049 皀角子の樹海へ
こぽこぽとお湯の沸く音に薄っすらと目を開ける。そこに映り込んだのは真上から覗き込む夕星の顔。
「あ、おはよ。何? 私寝坊した?」
「寝坊はいいけど貴女、なんだか魘されてなかった?」
「え、そう? 確かにちょっとだるいけど、変な夢でも見たのかな……」
「しっかりしなさいよ。私がいるって言ってもこっちは地理には暗いんだから、どう進むかは首刈次第なんだからね」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
「べ、べつに心配とかじゃないし」
ツンデレのテンプレを残して木洞を去る夕星。ムクリと起きれば頭の血流が感じられるほどサーッと流れて、どうにも体が重ったるい。
軽く異常事態だな、と思う。なんたってこれまで朝一で目覚めるのは私だったのだ。幻の目覚まし時計が鳴る前に飛び起きる生活が、ここへ来て途切れてしまった。
人に移姿て水干の着心地を直し、よっこらせ、と木股を出る。成長した体に着たきりの水干がフィットするのも御業の恩恵だ。同調した衣服などは、コツさえ掴めば注連の御業を練り込んでサイズを変化させられる。拡縮ではなく、御業の練り込みで星霊を形質変化させて生地に足してしまうのだ。
私は表に立って、しばし朝の眩しさに目を慣らした。パチパチと生木の爆ぜる音に目をやれば、手作りの石竈に小鍋をかけて阿呼がお湯を沸かしている。お伴の放谷は相変わらず隣で見ているだけというね。そうして沸かしたお湯にカチカチの焼き菓子を浸し、柔らかくして食べるのが中央高地での定番の朝御飯だ。
「おはよう。お姉ちゃん、今日はぐっすりだったのね」
「おー、珍しくよく寝てたなー」
「うん、なんだろうね? たまにはそんなこともあるよ」
私は葉っぱの上に出された焼き菓子を取って、お鍋の中に放り込んだ。
「ねぇ。昨日の夕餉の時も思ったんだけど、貴女たちって道具にばっかり頼って御業は全然使わないのね」
少し離れて根上がりの上に腰を掛た夕星は不思議そうな顔をした。
「変かな?」
「別に変とは言わないけど。例えば貴女たち、道具なしに御業で火を起こしたり、お湯を沸かしたりって、ちゃんとできる? 御業の基礎って、そういう日常事で身に付けて行くのが普通だと思うけど」
確かに一理も二理もある。
私といえば文明社会で過ごした前世の癖から、道具を使うのが当たり前になっているのだ。阿呼にしても放谷にしても、リーダーの私がそうするから何ら疑問もなく付き合いでそうなってしまっている。
「大嶋廻りを終えて一人前になったら、今度は首刈が教える側になるんだから、得意系統とかばっかりじゃなしに、ちゃんと初歩の御業もできるようにしておいた方がいいよ」
御説ご尤も。しかし物を温める御業か。
水をお湯にする、となれば大宮の庵でお母さんがお風呂を沸かしていた御業を思い出す。でもあれはどうやっていたんだろう? 手解きを受けた訳じゃないから、なんとも思案に暮れてしまう。逆に物を冷やすなら氷撫の御業だ。これは痲油姫たちとの合戦神事で、見たり撃ち込まれたりしたから幾分かは想像しやすい。
「物を温めるのって、例えばどうすればいいの?」
「そんなの、温まれーって念じればいいじゃない」
おい。
「え、それだけ?」
「それだけって……。うーん、じゃあ温めた後の状態を想像するとか? じゃなかったら御業で火を起しちゃって、そこに温めたいものをくべるなんてのもありでしょ」
うーむ、適当だなぁ。道具に慣れた私にしてみれば理路整然としたマニュアル的な指南が望ましい。でも、ない物ねだりに意味はない。ここは試して合点の精神だ。
「よーし、とにかくやってみようか」
水筒の水を湯呑に取って、それを両手で包み込む。隣では阿呼と放谷が「阿呼も」「あたいもー」と追随し、私たちは目を閉じて集中を始めた。
あっためる。あっためる。
三、二、チーンでほっかほか。
あっためる。あっためる。
三、二、チーンでできあがり!
