080 屋台で商売!
「調理は簡単! 焼くだけ、茹でるだけ! まずは火を入れて鉄板を暖めよう。マウロ、お醤油ってある?」
「はい。タレに混ぜてるのがあります。これ」
下段の棚にあった小壺の蓋を開けるとプンと香るたまり醤油の濃い芳醇。
「いいね。鉄板に引く油は?」
「僕が引きます」
小箱に入った豚脂の塊り。それに二又の大きな肉叉を突き立てて、マウロは鉄板を磨き上げるように塗り込めて行った。
烏賊焼きに豚脂が合うのかは分からなかったけど、この際贅沢は言ってられない。豚脂は油切れがいいから、こってりした牛脂と違って、変に烏賊の風味を損ないはしないだろう。
鉄板が十分に温まり、豚脂の薄膜が均等に伸びたところで、醤油壺に小柄杓を挿してひと掬い。私はそれを広げるようにサッと鉄板に撒いた。
ジュッ、ホワァァァァ――。
「うわぁいい匂い!」
「こいつは腹が減るなー」
阿呼と放谷の素直なリアクションににんまり。その為のひと掬いだ。香ばしく溢れ漂う醤油の香りでお客の注意を惹き付ける。フード販売の基本とも言える一手。
「私は何すれば?」
「じゃあエレンは真水を用意してくれる? 蛸は茹でるし、烏賊は焼く前に洗わないとだから」
「おっけ、任せて」
「放谷もエレンに付いてってあげて」
「分かったー」
二人を送り出したら火加減はマウロに任せて私は阿呼と木箱に向かう。取りかかるのは烏賊の下拵えだ。クルッと屋台に背を向けた拍子にドンッ。しゃがみ込んでいる小鉤ちゃんの肩に腰がぶつかった。見れば小鉤ちゃん、鉄板下の火にじーっと見入って微動だにしない。まじ不安。
「小鉤ちゃん」
「み」
返事こそすれ置物状態。
「ちょっと小鉤ちゃん。絶対に手とか出したら駄目だからね?」
「みっ」
だから「み」じゃないんだよ。どう見たってやりかねない。絵に描いたような火取蛾じゃないか。だからと言って構ってもいられない。
「ごめんマウロ、ちょっと小鉤ちゃんに目を光らせといて」
見張り役を頼んで阿呼と合流。
平箱には蛸三匹と烏賊三十杯。先ずは両手を合わせて糧となる命に感謝を捧げ、それから一杯の烏賊を掴んでレクチャー開始。
「最初はこう。胴を持って、反対の手で足を束ねて掴む。そしたらグッと力を入れて引っ張って、胴とゲソを別々にするの。いい? まだ生きてるから、一気にやってあげないと反って可哀そうだからね」
「うん」
「じゃあ半分こずつ、全部別々にするよ。それが済んだらちょっと固めの軟骨を全部摘まみ取っちゃう。取りにくかったら小刃を使って」
「分かった。始めよっ」
「おけ!」
手を動かせば口は塞がり、作業は淡々と、かつ速やかに進められた。
一杯二杯と数をこなす毎に手際も滑らかになり、様になってくる。たまに元気な烏賊が強烈に巻き付いて手首や甲に吸盤の痕を残したけど、私は釣った魚をその場で捌いた家族キャンプを思い出して、糧への感謝と懐かしさの混じる不思議な心持ちになった。
「水、持ってきたわよ!」
「これで足りるかー?」
「ありがとう。早かったね」
「マーケットの隅に共同の井戸があるから。もっと必要ならまた汲んで来る」
「助かる。烏賊を洗い終わったらまたお願い」
「おっけー」
二つのバケツにたっぷりの水が届いた。その半分ずつを鍋に入れて火にかける。残ったバケツの一方で烏賊を雑洗いして、もう一方で濯ぎをかけて洗い上げ。途中からその作業を阿呼に一任して、私は洗い上がった烏賊を鉄板脇の板台に並べた。
「マウロ、包丁貸して」
「こんなのでいいですか?」
差し出されたのは渡人が普段使いにするキッチンナイフ。胴に切れ目を入れるだけの用途には十分だ。
「おけ。切れ目を入れるのは私がやるから、マウロは串を用意して。ゲソに串を通して、そのまま醤油壺に突っ込んだらどんどん焼き始めちゃって」
「分かりました」
スッスッスッと切れ目を入れれば、隣で器用に串を打つマウロ。普段から腸詰に串を刺して焼いていると言うから、手慣れたものだ。お互いのテンポが妙に合えば、思わず鼻唄が流れて、なんだか楽しくなってきた。そんな私たちの狭間でひたすら火を見つめている小鉤ちゃん。手を止めてる暇はないのだけど、どうしようもなく気になる。
「お姉ちゃん、全部洗い終わった」
「おけ! じゃあエレンと放谷はまた水汲みお願い。阿呼は蛸さんを鍋に入れたら木箱を裏っ返して拭いといてっ」
