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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の三 赤土編
55/172

053 だんじょん!1

「えー……。なんなのここ」

「まるっきり迷路ね。お姉ちゃん」

「んー、どうするー? 時間かけてあなぐりしながら進んで行くかー?」


 あっちへ行けば階段。こっちへ行っても階段。時計を見ればもう一時間が経過している。まるっきり迷路と言うか、これでモンスターでも出てきたらRPGのダンジョンだよ。ただ、木造のダンジョンというのは初めて見る。勿論、ゲーム画面の向こうの話だけど。


「うーわ、また分かれ道だ。これ以上進むと本気で戻れなくなりそうだけど」

「そんなこと言ったって仕方ないでしょ。夢の逢瀬の相手が地下で待ってるって言うなら行く他ないんじゃないの?」

「それはそうだけど……。仕方ない。じゃあ今度はこっちで」


 入場門を潜った私たちは直ぐに広大な広間に出た。兜鎧傀儡が複数体並べる広さで、床には直径一〇米程の円盤があって、どうやら兜鎧傀儡を昇降させる装置のようだった。けれど動かし方が分からない。それで広間の隅々を調べて入り込んだのが人間大に作られた狭い通路。

 通路の先の階段を降りると新たな通路の中間に出て、それぞれの突き当りにまた階段。二手に分かれる訳にも行かず、勘で選んで進むとまた階下に通路。そして両端に階段。この繰り返し。

 暗がりの中、阿呼の持つランタンの明かりを頼りに木造ダンジョンをひたすら下った。人の手ならぬ神の手による建造物は木造特有の温もりは希薄で、息が白くなる訳でもないのに体感温度はとても低いものに感じられた。ここまでの通路と階段の印象は、いわゆる関係者以外立ち入り禁止の通用路。飾り立てる風でもなく淡々とした構造で、ともすれば何処かで異次元ループでもしていそう。気分は正に堂々巡りだ。


「扉だ! 見て、今度は階段じゃない」

「お姉ちゃん、ここも印色いにしき?」

「どうだろう。試してみるね」


 印色は星霊の波長で認証を行う御業だ。入場門も印色で封鎖されていて、夕星が自らの星霊を流し込むことで開口した。夕星曰く、九柱の神々の系譜であれば認証が通るとのこと。私は扉に手を当てて、静かに星霊を流し込んだ。


「開いた」


 夕星の時と同様に、流し込んだ星霊は幾何学模様を描いて広がり、戸枠を浮き彫りにして、自動ドアのように横にスライドした。


「うわー、広い。広いけど、ここも通路?」

「この広さだと例の兜鎧傀儡が通る場所みたいだなー」


 道幅も天井までの高さも優に二〇米は超えていそうな巨大通路。兜鎧傀儡が十分に擦れ違える空間が確保されている。スケールの大きさにあんぐり口を開けていると、背後の扉が閉まって、あっという間に壁面に溶け込んでしまった。


「この通路、ちょっとずつだけど曲がってるなー」

「てことは大社殿の外周に沿った通路なのかな? 向こうっ壁が内側だから、私たちは外側の階段通路から出て来たことになるね」

「なら阿呼たちは円の内側を目指せばいいのね」

「多分そう。大事なものは大抵真ん中にあるだろうし、兜鎧傀儡は神宝だから厳重に保管されてると思う」


 私たちは対面の壁に沿って歩き始めた。直ぐに半円形の広間があって、外周に沿って通路は続いている。天井を見ると大きな縦穴があり、真下に平たい円形の窪み。どうやら私たちが上で見た円盤が昇降する穴のようだった。


