表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の四 護解編
81/172

079 始まりの街、江都

 みみみみみみみみ、みょんみょんみょんみょん。

 みみみみみみみみ、みょんみょんみょんみょん。


 うるさい。

 いや、声が大きいという訳ではない。ただ、この意味不明な発声を小鉤こはぜちゃんはずっと。私の隣でずーーーーーっと続けているのだ。いい加減頭が変になってくる。


「ね、なんなのそれ?」

「口癖です」

「そうなんだ」

「はい」


 言葉尻に音符が付きそうな受け答えがいちいち可愛らしい。なので強く「やめて」とも言い辛い。その内、放谷も一緒になってみみみみみ。よしなさいってば、もう。

 大声なら蝉だけれど、そんなニュアンスでもない。小声で絶え間なく続くそれは、例えて言うなら電波的な、何かを探知しようとするレーダーらしきものが感じ取られた。

 辺りを窺えば暗宮くらみやの杜を抜けたというのにもう暗い。時刻は午後六時半。そろそろ江都の街並みが見えてきてもいい頃だ。

 困ったことに当てにしていた無人宿はなし。これは暗宮と江都の距離を考えれば当然だとも言える。このままでは宿銭もないまま江都の街中で野宿なんてことに……。さすがにそれは回避したい。


「うん、どうしよう? 放谷が言った通り、獣に移姿うつして街隣りの野っ原かどこかで一晩明かす?」

「あたいは全然かまわないぞー」

「阿呼も平気よ」

「野宿するのですみ?」

「したくてする訳じゃないんだけど、先立つものがちょっとね」


 さて、ここで小鉤こはぜちゃんが同道することとなったくだりを語っておこう。

 先ず、小鉤ちゃんは暗宮巴衆くらみやともえしゅうと言って、暗宮衆とは別口の歴とした神様だ。神名は手火点小鉤姫命たびともすこはぜひめのみこと。暗宮の従神の中でも忍火媛おしほひめの側衆として控える一柱だと言う。

 小鉤ちゃんは忍火媛の命を受け、神域に立ち入った私たちを出迎えに来てくれた。それを察しの悪い私が脇へと抜けて行くものだから、驚愕、困惑、私の水干に留まって立ち往生。やがて私が弁明を始めたので、人に移姿うつして事情を尋ねてきた次第。

 小鉤ちゃんは無一文も手土産もお構いなしにどうぞと言ってくれた。けれど、私からしてみればそうも行かない。何しろ格好がつかない。そこで心苦しくも断ると、暗宮に立ち戻るまでの間、同道したいと申し出て来た。それなら一緒に行きましょうと快く受け入れて現在に至る。


「ところで小鉤ちゃん」

「はい」

「小鉤ちゃんは暗宮巴衆の七の翅って言ってたけど、それってどうゆう?」

「みっ。巴衆は一の翅から九の翅までいるのですみ。それぞれ三柱で巴を成して、その三つをまた巴に組むのです。みっ」


 曰く、巴衆とは暗宮の御神紋である蛾巴紋ひひるともえもんを象徴とした近侍衆とのこと。九柱の神々が三組のスリーマンセルに分かれて配されている。即ち、


 一の巴――柿葉巴かきばともえ二化螟にかめい夜盗よとう

 二の巴――山繭やままゆ大水青おおみずあお星切ほしきり

 三の巴――足袋たび大透翅おおすかしばしゃちほこ


 話しながら一生懸命に手振りを交える小鉤ちゃん。その手の半ば以上が袖に隠れていて、やけに幼く目に映る。

 真神にいた頃、お母さんから、大本が短命な虫などの神々は皆、若々しい姿を留めると聞かされたことがある。卵からおぎゃあと生まれてよちよち歩きの幼虫期を過ごし、蛹の殻を破って大人になったとかと思えば、あっという間に散る命。彼女たちにはゆっくりと老いを過ごす時間すらない。故に、神々もおしなべて若々しいままの姿に留まるのだと。だからきっと、小鉤ちゃんも見た目とは裏腹に年嵩の神様であるに違いなかった。


