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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
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086 青の怪2

 深更の静けさの中、墓地は冷え冷えと青黒く横たわっていた。立ち並ぶ奥津城おくつきは月に照らされて千変の影を落とす。湿った土と青草の臭い。八の字を切る洞穴。黄泉の坂下には鉄黒の闇が渦を巻いている。


「準備はいいかしら?」


 多比能たびのは白いセーラー帽を被り直し、頬にかかる真珠色の髪を指に絡めた。


「既にいやな音がひしめいてるんですけど。これ絶対キモイの出てくるヤツじゃん」


 厚ぼったい唇を歪めながら、胸のリボンタイを手慰みにしているのは次女の波城なみき


「陸の伝承なんだろうね。病にかかる人が増えることで、この手の場所に怪異が目覚めるのも」


 薄い体にブレのない体幹を通し、立ち姿もどこか少年的な三女の快波なかみ。手にしているのは蛇紋石を磨き上げた石鏡だ。月の光を鏡に集めて、深い穴闇を照らし出す。


「夜ともなれば早速いるのね。手っ取り早くて助かるわ」

「にしても多くなーい?」

「強いさわりは感じないよ」


 坂下の化怪は群れ成す骨塊ほねぐさりだ。それらは耳障りな音を携えて、空洞へ続く羨道せんどうの半ばまで上って来ていた。


「快波、貴女の見立ては?」

骨塊ほねぐさりにも色々あるけど、これは狂骨きょうこつだね。多分、この中に核となる一体が紛れてる。そいつを見つけ出して倒せば他も諸共に霧散する筈だよ」

「造作もないわね」


 多比能はセーラーの袖を捲り上げた。同時に血と見紛う深緋こきひの双眸が爛々と輝く。


「もっと光を当てて頂戴」

「分かった」


 快波は石鏡を掲げ、集めた光を無数の光条に変えて羨道に注いだ。闇はあたかも夜の浜の引き波のように後退して、カタカタと覚束ない足取りの白骨軍団を浮かび上がらせた。

 陰影の濃くなった群怪は、さながら地の底から湧き出す魍魎もうりょうか。日中に助どんの案内で見回った時には、羨道も奥の空洞ももぬけの空だった。それがこうも溢れ出すのは、疫病と抱き合わせの伝承に基づいた、星霊の感応に他ならない。

 人の心が生み出す怪。その多くは暗闇の中に顕れる。闇への恐れが想像を逞しくさせ、いつしか闇に何者かを生じさせる。

 病が広まれば何かの障りだ祟りだと恐れ戦き、伝播した恐怖は口伝を残して、やがては伝承として広く世の中に浸透して行く。すると広範な想起を認めた星霊が呼応するようになり、恐怖を現実のものに変えるのだ。

 霊塊たまぐさりの化け物も、時には伝承と重なり合う。見た目や他の特徴から当て嵌まる伝承を引き合いにして、本来よりも強い力を発揮する例は間々あった。

 しかし何故、星霊は怖れをも顕かなものとするのか――。このことに関しては神々の間でも未だはっきりとは承知されていない。宿主の集合意識に対する星霊の反応は、謂わば反射であって是非善悪などの観念には囚われないとするもの。或いは宿主らに恐怖を克服させることで進歩を促しているのだとするもの。捉え方は様々だ。

 いずれにせよ、そうした怪異が人や宮守衆の手に余るとなれば、これはもう神々の出番となるのであって、陸へ上がった三姉妹は今正にそうした局面に立っているのだった。


「どうなの快波?」

「今見えてる範囲にそれらしいのはいないね。いるとしたら後段の列の中かな」

「えー。それってあの中に分け入れってことぉ? さっきから鼻が曲がるほど臭いんですけどぉ」


 波城にしてみれば怪異溢れる洞穴に入るなど真っ平御免なのだ。小屋を出てからここに至るまで、ぶつくさと文句しか口にしていない。日中に立ち入った折もそうだ。大岩のある奥の広間は所々天井の岩が低く垂れ込め、上背のある波城はしょっちゅう蜘蛛の巣に引っ掛かって、その度になけなしのやる気を摩耗させていた。


「大丈夫だよ波城姉さん。数だけいても烏合の衆さ。姉さんは後ろから核の一体を探してて」


 快波の配慮に気をよくした波城は満足気に頷くと、妹の肩越しに改めて闇を見通した。


「おっけー。ならさっさと始めちゃって」

「任せなさい。サクッと片付けてあげるわ!」

「あ、ちょっと待っ――」


 途端に前へ出る多比能。勇躍する姉を快波は咄嗟に止めようとしたのだが――。


「必殺! 噴式回天熨斗付爆躰撃ふんしきかいてんのしつけばくたいげきぃぃぃぃぃ!!!」


 力強い踏切で夜に舞った多比能は快波の制止も耳に入らぬまま敵陣に身を躍らせた。跳躍の頂点で鯱に転じた躰が唸りを上げて坂下闇へ。有象無象の骨塊ほねぐさりを粉砕しながら奥底へと転がり去る。


