092 うごめく者たち2
水走一宮の鳥居前町、大巳輪。
転宮街道に乗って街を南から東へ緩く曲がって行くと、沿道は和洋折衷の雑味深い造形で、南東の側はぽつぽつ民家の建つ嶋人の田畑。北西の側は舶来調で固められた街並みが広がっていた。
街道の丁度中程に大鳥居があって、そこから南に一宮の参道が延びている。一の鳥居から二の鳥居までを町屋風情の店屋が並び、参道の真ん中には辻ごとに板橋を渡した水路。二の鳥居から先は鎮守の杜だ。
大巳輪の主は水走の主。ここは万世一代の蛇神、夜刀ちゃんのお膝元。その夜刀ちゃんが神々の中でもきっての渡人贔屓ということで、こうした折衷の鳥居前町になったのだろう。
「お姉ちゃん、その茶色いおうどんはなぁに?」
「これはね、カレー! 華麗なるカレーうどんだよ!」
「かれー?」
「そう。西方生まれの魔法のスープ! 美味しいよ。阿呼も一口食べてみる?」
「いいの?」
「どーぞどーぞ」
器ごと差し出せば早速レンゲにスープを掬って、そんな妹の様子を見ながら私はふと思い出した。かつて神庭でレブが出してくれた鳥料理。確か阿呼は香辛料のキツさにお残ししていたような……。
「ぶべっ! けふっけふっ」
阿呼は山葵のツーンにやられた風な顔をして派手に噎せた。私は咄嗟に器をどかして、首元に掛けた汁避けのタオルで愛妹の顔を拭った。
「ジンジンしゅる~」
「ごめん! お姉ちゃん阿呼がスパイス得意じゃないの忘れてた。大丈夫?」
「……おい首刈ー。こっちにも謝れよなー」
声の主を見れば噎せた阿呼の煽りを喰らってカレー汁に顔とセーラーとを染め抜かれた放谷。
おお、すまぬ、すまぬ……。
「ごめんなさい」と咄嗟に謝る阿呼に、
「阿呼は悪くないからいーんだぞー。悪いのは苦手なもん食べさせた首刈なんだからなー」
刺々しい笑顔で言ってのける。私だって悪気はなかったんだよ。何度でも謝るからそんな目で見ないでよ。
勿論、汚れは清水の御業でシュシュシュのシュッてなもんなんだけど、人前での御業は自重すべし。なので放谷は当面、罰ゲームの如くそのまんまで過ごすことに。ホントごめん。お蔭様で美味しい筈のカレーうどんも肩身狭さに半分も味が分からないというね。
「とりあえず、はい。タオル」
「んー」
ゴシゴシと顔の汁汚れを拭った放谷はのっぺい汁をペロリと平らげて、お女中さんを捕まえたと思ったら食後の甘味にあんみつを頼んだ。
「それにしてもー、どうにも予定が狂ったなー」
「だね。夜刀ちゃんは物忌みの最中だって言うし、西風さんは入れ違いで江都の本部に北風さんを訪ねて行ったって言うし。いっそ暗宮へ戻って江都の本部に行った方がいいのかな?」
一晩お世話になって蚕種神社を出た私たちは、茅の輪を潜って転宮に飛んだ。ところが夜刀ちゃんを訪ねると、世話役の滴さんと潦さんから、夜刀ちゃんは春告神事を前に精進潔斎をしているので、本宮祭りが済むまで誰とも会わないのだと言われてしまった。
お祭りは基本、前日の宵宮、当日の本宮、後日の後宮からなり、神様の出番は本宮。主祭神が当日まで人と会わず、酒食を断って身を清めるというのはなるほど道理で、そこをなんとか、と言う訳には行かなかった。
「まあでも夜刀ちゃんの方は別にいいんだよ。元々、来たよって挨拶するだけのつもりだったし、大切な神事を前に面倒事の相談をする気なんてなかったからね。問題は西風さんがいなかったことだよ」
右近と左近の従神に「よしなに」と告げて引き上げた私たちは、その足で大巳輪の調査局を目指した。早々に五つ帆の丸の件を西風さんに報告しようと思ったのだけど、春告神事を目前に控えた街は方々から集まる人々で大わらわ。調査局ではそうした人向けに臨時宿の案内をしていて、中は大混雑だった。
へとへとになって窓口に着けば当の西風さんが不在。今日中には戻るがいつ戻るかまでは分からないと言う。
そこへ来て放谷が空腹を訴えるものだから、残ってくれると言う小鉤ちゃんに後を任せ、こうして参道のお店で空腹を満たし、カレー汁事件に至ったという流れだ。
「まー、人の多いこと多いこと。さすがは八大宮のお祭りだね」