「ここが入場門の真下だ。するとこの半円の壁の向こうが地下の中心部。どこかに通路とかないかな?」


 私たちは手分けをして半円の壁を調べた。鼓舞して軽く叩きながら歩いたり、立ち止まって気流でもないかと耳を澄ませてみたり。


 ザリッ――。


「ん? 今誰か何か言った?」

「? 阿呼はなんにも」

「どーしたー?」

「なんだか通路の方で音がしたわね。私も聞こえた」

「音か。でもなんだろ?」


 まさかモンスターなんてことはないよね。そんな言葉を呑み込みつつ、回れ右して外周路へ戻る。


 ギチ――。


「ストップ。止まって。今の聞こえた?」

「うん、聞こえた。鍬形さんが顎を鳴らす音に似てた」

「なんだー? そこの角の向こうかー?」

「ちょ、こら、放谷」


 すたすたと行きかけた放谷の肩を抑えて、一先ずあなぐりで調べて貰うことに。不用意に近付いて何かあっては事だ。


「どう?」


 瞼を閉じて集中していた放谷が目を開けたのを見て、私は早速尋ねた。


「おかしなのがいるなー」

「おかしなのって?」

「うん、でっかいさ――」


 ザッ、ザッ――


 放谷の答えを遮るように向こうの方から姿を見せた。地下の闇間にランタンの明かりを受けて浮かび上がったのは――


「さ、さそり!?」

「厄介ね。式星霊しきしょうろうじゃないの」

「なにそれ?」

「星霊を編んで作った紛い物よ。兜鎧傀儡は神宝だから、番人代わりに置いたってところじゃない?」

「なんで? 四千年前だよ? 渡人もいない時代に盗人対策なんてする!?」

「知らないわよ。虫対策かもしれないでしょ」

印色いにしきで封じられた門の中にどうやって虫が? 地中を掘って地竜じりゅう螻蛄おけらが入って来るってこと?」

「知る訳ないでしょ。文句言ったっているもんはいるんだからっ」


 確かに目の前の現実は変わらない。黒い甲殻と青く輝く間接。如何にも超自然の存在でございといった大蠍おおさそり。それが片側の通路を塞いでいるとなれば、半円のスペースに後退するか、斜めに突っ切って反対側の外周路に逃げ込むか。


「よし。夕星、任せた」

「はぁ!? ぶざけてんの貴女? もしあれが火群様や夜刀ちゃんが編み上げた式精霊なら私の手にだって余るわよ」

「えー……。なら夜刀ちゃんに聞いてみる?」

「嫌よ、そんな恥ずかしい真似」

「だってピンチなんだよね? 自分で手に余るって言ったくせに、じやあどうすんの? 助っ人の夕星が手強いって言うなら私たちなんてもっと無理じゃん」

「おーい、遊んでる暇ないぞー」

「ああ、もう! 天津百眼あまつほめら!」


 とにかく相手の情報を少しでも、と咄嗟に双口ふたつくちの神宝を発動すると、


「うわっ、まぶしっ!」


 ギラッギラの星霊の輝きで網膜が焼き切れたかと思うくらい目が眩んだ。やばいやばい、これ本当にやばい!


「放谷! 妹ちゃん! 足止め重視でっ!」


 ダンッ、と踏切る音を響かせて夕星が動いた。阿呼と放谷がそれに応じて動いたみたいだけど状況は分からない。視界が真っ白でクラクラする。どうしよう? どうする? この目じゃどうにもならない!


「あー、見えない! 見えないー!」

「お姉ちゃん、百眼ほめらを閉じて! 自分の目で見て!」


 ああ、そっか!

 思わぬ自爆に狼狽える私を阿呼の一言が回生させた。蛇は寸にして人を呑むとは阿呼を指しての言葉に違いない。眩んだのは額の天津百眼であって、自前の両眼は無事なのだ。ほんと頼りになる妹を持った。


「ふぅ、見えた。で、状況はわわわわ!!」


 大蠍の居所を探れば今、正に頭上から鉄槌の如く尾が振り下ろされようとしているではありませんか!


