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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
99/172

097 春告神事2

「無理だよ」

「無理じゃないよ」

「いや無理だって」

「もう、お姉ちゃん! 今そんなこと言ったって仕方ないでしょ」

「そうなんだけど……」


 素走詣の支度をする為、マウロとエレンを残して犬神神社に渡った私は、八大神の参列を目の当たりにして打ちひしがれていた。

 暗宮の参列は参道の庇闇を深くして輝き亘る月光蝶。ひひるの群が引いた闇をなぞるように光り輝く蝶が舞い、まるで目の前を天の川が流れて行くようだった。それが過ぎて真闇つつやみが広がると、ぽつぽつと火取蛾ひとりがが人魂のように現れて、忍手しのびてを打ちながら闇を行く神々の列。蛾を始め、護解の神々が往く暗夜行路は、一宮に続く十の宮社を束ね、悠々と練り歩いた。


「みんなだって見たでしょ? 蛍も敵わないほど奇麗な月光蝶。磯良いそらちゃんは水族館を引き連れて来たし、千軽ちかるちゃんは動物園。てかサファリパーク。夕星ゆうづつは天翔ける馬群だよ?」

「夜来見た。どれもみんな凄かった!」

「それこそ夢のような時間でした」


 夜来と野足が未だ興奮冷めやらぬ面持ちで言えば、放谷もしきりに頷いて見せる。

 波宮なみのみやの御神紋は親と子の間に孫鯨を挟んで守る子孫久慈良こうまごくじら。そこからピピッと飛沫の糸を引いて一蓋いっかいの編み笠が飛び出し、縁に下げた組紐の先に鈴を鳴らしてくるりくるり。

 花天月地か荒唐無稽か。凛凛と鳴る鈴の一音一音が波音を引いて参道に広がると、青藍せいらん紺青こんじょう花紺青はなこんじょう――深い青は深海を映し出し、浅葱あさぎ鴨頭草つきくさ瓶覗かめのぞき――浅い青は珊瑚礁の穏やかさを映した。

 参道は立ちどころに幻の海に飲み込まれ、どの青も胸に迫って磯の香りを繰り広げる。そうして層を成す青の世界を海の生き物たちが悠然と泳いで行ったのだ。


「海には不思議な生き物がいっぱいいるもんだなー」

「そうじゃない。いや、そうだけど。あんな凄いの見せられた後に大取りだなんて出来っこないよ」

「お姉ちゃんは皇大神なんだから、堂々としてればいの! お姉ちゃんがあたふたしてたら、折角の行列も格好がつかなくなっちゃうでしょ」


 まったく阿呼はしっかり者だよ。お行儀にはうるさいし、財布の紐だって固い。じゃが沼でへぴを捕るまで知っているんだから、こっちは姉ながら手も足も出ないというね。

 けれど、笠の下に姿を現した磯良ちゃんが十の柱神を率いて行く姿は、八大神の最年少とは思えない貫禄で、到底今の私が及ぶところではなかった。

 青海参内の潮が引いて次に茅の輪を彩ったのは、大層立派な象牙のしゃくをぶっ違いに交差させた違い牙冊紋げしゃくもん。南大嶋全土を統べる土宮はにみやの登場だ。

 のっけから斑良まだらちゃん辺りが飛び出して来るかと思いきや、御神紋の向こうから探るように現れたのは赤ちゃん象のまだ短い鼻先。どうにか仔象が水路に下りると、後から後から巨象の列。

 土宮の参列は象の一列縦隊を組んで、その背中を飛び石に、赤土でしか見られない獣たちが次から次へと渡って行った。

 紅鶴フラミンゴの群は沿道に溢れ、気取ったステップで見物客の袖を掠め。人垣に飛び込んだ小動物は足下をすり抜け、肩へ駆け上がり、頭から頭へと飛び移る。沿道は子供から大人まで大喜びだ。お触りOKの企画力でこれ以上ない盛り上がりを見せた。


「みんなド派手にやってるのに、大取りの真神はただ進むだけなんだよ? そんなの絶対白けるじゃん!」


 衆人環視の中、ぽつねんと舟を浮かべ、放谷の舵取りでスイー、スイー、って、明らかに盛り下がるヤツだよ! それこそ大宮の伝承に瑕が付いてしまうのでは?

