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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の三 赤土編
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076 エピローグ

 天に日は高く、大空は快晴。

 月ヶ瀬の浜を離れた船は帆に大きく風を孕み、光り輝く海原へと漕ぎ出した。

 さて、何から話そうか。

 色々あった。

 色々とあり過ぎて、キャパに乏しい私の頭の中は未だにごちゃっとしたまんまだ。それを潮風に吹かれ、波に揺られながらゆっくりと思い返してみよう。




 ***




「すがるしゃまー!」


 大地の金継ぎを完成させて霊猫じゃこう神社に凱旋した私たちは、メチャメチャになった廻廊を抜けた先、拝殿前の舞台で円香まどか姫、綾目あやめ姫、笛模ちゃこも姫のお出迎えを受けた。三人とも案じていたのとは裏腹な明るい表情が宿っていて、私はもう、それだけで救われた思いがしたものだ。


「ただいまっ、みんな元気だった?」

「げんきー!」

「あーちゃんお熱ひいたよぉ」

「ちゃーこも、げんきっ」


 駆け寄る孫姫たちを膝を付いて迎え入れれば、ふと目に留まったのは三つの頭に頂く菜花の花冠。


「あっ、それ……」

「すっごくきれいなお花畑だったの!」

「あーちゃんの大好きな黄色で一杯だったぁ」

「お花の冠、とってもいい匂い」


 驚いたことに三人とも、私が紡いだ幻の菜の花畑を見たのだと言う。その証左として花冠を戴いているのだから疑いの余地はない。

 後から来た鉀兜よろいと姫、斑良まだら姫、馳哮はせたけ姫、だきち姫もやはり谷を埋め尽くす黄金の河、河原に咲き誇った菜の花畑を見たそうだ。ジーノス、イビデ、カルアミさんたちも一様に肯定した。


「夜刀ちゃん、これって?」


 知恵袋を頼れば、私が可能な限りと押し広げた異世界まほろばは、その及ぶ範囲にいた全ての者に幻視をさせたのだろうと言う。それは神や人に限ったことではなく、山川草木に至る総て。森羅万象に届いたと、そう言うのだ。


「だからこそ私も星霊を引き出せたのよ。貴女の歌と御業に感応を示さないのであれば、貴女の想起をたすけとした私の試みも、当然成し得なかったでしょうからね」

「そういう理屈になるんだ。はぁー……」


 私は半ば呆然としながらも、改めて力を合わせることの素晴らしさに感じ入った。


「凄いね、力を合わせるって。私一人が幾ら頑張ったって、絶対に届かない所まで手が届く。千軽ちゃんたちが私のつたない想起の隙間を埋めてくれて、阿呼たちがラララで歌の世界を押し広げてくれて、そうやって整えた舞台から夜刀ちゃんが星霊を搔き集めてくれた」


 全ては信頼と結束の成せる業。それこそが初志を貫徹させる鍵だったに違いない。


「幻視した者たちも貴女の想起に心を寄せてくれた筈よ。貴女が望んだ平穏な森は、生きとし生ける物の願いでもあったということ」


 そうであるならば、私を囲う幼い姫神たちも、力になってくれたということだ。ありがとう、と抱き寄せたら、むふーっ、と得意気なおしゃまさんたち。


「首刈様」


 幼な神を抱え込んだままの私に鉀兜姫が寄って膝を折った。黒紅の艶やかな瞳が真っ直ぐに私を見ている。


「どうかした?」

霊塊たまぐさりは奇麗に消えました」

「えっ!?」


 驚いた。

 いや、多少なりとも期待はあった。

 三柱の姫神がこうも朗らに迎えてくれたからには、愛発あらち姫の身に降りかかった厄難も失せたのではないか。そんな思いが秘かに湧いていたから。


「じゃあ愛発さんも?」


 黙って頷く鉀兜姫。私は直ぐさま花冠の三人に目を落した。すると、三人とも真っ直ぐに私を見て口々に言うのだ。


「おばーちゃま元気になったの!」

「御神座に菜の花のお花畑が広がったよぉ」

「おばーちゃまのお胸から若草色の玉が出てったの見たっ」


 若草色の玉が出て行った――。それが答えだった。

 夜刀ちゃん、ぐっじょぶ! これは間違いなく余剰の星霊を搔き集めてくれた夜刀ちゃんの功績だ。

 私は思わず真ん中の綾目あーちゃんを抱き上げた。高い高いをしながらクルクル回れば夜刀ちゃんと向き合って、素直な気持ちで頭を下げる。潤んだ瞳から雫が落ちると、嬉しさが迸って嗚咽まで漏れた。その滴をまた、胸に抱いた綾目あーちゃんが拭ってくれて――。


