047 礙猂趾 -さざらし-
猟豹神社に借り受けた一宇の広間に入ると、既に阿呼、放谷、夕星、そして千軽ちゃんら四柱の客神がゴロゴロしてらっしゃる。まるで修学旅行の班部屋みたい。
「みんなお疲れさまー」
「お疲れさん。退治よか宴の方がしんどいってどないやねん」
何を仰る。千軽ちゃんはサーカスの象みたいに芸達者に踊りまくってたじゃないか。あれだけ踊れば誰だってしんどかろう。
私は用意されていた寝巻――袖を落として丈を詰めた白小袖に手早く着替え、薄手の敷布団に転がった。みんなも同じ格好で掛衣の上から寝転がっている。懐中時計を見れば時刻は午後十時。話をするには十分だ。
「みんな立って。お布団の配置を変えよう」
「おー、どーすんだー?」
「頭が寄るように輪っかにする。話したいことがあるから。ほら、夕星も立って、早く」
「面倒臭いなぁ」
渋々と立ち上がった夕星の隣で、テキパキと動くのは阿呼。輪っかに並んだ布団の配置は床の間を背にする私の位置から時計回りに阿呼、夕星、千軽ちゃん、そして放谷。銘々の布団に寝っ転がると、夕星だけは掛衣の下に潜り込んだ。
「ちょっと、寝ないでよ」
「貴女、私が疲れてるって分かってるでしょ。耳だけ立てとくから勝手に話して」
左様か。
まあ夜刀ちゃんの急な呼び出しから一転、赤土へ飛んで、休む間もなく私を追って駆けずり回ったのだから疲れもしたろう。黒蜻蛉とも戦ったし、奇想天外なリサイタルも行った。その上、宴の時も踊り続けていたし、さすがに電池切れを起こしたか。
「分かった。今日は本当にお疲れ様。ありがとうね」
「はいはい、お休みっ……zzz」
「はやっ! 全然話聞く気がないっ」
漫画表現を超えた睡眠芸に呆気に取られる。
「ええやん。寝かせとこ。そんで、話ってなんやの?」
「うん、夕星に聞いたら知らないって言われたんだけど、千軽ちゃんは黒坊主って知ってる?」
「お、その話か。自分、よう知っとったな」
「あ、知ってるんだ。私は知らなかったの。今日、目賢ちゃんの所に寄ったら、そのことを千軽ちゃんに伝えるように頼まれたんだよ。鏡読だっけ? 占いの御業に出て来たみたいなこと言ってた」
そうかそうかと千軽ちゃんは布団の上に胡坐を掻いて、砂色の髪を撫でつけた。男性気質な所作も千軽ちゃんがやると様になる。骨っぽさに稚気の絡まるニュアンスは不思議と胸襟が開けるものだ。これを南風さん辺りがやると一転、だらし姉ぇになってしまうのだから救いがない。
「黒坊主っちゅーんは、うちが勝手にそう名付けたった厄介者を言うんよ。目賢なら聡い神様やし、気ぃついたらおせーてなぁゆうて前々から頼んどったんや。分かった。ほな黒坊主が出るっちゅーんやな?」
「いや、出たんだよ」
「は?」
「今日、そいつが出て、間一髪のところを夕星が助けてくれたの!」
「うそやろ。え、ほんまの話なん?」
「ほんまやって!」
赤土弁は伝染るもの。思わず引き摺られたけど、真顔だし声音も真剣だ。何しろ阿呼が危うい目に遭ったんだからね。思い出すだに背筋が凍る。
「双口の神宝でどうにかできると思った私も甘かった。そのことは凄く反省してる――。ごめんね、阿呼」
「ううん。お姉ちゃんはちゃんと狙いを付けてくれてたのに、きちんと当てられなくって、阿呼こそごめんなさい。その後も、気を失っちゃって役に立てなかった」
何もできなかったのは私も同じだ。寧ろ、阿呼があの絶望的な場面を目にしてなくてよかったとすら思う。
私は、あの時一人歯を喰いしばっていた放谷に感謝の目礼を捧げた。放谷ときたら、目玉をぐるんと回して、にこにこと気にするなとでも言いたげだ。
「それで結局、黒坊主って何なのさー? 本当にあの黒蜻蛉がそうなのかー?」