「おー、多比能は今日も元気だねー。楽できて助かるぅ!」

「何言ってるのさ。たった今、飛んだ手間になったよ」

「え? どうしてよ?」


 目を丸くする波城と頭を抱える快波。そんな二人に向けて羨道の奥からやたらと元気な長姉の声が響き渡った。


「どんなもんよ! 見て御覧なさいな。一網打尽とはこのことよ!」




 ***




 数分後。坂下で合流した三人は一様に肩を落とした。


「それってマジ?」

「マジだよ」

「あ、貴女、どうしてそれを先に言わないのよっ」

「言おうと思って止めたのに姉さんが突っ込んでったんじゃないか」


 そうだったかしら、と指先でこめかみ押して記憶をまさぐる素振りの多比能。しかしながら今となっては、うずたかく積もった骨の山から核に当たるそれを見付け出す他、手立てはなかった。


「簡単に見分けられるんでしょ? この手合いなら快波の目利きで行けるんじゃないの?」

「それは動いてる時の話だよ。こんな風に一遍に砕いちゃったら埋もれちゃっただろうし、どの辺に核がいたのかなんて見当もつかない」


 頼みの綱の快波が匙を投げてしまっては多比能も波城も後に次ぐ言葉が出ない。取り分け多比能は気不味かった。長姉としてやらかした事実を認めたくはなかったが、目の前に夥しく散らばる厳然とした事実を覆す術もないのだ。


「とにかく、地道に骨を探って行くしかないね。あとはそうだな……。もう一度組み上がるのを待つとか――。組み上がる時には核が目立った力を発揮する筈だからね。ただ、そうなると下手したら明日以降の晩に持ち越しってこともある。だからやっぱり今探すしかないよ」

「えー、この数の骨を一つずつ? 考えただけで気が遠くなるんですけどー」

「じゃあどうするのさ? 今夜は諦めて帰る? 三柱の、しかも二宮の主祭筋が集まって今日は無理でした、なんて波城姉さんは言えるの? 僕には言えないな。それこそ逆戟大岩さかまたおおいわの名に瑕が付くじゃないか」

「何よぉ。そんな底意地の悪い言い方しなくったっていいでしょーが。快波ったら感じ悪っ」


 険悪になる妹たちを前に多比能は増々居た堪れない心境に陥った。姉としてどうにかこの場を収めねばなるまい。全身に嫌な汗が貼り付くのを感じながら、ぎこちなく言葉を紡ぐ。


「い、いやねぇ、二人とも。少し落ち着きなさいな」


 途端に突き刺さった視線は鋭く、到底姉に向けるものとは思われなかった。多比能の頬は瞬時に引き攣り、それでも懸命に踏み止まる。


「え、えーと、思ったんだけれど……」

「何?」


 波城がつっけんどんに言えば、多比能の胃は捻じ曲がってキリキリ痛む。


「ここってまだ羨道の終わりよね? ほら、この先の広間にはまだ骨塊が湧き出してくるかもしれないじゃない? 幾つかあった小径の穴とかから……」

「可能性はあるかもね」


 快波のあからさまな棒読みに逆流した胃液が喉元をチリチリと焼いた。ストレスによる突発的な逆流性胃炎だ。


「で、でしょう? 可能性って素敵な言葉よねぇ。だってほら、夢と希望に満ち溢れているもの! それを今から確かめに行きましょう。三人仲良く、ねっ?」


 最後の「ねっ?」には軽くロリコンを即死させる威力が込められていたのだが、当然ながらロリコンでもなんでもない二人には効果を発揮しなかった。しかし、波城も快波も根っこの部分では筋金入りのお姉ちゃん子だったので、滅多に見られない多比能の必死さに免じて、硬化させていた態度を解いてあげることにした。


「ふぃー。それじゃー行くだけ行ってみよっか?」

「うん。確認して損はないからね」

「そうよ! そうしましょう」




 ***




 月の輝きを宿した石鏡が照らす地下。三姉妹はそこで腰を屈めて黙々と骨を弄っていた。一つ取ってはポイッと投げ、次を取ってはまた投げる。肌寒い空間に骨の落ちる乾いた音だけが繰り返し繰り返し飽きもせず――いや、どうやら飽きは来たようだ。