「おかしな娘ね。何を泣くの。私の力が一助になったとしても、根本は全て貴女がしたことよ。貴女の想いには根も葉もあった。寧ろ過去の汚点を文字通りに塞いで貰って、私こそ貴女に借りができたんじゃないの」


 顔を上げなさい、と言われて上げた顔は洟っ垂れのどうしようもない泣き笑い。

 それに、貸し借りなんてありはしない。今度のことでは夜刀ちゃんこそ原因だとなじりもしたけど、いつもいつも何くれとなく力になって支えてくれる夜刀ちゃんに対して、ようやく一つのお返しができたというのが正解だ。

 ぐずぐずと決まりの付かないままでいると、


「はい」

「?」


 綾目あーちゃんが自らの頭にあった花冠を私の頭に載せてくれた。そして飛びっきりの笑顔で――。


「明るい色で元気がでるよぉ」

「ほんとだねっ、ありがとう!」


 幸せの黄色を頭上に押し戴いて、私は一層高く綾目あーちゃんを抱き直した。それから円香まーちゃんと笛模ちゃーこちゃんを右に左に伴って、意気揚々と愛発姫の待つ御神座へ。




 ***




 明けて水走月の十六日。

 この日はもう、何もかも忘れてゆっくりしましょうということで、会食の時を除けば三々五々、思い思いに気ままな時間を過ごした。

 私は病み上がりで未だ床に就いている愛発姫の部屋へと上がり込み、三柱の姫神と一緒になってゆったりのんびり。何度も何度も繰り返し赤土の歌を歌って、誰かがお見舞いにやって来れば、それを歌の輪の中に引きずり込むといったことを繰り返した。

 笛模ちゃーこちゃんがオカリナに似た土笛を吹けば、円香まーちゃんが花の香りで部屋を満たし、それを見た綾目あーちゃんが何か染める物はないかと迷った挙句、愛発姫の掛け絹を染めて叱られる。


「明るい色でげんこが降ったよぉ」


 こつんと手加減しかない拳骨を喰らって涙目の綾目あーちゃん。すっかり私に懐いてくれて、ぴゅんと腕の中に逃げ込んで来た。そんな孫の様子に目を細める愛発姫も顔色はよくて、渡人のみんなや夜刀ちゃんと一戦交えるほど荒ぶっていたなどとは想像も付かない。


「すっかりお加減もよさそうですけど、もうおかしな感じとかはちっとも?」

「ええ、ございません。この娘たちが寝ていろと言うのでこうしているだけです」


 愛発姫がそう答えると、聞き付けた孫たちは挙って「まだねんねなの!」「起きちゃめーっ」と掛け絹を直しにかかり、笛模ちゃーこちゃんに至ってはちゃっかり潜り込んで一緒にお昼寝の体勢へ。心配される側も悪い気はしないらしく、八の字に困り眉を作りながら口元には嬉し気な笑みを湛えていた。


「首刈様はこの後はどうされますか?」

「この後はですね、一度、物部大社殿もののふたいしゃでんへ行って、そこで兜鎧傀儡の引き取りを進めまようと思ってます」

「引き取りですか。大社殿に置いていたのでは具合が悪いのですか?」

「ええ、まあ」


 これは具合の良し悪しというよりは心持ちの問題だ。取り分け八大宮やひろのみやの兜鎧傀儡は封印によって眠らされているとはいえ、それぞれに自我がある。そのような存在をいつまでも故郷と離れた場所に放置しておくものではない。と、そう思うのだ。

 それに、例え自我を持たないにしても、忘れ去られたかのように置き去りにされていたのでは可哀相じゃないか。

 この、命やら魂のない存在に想いを寄せるというのは如何にも大和心なのだけど、それは日本に似通った楓露に於いても相通ずる。木を愛し、岩を愛し、手ずから作った品々にも情を絡めて慈しむ。何よりこの世界では、情を施された側もそれに応えてくれるのだ。谷蟇だにくぐの社で挨拶をしてくれた付喪神たちのように――。




