069 暗黒の淵底1
肉体という器を網羅する全神経に星霊を伝える。エメラルドの奔流は二本の腕を包む手甲と二本の足に履いた具足を通じて不知火の全身に星霊の神経網を構築し、私という個と不知火という個を一体と成す。双子の神識となって結び付く一連の作業。これが兜鎧傀儡の操縦だ。
「んぎぎぎ! ちょー重ったるいんですけど! 全然手足が上がらないっ」
大地の亀裂の底の底。タールのように淀んだ闇の中。我武者羅になって腕を回し、足で蹴たぐる。どっこい手強い。まるで底なし沼のように藻掻くほど深みに嵌って、私も不知火も疲労ばかりが嵩んで行った。
「あたたた、いたたた! 放谷! 何やってんの、早く何とかしてっ」
「もうちょいだー。目詰まりしてる闇を一気に押し出すぞー」
私が浮上に専心する傍ら、放谷は槽内に侵入して来た柴闇を風の御業で追い出そうとしていた。できるできると威勢のいいことを言ってた割りには手間取って、遂に闇が私の体に触れたのだ。その痺れるような痛みときたら。
「急いでよっ、こっちもキツイんだから!」
「あたいが一度だって失望させたこと、あるかー?」
「こんな時に何言ってんの! これ以上その闇、絶対私に触れさせないでよねっ」
「任せろー。こいつを喰らわせればあって間だー」
既に風衣を展開している放谷が、その効果の浅きを補おうと何やら御業の重ね掛けを企んでいる様子。風衣自体は不知火を覆って外の闇を弾いているけど、展開以前に内部に浸透していた闇を放逐するのにひと工夫必要だ。
状況が状況だけに文句ばかりが口を突いてしまうけど、放谷なら何とかしてくれるだろう。私も阿呼も、放谷なくしてこの大嶋廻りは成し得ないと思っている。事実、頭の痛い問題も、生死に関わる盤面も、いつだってピンチの時には放谷が助けてくれた。今だって肩口に放谷の気を感じているからこそ、絶望を寄せ付けずに文句を言っていられるのだ。
「矢刃折!!」
裂帛の気合が槽内に谺した。すると旋風が起きて、風衣の内側に留まっていた闇という闇が千々に綻び、追い立てられて消え去った。
「わお、やるぅ! 今の何?」
「風の刃で矢でも礫でも払っちまう御業だー。このまま風衣の向こうまで押し出してやるー」
放谷の力みに合わせて私の中から星霊がグイグイ引っ張り出されて行く。旋風は操縦槽の球状壁に張り付くように流れ、やがて継ぎ目という継ぎ目から闇を押し返し、追い打ちをかけるかのように継ぎ目の向こうへとすり抜けて行った。
「いいかー首刈ー」
「何?」
「外側に広げた旋風で不知火に絡んでる残りの闇も払うからー。そしたら今より自由に動ける。それで行けるだろー?」
「おけ、それでバッチリ! タイミングを教えて。ピッタリ合わせて上に出るから!」
「よしきたー!」
これぞ放谷。いつもはのんべんだらりとしているけれど、ここぞで際立つ千両役者。私の大切な大切な友だちだ。そんな思いに心が包まれるとなんだか気持ちも弾んでくる。放谷と溶け合う星霊が太鼓のリズムを運んできて、更なる高みに押し上げられる。
暗闇がなんだ。怖がるものか。私は口元を引き締めて、いざその時を待った。不知火の四肢から余分な力を抜き去り、号令一下、トップギアに入れられるよう固唾を呑んで耳を澄ませる。
「今だーっ」
「おっけー! 不知火、行っけぇぇぇぇええ!!」
……あれ?
「どしたー?」
行かない。
「おかしいね。全力なんだよ? でも、手も足もさっきまでと違ってまるっきりスッカスカの空回りなの。なんで?」
「あー。首刈が重いって言ってた闇を押し退けちまったからなー」
「ころんぶす!」
間抜けか。
この窮地に意気揚々とコントか。
きっと不知火は風衣に覆われた空間で虚しく手足をばたつかせているのだろう。まるっきり道化というか、打ち上げられた鯉というか。なんともはやである。
「むがちん! だったらこのまま飛鳥で飛ぶよっ」
「おー、それだなー」
テイク2、仕切り直して今度こそ。と、肩を怒らせ丹田に力を込めれば、何やら下から押し上げてくるような動きを感じましてね。
「わ、ちょちょちょ、今度は何!?」
「さーなー?」
ググッと来てドン! 刹那、ロケットの発射もかくやという勢いで不知火は闇溜まりの中から打ち上げられた。
「わぶぶぶっ、分かったー!」
「なにがががー!?」
物凄いGで言葉までひしゃげる。それでも私は理解した。これ、星霊の碧雷と対消滅していた闇の黒雷だ。
風衣に包まれた不知火は、さながら水面に向かう気泡のように闇溜りを抜け出し、そのまま打ち出された黒雷の突端に乗っかった。
粘つく闇から解放されはしたものの、ノンストップで急上昇。過ぎ去る景色の中にヒュンヒュンヒュンと行き過ぎたのは眼百鬼、段切丸、剛礼号。更にもう一体、どこかしら見覚えのある不格好な兜鎧傀儡が見えた気がしたけど、正直今はそんなことどうでもいい。だってこのまま行ったら絶対降ってくる碧雷と衝突するでしょ? そしたら私と放谷と不知火、一体どうなっちゃうの!?