「せやな。黒ずくめで手に負えん奴っちゅーんなら間違いもないやろ。うちもまだ二度しか会うとらんから、詳しいもなんもないけどな。まぁ黒坊主ゆーたら霊塊の化けもんとは格がちごーて、とにかくごっつい。一度目はうちもまだガキやって、片腕もってかれたりしたわ」
「うげっ、まじ?」
「ほんまの話やで。そんでおかんが発狂してもーて、黒坊主の方ゆーたらそらもう滅多クソやった。動きから何からヤバヤバな黒獅子やってんけど、ペシャンコにされとったわ」
さすがは象さん。八つ裂きではなくペシャンコと来た。
「それで、黒坊主の正体ってなんなの?」
「正体? そんなん霊塊の化けもんの変種とかとちゃうの?」
「ちゃうのって、知らないの?」
「……知らん」
嘘でしょ。なんて暢気なんだ。私は愕然とした。敵を知り、己を知らば百戦危うからずという言葉をまるでご存知ない。平和ボケの日本人の上を行くとはやってくれる。
「霊塊の化け物って言うけど、私、天津百眼で見たんだよ? 霊塊なんてどこにもなかった」
「うそやん。ほんまかいな」
「嘘ついてどないすんねん! てゆーかなんで気付かないの?」
「なんでかゆーて、うちは見通す御業も神宝も持ってへんやん。当時ゆーたら霊塊も集めたりなんかせーへん。倒したら神手還で土に還してまうやろ?」
「なるほど。そういうことか。でもさ、霊塊がなかった以上、あれは別物だよ。それだけは間違いないから」
私は困った。今の様子だと例の「ミツケタ」についても千軽ちゃんは思い当たるものがなさそうだ。となるとこの場は情報共有だけに終わるのか。
「黒坊主と戦った時、なんか他におかしな点とかなかった? 二度目の時はどうだったの?」
「二回目の相手は地竜やったな。地竜神社の近所でえらい地揺れやゆーて、駆けつけたらバッタリや。うちも主祭んなって百年過ぎた頃やから、ガッツリいわしたったけどな」
力自慢の千軽ちゃんなら、地竜相手に一歩も引かない大一番だったろう。私と阿呼が叩き込まれた御業も、物理でゴリ押すタイプのものばかりだからね。
「そういや今日も地震あったよなー?」
「そうだ。阿呼が怖がって尻尾と耳垂れてた」
「お姉ちゃん!」
阿呼のほっぺがぷっくり膨れた。滑ったお口は急いでチャック。
「それやったら黒獅子の時もあったで。前の日やったか、よう揺れてな。そんで、おかんの見回りについてったんや。川縁に地割れが走って危うく水が流れ込むところやった。そーやそーや、思い出したわ。地竜神社の時も地割れ見たわ」
地震と黒坊主。これを接点と捉えていいのだろうか。
聞けば赤土の地震は極自然のものとは別に、星霊の崩れに起因した中央高地を震源とするものとがあって、近年頻発しているのは後者だという。
大昔の中央高地は風渡の台地同様、平らかで谷は数えるほどしかなかったらしい。ならば私が目にした複雑な地形は、全て崩壊の爪痕ということになる。
「ちょっと聞くけど、赤土の異変っていつ頃から始まったの?」
「うちの婆ちゃん代からや。確か四千年かそこらやゆーてたけど」
「よんっ……!? え、それって地震の話? 巨大化の話?」
「どっちもやで」
「え、待って、ちょっと整理する。巨大化が始まったって言うのはつまり、その頃から赤道帯に星霊が滞留し始めたってことだよね? いや違う。滞留が先で、その影響で巨大化が始まって、同時に地に宿る星霊の崩れも起き始めて、あ、それが地震に繋がるのか」
「せやな」
「それで? 土宮や夜刀ちゃんが騒ぎ出したのはいつ頃からだって?」
「うちが生まれた頃からかいな」
「はあ!? 三百年前じゃん!」
危機管理能力が息をしてない。
人の尺度に置き換えれば、四十年前に始まった災害に、三年前から対策を講じ始めたことになる。手遅れ感ハンパなくない?
