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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
83/172

081 海神の姉妹たち

 黒々とした海が、怒りに任せて荒れ狂っていた。嵐の空は幾度となく鋭い雷鳴に引き裂かれ、混沌が渦を巻いたような雲間からは天界からの投錨を思わせる稲光が迸る。


「ぷはぁ!」


 暗黒の海から浮力に縋って飛び出すように現れたのは、髪も肌も月を映したように白い少女。波のうねりに揉まれながら、彼女はあえかな両腕を駆使して体を巡らせ、深紅の瞳で四方を探った。


波城なみき! 快波かなみ! 無事なの!?」


 叫ぶ声は虚しく折り重なる嵐の狂宴(パーフェクトストーム)に掻き消されてしまう。心情的には途方に暮れる場面だが、状況的には寸分の遅疑も看過し得ない。

 少女の揺蕩たゆたう海面が一際歪んで落ち窪んだかと思うと、一方に迫り上がる高波は夜の闇を吸い込み、崩れ来る切り岸と化して頭上を脅かした。

 一旦潜ってやり過ごそうと、反動を付けるべく半身を海上に躍らせた刹那。少女は自ら企図したタイミングとはあべこべに海面下に引きずり込まれた。

 無貌むぼうの海に打ち下ろす波頭が飛沫を上げ、広がる残滓の泡を掻き分けるようにして、白い少女と入れ替わりに姿を見せたのは黒髪の少女。


「姉さん! 波城なみき! 何処!?」


 その呼びかけに応じるてか、近く海面から突き出される白い手。それが幾度となく空を掴んでは藻掻いた。


「姉さん!」


 再び沈みかけた腕を間一髪のところで掴み取り、黒髪の少女は目一杯の力で引き上げる。


「げほっ、快波、ごほっ、快波手を貸してっ」

多比能たびの姉さん、もう大丈夫だよ」

「全然大丈夫じゃないわよ! 波城がしがみ付いてて浮かべないわっ」

「ええ!?」


 怒りを交えた姉の悲鳴。これに応じて快波かなみは素早く海中に潜った。見れば多比能たびのの下半身にガッチリと抱き着く今一人の姉、波城なみきの姿がある。

 快波はギュッと目を閉じた波城の顔をグワシッと掴んで、その額に目一杯の頭突きを見舞った。これに驚いた波城は多比能から手を放し、目を丸くしたまま海面へと浮かび上がる。


「いったぁ~い! 何すんのよぉ!」


 おでこを腫らして浮き上がった波城の頬を間髪入れず、今度は多比能がつねり上げた。


「こっちの台詞よ! 貴女私を殺す気なの!?」

「ふににににっ、痛いってばぁ! 溺れるかと思ったんだもん!」

「バカッ、溺れる訳ないでしょ! 私たちがなんだか忘れたとでも言う気!? しゃちよっ」

「……おう、そうだった。そうだったね」

「頼むよ波城姉さん」


 パニック状態だった波城は憑き物の落ちたような顔を見せると、チロッと舌を出してテヘペロこっつん。お道化た態度で姉と妹に詫びを入れた。 


「まったく。貴女がしがみ付いて来たせいで本気で溺れ死ぬところだったじゃないの! 万が一にもそんなことになって御覧なさい。姉妹揃って末代までの笑い草よ!」

「ごめんてば。てゆーかなんなの? 神域が崩れたってこと? あたし寝てたから全然分かんない」

「私だって寝てたわよ。いきなり揉みくちゃにされて一瞬目が覚めたけれど、直ぐさま気を失って、次に起きたら嵐の大海原じゃないの。正直夢かと思ったわ」

「僕は起きてたよ。寝付けなくて神域の中から深海を眺めてた。そしたら……」

「待って。事情を聴く前に潜りましょう。神余かなまりを広げて深層の海流に乗るわよ」

「了解」

「分かった」


 言うが早いか多比能はその白躰を黒く塗り替え、英姿颯爽たる鯱に姿を変えた。

 海のギャングと呼ばれながらも美しい白と黒のコントラストを描く巨大海洋生物。その背鰭せびれに妹二人が掴まれば、多比能は尾鰭で力強く海面を叩き、飛沫を残して鋭い潜行を開始した。

