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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
92/172

090 御白様のお山

 街道の際に立つ一の鳥居から麓の二の鳥居まで五〇〇米。雨晒しに朽ちなむの鳥居を潜ればそこからは延々と石段が続き、ひたすら登って登って登る。

 石段と言っても均整の取れた見栄えのするものとは違う。自然石を並べただけで面は凸凹、段差はまちまち。所々苔生して滑りやすく、私は真神路を歩いて以来、仕舞いっぱなしだった杖を引っ張り出してどうにか登っていた。

 息乱れ、汗滝の如し。つれない風はそよとも吹かず、一歩として同じでない足運びに足結あゆいの紐は幾度も乱れる。

 やめておけ――。と、心がとがめても一縷いちるの望みを託して見上げてしまう。そして目の当たりにするのだ。未だ半ばも達せぬ苦行の山路を。


「ど、どんだけ……」


 始めの内こそ何段あるかと数えていたものが、今や弾み過ぎて困難な息に私の脳内カウンターは完全停止。

 以前、学校行事で熊野古道の伊勢路を歩いた経験があるのだけど、終点の神倉神社にある壁のような自然石の石段。あれが果てしなく続いているようなもので、果たして何段あるのかなど、今はもう考えたくもなかった。


「おい、やめろ」


 ガサッと茂みが鳴って山羊が出た。親子連れだ。言いたいことは分かる。分かりたくもないけど分ってしまう。この石段は山羊も安全地帯と認める憩いの断崖なのだ。その証拠に狼たる私と目が合ってものほほんとしてらっしゃる。


「そこで止まられたら邪魔なの。あっち行ってよ。なんで真正面で止まるの? ちょっとズレてくれたっていいでしょ」


 当然、山羊は知らん顔だ。頭に来る。こっちはもう疲れ切って、一(センチ)でも一(ミリ)でも無駄な距離を登りたくないのに。


「お姉ちゃん。ちょっとずつ休みながら行こ? ほら、登って来た景色がとっても奇麗よ」


 乱れる息を抑えながら笑顔を添えて告げる愛妹。私は吐息めいた返事をして、曲がった腰を石段に下ろした。


「ふぅ……。うわぁ、これは凄い。これなら登ってきた甲斐もあるねー」


 開けた視界は優に三〇〇米を見下ろす絶景。一段一段の高さが半端ない為、正に谷底を覗き込むような俯瞰だ。これを山羊に一人占めさせたのでは如何にも勿体ない。


「街道を往く奴らが豆粒みたいだなー」


 最後尾の放谷は手庇して右から左へと転宮街道を眺め渡した。本当にその言葉通り、下界はミニチュアの世界だ。

 私たちは絆川ほだしがわ解川とかれがわ水分みくまりで早めのお昼を済ませて護解二宮、蚕種こたね神社を目指した。

 放谷との積もる話もお宮参りをして落ち着いてからということで、当初案内役に立った放谷に付いて行ったのだけど。それがどういう訳か街道を逸れて森の抜け裏を進んで行く。問えば放谷は近道だと言うのだが、社の裏手へ回り込む道らしく、私としては一の鳥居を潜って行きたい意向を伝えた。その結果がこの難所という訳さ。

 いや、後悔はしてない。ホントだよ? 確かにこたえるけど、皇大神が裏口からお邪魔しますでは格好がつかないもんね。 


「あー、風が気持ちいいー」


 景色に目を戻せば前方には青い山並み。青海と護解を隔てる沓取くつとり山系の山々だ。その山肌を下へなぞって行くと絆川が滔々と水を運び、そこに寄り添うように敷かれた転宮街道が窺える。

 街道からこの石段へと続く小径を挟んで広がるのは桑畑。桑畑は石段の両脇に階段状に続いていて、私たちが今いるほんの五〇米下辺りまで続いていた。桑畑が終わると石段は背の高い杉林に覆われ湿度が高まる。苔が木に石にと至る所に生して、幻想的な緑の深奥に抱かれるのだ。


