046 音痴の神様
「歌ってよ」
「唐突だね」
お昼時を大きくずれ込んで猟豹神社に戻ると、斑良ちゃんや猟豹衆、更には野生のチーターをも交えてお昼を済ませた私たち。腹ごなしにと生後間もない赤ちゃんチーターを相手に遊んだりして過ごしていた。
ひとしきり遊んで水鏡の水に喉を潤していたら、横合いにひょっこりやって来た夕星から不意打ちのリクエスト。それを受けて、ここのところ赤土の暑さに負けて少々歌離れしていた事実に思い当たる。
「夕星って歌が好きなの?」
「分かんない」
「え、分かんないの?」
「だって、あんまり聴かないし。三十一文字とか、嶋歌も面倒くさくて詠んだことない」
それがなんでリクエストになるのだろう。まぁ歌唱曲と嶋歌とでは大いに違うけれど……。
好きかどうかは分からない。けれどもそこそこ興味はある。そういうことかな? ならば好きに傾けてみせるのも一興だ。
「いいよ。どんな歌がいい?」
「水走の歌!」
「えっ、それって私が夜刀ちゃんに贈った歌じゃん。なんで夕星が知ってるの?」
「夜刀ちゃんが歌って聴かせてくれたから」
「へー!」
なんとなんと、夜刀ちゃんがあの歌を歌ってくれているというのだから、私はチョロくも嬉しさ爆発! いいでしょうとも、お聞かせしましょうと、水鏡の脇にすっくと立って喉の調子を確かめた。
黒トンボの騒ぎでアホほど叫んだので軽く喉が痛い。でもまぁ水走の歌は君が代ライクに短く取りまとめた歌だから大丈夫でしょう。
「おー? 歌うのかー」
本殿の階でくつろいでいた放谷を皮切りに、阿呼も斑良ちゃんも、みんなして水鏡の周りにぞろぞろと。あっという間に動物園でのちょっとしたリサイタル状態になった。
「なんか照れちゃうなぁ」
「お姉ちゃん、いいから歌って」
「はいはい。ちょっと喉の調子があれだから、声が通らなかったらごめんね」
そんな前置きをして深呼吸。
聴衆はお行儀よく静かなものだ。気になるものを見つめるネコ科の視線が、こそばゆいほど刺さってくる。
「名もなき平瀬に流れゆく~♪」
歌い出しの掠れも暢気に流して、想い描いた情景へと意識を埋没させて行く。
今回は想像を顕現させるような深みにまでは行かなくてもいいでしょう。異世界と名付けた皇大神謹製の御業お披露目会ではないのだ。
なーんて、嘘だよ! そこで歯止めが利かないのが私、首刈の真骨頂。え? 悪い癖? 玉に瑕? 分かっちゃいるけど歌が絡めばやめられっこないんです。ごめん遊ばせ。
短くも思い入れの深い水走の歌を自由な速さに歌い上げれば、丁寧に、丹精に水の国を描き出す。
せせらぎの音。
水面に映る渺茫とした空。
雲居を渡る水鳥の群。
羽を休める先は夜刀楠。
さぁ、みなさん。現実と幻想の狭間へようこそ。
音を掛け成し、組み上がっては様変わる世界。
ひと節歌えば雫のように。
ふた節続けば流れのように。
水鏡に数知れず生まれる小さな波紋。
無数の輪の中に花開くのは梅花藻の混じり気ない愛しい白。
さてもさてものお立会い。
歌は結べど花は萎れじ――。
「ふぅ、どうだった?」
目を開けて感想を求めれば、異世界を体験済みの阿呼と放谷は拍手で迎えてくれた。
一方の夕星、斑良ちゃん、猟豹衆にチーターたち。みんなして最先端技術を目にした原始人みたいな顔をして、水鏡に現れたままの梅花藻の花と、私の顔とを見比べていらっしゃる。
「びっくりした?」
「びっくりしたよっ、何これ!? 貴女今、御業を使ったの? 景色は消えたけど花は残ってるじゃない!」
まぁそうなる。
無から有を生み出す御業は決して珍しくない。知泥だって練り込めばひと掴みの土くれを大量の泥土として残すことができる。そう石臥女さんが言っていた。
けれどもその過程を、風景丸ごと呑み込んで見せてしまえる私の御業は、八大神である夜刀ちゃんや夕星をしても、そうそう体験し得るものではないのだ。そこに鮮烈な驚きが生まれる。
ふふふん、どやぁ!