ボンッ――。
「へ?」
なんか出た。
「きゃあ」
「なんだそれー?」
驚いた阿呼が半歩後退り、放谷の目には好奇の色がキラッキラ。
それにしても、物凄く見覚えのある物が飛び出して参りましたぞよ。
「ちょっと貴女、なんなのその箱? また何かの道具?」
「これはー、えーとー、電子レンジ……だね」
しかもただの電子レンジじゃない。家で使っていた赤い小型の電子レンジ。母がデザインを気に入って衝動的に買った展示割引品。使い古した感がないところを見ると、家にあったその物でという訳ではない様子。私が物を温めるのにレンジを連想したが為に飛び出してきたということか。それにしたって謎過ぎる。
「お姉ちゃん。でんしれんじってなぁに?」
「えっと、この蓋を開けて、中に温めたいものを入れるでしょ。それから閉じて、この摘まみを回す。そしたらチーンて音がして温まる仕掛け」
言葉通りの手順で湯呑を中に入れて摘まみを捻る。勿論動かない。電源がないからね。しかし驚いた。懐かしの電子レンジが現れようとは……。
「音なんてしないじゃない。壊れてるの?」
「壊れてはないと思う。電気がないと動かない道具だから」
「でんき?」
「えっと、雷みたいなバチバチッてするエネルギー。って、分かんないか」
私の苦笑いも他所に、三人は物珍しそうに電子レンジを取り囲み、ベタベタと触り始めた。
「ねぇ首刈。この尻尾みたいなのは何?」
電源コードを摘まみ上げて揺らす夕星。自慢の尻尾も同じように揺れてます。
「その先っちょの金具の所から電気を取り込んで動くんだよ」
「へー。じゃあやって見せてよ」
「え?」
「でんきで動くんでしょ? 貴女が御業ででんきを出せばいいじゃない。動いてるところが見たいの。早くして」
こやつ、どうしてそう無理難題を言うかな。
しかし、見れば阿呼も放谷も期待の眼差しを向けている。ここで「できません」では姉として、皇大神として格好がつかない。何か上手い手はないものか……。
それにしても電気ねぇ。前世ではあって当り前のものだったけど、この楓露でそれを用意しろと言わたら、御業以外に手立ては思い浮かばない。まだ見ぬ御業に電気系統の物もありそうだけど、教わってもない御業をぶっつけ本番でやって上手く行くかはギャンブルだ。何か代案は……。
「あ、そうだ! ねぇ阿呼、天左右牙を出してよ。天左右牙に纏わりついてバチバチいってるあれ、多分電気だから」
「そうなの? 分かった」
目に見える電気といったら雷くらいだと思ったけど、身近な所にいいものがあった。直ぐにブォンと音がして二つの光る八面体がご登場。この際神聖な神宝だとかいう点には目を瞑ろう。
「これ、小さくできない? 大きいままだと感電した時怖いんだけど」
「かんでん? 小さくすればいいのね。やってみる」
阿呼は両手でお結びを握るような動作をしながら、星霊を練り上げて小型化の想起を始めた。その可愛らしい動きに見入っていると、天左右牙は次第に丸みを帯びて、三角お結びのサイズになった。
咄嗟に言われてパパッとできちゃう阿呼は天才だ。などと感心してたら夕星に肘で小突かれた。早くしろとの催促だ。せっかちさんめ。
コードを受け取った私は恐る恐る先端を天左右牙に近付けた。だって、線香花火みたいにパチパチいいながら電気火花が散ってるんだもん。
「いくよー……。はいっ」
