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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の三 赤土編
64/172

062 怪獣、現る1

 大地の亀裂は霊猫じゃこう神社から真っ直ぐ北西に進むと、ほぼ直角に交わる形で横たわっていた。かつて私のご先祖様と夜刀ちゃんがドカンとやらかしたドでかい裂痕を中心に、長い年月の間繰り返された崩落によって、四方八方に罅割れのような裂け目を広げている。そうした裂け目に流れ込んだ雨水が更に傷を拡げ、星霊の負荷による崩落と天然自然の変化による合わせ技とで、ひと時として同じ姿を留めてはいと言う。

 絵図を読み解いたジーノスたちの印を目当てに、今目指しているのは銛鋒ときさきの谷と名付けられた、亀裂の南を走る裂け目。

 ブーメラン型の編隊は先頭に愛発あらち姫の胡爪鬼うずまきを置いて、その左手に私。前傾姿勢で飛行する不知火は、球形の操縦槽に備わる回転機構によって私の姿勢を直立を保っていた。ほんと、細かい箇所までよく作り込まれている。


「つかぬことを聞くけど、放谷」

「んー?」


 ふと、お腹の辺りに空虚を感じた私は、肩の上で同調して視界を共有する小蜘蛛の放谷に問いかけた。


「みんなお昼ってどうしたの?」

「食べたー」

「えっ、私食べてない!」

「そりゃ寝てたからなー」

「待って。お弁当とかあるんだよね?」

「知らないなー」


 まじですか。お伴なんだからその辺は気を利かせてくれてもいいじゃん。そーゆーところだぞ、放谷。


「遅れてるよ。何やってんの。息を合わせるんでしょ」


 昼抜きの衝撃に編隊を乱したのだろう。すかさず夕星からの風声みさを通信が舞い込む。


「夕星! 私お昼食べてないっ」

「夢で食べたでしょ」

「嘘でしょ!? そんな答えってある!?」


 衝撃を上塗りされた私は目の前が真っ暗になった。みんなは満腹。私だけ腹ペコ。こんな不条理が許されていいのか。皇大神だよ? 私。もうちょっとこう、なんとかなりませんか?


輪違わちがいの中に食べ物とか残ってないのかー?」

「あるっちゃあるけど、ううっ。ちゃんとしたお昼が食べたかったぁ!」


 手甲から手を抜いて泣く泣く輪違を開き、空きっ腹に任せて手を突っ込めばガツン。


「痛い……」

「どうしたー?」


 突き指した。

 引き抜いた手は中指の付け根が赤らんで、中を覗けば真っ赤な電子レンジ。弱り目に祟り目とこのことだ。

 肩を飛び降りた放谷は槽内に糸を張って人の姿を引っかけると、私の手を取ってふーふーと息を吹きかけた。


「ありがとう。でも全然痛いよ」


 軽い突き指だけど痛みが抜けるには二、三日かかるだろう。しょぼくれた気持ちでいると、放谷が輪違からバナナを取り出して剥いてくれた。真っ茶色の皮も一皮剥けば女郎花おみなえしに似た淡い黄色の実を現す。パクリと行けばよくよく熟した果実がとろり。舌の上で蕩けるようだ。


「甘い!」

「元気でたかー?」

「うん。元気になった」

 

 手狭な槽内に二人並ぶと如何にも窮屈ではあったけど、それが気の合う相棒ならば反って居心地はいいくらい。


「でも、次はお弁当用意して貰うの忘れないでよね」

「おー、分かったー」


 響く笑いに指の痛みも忘れて、さぁ目的地はそろそろか。遠くに見えていた谷筋が段々と迫って来た。

 銛鋒ときさきとは鋭利な先端を表す言葉で、刃物による災難という意味も含んでいるんだとか。見えてきた谷は切っ先のように鋭い裂け目をこちらへ向けて、その先に遠大な広がりを見せていた。

 編隊は愛発姫を皮切りに縹色はなだいろの空から急降下。緑の絶えた岩剥き出しの谷には所々風化で取り残された尖塔のような岩柱が見られ、それがまた銛鋒ときさきの名に相応しい奇観を演出している。