「何よその顔、ムカつくんだけど」
「どうどう」
ビシッ――。
デコピンを喰らいました。よせやい。痛いじゃないか。うわ、本当に痛い。これだから馬は! 馬鹿力が過ぎる!
じわりと抜けない痛みにおでこを摩りながら、私は阿呼と放谷の背中に逃げ込んだ。
「大袈裟ね。ちょっと突っついただけでしょ?」
「馬力を考えてよっ、頭蓋骨にひびが入る!」
「一馬力だよ?」
「ええ、ええ、そうなんでしょうけどねっ」
がるるっ、と凄んでみても、ドヤ顔から「どうどう」のコンボで挑発したのは私だ。恩人相手に喧嘩もできないし、ここは矛を収めましょう。
「それで、歌はどうだった?」
「うん、夜刀ちゃんより上手だった」
「そうだろうとも、そうだろうとも」
素直に言われてムクリと沸き立つドヤ心。それを押し込め私は言った。
「夕星も歌ってみたら?」
「いいよ。楽しそう」
はい。ここからが本番です。
私は分かっていたのに、バカなことを言ったものだ。
御業の祝詞みたいなのを聴いた時、私は夕星の音感のなさを明確に察していた。なのに、そのことを忘れてついつい歌えと勧めてしまった。
案の定、夕星の歌声は酷かった。
私は生まれて初めて、自分の耳を不憫に思ったほどだ。うん、それくらい酷い。
出だしから空中に放り投げたような、よろめく高音が真っ逆さまに落ちてくる。この時点で既に意味不明。船酔いにでもなりそうなけたたましくもブレブレの発声は、これぞ悪魔の顫音かと、壊滅的音感に震えが走った。
待て待て、落ち着け。これは裏声なんだと言い聞かせても、その努力を水泡に帰す声が矢継ぎ早に折り重なってキンキンカンカン鍔迫り合う。
おかしい。水走の歌はそんなに速い曲じゃない。
一人で歌って何故か三声のバレットという、めくるめく不協和音。
洪水のように押し寄せては意気揚々とアナーキズムの領域へ突入する壮大さ。
ダリやピカソの世界に紛れ込んだムンクがバンシーみたいに叫んでます。
今まで想像だにしなかった世界が垣間見えるという点では夕星もまた異世界の使い手かもしれないよね! なんて、ここまで懸命に現実逃避する羽目になろうとは夢にも思いませんでした。
私だけじゃないよ。阿呼も放谷も斑良ちゃんも、みんな目を丸くして、夕星のワンマンショーに卒倒寸前だ。そんな中、ついに放谷が笑った。
「わははっ、凄いなー夕星。こんなのありかー?」
それが引き金になって、阿呼は体育座りの膝に顔を埋め、斑良ちゃんたちチーター軍団はお腹を抱えて転げまわった。
私も釣られて笑いそうになる。でも堪えたね。グッと息を止めて、踏ん張った。
だって、だってだよ? 夕星は本当に楽しそうに歌っているのだ。確かに耳ばかりに頼れば、水走の歌の成れの果てを聴かされている気分にもなる。けれど、歌っていうのは上手い下手よりもまず、心に響くかどうかなんだよ。
カーネギーホールのライブラリをひっくり返しても、不動の一番人気は褒めようのない歌唱力を誇るジェンキンス夫人なんだ。美声じゃなくったって人気の歌姫は山ほどいる。
技術がなんだ。音域がどうした。ト音記号から始まって全ての音符がドミノ倒しに倒れて行けば、なんだかもう十周くらい回って楽しいよ!
「いやっふー! 夕星最高!!」
私は鼓膜と心の二律背反をかなぐり捨てて叫んだ。そしたらキラッキラした笑顔が返って来るんだもん。私の作った歌をこんなにまで楽しそうに歌ってくれるなら文句なんかあるもんか。
最後の詩行を一緒に歌って、私は夕星とハイタッチした。いぇい!
「はーっ、歌うって気持ちいいね」
玉の汗を浮かべて笑顔の夕星。なんというやり切った感。
「うん、見てて分かった。聴いてて楽しかったよ」
これを切欠に仲良くなれそうな予感がひしひし。
「あれ? みんな転げてるけど」
おーまいがっ! 私以外の聴衆を失念してました。ここでヘタクソ呼ばわりでもされようものなら夕星の癇癪玉がハッスルマッスル!