「ありがとう阿呼。お姉ちゃんはもう登るのに夢中で……。でも、これを見逃したら嘘だよね」


 メェェ、と相槌を打つ山羊さん一家をバックに石段で三人横並び。輪違わちがいから取り出した水筒で喉を潤し、静けさの中の小休止。


「でも、あれだね」

「んー?」

「こんなに凄い石段があったら、お年寄りはちょっとお参りできないね」

「だから裏道があるのさー」

「あー、そういうことか。そっちはなだらかなの?」

「いやー、急だけど人を乗せる石舟があるからそれで行けるー」

「いしふね? 何それ?」

「えーっと、あれ。あそこの、ほら、見えるかなー。桑畑の所にさー。縦割りに細い石垣が通ってるだろー?」


 放谷の指す先を姉妹揃ってしげしげ見つめる。すると確かに段々状の桑畑を等間隔に縦割りする石垣が通っていて、それは杉林の中まで伸びていた。


「あれが何?」

「よーく見てろー。あっ、ほら! 石垣に沿って動いてる籠があるだろー?」

「籠ぉ? どこよ? 見えないよ」

「あっ、お姉ちゃん! ほら、あそこっ」


 先んじて見つけた阿呼に肩を揺すられ、我もと懸命に目を凝らせば――。


「あっ、ホントだ。動いてる! 何あれ? どうやって動いてるの?」


 一度見えると物はよく見通せるもので、桑畑には人もいて、背負い籠に積んだ桑の葉を石垣沿いの大きな籠に移している。そして不思議なことに、桑の葉満載の籠が石垣を伝って登って行くのだ。縄でも張ってあるのかと疑ってもそれらしきものは見当たらない。


「え、どうやって動いてるの? 上から引っ張ってる訳じゃないよね?」

「あれは神宝で動いてるんだー」

「神宝で!?」

「うん。籠は石垣を跨いで二つあるだろー?」

「あるね」

「籠と籠の間にそれを引っ掛ける木型があって、その木型が神宝なんだってさー」


 遠目で覚束ないながらも、籠と籠の間には確かに木肌の色合いをしたものがあって、それが石垣を跨いでいる。放谷が言うには鞍の形をしていて、両側に鞍袋の要領で籠をぶら下げているらしい。そして籠に桑の葉が満載されると、神宝の力で石垣を伝って二宮まで登って行くのだと。


「凄い便利じゃん!」

「だろー?」

「え、え、ちょっと待って? さっき言ってた石舟っていうのは、あれの人が乗れるバージョンってこと?」

「ばーじょん? まーそーなのかなー。とにかく楽ちんでいーぞー」

「まじか! 阿呼、今の聞いた?」

「うん。阿呼も乗ってみたい」

「だよねぇ? 乗ってみたいよねぇ」


 電気文明はおろか蒸気機関すら見かけない楓露で、まさか神宝がこのような役割を果たしているとは。とどのつまり、あの籠は蜜柑畑のトロッコだ。それが人を運ぶというならケーブルカーに他ならない。なんというふにくり! 登山列車フニコラーレは此処に在ったか!


「よし、休憩お終い! パーッと登って石舟を見に行こう」

「おーっ!」

「おー」


 高らかに宣言すれば、珍しく阿呼が放谷よりも大きな声を張って応えた。

 閑野生しずやなりで渡人の街を初めて目にした時にはおっかなびっくりだった阿呼も、大嶋廻りを通じて随分とものの見方が変わった。

 いい変化だなと思う。興味は引かれるのを待つのではなく、自発的に持って触れてみるべし、だからね。




 ***




「つ、着いたぁー……」


 ばたんきゅーをまざまざ体現して、私は最後の石段を登り切るなり倒れ込んだ。放った杖が転がる音。もういい。このままでいい。立ち上がりたくないでござる。


「石舟はあっちの方だぞー」

「…………」

「お姉ちゃん、はぁ……はぁ……。大丈夫? はぁ……はぁ……」


 放谷元気過ぎでしょ。とはいえ阿呼が踏ん張って立っているのに姉の私が倒れたきりとは情けない。どうにか四つん這いになって息を整え、それから放谷に杖を拾って貰って、それを頼りに立ち上がる。満身創痍ここに極まれり。


「お姉ちゃん、ほら。お姉ちゃんの大好きな神社よ」

「神社? 神社どこ?」

「ほら、あっち」

「ああー、神社! 神社あったぁ、ぁぁぁ……」


 なんだかもう神社なしでは生きられない人みたいな台詞を吐いて、けれどもプルプルする足は一歩も進まない。私はただ、杖に縋って立ち尽くしたまま、その泣けるほどに美しい二宮を眺めた。


「素敵な神社だねぇ……」


 苦労の末に辿り着いた二宮の姿が一際胸に迫って来る。

 おかいこを祀る神社と聞いて、私は当初からこの二宮にとある神社の姿を重ねていた。それは熱塩の祖父母と行った会津の蠶養國こがいくに神社。同じくお蚕様を祀るお社として、きっと二宮の社殿にも繭玉を並べた箱なんかが奉納されているんだろうと、そう思っていた。

