051 兜鎧傀儡
「首刈様」
「んむ……。あれ? 目賢ちゃん」
曖昧な意識のまま目覚めると、射干玉の闇にぽつねんと浮かび上がる避役の女神様。
あ、夢だ――。
「うーわ、やっぱり忘れてた! あ、でも皀角子神社には着いたんだよ? って、それも夢?」
「夢は夢、現は現」
「どっち!?」
「三宮へは着きました」
「セーフ!」
ぬか喜びにならずに済んだ。と胸を撫で下ろして今のこの状況を整理整頓。要は三宮で部屋食を頂いてゴロンと寝転んだ私は、そのままお昼寝タイムに突入したのだ。きっと阿呼が「お行儀!」とツッコミを入れたに違いない。けれども、お蔭でこうして夢時空に置き忘れた記憶と邂逅することができた。
「お出まし」
「ん? 何が?」
「あちら」
訥々とした目賢ちゃんの言葉にしたがって一方を見やる。すると――。
「でた。目張命」
闇間から茫洋とした淡い燐光を纏って、滑るようにツツツと寄って来たのは、自称楓露の使いとも白守四方鎖目張媛命の幻とも名乗るお方様だ。
「参られましたね、三宮へ」
「参りましたとも! それで? ここに一体何が? 鉀兜姫にはさっき会いましたよ?」
「結構です。それでは鉀兜姫に願い出て、物部大社殿の地下へ参られませ」
物部大社殿の地下? なんだろう、この誘い込まれてる感。ひょっとして赤信号? だとしてもみんなで渡れば怖くないのかしらん?
そんな不安の横槍に、ついつい隣の目賢ちゃんを窺ってしまう。目賢ちゃんは眉間の辺りに指を当ててトントンと突いて見せた。
「何それ?」
「ほめら」
「ああ! そっか」
合点を得た私は早速、己の眉間に天津百眼を見開いた。そして神宝の瞳を通して目張命をまじまじ観察。すると、あの黒蜻蛉を見据えた時と似て、黒々とした陰影の中に僅かばかりの星霊の若草色が見えた。やはり、目の前に立つこのお方は黒坊主の同類なのだ。
「どうしよう? 黒坊主だよ、この人」
「悪しくはないかと」
「そうなの? どうして分かるの?」
「気配、的な」
左様か。ならもう信じるよ? 希代の占い師、目賢ちゃんが言うなら、私は信じちゃうんだからね! なんて感じで半ばヤケクソ気味に断を下し、私は天津百眼を閉じて目張命と対峙した。
「物部大社殿の地下ですね? そこへ行けばいいんですね? でも、一体全体そこに何があるって言うんですか?」
「兜鎧傀儡がございます」
「? とがい、くぐつ? それはどういったものですか?」
「お待ちしております」
「え、ちょ、まっ」
しゅわしゅわしゅぽんとまた消えた。
ずるくなーい? なんでそう勿体ぶるのさ! 犯人はヤスばりのネタバレをかましてくれたっていーじゃないか! あー、もう! モヤモヤするったら!
地団駄踏んで頭を掻き毟っていたら、勢い余って尻餅着いた。いや違う。これ、揺さぶられてる?
「あ、なんか起こされてるみたい。目賢ちゃん、次もまた絶対来てね!」
「あい」
ペクリと畏まる目賢ちゃんを闇間に残して、私の意識は目覚めの淵へと引き上げられて行くのでした。そして――。
***
ぐっどもーにんぐ! 目玉目覚めてますか?
「おっはよー!」
ごちん!
「いったーぃ! 何すんのよバカァ!」
こっちも痛かったよ、クラクラしゅる。
お昼寝から揺り起こされて元気よく目覚めたらこのザマ。夕星とおでこをバチコリぶつけて一瞬お星様が見えた。けれどもその衝撃のお蔭か、今の私は夢の記憶をしっかりと握り締めている状態。これは大きい。でかした夕星!