「分かった」
作業は止めずに指示だけ飛ばす。それで各人テキパキ動いてくれる。いいねいいね。チームだね。
「マウロはいつから屋台やってるの?」
「一年前からです。エレンのお母さんがいなくなって、お父さんは漁師だから、海に出ると何日も戻って来なかったりして。それでエレンが屋台を始めたいって言い出して」
「お母さんがいなくなったって?」
「それは、その、他所に男の人ができたみたいで」
「あー……。お父さんが家を空けるから」
「そうなんです。それで、僕が屋台を作って、去年から二人で市場に出るようになったんです」
「えっ!? この屋台、マウロが作ったの?」
「はい。僕の両親は木工工芸品の職人で、小さい頃から木を使って色んなものを作ってましたから」
「へー、偉いね。それに凄いよ。こんな立派な屋台を作っちゃうなんて」
「え、さっきボロだって」
「空耳だよっ」
「はいっ」
有無を言わさず言い切れば、鉄板に並んだゲソがいい匂いを立て始めた。本来なら漬け汁に浸して煮汁を飛ばしながら焼き上げるのがいいんだけど、獲れたて新鮮の美味しさで十分カバーできる筈。
「お姉ちゃん、拭き終わった」
「おけ。お、丁度エレンと放谷も戻って来た。お鍋の方はどう?」
「蛸さん赤くなってきた」
「順調だね。じゃマウロ、切れ目は全部入れたから、焼きの方は任せるね」
「はい」
鉄板焼き一年の腕前があれば、腸詰が烏賊になっても卒なくこなしてくれるだろう。そう判断して次の作業にかかろうとした刹那――。
「みっ」
「小鉤ちゃんダメッ!」
とうとう火に手を伸ばした小鉤ちゃん。衿を掴んで引っぺがそうと、力を籠める為、咄嗟に片手を付いた。
「あっづぁ!! あっちちちち、あっつーい!」
板台ではなしに鉄板に付いた手がジュッ! 堪らず絶叫。それに驚いた小鉤ちゃんは飛び退って、そちらは何事もなく無事というね……。
「お姉ちゃん大丈夫!?」
「火傷! 火傷したっ。治して治して!」
「治気! 痛いの痛いの飛んでけー!」
火傷した手を包む阿呼の両手がポワッと若草色に輝いて、おまじないの言葉とともに掌の熱が引いて行く。ぷっくり腫れ上がった水膨れがスーッと引っ込んで、真っ赤だった掌が元の肌色に落ち着いた。ふいー、焦ったぁ。
「凄い。癒しの御業なんて初めて見た」
気が付くと手の止まったマウロが、これ以上ないほど目を丸くしている。と同時にガヤッと騒がしくなった屋台向こう。口々に「なんだどうした」「御業だ」「凄い」と物珍しそうに覗き込む渡人の人垣。一瞬「うっ」となりつつも、寄って来てくれたならこれをお客にしないという法はない。
私は阿呼が拭いてくれた木箱に駆け寄り、輪違から矢立を出して筆を執った。そして目一杯大きな文字で書き殴る。
烏賊焼き 二十縁
茹で蛸 十縁
それを表に回って人混み掻き分け、屋台の前に立てかけたら、さぁここからだ。
「烏賊焼き! 美味しいですよー。食べ慣れないかもしれないけど、試してみて損はなし! 蛸さんもそろそろ茹で上がりまーすっ」
時間的には朝市もたたみ頃。今を逃すまいとひたすら売り込む。見た目はともかく鉄板から漂う焦げた醤油の香りには皆々魅力を感じてくれている様子。
「お姉ちゃん、蛸さん茹で上がった!」
ナイスタイミング! 私は内に戻って腸詰めを転がす火挟みを取り、鍋の蛸を掴んで板台に乗せた。その異形に半歩後退る渡人たち。待て待て、ここまで来て逃がすものかよ。
クルンと巻き上がった足の一本をキッチンナイフで切り落し、それを串で突き刺して醤油壺にサッと漬ける。
「こう手で持って、先ずは足からパクつこうってんだから、蛸ほど頓智の利いた御馳走もないよ! 見てくれも丸めた頭に悟りが開けてござらっしゃる! これが一足たったの十縁! なんともお買い得だ。さぁさぁ買った買った!」
自分でも驚くほどに滑らかな舌でバナナの叩き売りでもするかのような誘い込み。獲れたて茹でたての蛸足に喰い付けば千切れてぷるん! 「美味い!」とアピールしながら残りをマウロの口元に寄せ、「食べて食べて」と小声で押せ押せ。ここで渡人による実食を見せれば効果は絶大だ。
マウロは眼鏡の奥の瞳をぐるぐる回しながら、ままよ、とパクリッ! さあ美味いと言うのです!
