058 赤土の神々
日中の滾る陽射しも届かぬ物部大社殿の地下。私たちはここ五日間、催の間に缶詰になって過ごした。阿呼に憑依した目張命の指導下、額に汗して兜鎧傀儡の操縦訓練に取り組んだのだ。
「よし、じゃあ不知火。今度は向こうの隅まで飛鳥で移動してみよう」
操縦槽から声をかければ、不知火に通わせた私の星霊を通じて、頷き返すような波動が伝わってくる。
不知火の操縦槽は座席型ではなく、鳥居状の背もたれだけがあって、球状のがらんどうに立ったまま乗り込む構造だ。
乗り込んだら長靴のような具足を履き、手には篭手を嵌め込む。その状態で星霊を通わせると、手足から流れ出た星霊が不知火の核に連結して、そこからまた全身に行き渡る。そうなると私の体は槽内で無重力のように浮くのだ。そこで背中を鳥居に預け、腰縄を巻いてしっかりと体を固定する。
リンクした視界は不知火の視点の高さを得る。最初の内はこれが慣れなくて、動かす度に船酔いのような状態になった。
基本的には私の動きに合わせて不知火が動く。手足には相応の負荷がかかって、初めの頃は余りの重さに一歩を踏み出すのがやっとだった。けれどコツを掴んでしまえばどうということもない。要は御業なのだ。想い描いた動きにフィットした負荷をイメージすることで、私と不知火の同調率はグングン好転して行った。やがて一体感が増すたびに、お互いの距離感も縮まって、今や私と不知火は大の仲良しさん。ツーと言えばカー、デュクシと言えばオゥフの仲ですよ。
「飛鳥!」
集中――。
私と一体化した不知火の背中に、広がる星霊の翼を想起する。手足から流れる星霊が後背に吸い寄せられて行く感覚に背中の皮が突っ張る。私の肩甲骨の辺りが不知火の肩鎧の裏近くと意識下で重なった証左だ。むんっ、と意識を凝集して、握った手を開きながら翼を広げていく。
「放谷ー! どーお? 翼生えてるー?」
「おー! ちゃんとできてるー。大きさもいい感じだぞー」
外でサポートしてくれる放谷から色よい返事が返って来た。
よし、行ける。
普段ならスーッと浮き上がってくイメージだけど、今は不知火という重量感がある。私は立つ鳥の羽搏きを念じてグッと肩を怒らせた。そうして翼に孕んだ空気を床に叩き付ける。
「不知火、いまっ!」
発声の力を借りて床を蹴る。
跳躍に合わせてもう一度羽搏くことで、自由落下したがる剛体を更に上へと引き上げて行く。
「おー、飛んでるぞーっ!」
分かってる。でかした私! からの、ゴッツン――。
「あっ、ごめんね! 痛かったね、ごめんごめん!」
勢い余って天蓋に頭をぶっついた。すかさず涙目の不知火が脳裏に浮かんで、ひたすら謝る私、皇大神。
「しくじったしくじった。とにかく立て直さないと」
視界を確かめれば未だ天蓋擦れ擦れを飛んでいる。ならばと私は目標変更。直ぐに軌道を修正して不知火とイメージを共有した。
「このまま縦穴を通って闘技場に出るよっ」
天蓋に穿たれた迫りの縦穴は目の前だ。私は体を捻るようにして、両翼を畳まずに済むよう進入角を制御した。感応の高まった不知火は如実にイメージを体現してくれる。入り際にちょっと肩口を擦ったけど、どうにか穴に入って、後は垂直上昇あるのみ。
「おっけー。加速っっ!」
直立姿勢でバランスを保ちつつ、勢いに乗って加速して行く。天を仰ぐ不知火の視界は出口の先に空を捉え、その只中へ打ち出されるロケットのように舞い上がった。
「ひゃー! 気ん持ちいいーっ」
闘技場を覆う青空を切り裂くように、Gを感じながらの急上昇。自然光の眩さが眼底を強く刺激した。
私は頃合いで大きく翼を広げ、楓の翼果みたいに風と戯れながら、螺旋軌道に乗って降下を始めた。開けた視野には晴れ渡る空。遠くに煙を上げる動山の雄姿も見える。
「やったね不知火。これで課題だった飛行もクリアだよ!」
そう。この後向かうこととなる場所は地殻に到るほどに深い大地の亀裂。こうして飛ぶこと叶ってこそ、目当ての場所にも近付けるのだ。
私は最大の空気抵抗を得るイメージで更に大きく翼を広げた。というより、翼そのものの大きさを変えたのだ。そして軟着陸。操縦槽に伝わった反動が抜け切ると、不知火は安定して動きを止めた。
「ふぅ、お疲れ様。ちょっと休憩にしよ。また後でね」
腰縄を解き、篭手と具足から手足を抜けば、胴鎧が大きく開いて――。あれ?