 折り重なる嵐の残響は次第に遠ざかって、深く、更に深く。沈むほどに穏やかな暗黒が鯱の滑らかな流線形を丸呑みにして行く。


――キュイーッ、グキキッ、キュイイーー


 甲高くエコーする歯ぎしりにも似た音塊を伴って、多比能は海に降る雪(マリンスノー)降り注ぐ海を力強く下って行った。やがて深層海流に辿り着くと、先刻までの猛り立つ海上とは真逆の静寂しじま。ゆったりと弛まぬ流れが三姉妹を包み込んだ。

 深層流に乗った多比能は巨躯を水平に据え置き、頭頂の噴気孔からシャボン玉のような球状気膜を生み出した。神余十畳かなまりじゅうじょう――手ずから簡易の神域を編み上げる御業だ。背鰭せびれに掴まる二人がすっぽりと収まったのを感じ取ると、自らも移姿うつしを解いて気泡の中に滑り込む。


「はー、やれやれだわ。混乱してなければ端っから移姿で立ち回れたってのに、散々よ」

「ほんとそれ。あたし本気で溺れると思ったし」

「自分が鯱だってことを忘れちゃうくらいだもんね」


 長女がぼやけば次女が追従し、三女は人心地着いた顔で先刻の慌て振りを口にした。と、それをまた長女が拾い上げる。


「当分その話で笑えそうね」

「うるさいなぁ!」

「溺れる者は姉をも掴む、だね」

「快波までしつこい! さっき頭突きのこと忘れてないからね?」

「あれは救難時の妥当な措置じゃないか」


 軽口混じりの雑談に笑みが戻ると、鯱神の姉妹は額を突き合わせて事態の把握に取りかかった。


「ガレー船って言うの? 渡人の船。それが真っ逆様に落ちてきて神域を破ったんだ。帆に大王烏賊の絵を描いた船だったな。きっとこの嵐で難破したんだろうね」

「快波ったら気付いていたんじゃないの。どうして起こさないの」

「違うよ。僕が気付いた時には遅かったんだよ。普段は上層を泳いでる魚たちが嵐を避けて神域の近くまで潜って来てたから、それを眺めていたんだ。神域は外部の音を遮断してるし、深海の視野なんて限られてる。僕は真上なんて気にも留めてなかったんだ」


 肩を竦める快波に不可抗力を受け入れる姉二人。互いに棲み処の惨状を思い起こして、先々のことに考えを巡らせ始めた。

 彼女たちは青海二宮、逆戟さかまた大岩神社に祀られる海神わだつみだ。

 鯱神は神社を中心とした根本神域とは別に、その外縁の海底に家族単位の神域を結んで暮らす習性を持っている。主祭の多比能も例に漏れず、妹たちと神余千畳かなまりせんじょうの御業を敷いて、普段は極プライベートな空間の中で過ごしていた。それが降って湧いた災難――沈没船の闖入ちんにゅうから崩壊し、就寝中に海中へと投げ出されてしまったのだ。

 快適な空間を埋め尽くしていた品々は日用品から珍品、逸品、芸術品に至るまで全て海の藻屑と化した。神宝を始めとする神威の財物こそ神社に安置してあるものの、愛着の籠った嗜好の品々は同調して身に帯びる類の物を除けば全滅だ。


「どーすんの? 全部海に持ってかれて。それはそれで構わないけどさ」


 波城が長い髪に指を通しながら長姉である多比能を見やった。言葉通り財物への未練は希薄だ。これが他者に奪われたとなれば話は別で、事は威信に関わってくる。が、今回の場合は自然災害の一環。三人それぞれにお気に入りの品を惜しむ気持ちこそあったが、人間じみた物への執着は存在しないかった。筈だが――、


「でも待ちなさい。沈没船が原因なら今度の事は人災よね? なら船主の所へ怒鳴り込んでやろうじゃないの。そもそも陸の生き物が海に出たがるなって話よ。違う?」

「散々船を沈めてきた僕たちが怒鳴り込んだりしたら、それこそ穏やかじゃない事態になると思うけどね」

「快波、それは違うわ。海は私たちの縄張りなのよ。陸の連中の言い分を借りれば不法侵入とか言うやつよ。沈めて何が悪いの? 向こうだって私たちのことを海魔サイレンだなんて化け物呼ばわりしているんだからお相子様というものよ」