「お姉ちゃん! 街!」

「見てみろー、こいつはまたどでかい街だぞー」


 先を行く二人が足を止めて手招きする。そこへ小走りに駆け寄ると、坂下に広がるのは街の灯に浮かび上がった渡人の大都市。


「はー、おっどろいた。想像以上に大きな街だね」

「奇麗な灯。行かなきゃっ」

「あ、こらっ!」


 突然四枚羽を顕して飛び立とうとする小鉤ちゃん。私は慌てて抱き止めた。


「何やってんの!? 飛んでっちゃダメだよ。火に飛び込まれたら私が忍火さんに怒られるからね?」

「みっ」


 み、じゃないよ。てゆーか今この娘「行かなきゃ」って言ったよね? どんな使命感なの……。危ない危ない。あからさまにウズウズしちゃってる。ここはしっかりと手を繋いでおこう。

 それにしたって大きな街だ。坂道を下りながら、恐らくは街を囲う羅城に点々と灯る火を見て思わず唸る。水走の閑野生しずやなりも立派なものだと感心したけれど、こちらは軽くその三倍。いや、暗くて見えない部分もあるとすればそれ以上の規模に思えた。

 江都についてはジーノスたち渡人と親しくなってから幾度となく話に聞く機会があった。その名の由来は大嶋探索の大航海を企図した最初の国家、モナリスゴートから来ている。偶然にも藻成須もなりすと呼ばれる絆川ほだしがわの河口が傍にあって、川隣りの都ということで江の字を当て江都と名を定めたのだそう。

 渡人の入植が始まるまでは辺り一帯何もなかったと言われているけれど、今となってはそれこそ想像もつかない。夜の闇に聳える建物群。その所々に灯る火明かりが、中心部の建造物の高さを雄弁に物語っていた。


「どうする? 入る?」


 街の南門になる石造りの立派なアーチを前に横並びで四人。アーチから左右に続くのは、かつて羅城を形成する高い壁だったろう長い石垣。今は一米程の高さにまで崩されて、その上に鹿などの獣を防ぐ為の鉄柵が組まれている。

 入るべきか入らざるべきか、それが問題だ。などと深刻ぶるような話ではないにしても、仮に入ったとしたら襲い来るのは晩御飯の誘惑。そこを切りつめても宿賃には足りない所持金。街角で夜明かしなんて、最高神が絶対やっちゃいけないやつだよ。だったら最初から立ち入らないで、近間で野宿の方がいい。

 あらかじめ懐に忍ばせていた考えに心を決めて、それを口にしようとした途端に雨。


「降って来ちゃったね」

「けっこうな大粒だなー」


 阿呼と放谷が掌に雨粒を受け止める。その脇を抜けて、私は人の常で反射的にアーチの下に飛び込んだ。時期的にもまだ冷たい雨。これは遣らずの雨だなと、早々に私の中で野宿案が頓挫した。やがてみんなアーチの下に雨宿りをする形となり、


「小鉤ちゃんは江都には詳しい?」

「時折は来てますみ」

「じゃあ、どこかで一晩雨露を凌げる場所ってないかなぁ」

「それなら街の一角に鎮守の杜がありますみ。真神や八大の祠は造りが大きいですから、中に入って休めます。みっ」

「おおっ、そんな手が! よし行こう。やれ行こう。それ行こう!」


 善は急げと輪違わちがいから桐油紙の合羽を取り出し、頭からすっぽり被る。小脇に覆うようにして小鉤ちゃんの肩を抱き、躊躇いなく街中へ。阿呼は濡れて行こうとする放谷を捕まえて無理やり合羽を着込ませた。


「こっちですみ」


 雨足に人の遠ざかった通りを抜け、一路鎮守の杜へ。街の北西に位置する小高い丘に上がると、木々の開けた場所に輪繋状の祠群。正面奥に一際大きな真神と八大の祠が宵時雨に佇んでいた。


「ふー、やれやれ。今夜はここで寝泊まりだ」

「その前にお参りよ」


 阿呼のご指摘で祠に星霊を注ぎ、雨降りなので右手左手の祠群にはまとめてご挨拶。それが済むと放谷が先んじて扉を開き、続いて中へと転がり込んだ。

 中はがらんとして、奥正面の雲脚台に一枚の古びた銅鏡があるだけ。鏡の縁は三日月を模していて、真神の御神紋を表している。鏡に私なり阿呼なりの姿を写せば氷輪に狼といった具合だ。