「阿呼」
「はい」
「放谷」
「おー」
手を取り合い、支え合ってきた二人。私はその瞳を覗き込んだ。
阿呼の紅く物怖じしない瞳。
放谷の澄み渡ってとらわれない瞳。
「私たち、真神では野足と夜来を保護したね」
「うん」
「水走では渡人と神々の関係を変える切欠を作った」
「そーだなー」
「なら赤土でも、ただ見て回るだけの大嶋廻りってことはないよね、違う?」
「うん。阿呼、お姉ちゃんと一緒なら、どんなことだって頑張る」
「あたいもなんだって付き合うぞー」
「ありがとう二人とも。夜刀ちゃんからは今の状況を見るだけでいいって言われてるけど、私はさ、黒坊主でも霊塊でも何でもいい。中央高地の何がどう原因してるのか探ってみたいって思ってるの」
「阿呼は賛成。原因が分ったらどうすればいいのかも分かると思う」
「あたいも賛成ー」
「ぐごっ……zzz」
タイミングよく寝返りを打つ夕星。OKと受け取らせて貰うよ。
はだけた掛衣を阿呼がかいがいしく直してあげてる。その様子に思わずほっこり。
「千軽ちゃん」
「なんや?」
「私たちは明日からまた中央高地だけど、今日の地震のこと、渡人のみんなと調べといてくれる?」
「ゆーて何をどう調べたらええん?」
「震源地がどこだかは分からないけど、ひょっとしたら今度も地割れが起きてるかも。大水門でもそこそこ揺れたからね。地震発生から黒蜻蛉との遭遇まで二時間と仮定して、行動半径を想定しながら調べればいいと思う。地震、地割れ、黒坊主。これが三回重なればもう偶然では済まないよ」
「せやな、分かった。うちにまかしとき」
漠然とではあるけど、赤土での目標のようなものができた。これがあるとないとでは大違いだ。無論、皀角子神社へ行くのも目標には違いない。けれどもう一歩踏み込んで、赤土での旅に鮮やかな記憶を残したい。
原因さえ突き止めれば、対策は千軽ちゃんや夜刀ちゃんに任せたっていい。原因が分からなければ対策も立たないのだから、駆け出し者の成果としては十分だ。
「そうだ、千軽ちゃん」
「なんや?」
「中央高地で一番派手な崩壊が起きた場所ってどこだか分かる? 見に行きたいんだけど」
「それやったら霊猫神社で聞いたら早いで」
「霊猫神社? まだ行ったことないな。阿呼、地図見せてくれる」
「はーい」
輪違から取り出したのは千軽ちゃんから貰った赤土の地図。それによると霊猫神社は皀角子神社から見て南西の方角に位置している。
「南っかわだと、先に皀角子神社に行った方がよさそうだなー」
「うん。夕星さんも来てくれたし、阿呼は三宮に挑戦してみたい」
「だね。じゃあ明日は予定通り三宮、皀角子神社を目指そう。上手く行ったらその次が霊猫神社だ」
方向性も定まり、明日に向けて就寝。燭台の灯が落ちると、直ぐに誰かの寝息が立つ。目まぐるしい一日が思い返されて、私の意識もあっという間に夢の霞に包まれてしまった。
***
ガバッと起きればどんな夢を見たのかさっぱり思い出せない。そんな朝を迎えた私は、早々にみんなを率いて猟豹神社を出発。茅の輪を潜って、暗く湿った土間に出た。
ここは中央高地にある宮魂神社の地中殿。分厚い地層には壁、床、天井を問わず無数の穴ぼこが空いている。足下の穴に注意して朱塗りの階段を上り、幾つか似たような土間を抜けて地上へ。目の前に現れたのは母屋神明七社造の大拝殿だ。
入母屋造と神明造が融合した、七枚門扉の実に立派な拝殿は、神社の素晴らしさを余すところなく表現している。
中央の門扉の前に並んでご挨拶の二礼二拍一礼。いつも通り願うことはないのだけど、私は挨拶がてら、ちょっとした意気込みを念じた。
恐らく、赤土での化け物退治は、カリューらの言う原因を突き止めない限り、終わりはおろか区切りすら付かないのではないか。そう考えるが故に、それをどうにかするのだと決意して、赤土での大嶋廻りも今ぞ本番と感奮発揚する胸の内を奉じた。