 ***




 水走月の十七日。

 霊猫神社を惜しまれながらもお暇して、三宮は皀角子さいかち神社へと移った私たち。早速関係各所に手配をして、物部大社殿からの兜鎧傀儡引き取り作業に取り組むことに。

 元々、大社殿には八大宮の八領以下、小さ神の八十領が保管収蔵されており、その内、赤土の社の分は既に各宮社に引き取られて、余すところが八十領。この引き取りがまあ実にてんやわんやの大騒ぎだった。

 先ず、皇大神からのお達しだということで八十に及ぶ各地の宮社から一斉に神々がやって来た。しかもドデカい神宝の兜鎧傀儡を運び出すとあって、どこもそれなりの数の宮守衆を率いてやって来る。大社殿はあっという間に神々と宮守衆とでごった返し、仲の悪いトーテムなどは喧嘩騒ぎまで起こす始末。それをまた囃し立てるお祭り好きもいて、あわや兜鎧傀儡で衝突かというところまで大揉めに揉めた。


「これはひどい……。順番に呼べばよかった」


 あちらで騒動が起これば鎮めに行って、戻って来たら今度は向こう。そんな調子で東奔西走。草臥れ果てて青息吐息。


「でも、知らない神社の神様がたくさん来てて賑やかだね」


 なんて、のほほんとしたことを阿呼は言う。その図太い神経を是非とも分けて下さい。お姉ちゃんは疲れたよ。来た時と引き上げる時の挨拶。これに応じるだけでもひと骨折れるんだから。

 兜鎧傀儡の引き揚げは夜刀ちゃんが設置した巨大な茅の輪を使って行われた。そこを潜って出る先は各地の八大宮。宮側にも巨大茅の輪を設置させて、そこから小さ神の宮社へは飛行等、それぞれの手段で帰還といった具合。

 水走、護解、青海、野飛、風渡、黒鉄、白守へ向けて、ようやく流れができると次々に大社殿を離れて行った。


「やっほー! 首刈ちゃん。おっひさー」


 軽いノリと明るい声で、水色の髪を靡かせながら現れたのは、八大招集の折に出会った白守の一柱。濃桃色の鮮烈な瞳が実に極まって輝かしい末の媛だ。


東風こちさん! てことは眼百鬼まなきりの引き取りですか?」 

「そそ。首刈ちゃんのお召しだから南風姉ぇに行きなよって言ったんだけど、なんか嫌がるから私が来たー」

「何故嫌がる」

「さあねー?」


 私がいるのに会いに来ないだなんて! などと思っていると、夜刀ちゃんがやって来てのたまう。


「あら残念ね。私を赤土に追い立ててくれた張本人にお礼の一つもしたかったのだけれど」

「んー、だから来なかったんじゃないかなー?」


 東風さんは両手で二丁拳銃を作ってこれに応じた。

 なるほど。夜刀ちゃんがこっちへ来た件に南風さんが絡んでいるとは聞かされていたけど、どうやら円滑な運びではなかったらしいね。となれば逃げを打ったか。

 ともあれ、最後に各宮の茅の輪を片付ける都合で、八大の傀儡は小さ神のそれが全て引き払うまで残された。

 八大の引き取り手は概ね代理で、粛々と作業をこなすと、忙しい主祭に代わって私に挨拶を述べ、茅の輪の向こうへ消えて行った。主祭自ら引き取りに来たのは東風さんを除けば青海の磯良いそら媛。そして黒鉄の心媛なのだけど……。


「え、誰……ですか?」

うらです。首刈様とは初の御目文字になります。どうぞよしなに」


 なんともまあ、すこぶる付きの別嬪さんだ。中背だけどスラっとしていて、ただ、髪色や肌色、瞳の色に至るまで吸血蝙蝠の心媛まんま。かてて加えて装束もそっくりそのままだ。


「え、うらさん?」


 黒鉄は三代続いて「うら」と呼ぶ媛しかいないからややこしい。困惑しているとまたぞろ夜刀ちゃんが横に立って、


うらはちんちくりんのうらの姉神よ。先代ということにはなっているけれど半ば当代だわね。既朔きさくから望月までを姉の末。十六夜いざよいから朔までを妹の心が取り仕切る。それが今の黒鉄の姿よ」


