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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
96/172

094 宵宮

 春と問えば曙と答える人も、今宵この春宵しゅんしょうに思い至れば自ずと別の解を得るに違いない。見上げればさくの夜空に十全十美の星明り。まだ浅い藍の空を尚明るく、花色と呼ばれる青に染めて、そこに一筋の霞棚引く雲を靡かせていた。


「いいお湯だったでしょ?」


 狛の夫婦神が持たせてくれた浴衣を着込んで、一場の田んぼを埋め尽くす土湯の煙を背に畔を行く。温まった体。軽い足取り。腰裏に揺れる様々な帯結び。連れ立つどの面々も火照った頬をして、浮かべているのは心地よさげな笑み。

 私、野足、夜来。阿呼、放谷、マウロ、エレン。そして小鉤ちゃん。総勢八名がこの宵宮に顔を合わせて、禊も兼ねたひとっ風呂を浴びたところだ。

 珍しい上にも珍しい泥パック温泉に仔狐兄妹もエレンも楽し気に過ごしていたけれど、神も含めた女性陣に囲まれてマウロだけは何処か借りてきた猫のよう。


「エレンと一緒のお風呂とか何年振りよ?」

「ななな、なんですかいきなりっ」

「ほーほー、左様かぁ」

「何がですかっ!?」


 たじろいじゃってまぁ。可愛いね! なんて、恋愛のれの字も知らない私は初々しい恋人を弄るのに余念がない。

 そこへ行くと今一人の男性である野足は以前から当たり前に混浴生活だから慣れたものだ。女性陣としても泥パック温泉なので、脱衣場さえ別々ならどうという風もなかった。


「さあ、宵宮だよ。もうじき陽も落ちて、参道はそれはそれは賑やかになるよ」


 からかうのを切り上げた私は知った風なことを言って先頭を進んだ。そこに夜来とエレンが追い縋って狭い畔を肩寄せ歩く。

 時刻は夕方の五時。既に宿の夕餉は辞退してある。宵宮の出店を渡り歩いてそこでお腹をくちくしようという算段だ。

 軍資金については心配ご無用。十全の備えがある。当初は江都での稼ぎを当てるつもりでいたのだけど、今は白狛さんと茜狛さんが用立ててくれた分が懐にズシリ。勿論、最初は辞退した。だって、どう見たって一晩の娯楽に費やす額ではないんだもの。

 でもね? お爺ちゃんとお婆ちゃんが孫を甘やかす心情を想えば、そうそう無下にも断れない。だもんで致し方なく持たせて頂いた訳ですよ。ええ、致し方なくです。はい。

 それに過分な額は何も私たちの遊興だけに使うのではなしに、お土産という形で返せばいい。夫婦神を始め大勢いる宮衆の分まで考えれば割とキリよく使い切れるだろう。


「ほら、お囃子もだんだん賑やかになって来た」


 畔の終わりに建つ櫓を見れば、太鼓と笛がドンヒャララ。こうした櫓が参道の至る所に見られた。


「戻られましたか。お待ちしてました」


 櫓の下で待っていたのは西風さん。調査局の絡みがあって温泉はご一緒できなかった。

 西風さんはいつもの白い袖なしワンピに替えて、紺を基調にした切りばめの浴衣に袖を通していた。姿勢のいい立ち姿は私の個人的な色眼鏡を抜きにしてもカッコイイのだろう。夜来とエレンがほぅと溜息を吐くのが聞こえた。


