052 黒歴史と黒い影
日が傾いて赤い空が庭先を覆い尽くすと、私たちは暮れ泥む庭を見ながら御食屋へ向かった。鉀兜姫との話の続きもあるので、部屋食でなしに食卓を囲みましょうということになったのだ。
廻廊は吊り灯篭の仄かな明かりに照らされて、私たちの落とす影も淡く揺らめいている。本殿を回り込んでしばらく進むと、茅葺の二棟がL字型に繋がっていて、一方が御食屋、もう一方が炊屋。戸口を潜ると鼻腔をくすぐる甘やかな香りに満たされていた。
「お招き感謝します」
「あり合わせの物ばかりですが、ごゆるりとお過ごし頂きたいのですわ」
円い座卓に上座下座のない車座を敷いて、藁編みの丸座布団に座り心地を整える。並びは私から見て時計回りに鉀兜姫、阿呼、放谷、夕星。
やがて運ばれてきた食事は果物懐石とでも表すべき品々。食事の席に甘い物はどうかと危ぶみつつも、舌に掬えばどれも優れた魅惑の味わい。周りを見回しても皆々満足といった風で、それが証拠にやや寡黙気味になって一品一品を堪能した。
バナナを練り込んだパイ生地に濃厚な柿のソース。
無花果と林檎のソテー。
柘榴の酸味爽やかな土瓶蒸し。
クリーミーに仕立てたドラゴンフルーツと強烈なスーパーフルーツの酸味を掛け合わせた練り菓子。
「これは凄い! 果物大変身!」
目新しくも煌びやかで、その上舌は大満足。口直しに枸杞の実や松の実を頂いて、蓬の香るお茶でサッパリ。
「ふぅ、大変美味しゅう御座いました」
満ち足りた晩餐に感謝を述べて、足を崩せばホッと一息。蛹姿の鉀兜姫は幾種類ものフレッシュジュースを藁で吸い上げていて、目移りした私は早速同じ物を所望した。
「それで、明日一日挟んで、明後日には物部大社殿へ行こうと思ってるんだけど、鉀兜姫は本当に地下のことは知らない? 実はある筋から、地下には兜鎧傀儡があるって聞かされてるんだけど」
新鮮な果汁に舌鼓を打ち、食後の水菓子にメロンが出されたところで、私は切り出した。
「存じ上げないのですわ。わたくしより前の代については分かりませんけれど、わたくし自身は大社殿に立ち入ったこともないのですわ。けれど、そう、仮に大社殿の奈落に兜鎧傀儡があるのだとしたら、それはきっと皇大神や八大神の手による兜鎧傀儡なのではありませんか? わたくしはそう思いますわ」
なるほど、そうなるか。皀角子神社に伝わる伝承からすれば、物部大社殿は皇大神と八大神の手によって建造された建物。であれば、そこにあるという兜鎧傀儡もまた然り。そう考えるのが妥当な線だ。
「でも、どうして赤土なんですか?」
挙手して問うたのは我が愛妹。背筋も耳もピンとして、如何にもな優等生でござい。
「九柱の神々が集うなら、南大嶋よりも真神のある北大嶋の方が集まりやすいんじゃないですか?」
「それについては伝え聞いていますわ。なんでも兜鎧傀儡を用いた御業比べが流行した折、時の皇大神火群様と夜刀様の対戦で、真神を囲う月卵山、その南の端が吹き飛んでしまったのそうなのですわ」
「は?」
「へ?」
「んんー?」
夕星、私、放谷と、間抜けた声が漏れる中、質問した阿呼も開いた口が塞がらないといった表情。そりゃそうだ。意味が分からない。
月卵山というのは真神の地全体をぐるりと囲い込む峻険な峰々を指す。その南端が吹き飛んだ? はい、意味不明。
「そのことがあって、神々は御業比べを適切な場所で行おうと考えたのですわ。中央高地に大社殿が造られたのはそうした経緯からなのですわ」
つまり、私のご先祖様と夜刀ちゃんとでやらかしちゃったからこっちへ来たと。とどのつまりはそんな事情か。