「グランドキャニオンだ――」


 手近な範囲を見渡せば虫が隠れ潜む森もない。そこで私たちは十分な広さがあるテーブル状の巌上に降り立った。

 不知火に頼んでハッチを開くと唸るほどに風が強い。一面に見られる剥き出しの赤岩は砂岩だろうか。吹き抜ける谷風に紛れて、かしこからサラサラと砂礫の流れ落ちる音が聞こえて来る。


「今日はこの谷を調べながら亀裂の中心部を目指そう」

「この谷は虫が出そうな気配もありませんわ。侵入経路としてはよさそうですわ」


 朗らかな鉀兜よろいと姫の声。彼女の乗り込む独角仙ひとつぬひじりは、刃を下向きに大鉞おおまさかりを立てて、石突いしづきに両の手を乗せていた。

 今日の下見では多少の遭遇は乗り越えて続行する。となればいずれ大鉞の出番もあるかもしれない。谷の深みへ進めば進むほど。また、大地の亀裂に近付けは近付くほど。巨大昆虫との遭遇は避け難いものになるのだから。


「私たちの身の安全が第一だけど、巨大昆虫はなるべく追い払う方向で対処しよう。動きを封じたり眠らせたりできるならそれでも構わない。とにかく、余裕のある限りは殺さないように注意して」


 各位から了解の応答を確かめて、私は今一度谷の全景を見渡した。今いる地点から谷は徐々に広く深くなっている。遠くの緑は、流れ込む水が滞留する平坦部の起点。谷自体は更に先で大地の亀裂と合流している筈だ。


「見ての通り谷幅が広いから、ここからは左右見える距離に別れて飛ぶよ。鉀兜姫と馳哮姫は私と。愛発姫と斑良姫は夕星と班を組んで。夕星はそっちの班長をお願い。ただし、この辺りに詳しい愛発姫の言うことはちゃんと聞くこと。私も鉀兜姫の助言に従って飛ぶ。その上でみんな、各班長の指示に従ってね」


 班割りは前夜のジーノスの提案に従ったものだ。私の班は左手に寄り、夕星の班は右手に寄って谷を進んだ。

 有翼の神は土不要つちいらずを好むのか、唯一翅を持つ兜虫の女神は星霊の翼もなしにスイスイと隣りを飛んでいる。生来飛ぶことを知る者にとって、御業での飛行に翼は今更なのだろう。その点、地を行く他のトーテムは私を始め、飛ぶ鳥を見様見真似する飛鳥の御業が肌に合った。

 力強い追い風に抱かれて僅かな星霊の放出で距離を稼いで行く。見る間に点景だった谷底の緑が近付いて、鬱蒼とした闇に谷川が吸い込まれているのが見えた。


「首刈様。下闇を潜るのも手ですわ。それともこのまま梢の上を?」


 その問いに寸暇の思案を巡らせる。上を行くなら今までと然して代わり映えはしない。ここは下闇に飛び込んで、一方の夕星たちに上から目を配って貰ってはどうだろう。


「森に入ろう。放谷、夕星に上を行くように伝えて」

「分かったー」

「てゆーか小蜘蛛に戻ってよ。いい加減動きづらいっ」

「あいよー」


 森に入れば巨樹やら蔦やらを掻い潜って飛ぶことになる。さすがに手狭な操縦槽を人の姿でいられては邪魔っけだ。

 私は鉀兜姫に先行して貰い、独角仙が描くラインを模倣しながら上に下にと不知火を操った。時折蔦を引っかけると不知火から「大丈夫?」みたいなお気遣いを賜ったりする。大丈夫だよ。ドンと任せなさい。

 幸い川の流れが緩やかになって川幅が広がってくると、川面を滑るように飛ぶことで厄介な障害物を避けることができた。と、肩の力が抜けたその時だ。


 ザッバァァァァ――。


「なんか出た!!」

「退避! 梢を抜けて上へ退避ですわ!」

「急には停まんねっすー!」


 はぐれまいと距離を詰めていたのが仇になった。車間距離って大事だよね。

 急な制動に手間取る不知火、てか私。その背中に悉平丸がドドンと追突。ひらり舞った独角仙とは真逆に、続く二体は水飛沫を上げて落水した。


「何やってんだ首刈ー! 上がれ上がれっ、早く上がれってー」

「言われなくたってやってるよっ」


 水に落ちる恐怖というのは陸の生き物にとって実に本能的なもので、私も放谷も軽くパニックに陥った。慌てて槽内を見回せばどうやら浸水はしていない。ところがそんな安堵も束の間。次の瞬間、両方の二の腕辺りがギュッと胴体に押し付けられて、まるで万力で締め上げられたような圧迫感に襲われた。不知火が何かに締め付けられてる。