「とにかく今日はもう寝よう。あれこれ話したり考えたりしてもお腹が減るだけだし、ササッと寝て、明日は一番で港に行くよ」

「魚を買うんだっけかー。あたいが獲って来るでんもいーぞー」

「それはありがたいけど相手は川じゃなくて海だよ? 波があるし、よしといた方がいいと思う」

「そかー」


 ならまあいいや、と放谷は筵一枚ない板張りにゴロン。真似して横になってみると寝心地は最悪。うちきを上掛けにと引っ張り出しても、さすがに寒さで身が竦む。


「これは無理だ。みんな、獣の姿になって固まろう」

「うん。みんなでくっつけば寒くないよね」

「あたいはこのまんまで毛皮に挟まれるのがいーなー」

「なら放谷はそれでいいよ。小鉤ちゃんはどうする?」

「小鉤は姿を変えればどこでも眠れますみ」

「おけ、じゃあ寝よう」


 蛾は壁や天井に留まってじっと休むんだから、心配はなさそうだ。

 狼姉妹の狭間に放谷を挟み込んで、じんわりと温め合う体はぬくぬくと心地いい。直ぐに睡魔が瞼を下げて、体を寄せ合う安心感の中、意識は夢路へといざなわれて行った。




 ***




 チチチチ、チュンと雀たちの声がして、獣の耳がピクリ。なんだかふわっと温かい。互いの身体の接する部分ばかりでなしに、辺りを包み込むような温かさ。


「んむ……?」


 目を開けると世界は白かった。小窓から射す外光を和らげる何かに、私も阿呼も放谷もすっぽりと覆われている。


「何これ? ふかふかしてる」


 綿菓子のような覆いを指で押すと優しく押し返される。その薄っすらと透けた白い膜の向こうから耳覚えのある声が届いた。


「お目覚めですみ? 今、まゆを解きますみ」


 繭! つまり、寝入った私たちを小鉤ちゃんが繭で包んでくれたのだ。睡眠中に上がった体温を逃がさず、身体の隅々まで血流が行き届いて、気が付けば本当に最高のお目覚め。

 御業の繭は上からゆっくりと解けて、橙の触覚を揺らす小鉤ちゃんの丸顔とご対面。


「おはようございます。みっ」

「おはよう。繭で包んでくれたんだ。ありがとう。すんごくよく眠れたっ」

「それはよかったのですみ」


 まるでパイ生地で蓋をしたスープのように温まった体は起き抜けからキビキビと動いた。阿呼も上機嫌の笑顔。大欠伸で伸びを打つ放谷もさぞ快眠だったに違いない。ここでスパッと朝食にありつければ言うことなしなのだけど、そうは問屋が卸さない。


「さあ、待ってても朝ご飯は出てこないよ! これから急いで港へ行って、水揚げしたばかりのお魚を買えるだけ買おう。それをお刺身にして売って、それからようやくご飯だからね!」

「はいっ、阿呼は頑張る!」

「みっ」

「おー、あたいはー……何をしたらいいか言ってくれー」


 祠を出ると昨夜の雨に洗われた浜床は輝いて、青々とした空気が肺胞の一つ一つに染み込んだ。天を仰いで大きく伸び。ふっと力を抜いて祠群を見回すと、ちらほらと人の姿が目に入る。


「まさか、真神の宮衆か?」

「暗宮の衆もいらっしゃる……」


 そんな声とともに物珍しげな視線が集まる。一瞬ドキッとしたけど、風体から察するに彼らは嶋人だ。神庭こうにわでも閑野生しずやなりでも、街暮らしの嶋人は見かけたから、江都いてもおかしくはない。それでも些か不味ったかな、とは思った。

 水走の旅では犬神衆と思われるのが常で、けれど、今し方真神の祠から出てきた耳付き尻尾付きをそうとは思って貰えまい。滅多にいない筈の大宮衆がいたとなれば、下手をすると街中に噂が広まって騒ぎになっちゃったり……?

 阿呼の視線が「どうするの?」と問いかけてくる。

 ええい、ままよっ――。


「おはようございます! 皆さんの一日が、どうかよい一日でありますようにっ」


 開き直って挨拶してみた。

 すると、畏まって深々としたお辞儀が返ってくる。今の内だ――。


「それでは皆さん。所用があって急ぎますので、これで失礼しますねっ」


 言うが早いか脱兎の如く駆け抜ける。夜歩いた道を飛ぶように抜けて行くのだが、間の悪いことに前方の坂を上って来る新たな参拝者を発見!