***
座標から座標へ、ひと呼吸で空間を渡った夜刀は、竹葉蛇の中から闇間の岩棚を見下ろした。
一方、夕星から待機を命じられた当頭姫と目賢姫は、きょとんとした様子で、竹束を継ぎ合わせた不細工な兜鎧傀儡を黙然と見上げた。
「その傀儡、覚えがあるわね。宮魂の連蝉と避役の賺心裳だったかしら?」
言い当てられた二柱は互いに傀儡の首を巡らせて顔を見合わせた。
「夜刀媛様び?」
「何か御用?」
前触れもなく現れた万古の神に、些か間の抜けた対応の二柱。夜刀は目線の合う位置まで竹葉蛇を降下させた。
「首刈はここよりもっと下?」
「あい。八大の御二方もご一緒」
「そう。貴女たちは此処で何を?」
「待機でしびっ。お二人が首刈様を連れ戻されるのを待っておりましびっ」
「そう。なら私が連れ戻しに行っても問題はないわね?」
二柱は再び傀儡の顔を見合わせると、向き直って頷いた。その様子を見届けた夜刀は最早言葉も置かずに急降下。後には一陣の風ばかりが闇を巻いて散って行った。
***
ガシン――。
三領の傀儡が三方睨んで背中を合わせ、十重二十重と囲い来る蟷螂の群と対峙する。
四ツの太刀を宙に操って牽制するのは段切丸。
剛礼号は大槌を腰溜めに構えて睨みを利かす。
白銀に輝く眼百鬼を見れば乗り手の阿呼がその身に宿す神宝、天左右牙を両の肩口に浮かべていた。
「あのおバカ。落ちて行ったけど大丈夫かしら?」
「追っかけたいのは山々やねんけど、こうも囲い込まれてもーたら、そーも言っとられへん」
「お姉ちゃんなら大丈夫です。放谷が付いてるから」
「放谷ぅ? あの娘随分と頼りないけど大丈夫なの?」
「そんなことない! 大丈夫ですっ」
軽口混じりの返しに昂然と否定をぶつけられて、夕星は驚き半分、素直に阿呼に謝った。
「ごめんごめん。なら妹ちゃんの言葉を信じて、とにかく目の前の連中から何とかしましょ」
「せやな。数が手間っちゅうだけのことやし、順繰りにいったら造作もないやろ」
「追い払って下さい。なるべく殺しちゃダメ」
首刈の代弁をする阿呼に夕星と千軽は口を揃えて「分かってる」と応じた。そして内心苦笑する。なんと言っても、この場で一番殺傷力があると目されるのは阿呼が展開している天左右牙なのだから。
「ほな始めよか」
「離れ過ぎないようにね」
「はいっ」
合わさった背に弾みを付けて三方へ散る。
速さに抜きん出た段切丸は四ツ太刀の峰で風を切り、巨虫の鎌や肢をへし折りながら攻め込んだ。
「かったいわね、もう! 腕が痺れるったら」
弾き返された腕を見て、夕星は歯噛みした。
追い払うにしても下手な手心を加えている余裕はない。言うまでもなく相手は霊塊の化け物。星霊の層の中にいた酔い惑う手合いでもなく、明らかにこちらを狙っている。となれば数が数だけに八大神でも楽な相手ではなかった。そもそも霊塊の化け物の群など、夕星も千軽も相手にした例がない。
「なんやもう、角力の乱取りとは勝手がちごーて、おわっ、鎌が伸びるとか反則やろ」
剛礼号は分厚い外装を頼みに敵中へ飛び込んで象の雄叫びを豪と発した。そこへ来て大槌を繰り出せば、音波に打たれて動きの鈍った蟷螂たちを右へ左へ掻き分けるように吹き飛ばして行く。果たしてそこに加減が存在するのかは、千軽本人にしか分からない。
「早くなんとかして、お姉ちゃんの所に行かないと……」
阿呼は阿呼で未だに制御できるとは言い切れない天左右牙を抱えて避け回っていた。そんな中、思い浮かんだのは記憶に残る姉の言葉。
――天左右牙に纏わりついてバチバチいってるあれ、多分電気だから。
電気は雷みたいなもの。天左右牙は雷を発する神宝だ。しかし雷を打ち込んでは威力が強過ぎる。きっと死なせてしまうだろう。姉は小さくした天左右牙を前にしても触れるのに恐る恐るといった風だった。バチバチよりも弱いパチパチ。それでも怖がるほどの効果があるというなら、先ずは試してみることだ。
「鳴神!!」