「え、気付いてたの?」
「当然でしょ。蚕上蔟で普通の蜻蛉に戻ったてことは、霊塊の化け物じゃないって証拠だよ」
礼拝を済ませて拝殿を通り抜け、渡り廊下を進みながら道々の話が続く。
昨夜の会話の大筋を早々に寝入ってしまった夕星に聞かせていると、何を今更みたいな顔をされてしまった。
あのジャイ〇ンばりのリサイタルを経て少しは打ち解けるのかと思ったら、相変わらず距離感の掴みづらいお馬さんだ。私の涙ぐましいヨイショを返せ。まるっきり盗人に追い銭じゃないか。
「でもそっか。霊塊を治すことはできないんだもんね。なるほど」
「そ、あればっかりは神手還の御業で土に還す他ないの。まぁ今や誰かさんのお蔭で、渡人に融通して有効利用なんて話にもなったけど」
「それはそれとして、今日からの相手は黒坊主でも霊塊の化け物でもない巨大甲虫だからね。当然、こっちの身が第一だけど、倒す前にすべきことは忘れないでよ?」
「はいはい。逃げる、やり過ごす、追い払う、でしょ? 分かってるってば。私も中央高地は初めてだから、無茶はしないよっ」
そうなのだ。大嶋廻りがある皇大神と違って、八大神はそれぞれが治める地域にこそ知悉しているものの、他所に関する精通具合にはムラがある。
夕星は馬の神様だけあって、あちこち旅して周るのが好きらしいのだけど、赤土に関しては低地の原野部ばかりで、中央高地へはこれが第一歩なのだった。
「私は草原を走り回るのが好きなんだもん。鬱蒼とした森なんて楽しくないじゃない? 毛虫とか嫌いだし」
「我儘言えていいご身分だね。こっちは大嶋廻りだからパスなんかできないっていうのに」
「そこに付き合わされる私の身にもなりなさいよ」
噛み合わない。どうせ夕星は大嶋廻りをドサ回り程度に考えているのだろう。ともあれ情報共有も済んで、先ずは主祭の当頭姫にご挨拶。
渡り廊下が終わって本殿に上がると、樹皮を残した木材で組むという、珍しい黒木造の外陣。その先の内陣は打って変わって清澄な白木組みというコントラスト。神座には透明な翅を備えた一柱の女神が、この暑いのに豪奢な和装に身を包んで坐していた。
「しびびっ、皇大神様、お久しびびっ」
「あ、はい、何日か振りですね、当頭さん」
当社の主祭は七重当頭姫命。夏の風物詩たる宮魂の神様だ。常夏の赤土では年中無休と言ったところか。
亜麻色の髪を角隠しのような頭巾で隠して、見た目の年頃は私と同じか少し上。中央高地の暑さの中にあっても十二単という、剛の者にあらせられる。
当頭姫は目賢ちゃんと違ってよく喋る神様だけど、会話が面倒臭いという点では大差がない。しびび、しびびと、とかく喧しいのだ。
スルーしてたけど、拝殿からここに至るまで蝉時雨で鼓膜がどうにかなりそう。シャーシャー、ジージー、ミンミンミー。カナカナ、シーシー、ツクホーシ。時間の感覚までおかしいのか、午前中から蜩まで鳴いてる。
「しびびっ、今日も皀角子神社しび?」
「はい。その前に挨拶しておこうと思って。今日は八大の夕星媛も一緒です」
「しびびびびっ、初の御目文字嬉しびびっ」
初顔合わせの挨拶を見守って、私は神域の地下道に入らせて貰えるよう願い出た。地中生活の長い蝉の特徴から、このお社には地下大迷宮とでも言うべき神域が広がっている。宮魂神社の神域は地上より地下の方が広いので、地底ルートを進むことで、地上の神域の外まで安全に進めるのだ。
「ではこちらへ。しびびっ」
主祭自らの案内を受け、本殿裏の舞殿から地底へ下る禁足の階段を下って行く。過去、数十回試みた皀角子神社へのアタックは、ここ宮魂神社からの進行率が最も高いという結果が出ていた。
南東から攻める猩狒神社は霧の峡谷で何度も迷子になったし、北西から進む利鎌神社は皀角子神社の最寄りではあるけど、甲虫との遭遇率がやけに高い。
