070 暗黒の淵底2
Jamme jamme ncoppa jamme jà!
Jamme jamme ncoppa jamme jà!
funiculì funiculà funiculì funiculà
ncoppa jamme jà funiculì funiculà!
垂直上昇の強烈なGにほっぺたふにくりしながら、脳内で爆発したのは大音量のフニクリフニクラ!
なんて言えばいーんだろうね。私の中で、解説不能なほど勢い付いた状況にはこの曲しかないって感覚があるのですよ。
登山電車に乗って山の斜面を駆ける冒険心に溢れた曲調が、訳も分からぬままに私のテンションを爆上げする。勿論、そんな状況じゃないってことは理性では分かってる。分かっちゃいるけど、そう。例えばジェットコースターが発車しちゃって、後はもう停まるまでどうしようもないよねっていう感じかな。実際どうしようもないし。
「放谷!」
「なんだー?」
「衝撃に備えて!」
「まいったなー」
もうちょっと真剣に参ってもいいんだよ? なんて、私ももう腰骨の辺りからゾワゾワと笑いが込み上げてきているので言えた義理ではない。頭おかしいと思うでしょ? でも人間、今のこの状況に陥ったらそんなもんだよ。あ、私は神か。でも決して私の感覚がズレている訳じゃない。多分、きっと、そんな気がする。
「首刈ー」
「なーにー?」
「上で光ってるの。星霊の雷かー?」
「間違いないね。今からあれとぶつかるよー」
「こまったなー」
「こまったねー」
朗らかに困惑。
実際問題何か手立てがあるだろうか。不知火は猛スピードで突き上げる闇の雷に、それこそビタッと背中が貼りついてしまっている状態だ。押し上げる力が強過ぎて右にも左にも身体を振ることができない。その上この闇、タールのようにベタ着くのだから剥がれっこない。
「なー。こーゆーのはどーだー?」
「お、なになに? なんかある?」
「降って来るのは星霊だろー?」
「うんうん」
「だったらさー。同調してあたいらのもんにできたりしないかなー」
「同調……」
思考の空白をしらけ鳥が右から左に飛んで行く。アメコミ調の鳥が器用に翼でサムズアップして、私は瞬間の閃きを得た。
「それだ!」
「これかー」
「うん、それで行こう!」
持つべきものは相棒だ。この窮地に中々のアイデアマンじゃないですか。
ここ最近、同調と言えば誰かとするものみたいな認識が強かったけど、考えてみれば身の周りの品物は全て同調している。それによって物招で取り寄せたり、移姿の際に変身した姿に取り込んで携行するなどしてきた。
そうだよ。放谷が使う索。あれってば捜索する範囲内の星霊と同調したり、自分の波長で上書きしたりするんじゃなかたっけ? だったら、それこそ行ける可能性はあるじゃん。
「放谷」
「んー?」
「私が放谷に合わせるから、受け止めるのは放谷の方でやって」
「できるかなー」
「できるできる! 索の要領でなんとかなるでしょ」
「索かー。よーし、いっちょやってみるかー」
「お願いね。任せたからね!」
「おー、任しとけー」
策が立てば妙な笑いも引っ込んで、けれどもフニクリフニクラは鳴りっぱなし。大好きな曲ではあるけれど、今は一刻も早くこの曲調から逃れてホッと胸を撫で下ろしたい。
「不知火、私と放谷とで何とかするからもうちょっと我慢しててっ」
本来、兜鎧傀儡には痛覚などは存在しない。けれども、私がこうして乗り込んで、星霊を通わせている状態であれば、全身に行き届いた星霊は神経網のように作用して、疑似的に五感を得た状態になる。殴られれば痛かろうし、目前に控えた星霊との衝突に緊張してもいよう。
不知火から返って来たのは「分かったよー」みたいな感覚。それを全幅の信頼と受け取って、私もまた自らの信頼の全てを放谷に託した。
「来るよっ、準備はいい!?」
「ばっちしだー!」