ままよ、とコードをくっつければ、摘まみの捻ってあったレンジは即座に唸りを上げて稼働した。三人はまったく同時に身を固めて、それから警戒心も露わにレンジの窓を覗き込む。
「おー? 中か光ってるぞー」
「ちゃんと温まってるの? なんだか不思議」
「これって開けてみてもいいのかしら?」
「ダメダメ、チーンって音がするまで待ってて」
それから十数秒。温め完了の音が鳴って、阿呼と夕星の耳が驚きに仰け反った。如何にもな動物的反応がめちゃくちゃ可愛い。
「お、お姉ちゃん。開けても大丈夫?」
「もう平気だよ。コードも離したから、ちゃんと温まってるか確かめてみて」
「うん」
三人を代表して阿呼がおっかなびっくり蓋を開ける。
「あっ、湯気が立ってる。すごい! ちゃんと温まってる!」
「ほほー、大したもんだなー」
取り出した湯呑を交互に持ち回り、夕星がそれを口元へ。
「あちち! へー、ちゃんとお湯だ。面白い道具ね。手間はかかるけど」
確かに。レンジを出して、天左右牙を出して、チーンと鳴るまで黙って待機。夕星なら使い慣れた御業でチャチャッと済ませてしまうだろう。
「まぁこんな道具もあるんだよってことで」
「なるほどね。それにしても結局道具なのね、首刈って」
呆れた顔して夕星が笑う。
仕方ないよ。便利な道具が溢れた世界でぬくぬくと暮らして来たんだもの。今だって本当に御業で温めようと思ったのに、無意識にレンジを想像してしまった。今後は意識的に道具を遠ざけないと、日常的な御業を身に付けそびれてしまいそう。気をつけねば。
一方で私は思う。このレンジは物招で取り寄せた品ではない。想起して形造った物だ。すると私は無意識の内に、創造や成形を司る命形呪の御業を編んだことになる。南風さんは阿呼と命形呪の相性のよさを言っていたけれど、姉妹である私にも同様にセンスがあるのかもしれない。
などという一幕を経て朝餉を済ませた私たち。お披露目の済んだレンジは輪違に仕舞い込んで、さあ出発です。
***
「じゃあ今日は放谷が大蜘蛛になってその上に私。阿呼も狼になって体を大きめにしたら、夕星を乗っけてね」
昨日の惨事と上下入れ替えのペアにして巨樹の葉蔭をずんずんずん。原色の花々を愛で、煌めく翅の蝶を追い、根上がりのアーチを潜り抜ける。密林の行軍は未知への好奇心を隙間なく満たしてくれる。耳慣れなくも美しい鳥たちの声。時には巨大な毛虫に悲鳴を上げたりもして。
「おー、この峡谷だなー」
森が途切れてぱっくりと大口開けた壮大な峡谷。放谷が「この」と言うのは、向かいの密林がいよいよ目指す三宮のある森だから。
「地図で見る限り今日中には着きそうじゃない」
「ちっちっち」
「何よ?」
「このルートの最大の難点はね、最短で皀角子神社の森に入れる分、入ってから神社までの距離が一番長いってことなんだよ」
「でも地図だと」
「地形が複雑なの。あと、虫も多くなるから、みんな気を引き締めて行くよ」
過去最高到達点はここから二日進んだ辺り。宮魂――皀角子ルートは経験上、他のルートより遭遇リスクが少ない。夕星を迎えた今、今度こそはと武者震いがした。
「さて、先ずは崖下り。行くよー」
余計な手荷物を全て輪違に放り込み、警戒役の私は放谷の体にしっかりと掴まった。放谷は出糸突起から野太い糸を縒って、ゆっくりとラペリングを開始。
「おっさきー」
「え? なになに?」
降って来た声に見回すと、緑色に輝く翼を広げた夕星。それが阿呼を抱きかかえて舞い降りて行くじゃありませんか!