「旋回!!」


 後続に叫んで脇の藪間に舵を切る。そのまま木立を縫って杜の外れに跳び出した。


「うわっとっとっとぉ!」

「んなっ、急に止まんなー」


 ドンッ――。


「ちょ、まっ!?」

「お姉ちゃん!」

「みっ」


 開けた視界に映ったのは水光り草揺れる大湿原――藻成須もなりすだった。足下はちょっとした落差のある崖になっていて、急ブレーキをかけたものの、後続の放谷が派手に追突。真っ逆様に落ちて行く私、皇大神。

 うん……だからこのパターンやめようよ。身が持たないよ。


 ごろごろ、ばしゃん――。


 浅瀬の底のぬかるみに頭から突っ込んで、引っこ抜いたらもうどろっどろ。清水すがみずの御業を使えば一発なんだけど、耳に入った泥を掻き出すのに必死で他のことは一切手に着かない。


「大丈夫ですみ?」


 飛び慣れた小鉤ちゃんが一番に降りて来て、次に阿呼が清水で汚れを落としてくれた。


「悪かったよー。首刈が急に止まるからさー」


 反省の色を示す放谷を余所に、私は慌てて身なりを確認。


「よかった。色落ちしてない」


 阿呼の清水すがみず綾目あーちゃんが染めてくれた黄色が落ちてしまったのではないかと心配したものの、しっかりと馴染んだ染めは汚れと違って、練り込まない限り早々落ちないようだ。兜虫の想い出についてはこの際仕方がない。その分しっかりと心に留めておこう。


「大丈夫、放谷。今のは誰が悪いとかじゃないから。怪我もしてないし、ほら」

「おー、ならよかったー」


 私は心配してくれたみんなにお礼を言って、改めて眼前に広がる湿原を見渡した。


「この一帯全部が絆川ほだしがわの河口なの? どっからどう見ても湿原みたいなんだけど」

「藻成須は州浜なのですみ。川の水は大方が地下に潜ってしまうので、上には湿原が広がって、筋を描くように沢山の小川が流れているのです。みっ」


 曰く、藻成須は小石や砂利の堆積した扇状地で、そこでされた川の養分をこえとして水辺の植生が繁茂しているという。地質上の特性から海水が河口を遡る海嘯かいしょうも起きず、河口に割り込む汽水域も存在しない。故に淡水由来の植生相が海の間際まで広がっているのだそう。


「遥かな尾瀬、遠い空だねぇ……」


 春霞はるがすみの空の下、水ふんだんに広がる藻成須は尾瀬とはまったく違うけれど、風光明媚という点では一致していた。

 瀬音清らかに豊かな水。生い茂る若緑。春を待てない花たちがそこかしこに顔を覗かせて、甘い蜜の香りで蝶や蜂を誘っている。


「って、そんな場合じゃなかった! 港! 港へ行かなくっちゃ。どっち?」

「あっちですみ」


 地下に吸われて尚余す水が千の小川や小池となる藻成須。ばちゃばちゃと水音鳴らしながら駆け足で進んで行くと、濡れた足の痒みも忘れた頃になって、今度は目の前に広々とした海が開けた。


「港! どっち!?」

「こっちですみっ」


 普段ならその眺めに足を止めて感慨深く潮風を受け止めるところだけれど、そんなもん後にしなさいとばかりに今は先を急ぐ。袂に入れた懐中時計を引っ張り出して見れば波の刻、既に七時を回っている。


「みんな急いで! 港の朝は早いんだからっ」


 私のイメージでは未明から水揚げが始まって、競りや何やらあった後に売値の決まった魚が街へ出て行く。今駆け込んだとしても運がよくてギリッギリのギリといった辺りだろう。とにかく急がなくては――。


「着きましたみっ、ここですみ!」


 現れた石垣の隅に石段を見つけて駆け上ると、柱と屋根ばかりの建屋が並ぶ港は既に閑散としていた。停泊するどの船を見ても慌ただしい様子はなく、仕事を終えて引き上げる漁師たちの背中が潮が引くように街の方へと消えて行く。


「うわーっ、遅かった!」

「飛んで来ればよかったなー」

「そんな目立つ真似できるわけないでしょ。ああー、どうしよう」


 がっくりと肩を落とした拍子にお腹がぐぅと鳴る。弱り目に祟り目とはこのことだ。こうなったら放谷の言葉通り、狩りでお腹を満たす外はない。ただ、それだとお腹が膨れても財布は薄っぺらいまんまなんだよね。