仰向けに上昇する不知火の視界。そのど真ん中に煌々と光を放つ碧雷が落ちて来る。
星霊も楓露も、何千年という気の遠くなる時を間断なく押し合いへし合いしてきた。今、皇大神たる私が放谷と不知火との三位一体でそこに挑むのだ。ならばただの一回、これっきりの衝突を耐えきれないでは余りにお粗末。
「集中ーーっ!!」
私はタイミング取りの声を発した。
放谷は私の星霊を受け取りながら不知火を循環する星霊の流れを太く練り上げると、鎧の隙間から無数に糸を発して、それを編み始めた。今度こそ鼻から出してくれるなよ。
放谷の作業を目で追えば実に奇妙な形状。けれど、私は放谷に意図を尋ねるのをグッと堪えて集中を保った。
一見すると平たい多角状に展開した糸は単調な蜘蛛の巣に見える。しかし、そこから縁周りを内に反らせて、放谷はお盆型を形成した。続いて中央が盛り上がり始め、例えるならレモンやグレープフルーツを絞る為の絞り皿のような形状へと形が定まる。
展開した蜘蛛糸の中央に聳える突起部分。碧雷はそこを目掛けてブレもせずに落ちて来た。インパクトの直前ともなれば、もう闇の入り込む余地はなく、視界一杯がエメラルドの光で埋め尽くされて――。
ドドンッ――。
覚悟した衝撃はなかった。代わりに物凄い熱量が弾ける。そして急停止。
正面衝突によって上昇速度を失う不知火。槽内にいた私は惰性で操縦槽の球壁に叩き付けられるのを覚悟した。しかし――。
「……あれ?」
恐る恐る目を開ければ、いつの間にか槽内に張り巡らされていた糸によって、衝撃が吸収されている。さすが放谷、こんなところも抜け目がない。
「助かった。ありがとう放谷」
「むぎぎぎっ、支えてくれー」
どう致しましての代わりに苦悶の喘ぎ。当たり前だ。そんな余裕のある場面じゃなかった。
「おけおけ! 全力でいい?」
「やってくれー!」
それまで放谷が引っ張り出すのに任せていた星霊を私の方からグイグイ流し込む。見れば絞り皿の中央突端に落ちた星霊は、そこで断ち割られ、続く曲面を滑るように流れた先で縁に当たって砕けていた。
放谷は絞り皿の縁に全神経を注いで、そこで同調させた星霊を不知火を介して私に取り込ませようという算段。そうと知った私は直ぐに己の役割を果たしにかかる。
縁の部分で行われている同調は粗削りの間に合わせだ。雑味の混じった星霊を受け取った私は、そこから更に同調を深めて波長の安定を図る。大量の星霊が流れ込んで来るものの、そこは皇大神のキャパシティ。半端な量ではへこたれない。次第に慣れてくると、後はもう入れ食い状態だ。
やがて辺りを支配していたエメラルドの輝きも失われ、一息ついた拍子に、肩口からころりん。放谷が転げ落ちた。
「わわっ、ちょっとちょっと!」
慌てて両手で掬うようにして覗き込めば、相棒は「ねむいー」と一言。それっきり、うんともすんとも言わなくなった。
「お疲れ様。また、助けられたね。いつもいつも、ありがとう」
私は小蜘蛛の頭を指先で撫でて、それからそっと、菜花色に染まった水干の袂に入れてあげた。
「不知火はどう? 痛いところとかない?」
問えば至極明快に「げんき!」みたいな意思が返って来た。お互い無事で何より。
辺りを見回せば碧雷と黒雷の衝突はそこかしこで続いている。けれど、音のないそのぶつかり合いは、フニクリフニクラの去った耳を騒がすものではなく、闇間に浮く不知火も私も一転して静寂にとり巻かれていた。そんな中――。
「ん? なんか光ってない?」
無論、碧雷ではない。若草色とは色味が異なる。
目を凝らせばキラキラとした輝きが横一線、帯状に続いている。とそこへ不知火からの思念が流れてきて、
「え? 反対側も? どれどれ」
ぐるり一八〇度身を翻せば、確かにそちらにも帯状の輝き。それは自らが発光しているのではなく、降る碧雷の光を反射しているものだと分かった。正体は知れない。