「あっぶ、あぶぶっ!」


 足がもつれて転がりながらギリギリで避けた。直後、今さっきいた場所にズバンッ! 盛大な音を立てて蠍の尾が板張りを粉砕する。


つむじ!!」


 放谷の力強い声が響いて、小さな竜巻が大蠍の尾を捉えた。私はその隙に立ち上がって、すかさず距離を取る。


移姿うつし! 期尅いのごい!」


 即座に敏捷性に優れた狼に転身。矢継ぎ早に全身の筋量を増し、骨格を強化する。これでようやく戦闘態勢。

 見れば阿呼も白狼姿で遠間を走っている。光源のランタンは叉路の隅に転がっていた。まぁ狼になれば夜目が利くのでバッチリ照らして貰わなくても大丈夫。

 さて、暗く手狭な地下でどう戦うか。敏捷性を活かして一撃離脱を狙うなら今のままのサイズがいい。巨狼になると恐らくかっぶり四ツ。組み合いになったら鋏と針を持つ蠍に分があるだろう。

 私は肺を膨らませて深呼吸をした。三人は目まぐるしく動いている。

 飛鳥の翼で舞う夕星は上からの攻撃で注意を引き付け、その隙を狙う阿呼と放谷が一対の大鋏と一振りの毒尾を掻い潜る。狙うは巨体を支える六本の肢。なるほど。確かに一番細くて脆そうな部位だ。ならば私も下段攻略に参加しよう。


はためき!」


 期尅で強化済みの体をあつちの爆発的な跳躍力で水平に飛び込ませる。狙いは右前肢。乱断あやたちの鋭さを乗せた自慢の牙で寸分違わず喰らい付く。

 一瞬、鮮やかに、初めての狩りで野兎の喉元に喰らい付いた場面が思い起こされた。兄妹で一番狩りに長けていた私だ。自信を持ってやればこれくらいなんのことはない。

 肢に喰い付いた私の体勢は宙に横臥するような形で完全に浮いている。そこから口を起点に体を振り子のように振って、喰らい付いたまま鉄棒選手のように一回転した。


 ブチンッ!


 突如歯応えが消失。遠心力に捉われた体はすっぽ抜けて蠍の後方へ遠ざかる。


「やるじゃない! その調子よっ」


 頭上から夕星の明るい声が降り注ぐ。

 何事かと蠍を見れば、私が喰らい付いた右前肢がぷっつり切断されて転がっていた。まさかの結果に私自身が一番驚いた。行けるじゃん!

 肢は残り五本。阿呼は私を真似た攻撃を繰り出し、放谷は風と糸とを駆使して動きを鈍らせようとしている。その最中へ私は繰り返し突っ込んで行った。

 大蠍は最も火力の高い夕星の攻撃に対処しようと、二つの鋏を振り回す。お蔭で足下を行く私たちは尾を警戒するだけで済んだ。

 私と阿呼の巧みな狩りの連携をトリッキーな放谷がサポートすれば、二本目、三本目と肢は切断され、四本目が床に転がった時点で、ついに蠍は自重を支えきれなくなった。


「おっけー! とどめ行くからみんな離れてて!」


 朗々たる宣言。立ち上がろうと藻掻く蠍の上方から夕星は高らかに叫んだ。


花精霊はなしょうろう!!」


 突き出した両腕と飛鳥の両翼から、星霊が解き放たれて降り注ぐ。すると、化学反応のように蠍の側からも星霊が放出され始め、それが光り輝く無数の花となって咲き誇った。


「うわぁ、奇麗……」


 まるで私の異世界まほろばにも似たあり得べからざる幻想風致。自ら輝く色とりどりの花が夢のように咲き乱れて、枯れ木ならぬ、蠍も花の賑わいだ。

 蠍の姿が完全に花に埋もれてしまうと、今度はたちまち花が散って、花弁は淡い光の粒子と化して消え去った。残されたものは何もない。大蠍はぷっつりと姿を消してしまい、何度目を瞬いても見出すことはできなかった。


「えっ、終わり?」

「終わり! いっちょあがりぃ」


 嬉しそうな声と共に、トリを飾った夕星がふわりと降り立ち翼を畳む。そこへ駆け寄り四人が集う。狼二頭に蜘蛛と馬。桃太郎でも猿蟹合戦でもない奇妙な面子は、誰一人怪我を負うこともなく、見事難敵を討ち果たした。やったね!