「あいたたた。ごめんごめん。ひょっとしたまた魘されてた?」
「そーよ。妹ちゃんと放谷は心配して皀角子衆を呼びに行った」
「あらら、それはそれはご迷惑をおかけしました。起こしてくれてありがとね」
「別にいーけどっ。何よ? おかしな夢でも見た?」
「そう! それなんだけどさっ」
何しろ夢の記憶を持ち越しているものだから、聞いて貰えて思わずニンマリ。私は寝乱れた着衣を正して居住まいを整えると、夕星と二人、互いに赤らむおでこを突き合わせた。
「物部大社殿の地下へ行くことになった」
「はぁ? いきなり何? 夢の続きでも見てるの? おーい、起きろー!」
「起きてるよ! 夢で見たの!」
「ダメだこの子。頭打っておかしくなった」
「ちょちょちょ! 聞いて! 聞いてってばぁ! 大事な話なの!」
「……この指、何本に見える?」
「三本!」
「残念。左と合わせて七本でしたー」
「うざっ!」
言えた義理じゃないけど夕星ってば本当に神様なの!? うざまる君が過ぎる。そしてなし崩しに喧々諤々、組んず解れつ。皇大神と八大神が揃いも揃って他所様のお社で七転八倒。最早目も当てられない。
「きゃーっ、お姉ちゃん! 夕星さんも何やってるの!?」
「おおー、これは凄い闘いだぁ。もっとやれもっとやれー!」
こらこら、煽りなさんな。皀角子衆を引き連れて戻った二人の手前、さすがにこれ以上はマズイ。狼と馬の戦いは水入りにして、さっさと本題に戻らねば。
「なんだよー、随分と元気なんじゃないかー。心配して損したなー」
「それがお伴の言う台詞?」
放谷め、少しは馬鹿力と取っ組み合ってた私の心配をしなさい。と、そこへ皀角子衆に頭を下げて引き取って貰った阿呼が、ご不満たっぷりの赤い目をチカチカさせながら私と夕星の合間に膝をついた。
「二人とも、喧嘩はダメでしょ」
「はぁい」
「ごめんなさーい」
戦い疲れて、どっちが悪いなどとの論争も面倒な私たち。ここは素直に阿呼の叱責に首を垂れる。そもそも愛妹に立て突くなど以っての外。それが正論を言うのだから矢は矢筒に、剣は鞘に納めるのが正解だ。
「仲直りの握手して」
「はい」
「はーい」
互いに片頬引き攣らせながら、握り合う手に力が籠る。
「こらぁ!」
力こぶる手と手。そこに水面下の闘争を察した阿呼から、すかさず鋭い一喝が飛んだ。そそくさと手を離せば相も変らぬ馬鹿力に、私のお手々は真っ赤になってる。おにょれ夕星め。
「もう、お姉ちゃんはぁ」
「なんで私ばっかり!?」
身内あるある。妹神の厳しい視線に獣の耳が思わず伏せる。ここは口を噤んでおく一手だね。
そんな沈黙の一幕に中坪から吹き込んだのは緑匂い立つ風。常夏の青々した空気が一室を満たし、騒がしさの残滓を一陣の下に拭い去って行った。その様子を受けて、我が耳もそろりそろりと立ち上がる。
「えと、それでね? ちょっと話があるからみんな集まってくれる?」
誘い水をかけて車座に四人。夢の話を切り出すにも、夕星の先の反応を考慮して、私は先ず夢の中で目賢ちゃんが居合わせたことを説明した。なんと言っても目賢ちゃんは古き神。夕星もその存在には一目置いている。そうなれば誰も頭っから疑ってかかったりはしない筈。それを前置きにして私は語った。
黒坊主と関わる謎の影。
その正体は楓露の使いを名乗る、亡き目張命の幻。
招かれた先は物部大社殿の地下。
そこに都度都度、目賢ちゃんの存在を絡めて行けば、案の定、夕星の眉根は開かれて、夢見の顛末にシュッとした形のよい耳を向けてきた。
「話は分かったけど、どうにもピンとこないわね」
「それは私も一緒だよ」
「にしても不思議な話だなー。まー結局のところ、行ってみなきゃ分かんないってことだろー?」
「放谷それ」