「まったくなー。そんな中を汁塗れで歩かされるんだからなー」
「……ごめんてば」
店を出て通りを歩けば、珍しく尾を引く放谷のご機嫌斜め。そりゃあ放谷も女の子だから、こうも沢山の人前をみっともない姿で歩かされたとあってはヘソも曲がる。普段は泥んこでも気にしない風だけど、望まぬカレー汁では話が違って来るのだろう。
九五縄で縛った折詰をぶらぶらさせながら鳥居を潜ると、横切る転宮街道の通り向こうに調査局。混み合う正面口を避け、窓口の係員から教わった関係者用の通用口から入り込む。
「み! み! こっちですみ!」
背丈の低い小鉤ちゃんが廊下の辻でピョンピョンしながら迎えてくれた。
「お待たせー。ありがとう小鉤ちゃん。これ、川鱒の押し寿司を買って来たんだけど、よかったら食べて」
「ありがとうございます。みっ」
二階の一室に収まると、小鉤ちゃんが押し寿司を広げる傍ら、私は早速放谷に向き直って清水の御業で汁汚れを落とした。
街中でも、こうして神々しかいない一室なら融通を利かせられる。前例を言うなら、閑野生の宿で南風さんを師匠に立てて御業の練習をしたのもそうだ。
「清々したなー」
「すっかり奇麗になったね。――それで小鉤ちゃん。西風さんの方はどうなったの?」
「もごっ」
「ごめん、食べ終ってからでいいよ。ゆっくり食べて」
「みっ」
待ち時間を三人で綾取りして過ごし、すっかり普段使いの笑顔に戻った放谷が難度の高い十二段梯子を決めたところで、折詰の竹皮包みを奇麗に畳んだ小鉤ちゃんから答えが返って来た。
「お待たせしましたみ。西風様はお昼過ぎには戻られるという話でしたので、間もなくお会いできますみ」
「直ぐに会えるんならよかった。ここで待ってればいいの?」
「応接室にご案内しますみ」
部屋を出て廊下を歩き始めると、どうにもソワソワ心が落ち着かない。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
「ん? いやー、べつにー、でへへ」
西風さんに会える! 私の胸は小躍りした。なんたって西風さんは優しいのだ。他のどの神様とも違って、一度だって私を雑に扱ったことはないし、何より頼もしい私の味方なのだ。
私は秋模様を描いた財布を手に取り、そっとその上に掌を添えた。中には八大招集の折に西風さんから貰った紅葉を大切に入れてある。風声さんを怒らせてしまったことで凹んでいた私の髪に、優しい言葉をかけて挿してくれた一片の紅葉――。
――西風も皇大神、大好きですよ。これからも遠慮なく西風を頼りにして下さい。
思い返せばどうしようもなく緩む頬。これで西風さんが男神なら、私ってば恋に落ちちゃったガールだね! なーんてね。
「うひひっ」
「お姉ちゃん、変な声出さないの」
「あれ、声出てた? や、ちょっとなんか……そう! この新しい水干の肌触りがこそばゆくってね?」
「それ、同調して馴染んだって、お姉ちゃん言ってた」
「や、うん。だよね」
かっこ悪! 恥ず! これぞ正に獣の耳まで赤くなるというヤツ。なんだかおめめがぐるぐるしてきた。と、軸足がぶれてバランスを失う私。
「大丈夫ですか?」
後ろから抱き止めてくれた手の主。もうその声だけで錦秋の彩りに囲まれた気になっちゃうんだから、はい病。これ恋。
「西風さん!」
「お久し振りです皇大神。足下には気を付けて下さいね」
「はいっ、あ、あの。お元気でしたか?」
「ええ。色々と難題も多いですけど、御覧の通り至って元気にしています」
涼やかな声音に秋の気配を忍ばせて、記憶に留め置いたままの西風さんがそこにいた。クセのある橙の髪色も、鼻梁を跨ぐチャーミーな雀斑もそのままに、深碧の瞳に私の姿を映している。
「こっちですみ」
ああ、もうなんだかフワフワして駄目だ。私の瞳の翡翠と対のような深碧に吸い込まれてしまって動けない。
「どうぞですみ」
何か言わなくっちゃ。え、でも何言おう? 御機嫌伺いはもうしたし、次は何を言えばいいんだっけ? 会話のイロハもあやふやだ。