「言っとくけど私の西風さんだよ」

「え!?」

「え!?」


 心の中で言ったつもりがバッチリ声に出て赤面。うわぁ、やってもーたぁ! 早速エレンと夜来から弄られまくる。勘弁してっ、と西風さんの背後に逃げ込んだら、


「はい。皇大神の西風ですよ。さあ、可愛い可愛いお姫様。お手をどうぞ」


 呆気――。

 この人わざとやってるの? やいのやいの言ってた二人も完全に沈黙。阿呼たちがぽかんと見つめる中、私は差し伸べられた手に自らの手を預けた。ほっぺたが熱くって困る。


「きゃー!」

「ひゃー!」


 途端に復活するエレンと夜来。息の合うコンビだね。でも一番喧しいのは私の胸の中だけどね。ぎょわわーっ、ひょえーっ、とひっきりなしで目が回る。

 西風さんは男物の浴衣でもないのに地色の紺桔梗が引き締まって、キリッと矢の字に結んだ小町鼠こまちねずの帯が眩いほど男らしい。

 こんなの一生付いて行くわ! もう楓露史上初のゲイ大神と呼ばれてもいいや。どんと来い!

 吹っ切れた私は西風さんと腕を絡めて小径を抜け、明るく賑やかな参道に躍り出た。


「わあ! 奇麗……」

「祭りは何より宵宮が賑わいますからね」


 味わい深い町屋の並びに軒を通して揺れているのは桜色の無数の提灯。上に下にと流れる人垣の狭間で水路の水がキラキラと光を照り返している。こんなにも胸躍る情景を二人そぞろ歩けたらどんなにか素敵だろう。と思ったのも束の間。いつも通り放谷の「あれ食いたいこれ食いたい」が始まって、風情もくそもあった物ではない。


「ねぇ神様」


 なんだかなあと思っていたらエレンが周りも憚らずに声をかけて来た。


「しーっ! 神様とか言っちゃダメ。騒ぎになるからっ」

「あ、ごめん。じゃあ首刈様」

「はいはい、どしたの?」

転宮まろびのみやには縁結びの祠があるって聞いたんだけど、どこだか知ってる?」

「縁結びの祠? 聞かないね。私っていっつも地下の本殿に直接行っちゃうから、地上の境内はよく知らないんだよね」

「えー、そうなのー? じゃあ西風様に聞いてよ」

「そんなの自分で聞けばいいじゃん」

「だって、お邪魔しちゃ悪いし?」

「ぐぬ……」


 チラッと見上げれば、融和策の関係で長らく逗留して知り合いの多い西風さんはあちらこちらに手を振っている。しかも相手はどれも妙齢の女性ばかり。私の旦那はモテるなぁ。


「西風さん」

「はい、なんでしょう?」

「あのー、夜刀ちゃんのとこって縁結びのお宮だかお社だかってありましたっけ?」

「ああ、双社ならびのやしろですね。たづみさんとしだりさんのお社ですよ。二の鳥居の先にあります。大蛇おろち神社と言って摂社の類ではなく歴とした蛇トーテムの分社です」

「分社? 本社の中に?」


 それは珍しい。蛇トーテムの本社は言うまでもなく転宮こと大巳輪芽喰神社だ。その分社ならば普通は異なる土地にあるもので、本社の神域内に分社を置く意味は普通に考えれば存在しない。しかしながら予想は着く。潦さんも滴さんも夜刀ちゃんのお世話をする神様たちだ。ズボラな夜刀ちゃんのことだから、きっと二人のような世話役を手元に置いておきたかったのだろう。


「ただ、宵宮の内はお参りはできません」

「そうなんですか?」

「ええ。宵宮は一の鳥居から二の鳥居まで。つまりこの街並みの参道だけで行われます。二の鳥居から先の杜へは明日の朝、春告宮の鶯が鳴くまでは神であっても立ち入ることはできません」


 通常なら、宵宮、本宮、後宮と三日続くお祭りのいつであっても参詣はできるものだけど、神事も人と同じで十人十色。春告神事の場合、水走月で冬が終わって、水追月と同時に春を迎えることもあって、参詣は迎春の日となる本宮祭りから解禁されるのだそう。