「ちなみに、吹き飛んてしまった月卵山の南端は、今では風合谷と呼ばれてるそうですわ」
「うえっ!? 風合谷はあたいの生まれ故郷だぞー。あたいの故郷って御業比べでできた場所だったのか……」
うわぁ……。夜刀ちゃんったら、よくもまあ涼しい顔して放谷と会っていたものだ。四千年前の記憶など奇麗さっぱり抜け落ちたとでも言うのか。うん、言いそうだね。夜刀ちゃん絶対そゆとこあるし。
「ですけど、そうして空いた風穴を塞ぐ意味で、蜘蛛の社が風合谷の守りとして移されたのだとも聞いてますわ」
だとしてもそれはいいことなのか悪いことなのか。今となってはなんとやら。少なくとも、放谷と出会えたことの遠因としては感謝すべきかもしれない。当の放谷は珍しく釈然としない顔をしていた。
「なるほど。まぁちょっとおかしな話も出て来たけど、今ので大社殿が赤土にある理由は分かった」
「ろくでもない理由だったわね。でも今更、四千年前も遡るような場所の地下に何があるって言うのかしら?」
「それはもう行ってみるしかないけど、九柱の神々の兜鎧傀儡があるって言うなら、見てみたくない?」
皆の同意を促すように言って、私は舟形のメロンに木匙を入れた。舌に乗せて口蓋に押し当てればとろける果肉からジューシィな果汁が溢れ出して、嚥下と共に鼻に抜ける香りがなんとも表現し難い幸福感をもたらしてくれる。
「んー! これは絶品」
「お口に合ったようで嬉しい限りですわ」
「お土産に欲しいくらい。それで、一つ気になった点があるんだけど」
「なんでしょう?」
「兜鎧傀儡のことは私は勿論、夕星すらほとんど知らなかった訳だけど、それは神々の娯楽として廃れてしまったから、なんだよね? でもどうして? あと兜鎧傀儡が言わぬが花だって言うその訳も知りたい」
楽しいことや美味しいもの。それらに飽きが来るというのは道理としては分かる。人にもよるけど、熱中したした先でフッと白ける瞬間が訪れるのは往々にしてあることだ。けれども、神宝まで設えて取り組んだ娯楽が何故廃れたのか。その点にはやはり興味があった。
「兜鎧傀儡が表舞台から隠された理由。その一つは暗宮の主祭、火喰媛様が身罷られたことにあると聞いてますわ。ですけど、決定的だったのは、乱取り試合の中で大社殿を遠く離れ、中央高地の地形を大きく変えてしまうような騒ぎがあったからだと聞き及んでますわ」
「えっ?」
「またなの?」
呆れ返る。ここでも地形を変えたのか。犯人は聞かなくったって分かる。どうせ今度もご先祖様と夜刀ちゃんに違いない。何をやっているんだか。
「地形を変えたってどの辺りよ? 知ってるなら聞かせて」
「勿論ですわ夕星様。どなたか地図はお持ちでしょうか?」
「地図なら阿呼が」
阿呼は輪違から中央高地の地図を取り出して座卓に広げた。地図上には幾度も仕切り直した三宮へのアタックルートが克明に刻まれている。心ある人ならば涙を禁じ得まい。
「大変なご苦労をなさったんですね」
「ええ、ええ。そりゃあもう」
「そうまでしてお越し頂けただなんて、感激ですわ」
「その一言でどれだけ救われるか」
我がことながら泣けてきた。地図に刻み込まれた全ては私たちの血と汗と涙と洟水の結晶なんだ。
「あら、こちらにも印がありますわね」
「ん? ああ、それは次に行こうと思ってる場所で、千軽ちゃんが中央高地でも一番派手な崩落痕があるって言ってた場所だね」
「そうですか。けれど、正にこの場所なのですわ」
「えっ、それってまさか……」
「はい。そこが御業比べで地形が変わってしまったと伝えられている場所なのですわ」
はいキタ! 犯人はヤス! じゃなかった。犯人は夜刀ちゃん!!