「あーっ、ずるーい! それなら最初っから順番に下ろしてよっ」
「がーんばってー!」
絶許! 放谷にしがみ付いてる私はまるでピエロじゃないか。悔しいです。
「放谷、もっと急いで、もっともっと!」
「えー、危ないぞー」
「いーから速く!」
放谷は強烈に崖を蹴って、一気に降下距離を稼いだ。私の体はふわっと浮いて支えを失い、ずっと体毛を握り締めていた手は汗に滑った。
「ほわー!? ちょっとちょっと!」
完全に切り離されてスカイダイビングな私。
「だから言ったのにー」
言わんこっちゃないと呆れ顔の放谷。
「うわわわわっ! 放谷ー! ネット! 防護ネット張ってーー!」
「おー、ねっとって何だー?」
「マジかー!!」
どすこーいっ!!
ドスンと言わず、どすこいと、強かにお尻を打ち付けました。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「やだよ痛いよ大丈夫じゃないよぉ。もうお家に帰りたいよぉ」
壮絶な尻餅に泣き言しか出ない私、皇大神。
お尻全体が青痣になる勢いだよ。
「待っててね、今痛いの治してあげる」
私はなすがままに俯せて、尺取り虫のようにお尻を上げさせられた状態でめそめそ泣いた。そこへ阿呼が南風さんから教わった治癒の御業を施してくれる。
「痛いの痛いの、飛んでけー!」
ぺたっと尻たぶに置かれた阿呼の手。そこへ向けてスーッと痛みと熱が奪われるように消えていった。はぁ~天国ですわー。
「もう痛くないでしょ?」
「うん」
痛みが去って、残ったのはボロ雑巾のようなプライド一つ。それはまぁいい、今更だ。問題なのは立ち上がった拍子に飛び込んできた夕星のニヤけ顔。
「笑うなし!」
「笑ってないし?」
「ニヤニヤしてたっ」
「お門違いよ。お尻が無事でよかったじゃない。ぷっ」
「がるるー!!!」
唸るが早いか狼に移姿て跳びかかる。狙いはもちろん黄色も鮮やかな振袖だ。
「ぎゃー! またっ、やめなさいよ! 大事な振袖なんだからぁ!」
「うるしゃい! 馬鹿にしてっ!」
「散!」
花霞と化した夕星は私の牙を逃れると、離れた場所に像を結んだ。だか許さぬ。
「逃がすかっ」
「しつこいわねっ、飛鳥!」
一瞬緑の閃光に目が眩んで、再び瞼を開けば輝く翼で羽ばたきながら中空に逃れた夕星の姿。
「降りてきなさいよ、卑怯者!」
「もー、悪かったわよ。謝るから噛みつくのはやめてよ」
「ううーっ」
「じゃあこの御業教えてあげるから」
え? 飛行の御業教えてくれるの? それはかなり嬉しい。
「……ほんとに?」
「南風さんから聞いてるよ。同調しながら御業を使うと物凄く覚えやすいんでしょ? そのやり方で教えてあげる」
「全員に?」
「勿論。仲間外れなし。貴女たちの星霊量なら全員覚えられるでしょ」
「ならばよし! 許して遣わす!」
「えっらそーに……」
私も大概チョロイものだ。飛行系の御業には憧れを持ち続けていたので、コロッと気分が一変した。だって、光る翼なんてビジュアル的にも格好いい!
今し方の悶着も忘れてウキウキになった私は、快晴の下、砂びれた峡谷を渡り、いよいよ皀角子の森へと突入した。
今日はガンガン進んで昨日みたく早めに宿り先を見つけよう。そして夕星から飛鳥の御業を教わるのだ。これは確定的決定事項である!
上機嫌の私は鼻唄を携え、青いきれの下生えをスキップしながら踏み越えた。後方からかかる「危ないよー」とか「気をつけろー」の声もどこ吹く風。一度弾み始めた心はさながらスーパーボールのように止まらない。
アイキャンフライ! イェスウィキャン!
