083 ビジネス
「戻ったぞ。サリザ! お客様だ。出迎えてくれ」
高台を降りて浜辺に近い港湾区画に案内された三姉妹はバーチスの自宅に通された。出迎えに現れたメイド兼乳母のサリザは不意の客人と陽の高い内に戻った主人とを訝る様子。しかし客人の余りの尋常でなさに開きかけた口は直ぐに閉ざされてしまう。
カロは三人を上階に案内して、応接の調度が整った見晴らしのよい部屋に通した。次いでカーテンとテラスへ続くガラス戸を空け放つ。
「おー、いい風じゃーん。潮騒も耳に心地いいし、悪くないねー」
港からの海を眺望する三階のテラス。跳び出した波城は腕を大きく広げて吹き寄せる海風を全身に受け止めた。
「風は結構だけれど、御覧なさい。船がズラリと並んでいるわ。片っ端から沈めてやりたくなるわね」
「姉さん、少しは自重して」
堪え性のない多比能を快波が窘める。船を沈めたがるのは海魔伝承に沿った荒魂の衝動なので致し方ないのだが、カロの世話になる手前、騒ぎを起こす訳にも行かない。
室内ではサリザがギクシャクと角張った動きでテーブルのセッティングをしており、カロがそれを手伝っていた。
「そういえばカロ」
「はい、なんでしょうか多比能様」
「貴方、幼い娘がいるとか言っていたわよね?」
「はい。まだ這うようになったばかりでして。恐らく部屋で昼寝をしているかと」
「あーっ、あたし見たい! 見せて見せて!」
駆け戻って来た波城の爛々と輝く目に押されて、カロは階下の部屋に一行を案内した。
「あら可愛い」
「うん可愛いね」
多比能と快波は枠付きの幼児用ベッドに眠る赤ちゃんに相好を崩した。枕元には兔や熊のぬいぐるみ。赤ちゃんはピンクのおベベに白い涎掛けを巻いて、右手の親指を咥えたまますやすやと眠っている。
「へー、これが人間の赤ん坊かぁ」
上背を活かして後ろから覗き込んでいた波城はおもむろに手を伸ばし、赤ちゃんの右腕を掴んで引っ張り上げた。その暴挙を目の当たりにした快波は唖然。一方、多比能は電光石火だった。
「ごるぁぁぁぁああ!!」
唸るような怒声と共に捻りの利いたフックで波城の鳩尾を抉り込み、くの字に曲がって迫り出した顎を錐揉み式のアッパーカットで打ち上げる。反動で宙に舞った赤ちゃんが落ちて来ると両腕でしっかりと抱き止めた。
「痛い! 酷い! なんてことすんのっ」
「酷いのはあんたよこの愚妹! 赤ちゃんの腕がもげたらどうするの!」
叱り飛ばされた波城が尚も言い返そうとすると、途端に赤ちゃんが大泣きを始めた。泣く子と地頭には敵わぬとはよく言ったもので、三姉妹の意識は一気にそちらへ吸い寄せられた。
多比能が体を揺らしてあやせば快波はおずおずとおでこを撫で、波城はいないいないばーを繰り返す。そうこうする内に落ち着いたのか、赤ちゃんは多比能の腕の中で再び寝息を立て始めた。
「ふぅ、やれやれだわね」
「びっくりした。人間の赤ちゃんって火が着いたように泣くんだね」
「疳の虫が騒いだってやつじゃん?」
「貴女が乱暴な真似をしたからでしょうが。反省なさい」
「えー? あたし快波がまだ小さい頃よくあやしてたけど、持ち上げたくらいで泣いたりなんかしなかったじゃん」
反駁する波城。両腕が塞がっている多比能は足で以って愚妹の脛を蹴飛ばした。
「痛っ、ちょっとぉ!?」
「貴女の馬鹿さ加減には呆れの方からお礼が来るわ。人間と鯱とは違うの! それに快波をあやしてたですって? 冗談も大概になさい。貴女は噴気でお手玉して遊んでただけでしょうが」
噴気とは鯨や鯱がする潮吹きのことだ。波城は噴気孔から噴射する潮に乗せて幼い快波を高い高いしていた。それをあやすと取るか、虐待と取るかは意見の分かれるところかもしれない。
「よしなよ二人とも。折角寝てくれたのにまた起こしちゃうよ」
赤子の持つ魔力とでも言うのだろうか。ただそこに存在するだけで場の軸にすっぽりと収まって、周りはそこを基準に動き始める。大嶋の神々も生き神であるが故にその例に漏れないようだった。