前回トライしたのは利鎌神社ルートで、鍬形と地竜に挟まれ、タッチアウトという結果に終わっていた。
「さぁここからだ。みんないい?」
地底の神門を前に確かめ合えば、真面目に頷く阿呼、気負わない笑顔の放谷。夕星も襷なんかかけちゃって、気合十分と言ったところか。
「それでは当頭さん、お願いします」
「しびびっ、開け、しびっ」
そこはゴマだろうと思いつつ、神門を仰ぎ見る。篝火の橙に染まった門には、蝉の額の単眼を表す三ツ目の御神紋が刻まれていて、それが赤々と輝くと、音もなく開き始めた。
「真朱火びっ」
当頭姫は袂から取り出した赤い紙に名付きの御業を吹き込んだ。手を離れた紙は宙で燃え尽きて赤い火の玉を生み出す。それが篝火のない地下道へと彷徨い込んで、誘導灯のように揺らめいた。
「それでは皆様っ、お気をしびっ、付けてびびっ」
「いつもありがとう。野宿が難しそうな時は戻って来るので、宜しくお願いしびびっ」
「しびびっ」
私の茶目っ気に笑顔でしびび。なんとも心映えの優しい神様だ。そんな彼女に見送られながら、暗闇の道を赤く照らす真朱火を追って、私は一行の先頭を切った。
***
「ねぇ、もっかい地図見せてよ」
夕星のリクエストにお応えして、阿呼が輪違から地図を取り出す。そこに目を落す様子が真朱火の明かりに染まれば、現像室にでもいるような気分になる。
「結構な距離あるわね。これまでどの辺まで行ったのよ」
「正確には分かんない。宮魂神社からのルートは最長で四日目に突入したから、全行程の半分は進んだと思うけど」
ここから皀角子神社までは直線距離で六日か七日の行程になる。街道筋なら三日もあれば十分な距離だけど、複雑な地形と読めない天候に阻まれて、思うようには進めない。
基本は野宿を繰り返して進む。それが叶わなければ宮魂神社をベースキャンプ代わりに、一日の行程を終えたら輪違を茅の輪に変えて帰還する。翌日また、輪違の地点から再スタートというパターンだ。
「今、午前九時。この道を出て地上に出るまで約三十分だね」
「長いわね。早いとここのジメジメした場所から出たい」
夕星にしてみればお日様の下のカラっとした草原がベストなのだろう。私だって神域という安全性がなければ好き好んで地中を進みはしない。無頓着なのは鼻歌うたってる放谷くらいなものだ。
「話しながら歩いてれば直ぐだよ。そういえば夕星が使ってた茨の御業、あれは何?」
「荊棘のこと? 何って何が? 他生道の小手調べみたいな御業じゃない」
「他生道って言うと、動植物の特徴をヒントにした系統だね。そうじゃなくて、私が聞きたいのは、荊棘ってゆう名前。私、真神でおんなじ名前の妖に襲われたことあるんだけど」
「ああ、卵が先か鶏が先かって話? なら御業が先だよ。なんかの折に荊棘の御業が使われるのを見た嶋人から、口伝えに伝わって定着したみたい。そこから生まれたのが妖の方の荊棘って訳」
「へー、そんな風にしてできる伝承もあるんだ」
「それで? 荊棘相手に手古摺りでもした?」
「手古摺ったと言うか驚いたと言うか、それまで妖なんて見たことなかったから、追っかけられたり転ばされたりした。あの頃は御業なんて一つも使えなかったから」
「それでどうやって倒したのよ?」
「倒してはないね」
「はあ?」
「お姉ちゃんは荊棘を追い払ったの」
「へぇ、御業もなしにどうやって?」
「神名を唱えて、星霊をパァーッてやったの」
「そうなの?」
「まあね。やってやった!」
「ぶぁっはっはっ!」
「何笑ってんの!?」
「だって、貴女それって、星霊を撒き散らしたって言うか、垂れ流したって言うか、そういうことでしょ?」
「ぐむ……。まあ、そうだけど」
「だぁーっはっはっは! ひぃー、おかしい!」
「そんなに笑うことないでしょ!?」