 みみみみみみみみ、みょんみょんみょんみょん。

 みみみみみみみみ、みょんみょんみょんみょん。


 始まった。これ口で言ってるからね? ほんと面白いんだけど、さすがに今は笑う気になれない。


「ちょっと小鉤ちゃん、静かに――」

「あっちですみ」

「へ?」

「お魚を買うのです。みみっ」


 んもう! 可愛いな。なんだか知らないけど付いて行きましょう。

 ちょこまかと足の速い小鉤ちゃんを追って港の端から端までせっせか走る。すると、腰の曲がったお婆さんが平たい木箱を持って中身を海に放り捨てているではないか。


「ちょっと待ったぁぁぁぁ!!」


 全力で待ったをかけて走り込むと、お婆さんは目を丸くしながら二度三度と私たちを見て、


「まぁまぁ、お宮の衆の皆様方。何かわしとこに御用でもありましたか」


 頭に布巾をかけて仕事着らしいサッパリした慣れ衣を着込み、厚い前掛けを巻いたお婆さん。港を引き上げた漁師たちはどれも渡人のようだったけど、お婆さんは嶋人だ。


「こんにちはっ。つかぬ事を伺いますけど、後ろの箱はみんな海に捨てちゃうんですか?」

「まあ、食べきらんもんは海へ返してやらんと、可哀相だからね」

「売れないお魚ってこと?」

「お向かいさんらはゲソ物は得意でなし。数ばっか獲れてもそうは売れんから」

「お向かいさん?」


 はてなと問えば小鉤ちゃんが「渡人のことですみ」と教えてくれた。なんとまあ大らかなことだろう。海の向こうから来た渡人を指してお向かいさんと来たもんだ。


「それで、ゲソ物って言うのは?」


 重ねて問えばお婆さんは後ろに積まれた箱から、まだ中身の入っている一箱を見せてくれた。


「きゃっ、お姉ちゃん、何これ? うにゅうにゅってしてる。動いてる」

「おー、妙ちくりんな魚だなー」


 無論、箱に入っていたのは魚ではない。坊主頭に足八本。三角帽子に足十二本とくれば蛸さんと烏賊さんだ。なるほどね。これぞゲソ物、間違いなし。

 しかし困った。魚に代わってこれらを仕入れるのはいい。問題は、折角仕入れたネタが渡人受けしないという点だ。何しろ江都は渡人の街。そこで何かを売るとなれば客は当然渡人がメイン。渡人も蛸や烏賊を食べないということではないだろう。要は一般的な魚と比べて消費量が少ないということだ。果たして売り物になるだろうか。


「持って行きなさる? きちんと始末さえしてくれたらタダで構わんのだけど」

「タダ!?」


 ギラッと目を光らせればジトッと貼り付く阿呼の視線。分かってます。分かってますってば。私はいそいそと財布を取り出して、


「幾ら海に帰す品と言ってもタダという訳には行きません。ちゃんとお足は払います。手持ちが少ないので、これで頂ける分だけ下さいな」

「あらまあそうですか? なら一箱丸々持ってってやって下さいな」


 こうして商談はまとまり、予定とは違ったけど平箱一杯の蛸と烏賊をゲットした。さて、行く宛をどうするか。港自体が街の一角なので、区画を越せばもう街の中。お婆さんに尋ねると目と鼻の先が朝市の広場だというので、早速乗り込むことに。

 港を出て直ぐの広場に駆け付けると屋台がずらり。海の物、山の物がござんなれと並んでいる。活気は抜群。但し、どこを見回しても本当に渡人ばかり。白い肌に浅黒い肌。紅毛もいれば茶髪金髪と皆大柄。たまに見かける嶋人は埋もれてしまって小人のよう。ハイティーンな私もすっかり高垣の人波に埋もれてしまって、右に行こうにも左に行こうにも勝手が利かない。


「参ったね。お客さん候補が山のようにいるのはありがたいけど……。放谷、ちょっとこれ持ってて」


 木箱を突き出すと放谷は臆面もなく言い返してきた。


「えー、海水が垂れてびゃちゃびちゃするじゃんかー」

「あんたお伴だよね!?」

「あー、まー」

「まーってなんなの。いい加減にしなさいよね、まったく」


 確かに今更、主人、お伴と間仕切り立てる仲ではないけど、私が濡れるのはオーケーで自分はノーサンキューなんてのは行き過ぎ。そうたしなめて、箱を預けた私は開けた場所を求めて人混みを掻き分けた。


