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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
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082 ランチタイム

 西方諸国大嶋調査局。

 本組織は大嶋に根付いた渡人たちが大嶋の地理と海洋を始め、動植物学や民俗学、また各種文化に加えて神社、遺跡等々の調査研究を目的として立ち上げた機関であり、母体となる集団は入植当初から発足していた。

 五隻の船に総勢千人が乗り込み、途中、二隻を失いながら、苦難の航海に脱落した者を除いて七百余名が大嶋の土を踏んだ。以降十数年に一度の後続を迎えながら最初の百年で人口は十倍の七千人に達し、江都ごうとを中心に生活圏の拡大が図られた。その際に活躍したのが大嶋調査局だ。

 調査局は他の渡人の組織同様に本部を江都ごうとに据え、当初は護解、後に青海、水走の各地に支部を据え、直近では野飛の南端域に新たな支部を設置している。渡人の大嶋に於ける生活圏、活動圏の拡大は、常に調査局の活動とその成果を軸にしたものだった。

 各支部には本部で定期的に行われる資格試験をパスした調査員らが適宜配属され、そこで各方面の団体や組織から持ち込まれる様々な依頼に対応。その一方で調査局独自の活動として、近隣の嶋人コミュニティ、即ち里山や里浜といった集落との接触を図り、交流を重ねることで、渡人の行動半径拡大に貢献して来た。

 無論、抱える問題も少なくない。変化を求める渡人に対して古式を重んじる嶋人。そして嶋人の背後に存在する神々。そこに生じる軋轢あつれきは常に頭の痛い問題だった。

 西海の向こう。国家の乱立する大陸で競争を旨として切磋琢磨してきた渡人たち。彼らからすれば嶋人の暮らし向きは、さながら時代の潮流に取り残された過去の遺物と映るもの。渡人にも「古き良き」を是とする心は確かにある。が、誇るべき自らの文化を浸透させたいという気持ちもまた強い。故にそうすべく幾度とない試みを重ねて来た。

 しかしながら大嶋には神々が闊歩している。西の大陸でもトーテム信仰は存在したが、渡人には嶋人のように神々と直に接してきた歴史というものが皆無だ。では郷に入っては郷に従えで、嶋人のような生活様式を取り入れればいいのか。否。それでは渡人が血と汗を流して培ってきた諸々の価値観が水泡に帰してしまう。進取の気象著しい渡人にとって、殊更の変化を望まない大嶋の暮らしは、何かにつけ煩悶や葛藤を生じさせた。

 何より、それまで見えざる存在だった神々が厳然と存在していて、変化を好まない嶋人と仲睦まじくしているという事実。渡人は神々との距離感を掴めないままに今日まで来てしまっていた。そうした一種の閉塞感は時に渡人を鬱屈させ、歪んだ形に曲げてしまう。


 江都を起点に活動範囲を広げた調査局は、転宮街道、南海道、青海道と順に街道上の要所に支部を設置した。

 艫乗とものりのある馬追街道や、青海東部から野飛南部に抜ける飛魚路には、全てここ二百年の内に支部が置かれた。こうした新しい支部の傾向として、支部の統制を調査員出身の役職者が仕切るという傾向がある。

 元来、渡人社会を統御する議会と密接な調査局は、外注の調査員を雇って任務にあたって来た機関だ。しかし、版図の拡大に伴う人員不足によりいつからか、貢献度が高く身元も確かな調査員を局員に取り立てるようになった。

 彼らが調査員として優秀であったことは確かだが、歴史ある調査局の中枢にいた訳ではないから、例えば過去に起きた戦争の教訓なども深く身に付いているとは言い難かった。

 この日、艫乗支部では、そうした調査員出身の幹部による会合が持たれていた。集まったのは局長以下、調査依頼の内容によって区分けされる各部門の仕切り役たちだ。しかし、部門数からすると頭数は十分に揃っていないように思われる。理由は彼らが、調査局の運営とは関わりのない事業で利益を共有している者たちだからだった。


「その情報は間違いないのか?」


 太く低い声はどこか恫喝めいて、詰問調に響いた。男の名はガスト・メロー。艫乗支部の局長で、以前は三十名からの仲間を率いる名の通った調査員だった。ガストが局員に鞍替えして十五年。護解や水走の支部で遺跡調査部門の幹部を歴任後、九年前に艫乗支部の局長補に収まり、局長就任を果たして六年目。乗り切った脂がそろそろ抜け始めようかという五十代に差しかかっていた。