「不知火、開けてー」
乞えば不知火は、機体に残る私の星霊を紡いで返事を返してきた。曰く、ご褒美を寄越せと。
「あー、ごめんごめん。うっかりしてた。じゃあ開けるだけ開けてよ。景色が見えてた方が歌いやすいから」
不知火は素直に応じて胴鎧のハッチを開放した。直ぐに外気が流れ込んで、お日様の匂いが充満する。
ご褒美――それは歌だ。初めて乗り込んだ折から、いざ降りるとなると不知火は私に歌をせがんだ。
嬉しいじゃありませんか。余程あの真神の歌を気に入ってくれたのだ。私は喜んでリクエストに応じた。操縦槽内で歌っていると、聴き入る不知火の様子が直に伝わってきて、それがまた歌う喜びを増してくれるのだ。
「じゃあ今日は故郷ね。たんたんたん、たーらら、たーらーりーらー。はい!」
うさぎおひし かのやま
こぶなつりし かのかは
ゆめはいまも めぐりて
わすれがたき ふるさと
いかにいます ちちはは
つつがなしや ともがき
あめにかぜに つけても
おもひいづる ふるさと
こころざしを はたして
いつのひにか かえらん
やまはあおき ふるさと
みずはきよき
「ふーるーさーとー……。はい、おしまい。また後でね!」
不知火の満足気な心持ちに触れて、私はハッチから闘技場へと飛び降りた。
「やったなー」
出会い頭、待ち構えていた放谷は我がことのような笑顔を湛えて出迎えてくれた。私は親指を立てて、いぇーい! と高空を舞った喜びを返した。そしてハイタッチ。
乗り込む兜鎧傀儡を持たない放谷は連日、外から乗り手の意図した挙動や御業の発現ができているかをチェックしてくれていた。今し方達成した飛行は、阿呼も夕星も三日目にはしてクリアしていて、放谷は出遅れた私に付きっきりだったのだ。ありがとね。
「さーて、そろそろ昼飯時だけどー」
「もうそんな時間なんだ。みんなは神明櫓?」
「だなー、段切丸も眼百鬼も向こうに停めてあるー」
「ほんとだ。じゃあ私たちも早く行かないと食いっぱぐれちゃう」
「おー、めしだめしだー」
私は放谷と並んで闘技場を渡り歩いた。向かう先、神明櫓の真下の入場門には、両脇を守る衛士のように段切丸と眼百鬼が佇立している。
一方、片側に視線を流せば七領の兜鎧傀儡が居並ぶ。それらは全て赤土に祀られるお社の神宝だ。三宮は皀角子神社の独角仙を筆頭に、いずれ劣らぬ個性的な兜鎧傀儡たち。
水門神社は川面滾姫命が乗り込む潺薙。迷彩チックな鰐皮鎧が如何にも戦いに長けた印象を窺わせる強面の兜鎧傀儡。全体としては線が細いものの、それが反って鋭い印象を与える。
猟豹神社は足羽斑良姫命の乗騎となる疾風。剽悍な体躯は疾風迅雷の如く駆け回る姿を容易に想像させた。踵が磨り減りそうなきつい切り返しも悠然とこなすだろう。
宮魂神社の主祭、七重当頭姫命が操るのは頭の大きな連蝉。音の御業を増幅する共鳴室が外観からでもはっきりと見て取れる。共に行動するとなら耳栓は必須かな。
そして避役神社の賺心裳。ずんぐりむっくりとした鈍重な感じが目賢ちゃんにそっくり。その見てくれからは巨大甲虫の相手が務まるのか甚だ疑問だ。
残るはこの大社殿で初のお目見えとなった二柱が乗り込む二領。
目的地である大地の亀裂に程近い霊猫神社の主祭、薫籠愛発姫命が従えるのはネコ科の優美を備えた胡爪鬼。面皰に打たれた金眼の象眼が愛らしく、目にした途端、私の頭の中には黒猫のタンゴが流れた。
最後は犲狠神社の主祭、掻越馳哮姫命の相方となる悉平丸。ジャッカルを模した姿らしいけど、普通にわんこでこれまた可愛い。
独角仙を除く六領は、いずれもここ物部大社殿の地下に眠っていた兜鎧傀儡たちだ。この数日、ジーノスら二班の面々が外周区画に封印されていた格納庫を片っ端から調べ上げて見つけ出した。
今、ジーノスたちは鉀兜姫ら七柱の小さ神と共に一宮――橒牙大神宮へ出向いている。赤土を預かる千軽ちゃんから、今回の件に赤土の小さ神が加わる許可を取り付ける為に。
一応、前以って同格の夕星から風声通信で事情は伝えてある。なので問題なく許可は出るのだけど、互いの立場を弁え、尊重し、筋目を通すことが大切だ。
「いーなー。あたいも兜鎧傀儡あったらよかったのになー」
ぼやきながらも笑顔の絶えない放谷。地下に蜘蛛の格納庫がないと知った時は随分と肩を落としていたけれど、「小蜘蛛になって私と相乗りしようよ」という提案にすっかり機嫌を直して今に至る。その空色の瞳は居並ぶ兜鎧傀儡を羨みながらも、普段通りに晴れやかだった。
***
同じ頃、中央高地を離れて北部原野に目を向ければ、赤い砂舞う干天の原野に忽然と立つ巨岩があった。
堅牢な岩の裂け目に嵌め込むようにして築かれているのは南大嶋が一宮、橒牙大神宮だ。
南天の太陽と差し向う社殿からは中央高地を抱え上げる陽炎壁が眺望できる。壁は常からの気温の高さに揺らめき立ち、まるで幻の中に閉じ込められた世界を思わせた。赤土と呼ばれる地をそのままに浮かび上がらせる場景だ。
赤い大地に影が差し、黒い翼を打って一羽の禿鷲が風を切った。巣立ちから間もない、まだ若い雄のようだ。