「こんなのもう夜刀ちゃんじゃん!」
「夜刀ちゃんだね」
「夜刀さんです」
「まーたやらかしたかー」
なんと言うかもう、夜刀ちゃんが好き放題散らかした場所を「片しといて頂戴」とでも言われた気分になって来た。今度会ったら恨み言の一つも言ってやらねば。
結局のところ、遊びが過ぎて一度ならず二度までもやらかしたのだ。それによって兜鎧傀儡は目出度く黒歴史に認定。そうに違いない。そこへ来て火喰媛の落柱までもが重なり、今ぞ潮時と廃れて行ったのだろう。それを木の葉でちょいと隠し。そんな光景が目に浮かぶようだった。
「要は、やり過ぎちゃったから言わぬが花……、ってことですよね?」
「そう思いますわ」
うう、頭痛い。
***
客棟に戻ると既に布団が敷かれていて、薄い掛け布の上には奇麗に畳まれた浴衣が乗っていた。御食屋を離れる際、客棟から庭の飛び石を辿って行くと湯屋があると聞かされていた私たちは、早速浴衣を持って湯浴みに急いだ。
「うわおー! 湯壺だぁ! 露天じゃないけど木の香りに溢れてていいねっ」
脱衣場と湯殿を仕切るのは、熱気を逃がさない為に低く作られた石榴口。そこを潜ると濛々たる湯気に巻かれた総檜の湯屋。簀の子張りの洗い場の先にデデンと横たわる巨大な岩盤には十もの穴が穿たれていて、なみなみと湯で満たされている。ビバ温泉っ! ハ、ビバノンノン!
「結構深いわね、これ」
「立ち湯だね。そこに積んである丸板を底敷きにするんじゃない?」
「阿呼は足届かない」
「あたいもー。こーして縁に肘をかけて浮いとくといーぞー」
「でもいいお湯。常夏の赤土でも温泉はやっぱり格別だね」
「あ゛ー、生き返るー」
「あはは、夕星でもそんな声出すんだ」
「えー? 自然と出ちゃうでしょ?」
「わかるー」
夕星とは初めての風呂付き合いだ。五右衛門風呂やドラム缶風呂のように、すっぽり収まるお一人様の湯壺。それが幾つも並んで、中々見ない絵面になった。
凝った筋肉がほぐれて行く感覚。血流と星霊とが五体の隅々にまで満遍なく行き渡る心地よさ。これぞ天国。肩まで浸かってひとしきり温まると、私も阿呼と放谷に倣って穴の縁に肘をかけた。
「それにしてもさっきの話。参っちゃわない?」
「まぁね。最悪、赤土の現状に関わってる可能性すらあると思うわ」
「それ! 何が何やら頭の中はてんてこ舞いだけど、四千年前とか、地形の変化とか符号が合い過ぎてて怖いよね」
「だとしたらお姉ちゃん。夜刀さんに話を聞いたら色々分かるかも」
「それは私も思ったんだよ。でも夜刀ちゃんが絡んでるってゆー決定的な証拠はまだないから」
それに、戻れば戻ったで「また戻って来たの?」なんて言われかねないし、下手に藪を突いて機嫌を損ねるのも嫌だ。おしなべて大人の対応をしてくれる夜刀ちゃんだけど、折に触れて子供っぽさも目立つから、変にヘソを曲げられたらと思うと、二の足を踏んでしまう。散々自力でと言われてきたんだし、今はまだ時期尚早だろう。
「とにかく予定通り大社殿、崩落痕の順に調べてみて、どっちかで行き詰まるようなら、夜刀ちゃんのことはその時に改めて考えよう」
他力本願の前に先ずは自力本願。この手順を踏まないと最近の夜刀ちゃんはとかく口煩い。夕星という助っ人も付けて貰ったことだし、尚更軽々しく戻るという選択肢はない。などと決意めいた思いでいると、頭に手拭い乗せた放谷から鼻唄が聞こえて来た。
「放谷ー、ご機嫌なのはいいけど、ちょっとは会話に加わりなよ」
「おー、あ、ちょい待ったー」
「おん? どしたの?」
鼻唄を中断した放谷は片手で空を突いてちょっと待ったのポーズ。もう一方の手で耳元を覆うようにして、ふんふんと頷き始めた。