「ちょっと確かめてみようか。ゆっくり近付いて見よう」
私はすっかり阿呼たちへの連絡も忘れて、帯状の輝きに吸い寄せられて行った。
色味は黄色で、反射光であることを考えれば連想されるのは反射板。けれどもそんなものが大嶋に存在している筈もない。細やかに光る帯状のそれは、全景としては黄金色の天の川のように見えなくもなかった。
「え、嘘。これって……金?」
距離が近付いて、切り立つ崖肌が横一線に抉られているのだと分かる。溝のような窪みに刻まれた輝きを黄金色の鉱物と認識した時点で、私は目を疑った。
「これ、金っぽい? 黄銅鉱とかかな? 誰か分かる人いないかな」
「金よそれ」
「やっぱり? うわー、凄い!」
「所々ギザギザになってて、まるで黄金の階よね」
「上手いこと言うねぇ。確かに奇麗だ」
「いい加減こっち向け」
「ん?」
くるり。からの、ずらり。
「うわあ! びっくりした。これは皆さんお揃いで……」
正面に段切丸。右手には眼百鬼。左手に剛礼号。更に左には竹束で出来たような不格好な兜鎧傀儡までいらっしゃる。
「何やってんのよ」
不機嫌な夕星の声。
「いや、何って言われても。……ごめん」
「怪我は?」
「ないよ。放谷も不知火も無事。ところでそっちの兜鎧傀儡は誰さん?」
どことなく見覚えのあるそれを前にして記憶をまさぐってみるのですが……。
「私よ。さっきはものの見事に風声をぶった切ってくたわね。首刈」
「えっ!? 夜刀ちゃん?」
「ちゃんはやめなさい」
「え、なんでいるの? どゆこと?」
夕星が呼びでもしたのかと問えば違うと言う。じゃあなんだ、と重ねて問えば、そんなことより下がどうなっていたかを説明しろと返された。
ならばお聞かせしましょう。
蟷螂と組んず解れつしながら落下した私は、落ちた先で耳目に収めた全容をつまびらかに開陳した。
曰く、亀裂の底と思われる場所にまで落ちたこと。奥底は予測と異なり、溶岩流も見当たらず、ただ一面タールのような闇溜まり。
底に溜まる質量を持った闇が、降りかかる星霊の雷に対抗して幾筋も立ち昇る様。その一筋に押し出されるようにして私は急上昇し、今し方、碧雷との衝突をなんとか無事に凌いでみせたのだ、と。
「貴女はその闇溜まりこそが、地表に露出した楓露だと言うのね?」
「私の見立てではそうなるかな。実際、あの中に落ちた時、闇と接触してビリビリ痺れたんだよ。それって星霊を排除しようとする楓露の抵抗だって思わない?」
「確かにそうとも取れるわね」
竹編みの兜鎧傀儡の中で、夜刀ちゃんは一応の納得を示した。
つまり、この不格好な兜鎧傀儡は竹葉蛇だ。楓露に見せられた記録映像の中で、私のご先祖様が乗る不知火と御業比べを繰り広げていた一領である。
初見の時にも思ったけど、夜刀ちゃんにしては随分とセンスのない見た目をしている。ぶっちゃけ、今まで目にした中で一番不細工な兜鎧傀儡だろう。無論、本人を前にしてそんな台詞は噫にも出さない。竹葉蛇にも自我はあるのだし、口にすれば傷付けることになっちゃうからね。
「はい、今度は夜刀ちゃんの番。なんで今ここにいるのか、ちゃんと説明して」
攻守交替と切り返せば、夜刀ちゃんは渋りもせずにすらすらと答えた。
なんだ、拍子抜けだな。
などと思っている内に語られる内容は只ならぬものに変化した。周りを伺えば阿呼たちも初耳といった様子で皆々、動揺を示している。
「待って待って! え? 愛発姫がどうしたって言ったの?」
「霊塊の化け物になって、貴女の大事な渡人たちを襲っていたのよ」
これには二の句が継げなかった。ハンマーで頭を殴りつけられたような衝撃だ。
唖然として宙に佇む私の前で、夕星が中心となって、夜刀ちゃんからより詳しい話を聞き出そうとする。霞がかかったような私の頭は目の前で交わされる会話の半分も咀嚼できずにいた。
なんで? どうして? 嘘でしょう?