端先の白い羽根が一枚、泣き別れに宙を舞う。降り立った先は一宮にかかる三の注連縄。その太い縄の上に獲物を置いて、辺りをひと睨み。そうして掠め取る敵もないと分かると、脇目も振らずに啄み始めた。
天然の巨大な岩屋に覆われた橒牙大神宮は、拝殿、舞楽殿、外陣、内陣、遥拝殿と五層から成る城の如き多層の大社殿だ。各層の正面には注連縄が渡され、下層に行くほど太く大きくなる。拝殿にかかる五の注連縄は、大嶋随一の大注連縄として有名だった。
その三層。三の注連縄の上で腹を満たす禿鷲をチラリと見やった宮の主祭、山動弥猛千軽媛命は、次いで座に居並ぶ神々と渡人とを見回した。
「そうか。大方のことは夕星から聞かされとったけど、そないなことになっとったんか」
千軽は短い砂色の髪から一筋だけ編み下げた三つ編みを指に絡めた。それに合わせて、ムエタイのモンコンにも似た組紐の鉢巻に括られた幾筋もの色紐が揺れ動く。
「四千年前ゆーたらおかんも生まれとらん。兜鎧傀儡なぁ。ついぞ知らん話やったなぁ」
衆参の場として使われる宮の三層――外陣に車座を敷いて、千軽はぼやき調に息を吐いた。若竹色の瞳が捉えるのは対面の右隣。古き卜神、彩窶目賢姫命。その後ろには三人の渡人が控えている。いずれも一ヶ月以上に亘って霊塊の化け物を退治して回った間柄だ。一通りの詳しい説明は卜神と渡人らによって行われた。
「要は、今度のことは赤土の問題やっちゅーことや。引き金引いたんはうちのおばば様やら、往時の世代の神々やったとしても、今つけなならん始末なら、うちらが出向いて当たり前のことや。うん、話は分かったで。向こうに行ったら土宮の兜鎧傀儡もあるっちゅう話しやな。それやったらうちもそいつを引っ張り出して八大の務めを果たさせて貰うわ」
千軽ならばそう結論付けるであろうという予測の下に、皆、一語もなく八大神を座拝した。
「そんでどうなん? みんなはもう兜鎧傀儡は乗りこなせてるん? 三宮はどうやねん」
「わたくしは順調ですわ。首刈様方が訓練を始めたその日からご一緒させて頂いているのですわ」
「そーなんや。他はどうなん? うち、ややっこしいの嫌いやねん。手間暇かかるんやったら身ぃひとつで行った方がえーんとちゃうか?」
千軽がどこぞの皇大神と大差ない発言をすると、すかさず横合いから切り返す者があった。小振りの猫耳を添えた黒髪金眼の女神だ。
「何を言ってるの? 皇大神の音頭で全員が兜鎧傀儡に乗って行こうって話しでしょう? それを赤土の八大が一人歩いて参加とか、赤っ恥もいいところだわ。やめて頂戴」
「愛発、屋上」
「にゃ!? 横暴よ! これだから若象はっ」
五層の宮の最上部には、神事を執り行う土俵がある。そこは弓取りなどの儀式を行う場であって角力を取ることはないのだが、千軽は不満を感じると一つ覚えのように「屋上」と宣う癖があった。過去には実際について行った小さ神が、突き出しで五層の高さを落ちて行ったという実しやかな噂話まであったりする。
「まぁまぁ愛発さん。土宮様に向かって失礼な物言いはいけませんわ。余り過ぎると今年の角力神事に来臨されてしまいますわ」
「それどーゆー意味やねん」
「ふふ、なんでもありませんわ」
赤土の全ての宮社で同時に執り行われる角力神事。どこもかしこも忙しない中、千軽は毎年、幾つかの宮社へ出向いて言祝を与える。ところがこれ、来られた方には実に迷惑な話なのだ。言祝の儀式を前に千軽と小さ神の一番が儲けられる為、万座の中で社の神に土が付くという屈辱が漏れなくセット。形ばかりの取り組みならばまだしも、象神は常に本気と来た。一体誰が角力で象神に勝てると言うのか。そんな者はいやしない。よって、ほぼ全ての小さ神がこの悪習を失くして欲しいと切に願う有様だった。
「まあえーわ。したら手っ取り早く支度して、ちゃちゃっと行こか」
来臨を厭う神々の視線が泳ぐのを尻目に、千軽はすっくと立ち上がり、側仕えの土宮衆を手招いて出立の準備を指図した。
「あ、そや。ジーノス」
「はっ」
「どないしよか。一応、霊塊の化け物退治んことは二宮の方に引き継いで貰うつもりでおるんやけど、あんたら三人、皇大神のお召しやろ。うちの方で勝手して二宮行けとも言われへん。一度大社殿へ行って、首刈と話してから決める感じでえーんかな?」
「はい。いずれにしろ御挨拶もなしにという訳には行きませんので、その方向でお願いします」
「せやな、わかった。それでな――。おーい、あれ持って来てんかー」
手を打ち鳴らすと、衾の向こうに控えていたのだろう土宮衆が一人、小箱を恭しく捧げ持って来た。それを千軽が片手で無造作に取り上げる。
「これな。今度のことで色々してくれた礼や。ほんまおおきにな。一個しかないねんけど、なんかの足しにしてや」
「は、恐れ入ります」
「開けてみぃ」
「はっ、では失礼して」
パカッ――。小気味よい音を立てて桐箱が開くと、一瞬、眩い緑が爆ぜて、敷布の上に一枚の花弁が凛然と輝いていた。
「これは……」
「滅多にお目にかかれん貴重な代物やで」