 飛馬流星ひばりゅうせいの紋を割って飛び出した夕星は馬群を率いて軒の高さを疾駆した。皆々、有翼の天馬よろしく自在に大気を蹴って、雄大な幻想が頭上から圧し掛かるかのようだった。


「まぁまぁ、へぇ。八大神が左様に華やぐのでしたら、へぇ。寧ろ首刈様は静々と往かれなさった方が色よし名よしで御座いますから、へぇ」


 犬神衆と一緒になって着付けてくれる茜狛あかねこまさんが励ますように言ってくれた。

 そうなのかな? 派手目を派手やかに対抗するより、確かに締め括りは水を打った方が場が締まるかもしれない。


「師匠もそう思います?」

「左様ですなぁ。大取りなればこそ、大きく構えて、殊更には動かぬものかと。身共などはそう考えまするが」

「なるほど。阿呼はどう?」

「阿呼も白狛しらげこまさんと茜狛さんの言う通りだと思う。それに、お姉ちゃんは水走の歌を歌うでしょ? 辺りが騒がしいままだったら、折角のお歌が届かないもの」

「そっか。そうだよね」


 着付けを終えて互いの出で立ちを見分しながら、一人一人頷き合って、私はようやく心を決めた。

 この晴れの日に、私にできることはそう多くない。嶋人と渡人と獣の入り混じる沿道に、水走の歌を届けよう。流れる水に身を任せて、春の訪れを謳歌しよう。歌で一つになる世界。その一歩を今、踏み出すのだ。




 ***




 本殿裏に回ると、一昨日、行進の練習をした行列が整然と並んで待機していた。総勢八十八名。これを二列に割って、それぞれの先頭には野足と夜来が立つ。

 仔狐兄妹が配置に付くと、私は用意された茅の輪の前に立って、西風まぜさんが春もように化粧を施してくれた上げ舟を物招ものおぎの御業で召喚した。


「これでよし。阿呼は舳先へさきに座って、放谷はともで舵取りね。野足と夜来も準備はいい?」

「大丈夫です」

「いつでも平気!」


 各人の配置を確認して、私も胴の間に渡された板に上がり、過日指導を受けた通りに姿勢かたちを決めて泰然自若を決め込む。勿論、内心は心臓バクバクだ。


「師匠、出のタイミングは目打めうちで取るって言ってましたけど、どうですか?」

「差し当たり、白守の参列が半ばを過ぎた頃合いに御座いますれば、殿しんがり東風媛こちひめ様が春を参らせるのも間もなくのことかと」


 八大神の参列を締め括る白守は、常から冬秋夏春の並びに従う。春を司る末妹の東風さんが最後の最後で、春告神事には持って来いの幕引きだ。その幕を今一度上げて真神の大取り。その時間が刻々と迫っていた。

 師匠は目打の御業で沿道の眷属の目を借り、素走詣の進行を十全に把握している。あとは合図を待って乗り込むだけ。

 背後から放谷のくしゃみが聞こえて、緊張と無縁の図太い神経をうらやむ。すると、同じことを思ったのか、舳先に居様いざま美しくしていた阿呼が振り向いて、


「放谷ったらちっとも緊張しないのね。阿呼もあやかりたい」


 その台詞に私の眉はパッと開けた。


「なんだ。阿呼も緊張してたんじゃない」

「当たり前でしょ。阿呼だってこんな風に着飾るのは初めてなんだから」


 照れ臭そうな阿呼に微笑み、のほほんとした放谷に親指を立て、呼吸を深めて合図を待った。


「今ぞ金門出かなとでに御座いまする」

「はいっ、みんな、行くよ!」


 待ち兼ねた合図に意を決すれば、応と息の合う頼もしい仲間たち。

 私は両の手を突いて星霊を茅の輪に流し、道結ちゆいの光膜を輝かせた。


「あれ? ちょっと、師匠、御神紋はどうやって浮かべれば?」

「想起に御座いますぞ」


 ですよね。

 でも、自慢じゃないけど念頭になかったことをお茶の子さいさいにやってのけるほど器用な私ではない。無理だ。いいや、とそのまま道を開きにかかる。


「もうこのまま行くよ。舟が出たら行列も遅れずに付いて来て!」

「おー、舟出は任せろー」


 放谷が舵を取れば風招かざおぎの御業か、舟は前に押されて、舳先に座る阿呼の姿が光の膜に迫ると、行く手の景色が飛び込んで来た。

 左右後方では舟に合わせて野足と夜来が歩みを進め、それに合わせて楽部が音曲おんぎょくを響かせる。

 前には阿呼。舳先の反りの直ぐ手前に膝を畳んで雛壇のお飾りのような佇まい。

 後ろには放谷。桜の木肌を思わせる玄の水干を着て、艫の上で櫂を構えて勇ましい。

 列を率いて野足と夜来。袖縁に通した括りの緒の白が外側になるように左には桜の枝を手にした野足、右には橘のそれを持つ夜来。白は外側に邪を阻み、黒は内側に邪を吸い取る。二人は今や、心強い左近と右近だ。