「ネコ科! みんなネコ科だからっ、楽しくなるとゴロゴロしちゃう! ねっ!?」
夕星には笑顔、斑良ちゃんたちには刺すような牽制の眼差し。
「そうなの。楽しくなってゴロにゃんこ!」
猫手を構えてポーズをつけた素晴らしいリアクション芸。よし、斑良ちゃんは空気の読めるいい娘だった。主祭が靡けばチーター軍団はもう心配ない。
「放谷はネコ科じゃないよね?」
「ですよね。でも放谷ってばほら、周りの雰囲気に呑まれやすいところあるからっ」
「おー、なんだか混ざりたくなったー」
放谷クリアー! 打てば響くね!
「妹ちゃんがうずくまってるけど大丈夫?」
「んんっ! あ、阿呼ー、どうかしたのかなー?」
三角座りで顔を伏せたまんまの阿呼は耳もうなじも真っ赤っか。可哀相に、爆笑と礼節の狭間でプルプルしてるじゃないか。耐えろっ、忍べっ、阿呼はそれができる娘だよ!
「……お腹の調子が、悪いです」
苦しい! でも夕星は「大変じゃない」と目の前の真実に掠りもしない神対応。空振り三振からの振り逃げ逆転サヨナラ満塁ホームランだよ。愛してる!
私は阿呼に手を貸しながらそそくさとその場を退散。何事も引き際が肝心だ。あとは流れを読んだ放谷たちが何とかしてくれるだろう。頼んだよ相棒!
それにしてもなんだって私はこうまでヘトヘトになりながら夕星の音痴をフォローしているんだろうね? うん、分かってる。それが見たことも聞いたこともないような素敵な音痴だからだ。
***
形容し難い歌の発表会から時は流れて、懐中時計を開けば午後六時。
赤土の夕暮れは信じられないくらい赤い。怖いと思えばそうだけど、赤は命の躍動を表す色。常夏に息づく様々な生命を思えば不思議と安らぎが胸を満たした。
「帰って来たの」
「お、千軽ちゃんたち?」
斑良姫ちゃんの呟きに眠気が遠のいた。私たちは三の鳥居に近い神門に集まって、千軽ちゃんたちの帰りを待っていた。
神社には神域への出入りを主祭神に伝える機能が備わっている。これは主祭神が神域にいての話で、今の私に大宮に出入りする者の情報は伝わらない。
千軽ちゃんたちが一の鳥居を潜ったなら、神門まではまだしばらくかかる。私は阿呼の向こう隣りに夕星を見た。
「あのさ、夕星は黒坊主って知ってる?」
「黒坊主? 何よそれ」
夕星は切り揃えた前髪の下に片眉跳ねて、黒目がちな眼を動かした。千軽ちゃんに尋ねる前にと振ってみたけど、どうやらご存知ない様子。
「や、避役神社の目賢ちゃんに言われたんだけどさ。黒坊主が出るから千軽ちゃんによろしくって」
「目賢姫って言ったら卜媛様の直弟子よね」
「え? 何それ。心さんの弟子なの?」
「違うよ、卜媛様」
「心さんでしょ?」
「だーかーら、筆神は卜媛、末媛、心媛で三代続くんだってば」
言いながら拾った枝きれで地面に文字を書き殴る夕星。あれだけ音痴なのに字は奇麗なんだから目を疑う。で、そこに記されたお名前がこちら。
濃須美筆結卜媛命――この方が黒鉄の初代。
濃墨筆染末媛命――こちら様が二代目。
恋墨筆霑心媛命――知ってる。ボサボサ頭の吸血蝙蝠だよ。
「全員うらひめとか、なんでそんなややこしい名前にしたの!」
「知らないよっ」
やり場のない気持ちをつっけんどんに返されて持て余し気味な私。
話を巻き戻せば、この初代卜媛というのが卜占系の御業をほとんど編み出したその道の大家であるらしい。目賢ちゃんはその薫陶を受けたお弟子さん。なるほど鏡読も左右宣に分類される卜占系の御業だ。
「卜媛様はもう亡くなってるけど、夜刀ちゃんと同じで万代の神様だからね。その弟子の目賢姫も小さ神の中では群を抜いて古株なんだよ。貴女、相手が小さ神だからって失礼な真似してないわよね?」
出ました。年上を敬う神々の文化。それ自体はいいことだと思う。けれど目上も敬ってくれれば尚歓迎だ。さあ皆さん、皇大神を敬いましょう。
「シテナイヨ?」
沈黙は金。目賢ちゃんに睨めっこを仕掛けた事実は伏せておこう。
「なによそのカクカクした口調は」