ビシッと指差し激しく同意。何しろ相手が勿体ぶるのだ。行かずんば何物をも得ず、といった状態に私たちは置かれている。ならば分からないものをあれこれ考えるより、示された場所に行ってみるのが一番手っ取り早い。
「それで、お姉ちゃんは行くつもりでいるってゆうこと? あの建物の地下へ」
「うん。流れ的に見てさ、まず最初にあの黒蜻蛉が、ミツケタ、って言って、それから私の夢の中に楓露の使いを名乗る目張命が現れた。でしょ? となると黒坊主側は私、ってか皇大神を探してたって感じに取れない? 夕星はどう思う?」
私は頷き返す阿呼と放谷を確認しつつ、夕星に振ってみた。さて、その反応や如何に。
「そうね。貴女の当て推量の当たり外れは別として、その楓露の使い? なんだか知らないけど、それを見た目賢姫は悪しきものに非ずって、そう言ったんでしょ?」
「そそ」
「だったら行ってみるのもありかもね」
「おけまる! じゃあ早速、鉀兜姫に話しに行こう」
「ちょっと待ちなさい」
勢い膝立ちになった私の肩を、グイッとばかりに夕星が引き止めた。
「なに?」
「何かあった時の対策は?」
「……無手勝流?」
「何よそれ」
「まぁまぁ。何かあった時の為の夕星じゃん」
「はぁ?」
「いーからいーから」
「いや、よくない」
「いーからいーから」
「よくないって言ってるでしょ!?」
返す刀でグイっと夕星を引き立たせ、背後に回って押し進む。目指すは本殿、後れを取るな。
***
「物部大社殿の奈落へ? まぁまぁ、なんのお計らいかしら? 不思議ですわ」
藪から棒の申し出に、神座に坐します鉀兜姫はきっと、殻の内側で目を瞬いたに違いない。
どうか是非にとにぎにぎしく願い立てる私の隣で、下唇を突き出して仏頂面の夕星。そんな両者を見比べるように間を置いてから、鉀兜姫は鈴の鳴る声で言葉を紡いだ。
「物部大社殿はわたくしの代から幾代も遡る往古の建物ですわ。既にご覧になられた通り、今や中央高地は人の行き来もない魔境。あちらの社殿も長きに渡って使われてはおりませんのよ? ですから中のこととなると、皇大神様が仰られる奈落があるか否かも、わたくしには分からないことなのですわ」
その答えは意外だったけど、元より蛹の神様に道案内を乞おうとは思っていない。しかし地下があるかどうかもご存知ないとなると、そこで目見当が外れてしまったのは確かだ。
奈落――。その字面は怖いものの、例えば舞台の下も奈落と言うし、単に地下を指しての言葉なら然程心配する必要はない。するとなると、ここは立ち入りの許可だけ出して貰って、後はこちらで好きに調査、探索をする流れになるのか。
「なら、この機に私たちの方でどんな場所か調べてみたいんだけど、それは問題ない?」
「はい。ご自由になさって頂いて構わないのですわ。かの社殿は古の九柱の神々が創り給いしもの。寧ろ首刈様や夕星様こそが、他に許可を出せる立場なのですわ」
「なるほど」
チラリと夕星を窺えば、片眉跳ねて好きにすればとでも言いたげな面持ち。ならば好きにしますとも。今や巨樹の森の重圧から解き放たれた私の足運び、それは羽が生えたかのように軽いのだ。
「じゃあ遠慮なく調べさせて貰うね」
これで第一の目標は果たされた。
私は続く質問を鉀兜姫に投げた。何せ楓露の使いも目賢ちゃんも、先ずは鉀兜姫に会うよう勧めてきたのだ。何かしら得られるものがある筈だよ。
「あの。物部大社殿って、ひょっとして建てられたのは四千年前とか?」
「まあ、よくご存知ですこと。そのくらいの時は経ていると聞き及んでいますわ。一〇七紀の頃でしょうか」
今が一五一紀だから差し引き四千年強。中央高地崩壊の始まり頃と時期的には合致する。
「地震が起きると建物の様子が変わるなんてことは?」
「そういったことはありませんわね」
地震とは関係なしか。地震、黒坊主、霊塊、星霊の崩れ。これらは一本軸で繋がるものではないのかなぁ?
