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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の三 赤土編
62/172

060 霊猫神社

 雨季が近い。

 常夏の赤土でも夏色は一つに非ず。そこに暮らす者たちは常からその移ろいに敏だ。

 北大嶋では梅が香り、そろそろ桜の蕾も重たくなろうかというこの頃。赤土の中央高地には水追いの雨と呼ばれる長い地雨が降り注ぐ。例年、水走月の十日から水追月の二十日まで、ひと月以上に亘って繰り返される曇天と雨夜の日々だ。


「年が明けたと思ったらもうそんな時期ね。まーちゃん、こよみはもう覚えた?」


 軒先から杜を眺めていた愛発姫あらちひめは、横縞の太い尻尾にじゃれつく幼子に問うた。


「うん! 今日わぁ水走月の十日なの」

「はい、おりこうさん。でも、お返事はうん、じゃなくて、はい、でしょ?」

「はーい」


 幼子の笑みに引かれて愛発の相好も崩れる。腰を屈めて耳の狭間に髪を撫でれば、柱の陰に潜んでいたらしい二人の子らも駆け寄って来た。

 撫でり撫でりと順にめぐすは、年の瀬に生まれた孫たち。どの子も薄灰うすばいに黒縞の髪で、黒一色の愛発よりも麝香猫らしさが際立っていた。


「さぁ、円香まどか綾目あやめ笛模ちゃこもも。お片付けを手伝って頂戴な。皇大神にくつろいで頂けるようにしないとね」

「まーちゃん囲炉裏の灰にお絵かきするー」

「囲炉裏は止めなさい。直ぐ灰まみれになるんだから。住まいの方はいいから、まーちゃんには浜床のお掃除をして欲しいなぁ」

「まーちゃんほーき持てないの」

「大丈夫。掃くのは霊猫衆のみんながしてくれるわ。まーちゃんは塵取りを持って行こっか」

「はーい」


 ててて、と円香が走り去れば己の使命は何かと、残る二人がずいと出る。


「あーちゃんは縁側のお掃除をお手伝いして来てくれる?」

「ほーき?」

「塵取りでいいわよ」

「はいっ」


 弾む足取りで綾目が走れば弾みが過ぎてポテッと転ぶ。しかしへこたれない。ふんぬっ、と立ち上がり。振り返っては「なんでもないよ」と大手を振って、素早く身を翻した。


「ちゃーこは?」

「ちゃーこは一緒においで。御神座の掛物や敷物をお婆ちゃんと一緒に取り替えましょう」

「やったぁ! おばーちゃまといっしょ! いっしょだねー」


 喜び浮かれてくるくる回り、縁側の縁を踏み外す。それを愛発がサッと抱き上げ、


「こらー。危ないじゃないの。めっ」

「ごめんなちゃい」


 耳で反省を示す可愛い孫。その丸い鼻に軽く口付けて、愛発あらち笛模ちゃこもを抱いたまま御神座へと向かった。

 霊猫神社は総社系の神社だ。祀られるトーテムは主祭筋の麝香猫を筆頭に近縁の白鼻心、水辺に棲息するキノガーレなど多岐にわたる。神域を見渡せば断崖に立つ社殿、涼しげに澗下する滝、川筋には水辺の植生が繁茂して、水と緑の美しい場景が見る者を引き込む。

 社殿は半樹上棲の麝香猫らしく懸造かけづくりの棟が連なり、遠目に見ると橋脚の上の神社といった風情が感じられる。どこぞの神社好きには堪らない景観だろう。

 ところがこの社殿。近くば寄って目にも見よ、となると些か具合がよろしくない。縁側と言わず廊下と言わず、方々に毛玉が転がり、障子紙は穴だらけ。柱の瑕はバリバリと節操がなく、背比べの名残も無残に掻き消えてしまっている有様。如何にもネコ科の自儘な暮らし振りが窺えた。


「ここは誰が破ったのかなー?」

「あーちゃん!」

「あそこの襖をぼろぼろにしたのは?」

「まーちゃん!」

「ちゃーこはどこを引っ掻いたの?」

「……ちゃーこはいい子にしてたかも?」

「ほんとかなー?」

「ちゃあ!」


 祖母の疑う素振りに、笛模ちゃこもは両手で頭を抱え込むようにして視線を遮った。そんな愛嬌たっぷりな孫を見れば、元より責める気もない愛発は腕の隙間から指を差し入れ、鼻の頭をツンと突く。触れ合うことが楽しくて、笛模はイヤイヤしながらケタケタと笑った。


「さぁ、今日はおいたは抜きよ。お客様に褒めて貰えるように、お婆ちゃんと一緒に奇麗奇麗しましょう」

「はいっ」


 廻廊を渡って本殿に入ると、御神座の外陣には思い思いの姿で微睡まどろむ眷属たち。

 麝香猫というのは家猫とは異なり、猫と狸の合いの子のような姿をしている。いや、どちらかと言えば風貌は狸に近い。大嶋では狸と書いてネコと読ませることも常からで、麝香猫を見て猫に非ずと思う者は少なかった。その鼻面は長く、対して耳は小振り。灰色の毛皮に背を通す黒の縦縞。体側には点線に近い密な斑紋があって、手足や尻尾になると横縞へと変化する。