「いやー、ヒヤッとしたけどなんとかなったなー」


 冷やりともしない笑顔で放谷が言う。


「見た目ほどの手応えはなかったわね」


 ほんの小手調べといった様子の夕星。


「なんとかなってよかったです」


 阿呼は両の拳を握ってグッと力む様子を見せた。確かに達成感あったよね。


「誰かさんは目がぁぁ! 目がぁぁ! って騒いでたけどね」

「うるさいなっ、ホントに目が潰れたかと思ったんだよ。直ぐに復帰したんだからいーでしょ!」

「首刈はおっちょこちょいだなー」

「ふふっ、お姉ちゃんは慌てんぼさん」

「んもー! 二人はフォローしてくれたっていーじゃない!」


 戦いの緊張から一転、弛緩した心からは軽口も生まれて、再び地下の探索へ。

 謎の大蠍と一戦交えた私たちは、外周路を時計回りに進んだ。途中途中、一定の間隔で右に左に枝道があるのだけど、どれもL字型の行き止まり。最初の内こそ人サイズの通路でもないかと袋小路を調べてみたものの、今ではL字型を確認するだけで、ほぼ素通り。


「それにしたって地下といい地上といい、これだけの建物を神とはいえたった九人で創るんだから舌がぐるぐる巻き上がっちゃうよ」

「まぁね。当時と言ったら火群ほむら様に夜刀ちゃん、それから私のお婆ちゃんがいて、あとは誰だろう?」

鉀兜よろいと姫の話だと、暗宮くらみやは二代目の火喰ひくい様がいました。あとは……」


 私と夕星の雑談を受けて、阿呼は輪違わちがいから帳面を取り出した。日頃から勉強熱心な阿呼は、そこに様々な事柄を書き留めてある。


「えっと、波宮なみのみや波花なみはな様。土宮はにみや大耳おおみみ様。それから風宮かぜのみや風脈かざお様で、扇宮おおぎのみや卜媛うらひめ様。それと峰峰宮ほうほうぐう目張まなばり様」

「え、目張様って目張命だよね?」

「なるほどね。今回の呼び出しはそこで繋がってる訳か。私もお婆ちゃんの兜鎧傀儡とがいくぐつがどんなかは見てみたいし、とにかく先を急ぎましょ」

「ところがそーも行かないみたいだぞー」


 弾みをつけた夕星に放谷からちょっと待ったがかかった。その指差す先は再び脇道とぶつかる叉路。そしてまたぞろその角から――


「出た!」

「またなの? 一体ここには何体の式精霊がいるのよっ」

「あ、ひょっとして」

「ん? なに阿呼」

「あと八体いるのかも。九柱の神様が一体ずつ創ったとしたら……」


 おー、まい、がー。

 ありっちゃありな推察に胃の腑の辺りがずずーんと重い。


「お姉ちゃん、正面からも」

「まっじっかっ!」


 阿呼の指摘通り、無慈悲にも対面の闇からもう一体。

 正直、蠍同士でおっぱじめてくれませんかねぇ、などど半ば匙を投げかけた私と目が合って、二体の式精霊はそれこそ阿吽の呼吸で迫って来た。


「首刈! ボサッと突っ立ってないで一体ずつ片付けるわよ!」

「むがーっ! もうヤケだっ、はためき!!」


 再び狼に転じ、ドンッと床を蹴るなりまっしぐら! それを追って阿呼が続く。

 放谷は蜘蛛糸を駆使して、私たちが向かったのとは別の一体を足止めに出た。

 上空では夕星が二体同時に攻撃を仕掛けて、相手の注意を足元から逸らす。ゲームで言うヘイトを集めの行動だ。

 期尅いのごいあつち乱断あやたちの三つの御業を複合したはためきは効果凄まじく、強化された身体は疾駆も旋回も自由自在。先の戦闘で勝てると分かっている相手だけに、怖気おじけも捨てて果敢に攻め込む。


「おっけー! 夕星お願い!」


 私が四本、阿呼が二本。肢を失った蠍は無残に藻掻いて、そこへ夕星の御業が降り注ぐ。哀れ蠍は花と散って、さぁ残るはもう一体。

 見れば糸繰りに専念した放谷は蠍の前後の肢を左右互い違いに引っ絡げて、見事に動きを阻害している。蠍は力任せに糸を引き千切るのだけど、それをまた引っかけて、まるで将棋の千日手。