「水が濁ってて何も見えない! 馳哮さん、そっちは!?」

「川岸に向かってるっす!」

「おけ! 上がったら援護して! てゆーか状況教えてっ」


 想像の中を右から左に悉平丸が犬掻きして行く。一刻も早く岸に上がってフォローして頂きたい。


「首刈ー、早く上がってくれー」

「騒がないでよっ、放谷は水蜘蛛にもなれるんだから水なんか怖くないでしょ!?」

「あっ、そうだったー」

「をいっ」


 ふざけてるのかっ。

 調子を狂わせられながらもどうにか身をよじる。しかしこれがビクともしない。


期尅いのごい! うおりゃあああ!!」


 このまま押し潰されてなるものかっ、と筋骨強化の御業を練って不知火の五体を強化しつつ、未だ自由の利く足で蹴りを繰り出す。途端に濁り水が暴れて視界に渦を巻いた。その濁りが褪せて水面に近付いたと分かる。そこへ気合の籠った馳哮姫の声――。


唯光いひか!!」


 水膜に覆われた視界に眩い閃光が走った。続いて何かが焼け爛れる臭いが鼻腔を突く。不知火を掴んだ謎の敵は大きく仰け反ったようだ。勢い水面に持ち上がった私の視界にドアップの巨大な顔が飛び込んできた。黒々と仰々しい複眼。その狭間から蝉の針のように伸びる狂暴な管。


「たっ」

「た?」

「タガメかぁぁぁ!!」


 ボディビルダーのような前腕で不知火を締め付けていたのは、水生昆虫の中でも抜きん出て獰猛なタガメ。これは抜け出せない訳だと妙に納得しながら、次に何をすべきか思案に暮れる。


「上から来るぞー」

「何が!?」


 見上げれば川を覆い込む枝葉を割って独角仙が落ちて来る。大鉞おおまさかり振りかざして落ちて来る。


「ちょちょちょ、待って待って、怖い怖い!」


 タガメを狙っていると分かっても、一つ間違えば不知火の兜を叩き割る勢いだ。私も放谷も衝撃に備えてギュッと目を瞑った。


 バッシーーーーン!!


 冷やりとした直後、誤爆はないと悟って片眼でチラリ。

 独角仙の大鉞は刃を立てず、平で強かにタガメの頭を打ち据えていた。お蔭さまで締め付けも緩んで、不知火は野太い腕から無事脱出。岸にいた悉平丸と並んでタガメの次の動きに備える。


「無事っすか?」

「なんとかね。さっきのピカッてした御業は何?」

「首刈様が危ないと思ったんで、光の矢で貫いたっす」

「わおっ」


 それは光の矢に対する「わお」であり、同時にそれでも不知火を離さなかったタガメへの「わお」だ。

 川に視線を戻せば独角仙の一撃を受けたタガメは流されるままに遠ざかって行った。宙に留まってそれを見送った独角仙は、くるりと向きを変えて岸に降り立つ。


「ご無事のようで何よりですわ」

「二人のお蔭で助った。ありがとう」


 互いの無事を喜び、不知火に不調はないかと腕や肩を回してみる。うむ、支障はなさそう。そうこうしていると、やがて愛発姫たちも降りて来た。


「何が出たのよ? 虫?」


 私は一通りの状況を説明して先を続けた。


「とにかく大きさが今までと違ってた。こっちだって全長一〇米はある兜鎧傀儡だよ? それをガッチリ掴んで締め上げてくるんだから、測った訳じゃないけど一五米は下らなかったと思う。地竜を除けば私が見た中で一番の大きさだね」


 ごく普通のサイズの話をすれば、タガメというのは兜虫と同じで大体の体長が七、八糎になる虫だ。すると単純に置き換えた場合、ここらの兜虫も一五米級と推察することができる。ただ、一点気にかかるのは――。