「残念だが間違いない。船は沈んだ。海魔サイレンに祟られ、人魚マーメイドに救われた連中が浜に上がって来ているからな」


 答えたのは調査員時代からガストと二人三脚でやって来たエルゴ。同年代だが老けて見えるのは気苦労が多いからか。局では海洋調査部門を仕切っている。


「海魔かよ。海魔伝承を鼻で嗤う連中を集めたってのに、結局はそんな努力も意味なかったってか?」


 遺跡調査部門のグレンがお手上げのポーズで言い放つと、エルゴは渋い顔を更に渋くした。


「本当のところは分からんさ。単に嵐のせいかもな。ただ、今度のことで、鼻で嗤う連中が減ったのは確かだ。人魚に助けられたなら当然、海魔もいると思うだろうよ」

「今更の話はいいとして、局長。シールレントの船にはどう対処しますか?」


 割って入ったのは地図製作部門のネイブ。集まった四人の中では若手だが、それでも三十代半ば。彼は十歳も年上の局長の妹と結婚していた。


「取引先には魔法使いに伝魔てんまを出させて状況だけ知らせておけ。海難に際しては向こうも心得ている。今回は黙って引き返すだろう」


 かつて大嶋で唯一の戦争を引き起こした国家シールレントは、その後も度々本土で問題を起こし、現在は大嶋への直接の渡航を禁止されていた。そのシールレント籍の船と外洋での密貿易を取り仕切っているのがガスト・メローの裏の顔という訳だ。


「まあ連中には次回の取り引きで色を付けるとして、バーチスの方はどうしてる?」

「カロ・バーチスですか。相変わらず生真面目にやってるようですよ。今は例の疫病の件で街を離れてますから、今度のことが奴の耳に入ることはないでしょう」

「街を出ているだと? いつからだ?」


 ガストは暢気にワインを啜るグレンを睨んだ。

 ガストは裏取引による利益の還元によって港の支持を取り付け、もう一人の局長補であったカロ・バーチスに競り勝ち、現在の地位をも手に入れたという経緯がある。今ここに集う面々も一枚噛んでいるからこそ幹部の地位にいるのであって、一方で流れを異にするカロをどう弾き出そうかと常に算段してもいた。

 カロの預かる風俗調査部門は嶋人と密接である為、遺跡調査などで嶋人にとっての要所に分け入る際には必ず話を通して貰う必要がある。その関係で、カロの動向を見張るのはグレンの役目になっていた。


「おっと。おとついの晩だったかな。四、五人連れて近隣の里の様子を見てくるとか言ってたな」

「里か。我々にとっては目の上の瘤だな。奴を幹部の座から外せないのは、奴が前局長のせがれというだけではない。嶋人との仲を上手く取り持っているからだ。本来我々渡人には素っ気ない筈の嶋人どもがどういう訳か奴とはまともに話をする。どうにかならんのか?」

「どうにかってもな。そりゃ、今度のやまでドジの一つも踏んでくれりゃあ首の挿げ替えも楽なんだろうが」

「そう上手く行くかな。里に詳しい奴のことだ。寧ろ手柄を立て兼ねんぞ」


 グレンの言うように一度の失態でも名目さえ立てば局長の立場を利して始末は付けられる。だが、実際にはエルゴの指摘通り、上手く立ち回ったカロが増々足場を固める可能性が拭いきれなかった。


「グレン、お前、カロの留守中にヤサに忍び込んで、弱みの一つでも調べて見たらどうなんだ?」

「簡単にっ言ってくれるがよ、今がその時なのか? 俺は見張りを仰せつかってるからな。カロの旦那とは表向き上手くやってるんだ。まあ、局長の意向次第だが」


 エルゴの煽りをあしらってグレンはガストの目を覗いた。ガストは一口酒杯を呷って顎に手を当てた。


「今がその時かもしれん。近頃、水走の方から神々と渡人の融和だなんだとおかしな話が流れ込んできている。その動きは護解にも波及しているそうだ。絵空事のように聞こえるが、その動きにかこつけて、カロの奴が今まで以上に我々の動きを嗅ぎ回ろうとしないとも限らん。今回、船を失ってケチが付いた。ならばこれ以上は避けたいところだな」