 ふむふむ。仕組みは分からないけど事情は理解しましたよ。


「へー、そーなんだ。それって珍しいことですよね?」

「はい。私は去り神なのです。それを妹が書き写して自らの肉体に留めたので、この体も妹からの借りものということになります」


 去り神と言えば思い当たるのは目張命まなばりのみこと。要するに既に身罷られた神様のことだ。つまり末媛はお亡くなりになって、それを心媛が何らかの手段で現世に留めた……ということなのかな? 何やら込み入った話のようです。

 死んだ者を甦らせることはできない。その点については目張命の言から私なりの理解をしていた。私が見た目張命はあくまでも星霊に託された過去の情報を集積して再現した存在。

 書き写した、という言い回しは如何にも筆神らしいけれど、甦りに取って代わる何らかの手段ということなのだろう。肉体という一つの器に、心媛と末媛の魂が宿る。そこから想像できるものは私には一つしかない。


「ひょっとして依り寄せですか?」

「似たようなものです」


 どこか濁すようにミステリアスな微笑みの末媛。

 物腰やら所作やらを見れば、南風さんも美人だけど軍配が上がるのは圧倒的に末媛だ。なんと言っても絵画から抜け出して来たかのような佳人なのだから。

 うーむ、眼福眼福。しかしその妹があの吸血蝙蝠とは……。遺伝子が仕事をしてないどころか息をしてないね。

 と、そんな一幕を挟んでいよいよ場に残されたのは不知火、段切丸、竹葉蛇の三領。これらにはそれぞれ私、夕星、夜刀ちゃんが乗り込んで茅の輪を潜る。それで全てお終い。ミッションコンプリート。の筈だったのだけど。


「ん? 待って。真神の側ってこのサイズの茅の輪、誰が設置してくれてるの? 真神には誰も報せてないよね? 不知火しかないからその必要もないって思ってたんだけど……」

「飛んでけば?」

「夕星ひどい!」

「ひどいったってしょうがないじゃないの。見落としてた首刈が悪いよ」

「そうだけどっ、むがちん!」


 地団駄を踏んでいると夜刀ちゃんがぽつりと言った。


「不知火はそのままでいいのよ」

「? なんで?」

「後日火群(ほむら)が迎えに来るわ」

「そうなの!? あ、どうしよ。こんな真っ黄っ黄の水干じゃまずいかなぁ?」

「それこそ取り越し苦労よ。火群は貴女とは会わないわ」


 にべもなく夜刀ちゃん。


「え? なんで? ここに来るんでしょ?」


 殺生なと私。


「火群は貴女が大嶋廻りを終えるまで会うつもりはないのですってよ」

「……そうなんだ。え、でも、私今度のことでは御先祖様にも一言言っておきたい!」

「それについては、私が貴女から言われた言葉をそっくりそのまま伝えておくわ」


 百倍くらい憎ったらしい感じでね、と夜刀ちゃんは笑う。いやそれ、そっくりそのままじゃないじゃん。おかしな水増しをしないで下さい。

 それにしても肩透かしだ。幾度となく名前を耳にして、それが不知火を引き取りに来るとなれば俄然、会えるとの期待も高まる。その高まった期待が一瞬にしてしゅわしゅわ~。なんだかちょっぴり寂しいよ。

 そんな風に心なしか下がった両の肩にポンッと乗っかる手を見れば、一方には阿呼、一方には放谷。

 おけ! しょぼくれてたって仕方ないよね。ならばこの場は夜刀ちゃんに任せて、不知火とはここでお別れだ。私としては寂しいけど、本来のご主人様が迎えに来てくれるなら不知火も嬉しいことだろう。

 私たちは皀角子神社に一泊させて貰って、それで明日からは大嶋廻り再開と参りましょう。


「ん? あれ? ってことは夕星ともここでお別れ?」

「まあそうなるわね。今から野飛へ帰る訳だし。元々私は赤土での助っ人って話だもん。なんなら一緒に来る? 私はそれでも構わないよ。てゆーか野飛の歌を作りに来てよ」


 焼けぼっくいに火が着いたような感じで勧誘が始まった。地理的には護解、青海、野飛の順だけど、茅の輪がある以上そうそう拘る必要もない。ただ、それでも海中にあるという青海の波宮なみのみやは飛ばしたくなかった。それが私の本音。特に美しい海として名高い青海鏡おうみかがみは阿呼も見たがっていたことだし、そうなると輪をかけて外せない。


「ごめん夕星。私たち、次は波宮に行ってみたいの。馬宮はその次でっ」


 来て欲しいと願う情を袖にすると思えばこそ、ここは両手を合わせて拝み込む。察した阿呼も倣って拝み、ついでとばかりに放谷も拝んだ。しかし放谷、にこにこしながら拝むもんじゃあないよ。