「だって聞いたことないそんなの。あーおかしい。ぶはっ」
ゲシッ――。
蹴っ飛ばしてやりました。向う脛の辺りをね。夕星ったら片足上げてぴょんぴょん跳ね回ってるよ。
「あっ……」
「あ?」
「足を蹴るなぁ!」
さんざっぱら笑っといてその程度で済んだんだ。寧ろ感謝して欲しいくらいだよ。
「お姉ちゃん?」
「ん? なぁに?」
「お姉ちゃん、この前阿呼に手を出したらダメって言ったのに」
「うん、そうだね。でも今出したのは足だからセーフなんだよ?」
「阿呼知ってる。そういうの屁理屈って言うのよ」
「……ですよね。はい、分かりました。おーい、夕星ー!」
「何よっ」
「ごめんちゃーい」
「絶対許さないでしょ! なんなのその雑な謝罪はっ。心から謝れっ」
「許してたもーれ?」
「ちきしょー! バカーッ!」
まだ跳ねてる。
確かに、お馬さんの命とも言える足を蹴っ飛ばしたのは悪かったかもしれない。阿呼も睨んでるし、反省しよう。そして今後に生かすとしましょう。
夕星は阿呼の治気で痛みこそ引いたものの、間に阿呼を挟んで私からは距離を取った。
「ほら、早く行くよ。放谷が点になっちゃう」
「うるさいわねっ、誰のせいだと思ってんの!?」
柳眉と目尻を吊り上げて怒る怒る。私はコソッと舌を出して先行する放谷を追いかけた。遠く離れた真朱火の赤い光の中で、その姿はちょぼになりつつある。
「今、外神域を出たわよ」
「へ? そんなことなんで分かるの?」
小走りに進んでいたら不意に夕星が言う。鳥居を潜った訳でもないのに、私も阿呼もさっぱりだ。
「貴女たちはまだ分からないかもね。神余を纏えない内は周囲の星霊に鈍感だから」
「神余って体から溢れた星霊を神気として纏うって言うあれ?」
「そ。今はまだ星霊を使おうって意識で御業を紡いでるでしょ? それが一年二年経つともっと自然に、感覚的に星霊を扱えるようになる。そうすると体外に漏れた星霊も、元から外に漂ってる星霊も無意識に感じ取れるようになってくるの。特に自分の波長を持つ余剰の星霊は眉一つ動かさずに扱えるから、簡単に纏うことができるって訳。で、その感覚があると、神域の内外の気配も肌で感じ取れるようになる」
「へー。南風さんも一年はかかるって言ってたけど、要はその感覚を養う為の期間なんだ」
「でもお姉ちゃん、南風さんは同調練習をしっかりやれば、その分早く神余を使えるようになるって言ってた」
「そうだったね。よし、じゃあ明日からは夕星も一緒に、毎朝同調練習ね」
「別にいいけど。貴女、三宮に着きもしないで、随分と悠長よね」
「日課は日課。三宮に行くのとは別の話でしょ、って、消えた?」
「消えたわね」
「真っ暗になっちゃった」
あと五〇米の辺りまで追い付いた地点で、それまで放谷を照らしていた真朱火の赤い光が消失した。
「あ、神域を出たから当頭さんの御業が解けたってこと?」
「それならもっと早くに消えてると思う」
「妹ちゃんの言う通りよ。貴女馬鹿ね」
「むがっ、じゃあなんで消えたのさ?」
「さあね」
夕星は素気無い態度を取ったかと思うと、急に屈んで右手を地面に着けた。
「星苔」
触れた場所から光る苔の絨毯が広がり、前方へと延びて行く。それは壁から天蓋まで覆って、洞窟を青白い光で包み込んだ。
「おお、凄い」
「星霊を広げて光らせただけだよ。それより、あれ」
前方を見ると、丁度放谷がいた辺りから、洞窟の壁に貼り付いて螺旋を描く長大な影が見える。洞窟の直径が一〇米はあるから、相当大きい。
「何あれ? まさか地竜?」
地中を這う巨大な長虫となれば蚯蚓かな、と赤土最大のお化け生物を思い浮かべた。けれどこれだけ照らされても黒く見えるなら違うかもしれない。地竜なら多少なりとも赤味が差している筈だ。いや、ひょっとして――。
「お姉ちゃん、あれ、地竜の黒坊主?」