「阿呼っ、鋏を狙うよ! 付け根の細い部分を狙って!」

「はいっ!」


 糸だらけの肢に突っ込んでは自分の体がこんがらがってしまう。そこで狙いをギチギチと鳴る大鋏に定め、阿呼と共に左右から攻め込んだ。




 ***




「ふぅ、二体同時でもなんとかなったね」

「放谷が凄く頑張ってくれたから」

「そおかなぁ」


 阿呼が手放しに褒めると、放谷は照れ臭そうに鼻の下を擦った。


「小さ神といっても二宮、三宮ともなれば格が違うもの。首刈はいいお伴を見つけたわね」

「そりゃもう。私たちは三位一体だからね!」


 言って左右に二人の首っ玉を抱き寄せる。そう、私たちは押しも押されぬ三人組なのだ。


「にしても三体いたとなると、これはいよいよ妹ちゃんの言った通り、あと六体いてもおかしくなさそう」


 夕星の言葉に銘々が頷き返す。残り何体かは不明だけど、用心の為にもこれでお終いとは考えないことだ。


「さーて困ったよ。ここまで歩いて三体の式精霊とも戦った。所要時間はざっくり二時間ってとこだけど」

「まぁでもそんなもんじゃないの?」

「うん。この先も歩き回って、仮に六体の式精霊と角を突き合わせるとなると、単純計算であと四時間かかることになる」

「妥当な線でしょ」

「分かってないなぁ夕星は」

「はぁ!?」

「放谷。言ってやって」

「おー、そろそろ昼飯の時間だからなー」

「そんなの後でもいいでしょ!? 物見遊山じゃあるまいしっ」

「お昼を抜くだなんてとんでもない! 一時間やそこらのずれ込みならまだしも。ねぇ、阿呼」

「うん。ご飯は大事。お腹が減ったら力が出ないの」

「妹ちゃんまで!?」


 二の句を告げず、苦虫を噛み潰した格好で夕星は沈黙した。私たちは手近の袋小路に入って、お弁当代わりに頂戴した果物を頂くことに。


「ここで?」

「うん。輪違わちがいいがあるから茅の輪で戻ってもいいけど、ここなら蠍が出ても挟み撃ちにはされないし」

「貴女って妙なところで図太いわよね」


 夕星はパンッと一つ柏手を打って、両手のあわいから御榊おさかきの枝を取り出した。そしてそれをポイッと床に放り出す。すると御榊はへたりともせずに床に立って、まるでそこに根付きでもしたかのように微動だにしなかった。


神余十畳かなまりじゅうじょう!」


 夕星が御業を唱えると、御榊の鉄色の葉が若苗のように明るく染まって、そこから黄金色のオーラが漏れては、周囲十畳ほどの範囲に広がり、はたと雲散霧消した。


「今のは何?」

「御榊を神籬ひもろぎに見立てて手頃な範囲を神域に変えたのよ。長くはもたないけど、お昼をとるくらいの時間なら安全でしょ」

「へー! そんなことまでできるんだ? え、分類で言ったら何? 命形呪みょうけいじゅ?」

「違う。大嶋呪おおしまじだよ」

「大嶋呪! 今度教えて」

「残念でした。これは文字通り神余かなまりが扱えるようになってからじゃないと無理なの」


 残念。皇大神なら大嶋呪は得意系統。しかし前提が身に付くまで一年はかかるという神余では是非もない。それにしても簡易の安全地帯を創れる御業とは便利だなぁ。


「さて、お湯だ」


 先を進めたがっている夕星を待たせるのも何なので、手早くお昼、と言うより続く探索に備えて腹ごしらえに取りかかる。

 バナナに焼き菓子、皀角子神社で貰った果物類。飲み物は珈琲。買った時には青味を帯びていたバナナも、今や黄色を通り越して焦げ茶色。とはいえバナナはこれくらいが甘みも増して美味しいよね。頂いた果物は林檎に李桃すもも無花果いちじく。それぞれ人数分ある。