***
一行は赤子の世話をサリザに任せて三階に戻り、三姉妹とカロとテーブルを挟んでソファに寛いだ。
「それにしてもあれね。貴方と赤ちゃん。一分の隙もなく似ていないわね」
開口一番そんな台詞を吐く多比能にカロは額の汗をハンカチで拭いながら応じた。
「実は、あの子は私の実の娘ではないんです」
「は?」
「へ?」
「何それ?」
予想外の返答を受け止めきれずに海神一同、揃って間の抜けた反応を示す。
聞けば、あの赤子は調査局の前に捨てられていたのをカロが保護したものだと言う。そうした話は自然界や神の間でも稀ながらありはする。が、そこに介在するのは母性であって、男のカロがそれを示したことに対して、姉妹揃って意外な印象を受けるのだった。
「カロ。貴方見かけによらずいい男ねぇ」
「いい男だけど、鮫肌じゃないから私はパスかな」
「波城姉さんは少し黙ってた方がいいと思うよ」
「なんでよっ」
「波城、黙りなさい」
「はいはーい」
むくれ顔でそっぽを向く波城は精神年齢で言えば明らかに快波よりも幼い。享楽的で好きなことばかり追求する性格であり、その分我慢や配慮、空気を読むといったことを知らないのだ。
「此方からも伺って宜しいでしょうか?」
「あら何かしら。言って御覧なさいな」
「はい。今し方娘の部屋で耳にしましたが、人と鯱とは違うとは、皆様方は鯱神様。つまり逆戟大岩の神々でいらっしゃる。そういうことで間違いないでしょうか?」
「何を今更。それ以外のなんだと言うの」
多比能にしてみれば名乗った時点で知れていて当然のこと。しかし、陸から離れた絶海の岩礁にある逆戟大岩神社のことを詳しく知る渡人となると、一部の学究の徒を除けば先ず存在しない。それが例え青海二宮であったとしてもだ。
「ついでに言えば渡人の間では疫病神だなんて有難くもない名で呼ばれてもいるわね」
「は?」
今度はカロが間の抜けた返事をした。
「ちなみに波城は艶魔。快波は幻像だそうよ」
その名は渡人の伝承にある海魔の中で最も力ある三人の魔女に与えられた名だ。カロは神か海魔かと賭けに出たつもりでいたのだが、その実、両者はコインの裏表に過ぎなかった。そんな事実に行き当たって返す言葉も出てこない。
「それより何より、びじねすの話をしましょう。今私たちに必要なのはそれよ」
「そうそう。びじねすで儲けて新しい装飾品を揃えなくっちゃだからねー」
そう切り返されたことでカロの意識もそちらに移る。例え裏が海魔の相だとしても表が神であることに相違はない。だとすれば肝心なのはここからの舵取りだ。
過去、神と接したことなど皆無なカロだったが、ここまでの経緯からして敬意を以って接すれば話の通じる相手であることは分かった。突発的に読めない言動を取る恐れはあるが、先ずは腹を割って話をしてみることだ。
「では率直に申します。既にお耳に入れましたが、例の流行り病の件。これを鎮めるのにお力沿い頂ければ、相応の額をお社に納めさせて頂きたいと思います。如何でしょう」
「いやよ」
「めんどーい」
「いいよ」
例えるなら信号の赤と黄色と青とが一斉に点灯したような珍回答。三姉妹は互いの目を覗き込んで意を探った。
「波城はいいわ。黙ってなさい。快波、貴女どういうつもり?」
多比能は波城の顔面に掌を当て、もがもが言うのもスッパリ無視して快波に問うた。
「どういうつもりも何も、僕たち神だよ? 助けを求められたのに断るなんて、姉さんこそどういうつもりなのさ?」
「生言ってんじゃないわよ。そもそも私はびじねすの話をしたのよ。何をかは知らないけれどびじねすってのは調査をするもんなんでしょ? だったら土台話がおかしいじゃないの。私が無視をしたですって? それを言うなら先に神の意向を無視したのはカロの方だわ」
「……いや、姉さん。それ、本気で言ってる?」
「当たり前じゃないの。私はいつだって本気よ」