 エルゴとネイブは頷いてグレンに目を向けた。一身に集まる視線を受けて、グレンはやれやれと肩を竦めるのだった。




 ***




「おおーい! おおーい! あんたらっ、ちょっと待ってくれー!」


 崖を離れ坂道を下っていた三姉妹の背後に野太い声が上がった。足を止めると、転がり込んで来たのは先刻締め上げたばかりの亀首男だ。


「どーしたのおじさん。あたしらに用でもあった?」

「はぁ、はぁ……。貴女方は街へ行かれるのでは? よかったら案内させて貰えませんか。いや、是非とも案内させて頂きたい」


 突然の申し出に顔を見合わせる三人。答えの出る間を惜しんで、男は息の荒いまま先を続けた。


「私は大嶋調査局の艫乗支部で幹部の席に就いている者です。ですから艫乗の街には詳しい。貴女方はきっと不案内でしょう? 先程のお詫びとまでは言いませんが、お役に立てるかと思いまして」


 そこまで言って汗にまみれた顔を上げ、恐る恐る三人の様子を窺う。

 正面に立つのは騒動を巻き起こした白いセーラーの少女だ。その出で立ち、赫々(かくかく)とした紅い瞳からも嶋人でないことは分かる。無論、渡人でもない。神か海魔か、カロは固唾を呑んで答えを待った。


「貴方、カロ・バーチス。中々素敵な提案ね。けれどもその前に聞くわ。例の始末は済んだのかしら?」

「遺体の件ですね。勿論です。既に部下に指示して馬車で運び出させました。どこか里から離れた場所に埋葬するように厳命してあります」

「あ、そう。ならいいわ。私たちは街へ出て食事をしたいの。任せていいのかしら?」

「勿論ですとも。レディ……」

多比能たびのよ。それから妹の波城なみき快波かなみ


 惨禍の出会いも忘れて名乗りを交わす海神。カロはクシャクシャのハンカチで亀首を伝う汗を拭い、早速先頭に立った。その後ろで波城がおもむろに振り香炉(サリブル)を揺らすと、たちまち爽やかな柑橘系の香りが辺りを漂った。


「ほら、おじさんのあれ。お小水が臭うから、ちゃんと消臭しとかないとねー」


 先刻の失禁は既に乾いていたが未だまとわり付くアンモニア臭。そのことを失念していたカロは慌てて帽子を取り、無礼を詫びた。

 ゆるゆると坂を下り、やがて片側の木立が途絶えると、蒼々とした青海鏡が眼下に一望される。みぎわを覗けばゆったりとした弧を描く眩しい白浜。今朝方、三姉妹が上陸した折にはなかった漁師たちが、浜辺のあちこちで網を取り、小舟を押していた。

 一行が高台の街、艫乗とものりに着いたのは折も悪しからぬ昼下がり。小塔のアーチを潜ると、鐘楼の鐘が海風に巻かれながら街に響いた。


「お待たせしました」


 着くなり仕立て屋に飛び込んだカロは、小奇麗に装って店から出て来た。しかし、出来合いの服はどこかちぐはぐで、絶妙なアンバランスに姉妹は忍び笑い漏らした。


「それでは参りましょう」


 もう随分と気も落ち着いて股座の不快感からも解放されたカロは、肩で風を切りって街を歩いた。行き交う人々の視線が後方に集まる。姉妹いずれも人の域を凌駕した美を備えているとなれば、それも仕方のないことだった。

 中でも次女の波城は派手に人目を引いた。女性美というものを捏ね上げて形にしたような彼女の造形は、男ばかりか同性の眼も奪って離さない。それほどの輝きに彩られているのだ。カロにしてもその本性に恐怖が潜んでいると知りながら、美女を従えて歩く高揚を感ぜずにはいられなかった。