「ねぇねぇ、鉀兜姫に質問」

「はい」

「巨大化した中央高地の森で、兜虫なんかの甲虫は巨樹の星霊を吸い上げることを生存戦略にしたって話しだったでしょ?」

「その通りですわ」

「うん。でも私の知る限りタガメって肉食で、蛙や小魚を餌にしてるの。それがあそこまで大きいって、もう巨樹の星霊を吸うから大きくなるとか関係ないよね?」

「確かに。この場所では関係なくなるのかもしれませんわ。それは他所より星霊の密度が濃いことに起因すると思うのですわ。例えば今のタガメ。あれはひょっとして霊塊たまぐさりの化け物だったのかもしれませんわ。ここは崩落の地。ならば生き物に宿る星霊も相応に変調を来たしていると考えることができるのですわ」


 理解できる話だ。蛙や小魚を狙うタガメがわざわざ水上を飛ぶ兜鎧傀儡を狙ったこと自体、霊塊たまぐさりの影響で狂暴化していたという推測は成り立つ。霊塊を発症していない甲虫が樹木の星霊を吸って一〇米級に育つなら、育った先で霊塊を発症すれば更に巨大化、なんてこともあるのだろう。


「霊塊か。次に遭遇した時は天津百眼あまつほめらで確認してみよう」

「貴女、危なっかしいから上を行きなさいよ。今度は私たちが森の中を飛ぶから」

「分かった。下はお願いね」


 夕星の提案でホジションを入れ替え、亀裂に向かって再び谷を進む。突然の遭遇戦には驚いたけど、幸い負傷者もないことだし、行ける所まで行っちゃおう。

 進むにつれて銛鋒ときさきの谷は樹海の様相を呈して来た。やがて前方に大きく落ち窪む目的地。いよいよ谷と大地の亀裂が交差する。

 みんなの口数が少なくなると、見据えた視界の隅に巨大な蝶が舞い上がった。思わずリアルモ〇ラかと目を疑ったそれは太陽モルフォ。飛ぶ速さはこちら速く、煌めくオレンジの翅をはためかせながら、あっという間に後方に流れて行った。


「ふぅ、ドキッとした」

「おい首刈。あれを見ろー」

「なになに?」


 警戒気味な放谷の声。緊張を高めて前方を確かめると――。


「何あれ? オーロラ?」

「おーろらー?」


 伝わらないのも無理はない。けれど、そう表現する他ない光景だ。大地の亀裂から立ち上る若草色の光るカーテン。色合いは薄く幽かではあったけれど、その先の景色を歪めて確かに存在している。


「愛発さん! 森を出て上空に上がって下さい。合流しましょう」

「何かありましたか? 首刈様」

「はい。ちょっと、なんと言うか、見て貰った方が早いです」

「分かりました。直ぐに参ります」


 森を出てきた三領を迎え、更に高度を取って大地の亀裂を注視する。そこから昇る若草色のオーロラは吉凶はさておき超自然のものには違いない。


「星霊の密度が濃過ぎて目に見えちゃってる状態な訳ね」

「そうなの!? あれが全部星霊?」

「もっと近くまで行くの!」


 夕星の言葉に驚いた傍から、元気な斑良ちゃんが豹紋の傀儡を右に左にと落ち着かない。それもここまで来たからには理の当然。今はまだ引き返す場面ではない。


「よし、とにかく縁まで行って亀裂の中の様子を覗いてみよう。でもいい? 何かあっても高度は下げないこと。千軽ちゃんたちと合流するまではあくまでも事前の下見だからね」


 そこはかとない不安はあった。けれども未だこれといった成果もない。何より、目に見えるほど濃密な星霊が漂っている場所ならば、万が一にはあの真下辺りに目指す地殻の裂け目がないとも限らない。


「慎重になー」

「分かってる」


 縁までの距離は目測で五粁あるかないか。そこで銛鋒の谷は途絶え、眼下の樹海も大地の亀裂に落ち込むように終わっている。


「気温が上がってる感じしない?」


 夕星からの風声通信も普段よりトーンが下がって警戒を露わにしていた。


「気にしてなかったけど、言われてみればちょっと暑いね」


 兜鎧傀儡の操縦槽内は神宝故か、これまで外気温の影響を受けることはなかった。それが今は心なしか暑いと感じる。錯覚と言ってしまえばそれまでだけど、現状を鑑みるにそうとも言い切れない。星霊の気がオーロラに見えるほど集ってるなら、熱量も上がっているのかもしれなかった。