 ところがどうだ。目の前にあるお社は過日目にした火取蛾本宮と同じ細羽造さざれはつくりの優美な屋根。何層にも重なる杮葺をカットして一枚一枚、ひひるの翅を浮き立たせた独特の風情がある。反りもせずむくりもしない慎ましさが、どこかいじましくすら感じられる静かな佇まいだった。

 コの字型に連なる社殿は片側が一層分床上げした高床になっていて、今いる石段の終わりからコの字の口へ斜めに通る視線に対して、堂々たる姿を見せている。中坪の広さこそ異なるものの、全体の配置を見れば花のお山の奥座敷、吉野水分よしのみくまり神社の面影を色濃く感じることができた。


「石舟はあっちに――」

「いや、ちょっと休ませてよ」


 無茶言いなさんな。見て分かるでしょーが、この疲労困憊。私も阿呼もおいそれとは動けない体なんだよ。


「お姉ちゃん、子供が」

「へ? ああ、うん。子供がいるね」


 社殿に囲われた中坪はサッカーコートの半面ほどに開けていて、芝の絨毯の上を十人からの子供たちが走り回っていた。どの子も継ぎ接ぎを当てたお下がり、お直しといった慣れ衣を着ているから、全員が嶋人の子供たちだろう。

 私たちは中坪の手前にある手水舎へどうにか移動して手と口を漱ぎ、ついでに頭から水を被って体内に溜まった熱を逃がした。


「ふーっ、やっと人心ちぎぃぃ! んごぐぐぐっ!!」


 瞬間、右太腿の辺りに衝撃が走り、石段でいじめ抜かれた筋肉が稲妻ボルトの電流を発した。腿を抱えてうずくまると、逆さになった視界に飛び込んで来たのは小憎らしい笑顔の洟垂れ小僧。

 こいつ、やりやがった! 乳酸菌で大賑わいの私の太腿にタックルか! 神だぞ私はっ!!


「あれ? このねーちゃん尻尾生えてるぞ。蚕種衆かと思ったらちがったみたいだ」

「あははははー、変なかっこー」

「おねーちゃんだいじょーぶ?」

「おい、立たないぞ。平気かな?」


 平気な訳ないでしょーが……。

 立てる訳ないでしょーが!


「放谷、その子たちあっちやって。あと立たせて。痺れて立てない……」

「おー、おまえらちょっと離れとけー。首刈はこー見えても偉い神様なんだぞー」


 放谷が涙目の私を立たせながら言うと、集まっていた子供たちは「神様!?」「やべぇ!」「しーらないっ」と口々に言って、それこそ蜘蛛の子を散らすように遠ざかった。

 放谷の肩を借りてどうにか直立の姿勢を保ち、足の痺れが引くのを待つ。散った子供たちは遠巻きに集まって、じっとこちらを見つめている。見たところ下は三歳、上も十には満たない子たちだ。


「貴方たち、よく聞いて。お姉ちゃんたちは向こうの石段を登って来ました。気が付かなかった?」


 しーん。

 返事をしないのは恐らく、境内では神様に話しかけないという定式きめしきを知っているからか。


「貴方たちはまだ小さいから、あの石段を上がって来たんじゃないよね。――いい? これからは石段を上がって来る人におかしな悪戯をしちゃダメよ。約束して。今度やったらおっかないからね?」


 子供たちは様々な表情をしながら一人一人、頷き返してきた。分かっているやらいないやら、にこにこ顔まであるんだから怒るに怒れない。

 私は阿呼と放谷に目で合図をして、


「それじゃあさきわいいをあげよう」


 と子供たちを手招いた。

 普段は湧魂わくたまで星霊を整えてあげるのだけど、相手は元気あり余る子供たち。私は二人と示し合わせて清水すがみずの御業を用い、着物と体の汚れとを奇麗さっぱり落としてやった。


「わー! おべべがきれいになったぁ」

「おー、すっげー! なんだこれー?」


 元々が古着を仕立て直した着物たち。年季の入った諸々の汚れが濯がれると、くたびれた生地はそのままでも、どの着物も色豊かに輝いて女の子たちは大喜び。それからハッとなって私たちにお辞儀をした。