その言葉に頷きながら、ジーノスは半身を返してイビデとカルアミにそれを見せた。息を飲んだのはカルアミだ。あり得ないものを見たという目で花弁を凝視し、そして思わず、不躾と知りながらも千軽の目を覗き込むように見つめた。
「えーもんやろ?」
「それはもう。ですが畏れ多いです。わたくし共が頂いていいような物ではありません。思うにこれは、星霊花の花弁ではありませんか……」
「せや。なんも遠慮なんかいらん。とっとき」
「ですが……」
星霊の純粋な結晶体――星霊花。同じ結晶である霊塊が穢れと称されるならば、こちらは清浄さの象徴。ほとんどが発生から数日で風化してしまう為、万が稀と言われるほど発見例は少ない。例え一枚の花弁といえども、以前に手にした渡人が存在したかと言えば、カルアミには否定の言葉しか浮かばなかった。
「それつこーてな、したい研究とやらをしたらえーやんか。わくわくするやろ?」
言葉もない。カルアミにしてみれば、ここ数か月は自らが信奉するトーテムの主神、楓露の最高神と気心通じる夢のような日々を過ごしたのだ。そこへ来て八大神からのこの贈り物は、余りにも過分で夢想の類に思えてならなかった。ジーノスにしても、イビデにしても、思いは同じだったろう。
「あんたら渡人は赤土の為に駆け付けてくれたやんか。働き振りもちゃーんと見とったで。ほんま首刈の言う通りやったわ。うちら、もっと早うにあんたらと手ぇ取り合っとったらよかったやんな」
ポンポンと肩を叩くこの気安さに慣れてしまっていいのだろうか。そんな思いにカルアミの意識は埋め尽くされて行く。渡人もまた嶋人のように、神々の隣人として立てる日が来たのかもしれないと――。
「まあまあそないに難しく考えんと。相身互いや。な? はよしまい」
千軽は何ら図る裏もなく感謝の印として贈り物をした。渡人が貰って喜ぶ品は何かと色々考えた。そして決めた。彼らがその貴重さを教えてくれた霊塊。それよりも遥かに格上の結晶――星霊花を贈ろうと。
星霊花は神々にとっても並々ならぬお宝だ。年若い千軽自身、自生した花を見たことすらない。それを宝物殿に分け入って、わざわざ引っ張り出してきたのだ。
これは即ち、赤土の土を踏んだ三十名の渡人が神々の信頼に値する者たちであると証しするものだった。その証拠に、居合わせる小さ神の誰一人として眉を顰める者もない。
付け足すならば千軽はまた、このことでお気に入りの新米皇大神も喜んでくれるだろうと秘かに期していた。神々と嶋人の描く輪に渡人も迎え入れようと躍起になっている真神の主、首刈を喜ばせたいと。
「ほな、行こか」
支度の整った千軽は、いつも通りに革鎧を着込んだ軽装の戦士という出で立ち。先程まで土宮衆が陣羽織を着せようとしていたが、煩わしいと一蹴して今し方の号令だ。ここに千軽以下、八柱の赤土の神々が皇大神と共に立つべく一丸となった。
「しびびっ、その格好で首刈様の前に出るしびっ!? びびるしび!」
当頭姫は如何にも目を疑う様子で言った。
「なんで? おかしいかな? 転宮に集まった時と変わらんけどなぁ」
「それもどうかとは思いますが。此の度は赤土の難事を勿体なくも首刈様が助て下さるというのですから、身なりの礼節というものも少しはお考え下さい」
滾姫は土宮衆を手招いて、一旦取り止めになった茜色の陣羽織を千軽に差し向ける。
「これなぁ、ごわごわしとって嫌いやねん。衣擦れゆーの? 耳障りな音さして」
「千軽様ったら子供みたい」
「それをゆーたら斑良は赤ん坊も同然やろ」
「ふしゃーっ! ちがうもん。斑良大人だもん! ばーかばーか、鼻もげろっ!」
「屋上」
鼻に皺寄せ斑良姫はプイッとそっぽを向いてしまった。
その様子を見るにつけ、ジーノスたちは一丸となったかに見えたのは夢であったかと思うのだ。しかし半面、我知らずホッとする。息を吐いた心の隙間に笑いの種が紛れ込む。
「信じられるか、イビデ」
ジーノスは口元を隠すように笑みを堪えて言った。それを受けて、イビデも伝染する笑いを腹の下にグッと押さえ込んだ。
「ええ、こんな間近で神々の口喧嘩。ほんの数ヶ月前には想像もしなかった世界ね」
「俺たちだけじゃない。いずれ全ての渡人が、この距離で神々と接するように変われるかも知れない」
「そうなれば素敵だと思う。カルアミもそう思うでしょ?」
振られた魔法使いは尊いものを見る目を湛えながら頷いた。
「私は狼トーテムを祀る者として、首刈様がなさろうとしていることを、ひたすら支える。首刈皇大神が神々を、そして人々を動かしたからこそ、今のこの光景があるのだから」
その通りだな、と二人は深く頷いた。
フラッと調査局に現れて、食事をしに来たと言う風変わりな女神。相席を進めては当たり前のように食卓を囲み、歌を披露すれば雷鳴の如く目覚めを与えた最高神。神々との間に壁を感じて悪戯に神聖視と卑下を重ねていたジーノスたち渡人にとって、首刈の存在は剥がれたそれで山ができるほど目から鱗を落してくれた。