「だってさ、エレン。明日じゃないとダメみたい」

「そうなんだ。じゃあ明日行く。てゆーか明日はどうなるの? 一緒には回れないんでしょ?」

「うん。明日は私も素走詣に参加するからね。エレンとマウロには宿から見物して貰って、あとで合流しよう。私は素走詣で水路を渡ったら、そのまま本殿まで行って夜刀ちゃんに挨拶してくるから、ちょっと時間がかかるかもしれない。西風さん、どのくらいかかります?」

「ご心配には及びません。今年は古来の形での神事となりますから、誰もが本殿まで進んで参詣をすることができます。長蛇の列に加わってお二人が参詣を終える頃には、私たちも夜刀様へのご挨拶を済ませていることでしょう」

「なら問題ないですね。そういうことだからエレン。明日はマウロと二人、はぐれないようにだけ気を付けてね」

「分かった」




 ***




 宵宮の食べ歩きもたけなわ。あれもこれもと手を伸ばしては買うも買ったり食べるも食べたり。

 綿飴、杏子飴、林檎飴。

 餡巻き、甘栗、軽目焼き。

 鯛焼き、お焼き、揚げもんじゃ。

 鮎の塩焼き、味噌田楽。

 芋煮、水団、七草粥。

 参道の真ん中の大辻で四隅の高燈篭に囲まれながら、くちくなったお腹を摩ってホッと一息。すっかり暮れた夜空の下も光溢れる参道に八方伸びる影は薄い。


「そうだお土産! 野足、夜来。食べるのは一段落したし、お土産物を見に行こう。マウロとエレンも親御さんに何か買って行くでしょ?」


 食べ物や遊興のお店から土産物屋にターゲットを切り替えて、腹ごなしに練り歩く。行き交う人の数もまだまだ減らない。目を楽しませるのは春柄の様々な浴衣。渡人も大半が浴衣姿だ。

 マウロもエレンも浴衣を着るのは初めてだと言うし、江都にいては味わえぬ大嶋の情緒を満喫しているようだ。

 店内を見回せば品揃えの中心はお酒。なんと言っても水に恵まれた水走の一押しだ。それからお酒に合いそうな干果、干物などの摘まみ類が目白押し。他にも一通りの土産物が揃っている。

 私は食べ物の方を阿呼と放谷に任せて、焼き物の棚にいる野足と夜来の所へ顔を出した。

 棚を指差しながら品選びをする兄妹の背中――。二人とも出会った時には四歳くらいだったのが、今や十四、五歳の身の丈だ。放谷は別として私と阿呼も生まれて一年で今の姿だし、元来が動物だと人に移姿うつした時の変化はとみに顕著だった。


「白狛さんたちへのお土産、何かいいのあった?」

「あ、すーちゃん。これなんかどうかなって話してたの」


 振り向いた夜来の手には小振りの湯呑が二つ。夫婦湯呑と言うやつだ。その一方を野足が取って、図柄が見えるようにしてくれた。


「これ、色んなお宮やお社のトーテムを絵付けしてあるんです」

「ほんとだー! わんこが描いてある~」


 棚を覗けば各地の一宮から三宮まで、二十七のトーテムを絵付けした夫婦湯呑や夫婦茶碗が並んでいる。どうやら大嶋各地で売られている土産物の定番らしい。

 狼、蜘蛛、犬の真神シリーズに続いて水走の三種。更に隣の護解には玉殿神社の狐を描いたものもあった。最下段には八十柱のトーテムや水走の小さ神のトーテムがずらり。


「これにしようよ。私たちの分も買って全部で七つ。お揃いで家族っぽいし、どう?」

「うん、そうしよっ。ね? お兄ちゃん」


 夜来がねだるように言えば野足も頷いて、早速、狼、犬、狐を一組ずつ、それから蜘蛛の柄を一つ揃えて勘定場へ。折しも先に並んでいたマウロとエレンに、「ここは私が持つから」とお会計を一緒に済ませて、狛の夫婦神から頂戴したお金で払いを済ませた。