「いや、ほんと、してないってば。ちゃん付けはあの見た目じゃしょうがないでしょ? 夕星だって夜刀ちゃんのことそう呼ぶじゃん」
「私はいいのっ」
「理不尽!」
やいのやいのとジャレていると、阿呼と放谷から出迎えの声が上がった。よって、お馬さんの相手はここまで。私は向き直って千軽ちゃんたちを出迎えた。
千軽ちゃんも渡人たちも、その身なりは正に冒険者御一行。今日も今日とて、モンスター退治に汗を流したご様子だ。
「お帰り、千軽ちゃん」
「おう、なんやそっちもえらかったみたいやけど」
「まーね。みんなもお疲れ様」
「首刈様、わざわざ出迎えて頂き恐縮です」
ジーノスのお固い言葉に頷くと、その後ろから顔を覗かせたラデルが、驚いた目で夕星を見ていた。
「なんで夕星がおるん?」
千軽ちゃんがラデルの気持ちを代弁する。どうも放谷は夕星のことを伝えていなかったようだ。
「まあまあ、その話は後で。斑良ちゃんたちがお夕飯の支度してくれてるから、その前にみんな水浴びさせて貰って来たら?」
「せやな。ほな男連中は荷ぃ解いたら沐浴の池に行ったらええわ。女は清水で済ませとこ」
指示通り渡人たちが動くと、千軽ちゃんは自分とイビデ、それからもう一人の女性に清水の御業をかけて身ざっぱりした。
水鏡の境内に移動すると、既に夕餉の席が設えてあって、敷き詰めた茣蓙の上に青々とした葉っぱの大皿。どれを見ても肉、肉、肉の盛り合わせだ。水鏡前の焚火では丸焼肉が焙られていて、狩猟豹のお社らしい晩餐になりそうだった。
「斑良ちゃん。沢山あるけど、これはなんのお肉?」
「丸焼きさんは土豚なの! あとね、お皿のは色んな鹿さんでしょ、あ、それは縞馬さん」
「ぶほっ、シマウ……? え、夕星がいるのに出しちゃっていいの?」
恐る恐る夕星をみれば、平気な顔をしてらっしゃる。人の姿なら人の食事が当たり前だけど、馬の神様が馬肉を食べるのかな……。
「何よ? こうして出された以上、食べてあげないと可哀相でしょ」
「いや、そうだけど」
同族相食む。
郷に入っては郷に従えだ。いつか私も狼を食べる日が……? そう、あり得ないとは言えない。夕星が言うように、食卓に並んだ以上、食べてあげなきゃ可哀そうという気持ちも分かる。
野足や夜来には悪いけど、私も真神では同じイヌ科の狐を狩って食べた。その辺り、十分理解したつもりでいても、折に触れてこうした衝撃がある。まったく楓露は奥が深いよ。
でもって差し出された串をパクリ。うん、美味しい。
前世では馬刺しを食べたけど、ほとんど記憶にないから馬のお肉は新鮮だ。土豚も美味しいし鹿も絶品。さすが狩猟豹、食肉の扱いに過不足がない。
音頭も取らずになし崩しに始まった晩餐は、水浴びを終えて帰って来た男連中を加えて一気に賑やかさを増した。
私はほどほどに食べつつ、渡人たち一人一人を労って円座を回った。赤土に来てくれた三十名の内、ほとんどが閑野生支部の調査員だけど、中には知らない顔もいる。聞けば今日は霊塊の化け物と遭遇したそうで、私が千軽ちゃんと退治してた頃と同じく、五日に一度は出食わすようだ。
霊塊の化け物は、よくあるRPGで例えれば、遭遇率の高いスライムやゴブリンなどと違って、ボスクラスのモンスターに匹敵する。渡人ともなれば一戦一戦が命懸けだし、五日に一度のペースで戦えば相当なリスクだろう。勿論、千軽ちゃんがいるからできることで、けれども千軽ちゃんはスパルタだから、負傷者が出るまでは督戦専門という厳しさだった。
「首刈様」
「あ、カルアミさん。どうですか、赤土には慣れましたか?」
「ええ、それなりには」
声をかけてくれた彼女は、以前、閑野生で紹介して貰う予定だった女性魔法使いのカルアミさん。
くすんだ金色の髪に灰色のターバンを巻いて、初顔合わせの時より日焼けした肌がちょっぴりワイルド。年の頃は二十代も半ばだろうか。絹鼠色の瞳に漂う雰囲気は北風さんに少し似てる。できる女と言うやつだ。スーツ着せて黒縁眼鏡かけさせたら絶対似合うよ。