「ほらほら、だらっとしてないで起きなさい! 大事なお客様がいらっしゃるわよ。さあさあ空けて頂戴な」


 愛発は威勢よく手を打ち鳴らした。投げ出すように降ろされた笛模はネコ科の敏捷でヒラリと着地。御神座に響き渡った声を受けて、霊猫衆は「すわ大事だ」と人型を纏い、眷属たちは蜘蛛の子を散らすように走り去る。


社部やしろべは参道を掃き清めて、拝殿から何から全て磨き上げて頂戴。炊部かしきべは夕餉の支度よ。皇大神をお迎えするのだから、社の威信を損なわないように」

楽部がくのべ舞部まいのべは如何致しましょう?」

「音曲は必要ないわ。今度の御来臨は目的あってのことだから無暗やたらと派手なお迎えをしては反って弁えぬ様よと笑われるでしょう。手すきの者は社部の手伝いに回るように」


 愛発は手際よく指示を下すと数名の霊猫衆を留め置き、彼らに外陣の清めを促して、自らは笛模の手を引いて内陣へと上がった。




 ***




 本殿を出た霊猫衆は三々五々、持ち場を定めて大掃除に精を出した。同じく追い立てられた眷属たちは埃舞う社殿を逃れて杜の中へ。あたかも地走りの如き光景を目の当たりにした円香まどかは、びっくりして拝殿のきざはしから浜床はまゆかへと転がり落ちた。


「っ! おひざ擦りむいたぁ」


 裾をはだければ薄っすらと血の滲んだ膝小僧。円香はふーふーと涙目で息を吹きつける。そこへ、持ち場を求めて現れた霊猫衆が、そっと手をかざし癒しの御業を施した。


治気くするぎ」 

「わぁ、なおったぁ! ちっとも痛くないのっ」

「円香様。足下にはお気を付け下さいね」

「うん! ありがとー」


 すっくと立って裾元を直し、埃をはたいては落とした道具を掴み取る。


「それは?」

「ちりとり! 円香、浜床のおそーじ手伝う!」

「それは助かります。では私が掃き清めますから、それを掬ってあちらの古井戸に捨ててきて下さい」

「はーい!」


 元気よく返事をしてしゃがみ込む円香。その背に霊猫衆が布巾を取り出して回り込む。そして「失礼します」と一言添えて、鼻と口を覆うように布を掛け、頭の後ろで軽く結んだ。

 小さな子がしゃがみ込めば、いくら気を付けても舞った埃を吸い込んでしまう。何より円香は主祭の孫娘というだけではない。二人の姉妹と共に次代を継ぐ姫として、常に守られている存在なのだった。

 孫の姫が祖母の跡を取る。こうした例は稀ながら他所の社でも見られる。何故これが起こるかを問われれば、一つには女児を得ぬが故と返せもしよう。しかし愛発には娘がいたし、その子供が円香らだ。この幼子が次代を担う鍵は星霊の核にある。

 宿主を得た星霊はそこに一つの核を結ぶ。星霊核と呼ばれるものだ。星霊核の主な役割は消耗した星霊の回復。回復とは即ち増殖による供給で、故に星霊は宿主を得ずして増えるということがない。

 また宿主が生物であれば直霊なおひと呼ばれる宿主の魂と結び付いて、四魂しこんと呼ばれる星霊核の面相を直霊の直隷下に置く。四魂は感情に直結し、和魂にぎみたま荒魂あらみたま奇魂くしみたま幸魂さきみたまをそれぞれ司る。

 このような星霊核には格付けが存在する。それは神々の神格や宮社の社格のように社会通念に通じるものではなく、あくまでも星霊という種の中で振り分けられた格付けで、次のように分かれる。


 女皇核――皇大神の系譜に代々宿る星霊核。これは当代首刈の核であると同時に星霊全体の根源核であり、常に親から一子へ瑕疵なく完全継承される。これを次代に継承しないまま皇大神が死ぬことがあれば、星霊という種全体が滅びるとされている。


 女帝核――八大神の間で受け継がれる星霊核。その本質は女皇核を守る護衛核だ。こちらは継承の折に僅かながら劣化する不完全継承。未だ次代を持たない夜刀の核は継承前の純然な女帝核であるが故に、皇大神にも比肩し得る力を保持している。


 女王核――小さ神たちが保有する星霊核。また、女皇核と女帝核を次代に継承した神の核もこれに相当する格付け落ちる。女王核は分裂継承する為、母娘が同時に女王核を有するという現象も起きる。但し、一方が絶えれば解けた星霊は大半が残る一方に吸収される。


 星霊核――単に核とも呼ぶ。総称ではあるが、主には前述の核を除いた、より一般的な核を指す。宮守衆を始め、嶋人、渡人、動植物から無生物までがこの核を持つ。


 類似性とは異なるが、星霊はニュアンスとして蟻と通じるものがある。女王蟻、兵隊蟻、働き蟻。核の分類からそれらを想像することは難しくないだろう。

 立ち戻って、円香まどか綾目あやめ笛模ちゃこもの核はいずれも女王核に相当する。それ自体がレアケースではあるが、白守の四陣風もより稀な女帝核の分裂継承として例に挙げることができる。