 一通り買い物を済ませて手荷物が増えると、荷物を置きに一度宿に戻ろうということになって、人通りの絶えない参道を一の鳥居に向けて歩いたへ。


「マウロとエレンはどうだった? 宵宮は」

「とっても楽しかったです。八大宮の鳥居前町なんて初めてなので、何を見ても感動しました」


 感無量のマウロの隣で「大袈裟なんだから」とエレンが笑う。そのエレンも浴衣を着せた時には大喜びしていたし、今も両手はお土産の品で一杯だ。無論、同量以上の荷物をマウロに持たせた上での話。

 江都には最寄りに火取蛾本宮があるけれど、鬱蒼とした古代の杜に囲まれる宮に鳥居前町はない。護解を出たことがないという二人には、今夜のことはよっぽどいい刺激になったようで、招待した私としても嬉しかった。


「沢山買ったみたいだけど、ひょっとして染め物ばっかり?」

「半分はそうですね」

「マウロの夢は、こんな風な大嶋の町並みにお店を構えることなの。マウロも私も生まれ育ちが大嶋だから、もっと溶け込みたいって言うか、そんな気持ちが昔からあるんだよね」

「それはいいことだよ。そんな風に考えてくれる渡人が増えてくれたら私も嬉しい。今進めてる融和策の肝は正にそこなんだよ。嶋人だ、渡人だ、なんて言う垣根をさ、一遍には無理でも、ちょっとずつでも無くして行きたいの」

「もし首刈様の言う通りになったら、僕も将来は嶋人の里に店を出せたりするのかな」

「染め物をやるなら御白様の里がいいよねー。なんてったって絹織物の里だもん」

「それなら私が二陪ふたえ姫に口利きしてあげる」

「えっ!? 二陪姫様って言ったら御白様その人じゃないですか」

「そだよ。その方が話が早いでしょ?」

「それはそうだけど。御白様の里って絹織物の商売人でも買い付けだけで、店を構えてるなんて話は聞かないし、大丈夫なの?」

「大丈夫も何も私は皇大神だよ? それに、どんなことだって最初は一から始まるの。一歩、一手、お店なら一軒から。零から一にすることが一番重要な変化で、それこそが進歩なんだよ。二人もいつか一歩を踏み出すなら、その時は周りがどうこうじゃない。自分たちがどうしたいかを考えて、その気持ちに従って。私はいつだって応援するから」


 胸を張ってエヘン風を吹かせば、二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。


「あれ?」

「どうかしたの? マウロ」


 あらぬ方を見るマウロに声をかけると、微妙な間を挟んで返る答え。


「いえ、見間違いかな……。今、鳥居近くに叔父さんを見かけたような気がしたんだけど」

「えっ、どこ!?」


 マウロの叔父モレノは今や私にとって要注意人物だ。それが大巳輪に来ているとなれば蚕種こたね神社で想定した通り、目下、私たちは謎の組織に見張られているということになる。


「ええと、あの右手の柱辺りに……。でも、血相変えてどうしたんです? 僕の叔父に何か?」

「あ、違うの! いや、ほらそう! こないだ土産物の楯を貰ったじゃない? そのお礼をしておきたいなって思って」


 無論、この場合のお礼とはお礼参りのお礼を指す。よくも私の波長を盗もうとしてくれたな、というね。

 しかし審神の小杖の一件はマウロたちには周知していない。私は「見間違いだったみたいです」と言うマウロを追及せずに宿に入った。

 二階に上がって部屋に落ち着くと、ほどなくして主人と女将がお茶を運んで来てくれた。この宿に長逗留している西風さんは主人と女将には神であることを明かしているようで、二人とも所作の端から端までうやうやしい。そんな様子を横目に私は放谷を手招き廊下へ出た。