「その理屈は通らないと思うけど……」


 と、末っ子の快波は少年にも似た容貌かんばせに苦笑いを浮かべた。その快波にしても、近年、鯱が船乗りを海難に誘う原因は、渡人が伝承として定着させてしまった海魔としてのさがにある承知している。だがそれは伝承の韻を踏んでしまえば避け得ないものという認識であって、多比能が口にしたような是非善悪、正邪曲直といった価値観や感情とは関りのないものだった。

 そんな中、上と下のやり取りを半ば聞き流して、長い髪を整えることばかりに腐心していた次女、波城が口を開く。


「なんでもいいけど、今は住む場所をどうするかなんじゃないの? どーする? 適当な場所に神域張って、また一から調度やら何やら集め直すってのは、あたしはもういいやって感じなんだけど」

「それはそうね。随分長いこと深海に引き籠っていたことだし、この際だから陸に上がってみる? 貴女たち碌に陸に上がったためしもないでしょう?」


 海神わだつみはその名の通り海に住まう神。取り分け船乗りから恐れられる鯱は、好き好んで人界に近寄る真似はしない。そこへ行くと鯨や海豚いるかの神々は、生来人に焦がれるへきがあって、鯱神である三姉妹からすれば些か鼻白むところがあった。

 寧ろ渡人の到来以降、望むと望まざるとに関わらず、定着してしまった海魔伝承の影響により、傍から見れば積極的に船乗りを海難に引き摺り込むのが鯱神だ。故に過去、渡人と良好な遭遇をしたためしはないし、嶋人に対しても数える程度の昔話が残るばかりだった。


「あ、すっかり忘れてたけど、難破した船に乗ってた連中は無事なんでしょうね?」

「心配ないんじゃない? いつも通り人魚組の方で対処してるでしょ」


 五〇〇年前の海戦の折ならいざ知らず、如何に船を沈める海魔サイレンと畏怖されようとも、悪戯に命を奪うことはしない。それが大嶋に生きる存在ものたちに通底する理念だ。

 鯱が船を沈める海魔ならば、犀魚ざんのうお海豚いるかは溺れる者を救う人魚マーメイド。遭難者は救命艇へと担ぎ込まれ、それも沈んだならば、直に浜まで運んで貰える、なんて具合になっていた。


「勝手に定着させた伝承で溺れたり助かったり。渡人って本当に馬鹿なんじゃないかしらって思うわ」

「多比能ってば本当に渡人が嫌いだよねー」

「あら波城、貴女は違うの?」

「私はまあ、好みはしないけど嫌って程でもないかな? だってほら、渡人が来たお蔭で装飾品とか色んな品物が一遍に出回るようになったじゃん」


 身を飾り立てることに興味の尽きない波城は柔軟な思考で渡人を容認している節があった。対する多比能は頭が固く、海に乗り出す渡人には一切の容赦がない。そんな二人の合間で卒なく立ち回るのが末の三女、快波だ。