腕組みして鼻まで鳴らす姉を見て快波の中で何かがプツンと切れた。
「あ、そう。そうだよね。分かった、じゃあ僕から説明するね」
「あら、まだ私に意見しようって言うのかしら? いいわよ、言って御覧なさい。聞こうじゃないの」
「うん。言わせて貰う。大体、多比能姉さんは波城姉さんの言葉を鵜呑みにして深く考えようともせずにビジネスを調査だと思い込んだ。でもそうじゃない。ビジネスって言うのは僕らの言葉に直せば仕事と受け取るのが正しいと思うよ。なのに履き違えをそのままにして昂然と神にあるまじき振る舞いをして憚らない。それが多比能姉さんの改めるべき点。いいね? それから波城姉さんも悪い。上辺だけを聞きかじった言葉をさも知った風に口にして多比能姉さんに誤解をさせたし、終にはこうして恥までかかせた。この点は大いに反省して貰いたいね。とにかく、二人とも軽々に物事を決めつけてしまうのがよくないよ。二人は昔っからそう。僕が事ある毎に幾ら注意を促しても、まるで直らないよね? なんでそうなの? 直す気なんて更々ないってことなのかな? でもそれはどうかと思うよ。特に多比能姉さん。姉さんは逆戟大岩の主祭じゃないか。そういう自分の立場とかをもっとよく考えて、少しは慎重に行動しようよ。何その顔? まだ分からない? なら更に言わせて貰うけど――」
「分かった分かったわ! もう止めて頂戴。お願いだからそこまでにしてっ」
悲鳴交じりに遮って、多比能は帽子で顔を隠した。勘違いの大馬鹿者が自分だったと突き付けられて耳からうなじから真っ赤に染まって行く。
「快波、言い過ぎ。あんたの姉さんでしょーが」
「そうだね。でも僕は波城姉さんにも言ったつもりだったんだけど?」
「もち、ちゃんと聞いてたよん」
「……ならいいさ」
「こわっ」
こうしてたまにキレる妹とがっぷり四ツに組まないのが波城の処世術だ。いなされた快波は自然、熱が引いて、確かに言い過ぎたな、と反省スパイラルに落ちて行く。その空隙を利用して波城は多比能の肩に手をかけ、耳元に囁いて元気付けるのだった。
「私は多比能のこと大好きだよ。もちろん快波だってそう。時々キツイこと言うけど、快波はいつだって私たちのこと心配してくれてるんだから、ね?」
「……そうね。今回は私が悪かったわ。あと貴女もよ、波城。寧ろ貴女のせいまであるじゃないの」
「せやな」
「赤土弁はやめなさい。イラッと来るわ」
「うぃーっす」
神々の対話の行方を気を揉んで聞いていたカロは、ようやく落ち着いたと見てグラスに葡萄酒を注いだ。ところが勧めるのも忘れて先に自らの乾ききった喉を潤す。あわや喧嘩騒ぎかと思えば緊張の針も振り切れるというもの。
「失礼。皆様方もどうぞ」
遅れ馳せに酒を勧めてそれぞれが口を付けるのを待った。ランチの折に幾種類かの酒を用意させたが、特に進んでいたのが葡萄酒だ。カロは口に合う酒が多少なりと平静をもたらすものと期待した。
「それで、結論としましては如何でしょうか?」
「結構よ。その話、受けるわ」
「感謝致しますっ」
即答に即応してカロは深々と頭を下げた。こうして手早く結論を固めてしまうことが肝心だ。折角の乗り気もいつ気紛れに翻されるか分かりはしない。
いずれにせよ神の助力を得られるならば百人力。カロは早速サリザを呼んで表に馬車を着けるよう指図した。自らは棚の地図を取り、ローテーブルに広げて、目的地を指し示す。
「ちょっと待って」
「何か?」
可及的速やかにを念頭に説明しようとすれば、それを遮って耳に手を当てる快波。聞き耳を立てるような仕草を受けて、カロも耳に神経を寄せてみた。しかし、これといって不審な物音は聞こえて来ない。
「この家の中に、まだ僕たちが会ってない誰かがいるのかな?」
「いえ、ここには私と娘、それにサリザだけの筈ですが……」
トーンを落とす快波に合わせてカロも声を潜める。
「どうかな……。索」
呟くように唱えた快波は自らの星霊を展開して建物全体に浸透さてると、やがて耳に察した気配を探り当てた。