「どしたー?」

「なんかね、マウロの叔父さんがこの大巳輪に来てるっぽい」

「まじかー」

「まじまじ。で、マウロとエレン以外でモレノさんの顔を知ってるのは放谷だけでしょ?」

「そーだなー。んで、探せって話かー?」

「一応居所は掴んでおいた方がいいからね」

「まーそーだなー。よし分かったー。任せとけー」


 と、一応の段取りを整えて部屋へ戻り、荷物を置いたら再び宵宮へ。二の鳥居まで行って戻って、人いきれの中をくたくたになるまで歩き回ったら、最後に揃って土湯へ向かい、就寝前の体をたっぷりと温めた。

 そうこうして宿に戻り、ひとしきり話に花を咲かせたて、楽しかったね、美味しかったねと今日を語らい、明日は明日でまた楽しみだねと期待に胸を膨らませて寝間に雪崩れ込む。まあ私の場合、明日の素走詣は胃痛でもあるんだけど。


「じゃあ明日も早いから、みんな夜更かししないで早めに寝てね」

「はいっ。今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」


 渡人なのに板についたお辞儀をするマウロ。その隣で容赦なく買い物の山を片付けるように言うエレン。ベテラン夫婦か君ら。


「そういえば首刈様。明日って何時起きなの?」

「どうだろ? 西風さん、素走詣って皮切りは何時頃になるんです?」

蟄三ツ(むしみつ)ですから、渡人の時計で言えば朝の六時。空が白み始める頃ですね」


 それ以上早いとまだ外は暗くて見物客には不親切だ。


「西風さんは朝一で南風さんたちと合流しちゃいます?」

「いえ、素走詣は時間がかかりますから、頃合いまで見物して行きますよ。八大神からは順番が決まっていますから暦通りに行って、白守は最後の最後です」


 暦通りと言うからには八大の一番手は護解だ。迎春の水追月から順に護解月、青海月、赤土月、野飛月、風渡月、黒鉄月、白守月と来て真神月に到る。赤土月の前後に渉り月と土追月があるけど、前者は八大神とは関わりがないし、後者は赤土月の架け月だ。


「なら明日は阿呼たちもゆっくり見物してから行けるね」

「そうだね。とにかく阿呼、みんなを寝かせちゃってくれる?」


 小声で頼むと、阿呼は「どうかしたの?」と怪訝な様子。私はモレノの件を説明して、みんなが寝付いたら早速にも足取りを追いたい旨を伝えた。

 得心した阿呼が仕切り襖を閉じで寝間に下がると、残る面子は私、放谷、西風さん、小鉤ちゃん。手短に状況を説明した私は、放谷の肩に手をかけた。


「じゃあ放谷、お願い」

「んー?」

「んー、ぢゃないよ! てゆーか顔赤くない? まさかお酒呑んだの?」

「ちぃっとだけー」

「あんた、さっき廊下でした話は!?」

「おぼえてるー。今から行くぞー」


 立ち上がり際に膝小僧を座卓にぶつけてふらふらしてる。相当呑んだね。いや、呑まれたか。本人が行くと言っても如何にも覚束ない様子。これでは到底お任せできない。


「放谷がこれだと、ちょっとモレノさんを探すのは無理かな……」


 この場に居合わせる面々でモレノの顔を知っているのは放谷だけなのだ。阿呼の治癒の御業で酒毒を抜くなんてことはできないだろうか。そんな思案を頭の中で転がしていたら、小鉤ちゃんから声がかかった。