 しょうの音を跨いで高く低く鳴る篳篥ひちりき龍笛りゅうてき。その音調を繋ぐように笏拍子しゃくびょうし鉦鼓しょうこが合拍子を取る。

 やがて、どよめきの向こうに延びる水清らかな水走の参道に僅かな飛沫を立てて、春花模様の上げ舟が群集の前に進み出た。


「花道だ――」


 感動と同時に気負いから来る重圧が頬を強張らせる。それをどうにか押し退けて私は口元にぎこちない笑みを湛えた。




 ***




 目に見える形で春を迎える。

 春告神事は太古の九宮が年中に催す祭りの中でも特別な大祭だ。

 真神の月追つきおい神事が秘祭となって以来、三十七紀の長きに亘って年初の大祭として行われて来た神事。それは春を待ち焦がれる者たち全ての喜びであり、冬から春へと晴れがましく移ろう年度の皮切りだ。そして祝着の時を一層盛大に彩るのが、曰く水走の素走詣――。

 一の鳥居から二の鳥居までを目抜く参道に水走の神々が先を競い、追っつけ各地のトーテムを束ねた八大神が練り歩く。

 このように参詣そのものが最大の催しとなる例は春告神事を於いて他にはない。それだけに人も獣も春を待ち望む叙情に溢れて、鶯の声に負けず劣らず花の季節を謳歌するのだ。


「しかし今年は凄いな。八大神のお出ましなんて初めてのことだ。何が理由でこんな派手なことになったんだ……」


 この日に合わせて神庭こうにわから馬車を乗り継いで来たレブは、人垣の中、妻と手を繋いだまま半ば呆然と八百万の参列に目を瞠っていた。


 醒めたまま夢を見ているのではないかしら――。


 最前に妻が口にした言葉をなぞらえてみるれば本当にその通りで、現実として受け止めようにも容易には飲み下せない。ややもすると息を止めたまま見入っているのか魅入られているのか。息苦しさにぜいと喘いでようやく現実味の欠片を手にする有様だ。

 レブ自身、蛇トーテムの信徒だから素走詣は毎年目にして来た。それが済めば自らも参列の後尾に加わって二の鳥居の先にある拝殿に上がり、柏手を打ってきたのだ。

 けれども目の前の現実はどうだ。今の今まで八大神の参列など目にしたこともなければ聞いたこともなかった。それどころか、水走の小さ神たちが派手に御業を披露して進む姿すら初めて目にした。

 これまで春告神事で目にした御業と言えば舞楽殿で五年に一度催される式年神楽の妙味を遠目する程度で、後は強いて言うなら一の鳥居の茅の輪から現れる時の道結ちゆいくらいなものだった。


暗宮くらみや波宮なみのみや土宮はにみや馬宮まみやと来て風宮かぜのみや扇宮おうぎのみや峰峰宮ほうほうぐう。これで八大神の行列もお終いです。次はいよいよ――」


 背後から聞こえた声を振り返れば、ハンチングの耳だし穴からシュッとした馬耳を立てた若い女性が手庇で見物している。出で立ちは洋装の渡人風情だが馬宮衆に違いない。その両隣に立つ男女はいずれも渡人。装いから察するに調査局の関係者だろう。