「……美味しい! 超美味しい!」
うん? 母国語は分からないけど、表情を見れば口ほどに物を言う雄弁さ。続きましては烏賊焼きだ。
「寄ってらっしゃい遠慮はなしだよ! 蛸さんばかりじゃございません。さっきからプンと香るいい匂いを届けているのがこの烏賊ちゃん! 烏賊ちゃんだって負けちゃいない。紅い襦袢にスッとなぞるように包丁を入れてね。ピッと筋目が通れば見てよこの真っ新な白い肌。色白で張りがあるでしょ? 目で見て眼福。食べて口福。これぞ海の幸にござい! え? なに? ぐねぐねしてて気味が悪い? ちっちっちっちっ、ご冗談! 男も女も見てくれじゃないでしょ? それは烏賊だって蛸だってみんなおんなじ! 文句なら食べてから言って頂戴。そこのお兄さん、買うね? 買ったね。はい毎度あり!」
さくら不在でこれだけ口上が言えれば我ながら大したもんだと、腰溜めに構えてお客の反応を待つ。すると「ひとつくれ!」「俺にも」「私にも」とあっと言う間に売れた売れた。茹蛸なんか二匹目三匹目の茹で上がりを待ち構えて買って行くんだから、こっちは売り手冥利の恵比須顔。
烏賊三十杯は胴とゲソに分けて売って千と二百縁。蛸三匹は二十四足に留まることなく、胴まで切り分けて売ったもんだから四百と八十縁。売上から仕入れ値を差っ引いて、儲けがしめて千と三百三十五縁! 得るも得たりの大儲けと相成りました。いやっほう! 大勝利ぃー!
***
屋台を畳んで朝市を離れた私たち。早速マウロの案内で家があるという北居住区へ移動。朝市広場から続く街路を縫って北東へと抜ける途中、昨晩寝泊まりした鎮守の杜が見えた。
道中、江都の説明に耳を傾けると、東門から中心街を抜けて南門に転宮街道が通っていて、これが街の目抜き通り。東門には朝夕賑わう門前市が立ち並ぶそう。
街一番の活気を見せる門前市から目抜き通りを進んで中心街は商業区。様々な店舗が並ぶ中には劇場なんかもあって、中央広場には調査局の本部も建っている。
南東の区画は実用から芸術まで様々な工房が立ち並び、西側には港や造船所。居住区は閑静な北側に収まる形だ。
「ご馳走様でした。美味しく頂きました!」
「蜜柑ジュースのお代わりをどうぞ」
「みっ」
冬の味覚を絞ったフレッシュな飲み物が注ぎ足され、何処に隠し持っていたのかマイストローで味わう小鉤ちゃん。しかもあっという間に吸い上げてズゾゾッ、ズゾゾッと音を立てる。およしなさい。神様でしょ貴女。なんだか放谷が一人増えた気分になってくる。
「お行儀!」
「み!?」
ほーら言わんこっちゃない。ここしばらく放谷相手に諦める場面も多かった阿呼からすかさず蜂の一刺しが飛んだ。
昨日からの空きっ腹を抱えた私たちは出された朝ご飯を奇麗に平らげ、それをエレンが「よくもまあ食べたわね」と言わんばかりに目を丸くしながら台所へ下げて行く。
料理はどれも美味しかった。パンにラビオリ。ソーセージにオムレツ。マカロニの入ったサラダ。全ての品をマウロとエレンが手際よく用意してくれて、手伝う隙もなかったくらいだ。
「聞いてもいい?」
「なんですか?」
洗い物を終えて戻った二人が席に着くのを待って、私は早速尋ねてみた。だってどうしたって気になる。遅めの朝ご飯とはいえ家人は不在。そこへ来てまるで若夫婦のように台所を切り盛りする二人の姿。
「この家には二人で住んでるの?」
問えば顔を見合わせて、赤くなるマウロと笑い出すエレン。