「相手のお顔が分かればいいのですみ?」

「そうだけど、何かいい手でもあるの?」

「首刈様の輪違わちがい審神さにの小杖がありますみ?」

「うん、あるよ」

「それをお借りしたいのです。みっ」


 私は放谷と顔を見合わせ、次に西風さんの様子を窺った。西風さんは頷く。ならば手詰まりの今、試せることは試しておこう。


「はい、この楯がそうだよ」

「失礼しますみ」


 楯を受け取った小鉤ちゃんはそれを両手にしっかりと持って集中し始めた。瞼がないので目を閉じる訳ではないのだけど、代わりとばかりに橙の触覚が動き出す。


監物おろしもの――」


 知らない御業が発動して小鉤ちゃんの手と楯とが若草色の光に包まれると、


 みみみみみみみみ、みょんみょんみょんみょん。

 みみみみみみみみ、みょんみょんみょんみょん。


 出た。言葉の意味は分からないけど、とにかく凄い「みみみ」だみょん。


「暗いですみ。ずっとずっと暗いですみ」


 はてな? 部屋は明るい。小鉤ちゃんの手元に至っては若草色で尚明るい。一体どこに暗い要素があると言うのか。


「明るくなったですみ。首刈様、阿呼様、放谷さんが見えるですみ」


 西風さんもいるよ、と思ったけど、どうも小鉤ちゃんは私たちとは別の何かを見ているらしい。チラッと西風さんを窺うと、優しく微笑んで人差し指を唇に当てた。そんな仕草がいちいち様になるんだから、好き!


「マウロさんとエレンさんも出てきましたみ。マウロさんが楯を持って、廊下を歩いてますみ」


 その情景を思い浮かべて私はようやく分かった。小鉤ちゃんは今、楯にまつわる過去を覗き込んでいるのだと。


残留思念走査サイコメトリーだ。凄い……」


 映画やマンガに登場する定番超能力の一つ。主には物体や場所に宿る残留思念を辿る能力。それがサイコメトリー。

 小鉤ちゃんは今、私を含め、楯に触れた者たちの過去の視野を垣間見ているのだ。そしてそれは恐らく巻き戻し。暗かったのは楯が輪違に入っていたからで、輪違に仕舞い込んだ時にはマウロとエレンを別室に移動させていた。更に巻き戻せば楯はマウロの手に収まって、それを渡した者のいる玄関先へと後ろ歩きで戻って行く。そんな感じなのだろう。

 仕組みを考えれば納得は行く。星霊が万物に宿るなら、当然楯にも宿っていて、そこに蓄積された情報を読み解くことでサイコメトリーのような効果が得られるのだ。なかんずく波長を吸い取られた私の視界情報は多分に含まれているに違いない。


「マウロさんに楯を渡したのは渡人の男の人で間違いないですみ?」

「そう、その人!」

「では監物はここまで。小鉤が見たお顔を皆様にもお見せしますみ」


 そう言って楯から手を放した小鉤ちゃんは軽く拳を握って、座卓の中央にそれをかざした。やがて小指の隙間から粉が舞い落ちる。筒に見立てた拳から砂時計のように降り積もるきらきらとした粉――鱗粉だ。


面影おもかげ――」


 唱えれば粉は静かに広がって、まるで盆石のように緻密な砂絵を描き始めた。


「放谷、よく見て。砂絵の顔。この人が例の叔父さん?」

「んー? あー、そーそー。こんな感じの奴だったなー」

「おけまる。ってか、これはもう似顔絵ってレベルじゃないな」


 絵を通り越して写真と見紛う出来栄えに達した砂絵に私は心底感服した。なんとなれば鱗粉の色彩を駆使して色まで鮮やかに表現しているのだ。

 肌の色、髪の色、瞳の色。これだけはっきりと分かればもう会ったも同然の印象がありありと脳裡に根付く。いくら放谷が酔っ払っていようと最早問題ではなかった。


「さすがは暗宮巴衆。流れるような手際でしたね。それではここから先はわたくし西風が」


 捜索の音頭を取ろうと片膝立てたら、西風さんが場を引き継いであなぐりを発動した。索は西風さんの曾祖母に当たる白守三代、四方風捲索媛命よもしまくあなぐりひめのみことが編み出したという御由緒付きの御業だ。