 快波は雲行きが怪しくなる前にと話題を逸らしにかかった。


「陸に上がるなら僕は伊佐いさの街に行きたいな。昔、一度歩いた市場や店町たなまちにまた行ってみたい。特に店町の迷路のような雰囲気は好きなんだ」

「人間は数が多いから賑やかなのは確かだよね。男連中はどいつもこいつも助平臭くて辟易するけどー」

「あら、それこそ類友よ」

「は? 何が?」


 折角逸らした筈の話が元の木阿弥。またぞろ多比能と波城がやり合い始める。


「貴女のその卑猥な肢体からだが碌でもない男を引き寄せる原因だと言っているの」

「はぁ!? あたしのからだは芸術の域なんですけど!? 妖怪ないぺたつるりと一緒にされたらたまったもんじゃないっての」

「な、ないぺた? 貴女ねぇ! それが姉に対する言葉なの!?」

「やーいやーい、ないぺたつるり! やーい」

「ぶち殺すわよ! そのけったいな水風船、二つまとめて破裂させてやろうかしらっ」


 狭い神域の中でいがみ合う姉二人。快波は精一杯の距離を取って外に目を向けた。

 底流に運ばれる気泡の神域はもう随分と浅い海に寄せられて、嵐の夜を抜けた海面からはゆらゆらと蒼海の光幕オーロラが垂れ下がり始めていた。


「姉さんたち、いい加減にしなよ。ほら、もう遠浅の海まで流れ着いたよ」


 その言葉にようやく取っ組み合うのを止めて、二人は快波を挟んで気泡の縁に並んだ。


「暫く振りの陸暮らしになるかしらね」

「陸も悪くはないじゃん。渡人の出入りで品揃えは潤ってるし、伊佐なら大抵の物は手に入る。たまには陸でパーッと贅沢しちゃおうよ。ね?」

「それはいいけど、僕たちが無一文だってこと忘れてないかな?」


 後先顧みないあっけらかんとした波城に、生まれついて生真面目な快波がザクッと指摘。そこで多比能がのたまう。


「お金なんて必要ないわ。要るのは力よ。何事に於いても暴力が物を言うのよ」

「多比能、そこ実力の間違いね。それにお金なんて、手に入れる方法は幾らでもあるでしょ」

「へえ、どうするのさ?」

「あたしが聞いた話だと、びじねすっていうのをやればいいらしいよ」

「びじねす? 聞かないわね。どういうものなの?」

「さぁ? 渡人に聞けばわかるでしょ」


 やがて、気泡の天辺が海面に差し掛かると、三姉妹を包んでいた神域は爆ぜて泡となり海水に溶けた。

 陸に向けて先頭を行く多比能が背丈の都合から最後に海上に姿を現し、浅瀬を蹴って砂浜に足跡を刻む。


「御覧なさい。赤ら輝くこの砂の浜辺を! さぁ、これからは生活が一変するわよ。心の準備はいいかしら?」


 朝明けの浜に緋色の陽が射すと、白砂の渚は朱色の絨毯を敷き詰めたかのように照り返した。その美しい浜辺を三柱の海神が往けば、後から寄せる磯波に洗われて、神々の証跡は立ちどころに消え去ってしまうのだった。




 ***




 青海一宮と三宮を結ぶ総延長二〇〇(キロ)の海岸線は、所々に岩礁を覗かせながら、緩やかに弧を描く浜に白砂を敷き詰めていた。

 鯨を祀る伊佐近郊の浜は直ぐに深い海溝に落ち窪むが、他はおしなべて遠浅の海だ。弧形の浜を底辺として、沖合の岩礁、逆戟大岩さかまたおおいわに建つ二宮を頂点に見立てた三角海域を、大嶋では古くから青海鏡おおみかがみと呼んだ。三つの神域に囲まれた穏やかな海は、海神の住まう聖なる海でとされ、里浜の信仰を集めた。

 その青海鏡が珍しく大荒れに荒れた宵明けの朝。浜に上がった海神わだつみたちは波打ち際を南へ下り、切り立つ岩場に差し掛かっていた。

 入り組む岩礁の合間に寄せる波は昨夜の名残か、高く荒く飛沫を上げて姉妹神を水浸しにする。


「お腹が減ったわぁ。早いとこ何か口にしたいわね」


 空きっ腹を摩りながらこぼしたのは三姉妹の長姉、磐根咋多比能姫命いわねさくたびのひめのみこと

 海運に携わる渡人の海魔伝承に於いて、疫病神カラミティなる大洋の古怪に位置付けられ、音にまつわる御業を得意とした。

 一四〇糎にも満たない小柄な体躯は、雪白の肌と短く整えられた真珠色の髪を備え、険の強い吊り目の奥に深緋こきひの瞳を燃やしている。

 身に纏うのは姉妹揃って渡人の船乗りが着込むセーラー。多比能のそれは帽子、カラー、キュロット、全てを白で統一し、ほんのりと青い白藍しらあいのスカーフを胸に結んでいる。裾から覗く足に引っかけたサンダルも白だ。