「ち、違いますよ」
「そんな訳ないって。私たちまだ十五だもん。マウロと私はただの幼馴染。もしかして若夫婦に見えた?」
「うん、見えなくもなかったかな。でもそうするとマウロのご両親は?」
「父さんたちは工房に寝泊まりしてるから、休みの日だけ返って来るんです」
「そうなんだ。確か末尾が零と一の日がお休みだよね」
「そうそう。で、私の家族は今はいない。父さんは海に出てるからしばらく帰ってこないし、母さんは去年、浮気相手の所に行っちゃった」
「あ、うん。そうなんだってね……」
のっけから地雷を踏み抜きましたかね? まずいなこれ。
阿呼も放谷も、そして恐らく小鉤ちゃんの様子からしても浮気の意味は理解できていない。
「でもそっかぁ。それで二人とも親離れのできたしっかり者なんだ。感心感心」
今日は水走の十九日。壁のカレンダーを見れば次の明日明後日が街の休日だ。二親との疎を互いの密で支え合っている二人なのだと思えば、微笑ましいというよりかは素直に羨ましい気がしたきた。だって、私は前世で恋仲と呼べるような相手とは終に出会えずじまいだったから。
「神様にお願いがあるんだけど。いい?」
「どうぞどうぞ」
隣で「失礼だぞ」と止めるマウロを軽くあしらって、エレンはエプロンのポケットから一枚の紙を取り出し、それを私の前に広げた。何も書かれていない白紙の紙だ。
「ん? これは?」
「ここに、大嶋の文字で私の名前を書いて欲しいの! あ、ついでにマウロのも」
ほほう。大嶋文字で当て字をして欲しいということか。そんなことならお安い御用。私は輪違から矢立を取り出して早速筆を手に執った。
「えっと、エレンのフルネームは……」
「キッポ! エレン・キッポ」
「了解。えれん、きっぽ……。えれん、きっぽ、ね」
考えるまでもない。エレンの文字は直ぐさま頭に浮かび上がった。それは私の前世での名前。恵まれた恋と描いてエレンと読む。姉の愛理と対になる名前だ。豪快な名前負けのまま世を去ったという残念な落ちが付くものの、エレンにはその名を受け継いで、見事恋の花を咲かせて欲しい。そんな願いを込めて筆を走らせた。
恵恋、吉報――。
恵まれた恋に吉なる報せ。なんとも福々しい名前に仕上がったではないか。
渡人の使うアルファベットとは異なり、大嶋の文字には一つ一つに深い意味がある。意味があればそ名付けには想いが籠もる。――まあ、首刈の意味って首ちょんぱ以外にあるのかなって悩みもするけどね。
書き上げて意味を伝えるとエレンはガッツポーズを決めて喜んだ。私はそれを見て、もうちょっと女の子らしさに磨きをかけた方がいいかもしれないな、と思いましたね。
さて、お次はマウロ。フルネームはマウロ・カッソーラ。マウは舞うの文字がパッと閃いたけど、ロってなんだ。ろ、露、路、ろしあんるーれっと? いやいや。
「あっ、そうか。鷺だ! ほら、これで舞鷺!」
「なんかかっこいいですね」
「でしょ?」
「私の名前より画数が多い」
「画数は別にいいじゃん」
身を乗り出して興味を示すマウロと、その横で意味不明な対抗意識を燃やすエレン。本当に好一対な二人だな。
「で、カッソーラは……こう。画数少なめだよ。ほら」
舞鷺、滑空――。
滑空して円を描きながら舞い降りて来るイメージ。白鷺が大きな翼に風を孕んで舞う様子。いや、マウロは赤毛だから白鷺よりかは朱鷺になるのか。いずれにせよ「少年よ大志を抱け」的なイメージがあって我ながらいい名付けだなと思った。本人も嬉しそうにしてるし。