カルアミさんは狼トーテムの信徒さんなので、遠慮がちではあるけど、私や阿呼に声かけしかけてくれる。普通、境内では神に話しかけることはしないのだけど、ここに集ったみんなは千軽ちゃん以下、赤土対策という神々の意向に応じてくれた面々なので無礼講だ。
カルアミさんが赤土に来てくれたのは、真神の神々に会う機会など夢のまた夢だからという理由。大袈裟だなぁと思いつつも、悪い気はしなかった。
聞けば、大嶋に暮らす渡人の信仰は蛾トーテムと蛇トーテムが圧倒的二強だそう。狼トーテムは禁足地の真神に本宮があるせいで、昔からいる嶋人と比べて信徒の数は多くない。そこはまぁ仕方ないよね。それでも西方大陸では最高神を有する狼トーテムと蛇トーテムが二強なんだって。夜刀ちゃんつおい。やはり経済が発展している渡人の間では、富にまつわる蛇信仰は欠かせないのだろう。
「そういえばソランさんから聞いたんですけど、カルアミさんは染色の専門家なの? 魔法使いが何を染色するんです?」
植物学者のソランさんと魔法使いのカルアミさんの接点。それが狼信仰と植物染料だ。カルアミさんはソランさんから素材植物の情報を購入しているという。
「それは、こういったものを作る為です」
差し出されたのは単語帳のようなカラーチャート。紙ではなく、染めた生地を糊で固めた物のようだ。
「これは?」
「御業の媒介です。三幻法には色、音、香りを扱う御業があります。私は中でも色との相性がいいので、植物に限らず、染料顔料の収集が欠かせません」
「ああ、私、前に見たことある。痲油さんが砥粉闇を見せてくれた時にも色紙を使ってた。それが媒介?」
「お話を聞く限りそうですね。色札や香木、楽器などの媒介にあらかじめ御業を込めておくといった使い方もできます」
「へー! 確かに火水業とかだと、火や水に込めておくって訳にも行かないもんね」
カルアミさんとこうした話をするのは楽しい。渡人は本当に勤勉で、御業に関しても色々な角度から研究をしているから、中々聞けない知識に触れることができる。
今から一万年程前。人類が旧人から新人に進化して始まった交雑期は、始祖人類である神々や宮守衆が人類との交わりを重ねた時代だ。よって現代人には少なからず始祖人類の血が混じっている。その血が色濃く出ると、星霊との親和性の高さから、御業を発現できるようになる。そしてこの傾向は嶋人よりも渡人の方が顕著だった。
何故、渡人の方が顕著かと言うと、神々と暮らす嶋人は渡人ほどに御業を研鑽することがないから。嶋人は難儀なことがあれば神々を頼りにして、御業を施して貰う。だから才能が眠っていても研鑽する機会がないので、人から宮守衆になる例は少なかった。
一方、渡人は神々不在の西大陸で、長らく御業を研鑽して来た。その過程で、自らの才能に触れ、魔法使いとなる者が増えて行ったのだ。
魔法使は結局のところ宮守衆と大差はない。大きな違いは魔法使いが名付きの御業しか使わないという点だ。彼らは熱心に歴史を紐解いて、大過去にまで遡って調べ上げた名付きの御業を使う。反面、自らの想起で新たな御業に辿り着くことはないのだと言う。何より決定的に違うのは、移姿を使える魔法使いがほとんどいないということ。この違いから、魔法使いが宮守衆になることはないとされていた。
とはいえ、何事にも熱心な渡人のことだから、神々でも忘れているようなマイナーな御業までチェックしているに違いない。私はその知識を当てにして、一つ質問をしてみた。
「カルアミさん。私には異世界って名付けた御業があるんですけど、十の道の分類のどれに当て嵌まるのかがよく分からないんです」
「それはカリューたちが調査局で体験したという御業ですね」
「そうなんですけど、その後も変化して、今では歌の中でイメージした景色を現実に映したり、一部をそのまま現実に残せたりできるようになったんですよ」
「それは、なんと言うべきなのか、本当に夢のような御業ですね」
「でしょ? えっへん!」
「こんなに身近に接して下さるのに、首刈様はやはり楓露の最高神なのですね」
「でへへ、褒めてもなんにも出ませんよぉ」