 レブは妻の手を引いて人垣を一列退り、馬宮の女性に尋ねた。


「失礼。私は妻と神庭から見物に来た者ですが、今、峰峰宮の次と言いませんでしたか? 峰峰宮の次があるんですか?」

「ええ。今年は見ての通り八大神の参列があって例年とは異なりますから――。あっ、ほら、お出ましですよ! 見逃したら勿体ないです」


 興奮気味に声を上ずらせる馬宮衆の視線を追って、レブは向き直った先に一の鳥居を覗き込んだ。

 大衆に押し流されてきたレブの現在地は一の鳥居から幾分遠い。参道に十からある四つ辻の丁度三番目辺りだ。

 レブは背伸びする妻の肩を支えながら、自らも顎を反らせて食い入った。


「光ったわ、あなた」

「ああ、見えているよ」


 大鳥居に吊るされた巨大な茅の輪が翡翠の輝きを発し、いやさか波打つように揺れ始める。歓声はまるで鯨波のように轟いて、それを合図に太鼓や笛が囃し立てた。


 庇闇を深くして輝き亘る暗宮の月光蝶――。

 参道を蒼海に引き込んだ波宮の参詣――。

 百獣率いて地を踏み鳴らす土宮の勇壮――。

 水上を駈け天駆ける馬宮の馬群――。

 風切羽根に雲を切り晴らした風宮の群舞――。

 トンテンカンと金音賑わう扇宮の軒渡り――。

 六花、紅葉、藤花、桜花と四季絢爛の峰峰宮――。


 幾つもの幻想が継ぎ目なく過ぎたあとに尚も続くとなれば、沿道の人も獣も想い描くものは唯一つ。ところが来るかと見込んだ御神紋は一向に浮かばず、囃す太鼓も笛も止む。

 シンと静まったその虚を突いて、刹那、一艘の舟が船縁に描かれた花を散らして水路に漕ぎ出した。


「首刈様ーーっ!!」


 朗々と呼ばったのはレブの後ろに立つ馬宮衆の女性だ。

 彼女の両脇に立つ男女からも同じ名が叫ばれる。そればかりではない。水打ったような静寂を裂いて、一の鳥居の最寄りの辻、そこに立つ宿の辺りからも声がした。見れば二階の欄干から身を乗り出す渡人の少年少女の姿がある。

 レブは混乱した。日頃、夫からその名を聞かされていた妻も驚いた様子で顔を見合わせた。一拍置いて舟を見る。どうにも人垣が邪魔になるのだが、かろうじて舟の中程に立つ狩衣の少女の姿を拝むことができた。


「首刈ちゃん、だよな……」


 すっかり大人びてしまった風貌に惑いを覚えながらも、レブは里帰りの折にと、わざわざ立ち寄ってくれた少女の姿を確かに見た。


「すまん、通してくれ!」


 妻の手を引いて肩口で人垣を割りながら前へ前へと進み出る。その間にも歓声が上がり、どうにか最前列に漕ぎつけると、沿道に現れた参詣の行列が舟と並んで向かって来るのが見えた。


「氷輪に狼だっ!」

「真神の大神様だっ」

「大宮様の御神渡おみわたりだぞーっ!」


 右に左に行列の先頭を行くのは狐色の水干を纏った童子。手にはそれぞれ橘と桜を持って、道を清めるようにゆっくりと左右に振っている。その後ろに真神の御神紋――氷輪に狼を印した旗が捧げ持たれ、次いで二宮は蜘蛛ささがに夢魅除巣紋ゆめみとりそうもん。更に三宮の拒魔犬紋こまいぬもんと続いた。

 行列の中段から流れ出す音曲に、沿道の騒めきとお囃子が鳴りを潜める。これまでとは打って変わって静かな行進になった。


 大宮の九代、大嶋治真神首刈皇大神。大嶋廻り途上の御成り――。


 橘の童子の後ろで氷輪の旗持ちがいや高く旗竿を掲げて言上すれば、桜の童子の背後にもう一竿が呼応する。


 皇大神が乙御前おとごぜ、真神下照阿呼比売命――。


 舳先で膝を折るひねりかさねの比売神が、沿道にそっと手を振った。その真後ろで大手を振っているのが首刈皇大神だ。

 レブはその振る舞いに、誰に対しても垣根を持たない首刈の変わらぬ気心を感じて、ホッと安堵の想いを抱いた。


 二宮は蜘蛛ささがに真神守まかみもり、風招放谷姫命――。

 三宮は犬神の名代、野足の君――。夜来の君――。


 首刈の後ろで櫂を取る放谷にレブはようやく気が付いた。お仕着せの水干にすっかり見違えて、視界に収めていたのにその名が上がるまでまったく分からなかった。けれどもよくよく見れば、カウンター越しに幾度となく目にした歯抜けの笑顔か光っている。