と、紙を手にしたマウロが折り目を入れる。
「ちょっと、何すんのよ!」
「えっ? 半分に切って自分の名前の方を貰おうかなって」
「バカッ、これはこのままでいいの! 寄越しなさいっ」
素早くマウロの手を叩いて、エレンは取り上げた紙を小箪笥の上に飾った電子レンジに放り込んだ。
「こうして神様から貰った箱の中に入れておけばいいの。勝手に取り出したら怒るからね?」
「……分かったよ」
ふーむ。並んだ名前をそのままにして取って置きたいという気持ちはやっぱり恋なのかな? これはイビデの大人の恋に続いて、エレンの思春期の恋も見守る必要がありそうだね。それこそ神の視点で。なんちゃって、うひひっ――。
「それで、神様たちはこれからどうするんですか? しばらく江都に?」
マウロの質問が私を下世話な妄想から引き戻した。ええ、下世話の自覚はあるんですよ。
それはそれとして、言われてみれば暗宮へ戻るという目先の予定以外、何一つ決まってはいない。当然だ。元々は護解に寄る予定もなく、船に乗って青海へ行くつもりだったのだから。
私は再び壁のカレンダーを見た。今日が十九日だから、夜刀ちゃんにお呼ばれしている春告神事まで、まだあと十二日間ある。今日はこれから街で手土産を用意して、暗宮へ挨拶に出向くけれど、明日からはどうしようか。
「阿呼、地図出してくれる?」
「うん」
繰り返し広げて味の出てきた鞣革の地図。そこに指を当てて街道を辿る。転宮街道を水走に向けて進めると、最初の街は宮端ヶ辻。近くに三宮の玉殿神社がある。更に行って次の街は蚕種。こちらは二宮の蚕種神社があって、名前から察するにお宮とその鳥居前町だろう。
「ここから蚕種の街までは歩いて何日くらい?」
「え、蚕種に街はありませんよ」
「ん? そうなの?」
「はい。嶋人の大きな里がありますけど、渡人の街はありません」
「そうなんだ。で、どれくらいなもん?」
「そうですね。徒歩で行くと宮端ヶ辻までが三日。蚕種までは更に三日かかります」
「なるほど。それぞれで一泊お邪魔したとしても八日間だから、まだ日が余る計算か」
日程にゆとりがあるならこの際だ。護解の一宮から三宮まで、順繰りに参詣して回るのもいいかもしれない。
「首刈様は水走へ行かれるんですか?」
マウロもエレンもどうしても様が付いてしまうらしい。私は全然気にしないんだけど、神様相手だとそんなものなのかも。特に渡人は距離を置いて敬う傾向が強いから、仕方ないっちゃ仕方ない。
「そう。私たち春告神事にお呼ばれしてるから」
「春告神事!」
エレンが席を立つ勢いで身を乗り出した。
「びっくりした。え、行きたいの? なんなら一緒に行く?」
「行きたい! ……でも、私たちそう何日も家を空けられないから」
確かにそうだ。エレンもマウロも親の留守を預かる身。それを思えば長旅に誘って連れ回すという訳にもいかない。
「お姉ちゃん。向こうに着いたら茅の輪を通って迎えに来てあげたら?」
「おお、それだっ、その手があった」
鎮守の杜に茅の輪はなかったけれど江都は暗宮の最寄り。転宮、暗宮間の送り迎えなら大した手間もかからない。阿呼の明察に俄然盛り上がって、デーブルを囲む笑顔の花々。そこへコンコン、と戸口を叩く音が割り込んだ。