「魚でも獲って来ようか?」

「それも悪くはないけれど。快波、私はできれば陸の料理が食べたいの。こと食に関しては人間は素晴らしい文化を持っているのよ」

「そうは言ってもあたしら文無しじゃん。なんなら体で稼いじゃう?」

「呆れた娘。それが神の口から出る台詞? 下品なことをお言いでないわよ」

「へいへいほー」


 白雪の如き姉とは対照的に、健康的な樺色の肌をこれでもかと露出させているのは次女、大海立波城姫命おおみたつなみきひめのみこと

 海魔伝承では艶魔エンプーサと呼ばれ、誘惑溢れる香りの御業を操り、魅惑のまじこで船乗りを海に引き摺り込むとされている。

 名前負けしない大柄な体躯にブロンズ像を思わすくっきりとした目鼻立ち。瞳は輝く黄金色おうごんしょく。厚ぼったい唇はラメを溶かしたように金茶に照り、潮風に靡く長い白緑びゃくろく髪には翡翠ひすい若緑わかみどりのメッシュが入っている。

 自慢の髪は大きく乱れるのを防ぐ為か、細い銀鎖を絡めてゆったりと全体をまとめている。極細の金の額冠。真珠の耳飾り。銀の首飾りに指環、腕環、足環と身を飾ることに関して余念がない。

 あでやかで大胆な一七〇を超す長躯はしなやかに膨ら締まり、突き出た胸は象牙色の、張りのよい臀部は蜂蜜色の布地に覆われていた。上下いずれも布面積は申し訳程度。取って付けたような肩口のセーラーカラーも小振りで、胸元を飾るのは目の醒める様な常盤ときわ色のリボンタイ。ガーターベルトに吊られた白のタイツは、膝から下を桑染くわぞめのロングブーツにすっぽりと呑み込まれていた。


「さぁさぁ、意見を言って頂戴。手始めに何から始めるべきかしら?」

「優先するの金銭、食事、それから住む場所ってことでいいのかな?」

「ええ、その通りよ快波」

「あたしの御業で渡人どもを眠らせて、手っ取り早く巻き上げるってのは?」

「悪くない考えだわ波城」

「でしょ?」

「悪いよ……」


 二人の姉の軽々なやり取りに溜息を吐き、快波は眉間に指を押し当てた。

 この気苦労絶えない三女は島曲立快波姫命しまわたつかなみひめのみこと青海鏡おうみかがみに浮かぶ数々の青島おうしまを守る司神つかさがみであり、色を操る御業に秀でている。

 黒のインナーに首から下の素肌を隠し、黒革の手袋とブーツを帯びたその出で立ちは、何かと主張の強い姉たちに比べて控え目な快波の性格をよく表していた。

 セーラーカラーと短いカスートも黒で纏められ、胴回りを覆う地色の乳白色に影を落とすのは、細く締まった濃藍こいあいのパータイ。

 毛足の長い乱し髪(ウルフカット)は濡れれば鉄紺てつこんの闇に沈み、陽に晒せば薄っすらと青褐あおかちの色味を帯びて、まるで昼夜の海を見るようだ。


おかでの足場固めも済んでないのに、とうしてそう騒ぎになりそうなことを言うのかな」

「快波は慎重だよねー。渡人なんてどうせ有象無象の連中じゃん。別に取って食おうって訳じゃないんだから、どうとでもなるでしょ?」

「それはどうだろう。個々に見ればそうかも。けど、人間の強みは徒党を組んでこそ発揮されるものだからね」

「ふむ、一理あるわね。避けられる面倒事は避けて通るべきだわ」


 多比能の示した理解に快波は切れ長の瞼をスッと細めた。珊瑚の海にも似た花緑青はなろくしょうの瞳に些か期待の色を添えて続く提案を口にする。


「とにかく、このまま南へ向かって伊佐へ行こうよ。街の様子を見もしないで、ここであれこれ言ってても仕方ないじゃないか」


 そうね、と多比能が受け容れたタイミングで、ザッパーン! 何かが投げ込まれた音に、姉妹は顔を見合わせた。


「今のは何かしら?」

「さぁ、あたしが見てこよっか?」


 先に立った波城も後に続く二人も、互いに一つの予感があった。

 ゴツゴツした岩場を洗う波にも負もせず、大柄な波城を先頭に荒磯を進む。やがて彼女らが目にしたものは、大方の予想を裏切らないもの――。


「結構な高さから投げ込まれたのね」


 頭上に迫り出す崖の突端。目測の高低差は四、五〇米はありそうか。見上げた目線を再び落として懸案事項を見やと、白い布でぐるぐるに巻きにされた物体。弔いの体を成した人の亡骸だ。