「お姉ちゃん。小鉤さんが扉を開けて待ってくれてる」
「えっ、ああ、はいはい。と、とにかく移動しましょう」
「ええ。皇大神からお先にどうぞ」
私は物の見事に同側歩になって、つっかえ棒みたいな足を無心に進めた。
なんでだろうね。なんでこうなっちゃうんだろう? 会えない内に、知らぬ間に、こんなにも西風さんへの好意や意識が高じてしまったんだろうか。
勿論、好きには違いない。初めて会った時からいい人そうだなと思ったし、実際にいい人だったから、好きにならない訳がない。でも困ったな。西風さんは女神なんだもん。これが恋なら幻の恋。結局私は前世での名前負けをこの先も引き摺って行くことになるのだ。
「さて、皇大神。妹君。放谷さん。お元気そうなお姿を拝見できて西風は本当に嬉しいです。赤土での話も夜刀様から色々と伺いました。皆さんのお力で大層立派な行いをされたそうですね。さすがは皇大神の一行と、甚く感心させられました。それに、お姿もすっかり見違えてしまって」
職場の一画らしい派手さのない応接室でソファに腰を下ろすと、西風さんは如何にも心からといった風に嬉しい言葉をかけてくれた。私は間に合わせの謙遜を短く返して、照れ臭さに小鼻をコショコショ掻いてみたり。
「それから、母のことも有難うございました。これは特に阿呼比売にお礼を言わなくてはなりませんね。姉妹を代表して西風からお礼を言わせて頂きます」
赤土で私の夢の中に現れた目張命。それが西風さんたち四陣風のお母さんだ。目張さんには兜鎧傀儡の乗り方やら亀裂の場所の目当てやらを教えて貰って、それはもうお世話になった。取り分け阿呼は依り寄せの御業で一心同体の時を過ごしたのだから、去来する想いも一入だろう。
「お世話になったのは阿呼たちの方です。目張様にはとっても親切にして頂きました。本当に素敵なお母様でした」
「ありがとうございます。そのように言って頂けて、母もきっと喜んでいることでしょう」
そんな挨拶を皮切りに赤土の土産話を開陳して行くと、渡人の装束を着た女性が入室して、お茶とお茶請けを並べてくれた。その装いから直ぐにはピンと来なかったのだけれど、西風さんとの短いやり取りを見るに、白守の峰峰衆なのだと分かった。
思い返せば閑野生で出会った馬宮衆の石楠さんも渡人の衣装を身に付けていたものだ。懐かしいな、石楠さん。今はどうしてるかな――。
「皇大神」
「あ、はい。なんですか?」
柔らかな眼差しを受け止めれば、どうしようもなく目元が赤らんじゃう。西風さんは飛び切りのイケメンという訳ではないけれど、人懐こそうな少年と大人の女性とを重ね合わせた雰囲気に惹き付けられる。麗人なのに優し気で取っ付きやすい――そんなちぐはぐで魅力的な印象を併せ持っているのだ。
「今日は何か折り入ってのお話があるそうで。北風姉さんは不在ですが、西風でよければ伺いますよ」
「あ、はい、そーなんです。阿呼、あれ出して」
「もう用意してある。はい」
差し出された紙を手元で広げ、私はそれをテーブルの上に示した。
「これは、西風が回状に添えたものですね」
「はい。五つ帆の丸。忍火さんはそう言ってました。この紋に出くわすようなことがあれば気を付けるようにって」
「なるほど。そして今これを西風に見せるということは、出くわした。と、そういうことなのですね?」
私は首肯して、放谷による補足を交えながら五つ帆の丸に行き当たった状況をつまびらかにした。
江都に於けるマウロ、エレンとの出会い。
マウロの叔父モレノによる審神の小杖の登場。
その行方を追った先に現れた去り宮――優曇華宮。
そこに集う数百人の渡人。
そして集団の旗印であるかのように示された五つ帆の丸――。
御白様こと護解二宮の主祭、二陪姫によれば、優曇華宮は御白様の里から転宮街道を挟んで、北側の山中深くに分け入った場所にあり、昔はそこにも山里が拓かれていたと言う。
そこは麻の原料となる青苧の畑が広がる里で、優曇華の麻と蚕種の絹とは共に広く護解の民に親しまれてきた。けれどもある折、里は突如の山津波に呑み込まれてしまい、里を失くしたことで優曇華宮の名も人の口に上らなくなった。そうしていつしか忘れ去られて行ったのだと――。