 女王核は元来が分裂継承する核なので愛発も未だ女王核を保有している。この場合、愛発が天寿を全うすると同時に、解けた星霊のほとんどが波長の近しい三人の孫娘に吸収される。

 では孫を生んだ愛発の娘はどうか。愛発の娘は母から分裂継承した女王核を三つ子に継承した。その負担から自らの核は大いに弱体化し、結果、今でこそ存命だが、四陣風を生んだ目張命まなばりのみこと同様、短命に終わることは明らかだった。その為、愛発は次代を先に逝くであろう娘にではなく、三人の孫に継がせると決めたのだ。 

 これには愛発の娘が己の野生に従って早々とくないだ点も影響している。一般的に主祭筋は神格を問わず長大な時をかけて慎重に婿取りをするものだ。無論、早婚も少なくはない。首刈の母、真代命ましろのみことも二〇〇歳で風耳尊かざみみのみことくないだ。これは皇大神としては異例の早さと言える。愛発の娘に至っては成獣となって間もなくだから、僅か二年かそこらになる。

 別の例では分裂継承に障害が起きるケースもある。例えばめしい聾唖ろうあの子が生まれる。だが、その子に障害があるからといって、次の世代が障害を受け継ぐと決まった訳でもなく、健常者が生まれれば、こちらも祖母から孫へと主祭の座を繋ぐケースに当て嵌まる。障害の発生については霊塊たまぐさりが絡んでいるというのが一般的な見方だ。

 星霊は星霊の周期。宿主は宿主の周期で老衰が訪れる為、宿主が若くても衰えた星霊が霊塊を発すれば早逝に繋がるし、逆に宿主が老いていても星霊が若々しければ、寿命を越えて長命を保つこともあった。


「うんしょ、こらしょ」


 円香は塵取りに溜まった落ち葉や毛玉を慎重な足取りで古井戸まで運び、「ばぁーっ」と効果音まで付け足して放り捨てた。そして浜床へ戻る。その繰り返し。けれど戻る時には自由気ままな幼い猫心に従って、真っ直ぐには戻らない。


「あっ、小石蛙!」


 塵取りを放って飛び付いたのは、落ち葉の合間をのそのそと歩いていた真っ黒な蛙。余りの緩慢さに狙われ放題と思われるが、身を固くして小石に擬態するだけでなく、咄嗟の時には高所から転げ落ちても平気の平左という頑丈な蛙だ。円香はそれを拾い上げてお手玉しながら戻って行った。


「円香様。塵取りはどうされました?」

「あっ、おっことしちゃった! ひろってくる。これ持ってて」


 問答無用で霊猫衆の手に小石蛙を握らせて、円香は立ちどころに踵を返した。その背を温かく見守りながら、霊猫衆は軒下にそっと小石蛙を逃がしてやる。言い訳など必要ない。後で一緒に探しましょうとでも言えば、それで文句が出るような姫ではなかった。


「とってきた! おそーじのつづき!」


 塵取りを手にした時点で頭が切り替わったのか、円香は小石蛙のことなど一言も口にせずに、掃き寄せた落ち葉の山に塵取りを添えた。


「まーちゃーん!」

「あ、あーちゃん。どうしたのー?」

「縁側おわったの。こっち手伝う?」


 拝殿の濡れ縁を小走りに現れたのは姉妹の綾目。その後ろを少し間を開けて見守り役の霊猫衆が付いて来ている。浜床と濡れ縁の霊猫衆は互いに頷き合って姉妹に告げた。


「円香様。浜床もそのひと山で奇麗になってお終いです。綾目様と一緒にお社様にご報告されては如何ですか?」

「綾目様もお手伝いありがとうございました。是非、大助かりだったとお社様にお伝え下さい」


 お社様とは主祭神である愛発のことだ。姉妹の母は産後の肥立ちが悪いからと離れに隠れて養生している。自然、お婆ちゃん子として育った姉妹は一も二もなく頷いた。


「後のことはお任せを」


 円香は差し出された霊猫衆の手に塵取りを預け、口鼻を覆う布を首元まで下げると、浮き立つ足取りで階を駆け上がった。なんとなれば大人に混じって言付かった仕事を全うしたのだ。傍から見れば猫の手ほどの役に立ったかどうかも怪しい内容。それでも幼子の胸には自信と自慢とが塊になって膨れ上がる。

 円香は綾目の手を取って濡れ縁を走り、あっという間に角の向こうへ姿を晦ませた。




 ***




 バサッと広がり宙に波打つ絹布が座卓一面をくまなく覆う。孕んだ空気が抜ける様を見届けて、愛発あらちは布の端からそっと手を放した。

 絹布は白無垢だが無地ではなく、細やかな刺繍がびっしりと施されている。座卓を囲う座椅子の背にも白絹の被覆カバーがかかり、目にも清澄な御神座には凛とした気配が漂った。

