見るたびに、思わず笑ってしまっていた。クライヴから見た自分の姿がこんな勇ましいものだったなんて。興味を惹かれた女性の絵とは大違いで、それがとても愉快だった。


「僕にとってもあなたとの出会いは幸運でした。こんなにも親しくなれるだなんて、思いもしなかったので」


 私は笑顔で頷き、同意を示す。


「ふふっ、そうね。私たち、ここまで仲良くなれるとは思わなかったわ。……きっと、今のあなたが私を描くと、また違う仕上がりになるんでしょうね。見てみたかったけど、次のシーズンまで持ち越しね」


 長くはないけど、短くもないこの期間で、きっとクライヴの私の印象は変わったはず。それが絵にどういう風に表れるのか気になって仕方がない。


 残念ながら言う私に、クライヴは何も返さない。何か考えているようで、暫し静かになるが、それは僅かな時間で終わりを告げた。


 クライヴが企んだ笑みを浮かべながら、提案してきた。


「今から描いてもいいじゃないですか。モデルとしてたまにこちらに来れば、気分転換にもなりますよ」


「でも、あなたの技法だとすぐに描きあがっちゃうじゃない」


「古典的な技法も一通り理解しているので、王道な肖像画を描くことも出来ます。その場合、何度かモデルとして来ていただく必要があります」


「……良いわね、その話乗ったわ」


 悪くない提案に、さっそく私は小切手を用意する。前と同じ金額を記入していると、突然、扉が開いた。思わず振り向くと、そこには愛らしい顔の若い女性がいた。手袋はせず、少し流行が遅れているドレスをまとっていた。どこかで見たことがあるような気がする。


「ねえ、クライヴ、さっき画材道具が……」


 何かを言いかけて止めたのは、間違いなく私を認識したからだった。彼女は頬を染めると、自身の手を後ろに隠した。手袋をしていない手を見せたくないらしい。


「やだ、ごめんなさい。お客様がいらしていたのね。私ったら恥ずかしい。あの、失礼いたしました……」


 そう言うと彼女は扉を静かに閉めて、退室していった。


 クライヴは慌てながら謝罪の言葉を口にした。


「すみません。あの、彼女は画廊のオーナーのお嬢さんでして、何かと世話になっているんです。ローディアが褒めてくれた女性の絵のモデルは彼女で……」


「ああ、そうだったのね。だから見覚えがあったのね。絵の通り、優しい雰囲気の方ね。……それと、可愛らしいわね」


 私の発言にクライヴは目を細めながら、今度改めて紹介しますと言ってくれた。


 領地に戻った私は、それはもう暇を持て余していた。何をするにしても味気なく感じてしまい、クライヴと約束をした日が来るまでの日数をただただ数えていた。そして、王都に数日滞在する日が来ては、クライヴのアトリエを訪問し、絵のモデルをしながら語り合った。とても楽しいものだった。


 クライヴは宣言通り、例の女性、アイビーを紹介してくれた。彼女は私のことをクライヴから聞かされていたようで、会うのを凄い楽しみにしていたらしい。だから、中途半端に対面してしまったことが凄い恥ずかしかったと言っていた。素直で優しくて可愛らしい彼女とは、すぐに打ち解けた。


 友好を深めるのと同時に、私の中で奇妙な気持ちが湧きだした。クライヴの傍にいるアイビーを羨ましいと思う気持ちだった。自分の気持ちに鈍感ではない私は、それがどうしてなのか理解できてしまった。


 でも、自分の気持ちに気づいても、すぐに伝えようとは思わなかった。絵が完成するまで、私は待つことにした。完成する前に告げて、それでダメだった時の後が怖かった。意気地なしなのか、理性的なのか。きっと両方ね。


 そして、私はそれと同時に身分差について考えていた。この件については、すぐに答えが出た。好きな人がいれば、きっと何もかも乗り越えられる。両親の説得もなんとかなる。そう私は信じていた。


 気がつけば風が冷たい季節になり、絵もついに完成した。クライヴは前回と同じように私に椅子を勧め、白い布が被ったイーゼルの前に立つ。


「前回よりももっとあなたの魅力が出せたと思います」


 そう微笑むと、クライヴはゆっくりと白い布を剥がしていく。


 優雅に腰かけ、微笑みながら視線をこちらに送る貴婦人がそこにいた。気品のある眼差しは力強く、笑みからは優しさを感じさせる。儚さはないが、美しさと気高さがそこにあった。


 思わず私は自分の肖像画だと言うのに見惚れてしまう。どうしようもないほど、満たされていくのを感じる。


「ローディアの意思の強さって、貴族としての崇高さから来ている気がするんです。どこか優雅なんですよね。それに加えて、あなたは困っている人がいたら手を貸してくれる優しさがある。思いやりの心を持っている。僕から見たあなたはそういう人なんです」