「しかし、ここから先はそれこそ神々の領域だ。また暫く離れて過ごすことになるだろう。それを思うと人の身が口惜しいな」
ジーノスは続く神々の戯れを眺めては、背に隠した手に未練を握った。その巌のような握り拳を見てイビデは同情を寄せた。しかし一方でイビデは首刈の姿を思い浮かべる。そして思うのだ。あの突拍子もない女神様が、この愛すべき熊髭の考えに早々当て嵌まるものではないと。
***
遥か彼方。動山から昇る噴煙が、微かに不吉を告げる狼煙のように揺らめいていた。
「また揺れてる」
神明櫓で昼餐を終えた私たちは、突如の大揺れに腰を低く構え、続く揺り返しに注意しながら様子を窺った。
「阿呼、大丈夫?」
「へ、平気よ。阿呼、もう大分慣れてきたから」
我が愛妹はお昼ご飯を広げていた立卓の下に潜り込んで、どこがどう平気なのか、総毛立った尻尾をくるんと巻いて抱え込んでいた。高所恐怖症などと同じで、この手のものは本能という大きな壁を乗り越えなくてはならないのだから無理もない。
「おい、首刈ー」
「ん?」
「茅の輪がー」
今、この神明櫓には茅の輪がある。私の輪違を茅の輪に変えて設置したものだ。それを潜って小さ神とジーノスたちは土宮へ向かった。彼らを見送った時と同じように、今再び茅の輪が若草色の輝きを帯びて、光りの幕が下りている。
「あら、帰って来たみたいね」
「だね。ほら、阿呼、そんな格好でお出迎えじゃ笑われちゃうよ」
「うん」
椅子に座って泰然自若の夕星。それとは対照的に、阿呼は腰の引けた姿勢で立卓の下から出てきた。どうしようもなく伏せてしまう獣の耳が愛らしい。
「おう! ひっさし振りやなぁ首刈、夕星も」
「千軽ちゃん!」
先頭切って茅の輪から姿を見せたのは、赤土の夕空を写し取った紅の陣羽織を羽織る八大神――山動弥猛千軽媛命だ。ところがその後頭部を何者かの手がスパンッとはたいた。
「いった! 何をすんねん!」
「開口一番皇大神を呼び捨てにするとかなんなの? バカなの?」
片側に流した黒髪が印象的な金色猫眼は霊猫神社の主祭、薫籠愛発姫命だ。過日の初対面では、お高く澄ましたお姫様気質というのが印象だったけれど、目の前で八大神の頭をはたかれてはその印象も覆る。
「堅いこと言ーなやぁ。うちと首刈の間やねんから」
「めかし込んできた意味! ほんとお脳が足りないんだから、この若象は」
「愛発かて大概やろ。うち八大神やねんで? 頭はたくとか普通にあり得へん」
「先達の務めよ。道理も知らない若象に下す愛の鞭なのよっ」
「たまには飴ちゃんも寄越せっちゅーねん。ほんまかなんわぁ……」
後頭部を摩りながらバツの悪そうな顔をする千軽ちゃん。ぶっちゃけ、どんな顔をしたらいいかで悩み込むのはこっちの方だよ。
千軽ちゃんは八大神の中でも青海の磯良媛に次いで若い神様だ。故に年嵩の小さ神の中には今のような振る舞いも見られるのだろう。相も変わらず自由だな、楓露の神様たちは。そこがいいところでもあり、時として困惑させられる部分でもある。でもまぁ、肩書ひとつでピシャリと上下が決まってしまうよりは、そこに年功序列という綾を絡めた方が風通しはよくなる気がするね。
「詰まってますわ! 通して欲しいのですわ!」
「んもー! 早く斑良も入れてよぉ」
「しびっ、しびびっ」
茅の輪の向こうでつっかえている皆さんから苦情が雪崩れ込んで来た。大槌を担ぎ直した千軽ちゃんは象の神様らしくのっしのっしと、色気もへったくれもない足取りで中ほどへ進み、それに続いて小さ神と渡人たちが勢揃い。
「みんなお帰りなさい! 千軽ちゃんはようこそだね。この人数でここじゃあ手狭だから、催の間に移動しよう」
神明櫓は真ん中に高神座が据えられているので、どうしても端に寄ることになる。頭数が十を越せばたちまち押し合いへし合いだ。
「阿呼、先に行って向こうに茅の輪を置いてくれる?」
「うん。でも、お姉ちゃん」
「ん?」
言い淀む妹の視線をたどると、千軽ちゃんを始め、赤土の神々が私に向かって一斉に傅いた。
「えっ、……なになに?」
驚きたじろぐ私の視界に、ふと映ったのは神々の後方に控えて畏まる渡人の姿。その中で、イビデ一人が何やら口をパクパクさせている。
ハ イ ティー ン す が る
おけ! りかい。
こーゆー場合はあれだよ。うん、分かってる。お母さんの真似をすればいいんだよ。真神を発つ時、長床で、阿呼と並んで差し向かったあの時の雰囲気だ。
私は首を巡らせて身なりを確かめた。袖の皺を伸ばし、衿を正して背筋を伸ばす。それから軽く深呼吸。お手軽お気軽なマインドを一旦リセットしなくっちゃ。
「山動弥猛千軽媛命。付き従える赤土の神々たち。私は貴女たちとの間に垣根を設けはしません。口上があるなら遠慮せじゅずにどうじょ」
「せじゅに~」
噛んだ私をすかさず弄る斑良ちゃん! そのほっぺたをグニッと捻り上げたのは愛発姫だ。
「いひゃい!」
「チビ助は黙ってなさいっ」
痛恨。
「ほれみぃ、首刈にこの手はあかんねん。そもそもが堅苦しいの苦手やろー?」
「だね」
からの瓦解。はい、やめやめ!