「あ、普通に喋っていいよ。てゆーか、貴方たちどこの子?」

御白様おしろさまの里」

「御白様の里? 近いの?」

「あっちー」


 見れば高床の連棟、その裏手に聳える山の頂の向こうを指している。今いる場所と山頂との高低差は最早五〇米もない。木々から突き出す立派な五畳岩が見えていて、そこから里が一望できると言う。ならばと私たちは参詣の前にお山の全景を見ておくことにした。

 子供たちに手を引かれるまま、石段とは反対方向へ歩いて行き、鳥居を潜ると丸太の階段に出くわした。振り返って鳥居を見れば神額には蚕種神社。脇の石碑には火取蛾辨宮ひとりがわけみやと小難しい字で彫られている。


「え、ここ分宮なの? 蚕種神社って火取蛾本宮の分宮?」


 問いかけても子供たちは知らないらしく、代わりに空から耳覚えのある声が降って来た。


「そうですみっ」


 声と共にパタタッ、ペタッと私のおでこに舞い降りた一匹の足袋蛾たびか。びっくりして手で払えばドロンと身を転じ、淡黄色の千早を纏った小さ神のご登場。


小鉤こはぜちゃん!」

「幾日振りです。みっ」

「あ、鱗粉が目に入った……。顔に留まるのはよそうよ」

「ごめんなさいですみ」


 再会した小鉤ちゃんを加えてひと先ず頂上へ。ゴツゴツしたシルエットの巨岩は、太古の昔には繭のように丸い岩だったそう。それが今や風化して罅割れ、子供たちが登るにも都合のいい具合となっていた。


「おほー! 見晴らし最っ高ーっ!」

「東西南北がぐるっと見渡せるね」


 岩の上に立てば四海広しをたなごころに収めた景勝。標高一〇〇〇米にも満たない山だけれど、お向かいの沓取山系と違って連なる嶺のない孤峰だから、開かれた眺望は光彩陸離のパノラマだ。


「神様あしょこー。あしょこがあたちたちのお里ぉー」


 一番小さな女の子が袖を引いて教えてくれる。見下ろせば街道に面した西斜面から、南を回り込んで東斜面まで続く桑畑。裾野からお山の南東に広がっているのが御白様の里だ。

 聞けば里人は桑畑に出ていて、ここにいる子たちの上の兄弟姉妹も手伝っているらしい。小さな子たちは午前中には手習いをして、お昼が済んだら山中や境内で遊ぶ。そんな毎日であると言う。

 俯瞰で見る長閑な山里は、真神を出てからこっち、まるで目にしたことのない規模のもので、遠く霞む春の日差しの中に輝いて見えた。


「御白様の里は大嶋で一番の里ですみ」

「そうなんだ。これだけ広いとそうだろうね」

「はい。お山の社は古くは火取蛾の分宮でしたみ。絹の生産で信仰の高まった蚕蛾かいこがは、いつしか御白様と呼ばれるようになって、本宮と離れて一つのお社になったのですみ」

「要するに独立した訳だ」


 蚕種神社は信仰の高から単立の神社となり、その後も社格を高めて遂には玉殿神社を追い抜いて二宮の座に収まったと言う。

 御白様の里と江都。嶋人最大の里と渡人最大の街を抱える護解は、それだけで大嶋に於ける文化の中心地に違いない。中でもこの二宮は護解の「解」の意味するところにあやかって栄えた。そういうことのように思われた。


 まもり、きさく。


 絆としがらみ

 人が増えれば人間模様は様々に綾を成して複雑に絡み合う。絆すべきか解くべきか。川の流れに占っては良きかなと示された方へ流れて行く。そうすることで護解の地は今日まで栄えてきたのだろう。

 楓露では神もまた人に倣う。本宮の庇の下にあった分宮は時を得てその柵を離れ、新たな信仰の中心として堂々と立つに至った。そう言えるのではないだろうか。


「歴史だね」


 感慨を噛み締め、ひとしきり巌上からの景色を堪能した私たち。しばらくして里へ帰るという子供たちを送りがてら、最前から放谷が言っていた石舟の乗り場へと向うことにした。

 丸太の石段を下りて鳥居の辻に出ると乗り場は木立ひとつ越えた所にあった。


「これが石舟かぁ! でも舟の部分は木だよね」


 幅三〇糎ほどの石垣に鞍型の木股が乗っていて、その両脇に木舟が吊られている。大きさはかなりのもので、今いる十人の子たち全員が一度に乗り込める。舟を吊る木股はそうゴツくもないのだけれど、神宝であればこそ支えきれるのだ。