ありったけの威力を爆発させる霹靂とは異なり、鳴神は一点突破の精妙さが要求される御業だ。阿呼はこれにパチパチのイメージを上乗せして、細く鋭く、尚且つ群相手に飛び火する雷を想起した。
起点に選んだ個体に向けて天左右牙の先端から電雷が奔る。電光はどんぴしゃりと命中し、感電した相手は動きを奪われる。そこから最寄りの個体、更に次の個体と連鎖反応する電撃が走り抜けて、動きを失った蟷螂は続々と真っ逆様。混み合っていた阿呼の前方スペースは瞬く間にガラガラになった。
「上手にできましたっ!」
「へー、妹ちゃんもやるじゃない」
「おーおー、見事なもんやで」
と、互いの成果を確かめ合っていると、
「曲襲!!」
頭上から大音声が降り注いで暗い亀裂に響き渡った。次いで両側の絶壁が震え始め、谷を狭めるように歪に撓んで迫り上がる。やがて褶曲に耐え兼ねた岩肌が一斉に弾け、けたたましい音と共に所狭しと岩石の破片をばら撒いた。
「ちょっ、この圧!」
誰の仕業か直感しながら、夕星は散の御業で花霞となって破片を躱した。
千軽は期尅を使って剛礼号の剛体を更に堅固に仕上げ、眼百鬼を庇って背中から覆い込んだ。その腕の中で阿呼は、バタバタと撃墜されて行く蟷螂たちの姿を茫然と見送る。
「こらぁ! 夜刀ちゃんでしょ! 危ないじゃない! 大体なんだってここにいるの!?」
花霞から像を結んでキッと見上げる段切丸。その面皰には夕星のきつい面差しがありありと浮かんでいる。
「あらまあ、随分な御挨拶だわね。貴女たちの留守の間に霊猫でひと騒動あったのよ。貴女たちも戻るんでしょう。なら、さっさとなさい」
その声音を耳にして、夕星も千軽も、夜刀のヘソが些か曲がっていることを察した。事情は知らない。知らないが、明らかに面倒臭い状況だな、と二人してそう思った。
気を逸らすようにぐるりを見渡せば岩肌の剥がれ落ちた壁面は元通り平らかに収まり、いずれの側も横一線に黄金色の輝きを発している。
「うそやろ、金の鉱床やん。えらいもんが隠れとったなあ」
「あら本当。心に引き取って貰えば赤土のいい資金繰りになりそうね」
感嘆する千軽に俗っぽい言葉で返す夜刀。そこはさすが蓄財の神か。
引き合いに出された心媛は筆神としてのみならず、鉱床の神としても広く祀られている。蝙蝠は金堀に通じる音と、洞穴に住まうことから、古くより坑道の宿り神とも鉱夫の守り神ともされていた。
「そんなことより夜刀ちゃん。霊猫でのひと騒動って言ってたのは何?」
「それは戻ってから説明するわ」
「まだ戻れません!」
夕星と夜刀の間を割って、珍しく怒気を孕んだ声で阿呼が言った。夜刀は竹葉蛇を眼百鬼に向けて、何故と仕草で問い返す。
「お姉ちゃんはまだ下にいます! なのにあんなに沢山の岩を落してっ、蟷螂さんたちだってみんな死んじゃったかも」
姉の身とその想いを案じる阿呼は、眼百鬼の操縦槽の中で赤い眼を怒らせていた。その気配を察して夜刀は少し冷静になった。
一方的に風声通信を打ち切った首刈の態度に憤懣を抱えていた夜刀だが、てっきりこの場に首刈もいるものだと思い込んで曲襲を打ち込んだのだ。その不在を指摘されるまでカッカしていて意識が及ばなかった。辺りを探れば確かに首刈はいない。これは拙いことをしたと、さすがに反省の色を示しつつ、
「私としたことが注意が及ばなかったようね。御免なさい阿呼。とはいえ、蟷螂を倒すのも駄目だったかしら? 霊塊の化け物だと思ったのだけれど」
「ダメです。お姉ちゃんは霊塊の化け物でも、助けられるなら助けたいって、そう言って頑張ってるんです!」
ああ、なるほど。と夜刀は得心した。
霊猫神社で渡人たちに聞かされた、首刈が兜虫の化け物を救って見せたという件。その一例を以って、他も出来得ることならばと考えるのは、甘っちょろい程に優しい性根の首刈ならば理の当然だ。
夜刀は竹葉蛇の槽内で「らしいわね」とほくそ笑みつつ、対面している眼百鬼をつぶさに眺めた。
懐かしい――。
かつて夜刀と肩を並べて過ごした白守四方鎖目張媛命が生み出した神宝、眼百鬼。