「あともう一つ。とがいくぐつってなんのことだか分かる?」
「まあ! 首刈様はお若いのに兜鎧傀儡をご存知なのですね」
「え? うん。ちょっと小耳に挟んで」
「まあ、その可愛らしいお耳に挟まれましたか。それでは当社の兜鎧傀儡をご覧に入れましょう」
「はい? えっ、ここにもあるの!?」
「ありますとも。ただ、兜鎧傀儡というのものは、知らぬ御方には言わぬが花の、去りし歴史の一幕を飾るものなのですわ」
結びの言葉に疑念が湧いたものの、先様の方から御照覧あれと言うのだから是非にも拝見致さんと、私たちは案内されるがままに本殿を離れた。
踏み込んだ神域の森に立ち並ぶのは椚、棈、小楢、水楢。更には桑に皀角子と、いずれも兜虫が好みそうな種類の木々。
鉀兜姫は今や出迎えの折の仰々しさを捨て、神輿に頼ることなく、御業の力でふよふよと宙を浮いて先を行った。
「そういえばさ」
「はい、なんでしょうか?」
「樹海の甲虫たちって、巨樹の星霊を吸い上げてるよね? 私たちも随分追い回されたんだけど、それって結局、星霊を餌と認識しているから?」
場繋ぎも兼ねて聞けることは聞いておく。眷属のことなのだから知らぬ存ぜぬとは行くまい。鉀兜姫は少し考えるように間を置いて語り始めた。
「生きとし生ける物の本能には、得てして生存戦略というものが組み込まれているのですわ。角を持つ者、毒を持つ者。姿を偽ることも、群れも成すことも、全てが種の存続と繁栄に繋がる解なのです。遥かな昔、この中央高地に星霊の密度がいや増した折、彼らはそれを取り込むことを新たな戦略としたのですわ」
それは確かに妥当な見解だ。けれどもあそこまでの巨大さとなると、何やら色々とバランスが崩れてはしまわないだろうか。
「それは分かるけど、大丈夫なの? 私たちが道々目にしてきた倒木の数はかなりの数だったし、あれを放って置いたら命を育む森そのものがダメになっちゃうんじゃ?」
「ご心配には及びません。戦略を新たにしたのは何も虫たちばかりではないのですわ。星霊の密度は公平でしょう? 森林の回生も決して負けてはいません。発達した食虫植物など、昆虫の脅威となるものもそこかしこに潜んでいますから」
バランスは取れているということか。三宮の神様が言うのだから間違ってはいないのだろう。これ以上は老婆心が過ぎるというもの。
「さあ、着きましたわ」
四角四面に木々を排した緑の苑生。その中心の地べたには井の字型に組まれた木枠が埋め込まれ、ぽっかりと枡形の穴が穿たれている。一見して井戸を思わせるものの、釣瓶を落す滑車台がある訳でもなく、枡形の一辺は一〇米程と非常に大きい。
「この穴は?」
「兜鎧傀儡の格納土蔵ですわ」
格納土蔵って格納庫のことかな? え、待って。こんな大きな穴に収めるほど巨大なものなの?