「こちらです」


 青い海の背景として如何にも相応しい白壁の建物。その前で歩みを止めたカロはグランドフロアの手前のテラスに空席を認め、三姉妹を通した。

 カロに目を止めた馴染みのウェイターが驚きながらも会釈をし、椅子を引いては人離れした美貌の三姉妹を座らせる。

 カロはウェイターに「とっておきのを」とだけ告げると、置かれた水差しを手にグラスに水を注いで回った。


「悪くないわね。青海鏡を見渡せる素晴らしい眺めだわ。カロ・バーチス」

「その言葉だけで報われた思いですレディ多比能。料理と酒は店の者に任せようと思いますが、苦手な物があればあらかじめ仰って下さい」

「気を回さなくて結構よ。久方振りの陸ですもの、何が供されようと頂くわ。それと、レディではなく様を付けるようになさい」

「承知しました多比能様。では、私めもカロと呼び捨てに願います」


 そんな会話を経て間もなく、シェフが腕によりをかけたのだろう、豪華なランチがテーブルに並び始めた。土地柄から海の幸を生かした料理が目白押し。品数を見たカロは奮発し過ぎたか、と思ったのも束の間。多比能と波城の目を疑うような健啖振りに舌を巻く羽目になった。

 多比能はどれもこれも美味しそうに赤い目を輝かせながら次々平らげた。どこで覚えたのかテーブルマナーは妹たちよりしっかりしていて隙がない。それなのにその速度たるや目を見張る域に突入している。

 一方、波城は食べては飲み、飲んでは食べを繰り返し、食事と言うよりまるで食べ物を胃の腑に流し込む作業のように感じられた。とても味わっているようには見えないのだが当の本人は「美味しい美味しい」と満面の笑みを振り撒いている。その様子から察するに一応は味わっているのだろう。

 さても目にしただけで気忙しくなる二人の陰で一人、楚々と食事をする快波は今やカロの心のオアシスだ。少年と少女が混在する独特の魅力を備えた彼女は、紺瑠璃マドンナブルールージュを引いた涼し気な口元へ、ゆっくりと料理を運んで味覚を愉しんでいた。


「お口に合いましたか?」


 不意に問われて、快波は口元から飛び出していたパスタをチュルンと吸い込んだ。


「うん、とても美味しい、です」


 はにかんで答える様子が実に慎ましく愛らしい。ところがそんな感慨を吹き飛ばす勢いで多比能と波城が頼まれもしない食レポを口にし始めた。


「これぞ陸の料理よ! 私はこれが食べたかったのよ。口の中で弾けるような刺激! 舌をくるみ込むような深み! なんて素晴らしいのかしら。陸を語らうとすれば料理以上の物なんて在りはしないでしょうねっ」

「マジでコレどれもメッチャウマなんですけど! 何をどうやったらこんなに美味しく作れちゃう訳? ふっしぎー。とにかく美味い! 激しく美味い! あ、じゃんじゃん持ってきて!」


 そうこうして、さんざっぱら追加した後にようやく満足しかに見えた二人。しかし止まらない。デザートのタルトに心を奪われ、ホールで三つずつ追加をかける始末。飲み明かしたボトルの数など考えるだに恐ろしい。ランチでこれならディナーは一体どうなってもまうか。カロは蒼白を通り越して半ば悟りを開きかけていた。


「ご満足頂けたようで何よりです。空腹の方は落ち着かれましたか?」

「ええ。空っぽで暴れそうだった胃袋がすっかり大人しくなったわ。お礼を言わなくてはね、カロ。素敵な昼餐をありがとう」

「滅相もない。それでこの後、皆様には何かご予定が?」


 すっかりへりくだったカロが続く会話の糸口を掴もうと当たり障りのない話題を仕掛ける。美味しいランチに気分上々の三姉妹は裏にある意図など探ろうともしない。


「そうね。しばらくは陸で過ごすつもりよ」

「そーそー。だから寝起きする場所をどうにかしなくちゃねー」

「僕は伊佐へ行きたかったけど、艫乗も気に入ったな。こうして海を眺めながらこんなに美味しいものが食べられるんなら、しばらくはここに居てもいいよ」


 誰からも得られる好感触。滑り出しは好調だ。


「でしたらどうでしょう? 当面こちらで過ごされるということであれば、一旦は私の家でくつろいで頂いて、その間に私の方でご希望に適う滞在先をお探ししますが」

「あら悪いわね、あんな出会いでそこまでして貰うなんて。けれどそうして貰えるなら助かるわ。しばらくは陸にいるつもりだし、貴方がそれでいいと言うならお世話になろうかしら。二人はどう?」