四陣風の母である目張との思い出がまざまざと蘇れば、夜刀の胸の内に滓を落していた首刈との些末なやり取りなど、一遍に拭い去られてしまう。
無論、眼百鬼ばかりではない。
千軽の祖母、山動弥猛大耳媛命が豪快に乗り回した剛礼号。
今も存命の悪友、野飛焼退紅妖星媛命が創造した史上初の兜鎧傀儡、段切丸。
先頃まで封じていた記憶の鮮やかさも手伝って、夜刀は一入の思いに駆られた。
「おーい、夜刀ちゃーん。もしもーし!」
折角の思い出にズカズカと雑音が割り込んで来る。
「うるさいわねぇ。少しは浸らせて頂戴」
「何を悠長なことを。首刈を探しに行くよっ」
「せや。ボケッとしとったらあかんがな」
「誰がボケですって?」
「そこは噛み付くとこちゃうやろ」
「んもぅ! 急いで下さいっ」
気の急く余り、やや普段使いの言葉から崩れた阿呼に押されて、眼百鬼を先頭に四領の兜鎧傀儡は闇を下った。
自らを光源とする眼百鬼の左右に、熱源を目で追う竹葉蛇と匂いを見分ける剛礼号。後に付けた段切丸は背後となる上方への警戒を受け持つ。
「夜刀ちゃんさぁ」
「何かしら?」
「いや、よく来れたもんだなと思ってさ」
「んぐ……」
辛辣。しかし、それも致し方のないこと。
日頃は夜刀を慕ってやまない夕星だが、今回の件の発端に関してはさすがに呆れており、首刈の自力解決という主張がなければ、さっさと祖母なり夜刀なりを呼び立てて後始末させるべきだと考えていたくらいなのだ。
夜刀も夜刀で、ここへ来れば当然やいのやいのと言われるだろうことは覚悟していた。
遥か昔、時流に乗って兜鎧傀儡を乗り回し、月卵山を吹き飛ばしては風合谷を造った。次いで中央高地へと場所を移せばまたもド派手に大地を吹き飛ばす。さすがにバツが悪くなって、今一人の当事者である当時の皇大神、火群との紳士協定下、「兜鎧傀儡は黒歴史」とばかりに記憶を封印していたのだ。
お陰様で、徐々に変貌を遂げる中央高地を見ても「一体何が原因なのかしらねぇ」と頭を捻る道化振り。当時の現実逃避がとんだ負債になって帰って来た。
だがしかし。そんな夜刀にも言いたいことはある。
「確かに、今度のことは私が原因ではあるし、悪かったと思っているわよ。でも貴女たちも貴女たちでしょう。半人前の首刈に乗せられてだらしのないこと。何故もっと早くに相談に来ないの。こっちはてっきりこれまでの調子で首刈が泣きついて来るんだろうと思っていたのに、てんで音沙汰無しなんだから。嫌になっちゃうわ」
その言い草を聞いて、今度は黙って聞いていた千軽が言い返した。
「そんなんゆーたら可哀相やろ。そっちが自力でせぇゆーて何べんも何べんも追い返したんとちゃうんか? そんなんしたら首刈かて意地になって当然や。追い込んどいてよーゆーわ」
「そんなこと言われるまでもない話よ。だからと言って限度というものがあるでしょう。その線引きと見極めをするのが貴女たちの務めだったのではなくて? 八大が二柱も付いていながら、これだけの事態に報せの一つすら寄越さない。私はそのことを言っているのよ」
「そんなん今更や」
「開き直るんじゃないの」
「開き直っとんのはそっちやろっ」
「なんですって!?」
「喧嘩しないで! お姉ちゃんを探して!」
思うに任せぬ苛立ちがぶつかり合って、そこへ年端も行かない月神から冷や水を浴びせられた。夜刀も千軽も口を閉ざして、ぽっかりと空いた間を繋ぐ言葉もない。と、その空隙目掛けて何かが物凄い勢いで向かって来た。
「避けて! ぶつかるよっ」
夕星の警告に銘々傀儡を繰って飛来物を躱す。あわやの交錯を紙一重で避ければ、目の前を矢の如き勢いで擦り抜けて行ったものの正体に誰もが目を疑った。
「ちょっと、今の首刈じゃなかった!?」
「お姉ちゃんだった!」
「不知火やったな、うん」
「追うわよっ」
素早く反転した竹葉蛇を先頭に、今度は全力で上昇する。不知火を押し上げる闇は長く尾を引いて、それに追い縋るように四領の兜鎧傀儡が風を切った。