「あの神様たちがうちの店に寝泊まりしただなんて。お前、信じられるか?」


 自身、信じられない思いを抱きながらレブは妻に言った。妻はただ繋いだ手に力を込めて何も言わなかった。

 やがて二つ目の辻を過ぎて皇大神を乗せた舟が目と鼻の先に近付いて来る。

 さすがに声をかける訳には行かないだろう。レブはそう思って沿道の人々に倣い、深々と首を垂れた。と、その時だ。


「あーっ! レブだ! レブがいる! 阿呼、放谷、見て見て、レブがいるよ!」


 神妙な音曲ばかりが流れる控え目な気配をざっくり断ち割って、耳馴染みのある声がケンケン響いた。

 嘘だろう――。

 頭を下げたままレブは固まった。僅かに顔を傾けてチラリと見れば派手に舟を揺らしながらぶんぶんと手を振っている首刈。その前後でこちらを覗き込んで来る妹神と蜘蛛の主祭。

 辺りも俄かに騒がしくなって、それでもまさか面と向かって言葉は交わせまい、とレブは硬直したままでいた。


「放谷ちょっと舟止めて」

「おー?」

「お姉ちゃん何する気?」

「だってレブだよ? お世話になったんだから挨拶してかないと」


 やめてくれ。

 頼むからそのまま通り過ぎてくれ――。

 レブは周囲から刺さる視線を痛いほど感じながら、行列の行き足が止まるのを察し、パタパタと駆け寄って来る足音を感じた。

 そして何故、最前列に飛び出してしまったのかと、振り返って己の愚行を悔やむ。


「レブ!」

「……はい」

「どうしたの? 私だよ。顔上げて」

「……勘弁して下さい。この通り今日は妻もいるので」

「あっ、奥さん? 初めまして首刈です。レブには本当にお世話になったんです。今度またお店の方にも伺いますね」


 レブは消えてなくなりたかった。自分がこの場にいたせいで春告神事最大の盛り上がりともなる素走詣の、しかも大取りの足を止めてしまったのだから。

 先刻から妻が二の腕をつねり上げて来るのも「絶対に顔を上げるな」とのサインだろう。無論、言われるまでもないことだ。


「お姉ちゃん、行列を止めたら駄目でしょ。レブさん、また後で挨拶しに行きますから」


 結構です。本当に結構ですから早いとこ行っちゃって下さい。

 願うのはただそれだけ。


「えー。じゃあ行くけど、あ、今年は本殿まで参拝に行けると思うよ。ご利益が貰えるように上手く転べるといいね。本殿に来たら転宮衆に声かけてくれれば私も直ぐに行くから、そしたら夜刀ちゃんにも会わせてあげるね」

「はい。あ、いえ、畏れ多いです」

「何言ってんの。私とレブの仲でしょ。じゃあまた後でね!」


 軽やかに去る足取りがフッと消えて、舟に飛び乗った拍子に水音が立った。


「いざ、しゅっぱーつ!」


 軽妙な掛け声にザッと行列の行き足が戻り、低頭したままのレブの前を一歩一歩行き過ぎる。が、その時になると行列の側からも視線が矢の如く降り注いで、こうなるともう針の筵などは軽く通り越して、レブは差し詰め鋼鉄の処女(アイアンメイデン)にでも放り込まれた気分になるのだった。




 ***




「さすがは首刈様。普通では考えられないことをサラッとやってのける。そんなところは何一つ変わっていませんね」


 一部始終を目撃していた石楠さくなは、最前言葉を交わしたレブなる人物が、首刈の奇行に打ちひしがれて塩の柱にでもなろうかという様子を見て呟いた。

 石楠は先日、この参道の路地裏でザザ・スーラなる渡人の魔法使いと対峙してから、恐らくは水走に来ているだろう首刈ら一行を探したのだが、調査局で西風まぜから新たな指示を受けた為、再会は持ち越しとなっていた。


「ですが石楠さん。ああも悪目立ちしてしまっては、こちらで護衛を付けておいた方が無難ではないですか?」


 隣に控える調査員、カリューの申し出に石楠は頷いた。


「そうですね。例のモレノという男も今の様子は目撃したでしょうから、首刈様との接点を持つ彼に下手に接触されても困ります。モレノの位置は変わりませんか?」

「ええ。その路地の際から動く様子はありません」

「では、レブさんとやらの護衛にはカルアミさんが付いてくれますか?」

「承知しました」


 カリューとは反対側に控えていてた魔法使いのカルアミは、クラウドカラーの瞳にレブを映して言葉を続けた。


「互いに首刈様の知己を得ている間柄なら、この後の参拝に同道してしまっても構いませんか?」

「ええ。この混雑ですし、離れて見張るよりその方が安全でしょう。ただ、事情は告げずに、奇遇を装って下さい」

「分かりました」


 石楠の了解を取り付けたカルアミは見物人の合間を縫ってレブの方へ向かった。

 皇大神の行列は三つ目の辻に差し掛かった辺りだ。過ぎ去った沿道では水路の際まで人が溢れ出し、ぞろぞろと二の鳥居に向けて流れ始めている。素走詣が終われば、その流れで誰もが拝殿を目指す。