「あー、なんだか思い出して来た。兜鎧傀儡って確か私のお婆ちゃんも持ってた気がする」
「え? 夕星のお婆ちゃんが?」
「うん。うちのお婆ちゃんまだピンピンしてて、よく話もするから、何かの折に聞いたことがあったような……」
夕星は穴を縁取る木枠に足をかけて身を乗り出した。半歩遅れて私も並び立ち、中を覗き込む。深さは一五米程度。そこには高さ一〇米程の大きな鉄扉が厳かに閉じられてた。
「参りましょう」
浮遊する鉀兜姫はゆっくりと穴の中へ降下した。続いて私たちも飛鳥の御業で星霊の翼を生やし、宙に身を舞わせる。
ふわり――。体から重心が失せたような得も言われぬ浮遊感。翼があると意識することで自然と体が浮き上がる為、羽搏く必要はない。強いて翼を動かすのは、進路を変えたり加速したりと、動きに変化を付ける時のイメージを補填するのが目的だ。
底に降り立ち翼を畳む。見上げれば先刻見下ろしたばかりの鉄扉が、重々しく圧しかかってくるように感じられた。
「丸に角又。皀角子神社の御神紋だ」
雄々しい兜虫の角を一円に取り囲んだ金箔の御神紋。それが鉄扉のど真ん中に刻まれていた。
「この中に?」
「はい。それではご覧に入れますわ」
産着のようなおべべの裾をひらひらさせながら、鉀兜姫は淡い若草色の燐光を帯び始めた。星霊を練っているのだ。
「独角仙!」
緊張の時を経て、それまでの鈴を転がすような声とは打って変わった力強い声。思わず耳と背筋、尻尾までもががピンとなる。次いでゴゴゴと唸る重低音を伴い、神紋を割りながら鉄の大扉が開かれた。
「おおおお! これが……。え、でっか! 何これ!?」
視界に捉えたのは倉の天井を突かんばかりに上背のある巨大な鎧武者。兜を飾る前立てはご立派な角又で、吹返、大袖、胴、篭手と、随所に御神紋が刻まれた見事も見事なその立ち姿。これは男の子が見たら大喜びだろうな、と、そんな他人事めいた感想が脳裏を掠めた。
「え? これ? これがとがいくぐつ?」
「はい。兜と鎧の傀儡と記す、古き世の神宝なのですわ」
「神宝なの? これが!? はぁ~」
いや驚くよ、これは。サイズ的には巨大甲虫と似たり寄ったりだけど、受ける圧が質から何から全く違う。なるほどなっとく神宝!
「これ、登ってみてもいーかー?」
「まーた放谷の不躾が始まった。神宝だって言ってるでしょーが」
「どうぞご自由に。神宝ですから、そうそう傷の付くものでもありませんわ」
「あ、いいんだ」
意表を突かれている間に、放谷はするすると器用に兜鎧傀儡を登り始めた。
「すごいね、お姉ちゃん。でも、これは一体何に使うの? 神宝だから、きっと何か役割があると思うけど」
「そうだね。なんだろう?」
姉妹並んで頭を捻ってみても、この大仰な傀儡人形を何に使うかなど見当もつかない。ひょっとして佞武多の類かな? 大昔にはこれをお祭りの時に引っ張り出して辺りを練り歩いたとか?
例えば青森県は五所川原。ストーブ列車などで知られる町は立佞武多の舞台として知られている。そこにこの兜鎧傀儡を紛れ込ませても、あまり違和感がないように思えた。
「あ、そだ。夕星」
「ん?」
「これ見て何か思い出した? さっきお婆ちゃんも持ってるみたいなこと言ってたじゃん」
「ああ、うん。きつねお婆ちゃんからは話を聞いただけだけどね」
「きつねお婆ちゃん? お馬さんなのになんで狐?」
「妖の星って書いてあまつきつね。うちは代々、星の名前だからね。ほら、馬の額の斑点を星って言うでしょ?」
「ああ、なるほど。それで星なんだ。それは納得。で、思い当たる節は?」
「うーん。この独角仙だっけ? お婆ちゃんの話に出てきたのは段切丸って名前だったかな。話の中に兜鎧傀儡って言葉も出てきたと思うし、間違いないと思う」
「ほほー。で、なんなのこれ? 何に使うの?」
「これは」
「これは?」
「一言で言うなら玩具よ」
「は?」
「だから、神様が遊ぶ為の道具ってこと」
なんですかそれは? お人形遊びか? いやいやいや、神宝だって言ってたじゃん。それがおもちゃ?