「お姉ちゃん待って」

「ん?」


 輪違から粗朶木そだきを出して薪を組もうと思ったら、阿呼は必要ないとばかりに首を横に振って見せる。それから水を湛えた小鍋を手に取って――。


「御業で温めてみなきゃ」

「あ、そうか。日常事は御業で、だったね。でもできる?」

「阿呼、試してみる。ここは地下だし、木造だから、火や煙りは出さない方がいいでしょ」


 賢い。確かに阿呼の言う通りだ。私は粗朶木を仕舞い込んで、黙って阿呼を見守った。

 水を湛えた小鍋にピッタリ両手で張り付けて、阿呼は星霊を注ぎ始めた。数十秒か或いは一分かといった頃合いで、鍋の底からひと玉のあぶくがコポコポ。


「妹ちゃん。集中を維持したまま風呂吹ふろふきって唱えてみてごらん」

「はい。風呂吹!」


 夕星のアドバイスを得て阿呼の集中が高まる。その言葉からイメージするのはもちろん風呂焚き。立ちどころに鍋の底から気泡が昇りだした。


「妹ちゃん。そのまま煮立てると手を火傷しちゃうから、お鍋から手を放して星霊だけで繋がるイメージに切り替えて」

「はい」

「じゃあ今度は釜茹かまうでって唱えてみて」

「釜茹!!」


 私の頭の中には大釜に放り込まれた石川五右衛門が登場したけど、目の前の鍋は阿呼の手から流れる星霊に包まれて、瞬く間にぐらぐらと沸騰し始めた。


「できた! できたよお姉ちゃん!」

「ぶっつけ本番でよくできたね。やっぱり阿呼は才能ある」

「夕星さん、ありがとうございました」

「お礼なんていいよ。妹ちゃんは筋がいいから」


 夕星は褒めながら私に視線を向けてきて、小声で「誰かさんと違って」と蜂の一刺し。

 ゴング鳴ったよね? 今。


「私の筋が悪いとな? そういう台詞は休み休み言えっての」

「へぇ。なら何かやって見せてよ」

「いいでしょうとも。吠え面かく準備をしときなさい」

「言うじゃん」


 ここで喧嘩を始めたら阿呼の目尻が吊り上がること請け合い。私は心の中でアカンベーをしつつ、たもとから小枝と小石を取り出した。

 披露するのは知泥ちねと同じく命形呪に分類される御業。命形呪は創造、整形、治癒の三つの系統を内包している。整形を仲立ちに創造と治癒に分かれていると言ってもいい。治癒は阿呼の得意だ。私は合戦神事の経験から今では知泥を覚えていた。

 知泥は創造と整形の御業。簡単な指示に従う疑似生命の生成は、命を形造るまじないの呼称に相応しい。その知泥と同じ原理の御業が存在することを私はカルアミさんから教わっていた。それではご覧に入れましょう。


木賊とくさ!」


 星霊を練り込んだ小枝を放ると、パキパキ音を立てながらぐんぐんと太さを増して、新たに枝分かれするように四肢を伸ばし、どうにかこうにか木人と呼べる形に変化した。


「わぁ、すごいすごい。これも泥合戦の時の知泥みたいに動かせるの?」

「うん。素材が代わっただけで扱いは知泥とおんなじ。とりあえず形にはなったね。今度は石でやってみるよ」


 手の中の石くれをグッと握り込む。やることは変わらない。土から木、木から石と、密度が増した分だけ集中も高めて、ほい!


石動いするぎ!」


 ちょっと力んだ分遠間に放たれた石は、コロコロ転がって雪玉のように膨れ始めた。そこからイメージ通りに手足が伸びるのかと思いきや、そうはならず、起き上がり小法師に似たちんちくりんな姿に留まる。