 人任せにしていた外陣を見れば、普段は眷属が雑魚寝するに合わせて不祝儀敷きにしていた畳も、新しい畳に張り替えられて祝儀敷きに直っている。


「いいわね。御神座はこうでなくてはいけないわ」


 などと言っても愛発自身、普段は掃除に然程の気を払わない。それは奇麗好きで通った家猫との違いと言うよりは、身綺麗にすることと住まいを清浄に保つこととの違いだろう。


「ちゃーこ? あら、あの娘ったらどこへ行ったのかしら」


 さっきまで座椅子の被覆掛けを手伝ってくれていた孫娘の笛模ちゃこもがいない。普段ならば呼べば二つ返事で飛んで来るのにそれもない。訝しんで辺りを見回すと――。


「おばーちゃま、ここー」


 くぐもった声がした。


「どこなの? 出てらっしゃい」

「ちゃーこねー」

「うん?」

「詰まっちゃったのー」

「……ああ、もう」


 鋭敏な耳を動かして目見当を付けたのは、座卓や座椅子を引っ張り出す前に取り替えた敷物だ。丸めて脇に置いてあったそれに近付き、筒状の穴を覗けばご対面。


「みーつけた」

「みつかっちゃったぁ」

「どうしたの? 出られないの?」

「なんだかね、せまくなってるの」


 微妙ながら円錐状に巻かれていたのだろう。潜り込んだものの寸詰まりになって立ち往生。狭い所に入りたがる孫の気持ちは愛発にも痛いほど理解できた。しかし丸めた物を再び広げるのは手間だ。


「ちょっと待てっなさいな」

「はーい」

浸透ひたり


 御業を紡いで無造作に笛模のいる辺りに手を当てる。その手は筒状の敷物に浸透して孫の体に触れた。そこで互いの波長を同調させて、ちゅぽん! 愛発は池に落ちた子を引き上げるように笛模を腕に収めてみせた。


「おばーちゃま、しゅごい!」

「あら、ありがとう。でも不思議ねぇ? ちゃーこはお手伝いをしてくれてた筈なのに、どうして敷物の中で詰まっていたのかしら?」

「ちゃーこ、お座布団ならべて座椅子に布もかけたのよ?」

「そうね。その後は?」

「穴がっあったから、もぐってた」

「それはお手伝いなの?」

「……ちがう、かも?」

「かも?」

「たぶん、ちょっとちがかったかも」

「そーねぇ、ちょっと違かったわねぇ。じゃあ、これからは気を付けなさいな」

「はいっ」

「はい。それじゃあ奇麗になった御神座を見てみようか」


 愛発は笛模を抱いたままゆっくりと体を巡らせた。

 畳敷きの外陣は屋敷のように天井が低くなっており、これがネコ科には堪らない安心感を与えてくれる。板張りの内陣は打って変わって抜けるように高い。見上げる空間には縦横無尽に梁が組まれ、普段はそこを眷属が気ままに渡り歩く。

 掃除の行き届いた御神座は抜け目なく清らかで、傷の目立った柱や破られた襖も、交換や御業によって今や鮮やかな佇まい。余りに見違えて少々寒気すら感じられる程だ。日頃の雑然に慣れ切った祖母も孫も、口にこそしなかったが、内心では幾分か落ち着かない心持ちであった。

 と、そこへ手を繋いで円香と綾目が帰って来た。


「おばーちゃま! おそーじ終わったぁ」

「あーちゃんも終わったぁ」


 早速まとわり付いてくる可愛い孫たち。愛発はその頭を撫でて労った。


「よく頑張ったわね。ちゃんと奇麗になった?」

「なったぁ!」

「ぴっかぴかになったの!」

「そう。三人ともおりこうさんね。それじゃあ最後に一つだけ、円香と綾目に頼みたいお仕事があるんだけど、いいかしら?」

「うん、いーよぉ」

「なんでもするよぉ」


 快諾を得た愛発は懐から小さな巾着を取り出して円香に渡した。


「梅のお花の香り!」

「そうよ。それを円香の御業で座椅子の絹布に焚き染めて欲しいの」

「たきしめる?」

「その匂い袋の香りを移して欲しいってこと」

「わかったー」


 お手伝いを通じて役に立つことの喜びを知ったのか、円香は匂い袋を手に勇んで座卓へ向かった。


「あーちゃんは?」

「あーちゃんは座卓の絹布の柄に色を着けて貰いたいわ」

「とくい!」

「それじゃあこれで、お願いね」

「はーい」


 手渡されたのは平たい木箱。中には薄皿に盛られた種々(くさぐさ)の顔料が収まっている。綾目はそれを座卓の端に置いて開き、早速新たな任務に取りかかった。


「こうかき~」


 紺掻こうかき――色を操るこの御業は、少量の顔料を媒介に自在に塗りや染めを行うことができる。綾目は白一色の絹布に浮かぶ模様を眺めては、好きな色を選んで自由に染め上げた。

 傍では円香が座椅子カバーに触れながら香り付けの御業――残香のこりがを紡いで、一つ一つに梅の香を忍ばせる。常夏の赤土にあっても折に触れ、こうして暦に合わせた装いをするのが慣例だ。


「ちゃーこはいーの?」

「ちゃーこはお出迎えの時に奏美かなづみをしてくれるでしょ」

「できるっ」

「お願いね」


 霊猫の筋は元より香りの扱いに長け、色や音もくする。三人の孫娘は教わる以前からそれぞれ、色、音、香りの御業を扱えた。勿論、初歩中の初歩に留まるが、その才能は身内贔屓抜きにしても讃えられるべきものに違いない。当代皇大神も早々の大嶋廻りで早くに御業を学び始めたが、こちらはそれと比べても尚幼かった。