「あのー、鉀兜姫?」
「はい」
「この兜鎧傀儡というものはどういったことに使うものなの?」
「神々の戯れ、ですわ」
「……まじか」
「まじですわ」
だから言ったでしょ、と夕星が横からダメ押しを食らわしてくる。
まじか、まじすか、まじ須賀小六。
信じられる? だって神宝だよ? こんな手の込んだものを使って、じゃあ一体何をして遊ぶっていうのさ。おままごとか?
「おーい、首刈ー。これ見てみろー。なんか面白いぞー」
不意を打って降り注いだ声を仰げば、放谷が纏わりついている胴回りの鎧が、上に下にと口を開いて兜鎧傀儡の内側を覗かせていた。
「ちょっ、何やってんの放谷!」
「いや、開くんだこれー」
「開くんだこれじゃないんだよっ。ホント済みませんうちの放谷が――」
と横目で見れば鉀兜姫は動じた風でもなく、最前の「どうぞご自由に」といった態度を崩す様子は微塵もない。
「こっち来て見てみろー」
矢の催促が降ってきた。せっかくの機会だし見て触れて学ぶとしましょう。
私は阿呼と夕星を伴って飛鳥の御業で浮かび上がり、パックリと開いた胴鎧を足場に放谷と並んで、傀儡の内部を覗き込んだ。
「なんじゃこりゃ。ロボットかっ」
「なんだそれー?」
「いやいやこっちの話だけど……」
そう言いたくもなる。だってそこにはどう見ても座席があるのだ。明らかにコックピットだよ。お台場辺りにデデンと置かれた例のアレを和風アレンジしたような仕上がりになっている。
金属素材や精巧な機器類は一切見当たらないけど、梮のような形の足を乗せるのだろうペダルがあれば、操縦桿と思しき竹筒もある。天蓋からは幾筋も縄紐が垂れて、握りにあしらわれているのは木札。恐らくこれを引っ張ると何らかの挙動を示すのではなかろうか。木札の文字は使い込まれて磨り減ってしまい、読むことはできない。
これなら確かに、男の子の夢を目一杯詰め込んだおもちゃ箱と言えそうだ。でも待って。これに乗り込むのって女神なのでは? こうして大切に保管されている神宝ならば、乗り込むのは主祭神。即ち女神である筈だ。
とはいえ想像は付く。夜刀ちゃんとか嬉々として乗り込みそうなイメージあるもんね。あるある。あり過ぎて困る。
「で? 実際これを使ってどう遊ぶって?」
さぁ、答えを聞かせて貰おうか。
「どうって、御業比べでしょ」
「みわざくらべとな?」
夕星の回答にしばし悩む。けれども御業を力と置き換えることでストンと腑に落ち、つられて目は丸く開いた。この大仰な神宝を使って御業の力量を比べる。比べるのだから勝敗なり優劣なりを決するということだ。となればどんな規模の勝負になるのかなど想像もつかない。
「ひょっとして担いでる?」
「なんでよ」
「だって、御業比べなんて、わざわざこんなもの持ち出さなくてもできるじゃん」
まあね。と、相槌打っておきながら夕星は直ぐにその言葉を翻した。曰く、数千年前の大嶋を想像してみろと言うのだ。
何を言うのか。大嶋の大雑把な歴史は私だって知っている。言われるまでもない。ちゃんとお勉強したんだからね!