「それ、私も思った。でも中央高地の地竜はこの洞窟一杯になるくらい大きいと思うんだけど……」
「あれは闇撫だー」
「放谷!?」
上から声がして見上げたら、黒蜘蛛に移姿た放谷がへばりついている。
「闇撫って蜘蛛隧道で出たやつ? 確か連尾穴闇だったよね?」
「それとはまた別だー。あいつは礙猂趾。ちょっと厄介な相手かもなー」
「さざらし? それって強いの?」
「闇撫の中では頭一つ抜けてるわね。大きいし力も強い。読んで字の如く、礙る猂しい趾。要は百足の怪よ」
夕星の説明に思わず渋面。苦手な生き物の少ない私だけど、百足や蚰蜒、船虫などの多足系は得意とするところではない。
「あんなおっきいの、どっから出て来たの?」
「いやー、あたいが気付かなかっただけで、多分最初からいたんだと思うー。先の方に光が見えて、出口かなーって思ったんだけど、とうも外から射してる感じじゃないんだー。よくよく見たらあいつの尻尾の先っちょが光っててさー」
罠か。まるで提灯鮟鱇だ。先行してたのが私だったら今頃……ぶるるっ。
「困ったな。一本道だし進めるなら進みたいけど。どうする?」
「殴る」
分かりやすい。さすが夕星。私たちだって今日まで嫌と言うほど赤土の脅威と戦って来たし、八大神が行く気なら付き合いましょう。
「おけ。で、どうやる?」
「この手の場所なら大嶋呪が使い勝手よさそうだけど、貴女、何か使える?」
「うんにゃ」
「何よ、使えないわね」
そんなこと言ったってしょうがないじゃん。南風さんは大嶋呪の系統は得意じゃなかったし、千軽ちゃんは物部式しか教えてくれなかったんだもん。
「悪かったね。私と阿呼は専ら戦闘は物部式なのっ。あとは双口の神宝があるけど、それはいざって時の切り札ね」
「了解。じゃあ放谷。私が突っかけるから、糸でもなんでも援護して」
「おー、分かったぞー」
「首刈と妹ちゃんは私が尻尾の側まで抜けたところで挟み撃ち」
「おけまる!」
「分かりました」
「さっさと終わらせて地上に出るわよ。飛鳥!」
馬に反化するのかと思ったら、夕星は背中に星霊の翼を広げて飛んでった。それを追って放谷が天井を走る。
「何あれ!? カッコイイ!」
「鳥さんみたい。とっても奇麗!」
「今度教えて貰おう」
「うんっ」
姉妹揃って感嘆の声。土不要もそうだけど、飛べるって羨ましい。一瞬、戦闘のことなど忘れるくらい目を奪われてしまった。
夕星が近付くと礙猂趾は壁に伏せていた頭をもたげて道を塞ぐ態勢。それを殴ったのか蹴ったのか、軌道を変えての擦れ違いざま、バコンッと音がして黒い頭部が仰け反った。
夕星はそのまま奥へ突っ切り、続く放谷も頭部を躱して奥手側から八方紮を打ち込んだ。麻の乱れるが如き糸束は見る間に礙猂趾の頭部を覆い、放谷は藻掻く頭を絞り上げるように奥へ引き込む。
「阿呼、行こう」
「はいっ」
ドロンと移姿て即座に期尅。四肢を強化して一気に距離を詰めて行く。大きさは変えない。広いと言っても洞窟だから大が小を兼ねるとは言い難い。
「阿呼、百足なら毒があるかも。牙はナシにして爪で行くよっ」
「うん、分かった。頭の付け根ね」
「おけ!」
疾駆しながら阿吽の呼吸で作戦は決まり。目標五米手前で踏み切った。放谷のお蔭で的は絞りやすくなっている。人で言えばうなじの部分が目一杯晒されている状態だ。
「跳!」
天上スレスレまで跳で跳び上がると、眼下に収めた攻撃ポイントに向けて、普段の狩りでは使わない狼爪を振るう。狼爪はいわゆる痕跡器官で、人間で言えば尾骶骨にある尻尾の面影と同じ。足の付け根の狼爪にたっぷりと星霊を流し込んで、
「乱断!!」
唱えれば鎌型に突き出した巨大な狼爪を振り上げて、一気呵成に斬り下げる。私が初撃。阿呼が追撃。刃渡りは三〇糎程度でも、斬撃の範囲をより広げるのが乱断の効果。切り裂いた傷口は六〇糎以上になるだろう。この斬撃範囲を使って、爪自体は触れずに斬ることも可能だ。