 先刻の落水音は船上の死者を弔う時の音にも似ていた。今回は崖から海へ。調べるまでもなく既に事切れている。


「ねぇねぇ。陸でも水葬ってするんだったっけ?」

「聞かないわね。大抵は埋める。病で死んだなら焼く。あとは野晒しにして獣や鳥に任せる。そんな感じだったと思うけれど」

「なんだろうね。水葬ならもっと穏やかな海に流すと思うけど。これは単にむくろを海に投げ捨てたって感じだ」

「大体が作法がなっていないわよ。海に流すなら身ぐるみを剥ぐべきでしょう。そうすれば蟹やら何やらが奇麗さっぱり掃除してくれるじゃないの。余計な物はゴミにしかならない。海を汚すな!」

「マジでそれ。これはまだマシな方だよねー。凝った場合だと小舟に乗せて花一杯詰め込んで、他にも色々入れて流すじゃん。あたしらの海をゴミ捨て場とでも思ってるんじゃないの? 本気でやめて欲しい」


 それは海を我が家とする海神ならではの放言だったが、一人、末っ子の快波だけが「ズレてるなぁ」と遠い目をして水平線を眺めていた。そこへ――。


 ゴンッ! バシャーン!


 鈍い音に続いて二体目の死体が海面を打った。


「おおおお……」


 頭を抱え、海面下に蹲る多比能。


「びっくりしたぁ」

「凄い音がしたけど、姉さん大丈夫?」

「大丈夫な訳ないでしょ! 今のは何!?」

「死体のお代わりが落ちてきた。それがモロに多比能の頭を直撃したって感じ?」

「どういうことなの!? 何処のどいつよ!? ちょっと文句言って来るわっ」


 頭蓋を急襲した即死級の衝撃を余所に、怒り心頭に発した多比能は鼻息荒くして巌上を睨んだ。


「死体の方はどうするのさ?」

「投げ捨てた連中に突き返してやるわよっ、貴女たちも付いてらっしゃい」


 言い放って合掌。糊付けを剥がすように開いた両手の狭間から、多比能はまばゆく光る振鈴ハンドベルを取り出した。一振りすれば涼やかに響き渡る音速に乗って、三姉妹と二つの遺体は崖の突端へと瞬時に飛び上がる。




 ***




 カロ・バーチスは四十路にありがちな突き出た腹を揺らしながら、髭を蓄えた口元に水筒の水を含んだ。


「終わったか?」


 確認に応じたのは五人の仲間たち。彼らは今し方、二つ遺体を海に流したところだ。始末を終えて帰り支度も完了。その様子に満足したカロは「引き上げるぞ」と踵を返した。


「逃がしゃしないわよっ、噴式回天熨斗付爆躰撃ふんしきかいてんのしつけばくたいげきぃぃぃぃ!!!」  


 噴式回天熨斗付爆躰撃――。それは鯱に移姿うつすと同時に潮吹きの反動で宙を舞い、回転を加えながら目標に打ち下ろす圧倒的なフライングボディプレス――相手は平たくなる。

 裂帛の怒声に驚いて亀首を竦めたカロは、宙を舞うオルカが五人の仲間を一網打尽に下敷きにするのを目の当たりにした。シンプルかつ圧倒的な荒技によって肺腑の中身全てと反吐を吐き出す仲間たち。彼らが口をパクパクとさせて痙攣する様は、脅威を通り越してシュールですらあった。

 更には、勢いカロの顔面にまで潮が飛び散り、袖で擦って眼を開けた時には、オルカからポンッと反化した少女が目の前に。腰の抜けたカロは背後の松に背を擦りながらへたり込んだ。