「おっけーでーす」

「問題ない」


 トントン拍子で繋ぎ止めることに成功した。

 カロの言う当面は長くても数週間という憶測。翻って多比能の言うしばらくは少なく見積もっても年単位という現実。互いの思惑にスケールの差異こそあったものの、会話の上ではピタリと噛み合った形だ。


「ところでカロ。貴方、大嶋調査局のなんとかだと言っていたけれど、具体的にはどういうものなのかしら?」


 話題が転じて飛び出た問に、カロはこれ幸いと喰い付いた。拠点を定めて放っつき歩かれるのを防いだ次は、より監視の目が行き届くよう行動を共にすることだ。更に言えば、今目の前で穏やかな三姉妹が神であることに賭けて、疫病の件に助力を得たいという下心も生じて来た。


「調査局とは言うなれば、大嶋とは如何なるものであるか、これを知ろうとする我々渡人の調査機関です。私の所属する支部はここ艫乗を起点に周辺一帯の調査を担当しています」

「調査ねぇ。それがどう間違ったら崖から死体を投げるだなんて話になるんだか。どうやらまともな人間の集まりではなさそうね。で、具体的には何を調査しているの? 崖で言ってたのは確か疫病だったわね? 他には?」

「それにつきましては本当に手広くやっていますので、追々お話しさせて頂ければと。調査と言っても我々はそれで生計を立てているのでビジネスということになります。ビジネスには色々と複雑な面もありますので」


 その言葉で多比能の頭上に燦然とエクスクラメーションマークが浮かび上がった。


「あら波城、びじねすって言ったわよ」

「言ったね。これは金策できる機会かもじゃん?」


 ビジネスは儲かる。そんな認識だけを携えて、そもビジネスがどういったものであるのかを理解していない二人。頭の中ではビジネス即ち調査、そこから転じて調査は儲かる。なんて認識がたった今成立した。


「面白そうじゃないの、びじねす。私たちの陸での生活を支えるものなら試してみる価値はありそうね」

「でも多比能姉さん。姉さんって昔、随分長いこと陸に入り浸ってたんだよね? その時は陸で何をしていたのさ」

「何よ快波、昔話? 話さなかったかしらね。当時は陸の人間と夫婦の真似事をしていたのよ」

「そう言えば子供も産んだって話だったんじゃん?」

「あら波城ったら、よく覚えていたわね」


 話があらぬ方向に脱線し始めた。人ならざる存在とは言え、どう見ても子供と思しき多比能が経産婦だという事実。カロは目を白黒させて聴き入った。


「子供を産んで芽生えた筈の母性は一体全体何処へ行っちゃったんだろうね」

「あのねぇ快波。母性なんてものは親と子が互いに子離れ親離れをした時点で露と消えて無くなるものなのよ」

「なら昔は多比能にもあったってことじゃん」

「そりゃそうよ。当時は二児の母だったのよ? 女の子なら海で育てるつもりだったけれど、残念ながら二人とも男の子だったのよねぇ」

「へぇー、名前は?」

「名前? あー……海彦だか波彦だか。潮丸? 違うわね。下の子は確か鳴海、的な……」

「うろ覚えなんだ……」

「大丈夫なのこのお母さん。ボケ始まってない?」

「うるっさいわね! どれだけ昔の話だと思ってるの。かれこれ二千年にはなるわよ。覚えてる方がどうかしてるわ」

「どうかしてるのは明らかに姉さんの記憶の方だけどね」


 取り留めもない会話がしばらく続きそうだと見て、カロは一言断りを入れると及び腰で席を離れた。何せ会話のスケールに頭が追い付かない。

 いずれにせよ、ここまでの算段は九分通り順調だ。三姉妹を家へ招き入れ、流行り病の一件に引き込む下地も出来上がった。後は乗せた軌道から外れないよう細心の注意を払えばいい。

 そうした思考の裏で、カロは興奮してもいた。仮に三姉妹が神であるすれば、直々の対話など自身初めて体験だ。それを思うと、純粋に神という存在に憧れを抱いていた少年の頃の心持ちが蘇って来るのだった。


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