「おわったー」

「きれいにできたー」


 駆け戻った二人を抱き止めれば、目に入る鮮やかな色彩は確かに子供の仕事だ。だがそれでいい。愛発の首刈らに対する歓迎の気持ちに嘘はない。けれども、それ以上に秘蔵の孫たちを自慢したい気持ちが勝っていたのだから。

 折しもトーテムのお告げが皇大神一行の到来を愛発に報せた。愛発は自慢の孫らを伴って、神門までの道を小唄ながらに歩いて行った。




 ***




 兜虫の接近に急遽視察を切り上げた私たちは、馳哮はせたけ姫を案内に立てて、夕暮れにはまだ遠い陽射しに焼かれながら飛んでいた。青空を囲い込むような遠巻きの雲。その厚みに狼の嗅覚は雨の気配を薄っすらと感じていた。


「そろそろ着くっすー。ここらで高度下げるっすよー」

「りょうかーい。虫には注意してねー」


 風声みさを通信を交わすと間を置かずに悉平丸しっぺいまるが俯角を取った。ジャッカルを模したそのシルエットは狼武者の不知火に近いものがある。

 何よりその名前が興味深い。前世の記憶にある昔話にしっぺい太郎という犬のお話があって、日本各地に伝わる似た話の中で、いずれも善玉として描かれていた。悉平とは即ち、ことごとたいららげるの意。転じてあらゆる悪玉を討ち倒す善玉。そんな如何にも頼もしげな名前なんだけど――。


「頼もしいことは頼もしいんだけどね……」

「どーしたー?」

「んーん。なんでもない。こっちの話」

「そかー」


 そう。肩に乗る放谷も、夕星や鉀兜よろいと姫にしても、私より遥かに経験豊富で実際頼りになると思う。お子様神様の斑良まだらちゃんだって、赤土の雄大な自然の中で育った最速の狩猟豹チーターだ。けれど胸にわだかまる心配事は彼女たちの持ち味とも言える自由気ままさ。

 暢気で大らかな半面、直感的な彼女たち。仮免中の皇大神が肩書だけでどうこうできる訳でもなし。

 今後、本格的に大地の亀裂にアプローチするに当たって、互いの垣根を越えた連携は必須だ。なのに自由奔放な神々を見ていると、チームワークの醸成が果てしなく困難に思えるのは何故なんだろうね。その辺りもジーノスたちに相談した方がいいのかも知れない。

 調査員は基本、パーティを組んで行動する。役割分担を明確にしてチームの力を最大限まで引き出すやり方だ。これを勝手気ままな動物さんたちに真似させるにしても、到底一朝一夕には不可能な話。


「放谷はさぁ」

「んー?」

「放谷は蜘蛛だから、狩りをする側だけど、同時に蜂とか鳥から狙われる側でもあるよね?」

「あたいは狙われたことないけど、まー蜘蛛はそうだなー」

「うん。そーするとさ。やっぱり警戒心は強いよね?」

「そりゃー身を守ることは大事だからなー。葉っぱの裏に隠れたり。体の模様と似た場所にじっとしてたり。土の中で子育てする蜘蛛だっているし、色々だー」

「ん? いや、放谷自身の話よ?」

「あいたのことならそーでもないなー。蜘蛛でいる時だって大きくなれるし。あ、でもなー? あたいはお伴だから、首刈や阿呼が危なくないかってのはいっつも注意してるぞー」

「うん、分かってる。ありがとう」


 確かにそうだ。放谷はなんだかんだお伴らしくない部分も盛り沢山だけど、いざともなればスッと庇う位置に入ってくれる。それも危険に対する時ばかりではない。八大神を招集した時なんかも放谷なりの言葉で助けてくれた。

 頼りになる。間違いない。けれども自身については警戒心は然程ないと言う。問題はそこだ。生来の姿がなんであろうと神であるなら天敵らしい天敵など存在しない。私みたいなぺーぺーの新米ならいざ知らず、長らく神として祀られて来たみんなは相応しい力を備えている。例えば夕星や千軽ちゃん。二人が何を相手取ったら苦戦するのかなんて想像もつかない。八大神の中でも若手とされる二人であってもだ。そんな彼女たちに如何にして人間的な慎重さや警戒心を求めればいいのだろう。


「今度ばかりは当たって砕けろで行ったら、はいそれまでよ、な感じがするんだよね」

「あはは、はいそれまでよー」

「笑いごとぢゃないんだってば」


 私だって緊張を強いられるのは好きじゃない。体を使って得られる疲労は心地よく感じても、精神の磨り減るような疲れは芯に堪える。慎重に、慎重にばかりでは、あっという間にストレスフルになるだろう。


「着いたっすー。着地するっすよー」

「あ、着いたの? おっけーでーす」


 おにぎりサイズの脳味噌を悩ませてる内にどうやら到着したようです。私は操縦槽で姿勢を正すと悉平丸の後に続いた。高い梢を掠りながら緑めく樹海の下闇へ。疎らな巨樹の立ち木を抜ければ、その先には神域の杜が広がっていた。