「ふう。まったく、やれやれだわね」


 白亜のセーラー姿で手を打ち払い、溜息交じりに多比能はぼやいた。返り反吐の一つも浴びず身綺麗なままだ。その足下で震え上がる四十絡みの男を睥睨へいげいする。


「答えなさい。貴方たちが死体を海に捨てたのは明々白々よ。何故そんな真似をしたの?」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 亀首に寸胴を接いだ冴えない風貌の男、カロは、既に失禁するほど意気阻喪して、半ば無意識に寸暇を乞うた。が、そんな反応を求めた訳でもない多比能は鼻を鳴らして冷ややかに見下す。


「人の頭に死体を叩きつけておいて、ちょっと待てとは見上げた根性ね」

「ひいっ、い、命だけは! 頼むっ、幼い娘がいるんだ」

「あらそう。要求ばかり口にして質問に答える気はないのかしら? そんな態度だと大事な娘がいなくなるわよ?」


 悪逆非道な脅し文句にカロは益々震え上がった。そこへ遅蒔きに波城と快波が寄って来て――。


「うわ、ひっど。問答無用で五人も伸しちゃった訳?」

「当然よ。こんな連中、一人残せば十分でしょう」


 涼しい顔で言う多比能の肩に快波の手がかかる。


「何やってるのさ姉さん!?」

「何ってご覧の通りよ。頭に来たからブチかましてやったわ」


 二の句を継げない快波に代わって波城がすかさず混ぜっ返す。


「確かに頭に落ちて来たもんね。あれは笑ったわ」


 波城の無用な軽口を流して、快波はガクガクと多比能を揺さぶった。


「姉さんはなんでそうなのさ!? どうしていっつも……! 今さっき下で、騒ぎになるような真似はよそうねって話をしたじゃないか。面倒事は遠慮したいって、その口で言ったよね!?」

「それとこれとは別問題よ」

「全然別じゃないよっ、やめてよ! そうやって直ぐカッとなって後先考えずに事を起こして。いつになったら直るの!?」

「それは無理な話ね。何故ってこれが私だもの」


 いくら捲し立てても暖簾に腕押し。多比能は何故責められているのか分からないと言った風に、きょとんとした目で快波を見つめ返した。

 これだよ、と脱力した快波は漂う反吐の臭いに胸焼けを感じて、おもむろにえづいた。

 短気、短絡、暴力上等をコンボで繋げる多比能に対して、快波は荒事に向かない性格だ。何より海上であれば瞬く間に波に呑まれて消えてしまう惨状が、陸となると眼前に留まり続ける。そのことに大きな衝撃を受けていた。


「ちょっと快波、貴女大丈夫? 向こうで潮風にでも当たってらっしゃいな」

「うん……。そうする」


 とぼとぼと突端に戻る末妹を見送りつつ、多比能はやれやれと肩を竦めた。


「困った娘ねぇ」

「いや、どっちが? ついでに言えばあたしも胸がムカムカする。酷い臭いだよ、これ」

「情けないこと言ってないで、この男をまともに話せるようにして頂戴」

「はいはい、分かったってば」


 せっ突かれた波城は髪に絡まる銀鎖をするりと解いた。一度掌中に収めたそれをジャランと音立てて垂れらせば、銀鎖の先には精緻な細工の香炉が揺れる。


「さてっと、おじさん。この香りを深く吸い込んでー」


 振り香炉(サリブル)を繰り返し揺らしながら、波城は周囲に香気を漂わせた。カロは言われるがままに、引き攣る肺を必死に抑えて深呼吸を繰り返す。すると徐々に顔面にこびり付いていた恐怖が和らぎ始めた。その様子を見て多比能が前へ出る。