「あっちもこっちも星霊がゆらりんこしてるー。なんだか面白ーい!」


 楽しそうで何より。暑さを感じるのもきっと、斑良ちゃんの脳がお天気だからだね! などと気を楽に構えて、さぁいよいよ交差の縁へとやって来ました。


「うわっ……。首刈様、やばくないっすかこれ」


 一歩先んじた馳哮姫が呻きたじろぐ。


「ちょっと、驚かさないでよ。どれどれ……。んんっ!! こっ、これは……」


 覗き込んだ亀裂の中は目に痛いほど濃密なエメラルド。あまりのまばゆさに地面らしき何ものも見当たらない。視線が通らないのだ。しかも――。


「うじゃうじゃいる! あれ全部が虫!?」

「そのようですわ。さすがにわたくしも腰が引けてしまいますわ」


 兜虫の神様が後退るのだからそれはもう相当なものです。目張命まなばりのみことから「犇めいている」とは聞かされていたものの、あくまで比喩だろうと、どこかで高を括っていた。然るに現実はこれだ。


「首刈様。幾ら兜鎧傀儡でもこの中へ乗り込むのは無謀過ぎますにゃ!」

「愛発さん、私もまったく以って同意ですにゃ!」


 そりゃ語尾も「にゃ」になる。見た限りのことを言えばこうだ。

 昨日、大社殿を飛び立って目にした大地の亀裂は、広大な地溝帯のように見えた。それが今、目の前にしているのは幅はそのままに底も知れない深い深い悪魔の口穴。

 崖に目をやればパッチワークのような崩落の痕が広範にわたって覗いている。一方で森は何処にも見当たらない。もしかしたらこの色濃いエメラルドの下にあるのかもしれないけれど、梢のひとつすら見えないのだ。そしてその濃密な星霊の海を巨大な甲虫たちが飛び交っている。それがまた奇妙なもので、例えば木天蓼またたびに酔った猫の挙動に似てふらふらと覚束ない。蛇行したり蜻蛉返りしたり、互いにぶつかって緑の深みに呑まれて行ったりと、見るからにまともではなかった。


「首刈ー。天津百眼で見てみろー」

「そっか、うん」


 眉間に神宝の瞳を開いてネガのような視界を覗き見る。星霊の色は変わらず揺らめくエメラルド。その色合いが強すぎて他をまともに見分けるのが難しい。私は全体を見るのを諦めて、一先ず真下辺りを飛んでいる一匹の甲虫に集中した。


「うわぁ……」

「どうしたー?」

霊塊たまぐさりが幾つもある」

「まじかー」


 無論、その一体だけじゃない。近間の虫を順々に確かめると、大なり小なりほとんどの個体が霊塊を発症していた。率直に言ってこれは手に負えるレベルを超えている。かと言って放置しておいていいレベルでもない。相反する考えに身悶えしていると、不意に視界にいた筈の虫が二、三匹同時に姿を消した。


「えっ、消えた? 放谷、今の見てた?」

「いやー、見逃がしたなー」


 目を凝らしてみると、消えたと思しき虫のいた辺りで星霊が渦を巻いている。更にめつすがめつしていると、今度はその渦の中心が盛り上がってきた。


「やばいっ、なんか来る! 出てくるよっ、みんな退避してっ」


 警告が先か、何かが飛び出したのが先か。まるで雲海を割るようにして現れたのは想像を絶する巨大さの大層ご立派な兜虫<♂>だった。


「うっそだぁ……」


 開いた口が塞がらない。だって角だけで二〇米はあろうかという大きさなのだ。私が今まで巨大巨大と言い連ねてきた虫たちは一体何だったのかと呆れ返ってしまう。しかも地竜が大口を開けたかのような輪状の牙が覗いていた。その歯に引っかかっているのは別の兜虫の足か。忽然と消えたかに見えた虫たちはこの巨怪に喰らわれてしまったのだ。

 その異形。最早、天津百眼で見るまでもなく霊塊の化け物。羽音唸らす超弩級兜虫は正に怪獣と言っていいだろう。オベリスクのような大角を天にかざし、飛び行く速度は猪突の勢い。それが私の脇を抜け、後方に居並ぶ味方目がけて突っ込んで行った。

 反射速度の高いイヌ科ネコ科の神々が即座に散り、逃げ遅れた格好の独角仙が的にかかる。それを天翔ける天馬、段切丸つだきりまるが颯爽、佑助ゆうじょした。カッコイイ。カッコイイけど行けるのか!?