「話は分かりました。先ず一点確認ですが、審神の小杖はどうされましたか?」
「それなら大丈夫です。ちゃんと輪違の中に仕舞ってあります」
「でしたら安全ですね。しかしそうですか。いや驚きましたね。西風は皇大神に一本取られてしまいました」
「? どういうことですか?」
「ええ。当然のことですがその五つ帆の丸についてはこちらでも調べを進めていました。起点は審神の小杖の出所捜査です。夕星が赤土へ向かう以前に、審神の小杖の回収に当たったことは皇大神もご存知でしょう?」
「はい。こっちも忙しかったので詳しいことは聞いてないんですけど、ラデルを引き摺り回してあっちこっち行って、無事に回収できたってことでしたよね?」
「そうです。ただ、本当に目当ての小杖を回収しただけで終わってしまったので、延長線上に取り残された背後関係の調査から何から、全てわたくし西風が担当することになったんです」
「つまり、その捜査上で西風さんもこの五つ帆の丸に行き当たった?」
「ご賢察。夕星が取り戻した小杖の持ち主は、いわゆる渡人の中でも魔法使いと呼ばれる人種でした。ところが夕星はその人物を張り倒して小杖だけ持ってさっさと帰って来てしまったんですよ」
「らしいっちゃらしいですね」
「まったくです。西風がその線から追い直そうとした時には当の魔法使いはドロン! 今以って行方は分からず仕舞いです。それでも地道に調査を進めた結果、最近になってどうにも組織めいたものの存在を感じるようになってきました」
「組織、ですか? 集団ではなく?」
「ええ。集団と言うには彼らは巧妙に市井に紛れ込んでいるんです。普段は普通に街の一員として暮らしている。けれどもそれが時折秘密裏に集まる。しかも一箇所にドンという訳ではなく、小分けに小規模な集まりを持つんです。その上でそれら小集団同士に横の繋がりが見え隠れしている。言ってみれば調査局に本部と支部があって、それぞれが連絡を取り合っている状況と似ていますね」
確かにそれであれば集団というよりは組織と呼ぶべきだ。誰かが「今日はここで集会を開きます」と言ってぞろぞろと人が集まる状況とは明らかに違う。
「じゃあこの五つ帆の丸は組織の印ってことですか?」
「ええ、そう見るのが妥当でしょう。その印が表すものについて検討してみましたが、北風姉さんが言うには五つの帆は大嶋を目指した五隻の船、転じて五つの国。つまり大嶋に於ける渡人の根源を示すものだろうということでした」
根源――即ちルーツ。歴史を紐解けばかつて大嶋を目指して西の大陸から五隻の船が出た。旗艦モナリスゴート以下、カラゴラ、フラドキア、ミラファール、ラナン。いずれも参加五ヶ国の名を冠した船たちだ。実際に到達したのは三隻だけど、ルーツとして考えた場合、やはり五隻それぞれの船名が挙げられるべきだろう。
西風さんによる調査の前線は信の置ける調査員と宮守衆とが担っており、宮守衆は主に峰峰衆と馬宮衆が参画している。取り分け馬宮衆は昨年の馬競神事での一件以来、一貫して審神の小杖の調査に関わっていた。
「組織的なものを感じてからは根拠地の捜索に主眼を置いてきました。ところがこれが中々見つかりません。私は渡人の如何なる拠点も街にあるのだろうという考えでいたのです。しかし調査員や宮守衆の持ち帰る情報は、いずれも芳しいものではありませんでした。その答えを皇大神。貴女がこうして持ってきて下さった。西風は心から感謝します」
どこにでも里を開いて大嶋中に暮らす嶋人に対し、渡人はほぼ総ての人口が街に集積する。となれば如何なる組織、団体も、拠点は街にあると見るのが当然だ。
「いえいえそんな。よして下さい。私のはなんて言うか、そう、瓢箪から駒みたいなもので。それに頑張ったのは放谷ですし。ね、放谷」
「おー、あたい頑張ったぞー」
言いながらひっきりなしにお茶請けへと伸びる放谷の手。叩こうとしたら見事に躱されてしまい、そこへ阿呼から「二人ともお行儀!」と巻き添えを喰らう始末。