先ず最初に星霊を乗せた隕石が落ちて、今の隠居山ができた。九柱の神々を筆頭に、拡散した星霊との融合によって様々な動物が人の姿を得た。それが拡大分散期と呼ばれる時代の始まり。初代皇大神を旗頭に、夜刀ちゃん以下、古の八大神がその時代を牽引したのだ。
それから十数紀を経て初めて八大神の一柱が倒れた。ここからが落柱期と呼ばれる時代。多くの神々の間で代替わりが始まった。
やがて、人類が旧人から新人、即ち現代人へと進化を遂げたのが凡そ五〇紀の頃。始祖人類である神々と宮守衆が人類を導き、次第に持ちつ持たれつの交雑期へと移行して行った。
でもって新時代の幕開けは渡人の到来によって訪れる。不幸な戦争によって八大神隠遁の時代へと突入し、そこからまた長らくの時を経て、いよいよ私が皇大神に転生。あれやこれやがあって今現在に至るという訳だ。
「夕星は何が言いたいの?」
歴史を紐解いてみても何一つピンと来るものはない。私はそう顔に書き付けて夕星に突き付けてやった。
「一言で言えば、今と昔とじゃ大違いってことよ」
言いながら兜鎧傀儡の座席に入り込んだ夕星は、そのまま腰を落ち着けて続きを語らう。
「貴女たちが見た大嶋は今の今を映している。正直言って大嶋は、渡人がやって来るまでは自然の合間合間に嶋人たちが住まわせて貰ってるようなものだったのよ。勿論、私も生まれてこの方、七百と二十七年だから、渡人のいる大嶋しか知らないけど。でも、お母さんやお婆ちゃん、それに夜刀ちゃんたちから聞く分には、以前の大嶋は静けさの中に平穏無事を閉じ込めたような暮らし向きだったって訳」
それはまぁ想像に難くない。何しろ渡人が大嶋に持ち込んだものの影響は大きいのだ。街を見ても、服飾や食べ物、道具の類を見ても渡人による影響を少なく見積もることは難しいだろう。
私はなんとなしに輪違いから懐中時計を取り出した。時刻はそろそろおやつの時間。その精緻な作りも舶来の技術あってこそのものだ。
「ふむふむ、それで?」
「うん、でね? こっからはお婆ちゃんから聞いた話のうろ覚えなんだけど、首刈のご先祖の火群様が皇大神をなさっていた時期に、現役だった私のお婆ちゃんと夜刀ちゃんとが、年がら年中御業比べをしていたんだって」
大嶋治真神火群皇大神は私の五世の祖にあたる四代皇大神だ。お母さんを除けば唯一ご存命の元皇大神。未だお目にかかったことはないけどね。
「来る日も来る日も御業比べ。それが当時の神々の娯楽だったのよね。でも段々と飽きてきた。そこできつねお婆ちゃんが考案したのが兜鎧傀儡って訳。見ての通りの大きさでしょ? この神宝を介して発現する御業は強力そのもの! ダダダダッと相手を撃ち抜く!」
夕星は適当に操縦桿を動かし、ペダルを踏み込みながら言い放った。楽しそうなのは結構だけど、動き出したらと思うとハラハラする。
「で、派手さを増した御業比べが神々の間で大流行。皇大神や八大神ばかりじゃなしに、小さ神も挙って兜鎧傀儡を造ったの。それからは勝った負けたに興じる日々よ」
なるほど。数少ない娯楽の中に、神々が揃って興味を引くような楽しみが投じられたなら流行りもしよう。あの円形闘技場みたいな大仰な舞台も、それで必要になった訳だ。でも私にはどうしても引っかかることがあった。
「うん。あらましは大体分かった。ありがとう。でもさ?」
「うん?」
「さっき鉀兜姫が言ってたけど、兜鎧傀儡ってば、知らない人には言わぬが花の、去りし歴史の一幕なんだよね? 歴史の一幕なのは当然だとして、それがなんで言わぬが花なのさ?」
「そんなの知らない」
「あ、そうなんだ」
そんなにあっさり言われると、こっちもあっさり受け止める他ない。まぁ夕星のネタ帳は記憶の隅に残っていたお婆ちゃんの話なのだから、多くを知らないことは責められない。ならば続きは鉀兜姫に聞くとしましょう。