「はーい、みんな立って立って! 私たちはもっとこう、ざっくばらんでいーんだよ!」
千軽ちゃんの言葉にこれ幸いと乗っかれば、小さ神たちは口元を袖に隠してヒソヒソと審議を始めた様子。ううむ、通らぬ道理なのか。
「勿論、行く行くはちゃんとできるようにしたいよ? するんだけど、それはもうちょっと大人になってからでいいのかなって……。具体的に言うと、そう、大嶋廻りが終わるまでは、みたいな?」
だって考えてもみて欲しい。私と阿呼は来月の水追月でようやく生後一年となる身なのだ。目まぐるしいこの道中で、そうそうあれもこれもと完璧にこなせる筈があろうか。いや、ない。
「それにね。私はみんなとの間に変に距離を置きたくないの。鉀兜姫はどう? 肩の触れ合う距離で食卓を囲んで、楽しくなかった?」
「それはそれは楽しかったのですわ」
「だよね。斑良ちゃんもさ、宴で騒いでみんなと踊って、楽しかったよね?」
「うん! また踊りんこしたいっ」
期待通りの答えに私は満足した。
「ほらね? 私はこれでいーの。私は、これがいーの。だからほら、みんな立って! おんなじ目線で話そうよ。ね?」
「いいと思うっす!」
元気よく挙手したのは犲狠神社の主祭、掻越馳哮姫命。狼神の近縁で野犴や迷彩狼といった赤土でしか見られないイヌ科動物たちを統べる総社の女神だ。初対面の折は無言の挨拶で、その後もほとんど口をきかなかったけど、尻尾は常にブンブン振っていたのを覚えている。
「遠慮しなくていーんすよねっ!?」
「え、うん……」
「っしゃー!!」
これが世にいうル〇ンダイブか、と目を疑う勢いで馳哮姫が跳びかかって来た。黙っていればワイルドな美人が、酷い型崩れを起したものだ。そんな風にどこか他人事に思っていると、目の前に割って入った夕星が文字通りに馳哮姫を撃墜。
「ぎゃん!」
「いい加減にしなさい貴女たち。首刈はこんなだけど、だからこそ周りが節度を持たなきゃなんだよっ」
ほほう? 取っ組み合ったりゲンコツ食らわせたり、夕星こそやりたい放題だったよね? 私の記憶がおかしいのかな? でもまぁ今のは助かりました。
私はシュンとなった馳哮姫の手を取って立たせると、改めて周囲を見回した。その様子を見てみんなも笑っている。うん、賑やかなのはいいことだ。
「で? 千軽ちゃんは立派な陣羽織を羽織ってなんだったの?」
赤い陣羽織は背に肩口にと金糸の違い牙冊紋を刺繍したご大層な誂えだ。ぶっ違いに交わる象牙を模った御神紋からは、如何にも象トーテムらしい力強さが伝わって来る。
「おう、それな。渡人のことから始まって、ついには赤土の大難事やろ? それを皇大神がわざわざ手ぇ差し伸べてくれるぅゆーとんのやから、一度くらいは筋目通して礼の一つも言っとかんとなぁ思て」
「何それ。堅いなぁ」
「ほんまにな。うちは分かっとったんやけど、滾や愛発が煩ーて煩ーて」
「あはは、若象とか言われてたもんね」
「な。形無しやろ? でもな」
「うん?」
「ほんまに感謝してる。それだけは伝えておくわ」
そう言って千軽ちゃんは私の手を取ると、更に手を重ねて固く握りしめてきた。皮の厚いゴツゴツした感触に包まれて、そこから伝わる気持ちを「どう致しまして」と素直に受け止める。
「でも、全てはこれからだからね。今ここにいるみんなで、これから力を合わせて問題を解決しに行くんだから」
「おう、任しとき」
***
神明櫓を離れ、地下ドームに集った私たちは何よりも先ず、千軽ちゃんが乗り込む兜鎧傀儡、剛礼号を引っ張り出した。
名は体を表す。そんな言葉がピタリとはまる剛礼号は、これまで目にしたどの兜鎧傀儡よりも分厚いシルエットを持っていた。岩のような兜には長い鼻と一対のご立派な牙。山の如く盛り上がる肩に大黒柱のような太い手足。それはもう象を通り越してマンモスと称すべき圧巻の迫力だ。
「ええやんええやん! この如何にも力で押したるぅゆう感じ、好っきやわぁ」
盛り上がってる千軽ちゃんには悪いけど、これ、どう見たって御業比べよりかは力比べしようって感じの造りだよね。そう感じて後ろを振り返ると、一同違わず苦笑いの体でコクンと頷いた。ですよねー。
「さて、千軽ちゃん。みんなも。これから班割りをするよ」
「お? それはどうゆうの?」
感動から引き戻された千軽ちゃんは、さも分かりませんといった顔。
「えっと。先ず、千軽ちゃんはこれからここで兜鎧傀儡の扱いを身に付けなきゃでしょ?」
「おー、せやな」
「うん。だから指導役の阿呼を班長にして、千軽ちゃんと、あとはもう少し練習しておきたいっていう人はここに残して行く」
「ほうほう、そんで? 他は?」
「私と夕星、それから兜鎧傀儡で飛べる面々は、今から先行して問題の亀裂を見に行く。これは本格的な調査の前に、ざっと下調べをするのが目的ね」
なるほど、と得心顔の一同。その中からスッと手を挙げたのは麝香猫や白鼻心を祀る総社の神、愛発姫。紫鳶の地に中紅色の井桁をあしらった絣の馴れ衣をしずと着こなしていらっしゃる。
「でしたら首刈様。霊猫の杜は亀裂の最寄りになりますから、そちらへ拠点を移しては如何です? こちらから行き来するよりは随分楽かと思います」
それは素敵なご提案。そもそも猟豹神社を出立した折りには、三宮に着いたら次は霊猫神社へ行って、その近くにある赤土最大の崩落地を見学しようと予定を組んでいた。それが紆余曲折を経て今に至る訳で、今から臨む崩落地に近い霊猫神社でお世話になれるなら渡りに舟だ。
「兜鎧傀儡の持ち込みとか大所帯になりますけど、本当にお邪魔しても平気ですか?」
「ええ、勿論です。これは赤土の問題ですから協力は惜しみません」
「それは助かります。愛発さんの神社がどんなかも今から楽しみ!」
「ギクッ」
「? どうかしました? 今、口でギクッて言いませんでした?」
「ま、まさかそんにゃ」
怪しい。語尾が「にゃ」になってる。千軽ちゃんを若象呼ばわりしていたイケイケなお姉さんキャラが崩壊しているではないか。はて?