「モレノも流れに乗って動き出しましたね」

「では私たちも行きましょう」


 西風からの指示でモレノを見張っている石楠たちだが、現状、モレノと接触する人物は現れていない。だからと言って手持無沙汰な訳でもなく、見張りの他に今一つ、重要な任務があった。即ち、春告神事以降の皇大神の動向をモレノの耳に入れることだ。


「彼の傍で小芝居をすればいいだけの話ですけど、それだとあからさま過ぎでしょうか? 吟遊詩人でもあるカリューさんなら情報の収集や拡散には詳しいと思いますけど、どうですか?」

「そうですね。ピンポイントに狙う必要はないと思います。この件にはそれなりの人数を動員してますから、彼らを介して流布した方がいいと思いますね。何しろ首刈様の参詣を目にした人々は当分はその話で持ちきりになります。そこへ皇大神の今後の話を漏らせば皆が皆興味を持って聞くでしょう。そうすれば頼まなくても吹聴してくれる訳ですから、自然、モレノの耳にも入ります」

「なるほど。ではそうしましょう。さすがは吟遊詩人、頼りになりますね」

「近頃は調査局の仕事ばかりで、もう随分と辻で歌うことはしていませんが」


 カリューは愛想笑いを浮かべて、背に負った八弦琴を担ぎ直した。首刈ら一行と出会う以前は調査の合間に流しの真似事をして小銭稼ぎをしたものだが、近頃では仲間内の酒盛りに軽く爪弾く程度だ。そのことに不満がある訳ではない。首刈との出会いからこっち、人生の新たなスタートを切ったという実感はある。ただ思うのは、今関わっている件に目途が付いたら、束の間でも旅に出て、皇大神との出会いを歌物語にして伝え広めたいということ。カリューはそれが自分にできる神々と渡人の橋渡しだと考えているのだった。


「カリューさん、聞こえますか?」

「これは、首刈様の歌声……」

「ええ。水走の歌です。媛様が以前、歌って下さったことがあります」


 石楠は夕星媛が夜刀媛から伝え聞いたという水走の歌を披露して貰ったことがあった。あからさまに音程から何から滅茶苦茶で、元がどんな歌であるかは想像に任せる他なかったが、ここへ来てようやく本家本元の歌を耳にすることができた。



 名もなき平瀬に 流れゆく

 木の葉一片 追い行けば


 水も開けるその里に

 常永遠とことわ結ぶ 夜刀楠やとのくす


 嗚呼、このくには水走る

 も美しき 神のくに


 大海原へと注ぐ血の

 願いも寄する夜刀のくに


 永久とわいま

 桜待つ道標

 麗しきその名



 美しい水走を讃える調べが参道に澄み渡り、気が付けば水路に落ちている梅が枝に満開の花が結ばれている。

 春告宮の鶯が降らせた時には数えるほどの花房ばかりを付けていた梅が枝が、今や水路に落ちたものばかりでなく、屋根の上に、衆の手の中に、清しく匂う紅白咲き分けの花を開いて、沿道は驚きと喜びの声に満たされた。


「これが首刈様の異世界まほろばです」

「これがそうなんですね。私は初めて見ました。見ているだけで幸せな気持ちになっちゃいます」

「ええ。しかも首刈様がその気になれば、この梅の枝を木として根付かせることすらできるそうです」

「それは是非とも一株分けて頂きたいですね。馬宮の杜に植えたいです」


 すっかり異世界まほろばの気に当てられて浮ついた気分でいると、はたと気付いた時には石楠もカリューも揃ってモレノの姿を見失っていた。慌てて前を行く人波を掻き分けたり、路地を覗き込んだりするのだが、これが皆目見当たらない。


「あああ、どうしよう? とんだ失態です。ザザ・スーラと違ってモレノは魔法使いでもなんでもない普通の渡人。その足取りも満足に追えないだなんて刑部おさかべの恥ですっ」

「落ち着いて下さい。万が一には宿に戻ったかもしれません。私は宿の様子を見てきますから、石楠さんはこのまま人垣の捜索を続けて下さい」

「分かりました。お願いしますっ」

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