こんな風にリスペクトされると嬉しくてたまらない。神々の間を渡り歩いてると、このリスペクトが圧倒的に不足なんだよ。局面局面でかなり雑な扱いをされて来たからね。
「ですが分類となると難しいですね。幻と捉えれば三幻法ですし、創造だとするなら命形呪。ただ、紡いだ世界には地水火風も備わっていのでしょうから、考えようによってはほぼオールマイティーです」
ふむ、オールマイティーの語感は素敵だけど、私が知りたいのは得意系統。南風さんからは、皇大神だから大嶋呪。狼だから物部式。と相性のいい二系統を挙げて貰った。でも、だったら私個人の、個性に由来する得意系統はなんなのか。異世界が分類できればそれが分かると思ったんだけど……。
「既存の御業で一番近いのは四方八方岐でしょうか」
「それは?」
「分類は大嶋呪で、地形を問わず、自在に道を引くことができる御業です。過去には夜刀媛様がお使いになったという記録があります」
「ああ、五百年前の戦の! ふーむ、大嶋呪とは相性がいいって言われてるし、そうなのかな。また、何か分かったら教えて下さい」
「はい。気が付いたことがあれば書き留めておきます」
カルアミさんとの会話に区切りがつくと、場はすっかり晩餐から酒宴へと様変わり。カルアミさんは阿呼に挨拶をしに行くというので、私は酒精の香る中、ジーノスたちの方に顔を出した。
「みんな元気してたー?」
私がこうした座での堅苦しさを嫌がると知っている彼らは、神と人との溝を取り払って、打ち解けた空気で迎えてくれた。
「ご覧の通り、元気だけが取り柄の連中で」
「おい、ラデル。首刈様に駆け付けの一杯をお出ししろっての」
「なんで俺なんだよ」
ジーノスが空けてくれた座に収まると、バースタンに叩かれながら、ラデルが木杯を糖酒で満たしてくれる。夜刀ちゃんのお蔭で多少は覚えたお酒だけど、なみなみ注がれて思わず苦笑い。
「乾杯しましょう。首刈様、音頭を取って下さい」
「え、私?」
イビデに薦められ、とりあえず杯を掲げる。
「えーと、じぁあ、今夜は朔で月も見えないことだし、バースタンの頭を月に見立てて、乾杯!」
「ぶははっ」
「乾杯!」
「かなわねーな、ちくしょう!」
バースタンがツルツル頭を撫で上げれば、こんな汚い月は見たことがないと飛び交うヤジ。そこへカリューの八弦琴がポロロン。なんとも和やかでいい気分じゃないですか。
彼らとは赤土で再会して以来、色々と話をした。中央高地にアタックするようになるまで一週間を一緒に過ごしたのだ。
水走では突然のお別れになったけれど、その後の話を聞くにつけ、彼らが神々と渡人との歩み寄りに如何に貢献してくれたかを知って、私は感謝に堪えなかった。
ジーノスとイビデは渡人側の窓口として、北風さんや西風さんと共に融和プロジェクトの起点となり、主に調査員の取りまとめをしてくれた。イビデによれば梟トーテムを信奉するジーノスは、それはもう張り切ったらしい。
一方、学者たちを束ねてくれたのはカリュー。そして、ここにはいないけど、彼の叔父である植物学者のソランさんだ。
ラデルは夕星に協力して審神の小杖に関わった渡人を調べ。後にカルアミさんもそこに加わって、魔法使いの間に星霊具に関する取り決めを明文化するべく努めたと聞いている。
バースタン。彼は黒鉄へ赴く渡人の鉱夫たちを引率してくれた。現地では嶋人の金堀師との橋渡し役を務めてくれたそうだ。
それだけのことをした上で、息も吐かせず約束通り、こうして赤土に足を運んでくれるのだから、本当にかけがえのない人たちだと思う。
こんな時、神に感謝したくなるけど、自分が神だと気持ちの持って行き場がなくて困ってしまう。
「首刈様、中央高地はどうですか?」
「ん? あー、まずまずかな? ぼちぼちやってるよ。そこそこ進んだ感じ」
イビデの不意打ちに我ながら下っ手クソな取り繕い。
まずい。話題を変えねばボロが出る。ハイティーン首刈はできる首刈なんだと、見せかけだけでも保っておきたい。引いたら負けだ。攻勢に出て圧倒してやるぞ。