「立ちなさい」

「は、はい」

「名前は?」

「カロ・バーチスです」

「失礼ね。答える時は私の目を見なさい。そして今度こそきちんと聞かせて貰うわよ。カロとやら、お前は何故死体を海に捨てたの?」

「そ、それは、里で流行り病があったんです。その始末を付けただけで、決して悪気があった訳ではなく……」

「流行り病? 里で? 貴方渡人じゃないの。嶋人の里で起きたことに何故首を突っ込んでいるのかしら?」

「俺たちは艫乗とものりの調査局員なんです。ここしばらく、青海の西部の一帯で病が流行っていて、調査に出向いた里で死人が出た。出ました。何しろまだ原因も掴めていない病だから、埋葬せずに海に流そうって話になったんです。それで人の寄り付かない荒磯に……」


 多比能の頭上にクエスチョンマークが浮かび、目を向けた先で波城も小首を傾げた。

 陸の事情に疎い海神は調査局の存在こそ知っていたが、細かい事情など分かりはしない。理解できたことと言えば、陸に埋めるのを否とし海に流すのを良しとする、海神にしてみれば道理の通らぬ言い分だけだった。


「バカ言わないで頂戴。海に流すなら問題ないですって? 波城、言っておやんなさい」

「はいはい。おじさんさぁ、海はゴミ捨て場じゃないんだよ? 海にはあたしらは勿論、波に抱かれて生きる命がごしゃまんと暮らしてる訳じゃん。他所様の生活の場に遺体を捨てるってどうなの? なんならおじさんの住まいに海の骸を投げ込んであげよっか? どんな気分になると思う?」


 責め立てる波城の言葉に「その通り、その通り」と逐一相槌を打ちながら、多比能は深緋こきひの瞳に一層目力を込めた。御業の香気に平静を取り戻しつつあったカロだが、オルカに変身する得体の知れない少女の眼光を受ければ喉が詰まり、返答は喘ぐように掠れてしまう。


「申し訳なかった。どうか、どうか許して下さい」

「貴方が捨てた死体を拾って来たわ。海を汚さない方法で始末をつけて頂戴。今回は特別にそれで不問にしてあげる。いいわね? 二度とするんじゃあないわよ?」

「は、はいっ」


 それじゃあ御破算で、と多比能は一人遠ざかっていた快波に声をかけた。風に当たって多少は気分を落ち着かせた快波が、伸びた五人と反吐溜まりから目を逸らすようにして戻ってくる。異臭の方は香りを操る波城の御業で消臭済みだ。


「話は済んだの?」

「一定の理解は得られたでしょうね。死体は改めて彼らの方で片付けて貰うわ。私たちは先を急ぐわよ。早いとこお腹を満たして落ち着かないことには、まともな考えの一つも浮かんで来やしないわ」


 空腹がこの事態を招いたのかと、快波は苦りきった表情を浮かべつつ、この場を離れる提案にはホッと胸を撫で下ろすのだった。


 台風一過――。


 一人取り残されたカロは一先ず伸びた五人を叩き起こし、なんの因果か海から戻った遺体を松原の蔭に置いてあった荷馬車に戻させた。そうして額の汗を拭い、今し方の出来事が一体全体なんであったのかを考える。

 カロ・バーチスは調査局艫乗(とものり)支部の古株だ。カロは先代局長の息子であり、調査局をまとめる数名の幹部の一人として上席を拝領していた。これと言って突出した才がある訳ではなかったが、その分、親の教えと経験とを元手にコツコツと信用を積み重ねて来たのだ。

 今回も里の嶋人の信頼を得て遺体の始末を任せて貰った。それがどうした訳かケチが付いてとんだ災難に見舞われた。

 カロは必死に考えた。戻って来た遺体の始末もさることながら、一陣の嵐が吹き荒れて五人もの部下を一度に伸された現実。調査局の一員としてこの事態を放置はできない。罷り間違ってあの三人組が方々で暴れでもしたら、それこそ収拾が付かなくなる。


「神か、物の怪か……」


 呟くカロに大した選択肢は残されていなかった。仮にこの事態を調査局に報告しても、半信半疑に取られて迅速な対応は望むべくもないだろう。であれば状況を最も認識している自身が相応のアクションを起こすべきだ。


「こうなればイチかバチか、だな」


 ベルトを締め直したカロは部下に遺体を任せて海魔の後を追うことにした。どう転がろうと、先ずは目の届く範囲に彼女たちを留めておく必要がある。それが最優先事項だと、突き出す腹を大いに括った。

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