 瞬く間に西風さんの星霊が部屋に広がり、宿を覆い尽くするが感じられて、そこから更に街へと広がって行った。そして待つ間も取らせず解が出る。


「見つけました」

「はっや! 本当に? 何処ですか?」

「それが笑っちゃいます。大胆不敵にもしもの角屋に泊っているんです」


 私たちが今いる宿がかみの角屋。上下どちらも同じ主人の宿で、言ってみれば本館と別館だ。


「ひょえーっ、斜向かい! 一人ですか? 放谷の話だとハンスって言う口髭の太めのおじさんとか、先生って呼ばれてる初老の人とかが仲間にいるんですけど」

「今は一人のようですね。この混み合いの中、無理を言って上がり込んだんでしょう。布団部屋の隣の物置のような小部屋に寝転がっています」


 つまり、そこまで執念燃やして私たち大嶋廻りの一行に張り付いているということか。

 そこで襖が開いて、阿呼が寝間から出て来た。四人はもう寝息を立てたということで、改めて阿呼と現在の情報を共有する。


「お姉ちゃん、どうする?」

「どうするってもこれは……。どうします? 西風さん」

「そうですね。少なくとも明日の春告神事を滞りなく終えるまでは、動向を見張っておくだけでいいと思いますよ」

「確かにそれもありですね。向こうは神でも魔法使いでもない一般人の渡人ですし。でもその場合、見張り役は誰が? 西風さんも私たちも明日は素走詣がありますし、小鉤ちゃんも忍火さんに会いに行くんだよね?」

「そうですみ。小鉤も暗宮の行列に加わりますみ」

「その点もご心配なく。元々、融和策にまつわる諸々の調査や対応は協力的な調査員と宮守衆とを当てることになっていますので、今回もそれで対応します」


 要するに、神旨の問題があるので、神々が直接的に関わる機会を極力減らそうということだ。取り分け審神の小杖と関わるような、接触の際に衝突が予期される手合いを向こうに回す場合は尚更だ。

 私なんかは一切合切直談判で手っ取り早く済ませてしまいたいところだけれど、いざ渡人の側が反発を示した場合、それが神旨に触れて神々の間で問題視されることになってしまう。そうなれば「皇大神は引っ込んでいた下さい」みたいな流れにもなりかねないので、間に調査員や宮守衆を立てる他なくなるという訳。


「分かりました。具体的には誰に指揮を執って貰うんですか? 西風さんなら峰峰衆ほうほうゅうの人とか?」

「それでも構いませんが、ここは皇大神もご存知置きの者に任せましょう。その方が皇大神も安心なのではありませんか?」

「私の知ってる人って?」

「馬宮衆の石楠さくなです。それと赤土から戻って以来、彼女と行動を共にしているカリューとカルアミの二名。あとの人選は彼女らに任せせうと思います」

石楠さくなさんさんたちなら安心だ。それで、春告神事の後は?」

「そこは寧ろ皇大神のご意向次第でしょうか。皇大神としてはどうされたいんです?」

「私としてはぶっちゃけ捕まえたいですね。勿論、危害を加えようなんてことはなくて、直接、面と向かって話がしたいです」


 しかしそれは言うほど簡単なことではない。何しろ神旨が邪魔をする。マウロの叔父さんだからと気安く話しかけ、「お話聞かせて下さいな」は通らない。向こうに企みがある以上、話を聞こうと思ったら捕えないことには始まらない。となればモレノとその背後にある組織も抵抗を示すだろう。


「とは言っても、どうしたって神旨が邪魔っけですね。私は本当にただ話を聞きたいだけなんです。一体全体何を目的としているのか。なんの為に神の波長を必要としているのか。この問題ってそれを知らないことには埒が明かないじゃないですか。でも、その為には先ずテーブルに着かせるという強制力が必要なんですよ。結局はそこが神旨に触れる訳で」