そんな言葉だけが堂々巡りする中、ふと、水干の袖口が目に留まった。
花の香も漂いそうな生き生きとした菜花色。
――あかるい色で、元気がでるよぉ
耳に残る優しい声。
愛発姫の腰にまとわり付いて、ひょっこり顔を見せてくれた可愛い幼な神たちの姿。
毛筋ほども傷つけたくないと願ったあの娘たちは今、悲嘆に暮れているのだろうか。そう思ったら途端に、私の中で赤黒いものが爆発した。
「嘘ついた!」
私は考えなしに不知火の手を伸ばし、段切丸の二の腕を引っ掴んだ。
「何すんのよ!」
「夕星が嘘ついた! 霊塊の化け物になったりしないって言ったじゃん! 信じたのにっ」
「落ち着きなさいよ! 離してっ」
ギシギシと軋み上がるほど籠った力。身を捩って逃れようとする段切丸を、私はさせるものかと力任せに引き寄せた。不知火と比べれば細身の段切丸。悲鳴のような軋みは更に大きくなって行く。
「お姉ちゃん、やめてっ!!」
阿呼の鋭い声が強かに耳朶を叩いた。
「だって!」
「お姉ちゃん!」
「だって……」
兜の眉庇が触れるほど迫った眼百鬼の面皰。そこに阿呼の真朱色の双眸が宿っていた。それを感じて頭の冷えた私は不知火の腕に込めていた星霊を解いた。
「貴女ねぇ! 一体どういうつもりよ!」
生木が爆ぜるように怒気に塗れた夕星の声。こちらへ詰め寄ろうとする段切丸を、剛礼号が剛体を割り込ませて遮る。
「まーまー抑えー。一旦落ち着こ。な? 首刈も、ええな?」
良いも悪いもない。私の頭は纏まらないままだ。無論、この場面で悪いのは私だ。そしてそのことは直ぐに明らかにされた。
私は愛発姫が化け物と化したという段で混乱してしまい、そこから先の話をろくすっぼ聞いていなかった。
混乱に陥ってから夕星に詰めかけるまでの間、何が話されていたかを聞けくにつけ、私の軽挙妄動、一人合点、勇み足といった不徳の三拍子が浮き彫りになる。もはや平謝りに謝罪する他ない。
「ごめん、夕星」
「もういいよっ。確かに、心配するようなことじゃないって言ったもんね。そこは私の読みも甘かったし」
結論としては、霊猫神社の異変は南風さんがジーノスに渡していた御守りの発動によって明るみとなり、即応した夜刀ちゃんの手際で被害を最小限に抑えることができたという。
今、愛発姫は夜刀ちゃんの御業で眠らされていて、お社は一旦の平穏を得た状態だそう。決して良好とは言えない状態だが、かと言って私のなけなしの頭脳では好転に到るアイデアなど浮かびはしない。
ともかく、と前置きして夜刀ちゃんは続けた。
「貴女が霊塊の化け物を元の姿に戻したと聞かされて、それで飛んで来たのよ。神が霊塊を発するような事態なら、長引かせる訳には行かないもの」
全く以ってその通り。私は夜刀ちゃんの言葉に二度三度と頷いた。そして万古の神の、これぞという提案を期待して帰還を促す。
「なんにしても霊猫神社に戻らなきゃね。愛発さんが心配だもん」
「大丈夫よ、そっちは。そうそう目覚めはしないわ」
「はい? ……え? 待って、戻らないの?」
何を言い出すのだ、と私は驚きに目を瞠った。
他に優先する事柄があるのかと質す視線に、夜刀ちゃんは「あるに決まってるでしょ」とでも言いたげな目を返して寄越した。
「だって貴女、突き止めたんでしょう? この真下に問題の罅とやらがあるって。そう言ったじゃないの。タール状の濃闇が露出した楓露だという話よね?」
「言ったけど。でも、だからこそここは一旦戻って、愛発姫の問題を解決するんじゃないの? それで態勢を整えてからもう一回チャレンジ。普通はそういう手順になるでしょ?」
「ならないわよ。私も最初は連れ戻す気で来たのだけれど、問題の核心が明らかなら話は別。こうして私が来た以上、てきぱきと終わらせるわよ。早いところ恥を雪いで帰りたいもの」
うわ、まじだ。本気で言ってるよ。
周りを見れば困惑しているのは私ばかりではない。阿呼も夕星も千軽ちゃんも、それぞれ兜鎧傀儡の面皰にポカンとした表情を宿していた。
「いや、でも、どうやって?」
「どうやってですって? 当然、首刈。貴女がやるのよ」
「……んん?」
だから、とうやって?
え?
分かる?
誰か分かるなら教えて?
そりゃ私だってやれるものならスパッと片付けちゃいたいよ。手立てがあればとっくに取りかかってる。
「私バカだから分かんないんだけど、何をどうしろって話なの?」
恥を忍んで聞いてみた。寧ろ恥とも思わない。聞くは一時の――と言うけれど、この状況であれば一時毎に恥を重ねてしつこく聞き出したいレベルだ。
「簡単よ」
夜刀ちゃんは言う。
けれども私は思う。絶対に嘘だ、と。
「貴女の異世界で以って、ここに在る景色の全てを塗り替えてしまえばいいのよ」
……ほらね?