「やったかー?」
「どうだろ? 手応えはあったけど」
「阿呼はお姉ちゃんが付けた傷に重ねて撃った」
着地点にいた放谷と揃って振り仰ぐと、放谷が糸を引いた拍子にドサリと頭部が転がり落ちた。
「おお、倒せた!」
「やったなー」
「上手く行ったね、お姉ちゃん」
「何やってんの、早く逃げなさいっ!!」
「へ?」
痛罵にも似た夕星の警告に一瞬ぽかん――。直後、ズズズと重たい音がして、螺旋状に壁に貼り付いていた礙猂趾の体が、空間を絞り上げるように狭まって来た。
あっ、と思った時には足下を掬われて、押し寄せる黒波にギュウギュウと締め付けられる。体表を覆う針のような棘がチクチクと刺さって痛痒かった。
「お姉ちゃん!」
「首刈ー、抜け出せー!」
叫んだのは間一髪で逃れた二人。
無茶言いなさんな。こうまでガッチリ捕まったら、にっちもさっちも行かないよ。さりとて諦める訳にも行かず、私は目まぐるしく思考して脱出策を探った。
「期尅!!」
力には力という脳筋思考は千軽ちゃんの影響か。私は移姿を練って巨大化を試みながら、筋骨強化の期尅を重ね打ちした。肘をロックして肩と爪先で突っ張り、背中を押し上げて少しでもお腹の下に隙間を作る。そうして呼吸を確保したら、今度は礙猂趾の胴と胴の継ぎ目に前足と鼻面を突っ込んで無理矢理に割り込ませる。
「ぶはっ」
「お姉ちゃん頑張って」
「もう少しだー。行けるぞー」
どうにか頭が出たけど、逃がすまいとする動きに今度は首が締め付けられた。藻掻けば藻掻くほど締まりはきつくなって、遂には完全に気道を塞がれてしまう。視界の阿呼と放谷は下手に手出しできずにオロオロしている。
「飯綱っ!!!」
脳が酸欠気味でクラクラし始めたところに夕星の声。
逆さ富士を見るように後方を覗き込むと、まだ礙猂趾の後ろ半身が壁に貼り付いている空間を、電光石火の勢いで光の筋が跳ねている。縦横無尽の三角跳びを間断なく続けるその動きは、礙猂趾の体を蹴るたびに焦げ付くような臭いを発して、あっという間に私の真下。残像を追っていた目の焦点が合えば、そこには電撃を纏った夕星の姿。次の瞬間、夕星は勢い止めず、遠慮会釈なしに私ごと馬鹿力で突き上げた。それはもう抉り込むように。
「げほべへっ!」
五臓六腑がひっくり返るほどの衝撃。鼻奥を掠めるきな臭い匂い。礙猂趾の体は戦慄くように強烈に締まり、それから弛緩して、ズドォォォンとけたたましく地に落ちた。
「お姉ちゃん、しっかり! 今出してあげる」
「いやー、焦ったー。でもよかったー」
駆け寄る二人がロールパンの具になってる私を引っ張り出してくれて、どうにかこうにか無事救助。期尅を重ねがけした効果か、骨も体も万事異常はない。ただ、目一杯力を振り絞ったから、後で筋肉痛にはなりそうだ。
「夕星」
「おん?」
「ありがと」
「お粗末様。貴女が無事じゃないと私が夜刀ちゃんに叱られるからね」
「ん。でも最後、わざと狙ったでしょ?」
「何それ? 知らないよっ」
しらばっくれて。あんなのちょっとずらしても変わらないだろうに、わざわざ真下から私目がけて突っ込んで来たからね。絶対蹴っ飛ばしたことへの仕返しだよ。しかも倍返しどころか十倍返しの衝撃と来た。ぐぬぬ、いつか見てなさいよ。
ともあれ人に移姿てホッと一息。終わってみれば誰一人怪我もなく、四人での新体制は出端を挫かれずに済んだ。
「おー、向こうに光が射してるー。今度は本物だー」
見れば遠間に一筋の光。私たちは地上への出口を目指して歩き始めた。
長々と横たわる礙猂趾の体は、尻尾に近付いた辺りで黒い粒子を放ちながら闇に溶けて行った。退治された妖はこうして再び星霊に還る。今度は何に宿るのか。はたまた妖として復活するのか。全ては星霊の御心のままに――。