 神旨については以前、八大神を招集した折にも考えを巡らせた。けれども主に二つの理由で断念と言うか、触れずにおくことに決したのだ。

 一つ、神旨の宣布と撤回は大嶋廻りを終え、神座を継いだ皇大神にしか許されていない点。

 一つ、現状のまま撤回を強硬した場合、神々の賛否が割れて融和プロジェクトそのものが頓挫しかねない点。


「あの時、西風さんは神旨の話を蒸し返したらまとまりかけた意見が割れるって言いましたよね?」

「言いました。当時反対派だった北風きたげ姉さんや風声みつを様は、大嶋廻りを終えてから再度話し合うべきだと主張していましたからね。そこで神旨の話を出してしまえば、やはり大嶋廻りを終えるまではという論調に全体が傾いたと思います」

「なら今はどうですか?」

「と言いますと?」

「既にプロジェクトを推進している現状で、大嶋廻りの最中ですけど、特例として先の神旨を撤回するというやり方です」

「お気持ちは分かりますが、お薦めはできません。今となっては北風姉さんは熟慮してくれると思います。それでも風声様は難しいでしょう。妹のことですが、東風こちも嫌がると思います」

「ええー、東風さんもぉ?」


 確かに東風さんは当時、北風さんと一緒に私の案に反対の立場を取っていた。けれども基本はノリの軽いタイプだから、今以って反対という感じは想像できないんだけど。


「皇大神はとても革新的な方ですからお分かりにならないかもしれませんが、大嶋では前例を硬く守るのが習わしです。それだけに皆々、新しい取り組みには敏感になります。今、神旨撤回の話を持ち出せば、思わぬ所から火の手が上がらないとも限りませんよ」


 なるほどね。要は大嶋の皆々様は保守派第一党だ。古き良きを愛してやまない私なんかを革新的と言ってしまえる位だから相当だと思う。となると臨時特例案は大人しく取り下げた方がいいのだろう。


「でもそうすると神事が終わっても基本は監視だけですか?」

「モレノに関してはそうですね。今後どういった人物と接触するのかなど、監視するだけでも得られる情報はありますよ。或いはこちらの動きを意図的に掴ませることで、向こうがどう出るかを推し量ることも可能でしょう」


 敢えて動きを示して出方を探る。それは確かに私たちに許された数少ない手管だ。


「お姉ちゃん、護解へ行こう」

「はい?」


 そうだ、護解へ行こう。みたいな、どっかで耳にしたフレーズがこだまする。直ぐさま私の脳内を警笛鳴らして走る列車のイメージが流れて行った。


「え? 阿呼、それはどういう?」

優曇華宮うどんげぐうよ。私たちがあそこを調べるって知ったら、きっと向こうも何か動きを見せると思うの」

「おお! それだっ、それっきゃない!」


 手持ちの情報から何ができるかを考えた場合、優曇華宮の調査は持って来いの案件だ。

 五百人からの渡人が集う場所なら謎の組織にとっても重要拠点に違いない。そこを調べること自体にも価値があるし、その動きによって相手側の軽挙を誘発できるとしたら一石二鳥の指し手と言える。


「さすが阿呼。西風さんもこれならいいですよね?」

「ええ。昨日皇大神からお話を伺った時点で優曇華宮の調査は必須項目に上がっていました。既に調査チームの編成を指示してありますから、そこに皇大神が加わるという触れ込みで情報を流してみましょう。明日の素走詣で皇大神の大嶋廻りは広く知れ渡ることになりますし、多少わざとらしくモレノの耳に入ったとしても問題はない筈です」


 そうか。明日の素走詣に私が飛び入り参加すれば、噂レベルで広まっていた大嶋廻りの話も公然と知れ渡ることになる。やがて春告神事に集まった人々が家路に着けば、それこそ大嶋広しに伝わるだろう。

 まてよ? それは取りも直さず、明日が私の大嶋デビューということになるのでは……。


「あー、緊張して来た。あー、ダメだこれ。とてもじゃないけど眠れそうにない!」

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