「あっそ。なら砂滑すなめり神社から船で伊佐まで行くのが早いよ。それで青海鏡を見て回って、それが済んだら海路でも陸路でも野飛は直ぐだから」


 それだけ言ってヘソを曲げるでもなく、夕星は段切丸とともに茅の輪の中へと入って行った。


「ありがとねー! 夕星がいてくれて本当に本当に助かったー!」


 自我で動く段切丸の肩の上。夕星は振り返りもせずに手だけをひらひらさせていた。

 夕星がいなくなると寂しくなるな。そんなしんみりとした気持ちを抱えて、私は不知火に別れの挨拶をし、次いで夜刀ちゃんにもお別れを告げた。


「それじゃあ夜刀ちゃんも元気でね。遠からずまた駆け込むだろうけど、その時はよろしく!」

「貴女って娘はまったく。でもそうね。半月もせずに水追月みずおいづきになるわ。春告はるつげ神事には顔を出しなさい」

「おお! 春告神事! 行く行く! 水追月のいつだっけ?」

「一日よ」


 春告神事。それは水走一宮で催される冬から春へと繋ぐ神事だ。それに水追月は私や阿呼の誕生月でもある。嶋人には誕生日という風習はないけれど、渡人の到来以降、街では浸透しつつあるようだ。併せて祝ってしまっても悪いことはあるまい。


「お姉ちゃん、水追月なら中日の十五日には犬取いぬとり神事もあるよ」

「おおっ、それも行こう! 野足のたり夜来よころにも会いたいし、丁度いいねっ」


 水走、赤土と慣れない旅に追い回されて、大嶋に名の知れたどの神事にも顔を出したことはなかった。湧魂池わくたまのいけの合戦神事はいわゆる秘祭だったし、そろそろ名だたるお祭りをこの目で見てみたい。

 水追月を過ぎて護解月もりとくつきには暗宮くらみや鎮魂たましずめ神事がある。明けて青海月になれば風渡と対を成す海開うみびらき神事。これからはもう少し心にゆとりを持って、計画的な寄り道をしながら旅をしよう。




 ***




 皀角子神社へ戻ると渡人のみんなが待っていた。神々の中にはやはり渡人を色眼鏡で見る類もいるだろうと、念の為、大社殿には同伴せずにおいたのだ。あの騒ぎを見るに正しい判断だったと言う外ない。


「護解へ?」


 御食屋みおしやでの晩餐を経て、壺湯で疲れを洗い流した後、客棟の座卓を囲んだ私たちは何とはなしに今後のことを話し合った。


「そうです。一度赤土の二宮にいる仲間と合流しますが、赤土での活動も長くなりましたから、この辺りで一度メンバーの入れ替えをしようかと考えています。それで、その機会に俺は護解の本部に顔を出して、例の活動の梃入てこいれをしようかと考えています」


 例の活動とは私が起案した神々と渡人との融和プロジェクトのことだ。先ず水走で基盤作りをし、折を見て護解、青海へと活動の場を広げて行こうという展望は当初からあった。八大招集から数えて凡そ四ヶ月半。夜刀ちゃん情報では既に護解での展開は始まっていて、落ち着いたら次は青海だという。


「そっか。確かにもう四ヵ月以上経ってるもんね。そろそろな感じなのかな?」

「分かりませんが、準備をしておくに越したことはないでしょう。特に護解は我々渡人にとって根拠地ですから、色々と根回しが必要になって来ます」

「そうだね。でもジーノス一人で? イビデとカルアミさんは?」


 隣を窺えばイビデは放谷にあやとりの相手をさせられ、カルアミさんは阿呼と何やら帳面を覗き込んでお勉強中らしい。


「放谷、それ後でやって」

「えー」


 不満たれぶーな放谷を軽くあしらってイビデを話の座に引っ張り込む。耳半分こちらに向けていたらしく、イビデは早速言葉を接いだ。


「私は水走へ戻ります。カルアミには青海へ入って貰って、それぞれ状況確認を済ませたら調整に取りかかろうという段取りですね」

「バラバラに別れるの? なんで? カリューもラデルもハゲさんもいるのに」

「バースタンです首刈様」

「そうそのバースタン。とにかく、単身はよくないよ。何かの時に一人じゃ手詰まりになったりするでしょ? ペアがオススメだよペアが」


 他意なく本心から言ったのだけど、イビデは変に勘ぐって「やめて下さい」オーラを発動した。そんなことをされたら寧ろグイグイ行っちゃうよね。


「はい! 皇大神権限で組み合わせを決めちゃいます。護解はジーノスとイビデ。水走はカリューとカルアミさん。で、青海がバースタンとラデル。変更は一切なし。神のお告げに有り難く従いなさい」