「かわいい!」

「えへへ。ちょっとイメージとは違ったけど、まぁ最初だしこんなものかなぁ」

「ほほー、やるもんだー」

「言うだけのことはあるじゃない。ちょっとは見直したわ」


 喜ぶ阿呼にほっこりしていると、放谷と夕星からも拍手が届いた。夕星はいいとして、放谷までもが上から目線なことに釈然としないものを感じたけど、まあよしとしよう。

 そうこうして食事が始まると、戦闘の疲れからか、果物にしろ焼き菓子にしろその甘みが、糖質が、全身くまなく染み渡って和らいだ心地になって行った。


「んー、やっぱり甘いものは正義!」


 粗食ながらも仲間が身を寄せ合って食べる食事は美味しいものだ。気分が和めば女子四人。なんの気なしに雑談でもしたいなぁとなってくる。


「そーいえば夕星はさぁ」

「ん? 何?」

「七百年生きてて、恋人だとか、好きな人とかっていたりはしないの?」

「え、何よ急に。別にいないわよ、そんなの」


 つっけんどんに返された。そう返されると尚更穿ってみたくなるのが人のさが。神になっても私の根っ子は人間だからね。


「えー。七百年だよ? そのあいだ誰も? 一人も?」

「しつこいわね。別にいいでしょ。なんなのよ? いないといけないの?」

「いや、そうは言ってないけど……」


 取り付く島もありゃしない。


「そーは言ってもさー。主祭は跡継ぎを生まないと社が傾くだろー」

「それはね。でも七百年なんて私たちからしたら別に大して長くもないよっ」

「それもそーかー」


 放谷が乗ってきたのはいーんだけど、どうも恋バナとは違う路線に切り替わってしまった。そうぢゃないんだよ放谷。女子が四人も集まれば嬉し恥し恋のネタ。これでしょ。分かんないかなぁ……。まぁ分かんないか。と、そこで私は気が付いた。


「あれ? 確かお馬さんってハーレムだったよね?」

「はーれむ? 聞かない言葉ね」

「ほら、一頭の牡に沢山の牝が付き従うみたいな」

「はぁ!? 何言ってんの。貴女の言うハーレムって雌籬めまがきのことみたいだけど、ご冗談!」


 あれ? 違ったっけ? ネイチャー番組では馬もハーレムを作る生き物だって観た記憶があるんだけど……。


「まぁ確かに? 馬は牡一頭に対して複数の牝っていう集団を作りはするわよ」

「なんだ。やっぱりじゃん」

「ちがーう! 勘違いしないでよね」

「どこが勘違い?」


 あのねぇ、と夕星は呆れた顔なって溜息交じりに概説を述べた。曰く、馬も他の生物同様、より優秀な子孫を残さんが為に相手を選ぶ。その手段として複数の牝が一頭の牡と目合まぐわうのだという。


「それってハーレムじゃん」

「最後まで聞きなさいよ。何も首刈が言うみたいに牡が牝を従わせるのとは訳が違うの。牝は優秀な牡を選ぶ為に寄り集まって、牡に言うのよ。あんたたちで競って勝ち残った者だけがいらっしゃい。ってね」


 ころんぶす!

 人間というのは歴史を振り返ってみても圧倒的に男尊女卑の社会を形成する生き物だ。だからこそネイチャー番組でも、ハーレムとは一頭の牡が複数の牝を娶る――従えるものとして紹介するのが至極当然だった。ところがどっこい。夕星の話を聞けば、少なくともお馬さんのハーレムは逆を行く。牝は徒党を組んで「優秀な牡以外はノーサンキュー」と突き付けるのだ。それによって牡同士を競わせ、勝者をシェアするのだという。

 よくよく思い返してみれば私が見た番組でも、牡が牝集団の後をとぼとぼと付いて歩いていたような気がしてきた。

 うーむ、これは前世の知識に毒されていた私の認識違いと言う外はない。確かに大嶋は男尊女卑の気配がない。神々の間で言えば、主祭が女神という時点で既にして女尊が根付いていると考えられる。神々の行いや在り方を規範とも鑑ともする嶋人もきっと、それに倣うところがあるだろう。

 強いて言えば、神々の存在と切り離された地で社会を育んだ渡人だけが、考えを異にする可能性を有しているのか。


「なるほど。それは知らなかった。私の勉強不足でした」

「分かればよろしい」


 随分この世界にも慣れてきたと思ったけど、まだまだ私の知らないことは沢山あるんだなぁ。そんな風に思いました。まる。


「貴女たちの方はどうなのよ?」

「私たち? 私たちはだって、阿呼も私も生まれて一年足らずだし、ご覧の通り大嶋廻りで忙しいから浮いた話なんで一つもないよ。放谷はこないだ孔雀蜘蛛ピーコックスパイターに求愛されてたけど。ね?」