「おおっ! これはっ」


 境界を示す一の大鳥居を潜って着地。私は即座に操縦槽を出て、開いた胸甲の上に立った。すると小川の流れる先に二の鳥居。更に向こうに高い断層があって、その上に廻廊で繋ぎ合わせた平たく伸びやかな社殿群が横たわっている。断崖に喰らい付く強い柱とぬきの組み上がりは遠間にも圧巻だ。


「カッコイイー! 端から端までぜーんぶ懸造かけづくり! はぁぁ、眼福眼福」

「なんなのよその感想は……」


 段切丸の胸甲に立った夕星は呆れた調子で私を見た。


「だって凄いじゃん! 全部だよ? 清水きよみずの舞台もこれに比べたらお子様みたいなもんだよ」

「また訳の分からないことを。これだったら五層天守の土宮の方が迫力あるんじゃないの?」

「そりゃあ岩屋の中の多層社殿は迫力満点だよ。でもね? あれってお城なんだもん。神社の佇まいとしてはこっちが正解でしょ。大体、木造五階建てとか違法建築じゃん」

「違法ってなんなの。星霊が創った由緒あるお宮をつかまえて」

「いーの! ちょっと黙っててよ。折角人が感慨に耽ってるんだから」


 眼中無しと切って捨てれば、夕星はまだ何か言おうとしていたけれど、放谷に「ほっとけー。首刈はいっつもこんなだー」などと言われて開きかけの口を閉じたようだった。

 分からないかなぁ、このよさが。後背に聳え立つ巨樹に囲まれてミニチュアかと錯覚する神域の全貌。射し込む葉漏れ陽を小川がキラキラと反射させる明媚。せせらぎの音は南国の風を涼やかに彩り、束の間、暑さを忘れさせてくれる。自然、心は橋桁のような懸造に吸い寄せられて、手前に構える神門を直ぐにでも潜りたいと胸誘う。そう。どうしようもなく誘われるのだ。


「まぁあれよね。当頭つつめき姫がいたらその辺の木に張り付いてミンミン鳴きだしそうな雰囲気はあるわよね」

「やめい。そーゆーんじゃないから。ああっ、もう! 想像しちゃったじゃないっ」


 十二単の当頭姫がやおら巨木に張り付いてミンミンミー。そんなのシュールが過ぎて、折角の景観が色を失っちゃう。てゆーかそもそも雌の蝉は鳴かないからね?


「なー、首刈ー。兜鎧傀儡はどれも神域に入れさせて貰った方がよくないかー?」

「あ、そうだね。みんなにも一の鳥居だけ潜って貰って、中に停めておこう」


 不知火と段切丸つだきりまるは自我があるので、私と夕星は下に降りて、鳥居脇に寄るように指示を出した。間口の空いた鳥居を小さ神の兜鎧傀儡が潜り抜け、横並びに整列。鉀兜よろいと姫、馳哮はせたけ姫、斑良まだら姫が降りてきて全員が揃うと、土打ちの参道に乗って二の鳥居を潜り、続く神門を目指した。

 神域に入ったからには社の主祭である愛発あらち姫にこちらの到着は知れている。きっと神門の辺りで待っていればお出迎えがある筈だ。


「千軽ちゃんたちはどれくらいで来られるかな?」

「私は二、三日で慣れたから、同じくらいじゃない?」

「そっか。となるとその二、三日でどこまで下調べできるかだね」

「言っとくけど、今日みたいに虫が出たー、で引き返してたんじゃなんにも進まないよっ」

「うっ、それは分かってるよ」

「ならいーけど」


 中々手厳しいな、お馬さんめ。でも本当に正論。それを分かっているからこそ頭が痛いんだよ。だって夕星。あんたに手綱は付けられないからね。そこなんだよ、ほんと。

 しかしだ。この夕星にはあらかじめ言っておかなくてはならないことがある。それは後から来る千軽ちゃんも同じ。私は夕星の袖を引いて他から少し離れて歩いた。


「何よ?」

「ん、ちょっとお願いが」

「あら、貴女にしては珍しいこと言うわね」

「これから先、何があるか分かんないでしょ?」

「まあそうね」

「なので、夕星と千軽ちゃんにはちゃんと私を守って欲しい……です」


 夕星は不意を打たれた顔をして、ぱっちりとした黒眼で私の顔を覗き込んだ。俄かにそよいだ風が奇麗に切り揃えられた前髪を揺らす。思わず見つめ合って、ハッと我に返る。

 これは本当に肝心なことなのだ。なんと言っても私の中にある星霊核。それが砕けたら星霊そのものが滅びてしまう。楓露なにがしから聞かされた話を私は九分通り信じていた。

 思うに星霊は平和的な存在だ。自らの繁栄を求め、他者との共存共栄にその手段を見出した。それはこの世界を一目見ただけでも分かること。人も獣も混然一体。暮らしは自然の中にあって厳しいながらも守られている。そして人もまた自然の営みを重んじる。取るものは取るが決して取り過ぎはしないという不文律。勿論、自然界の厳しさも受け入れて行かなくてはならない。

 星霊はきっと地球や他の惑星を見て学んできた。そして辿り着いた楓露にトーテムを立て、穏やかな世界へと導こうとしているのだ。その存在は言うまでもなく尊い。その星霊が失われてしまったらこの世界はどうなってしまうのか。