「はっ、承知しました」

「……ショウチシマシタ」


 何を棒読みしているのだ。新婚旅行の予行演習とでも思って楽しんで来ればいいじゃないか。私はバチコリとウィンク飛ばしつつ親指を立てて差し上げた。




 ***




 そして今朝、鉀兜よろいと姫に名残惜しい別れを告げて、私たちは茅の輪を潜った。目的地はそれぞれに違う。ジーノスたちは赤土の二宮である地竜神社へと向かい、私たちは夕星の言に従って月ヶ瀬にある砂滑すなめり神社へと飛んだ。

 砂滑神社は千軽ちゃんの漕ぐ川舟で乗り付けた月ヶ瀬の浜辺にある神社だ。その折、一晩お世話になっていたので、お礼がてら挨拶をして、船便について尋ねると、今しも出るという船に乗せて貰うことができた。


「あれ? え、なんでUターンしてるの?」


 船出して早々、船の挙動に不審を感じて見回すと、回頭した先にぽっかりと大口を開ける大海洞。


「えっ、ここに入って行くの? 船で通れるの?」


 そう大きくないとはいえ、私たちが乗っているのは舳先へさきからともまで三〇米はあろうかという船だ。帆を畳んで櫂で行くにしてもちょっと怖い気がした。けれども船を預かる砂滑衆はどこ吹く風。テキパキと随所に指示を飛ばしている。


「はー、海にも洞窟があるもんだなー」

「阿呼もびっくり。でも、船出した浜は月ヶ瀬の東だから、ここを潜って西に出ないと青海には行けないもの」

「ああ、確かにそうだよね」


 とんとん拍子で船に乗り込んだ手前、地図も碌に見ていなかった私は方角の見当すら付けていなかったのだ。確かに阿呼の言う通り、東の浜にある砂滑神社から船を出せば、どこかで月ヶ瀬を横切らないと飛んでもない遠回りしか道がなくなる。


「さあ、大海洞戸おおみのうろとに入りますよ」


 船頭の言葉に月ヶ瀬の名勝を思い出した。しかし向かう先は暗い海洞。加賀の潜戸くけどのように既にして向こう側から光が射している類ではない。庇のように迫り出した間口の岩陰を潜ると、後方から射す光はどんどん遠ざかって、私は真神原まかみのはらから風合谷かそだにへと抜ける蜘蛛隧道ささがにすいどうを思い出した。


「真っ暗になるよ。下は海だよ。本当に大丈夫?」


 陸の生き物として当然の不安がまとわり付く。けれどその心配は間もなくして杞憂となった。


「わあ、見て見てお姉ちゃん。海のお水が光ってる」


 阿呼の上げた歓声を受け、放谷と二人して船縁から覗き込む。すると――。


「本当だ……。青く光ってる」

「きれいな青だなー。光の波紋がゆらゆらしてるー」


 船を預かる砂滑衆や乗り合いの客は誰も彼も慣れた様子で、船縁に張り付いているのは私たちだけ。

 聞けば大海洞戸の底には石英や水晶の三稜鏡プリズム結晶が敷き詰められているのだそう。それが互い違いに光を通わせ合って、この長い海洞を青く照らしているのだという。

 海洞は海道。この大海洞戸こそが月ヶ瀬海道の名の由来であることを私たちは初めて知ったのだった。


「新たな旅路の第一歩で、早速一つ学んだね」

「うん。これからも知ることがたくさんよ」

「まー、てきとーに行こー」


 勤勉なお返事と杜撰なお返事。でも、そんな取り合わせだからそこ私たちは上手く行く。

 やがて、船は西の大海原へ。光る波を眺めながら、風に押されて北へ北へと進んで行った。


「海の中の波宮! 直ぐに行くから待っててねー!」


 天に日は高く、大空は快晴。

 月ヶ瀬の浜を離れた船は帆に大きく風を孕み、光り輝く海原へ――。

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