「いやいやいや! いや? いやいや! それは……ええ? 本気で!? え、いや、待って。無理だよ!」
「やる前から諦めるんじゃないの」
「そーゆーレベルの話でもないじゃん! 見て、ほら! 星霊の雷。右も左もずっと遠い所まで光って落ちてるでしょ? それってつまり、地殻の罅がそれだけ長い距離にわたってるってことなんだよ? スケール! 分かるかな? スケールが大き過ぎるの。ね?」
是非ともご理解頂きたい。
私は夜刀ちゃんの提案が如何に無謀なものであるかを懸命に説いてみた。私の二度の人生に於いて、これほど必死になった瞬間もそうはない。
「緑豊かな谷よ」
「え?」
「想像して御覧なさい。かつてこの地を彩った森羅の美と万象の営みを」
「うん。でもさぁ、それをぶち壊しにしたのは夜刀ちゃんだよね?」
「うるさいっ!」
「はいっ」
反射的に「はい」とか言っちゃったけど、夜刀ちゃんたら押し切る気満々だよ。
しかし、そうか。
今、この時か。
「夜刀ちゃん質問」
「どうぞ」
「夜刀ちゃんはさ、私にそれができると思って言ってるんだよね?」
「勿論よ」
「うーん、そっかぁ……」
先人を持たない夜刀ちゃんが太鼓判を押すのなら、実際、やり遂せるかもしれない。問題は私自身に「できる」という自信も確信もないことだ。
私は視線を移して眼百鬼を見た。白銀の胸甲の向こうにいる最愛の妹、阿呼を。
「できるかな?」
問えば阿呼は眼百鬼を寄せて、その手で不知火の手を取って重ねた。互いに通わす星霊を介して、確かな温もりが感じられる。
「阿呼には分からない。分からないけど、お姉ちゃんの歌に、異世界に、景色を変える力があるのは知ってる。だから、お姉ちゃんがやるって決めたなら、阿呼は全力で応援する」
「うん……。そっか、ありがとう」
ほっこりする。妹の言葉に嘘はない。下枝が上枝を押し上げてくれるというのなら、今こそそれは、叶うことなのかもしれない。
「まあ試してみる価値はあるんとちゃうか」
千軽ちゃんが言えば夕星も、
「霊猫神社で輪になってやったあれ。みんなで同調して異世界をやって見せたじゃない。あの要領でこの面子なら、あながち無理って話でもないかもね」
その言葉に、ラララで紡いだ幻想が甦る。あれをこの場で再現して、そこに肌理を備えて現実の上から貼り付ける。なるほど、作業としてのイメージは湧く。
一方で課題も多々ある。今、この場所には想像の手掛かりとなる景色が一片もないのだ。全ては闇に呑み込まれて、あるのは岩肌と星霊の雲、星霊の雷。となると一から十まで全てを私の中から引っ張り出したイメージで補わなくてはならない。
広範な地形を覆い尽くす壮大希有なイメージの展開。それは困難な上にも困難なことだ。中でも極めつけは、底部に露出する楓露を景色で覆って蓋をし、固着させることの難しさだろう。あのタールのような闇を覆ったところで、泥炭地のように不安定なものにしかならない気がする。そんな気がしている時点で、試みは敢え無く失敗に終わるだろう。
何か「これならば行ける」というイメージがどうしたって必要だ。大地の亀裂を塞ぎ、縫い合わせる堅固な存在。それなくして挑めば、不安に足を取られた想起は脆くも崩れ去ってしまう。
「ちょっとみんな協力して。このバカでかい亀裂を埋め尽くすようなイメージがどうしても湧いて来ない。底の部分はドロッとした液体の闇なんだもん。そこに土壌を被せたって上手く行くと思う? なんかもっと、こう、しっかりとしたイメージじゃないと成功しないと思う」
私はそう訴えて、ご意見募集とばかりに各人からイメージの提供を求めた。
気持ちは前を向いている。阿呼の言葉が、この世界でポジティブに生きて行こうと決めた私の心の目を覚ましてくれた。
幻を現実に定着させることに関しては、規模こそ違えど実践経験からコツは掴めている。正直、頭では理解できていないのだけど、その感覚は異世界という御業の体幹として心に根付いていた。あとは想像の根幹を担う要素が必要だ。名月の下に枝垂桜を現出させた時は、その土台となる夜刀楠が厳然とそこに存在していた。猟豹神社で梅花藻を生じたときも、清麗な水鏡がイメージをしっかりと支えてくれた。
然るにこの闇に閉ざされた谷には、想像の足場たり得る物が何もない。いくら前世でネイチャー番組を観漁っていた私でも、手触りも知れない情景を頼りに現実を覆い尽くすことなど不可能だ。
「お姉ちゃん、あれは?」
あーでもないこーでもないと、みんなして頭を捻っていたその時、阿呼が眼百鬼の腕を回して示すものがあった。それを見て私がイメージしたもの。それはこの谷を閉ざし得る可能性を物言わず示唆していた。