「だるっ、腰痛い。もー飽きたぁ!」

「煩いわよ波城! そういうのはね、一々口に出さなくていいのっ」

「あいたっ!? ちょっと、こっちに投げないでよ!」


 波城は後頭部を摩りながら多比能を睨み返した。それから素っ頓狂な声を上げて飛び上がり、長い髪をわしゃわしゃと掻き上げる。どうやら当たった拍子に骨の表層が剥離して自慢の髪に絡み着いたらしい。


「二人とも真面目にやろうよ」


 黙々と作業していた快波が大きな溜め息を吐いて向き直った。だって、と抗議する波城に比べ、現状の発端となった多比能は無言のまま作業を再開。

 結局、三人は多比能が盛大に築き上げた骨の山と向き合って、いつ終わるとも知れぬ作業に取りかかる羽目になった。僅かな期待を持って踏み込んだ広間には狂骨の一体もおらず、広間から幾筋か伸びる穴を覗いても結果は同じ。

 探知系の御業であるあなぐりも試してみたが、感覚で目標を察するには再度組み上がる時のような“動き”が必要になる。単にばらけて積み重なっているだけの状態から引き当てるのは困難だった。


「ねー、休憩しよー? あなぐりはかけたままにしとくからさ、それなら構わないでしょ?」

「そうだね。僕もちょっと気分転換したい。少し休んだらまた頑張ろう」

「賛成だわ。なんだか小腹も空いて来たことだし」

「あ、それならあたしが。物招ものおぎ!」


 波城が呼び寄せたのは馬車で移動中に食べていた食料の残りだ。普通は状態の変化しやすい食べ物などを同調することはしないのだが、陸の食べ物を甚く気に入った波城はそれを敢えてやっていた。勿論、多比能も快波も波城に負けず劣らず陸の食べ物は大好きだ。「よくやったわ」「さすがだね」と誉め言葉を発して、空洞の中心に据えられた大岩に移動した。岩肌は丁度テーブルクロスのように苔が生していて、波城はそこへ取り寄せた食べ物を並べて行く。


「腐ってるじゃないの」


 メインとなる塩釜焼きの白身魚を指して多比能が言った。すると波城は何怖じること無く言い返した。


「腐っても鯛じゃん」

「いやいや待って! 待ちなさい。これは明らかに腐ってる鯛よ。既に諸々天に召されて私たちのお腹に寄り道している暇なんかありゃしないわっ」


 ひょいパクッ――。騒がしい姉の横合いから手を伸ばして、一等美味しいカマを摘まんだ快波はそのまま口の中へ放り込んだ。


「……うん。まだ大丈夫。塩のお蔭かな」

「ほら、まだイケるじゃん」

「逞しい娘たちねぇ……。後でポンポン痛くしても知らないわよ。私は他のを頂くわ」


 カリカリッシャクッ――。多比能が林檎飴に齧りつく傍らで波城と快波がぺろりと鯛を平らげる。このように食事休憩を取る辺り、如何にも大嶋の神様といった風情だ。中でも鯱神は生来の巨躯を維持する為、非常に旺盛な食欲を誇る。やがて三人の手は幾本も並んだ酒瓶に向かい、傍から見れば酒盛りの様相を呈してきた。


「ちょっと、葡萄酒ワインは私が先に取ったのよ。手を放しなさい」

「まーたケチ臭いこと言ってぇ。大体お子様体形の多比能にはお酒は毒なんじゃないのぉ?」

「お黙り!」

「!! いったぁい! いちいち蹴るなぁ!」

「食事の時くらい大人しくできないのかなぁ……」


 上二人が悶着を起す傍ら、快波は一人林檎酒(シードル)の瓶を抱えて喉を潤した。


「たまには妹に譲ったっていーでしょ! この横暴姉っ」

「我儘放題の貴女を散ざっぱら面倒見て来たのはこの私よ! ここは感謝を込めて姉に譲るところでしょーが!」

「うっさい、ばーか! ちーび! バツイチ子持ち!」


 衝撃の暴言に多比能の瞳が紅く潤んだ。


「バツイチってなんなの! 私はちゃんと夫婦生活を全うしたわよ! ええ、そうですとも。旦那を弔って、息子たちも弔って……。なんでこんなこと思い出させるの! うわぁぁぁぁぁん!」