 クライヴはさも当然のように私のことを評していく。べた褒めに近いその内容に、私は頬に熱がこもるのを感じる。


「自分で言うのもなんですが、とても良くできたと思うんです」


「……ありがとう。その、素晴らしい出来でびっくりしたわ。領地の屋敷に持って帰ったらすぐにいい場所に飾るわ」


「気に入ってもらえて、よかった」


 クライヴは嬉しそうに微笑む。


 こんなにも、こんなにも私の内面を見つめてくれる人が今までいただろうか。恥ずかしさや、充足感やらが私を襲い、胸は張り裂けそうだった。


 もっと、もっと私のことを見て欲しい。もっと、もっとあなたのことを見ていたい。


 抑えきれなくなった気持ちを吐き出して楽になりたい私は、遂に口を開く。そして――――。


「実は、ローディアに伝えたいことがあって」


 私が言う前に、クライヴが恥ずかしそうにこちらを見つめる。



「4月に、アイビーと結婚することになったんです」



 ――結婚。その一言を聞いた私は、思わず固まる。さっきまでの騒がしい心は一変し、全ての色が失われていく感覚に襲われる。


「それで、結婚式に是非ローディアにも参加してほしくって」


 返事をしないといけないのは分かっているのに、上手く言葉がでない。私の挙動を不審に思ったクライヴが、心配そうに私の名を呼ぶ。


 心配をかけさせては、いけない。


「ごめんなさい。あまりにも嬉しいお知らせに、驚いちゃったの。結婚式、私がお邪魔しちゃっていいのかしら。ウェディングケーキを一切れいただくだけでも十分嬉しいのよ?」


 無理やり笑みを作る。考えられない頭を無視して、勝手に口が言葉を紡いでいく。


「僕もアイビーもあなたに来てほしいんです。――――だって、ローディアは大切な友人ですから」


 大切な、友人。深く刺さった言葉はナイフのようだった。


「そう……、なら、招待状待っているわね」


 無理やり作った笑みは、きっと綺麗に出来ている。


「よかった。僕らなりにはなりますが、精一杯のおもてなしをするので待っていてくださいね。……そういえば、さっき何か言いかけませんでした?」


 クライヴは私が何かを言いかけたことを覚えていたようで、暢気な笑みを浮かべながら私に問いかけた。


「ううん、何でもないわ」


 私は、何も言わなかった。言えなかった。


 告げたところで、迷惑になるだけ。困らせるだけ。何も、誰も、幸せになんてならない。


 この笑顔を曇らせたくなかった。



 だって、私はあなたのことが――――。




 見事な晴天に恵まれた結婚式は無事に終わり、ガーデンパーティとなった披露宴は村の人達や仕事関係の人達やらで盛況だった。


 私は、一人で細長いグラスを傾けていた。注がれている発泡酒はどうもアルコールが強くて、後味の余韻が好みでは無かった。


 私から少し離れたところで花婿と花嫁は数人に囲まれていた。知人に冷やかされている二人はとても綺麗で、幸せそうだった。見ているこちらまで幸せになるぐらい。来てよかった、と思う。


 結婚祝いに流行のブランドの旅行鞄を送ったら、アイビーは嬉しそうに受け取ってくれた。悩んで選んだので、その反応に私も自然と口角があがった。不思議なことに気持ちは落ち着いていた。


 視線を二人から外し、目の前にあるテーブルに移す。色々な料理が並べられていた。精一杯用意したと思われる料理だったが、普段、私が目にするものとは大きく異なっていたし、品数もささやかなものだった。


 あの時は、身分差も乗り越えられると思ったけれど、現実問題そんな簡単なことじゃなさそうだった。無理だったのかもしれない。なんて、思ってしまうのは、自分の為の言い訳なのかしら。


 ようやく解放された新郎に声をかけにいく。そういえば、アイビーとはちゃんと話せていたけど、クライヴとはまだまともに会話できていなかった。


 新郎に最初に告げる言葉はもちろん決まっている。


「クライヴ、結婚おめでとう」


「ありがとうございます」

 

 照れながらも嬉しそうな声色に、私も頬が緩む。幸せで、よかった。


 切ないながらも満たされている自分の気持ちに驚きながら、私はもう一度グラスに口づける。やっぱり、苦手な味だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] この話好きです。 画家の心情やオーナーの娘の心情、いろいろ想像しますが書きすぎずに焦点を絞ってあるのが好みです。 主人公の望む結果にはなりませんでしたが、次にお見合いをする人とはこれまでとは…
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