「石を渡る舟という意味ですみ。御白様が桑の葉や作物を運ぶ労苦を見かねて糸を通したのです。それが石渡いわとと呼ばれる石垣になって、そこに木股を掛け、舟を吊ったのが石舟なのです。みっ」


 二宮を頂くこのお山はどこもかしこも急な傾斜だ。来る日も来る日も上り下りしていたのでは、私なんか三日と持たずに参ってしまう。

 小鉤ちゃん曰く、分宮の時分には献上の絹を届ける為の長い石渡いわとが本宮まで通っていたのだそう。けれども渡人の到来によって、全ての石渡が隠された。渡人の利用や乗っ取りを恐れたのだ。今でこそ渡人とは絹の取り引きをしているけれど、およそ四〇〇年前まで御白様はお山に渡人が近付くことを決して許さなかったと言う。


「それはまたどうして?」

「渡人は大嶋に来た初めの頃、嶋人の織る絹の美しさに魅入られたのですみ。里には先を争うように渡人が押し寄せて、それはそれは大変だったのです。みっ」


 話によれば絹織物は御白様への捧げもの。ひと度捧げた品を今度は御白様から下賜されて、それを家々の宝ともして大事に大事に子や孫に譲り渡して行くのが里の習わし。丈夫な絹織物は大切に着れば優に百五十年は持つのだそう。

 そんなお宝を渡人は金の成る木と目を血走らせ、積み上げた金銭でどうこうしようとした。渡人と里人との諍いは絶えなくなり、それを儚んで御白様は霧の繭でお山と里を隠してしまったのだそうだ。

 それから例の戦争が起こり、蛾神ひひるがみに救われた渡人は考えを改めた。以降は御白様を尊重して、蛾トーテムや蚕トーテムの信者を間に立てることで里との融和を図って来た。


「そうなんだね。でも今は上手く行ってるんでしょ?」

「はい。里には調査局が置かれて、心得違いの商人が入り込まないよう目を光らせてますみ」


 ならよかったと、私は一旦その話を切り上げて、石舟に収まった子供たちに目を向けた。


「それじゃあみんな、気を付けて帰ってね。また明日、遊びにおいで」


 はーい、と手を振る子供たちに手を振り返して、石舟が見えなくなるまで見送った。お山を下りる時には私もこれに乗るんだと決意して、懐中時計を手に取れば時刻は午後三時。小腹も空く頃合いだ。軽くなった小腹を抱えて、私たちは二宮へと取って返した。

 三の鳥居を潜り直してコの字型の広場に出る。芝の上を行くと小鉤ちゃんが左手に低い連棟を指して、


「こっちで桑の葉を少し乾燥させますみ。それからあっちへ持って行って蚕に食べさせるのです。みっ」


 反対側には高床の連棟。社殿の色合いは本宮に似て柱ばかりが蘇芳色。けれど、星霊の手による八大宮と異なり、こちらは経過した年月の風合いが見事なまでの侘びを生じさせている。


「ねぇ小鉤ちゃん」

「み?」

「高床の下に幾つも並んでる大きな桶は何?」

「あれは火桶ですみ。蚕を育てるには温度を一定に保つことがとっても大切なのですみ。温かな時期は火を落しますけど、寒くなれば薪をくべて暖を取らせてあげるのです。みっ」


 そういうものかと得心して私たちは拝殿の前に並んだ。

 手順に則って礼拝し柏手を打ち鳴らす。続いて阿呼が大嶋廻りの口上を述べると奥の方から涼し気な玉鈴の音が二度ばかり鳴って、それを合図に小鉤ちゃんの先導で拝殿へ。

 四方のとしみを落した薄暗い拝殿を抜け、短い渡り廊下の先に本殿の戸を開く。すると桑の葉を敷き詰めた外陣の向こうに、白いかさねを纏った小さな神様が鎮座していた。

 背格好は谷蟇たにくぐ神社の痲油めあぶら姫や避役ひえき神社の目賢めがしこ姫と同じ小人サイズ。こちらが一礼して外陣に上がると、迎えようとしてくれたのか膝を立てて、けれどもぷるぷる震える手足は一挙手一投足の全てが危なっかしい。