「ぷはっ! やっと広い場所に出た」

「阿呼、もう揉みくちゃ」


 芋洗いのような状態から抜け出せば身に纏う水干はシワシワ。髪も振り乱れて、何やら災難にでも遭ったかのよう。


「偉い偉い。よく頑張った。勝負はこれからだから頑張って」

「うん。それでお姉ちゃん、これからどうするの?」

「先ずは場所取りをしないとね。ほら、この辺は調理した食べ物を売ってるお店が並んでる。だからここら辺りでどっか場所を借りて商売しよう」

「必要な道具とかは?」

「あー、蛸は茹でて烏賊は焙るから、お鍋と金網と火鉢と。あと俎板や包丁もいるかな。それと客さんに手渡す時の小皿とか……。あ! お醤油も必要だ。お塩とかもいるなぁ。それにお箸。串とか楊枝もあるといいけど……」

「それを今から揃えるの?」

「ん?」

「だから、今から揃えないと阿呼たちなんにも持ってないのよ?」

「んんっ! …………ですかっ」


 Q.私はアホか?

 A.私はアホだ。間違いない。


輪違わちがいに何か入ってないのかー?」

「! ちょっと待って、覗いてみる」


 相棒の助言に縋って手首から輪違を外し、広場のド真ん中で覗き込む。もういっそ背丈ほどの大きさに拡げて、半ば中に入り込む勢いだ。


「お姉ちゃんっ、目立ってる目立ってる!」

「そんなこと気にしてる場合じゃないっ。阿呼も自分の輪違の中身確認してっ」


 どうせ渡人の距離感なら遠巻きに見ているだけだろう。そう高を括って、私は放谷と小鉤ちゃんに審神さにの小杖を使うような不心得者がいないかだけ注意するよう促した。

 どれどれ。あるのは三宮のレシピ帳。雑木の杖。追風おいてから貰った手槍。役目を終えた旅行李に革の背負い鞄。竹筒の水筒と金物の水筒。矢立と勉強帳。書字板に白墨。うちき。桐油紙の合羽。そして真っ赤な電子レンジ……。

 阿呼の方も似たようなもので、他に鞣し革の地図と地図入れ。火口箱と風防付きランタン。包帯に軟膏。背負子などなど。

 アウトだ。限りなくアウト寄りのアウト。要するにアウトでしかない。使えるのは火口箱と、裏っ返せば俎板にはなるかという書字板くらい。包丁を小刃で代用するというのは如何にも苦しい。


「凄い。色々入ってる」

「わー、面白いねー」


 両隣からそんな声がして、私は「うわぁ!?」と仰け反りながら左右を見た。右にいたのは眼鏡を掛けたそばかす顔の生真面目そうな男の子。左には肩口までの真っ直ぐな金髪を揺らす、ちょっと生意気そうな女の子。


「え? 何? 誰?」

「僕はマウロ。マウロ・カッソーラです。初めまして」

「私はエレン。エレン・キッポよ。よろしくねっ」

「はぁ、よ、よろしく?」


 まさか渡人がこうも接近して、しかも声をかけて来るとは思わなかった。

 マウロもエレンもまだ子供だ。とはいえ私の見た目と同じくらいの十五、六。驚いた半面、これまで同年代の人間と話す機会などついぞなかったので新鮮味を感じた。何より少女が名乗った名前。それが前世での私の名前と同じおんという偶然も相まって、俄然興味を引かれた。

 チラリと放谷たちを窺えば頷き返してくる。二人に不審な様子はないようだ。逆に周囲の方は阿呼のご指摘通り、悪目立ちが過ぎたようで人集りができていた。


「えっと、ごめん。私たちこれからここで商売するつもりだから、ちょっと二人と話している時間はないんだけど」

「商売? 何を売るんですか?」


 眼鏡の奥でホライゾンブルーの瞳を輝かせる少年マウロ。


「え、蛸と烏賊だけど」

「うわ、ゲテモノ!」


 カプリブルーの瞳を大仰に丸くする少女エレン。


「ゲテモノ違う! ゲソ物! 美味しいんだからっ」


 反射的に言い返しても興味津々笑顔のエレン。なんだか調子狂う。


「どこで売るんですか? 僕買います」

「ありがとうマウロ君。君がお客様第一号だよ。と、言いたいところなんだけど、実は売り場の目途が立ってなくて、その上必要な道具類もないし。ないない尽くしで困ってるの」