「愛発も心臓やなぁ。おまえんとこゆーたら毛だらけの猫溜まり――」
「にゃあぁぁぁぁあああ!! うるさいうるさーい! 首刈様!」
「はいっ」
「あたくし一足先に戻ってお迎えの支度を整えたいと思います。ですから、これにて失礼させて頂きますっ」
切り口上から尻に帆を掛ける勢いで走り去る愛発姫。それがキキーッと急ブレーキをかけて振り向いた。
「余りお急ぎにならずに、ゆっくり。ごゆっくりといらして下さいね!」
それだけ言うと再び走って、まるで火の輪潜りの勢いで茅の輪に飛び込み姿を消した。私はといえば、電光石火というものを初めて目の当たりにした気分だ。
「だっはっは。愛発のやつ墓穴を掘ったっすね。あんなに狼狽えてる姿は初めて見たっすよ」
手を打って笑っているのは犲狠神社の馳哮姫。ジャッカルらしいワイルドな風貌だけど、いつも笑顔なので取っ付きやすさは愛発姫の比ではない。
「馳哮さんは愛発姫と仲がいいんですか?」
「んー、あたしはそのつもりんなすけど、向こうはどうなのかなぁ。何かとつれないんすよねぇ」
毛先の跳ねた長髪に手櫛を通しながらのぼやき調。イヌ科とネコ科とくれば安直ながらも想像は付く。犬が「あそぼ?」と近寄れば、猫は「やめろにゃ、近づくにゃ」とにべもない対応。大体がそんなところだろう。それはそれとして、
「話の腰が折れちゃいましたけど、そうそう! 私と夕星と、あと他に今から行けるよっていう方は挙手して貰えますか?」
ざっと見回して確認が取れたのは鉀兜姫、馳哮姫、斑良姫の三柱。おかしいね。
「あれ? 目賢ちゃん行けるよね?」
ギョロギョロ。
「えー? 普通に乗り回せてたじゃん」
ギョロギョロ。
これは……。さては面倒臭がってるね? ほんと動きたがらないというか、出不精というか。それでも夢の中ではお世話になったし、まぁいいか。
先行してる愛発姫を入れれば六柱の神と六領の兜鎧傀儡が揃う。初期の調査なら十分な数だろう。あ、放谷も不知火に同乗するから七柱だね。
「じゃあ班分けはこれで決まりね。私の一班と阿呼の二班。一班はそれぞれ支度を整えて闘技場中央に集合!」
夕星以下、一班の面々が移動を始めると、私は二班の輪へと向かった。
「阿呼」
「はい」
踊るように軽やかに振り返って、阿呼は耳をピンと立てた。訓練の采配は憑依させている目張命がするとはいえ、年嵩の神々を従える班長は阿呼にとって大役だ。僅かな緊張が張り詰めた耳に窺えた。
「初めての別行動になるけど、ちょっとの間だから任せても平気だよね?」
「うん。阿呼、ちゃんとやるから心配しないで」
気負いを払ってあげるつもりで、私は努めて平静に言葉をかけた。それに対して返ってきた阿呼の言葉は、ハキハキと明るくて、私から心配の種を取り除こうとしている気配が感じられた。考えることは姉妹でおんなじだ。
「分かった。お願いね」
自然と頭を撫でそうになった手を止めて、私は阿呼の両肩に手を置いた。二班のリーダーを人前でかいぐりしては格好もつくまい。
「千軽ちゃん」
「おう、なんや?」
隣で剛礼号を眺めていた千軽ちゃんはさっさと陣羽織を脱いでしまって、それを滾姫に押し付けていた。長衣を着た女神は目が合うと肩を竦めて頭を振る。どうやら彼女が千軽ちゃんの世話役ポジションのようだ。
「ここでの訓練中は阿呼が班長だけど、それが済んだら千軽ちゃんが班長だからね。二班全員、別行動なしでちゃんと霊猫神社に来てよ?」
「なーんも心配せんと行ってきたらえーよ」
「うん。阿呼のこと、どうぞ宜しくお願いします」
「おう、大船に乗ったつもりでいてや」
私事を小声で交わして、私は阿呼に手を振りながら次へと向かった。行く手にはジーノスたちが待っている。
「ごめーん、お待たせー」
友達との待ち合わせみたいノリで近付くと、何やらカルアミさんが堅い面持ちで手にした小箱を差し出してきた。
「なんですか、これ?」
「実は、今回の働きの謝礼にと千軽媛様から頂戴しました」
言いながら蓋を開ける。中からは眩く彩るエメラルドの輝き。
「ほわっ!? 星霊花だ」
「驚きました。首刈様は星霊花をご覧になったことがあるのですか?」
ある。
転宮の奥の奥。夜刀ちゃんの秘密基地で、夜刀ちゃん自身の星霊から咲いたという秀麗無類の花を見た。けれどもあれは私にだけ見せてくれた秘密の花。私は喉元まで迫り上がった言葉を呑み込んだ。あの花のことは気軽さやうっかりで口にしていいものではない。夜刀ちゃんはあれを子供のようなものだと言ったのだ。未だ次代を持たぬ万古の女神の子供。その存在を妄りに口にして欲しくはないだろう。
「風合谷で見つかったって言う星霊花の特徴を聞いていたから、それでピンときました。それにしても凄い物を貰ったんですね。聞いた話だと、星霊花は特別な神宝を作る素材にもなるらしいですよ」
私の言葉に三人は大きく頷いた後、揃って困惑の面持ちになった。
「? 何か問題でも?」
問えばカルアミさんは答えを委ねるようにジーノスを見上げた。ジーノスは喉に絡むものを払うようにして、それから声を潜めて言った。