席を立ったマウロが廊下に消えて、なんとはなしに獣の耳が追いかける。ガチャリと戸の開く音に続いて、大人の男性と思しき声が漏れ聞こえた。しばらく戸口で話し込み、やがてガチャリと戸が閉まる。戻る足音はマウロのものだけ。
「済みません。叔父が来てちょっと」
「モレノ叔父さん? あの人がちょっと何よ?」
声色から察するに、エレンはモレノ叔父さんとやらに余りいい印象を持っていないようだ。まさか、出てったお母さんの浮気相手だとか? いや、それはないか。もしそうならエレンの性格だ。あいつだとかモレノだとか呼び捨てているだろう。
「うん、朝市の一件で目立ったもんだから、家の周りに人だかりができてるって」
言いながら腰を掛けたマウロは、そのまま私の方を向いて言葉を続けた。
「一応、宮守衆だと思われてるようですけど、中には神様じゃないかと疑ってる人もいるみたいだって、そう言ってました」
「輪違広げたり、御業使ったりしたからね。そりゃあ感付く人もいるか」
「はい。それから、叔父が神様にこれをって」
「ん? 私たちに? それは挨拶もしなくて悪いことをしちゃったなぁ」
「叔父の工房で作ってる土産物なんですけど。ほら、同じものが向こうの棚の上にも」
差し出されたのは両手に収まる小さな正方形の楯。見てくれは写真立てで、額に嵌め込まれたタイルには暗宮の御神紋、蛾巴紋が描かれていた。ならば小鉤ちゃんに渡すのが筋かなと、差し出された手前橋渡しのつもりで受け取ったら違和感――。
「んん?」
「どうしたー?」
「いや、これ、小鉤ちゃんに渡そうと思ったけどちょっと待って」
「どうかしたの? お姉ちゃん」
「うん。とりあえず真ん中に置くね」
楯をテーブルの真ん中に額を置き、全員に素早く目混ぜする。どの顔もこちらの意図を掴み兼ねる様子だ。
「ちょっと適当に世間話とかしてて。楯はそのまま、絶対に触らないように。で、放谷はこっち」
「お? なんだなんだー」
「しーっ」
何事かと訝るみんなに場を任せ、私は席を外して少しテーブルから離れた。そこへ寄って来た放谷の肩を抱き込んで耳打ちする。
「索で家の周りを調べて」
「そりゃー構わないけどー」
「特に! 戸口の辺りとか、誰か潜んでないか確認して」
「誰かって誰さー?」
「さっきの叔父さんだよっ」
「おー、分かったー」
何かと言えば私が楯に触れた時、実に妙な違和感が走ったのだ。なんと言うか、指先が額に吸い付くような、引っ張り込まれるような感覚だ。それがなんであるか、咄嗟には分からなかった。けれど、小鉤ちゃんに手渡す寸前で私ははたとそれに気付いた。
今朝、朝市で、私は放谷と小鉤ちゃんになんて言ったっけ? そう。道具類がないと言って輪違を広げた際、私は見張り役の二人に、
――審神の小杖を使うような不心得者にだけは注意してね。
そう言ったのだ。
先ず間違いない。あの楯は十中八九が審神の小杖だ。私は額縁に触れたことで星霊の波長を写し取られた。手にした時の違和感はそれだ。だとしたら、額を持ってきたマウロの叔父さんとやらは機を見て回収する心積もりでいるだろう。そして、こちらの動向を探る為に今も近間で耳をそばだてているかもしれない。
「どう?」
「うん、戸口の傍に一人いるなー」
「やっぱり。どんな感じ?」
「片膝付いてるから多分、戸に耳でも当ててこっちの話を盗み聞きしてるんだろーなー」
そら見たことか!