「この話は下手に心配かけるといけないと思って阿呼やみんないは言わなかったんだけど、もし私の身に何かあったら、楓露から星霊が居なくなっちゃうの」

「…………」

「だから、それだけは避けないと」

「ちょっと待って。貴女、いつの間に星詠ほしよみをしたの?」

「え? してないよ」

「だってその話、星詠で星霊と繋がらないと分からない筈じゃない」

「そうなの? 私は例の楓露から聞かされたんだよ」


 一瞬怪訝な目をした夕星は、楓露と聞いて寄せた眉根を開いた。


「ああ、なるほど。そんな話まで出たんなら、その楓露ってのは本当にこの星の星霊みたいな存在なのね」

「だからそう言ったじゃん」

「聞いたけど、はいそうですかとは行かないでしょ」

「まあそれは分かる」


 そこで沈黙が落ちて、私たちは十歩か二十歩黙って歩いた。その沈黙を夕星が破る。


「心配することないよ」

「え?」


 さりげなく発された言葉はまるで肩に置かれた手のように伝わってきた。


「私も千軽もその辺のことはちゃんと弁えてるから。そもそも八大神は皇大神を守るのが一番のお役目だもの。言われなくったって守ってあげる」

「そ、そうですか。それは助かります」

「何硬くなってんのよ」

「だって、ちょっと照れ臭いから」

「おバカ。ほら、神門に着いたわよ」


 その言葉で木漏れ陽を遮る陰に入ったのだと気付かされた。

 楓露の神門はいわゆる随神門とは異なる。隋神ずいじんは平安時代に護衛として随従した近衛府の随身を守り神に改めもので、矢大神やだいじんなどの神名を頂いている。国家のない大嶋には当然そうした官職もないから、随神門というものは存在しないのだ。

 神門の佇まいは如何にも背後の懸造を引き立てる脇役。単層の入母屋造いりもやづくりで屋根はさっぱりと設えた杮葺こけらぶき。白い練り壁はなく全面が板張りだ。梁や桁に並んだ蟇股かえるまたには麝香猫の姿が様々な仕草で彫り抜かれていた。


「なんだか大宮の長床に描かれてた柱絵を思い出すなぁ」


 そこに色彩はない。あるのは静寂しじまを誘うような趣。彩ることで多くを語るのではなく、余す所に心を捉える。これぞ和の真髄。そんな妙味を心得た神門がジャングルの中の神域にぽつねんと建っているのだから、胸くすぐる不思議に私の頬は知らずと緩んだ。


「きもっ。神門見上げてニヤけるとか、ほとんど病気よ貴女」

「失礼な! 夕星こそ、こうして身近にあるもののよさに気付けないなんて、損のし倒しなんだからっ」

「まーた口の減らない」

「どっちが!」

「首刈が」

「むがーっ!」


 まったくもう! そんなだから音痴なんだよ。もっと感性を磨かなきゃ。


「首刈様。お出迎えが参りましたわ」

「あ、はい」


 ぷんぷんしてたら神門の向こうに愛発あらち姫の姿が見えた。霊猫衆も連れずにお一人様かな、と目を凝らせば何やら尻尾が幾つも見える。猫又だったっけ? などとあらぬ見当を巡らせていると、ご対面の距離で愛発姫の足にまとわり付くように右に一つ、左に二つ、いとけない顔がひょっこりご対面。


「ふわぁぁ! 可愛いいっ。こんにちはっ」


 思わずしゃがんで覗き込むようにご挨拶。愛発姫に「御挨拶なさい」と前に並ばされた三人の幼子は、はにかみや人見知りを携えてペコリと可愛いお辞儀をした。


「いらっしゃいませ」


 一人は声が出損ねたのか、二つの声ばかりが重なる。


「はーい、来ましたよー。お姉ちゃんは首刈って言うの。みんなのお名前は?」

「まーちゃん!」

「あーちゃん!」

「……ちゃーこ」

「うんうん。まーちゃんにあーちゃん、それにちゃーこちゃんね。ちゃーこちゃん、そんなに緊張しないで―。怖くないよー」


 猫撫で声で握手を求めると、まーちゃん、あーちゃんに続いて、おずおずとちゃーこちゃんも握り返してくれた。温かい手。ふにふにの肉球みたいにとっても柔らかい。


「可愛い盛りですね。愛発あらちさんの娘さんですか?」

「はい。孫娘になります」

「お孫さん! なら目に入れても痛くないでしょう。あの、抱っこしてもいいですか?」

「首刈様さえよろしければ」

「よろしいですとも!」


 お許しが出たので私は目の前のちゃーこちゃんを早速抱っこした。続いて放谷があーちゃんを肩車し、その横合いから馳哮はせたけ姫が――。


「あんたはダメ!」

「なんでっ!?」

「可愛い孫に犬っころの臭いが移るでしょーがっ」

「ひどいっ!」


 犬っころゆーたよこの人。私だってイヌ科の狼なんですけどねぇ……。ともあれ馳哮姫はお預けを喰らい、代わりに鉀兜よろいと姫がまーちゃんを抱き上げる。


「しゅっぱーつ!」


 放谷に担がれて視点の高くなったあーちゃんが、ご満悦の表情で号令を下した。それでは参りましょうと先に立った愛発姫に従って、いよいよ霊猫神社の胸ときめく社殿群へ。

 手始めに滝の傍らに蜷局とぐろを巻く螺旋廻廊をぐるぐると上り詰め、断層の上に出た所に三の鳥居。それを潜れば短い廻廊の先に神楽殿のお目見えだ。どんな神楽が舞われるのかと想像を逞しくしながら回り込み、続く廻廊を行くと右手の眼下に神域の眺めが広がる。見下ろす神の庭は夕された陽に焼かれて秋と見紛う色に染まり始めていた。