「中央高地の神社も色々回ったよ。避役神社でしょ。鱗甲神社でしょ。宮魂神社に猩狒神社。他にも幾つか。それで周りから攻めて行って、そろそろ三宮到達も間近かかなと」
嘘です。全然遠いよ! 夕星が来てくれたとはいえ、それでスッパリ上手く行くかなんて分かったもんじゃない。
「霊塊の化け物は出ましたか?」
「幸い遭遇してないね」
遭遇したって三十六計なんとやら。逃げ回るだけのお仕事です。しかしこれが簡単ではない。逃げて逃げて逃げ惑って、行き着く先が転宮という毎度のパターンだ。
「今回、夕星も加わって四柱体制になったことだし、こっちの心配はしなくても平気だよ。それよりみんなの方こそどう? 千軽ちゃんがいるから心配はしてないけど、南大嶋は北とは環境も違うから、そろそろ疲れが溜まったりしてない?」
みんなは顔を見合わせて、大丈夫ですと笑った。
「ただ、倒しても倒しても次が出るってのはどうなんだろうな。北では地方を跨いで探し回っても、月に二体がいいところだろ? それがここだと、野広川の流域だけで三倍の遭遇率だ。魔石、ってか霊塊か。それが手に入る分には文句もないけど、尋常じゃないのは確かだよな」
仲間を見回しながらラデルが言うと、それには同意といった空気が場を占める。すると八弦琴を脇に置いたカリューが「いいですか?」と手を挙げた。
「カルアミさんとも話していたんですが、赤土での遭遇率の高さはやはり、崩壊が進んでいるという中央高地に原因があると思うんです。野広川の源流は中央高地にある動山ですし、大地と融合する星霊が崩れるなら、川に溶ける星霊にも影響があるのではないでしょうか。つまり、川筋に沿って中央高地から下りて来る、というような」
なるほどな。素直にそう思える見解だ。
以前、南風さんに初めて霊塊の化け物を見せられた時、南風さんは星霊の崩壊を、星霊自体の世代交代に伴うものだと言っていた。けれど中央高地の様相を見るに、これにはもっと別の理由があるように思える。星霊が濃密な赤道帯。そこで何が起きているのか――。それを知るのか赤土に来た目的と言えばそうなのだけど、知ったら知ったで、何か手を打たないことには状況を変えることは難しいように思う。
「貴重な意見をありがとう。中央高地へ戻ったら、そのことも念頭に入れて調べてみるね」
「首刈様。我々は調査員です。中央高地の危険は聞かされていますが、同行できれば力になれることもあると思います」
「ありがとうカリュー。中央高地でも神域の中は安全だから、この先何か気になる物を見つけたら声をかけるかも。その時はよろしくね」
「はい」
冒険心の強い調査員は、やっぱり中央高地にも興味ありありだ。入っちゃダメと言われれば尚更だろう。でもオススメはできない。まじでヤバイからね。
「さぁ、お固い話はこれまでにして、お酒と歌の時間ですよ! カリュー、演奏よろしくっ」
肉と酒の晩餐から歌と踊りの宴へ。夜が連れて来るに肌寒さを熱気で掻き混ぜながら、カリューの八弦琴と私の歌声。手拍子と足踏み。喧騒と獣咆が賑やかな諧謔曲になって、オスメス男女が跳ね踊る。
「カリュー! 私のもやって!」
足早なポルカに汗ばみながら叫ぶと、八弦琴を縦に構えて、掻き鳴らす音は更に早まる。
カリューには地球の曲や私の自作を幾つも音符に直して渡してあった。言ってみれば皇大神お抱えの楽師だ。大抜擢ですよ。カリューは私からの曲と手持ちのレパートリーとを入れ替わり立ち代り、アップテンポなものを選んでは宴を加速させて行った。
「ダンス!」
自作った曲のイントロに合わせて、みんなを誘い込むようにクルッとターン。踊りが得手という訳でもないので、よろけて見せるのはご愛嬌。
直ぐに神と人とチーターと、八組のペアが出来上がった。
私は水鏡の縁に立って、タンバリンのような、鈴の付いた手打ち太鼓を腰で打ち鳴らし、テンポよく歌い始めた。
お元気ですか?
どうもありがとう!
今日もいい日ね
遊びに行きましょう
踊りながら、ほら!
歌いながら、ヘイヘイ!