「あ、大丈夫です。行きますから、そのままで」


 慌てて座って貰えるよう伝えて、再度一礼してから内陣に上がる。ぷるぷるする手で示された座に膝を畳んで座り込み、


「初めまして。真神は大宮から来ました首刈です。こちらは妹の阿呼。それからお伴の放谷。小鉤ちゃんはご存知ですよね」

「ご、ご、ご丁寧に。痛み入りまちゅ」


 言葉まで震えるのか。可愛らしい舌っ足らずさんだ。


「わ、わたくしは、練緯生絹機織ねりぬきのすずしはたおる二陪姫命ふたえひめのみことにご、ござ、ございまちゅ」


 御白様の名に違わず髪、肌、触覚、かさねの着物まで見事に白い。黒味と言ったら蝋色ろういろの複眼だけで、赤味は薄っすらと控えめな乙女色の唇ばかり。ただ、ひと口に白と言ってもそこは一律の色合いではない。

 着物は生成きなりの上に白百合。白百合の上に純白を重ねたもので、肌は白練しろねり。髪は白梅しらうめ。際立つ触角は粉砂糖を思わせる儚げな白。

 手土産にと街道の茶屋で買ったお団子を差し出すと、御白様は大層喜んで、ぷるぷると震える手に取ってついばむように口にした。


「ん、おいちぃ」

「よかった。桑の実を擦り潰して混ぜてあるって言うから、きっと気に入って貰えると思ったんです」


 土留色どどめいろの桑の実を練り込んだお団子は、形は月見団子のように丸く、色は薄紫。口にすれば程よい甘さと酸味が広がる一品だ。二陪ふたえ姫がもしょもしょと食べ終える様子を見届けて、先ずは当り障りのない世間話でもと口を開きかけた途端――。


「けぷっ」


 可愛いげっぷをした。と思ったら口の端から涎がダラー。一瞬吐くのかとギョッとしていると、やおら顔を上に向けて体全体を震わせた。勢い上に振られた涎が糸を引く。かと思えば、まるで新体操の選手が操るリボンのようにクルクルと何重にも輪を描き始めた。


「ぷぷっ」


 口元で切った糸を吹いて放つと、クルクル回りながら落ちて来るのは私の膝の上。そこで繭のような糸束が一反の反物に変化した。まるで真珠を延べたような美しさだ。


「お礼でちゅ。ぱたっ」

「あ、ありがとう……って、ええ!?」


 自分の口で「ぱたっ」と言って、御白様は本当に倒れ伏してしまった。すると背後に並ぶ几帳の陰に控えていたのだろう。蚕種衆と思しき面々が音もなく現れ、御白様を小さな神輿みこしに乗せると、こちらに間に合わせのような一礼をして、そのまま奥殿へと去ってしまった。いつ連の流れに呆気に取られて言葉もない。


「……え? 今のは何? 大丈夫なの?」

「いつものことですみ」


 聞けば蚕の神は攣躄てなえあしなえ。そしてそれは族神も従神も皆同じであるらしい。

 今も野に生きる蚕蛾と違って、養蚕の蚕蛾は幾世代を経て人の手によって生かされることに慣れ切ってしまい、野生に戻る能力を失ってしまった。その為、敷き渡された桑の葉を食べる以上の力を持たず、枝葉にぶら下がることすら困難なのだと言う。故に大嶋廻りの応対も困難と見て、本宮から小鉤ちゃんが遣わされたということだった。


「小鉤ちゃんも大変だ」

「みっ。小鉤は首刈様とご一緒できて嬉しいですみ」

「ありがとう。私も小鉤ちゃんと一緒にいられて嬉しいよ」

「みみっ」


 主祭不在の本殿を辞して、私たちは山際に迫り出す別棟へと移動した。

 ようやく落ち着ける一間に収まると、部屋は板張りで真ん中には小さな囲炉裏。藁編みのまん丸お座布に膝を畳んで四方に座した。

 小鉤ちゃんが御業で火を起し、茶葉と水を入れた鉄瓶を掛けてお茶を沸かす。そんな沸かし方ってあるのかな? と頭を捻りながら、私は頂戴した反物を丁重に輪違わちがいに仕舞い込み、対面に胡坐を掻く放谷を見据えた。


「さて、疲れた体を休めたいところだけど、その前に放谷。江都で別れてから何があったのか、端折らずにちゃんと話して頂戴」

「おー、そーだったなー」


 放谷は胡坐を崩して片膝を抱くと、何から話したものかといった風に視線を泳がせた。

 今日、この再会に至るまで九日間。果たしてこの気の置けない相棒は、何を目にし、何を耳にして来たのだろうか――。

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