「おー、千軽かー。そっちはどーだー? えー? うん、うん。そーかー、分かったー」
どうやら北部原野で別行動している千軽ちゃんから風声通信が舞い込んだらしい。様子を見守っていると、やがて通話を終えて向き直った。
「千軽ちゃん、なんだって?」
「おー、首刈が頼んでた地割れなー。見つかったってさー」
「どの辺で?」
「犲狠神社の近くだって言ってたなー」
「犲狠神社? 私たちまだ行ったことないよね?」
「うん。でも阿呼、地図で見たことある。猟豹神社のずっと南東の方角よ」
言われるままに頭の中に地図を描くも、ライトフライ級の頭脳では訪れたことのある神社を当て込むのがやっとだ。姉の威厳、無事、行方を晦ます。
「それで、他には何か言ってた? 黒坊主が出たりとかは?」
「黒坊主のことは言ってなかったなー。ただー」
「ただ?」
「なんかなー。地割れから湯気だか煙だか、黒っぽい靄みたいなのが出てたってさー」
「黒っぽい靄? それで?」
「で、地割れの中に潜って調べたってー」
「結果は?」
「千軽は分かんないって言ってたー」
「分かんないんかい」
「でもなー」
「ん? 続くの?」
「一緒にいたほら、あれ、誰ー?」
「知らんがな」
「かめありー?」
「は? ああ、カルアミさんのこと?」
「それなー」
「疲れるよ放谷。まとめて話してよっ」
「おー」
常夏の地で熱いお風呂というのはサッパリするものだけど、長湯となるとよろしくない。見れば放谷も茹蛸のように赤くなっている。のぼせる前にと私は湯壺から抜け出した。
「温まったし上がろう。話しの続きは縁側で」
洗い場に立って清水の御業で脱水。サラサラの浴衣に袖を通した。帯は四人とも片蝶流しに結んでお揃いの感覚を楽しみつつ、飛び石を戻って縁側へ。これで花火でも上がっていれば夏の一幕としては完璧だ。
「はい、放谷。続きをどーぞ」
「んー、なんだっけー?」
「おい」
「忘れちったー」
「あんたねぇ……」
ガクリと力が抜けたところで「私が聞く」と、夕星が御業を繰って、千軽ちゃんとの風声通信が始まった。
「あー千軽ー? 悪いわね、何度も。さっき放谷に伝えて貰った話なんだけど、カルアミって人の話のトコ、もう一度聞かせてくれる? うん、そう。なるほどね。分かった。ありがとー」
隣りで聞く分には、神様というより普通に女の子の電話口だ。スマホとか持たせたらきっと熱中するに違いない。
「それで、なんだって?」
「うん。その黒い靄を調査員が小瓶に入れて持ち帰ったんだけど、千軽にはそれが何かは分からなかったんだって。で、カルアミって魔法使いが渡人の星霊具で調べたらしいんだけど」
「結果は?」
「なんだかね、その黒い靄って、星霊に似てるんだってさ」
「星霊に?」
「そう。魔法使いが言うには、星霊と似て非なるものだって。千軽はそう言ってた」
「ふーん。似て非なる、ねぇ」
なんだろうか。今一ピンと来ないけど、地割れから揺らめき立つ黒い靄が星霊のようで星霊でない何かだということは分かった。黒いと言われると、ここ最近の経験からついつい黒坊主に頭が行ってしまいがちだけど――。
「はーい。何か気付いた人ー」
「はいっ、お姉ちゃん」
「さすが阿呼。なになに?」
「あのね、阿呼が思ったのは霊塊が化け物の原因なら、その黒い靄は黒坊主の原因なのかもってことなの。霊塊の化け物と黒坊主は似てるでしょ? だから黒坊主も霊塊みたいな原因があると思うし、それが黒い靄だったのかなって」
相変わらず冴えております我が妹。冴えない姉としては真剣に爪の垢を譲って貰おうかなどと考えてみたりする訳ですよ。