「このように貴重な品を千軽媛様より手ずから頂戴したことはあり余る栄誉ですが……。他の神々に知れた場合、問題視されはしませんか? 神々と渡人との関係は今はまだ構築しようという段階です。個人的には軌道に乗りかけているという手応えはありますが、霊塊と星霊花とでは余りに違います。万一、このことで千軽媛様が責められるような事態になっては、私たちとしても立つ瀬がありません」
なるほど。分からないではない。
例えば審神の小杖の一件だ。馬宮絡みの悶着については夕星、石楠さん、ラデルらが中心となって、問題の小杖を回収することで一応の決着を見た。しかしながら、世の中に存在する小杖はその一本限りという訳ではない。かつてジーノスが回収した小杖は、いつの間にか調査局の保管庫から消えてしまった。私はその話を聞かされた時、かなり根の深い問題だなと思った。
今、水走では北風さんと西風さんが対渡人の窓口として、私の想い描く関係性の構築に向けて頑張ってくれている。その一環として、引き続き審神の小杖周りの調査も行われている筈だ。そうした未解決の問題を抱えている状況下で、赤土の神々が認める働きに対しての謝礼であったとしても、星霊花をポンと出すのは確かに悪目立ちが過ぎる。
そこで私こと、首刈皇大神のひり出した答えがこちら。
「黙ってればいーんじゃないですか」
どうよ。
シレッと言ってのけた私を三者一様の丸い目が見返してきた。私は何も考えることを放棄した訳じゃない。ちがうよ? ちゃんと考えた上での答えだからね?
昔からこういう言葉がある。曰く、沈黙は金。雄弁は銀。おべんちゃらに至ってはグラム幾らの屑鉄だと。
気持ちに余裕がある時は屑鉄にも趣を感じることができるだろう。雄弁に対してもその滑らかな舌捌きに喝采を送れるだろう。しかし真面目となれば先ずは黙って金を取る。これに勝るものはないのだ。
「黙っていることで得られる利ってあるんだよ。第一、その貴重な贈り物をくれた千軽ちゃんに対して、突き返すような真似はできないでしょ? なら黙って貰っておけばいい。私には分からないけど、星霊花の研究はきっと価値のあることなんだろうし、黙っていれば北風さんや西風さんを余計事に煩わせずに済む。何より、皇大神である私がそうせよと言うんだから、みんなはそれをお墨付きにして、肩身の狭さを感じる必要なんてないの。それで丸く収まらない?」
要は事があれば私が責めを負う。その位の見栄は張りますよ、という主張だ。
これに対してイビデは即座に納得した。イビデとは馬が合うというのか、波長が似通っているのか、彼女は私の意を汲み取るという点に於いて敏なのだ。ジーノスとカルアミさんは互いに顔を見合わせて、そういうことならば、と追随した。
「じゃあこの件はそういうことで。それで、これからなんだけど」
「はい。我々はこの先はお役御免でしょうから、二宮で仲間と合流する予定でいます」
「え?」
「は?」
ジーノスの言葉を意外に思えば、当のジーノスも私の反応に意外さを感じたようだ。
「え? 来ないの?」
「いや、ですが、我々が行ってこの先何を?」
「何って、調査に協力して貰うつもりだったんだけど……」
「しかし、兜鎧傀儡での調査ということになると、我々にどのような協力ができると?」
「現地に分け入っての調査は当然、私たちの方でやるよ。で、拠点になる霊猫神社に情報を持ち帰って、それを基に作戦を練る感じで考えてる。だから、その時に調査員の知恵を貸して欲しいなと思ってて」
「なるほど、とすれば――」
ジーノスはイビデとカルアミさんに意思確認を始めた。
私としては彼らにはいて貰わないと困る。何故と言って、夕星にしろ千軽ちゃんにしろ明らかに慎重派ではないからね。そのノリと勢いに関しては認めざるを得ないところだけど、巨大昆虫の巣窟だという大地の亀裂で、派手なブレイクスルーばかりをやられたのではこっちの身が持たない。なまじ実力があると慎重さは脇へ追いやってしまって、力技で何とかしようとするきらいが彼女たちにはあるのだ。過日の金蚉の一件など好例だろう。仮免中の皇大神と八大とでは同格だから、有無を言わさず押さえつけるような真似も難しい。本当に困ったものだ。
一方、渡人は人の身であるだけに、調査員としての経験も相まって、この手の事柄には入念を期す。それこそが私の欲するところなのである。彼らが理詰めで注意喚起をすれば、夕星も千軽ちゃんも、例え理解及ばずとも煙に巻かれてくれる筈。少なくともイケイケのムードに水を差すくらいはできるだろう。
「分かりました。首刈様にそう言って頂けるなら最後までご一緒します」
「やった! お願いねっ」
声音に籠る意欲を感じて、私は大手を広げた。
「向こうに着いたら茅の輪で道を繋ぐから、それまではこっちで待機してて」
「承知しました」
これでよし。準備は整った。
阿呼との別行動についてはそれほど心配はしていない。千軽ちゃんが付いているし、千軽ちゃんのお目付けには滾姫がいる。ここでの訓練を終えたら、霊猫神社で合流。それだけのことだ。
寧ろ初期段階の調査とはいえ、大地の亀裂に臨まんとする私の方こそ心配される立場だろう。だからこそ、一方姉は散々でした、などという結果にならないよう、心に襷をかけ、兜の緒を締めてかからねば。
さぁ、時は来た。皆の衆、いざ参ろうか――。