どこまで いっても
止まらないの!
ラララ朝から ラララ楽しく
君となら いつまでも 踊れるから
頬よせて 揺り揺られ 愛のリズム
ラララその手を ラララ瞳を
つないで みつめて
照れてないで!
目まぐるしく入れ替わるパートナーたち。誰かが曲に乗り遅れれば飛び入りだって大歓迎。
夕星の派手な音痴が笑いを誘えば、目を奪うステップが即座に笑いを唸りへと塗り替える。
赤ちゃんチーターを抱いて踊るイビデは髪の毛にじゃれつかれて楽しそう。でもそれでいいの? お目当ての彼は千軽ちゃんと踊ってるぞ?
千軽ちゃんは千軽ちゃんでジーノスを振り回す勢いのダンス。本当に放り投げられたジーノスは人垣のネットに受け止められてフラフラだ。
恋してますか?
それはおめでとう!
いつも二人ね
たまにはみんなで
踊りながら、ほら!
歌いながら、ヘイヘイ!
手をつなぎ 輪になって 回りながら
気がつけば お隣が 目当ての君!
ラララ夜まで ラララみんなで
ふざけて 騒いで
目がまわるよ
キスした あの娘は
どこへ行った!?
踊りつかれて
足がフラフラ?
ダメダメ! 朝まで
止まらないよ! ヘイ!
拍手と歓声の中でそれぞれのペアが抱き合う。もうひと回りしてればイビデとジーノスのペアが見れたのに、残念。
心地よい気怠さに汗が伝って、いよいよ宴も酣。締めの乾杯に歓呼を鳴らせば、お肉とお酒と歌舞音曲を梯子した面々は、後片付けをしに右へ左へ散っていく。
私も借りていた打楽器を斑良ちゃんに返して、ふと周りを見まわした。目に止まったのは、赤ちゃんチーターにキスをしてお母さんチーターの元へと返すイビデの姿。
「お疲れ様。楽しかったねー」
「首刈様。ええ、今日は久し振りに満足行くまで過ごせました。ありがとうございます」
「いえいえ、そんな。でもさーぁ? イビデはジーノスと踊らずに満足しちゃったの?」
「……シマシタヨ?」
「カクカクしてるね」
「いいんです。私はもう、婚期的にアウトですし」
などと、語尾にお寿司が付きそうな言い方をなさる。
「何言っちゃってるの! アウト三回でチェンジじゃない」
「チェンジ、ですか?」
あ、渡人の文化に野球はないのかな?
ジーノス側の事情も知らない私が焚き付けるのもなんだけど、イビデは赤土に来てくれた数少ない女性陣だ。同性の気安さから仲もいいし、どうしたって気になっちゃう。
「ジーノスって奥さんいたりするの?」
「いえ、大嶋に来ると決めた時に、恋人とは別れたと聞いてます」
「ほらぁ! ならチャンスじゃん」
「首刈様、グイグイ来ますね……」
「ご覧の通りお年頃なもので」
「でしたらご自分の恋に奔走されては如何ですか?」
「大嶋廻りでそんな暇ないんだよねー」
「それを言ったら私も化け物退治で暇なんてありません」
「そっか、お互い大変だ。でもイビデは蛇トーテムでしょ? 夜刀ちゃんは春告げの女神様なんだから、一度くらい勇気出してみなってば」
イビデは立ち止まって、離れた場所で片付けをしているジーノスを見た。年の差はあってもいい組み合わせだと思うんだけどなぁ。
「正直、首を横に振られたら調査員を続けて行く自信がありません」
「おお、そこまで……。なら告白する時、断ったら私から天罰が下るとでも言えばいいんだよ」
軽口のつもりで言ったら、イビデは葡萄酒色の瞳を大きく見開いた。まるで信じられないものを見たかのような眼だ。
「じょ、冗談だよ?」
「ええ、でも首刈様。渡人は嶋人より遥かに神々を神聖視しています。北風様も西風様もそれがあって随分とご苦労をなさってました。今のような言葉も鵜呑みにする者がいないとは限りません。どうか気を付けて下さい」
「はい。気を付けます」
ハイティーン首刈はできる首刈の筈なのに、諭されてしまいました。
「でもイビデ。それはそれとして、頑張ってね」
「……努力はしてみます」
仕方なしにといった風ではあったけど、その言葉が聞きたかったんだよ!
満足した私はおやすみを告げて、神々の寝間が用意されている本殿へと向かった。