「うん。その部屋に一人いるね」
視線で示す先、二つの酒棚の狭間に板チョコのような扉が閉ざされている。そこは前調査局局長を務めた亡父の書斎。長らく手付かずのままの部屋だった。
「波城姉さん」
「あー、はいはい」
快波の要請に応じて髪に絡めた銀鎖を解く波城。それを振り香炉に変えて香を炊く。薫衣草の芳香はテラスから寄せる風にも負けず扉へと向かい、僅かな隙間から流れ込んで行った。
ドサリ――。
待つことしばし。倒れ込む音を確認した一同はカロを先頭に扉の前に立った。鍵は掛けていない。ドアノブを回して慎重に押し開ける。すると、何かがつっかえて思うように開かない。カロは扉に体を寄せ、肩口で以って強引に押し開けた。ズリッと重い動きで扉が開くと、そこに倒れていたのは――、
「グレン! なんだってこんな所に……」
「誰こいつ?」
傍へ来た波城は蠱惑的な脚線美を持つ長い足を伸ばし、俯せたグレンの顔を爪先で横向かせた。
「う~ん。おじさんよりはイケてるけど趣味じゃないかなぁ」
「私にも見せなさい」
「ちょっと押さないでよ。戸口は狭いんだからさぁ」
「つっかえてるのは貴女の無駄に大きなお尻よ! さっさ仕舞って頂戴」
「仕舞えってどこによぉ」
不満気な波城の尻たぶをバチンと叩いて多比能は中に押し入った。姉妹の中で一番小柄ながら怪力もまた一番だ。
「いったぁい! なんで叩くのよぉ!?」
「これ見よがしにぶよんぶよんのお尻を丸出しにしてるからよ」
「ぶよっ!? 失礼しちゃう! あたしのお尻はピッチピチのプリンプリンだっての!」
「姉さんたち、静かにしようよ。赤ちゃんが起きちゃうよ」
したり顔の多比能と憤慨する波城を呆れ顔の快波が諭す。それを受けた二人は互いに人差し指を唇に当てながら睨み合いを続けた。
「貴女も少しは快波を見習いなさい」
「何それ? 胸とお尻を引っ込めろってこと? そんなのお断りの願い下げ」
捲れ上がった際どいミニを直しながら、波城は唇をとんがらかした。その鼻先にヌッと中性的な快波の顔が寄せられる。切れ長の瞼の下に冷ややかな花緑青の瞳がどっしり座っていた。
「僕を見習うってことと胸とお尻を引っ込めるってことがどうして同じなのさ?」
「じょ、冗談じゃーん。快波ってば近くなーい?」
表情に乏しい快波は目で物を言う。抗議のジト目に晒された波城は黄金色の瞳を終始泳がせ続ける他なかった。
「ほんとおバカね。波城、口は災いの友よ」
多比能の台詞はちょっと違っていたが、誰も訂正はしない。その僅かな静寂を突いて、くぐもった呻きが姉妹の耳に届いた。
「何よ貴女、浅くかけたの?」
「だってこいつの口から何か聞き出すとかなんじゃないの?」
「まぁそうなるわね。注連――」
軽口を挟んで多比能が放った御業は、グレンが身に纏う服を強固に縮め上げた。するとボタンやベルトは弾けて用を為さなくなるのだが、袖や裾に包み込まれた手足はギュッと絞られて間接の動きを封じられてしまう。
「カロ。事情を聞き出しなさい」
「はい――。おい、グレン」
カロは足下で首と胴ばかりを捩る同僚を見下ろし、片膝を付いて襟首を掴んだ。
「何故ここに居る。目的はなんだ?」
「ま、待て。きつい……。きつくて話せねぇ」
しかしボタンは弾けて首が締まっている様子はない。言い逃れと見たカロは一発、右手の甲でグレンの頬を叩いた。そして耳元に口を寄せて告げる。
「お察しだろうが此方の方々は神様だ。しかもただの神様じゃあない。聞き耳立てていたなら分かるだろう? 我々渡人の伝承に出てくる海魔の三魔女でもあるんだぞ」
「嘘だっ。神が海魔とはどういう訳だ」
「そんなものは知らん。だが、自らそう仰せなのだから間違いもあるまい。お前の口八丁が通じる相手と思うなら試してみるか? 無論、ベットするのはお前自身の命になるだろうが……」
その言葉にゴクリと喉を鳴らし、グレンは怯えの宿る眼差しを三姉妹に向けた。