「えっと、それでこの先ですけど、どうしますか? 西風さん方で優曇華宮の調査を?」
「そうですね、そのつもりです。ただ、今は春告神事を無事に終えることが先ですから、その後で主立った面々と段取りを付けようと思います。基本的には本件の拠点を護解に移すことになると思いますが、皇大神はどうなさいますか?」
「私たち、本当は春告神事が済んだら犬神神社のお犬取りまで羽を伸ばそうと思ってたんですけど……。阿呼、放谷、それに小鉤ちゃんも。どうする?」
「阿呼はこのこと、西風さんたちと一緒に調べてみたい」
「そーだなー。気になるっちゃ気になるもんなー。乗りかかった舟だし、あたいも阿呼にさんせー」
「おけ。小鉤ちゃんは?」
「春告神事には媛様もいらっしゃるので、その時にお伺いを立ててみますみ。優曇華宮が護解にある以上、お伴のお許しは頂けると思います。みっ」
「そっか、忍火媛も来るんだもんね。ならそうしよう。ということで西風さん。私たちも調査に加えて貰っていいですか?」
「勿論、歓迎しますよ。では神事の後に改めて話をしましょう」
「はい。宜しくお願いします」
情報交換を終え、直近の方針も決まったということで場は一段落のムード。もう少し西風さんとお話ししたいな、なんて思ったけど西風さんは西風さんで忙しいんだから我儘はよくない。
「じゃあそろそろお暇しよっか」
「うん。でもお姉ちゃん。行くって何処へ?」
「何処へって何が?」
「何がって宿も何もまだ決めてないだろー?」
「ああそうだった。転宮に泊めて貰うつもりでいたから……。あ、でもどうしよう。西風さん」
「なんでしょう」
「春告神事があるから今からだと何処のお宿も一杯ですよね? それとも神様御用達の宿とかなら空いてますか?」
神様御用達の宿というのは過去、閑野生で宿泊したような茅の輪が設置されている類の宿だ。その手の宿がここ大巳輪にもあるには違いないけれど、春告神事を目当てに集まって来るのは何も渡人や嶋人ばかりではない。果たして空室があるかどうか。
「それでしたら数日のことですし、西風の常宿はどうですか? 皇大神さえよろしければお気兼ねなく」
「それって西風さんが泊ってる宿に一緒にってことですか!?」
「ええ、明後日の宵宮もご一緒に如何です?」
「行く行くっ、行きます! 是非是非!」
周りの意見など聞きもせず即断即決。この機を逃してなるものか。私は早速案内してくれるという西風さんにピタリと付いて調査局を後にした。
***
宵宮を間近に控えた参道はどの軒先でも飾り付けをする人がいたり道を掃き清める人がいたりと、来たる祭りの準備に余念がない。
参道の真ん中には幅三米程の水路が流れており、凡そ三〇米おきの辻に渡し板が架けられている。水路の両側を通る石畳はそれぞれ馬車が行き違えるだけの道幅を擁して、水路を中央分離帯とすれば片側二車線の道になっている。
「いました。あれです。あちらが恐らく皇大神かと」
路地の物陰から参道を窺っていたモレノが押し殺した声で告げた。
「なるほど。確かにハンスの情報通り青味がかった灰色の髪は秘色の色合い。白守の西風媛が同道している点からも間違いはないだろう。既に我々を調べている上に、審神の小杖の話が加わったことで、春告神事が終わり次第、本格的かつ大々的な調査が始まりそうだな」
灰色のフードローブに身を包んだ初老の男は、手にした仗で路地の石畳を軽く突いた。仗の先端で金と銀を縒った金輪が鈍く輝く。
「どうします先生。このままだとこっちはジリ貧なんじゃ……」
「案ずるな。如何に皇大神と言えども大嶋廻りの最中となれば十全の権能を許されてはいない。月酔命が発した神旨を覆せない以上、おいそれと我らに手出しはできんのだ。せいぜいが調査員や宮守衆を動かす程度だろう」
「そういうもんですか」
「うむ。お前はここに残って皇大神の動向を掴んでおけ」
「先生はどうされるんです?」
「今から青海へ赴く」
「青海へ? それは護解から青海へ拠点を移すということですか?」