「ちょ、泣かないでよ。ごめん、ごめんってばぁ」


 息子の名前をうろ覚えな割には抉られたくない過去だったらしく、多比能は大泣きしながら、それでも酒瓶からは決して手を放そうとしなかった。


「もう、二人ともいい加減にし――。ちょっと静かにして! 波城姉さん、あなぐりは!?」

「へ? ああ、切れてたや」

「何やってんの!」

「だって多比能が……」

「いいから早くっ」

「はいはいはい。んもー」


 急き立てられた波城は己の落ち度を棚に上げて不平不満を眉間に刻んだ。そしてあなぐり。身に纏う神余かなまりの星霊を羨道に向けて拡げると、波城は途端に舌打ちして、食卓を照らす石鏡をそちらへ向けた。


「うわぁ……。やばたん」

「これは酷いね」

「ほら御覧なさい、ひっく。波城はいっつもこうなのよ。ひっく。言わんこっちゃ、ひっく、ないんだからぁ!」


 酔いのしゃっくりか泣きのしゃくり上げか、多比能は切れ切れに文句を並べて深緋の瞳にそれを映した。

 有り体に言えば骨の壁。広間の天井は低く、羨道の出入り口は幅広の長方形。その一面をびっしりと埋め尽くす骨、骨、骨。更にはそれらが一つ一つ蠢いて何をか形を成そうとしていた。


「あれってやっぱり来ると思う?」

「来ないとでも言うつもり?」

「そんなもの来るに決まっているじゃないの」


 ですよね、という空気を発して波城は渋面を作った。黄金色の瞳に映る壁はいよいよ姿明らかとなって、中心に無数の骨を寄せた巨大な髑髏を現し、左右にはこれも骨で編み上げた長大な双腕。


餓者髑髏がしゃどくろだね。壁の向こうに寝そべっているんだとしたら、心の臓辺りに核が収まってると思う」

「それなら話が早いわ。波城。私と貴女とで左右の腕を抑え込むわよ。中央突破は快波にやって貰いましょう」

「あたし? いやよぉ。あたしの御業は物理苦手じゃん。多比能と快波に任せる」

「この期に及んでふざけたこと言ってんじゃないわよ!? いいから行きなさいっ」

「んもー!」


 心底厭そうな顔をして、それでも波城は左腕に向かって走り出した。同時に多比能も右腕に向かって突撃を開始する。

 力自慢の多比能は何も力技ばかりでなしに、得意とする音の御業で音波攻撃も繰り出せる。一方、香りを操るのが得手な波城は、立派な体躯に反して物理衝突は苦手だ。

 無論、そこには性格も大いに反映されている。波城は汗水たらすような行為はいつも要領よく避けていたし、荒事の場面では多比能をけしかけるのが常で矢面に立つことを嫌った。この時もイケイケの多比能が先手必勝を期する一方で波城は防御を優先に考えており、その差が如実に表れることとなる。


 ドドンッ――。


 多比能は神宝の振鈴ハンドベルを打ち鳴らして、鋭い五指で迎撃の構えを見せる餓者髑髏の手首に衝撃波を打ち込んだ。仰け反った手首はひしゃげるように裏返って、そこへ飛び込んだ多比能が間髪入れず親指に組み付く。


「どっせい!!」


 一本背負いの要領で担いだ親指を一気に極めて粉砕。そのまま手首の下に潜り込むと、


移姿うつし!!」


 素早く鯱に姿を変え、低い天井と巨躯の狭間にごつい手首をロックした。右腕、封殺完了。


「波城! そっちは!?」

「そんなに急かさないでよぉ!」


 足の長い波城は多比能に先んじて左腕の攻撃圏に到達していた。しかし姉と違って豪胆さに欠ける為、懐に飛び込む機会を窺おうと足踏み状態になる。すると、その隙を突いた左腕が波城を無視して右方に走り、右手首をロックする多比能を攻めた。

 生憎と多比能は反化へんげした時の向きが悪く、餓者髑髏の左腕の動きを補足できない。


 グサッ――。


「にゃぎぃやぁぁぁぁああ!? ちょっと、刺さったわよ!? 痛いじゃないの! 早くなんとかなさいっ」


 多比能の背中。尾鰭の上の辺りに尖った骨の指が突き立てられた。

 慌てて方向転換した波城だが言うまでもなく後手後手。敵左腕は手の甲で打ち払うように戻ってきて、腕を十字に耐えようとした波城を体ごと吹っ飛ばした。


「だからやだって言ったじゃーーーーんごべっ!!」

「姉さん!」

「何!? どうしたの!? 波城!」


 飛ばされた波城は壁にぶつかるかと思いきや、広間に幾つかある小径こみちのような穴へと向かい、そこで運悪く縁に後頭部を打ち付け、尻から穴の中へと消えて行った。強かに頭を打った反動で脳は揺さぶられ意識は混濁。波城は一足先に戦線離脱となった。

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