さあ困ったぞ。審神の小杖も含め、渡人の件では水走で北風さんと西風さんが主体となって動いてくれている。一方、事件は現場で起きているんだよ。スタンドプレーがよくないのは分かってるけど、だからと言ってこの事態。捨て置く訳にも行かない。
「放谷」
「うん?」
「ちょっと今から一芝居打つから、放谷はそのまま監視を続けて。もし叔父さんが立ち去ったら合図してね」
「おー、分かったー」
いつも通りの分かってなさそうな笑顔。でも信頼してるよ、相棒。
私はそぞろな会話の続くテーブルに戻って席に着くと、大仰に手を打って小芝居の幕を開けた。
「そうだ! これから中心街へ行って、暗宮に行く前に手土産を買って行こう。マウロとエレンが案内してくれたら助かるなあ! それと、一度戻って来るから、叔父さんから貰った楯はここに置いてっていいよねっ」
スーパーウルトラ棒読みの大声。我ながら酷い。歌心とは打って変わって芝居心は欠片もないと来ている。聞かされた方も揃ってポカンと口を開け、受け答えもままならない。
「ね、阿呼。それでいいよね?」
「え? あ、う、うん」
「小鉤ちゃんもいいよね?」
「みみっ」
「二人も、案内お願いできるよね?」
「あ、はい」
「まあいいけど」
ゴリゴリにゴリ押して無理くり場をまとめ上げれば、放谷が親指立てて合図を送って来た。よしきた相棒。これで第一段階は成功だ。こちらの予定を把握した犯人は一旦引き上げ、出払った隙を狙って忍び込んで来るに違いない。
「じゃあ出かける前に神様会議を開くから、二人は隣の部屋にでもいてくれる? ちょっと見せられない儀式とかあるから」
などと口八丁で丸め込んでマウロとエレンを別室へ誘導。ありもしない話をでっち上げる私に阿呼の視線が刺さる刺さる。
「そんな怖い目で見ないでよ」
「嘘はよくないんだよ?」
「方便だから平気なの」
「ちゃんと説明して」
「お任せあれ」
阿呼のご機嫌を損ねないよう、私は手早く、かつ丁寧に状況を説明した。事情の呑み込めた阿呼はマウロの叔父が審神の小杖に絡む人物だったと知って驚きを隠せない様子だ。
「先ず安心材料を言っとくね。私の波長が写し取られた訳だけど、この楯を輪違に入れちゃえば絶対に取られたりはしないってこと。でしょ?」
「うん。それなら安心」
「でも、そうすると向こうでも審神の小杖は行方不明ってことになって、話はそれでお終い。だよね?」
「だなー」
「まあ、それで動きを見てみるっていう手もあるけど、もう一歩踏み込んで試してみたいことがある」
言って再び楯を手に取り、今度は嵌め込まれたタイルに触れてみた。額縁に触れた時のような違和感はない。
「思った通り。審神の小杖はこの額縁。嵌ってるタイルは触れても何も感じない。と言う訳で放谷」
「おん?」
「あの棚の上にある額を一つ取って」
「ほいきたー」
放谷は高い棚の上に並ぶ楯に向けて掌をかざし、糸を発射して一瞬で取り寄せた。それをテーブルの上に並べて見れば瓜二つ。違うのはタイルに刻まれた御神紋で、こちらは青海の子孫久慈良が描かれている。
私はそれに触れて、なんの変哲もないただの土産物であることを確認した。
「この二つのタイルを嵌め変えて、審神の小杖の方は輪違に仕舞う。もう一方はここに残してお出かけする。さあ、するとどうなる?」
「んー、難しいなー」
「いや、難しくないよ。阿呼は分かるよね?」
「うん」
「小鉤ちゃんも分かるよね?」
「分かりますみ。最初に犯人さんがやって来ますみ? それから、この本物のお土産品を偽物の審神の小杖とも知らずに持って行くのです。みっ」
正解! 何やら言い回しがややこしかったけど大丈夫。ちゃんと合ってる。
「さあそうなったら放谷の出番だ」
「あたい? なんでー?」
「なんでじゃないよ。放谷はここに残ってマウロの叔父さんを待ち構える。小蜘蛛の姿でね。で、額を持ち去る叔父さんの肩にでも頭にでも乗って、何処へ行くのか突き止める」
「ほー! そいつは考えたなー」
大した考えでもないだろうに。そんな風に本気で感心されると反って居心地が悪いくらいだ。でも放谷のそゆとこ嫌いじゃない。アホの子可愛いというやつだね。
「それでお姉ちゃん。その後はどうするの? 行き先を突き止めて捕まえに行く?」
「いや、そこまではしない。突き止めるだけ」
「そうなの?」
「うん。私たちは大嶋廻りが最優先。道中これこれこういう事がありましたっていう情報を持って水走に行けば、後は北風さんたちの方で対処して貰えるでしょ?」
「阿呼はちょっと気になるけど、確かに大嶋廻りが優先だもんね」
「そゆこと」
という訳で放谷のスニーキングミッションが晴れて決した。本人は分かっているんだかいないんだか、いつも通りの笑顔でニコニコしている。……大丈夫だよね? 信じるよ? 一抹の不安を呑み込んで、私は隣の部屋へマウロとエレンを呼びに行った。