「奇麗だねー。ほら、神門の屋根が茜色に染まってる」


 抱っこしているちゃーこちゃんに「見てごらん」と指で示せば、やはり自分の住まいを褒められて嬉しいのだろう。にこにこと笑顔で頷いた。


「つぎはー、へいでんー。へいでんー」


 放谷の肩でノリノリのあーちゃんが車掌さんのように案内を流す。廻廊を抜けた先に現れた幣殿は、トーテムへのお供え物がずらっと並んでいて、果物の甘やかな香りに包まれていた。


「つぎはー、はいでんー。はいでんー」


 あーちゃんのガイドに従って更に続く奥の廻廊を渡り、やがて現れたのはどっしりと平たい構えの大拝殿。崖側にはそれこそ清水寺のように迫り出す舞台があって、私はここへ来た目的も忘れて観光客気分に舞い上がった。


「凄い見晴らし! ほら、聞いて。声が遠くまで響く!」

「ちゃーこのおうち好き?」

「大好き! とっても気に入りましたっ」

「きょうはね」

「うん?」

「おばーちゃまといっしょに。ちゃーこたちもおそーじしたの」

「そうなんだ。だからどこを見てもピッカピカなんだねー」

「はい!」


 スキンシップで人見知りの気も薄れたのか、とっても元気なお返事を頂きました。もう、どうしようもなく可愛いんですけど。どうすればいいの? 終いには私、鼻血噴いちゃうよ?


「首刈様」

「はいはい、なんでしょう」

「言いにくいのですけど、お参りが先ですわ」

「あ゛っ」


 拝殿に来たというのに背を向けて景色ばかり眺めてる私、皇大神。

 振り返れば白けた夕星の視線。不思議なものを見るような斑良ちゃんの目。リアクションに困っている馳哮姫。いつも通りだなと笑う放谷。その笑いに釣られてあーちゃんもまーちゃんも笑っている。

 くうっ、またしてもいらぬ恥をかいたか。不幸中の幸いはこの失態を阿呼に見られていなかったことだ。


「お待たせしましたっ。さぁ、お参りをしましょう」


 駆け戻ってちゃーこちゃんを降ろし、何事もなかったかのように言ってのける。主祭の愛発姫がいるのにお参りをするのはおかしいと思うかもしれないけど、トーテムの御祖みおやに対する御挨拶と敬意の表明という大切な意味合いがあった。


円香まどか笛模ちゃこも、お願いね」


 誰が音頭を取るのかな? 私かな? と思っていたら愛発姫が三人の孫の内、まーちゃんとちゃーこちゃんを手招いた。二人はトントンときざはしを上がって、左右に分かれて向かい合う。賽銭箱でもあればちょうどそれを挟み込む格好だ。

 二人は何やら手に携えていた。まーちゃんの手には小さな巾着。ちゃーこちゃんはオカリナに似た小さな土笛。一方はそれを捧げ、一方はそれに口を付ける。


「すだまふしゅべ!」

「かなじゅみ!」


 盛大に噛んだ。

 いや、驚いた。魅薫すだまふすべ奏美かなづみも私には覚えのない御業だ。こんな小さな子がもう御業を使えるのか。と目を瞠っていると調子っぱずれな音が朗々と響き渡る。

 音は僅か一音。オカリナ特有の温みあるそれが時折隣の音と混ざってゆらゆらと不安定。でも、これ絶対に笑っちゃいけないやつだよ。ちゃーこちゃんの真剣な顔を見れば誰もがそう思っただろう。

 御業で増幅された音は山伏の法螺貝のようにどこまでも広がって行くようだった。そして鼻を衝く獣臭。初っ端ギョッとさせられた強烈さが緩やかに解けて、今度は茉莉花ジャスミンに似た落ち着きのある香りへと溶けてゆく――。ああ、麝香じゃこうだ。

 この音と香りは一体なんだろう。御業であることは言うまでもないとして、その意味合いは? 前世ではお賽銭が立てる音は神様に気付いて貰う為の音だと、呉のお婆ちゃんから教わった。するとこれも御祖に気付いて貰う為の音と香り。そういうことなのかもしれない。


「ちょっと」


 不意に脇を小突かれた。夕星がなにやらせっついて来る。口で言えばいいのにどうして皇大神を小突くのか。


「え、なに?」

「貴女ねぇ。首刈が参拝するのをみんな待ってるんでしょーが」

「あ、そうなの? ごめんごめん」


 そりゃそうか。皇大神に先んじて柏手を打つなんて、普通に考えればないことだ。どうも私はその辺りの認識が緩くて困る。

 私が柏手を鳴らすと全員が一拍置いて後に続き、御祖への御挨拶は無事に終わった。

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