「そのことも視野に入れねばなるまい。いいか、逸って小杖の回収などを考えるなよ。お前は甥っ子の絡みがある故、恐らくこの大巳輪にいると知れても泳がされる筈だ。その立場を利して賢く立ち回れ」
「分かりました。ではこのまま足取りを追います」
モレノは一礼すると、そのまま路地を出て参道の人混みに紛れて行った。残った男はフードの庇を目深に下げ、参道を背に路地の奥へと入り込む。
参道界隈の町屋の路地は一見雑然と見えて、その実掃除は行き届いて汚れた印象はない。
猫を追う子供を避け、隣り合う厨房を行き来する料理人に道を譲り、男は軒の重なる入り組んだ暗がりへと入り込んだ。そして井戸の辻を曲がった先、袋小路に足を止め、来たばかりの道を振り返って曰く。
「誰かは知らんが、何か私に御用かな?」
すると人の気配のなかった井戸端に左右の路地から男女が現れた。
女の方は白のブラウスにモスグリーンの喇叭ズボン。襟元の黒い蝶ネクタイが目を引く。肩掛け鞄を提げている他は身に帯びる物もなく、ハンチングの耳出し穴から栗毛の馬耳がピンと伸びていた。
男の方は調査員らしく革服の腰に片手剣。体躯は細身で風貌はモナリスゴートの系統か。オーカーの瞳に癖のある栗色の髪。その襟足の向こうに八弦琴のネック部分が覗いていた。
「ザザ・スーラさんですね? 私は競大社の刑部所属、石楠と申します。お尋ねしたいことがあるので調査局まで御同道願います」
そう告げて女が路地を向かって行くと、後ろから剣に手をかけた状態で男が続く。
「さすがは八大の宮守衆。恐れるものなど有りませんな。だがこちらもゆっくりとしてはおられぬ」
先生ことザザ・スーラは仗を構え、金銀の金輪で天を衝くように掲げて見せた。
「抵抗は無駄ですよ!」
「はたして、そうかな?」
不敵な笑みを添え、ザザ・スーラはヒヤシンスカラーの青い瞳に力を宿した。
「善事も一筆。悪事も一筆。一墨の記神!!」
唱えれば途端に狼煙のような白煙が巻き起こり、石楠たちは咄嗟に目元口元を庇った。その様子を尻目に煙の中から飛び出したのは一匹の大蝙蝠。ザザ・スーラが移姿たそれは軒の隙間を抜けてまだ明るい空へと飛び去った。
「逃げられましたね。大丈夫ですか?」
「ええ、失敗しました。まさか砥粉闇と移姿、一度に二つも使って来るなんて……。折角カリューさんが見つけてくれたのに無駄にしてしまいました」
「いえ。カルアミさんから腕の立つ魔法使いだとは聞かされてましたが、行き止まりに追い込んだことで私にも油断がありました」
石楠とカリューは煙の立ち消えたどん詰まりまで行って、何か遺留品でもないかと目を凝らした。しかしこれといった物は見当たらない。
「同道しろは余計でしたね。あの様子なら二、三の質問には正直にとは行かないまでも答えてはくれたかも」
「確かに、嫌味なくらい余裕を感じましたね。いずれにしろ逃げたのですから奴は黒です。オリゼーと繋がる魔法使いの黒判定がこれでまた増えました」
オリゼーというのは、かつてラデルを雇い、馬宮の従神の波長を手に入れた魔法使いの名だ。後に夕星に張り倒され審神の小杖を取り返されはしたが、以降は姿を晦ましてその足取りは杳として知れなかった。
石楠はオリゼーの足取りを追い続けていた。そこへ赤土から帰還したカリューとカルアミが加わり、今はカルアミの情報網から割り出したオリゼー周辺の魔法使いを洗う方向で動いている最中だ。
カリューたちが赤土から帰還したのが約一週間前。オリゼーとの関わりが深いと目された魔法使いたちは捜査の手が伸びるのを察したのか、僅かな期間で行方を晦ませていた。
「仕方ありません。一度局へ戻って報告しましょう。他所からも情報が上がっているかもしれません」
「了解です。明後日はもう宵宮ですから、捜査と並行して警備体制を固める必要もあります」
「ええ。今年は夜刀媛様のご意向で、融和策の一環として、従来の春告神事を執り行うということですから、馬競神事の時のような万が一は絶対にあってはなりません」
決然と言う石楠に頷いてカリューは剣を収めた。現場に見切りを付けた二人は袋小路を離れ、調査局へと戻って行った。