「なるほどね。二人はどう思う?」
夕星が小顎に手をかけて考えを巡らせる一方で、放谷は歯抜けの笑顔を向けて来た。笑って誤魔化すその様子に、自分と同じレベルだな、と安堵感が芽生えてくる。きっと私は慈しむような瞳で放谷を見返したことだろう。私たちズッ友だよ! いいえ、類友です。
「妹ちゃんの見立て通りだとしたら、首刈の夢に出てきた目張様が、黒い影だったってことにも通じる気はするわよね」
「多分そうだと思う。だって私、天津百眼で見たんだもん。黒蜻蛉を見た時とおんなじに見えた」
夢の中で、目賢ちゃんのご用命から、私は神宝の瞳で目張命を見た。黒い影は黒いままに、その中心にあったのは僅かな若草色の緑。それは黒蜻蛉を見据えた時と同じものだった。
「気になるよね。黒い影の正体」
「それも大社殿の地下で待ってるっていう目張様に直接聞けば分かるでしょ」
夕星はそう結論付けて縁側を離れ、布団の上に転がった。まったく以ってその通り。ただ、不安も山積みだ。
仮に黒い影が目張命を騙る存在だとしたら、その目論見は何処に在るのか。翻って本当に目張命だとしても、現状では楓露の使いという立ち位置がまったく理解できない。
万が一、対立の構図に陥ったらどうすべきか。相手は元八大神だ。こっちには夕星が居るけれど、未熟な私が足を引っ張らないとも限らない。黒蜻蛉の時は夕星が阿呼を危地から救ってくれたけど、今度もそう上手く行くかどうか。
私は隣で放谷と夜空を見上げる妹を見つめた。月は三日月。これから徐々に満ちて行く月が、月神である妹の白い髪を輝かせて、まるで銀が流れるかのように映えていた。
ええい、弱気は引っ込めろ。私が阿呼を、みんなを守るんだ。そうだよ。痲油姫も言ってたじゃないか。お腹の中に弱虫を飼い慣らしちゃダメ。教わったことを大切にして、リーダーらしく強気で行くぞぉ!
***
明けて水走月の四日。私たちはお弁当代わりに果物を頂戴して、早朝から物部大社殿へと向かった。鉀兜姫から皀角子衆随伴の申し入れがあったけれど、何が起るか分からないのでこれを丁重に辞退。
やがて澄み渡る朝の気配の中、聳え立つ大社殿に辿り着き、先ずは神明櫓に上がって場内の全貌を俯瞰した。
「お姉ちゃん、地下への入り口は分かるの?」
「うん。大体の見当はつけてる。ほら、真向かいに大きな門があるでしょ? 多分あれって兜鎧傀儡が場内に出入りする為の門だと思うんだよね。他にも予想としては、中央部分に地下から迫り出しの仕掛けがあると思う。だとしたらそこからも地下に行けるんじゃないかな」
円形闘技場という前提の下、前世の知識をフル稼働した私は凡その目見当をつけていた。ローマのコロッセオは保存状態もよく、折に触れて特集番組があるお蔭で、齧った程度の知識は私にもある。それからすると、地下には闘士の控えの間や、猛獣を閉じ込めておく檻があって、それらは真向かいの門や、この神明櫓の真下にある門に繋がっていることだろう。また、劇的な演出の為の舞台装置として、奈落から迫り上がる仕掛けがあっておかしくない。
ただ、ローマのコロッセオは長径でも二○○米に満たなかった筈。それが物部大社殿となると直径一粁に及ぶのだから、地下では迷子要注意だ。
「よし、じゃあ早速調べてみよう」
飛鳥の御業で場内に降り立った私たちは、振り返って巨大な入場門を見上げた。神明櫓の真下に位置しており、一粁離れた対面にも同じ門がある。兜鎧傀儡が出入りするだけあって、威圧的なその高さは一五米を超えていた。星霊の翼を畳んで茫然と見上げることしばし。
「お姉ちゃん。これ、開くかな?」