のぼせ上がって蔦を引っ掛け、すってんころりん転がった。
「あたたたた。やっちゃったぁ」
締まりのない顔で起き上がって頭上を見やったその拍子。目に映ったったものの正体に私は色を失った。
「お姉ちゃん、しーっ、しーっ」
警戒を求める阿呼の押し殺した声。私はカクカクと頷きながら二歩三歩と後退った。そのままそろりそろりと後退を続けて、ドンと当たった背中を夕星に抱き止められる。
「話に聞いたほどには大きくはないわね」
「あれは金蚉かな。陽射しの加減で色が分かり難いけど、兜虫や鍬形じゃあないと思う」
見上げる視界にドドンとお尻ばかりが目立つその虫は、大きくないとは言っても巨樹の半ば辺りで樹液を吸っているから、彼我の距離を考えれば全長五米くらいはありそうだった。
「お? 見てみろー。なんだか膨れ上がってないかー?」
「え?」
放谷の思わぬ指摘に目を凝らせば、確かに異変が見受けられた。金蚉らしき虫の躰が全体的に淡く緑色に輝き始めて、それがむくむくと大きくなって行くではないか。
錯覚とかじゃない。更には瑞々しかった巨樹がまるで樹液を吸い尽くされたかのように灰茶けた色に沈んで、はらはらと枯れ葉まで舞い始めた。
「どゆこと?」
誰にともなく疑問を口にすると、期せずして返る夕星の答え。
「ひょっとして木に宿る星霊を吸い上げてるんじゃない? あの燐光は間違いなく星霊の輝きだもの」
そんな夕星の解を追うようにして阿呼から適切な指示が飛んだ。
「お姉ちゃん、天津百眼で覗いてみて」
「そっか、よし」
眼前の異変に動揺した心を抑えて、眉間にそっと天津百眼を開く。
集中。ネガちっくな視界の中心に目標を据え、見えてきてものは――。
「夕星正解。あの金蚉、樹の星霊を吸い上げてる。吸い上げた星霊が体中に行き渡って、それがパンパンになって膨らんでってる感じ。巨樹の方はもうほとんど星霊が残ってない」
状況を説明しながら、虫の極端な巨大化の原因はこれか、と思った。
これまでに遭遇した十米超級の甲虫はどれも確かに樹液を吸う種で、中でも餌場争いに勝てる強い虫たちだ。
この金蚉はそう巨大でもないから、運よくライバル不在の餌場を見つけたケースなのかもしれない。強い虫が巨大化すれば増々餌場を独占できるようになって、十米超級の化け物が誕生するという図式だろうか。
思えば森林では極当たり前の倒木更新も、改めて考えてみると朽ち木の数が多過ぎたように感じられる。それらの木々は虫による星霊吸収の被害と見ていいだろう。
樹液を吸う筈の虫たちが、いつの間にか星霊を吸うようになってしまった。そう考えると星霊量の多い私たちが虫に追い回されることも、割符が合うように合点が行った。
「うわー、やだやだ。あいつら私たちの星霊目当てで追いかけ回して来てたんだ。だって星霊が餌なんだもん。これ、捕まったら本当に危ないよね?」
これまでだって必死に逃げ回って来たけれど、これからは輪をかけて必死にならねば。捕まったら最後、星霊を吸われて木乃伊みたくされてしまう。そんなのは絶対に嫌だ。
「どーするー? じっとしてやり過ごすかー? それともさっさと離れるかー?」
どうするべきなんだろう。昆虫の触覚っていうのは本当に高性能で、フェロモンや餌場の臭いを逃さない。じっとしているのは危うい気がする。でも逆に、ご馳走を平らげたばかりなら、旺盛に次の餌を探すとも思えない。するとここは動かないのが正解か。
「殴っとく?」
おい。
「夕星は何を言ってるの?」
「だって、あの程度なら一撃でしょ」
頼もしい。頼もしいけど、万一のその読みが甘かったら残された私たちはどうなる。血気盛んなお馬さんはちょっと黙っててくれませんかね。
「あのね。こんなところで大立ち回りなんかしたら他からわらわら虫が集まって来るかもしれないでしょ?」