八雷やくさのいかづち!!」


 いや、行って下さいと天に祈れば立ちどころに雷鳴が轟き、八本の稲妻が柱となって段切丸と独角仙を囲い込む。それが旋回して筒状に電撃の壁を成せば、迫り来る怪獣の角又を迎え撃とうという腹か。夕星のことだからきっと物凄い威力なんだろうけど、見た目には小石と大岩のぶつかり合い。


石凝いしごり!」


 私は少しでも怪獣の勢いを削ごうと、石化の御業を目一杯の力で放った。翅の一部でも石にできればバランスを失ってくれるのではないか。


 パキパキパキ――。


 掠めはしたが狙いは外した。それも目測を誤ったのではなく目標が速過ぎたせい。石化できたのは片側の後肢一本だ。果たして怪獣は私の攻撃など意にも介さず段切丸に角を浴びせかけた。

 視線は釘付け。でも決定的瞬間を見たくないと鬩ぎ合う意識の中、それは火花を散らして衝突した。瞬間、バリバリバリッとけたたましい音を立てて怪獣の全身を青い稲光が走る。さながら空中爆発したロケットのように火焔が八方飛び散って、濛々と煙立ち、焦げ臭い匂いが辺り一面を覆い尽くした。


「こんがりんこー!」


 うそでしょ!?

 まったく以って場を弁えない楽しそうな斑良ちゃんの声。私は耳を疑った。この状況で芋の煮えたも御存知ない。


「鉀兜姫と夕星は!? 探してっ、落下してるかも!」


 煙で視界不良となった空に二人の行方を探し求める。何せあの勢いでぶつかったのだ。いなさぬまでも弾き飛ばされることで威力を緩和しなければ、さすがの夕星も無傷では済まない筈。

 私は仰向けに落下して行く超弩級兜虫と入れ違いに上昇。血眼になって段切丸と独角仙を探し回った。


「夕星! どこっ!?」

「ここにいるよ」


 風に流れた煙の向こう、元いた辺りにそのまま浮いていたのは無傷の段切丸。背後には独角仙もいた。二度見して確かめたけど、網膜に焼き付いた残像の類ではないらしい。


「あれ!? 飛ばされたんじゃなかったの?」

「ご冗談。あの程度が何よ。鉀兜姫も無事だよ」

「うわ、まじか。凄すぎる」


 てっきり兜虫を怪獣だと思ったけど、とんだ勘違い。本物の怪獣は夕星の方だったというオチ。

 無事と知ってホッとする反面、八大神の凄まじさを痛感させられた。あれをあれして一体何をどうやったら無傷で済むというのだろうか。訳が分からない。

 後で聞いた話では、筒の回転で角の先端を僅かにいなし、返す刀で八本の雷を打ち込んだというのだから、もう夕星ってば無敵なんじゃないかなと舌を巻くのも忘れたほどだった。


「大人しくなったかしら?」


 ズズーーンと重々しい響きを伴って驚異の兜虫は銛鋒ときさきの樹海に身を沈めた。あれで無事とは思いたくもないけど、段切丸は腰の刀に手をかけて警戒を解く様子がない。

 この場合、散開したままがいいのか、固まった方がいいのか、私にはそれすら判断が付かない。どうしたものかと迷っている内に、兜虫の落ちた辺りから物凄い咆哮が上がった。それは象の雄叫びを数十、いや数百倍したような暴力的な音の塊りだ。


「くるよっ」

「よし、ここは任せた!」

「貴女ねぇ!」

「そんなこと言ったって私には夕星みたいな大技はないんだよ。物部式の強化系を駆使したって、空飛ぶ要塞相手にどれだけ通用すると思う?」

「放谷と同調すれば糸くらい使えるでしょ! 足止め程度はやって見せなさいよっ」


 無茶振りキター! いや、メインを張れと言われないだけましか。

 私は夕星から距離を取り、小さ神と連携してどの方向からでも援護に回れるよう、広く輪を描いて陣取った。私たちが描く円の中心、その真上高くから夕星が睨みを利かせる布陣だ。

 そして再び怪獣の咆哮。なし崩しに第二ラウンドが始まろうとしていた――。

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