素朴な疑問が胃の腑に重い。見た目的には無理。自動車のパワーハンドルみたいにお手軽な絡繰りが備わっていれば別だけど。世の中そんなに甘くはない。恐らく、鉀兜姫が見せたくれた格納庫のように、何らかの御業仕掛けで開閉するのだろう。
「兜鎧傀儡を出入させる為の門だから閂とかは掛かってないと思うんだけど」
「押してみる? 引いてみる?」
「どっちにしても私たちの力じゃ無理そう。よく神社の大きな門に出入り用の閤があるけど、そういったものもない感じだね」
阿呼と二人、お鼻でくんかくんかしながら、耳もピコピコ動かして門扉の際を歩いてみる。けれど、これといったものは何も見当たらない。
「放谷は何か分かった?」
「索ってみたけど、向こうに通路が突いてるのは間違いないなー。ただ、九柱の神々が建てた社殿だからかなー、星霊の通りが悪くて広い範囲は調べられなかったー」
「そっか。夕星は何か分かる? なんならいつもの馬鹿力で押し開けちゃってもいいけど」
「誰がなんですって?」
「褒めたんだよ」
「ったく。ちょっとどいてなさい」
私たちが場所を開けると、夕星は門扉に片手を突いてグッと押し込んだ。
「どう?」
「見ての通り力じゃ無理ね。それにこれ、印色で封じられてるよ」
「いにしき? 何それ、なんかの御業?」
「そ。星霊の波長には個性があるでしょ? 血筋が近いと波長も似通って、例えば首刈と妹ちゃんは他人同士より同調がしやすい。大宮なら大宮の特徴があるし、馬宮なら馬宮の特徴がある。そういうのを波紋って言うの。言ってみれば波長の大きな括りよね。波紋を割符にしたものを印色って言って、戸や門の開け閉めなんかによく使われる。この大社殿が九柱の神々によってつくられたって言うなら――」
夕星が星霊を流し込むと、門扉に幾何学模様を描いて若草色の線が走り、大外の鉄枠を輝かせて、次の瞬間、音もなく入場門が大口を開いた。
「ほらね」
「おお! 開いたっ」
「首刈や妹ちゃんがやっても開くと思うよ」
「それは九柱の神々の系譜ならってことだよね?」
「そ」
この時、私がなんとなく思い浮かべたのは認証システムだ。この戸口を開くには星霊の波長による認証が必要ってこと。波長が個々に異なるという特性を活かして出入りを制限しているのだ。正に楓露流生体認証システム。なんというハイテクノロジー。
夕星によれば印色は系譜縛りの波紋合わせ。より限定した個別の波長認証は魂結と名付けられた上位の御業が用いられるのだそう。
例えば私が印色を道具にかけたとする。するとその道具は加減次第で族神のみだとか、従神までだとか、利用者の範囲を制限できる。魂結を用いたなら私にしか使えなくなる訳だ。
「さー、じゃーいっちょ行くかー」
「よし、行こうか。中は暗いよ。みんな準備はいい?」
「阿呼は準備おっけーよ。ほら」
そう言って阿呼が掲げて見せたのは神庭の街で初めての買い物をした時の戦利品。風防付きのランタンだ。と、そこへ――
「燧!」
パチンと指を鳴らした夕星。指の狭間でシュボッと音がして、まるでマッチを擦ったかのように火が着いた。そして指を弾けば狙い違わず、火種はランタンの中へと飛び込む。
「わぁ、火が着いた。夕星さんありがとう」
「どう致しまして」
うーむ、私も阿呼も随分御業を覚えてきたけど、さすが夕星は年季が違う。手を変え品を変え、その上どれも使い慣れている。そうした点は素直に憧れてしまう。
ともあれ探検、もとい探索開始。私は懐中時計を開いて今が午前八時であることを確認した。幸先のいいスタートを切ったから下層まで大した時間はかからないだろう。お昼は皀角子神社に戻ってゆっくり食べられそうだ。
なんて期待はちゃーの間で裏切られるんですけどね。はい。