「それなら!」


 と、マウロ少年、腕をまくる勢いで立ち上がった。その横から手を伸ばした少女エレンが素早くマウロの口を塞ぎ、私の方を見てニマッと笑う。うん、嫌な予感。


「その赤い箱をくれたら私たちの屋台を貸してあげてもいいわよ」

「もがっ、僕の屋た――」

「うるさいマウロ」


 駄々洩れだよ。しかし示された提案こそ勿怪の幸い。渡りに舟と言う外ない。お代は金銭でなしに赤い箱――電子レンジ。目の付け所は中々にシャープだけど、あくまでも想い出の品のコピーだから持ってかれても困りはしない。電気がなければ使いようもないから、下手な騒ぎにもならない筈だ。


「おけ、交渉成立! で? で? 貴方たちの屋台ってどれ?」


 期せずして寄って来た助け舟に早速飛び乗り、案内に従って並ぶ屋台の一角へ。どうにか企画倒れにならずに済んだと胸を撫で下ろしつつ、これと示された屋台を見れば――。


「うわ、ぼろっ。小さっ」

「ちょっと! そんなこと言うなら貸さないわよ?」


 エレンの鋭い切り返しにお口を塞いでぶるぶるぶるんと首振るん。まあ屋台がおんぼろだからって売り物の価値が下がる訳じゃない。鉄板が敷かれているから烏賊を焼くにも都合がいい。


「あれ? でも、これ借りちゃったら二人はどうするの?」

「僕たちはもう店仕舞いしたから大丈夫。帰ろうと思ってたら宮守衆の皆さんが集まって何かやってたから、それで、興味があって声をかけたんです」

「宮守衆? とんでもない。あたしゃ神様だよ」


 沈黙、からの――。


「えっ!?」

「えっ!?」


 間を掴むのが上手いね。リアクション芸人になれるよ。


「ちなみに、妹の阿呼。お伴の放谷。暗宮の小鉤ちゃん。みーんな神様だよ」

「阿呼です。初めまして」

「あたい放谷。よろしくなー」

「小鉤です。みっ」


 再び沈黙、からの――。


「ええーっ!!?」

「まじで……。あ、これお返しします」


 殊勝な顔して電子レンジを差し戻す少女エレン。


「いいのいいの、お代なんだから。それと今の話は他には内緒ね。屋台を借りといて嘘を付いたんじゃ寝覚めが悪いから。あ、私は首刈。二人ともよろしくっ」


 棒立ちのご両人と無理くり握手を交わし、早速必要な道具の有るや無しやを確認。聞けば腸詰ソーセージを焼いていたという鉄板屋台。烏賊は鉄板焼きにするとして、下の棚に鍋があったので、蛸はバケツにくべた薪にでもかけて茹でればいい。当初のお刺身企画は流れたものの、どうにか商売にはなりそうだ。


「あの、首刈様」

「別に様とかいらないよ。もう友達だもん。もっと普通に話してよ」

「友達?」


 その問いに私は手を止めて振り返った。面喰った顔のマウロ。隣で所在なさげにレンジを抱えているエレン。


「そうだよ。友達は助け合うもの。二人とも助けてくれたでしょ? だから何かで困った時はマウロもエレンも遠慮なく私に言ってね」


 難しい顔はなしにして合縁奇縁で行こうじゃないか。そう笑いかけると二人とも眉を開いて、続けてマウロは声を弾ませた。


「じゃあ僕たちも手伝います! それで、終わったら家に寄ってって下さい。朝ご飯を用意しますから」

「朝ご飯!? 阿呼、朝ご飯だって。お呼ばれしてもいいよね?」


 何故か妹に伺いを立てる姉。仕方ないよ。いつの間にやらそうゆう図式になってるんだからさ。阿呼は「しょうがないなぁ」みたいな顔をして、それから二人にお礼を言った。見届けた私は手を打って、


「さあ、それじゃあみんなで取りかかろう」


 音頭を取れば動き出す仲間たち。先立つものも大事だけど、こんな風に笑顔で仲間と過ごす時間が一番大事だよね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