「馬鹿ね。そんな真似する訳ないでしょ。蚕上蔟で一発よって話をしてるの」
「あ、そっか」
夕星にはあんな大物でも一発で繭に入れて小さくしてしまえる御業があるのだった。それならそれで殴るだなんて剣呑な言い方はやめて頂きたい。
「それだったら試してみていいかも。繭玉に入れて小さくできるなら、この先どんな虫に襲われても一安心だ」
「でしょ? じゃあ行くね」
「うん、お願い」
「爆!!」
「ほわ!?」
ドンッ、と力強い跳躍かまして上空にすっ飛ぶ夕星。私たちはそれをただただ呆然と見送った。
爆――。その御業は私も阿呼も千軽ちゃんから叩きこまれたのでよく知っている。跳躍力を飛躍的に伸ばす跳と、骨格強化と筋力増強の期尅、そして周囲を切り裂く乱断とを一度に掛け合わせる難度の高い御業だ。
跳び上がった夕星は金蚉の間近で旋風のように回転して、ばらばらと巨虫の肢を降らせた。唖然として見ていると、夕星は落下し始めた金蚉に乗っかて地上に帰還。当然、激しく打ち付ける落下音が辺り一面に鳴り響く。何をやっとんのじゃこの娘は……。
「蚕上蔟――!」
いやいや、それを初手でやりなさい。なんで爆から行った? 幣串振り立ててドヤ顔されてもリアクションに困り果てる。
「どうよ?」
「何が?」
手の中の繭玉を突き出して、えへん、とばかりに薄い胸張られても、何が? としか言いようがないでしょ。
「ほら、小さい繭になったわよ」
「ごめん。アホなの?」
得意満面なところ申し訳ないけれど、心の底からおつむを疑ってしまいます。
「なんでよ! 上手く行ったじゃない」
素で言ってるこの娘が怖い。夜刀ちゃん、助っ人の人選ミスってるよー。
「どこが? 辺り一帯くまなく響くような音立ててたけど? 他の虫が集まってきたらどうすんの」
「あー、そこはねー。でも蚕上蔟は遠くから仕掛けるの難しいんだもの。それに貴女言ったわよね? 蚕上蔟で小さくできるんなら、他の虫に襲われても一安心だって」
「言ったね、確かに。でもよくよく考えてみて? 小さくできるって確かめる前にもの凄い地響き立ててたんだよ?」
「うん? でも小さくできたよ?」
「そうだね。一安心だね。もういいよ」
投げやり口調で言ったのが気に食わなかったのか、夕星はムスッとしてそっぽを向いてしまった。どうしろというのだ。今の行為に対して女神の寛容を示せるほど私はできた神様じゃないんだよっ。
勿論分かってる。悪気はなかったんだよね。多分、夕星の性格だから、助っ人の見せ場と張り切った、なんてこともあるのかもしれない。でも私はリーダーで、リスクヘッジを考えなくちゃいけない立場だ。悪気の無さや性分だけを汲み上げて不問に付すのは無理だよ。是非とも反省して頂きたいなと思いました。まる!
「おー、さすが夕星は八大神だなー。これなら皀角子神社まで楽に行けそうだー」
「でしょ!? 放谷は分かってるわねー」
おい放谷。それ以上その暴れ馬を図に乗らせてくれるな。
「お姉ちゃん、私たちも行こう」
「うん。蚕上蔟の効き目はあったけど、慎重に行かないとね」
「大丈夫。阿呼はお姉ちゃんの気持ち、ちゃんと分ってるから」
「……ありがと」
阿呼は本当に私の宝物だ。ささやかな気遣いが心に染みる。固くなった心をほぐしてくれる。そうなれば夕星に対する頑なな感情もふわりと丸みを帯びてくる。
夕星とは後でもう一度きちんと話そう。クサクサした気持ちのまま突っ慳貪な言葉を投げつけたことは謝ろう。そうだよ、夕星には飛鳥の御業を教えて貰うんだから、こじれたまんまはよくないよ。
気を持ち直して先行く二人に追い縋れば、放谷の言葉に機嫌を直した夕星は、私に対してもケロッとした感じで笑顔を見せてくれた。まったく、お互いチョロイよね。なんて、噫にも出さないけど、ホッと胸を撫で下ろす私なのでした。