「んー。でもあたいも今はお伴で忙しいからなー」


 いや、あんた大分のんびりしてるけどね。


「なーんだ。人のことなんて言えないじゃない」

「まぁそうなんだけど」

「でも貴女って渡人にかまけてるから、そのうち渡人とでも結婚するんじゃない?」

「そんな訳ないでしょ。それにかまけてる訳じゃない。渡人とのことは必要なことなの。会合の時も言ったでしょ。この大嶋で暮らすようになった彼らを、いつまでも外様みたいに扱うのはよくないことだよ。大変な航海をしてやって来た、私たちの新しい仲間なんだから。赤土のことだってそう。私たちの大嶋の問題なんだよ。星霊が導き手に選んだ私たち神こそが率先して動かなかったら、ご大層な神社に祀られてたってなんの意味があるの? そう思わない?」

「言われてみればそうなのよね。でも、今までは貴女みたいに言う神はいなかった。だからみんな不思議なのよ。貴女がどうしてそんな風な考えを持つようになったのかが」

「確かに私はみんなと考え方が違うかもしれない。それでも私は阿呼のお姉ちゃんだし、放谷の友達。夕星とも友達だと思ってるけど」

「うん、お姉ちゃんは阿呼のお姉ちゃんよ」

「あたいはお伴だけど、友達でいーのかなー」

「友達でも構わないけど、私その友達にいつだったか足を蹴っ飛ばされた記憶があるのよね?」

「……記憶に御座いません」

「おい」

「さて、お腹もくちくなったところで探索再開だよ! ほら、みんな支度して!」

「誤魔化すな、こら!」


 誤魔化すだなんてとんでもない。やるべきことをテキパキとやろうってだけの話ですよ。私はなんでもかんでも輪違に放り込んで、脱兎の如く外周路に飛び出した。逃げるが勝ちだ。

 そうして食事前と変わらぬ淡々とした地下道歩きが再開され、やがて私たちは再び半円の広間に出た。


「お姉ちゃん、これ見て」

「ん? どれどれ」


 阿呼が差し出す帳面には、先の半円広間からの略図が記されていた。


「行き止まりの枝道があるにしても、半弧を描く感じて進んでるね。ぐるっと一周回っちゃったってことはない?」

「それはないと思う。神明櫓から見た時、お向かいにも入場門があったでしょ? ここはきっとそこの真下よ」


 そうに違いない。げと、だとしてもどうしたらいい? 所々枝分かれしている通路は軒並み行き止まり。結局は外周路に戻ってしまう。直径一粁の円と仮定して掛ける円周率だから外周路の総延長は三粁強。ここまで半周して、残る半周に特段の違いがあるとも思えなかった。


「あ、待って。ここって神域じゃん」

「何を今更。貴女、今まで寝てたの?」

「うるさいなっ」


 呆れ半分の夕星はこの際無視。

 ここ物部大社殿もののふたいしゃでんは神社の神域とは違っても単立の神域だと言ったのは夕星だ。九柱の神々の手に拠るものならば相応に手厚い神域だろう。無論、式精霊のような厄介者もいるにはいる。けれどもその点は既に対処可能だと証明された。三体倒したのだ。予測される残りも、油断はできないが行けるだろう。

 私は輪違を手首から外すと、茅の輪サイズにして床に置いた。


「なんだー、戻るのかー?」

「何処へ戻るの? お姉ちゃん」

「戻るんじゃない。呼びに行く。私たちじゃ埒が明かないし、こういうのは専門家に頼んだ方が早いもん。直ぐ戻るからみんなは待ってて。夕星が例の御業で安全地帯を張ってくれれば平気でしょ?」

「ちょっと、勝手にどんどん決めるんじゃないわよ。誰を連れてくるつもり?」

「渡人!」


 言うなり茅の輪に飛び込んで、私はこの手の探索エキスパート、ジーノスたちの元へと急ぐのでした。

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