043 黒坊主1
転宮で一夜を明かした私たちは、茅の輪を借りて水門神社の神域に出た。
水門神社は赤土の北部海岸線に延びる赤浜路の終端に位置し、起点の水角神社から約七〇〇粁離れた水門浦に面している。祀られるトーテムは河鰐。湾形の水門浦は西に水門神社、東に八尋神社があって、八尋神社のトーテムは鮫。古くは鮫をワニと呼んだので河鰐と記すそう。河鰐のいない北大嶋では未だに鮫をワニと呼ぶことがある。
「お邪魔します」
本殿に上がって声をかけると、主祭、川面滾姫命が顔を上げた。足が届かないほど高い紫檀の椅子に腰を掛け、同じく紫檀のテーブルで読み物を広げていたらしい。
滾姫の面長で表情に乏しい顔つきは一見冷ややかに見えて、その実とても優しそうに目を細める。スラリとした体を長着に包んだ飾らない姿は目に涼しく、私へと近付く一歩一歩が優美に映えた。
(でも胸は薄い。同志だ。同志タギーチカと呼ぼう)
スーパーモデル並みの相手に無礼極まる考えを抱いていると、横合いから氷水のグラスを載せたお盆が差し出された。私たちは順々にグラスを取って、水門衆にお礼を言った。常夏の赤土では何よりありがたい飲み物だ。
「首刈様、三宮参りはお済になられたのですか?」
「うっ……。まだですね。き、昨日はちょっと転宮に行ってたので、仕切り直しで中央高地に行く前に、滾さんの所にも顔を出しておこうと思って」
「まあ、それはそれはご丁寧に。さ、どうぞこちらへ」
本殿外陣の角に向かうと、そこに置かれた蹄型の籐の寝椅子に腰を下ろして、近況を語らう。籠の瓢柑を絞って氷水に入れると、爽やかな風味が口の中に広がった。
「大嶋廻りの方は如何ですか?」
「いやー、思いの外、三宮が遠いですねー」
「いっつも大きな虫さんに邪魔されちゃいます」
「蚊遣火の御業が効けばいーんだけどなー」
蚊遣火は赤土のどの神社でも完備されている御業で、蚊や虻などを遠ざける効果がある。他にも外気温を和らげる御業などもかかっていて、神社の中は過ごしやすい環境になっていた。
「赤土に来た当初は千軽ちゃんと一緒だったからよかったんですけど、今は私たちだけだから大変です。そう言えば千軽ちゃんたちはどうしてますか?」
「媛様は今も渡人の方々と一緒に回っています。十日に一度はお戻りになって、皆さんと泊って行かれますよ」
私たちが赤土に入ったのは十一月、黒鉄月の三日。今から三ヶ月ほど前のことだ。ざっとおさらいすると次の通り。
私、阿呼、放谷から成る大嶋廻り一行は新たに象神の千軽ちゃんを加え、去る十月、風渡月の下旬に水走を出発した。
千軽ちゃんを船頭に血沼川を下り、あろうことか川舟で沿岸を渡って、大嶋の南北を繋ぐ月ヶ瀬海道に上陸したのが出発から六日目のこと。
護解と赤土を結ぶ南海道の中間、月ヶ瀬の街で旅支度を整えた私たちは、黒鉄月の三日、崖野辺への到着を以って、赤土への第一歩を記した。
崖野辺は月ヶ瀬海道と赤土を隔てる断崖絶壁の下にあって、飛行系の御業が使えない私と阿呼は、崖を下るのに本当に難儀した。なんたって落差二〇〇米はある上に逆層スラブなのだ。下るにつれて抉れて行く無慈悲な岩肌。あれは年季の入った山屋でもおいそれとは取り付けない。かの植村直己やジョージ・マロリーだって裸足で逃げ出すに違いない。
千軽ちゃんは象の神様なのに軽々下りて行くし、放谷は小蜘蛛に移姿て糸に風を掴み、フワフワ降りてしまう。私と阿呼ばかりが取り残されて、恐々と張られた鎖を手にしながら、えっちらおっちら、ひぃひぃふぅふぅ。この断崖絶壁も街道の一部だと言うから必死になって降りたのに、後から螺旋隧道があると聞かさた私は本気で怒った。しかし千軽ちゃん曰く、これが赤土の洗礼というものであるらしい。
南海道の終点、赤土一宮――橒牙大神宮に入った私たちは千軽ちゃんのお母さんである千引命から歓待を受け、数日逗留。その際に赤土での行動計画を立てた。
大なる目的は赤土の現況視察を兼ねた大嶋廻り。小なるは霊塊の化け物退治と、それに伴う戦闘訓練。私たちは近年化け物の出現頻度が高まっているという野広川流域を目指した。
北部沿岸を東西に結ぶ赤浜路を東へ進み、途中途中、里や神社に立ち寄りながらの道中。広大無辺の原野を見渡せば和の色濃き北方の風景と違って、南大嶋はどこをどう見回しても異邦だった。
水角神社の水牛。獅子吼神社の獅子。大角神社の犀。そして水門神社の河鰐。街道を往くだけでもアフリカなのかアマゾンなのか。目新しさに感動の嵐が吹き荒れる。
草原には鹿が走り、水辺を覗けば紅鶴の群れ。名前も知らないような動物たちが次々と現れて、動物好きの私はそれだけで胸一杯だというのに、彼らはみんなフレンドリーだった。
当然縄張りがあるので、不用意に近付いたりはしない。しないのだけど、向こうから寄って来てくれる。千軽ちゃんが言うには、皇大神が持つ星霊の気を感じて、好奇心から近付いて来るのだと言う。それは裏を返せば私の星霊が駄々漏れってことなんだけど、動物と触れ合えるなら大歓迎だった。
「どうしたら三宮まで行けるんですかねぇ」
「そうですね。中央高地は赤道帯に滞留する星霊を過度に取り込んだ動植物が巨大化していますから、茅の輪を使わずにとなると、難しいことも多いでしょう。隠密系の御業は役に立つと思いますが」
それは例えば放谷が使う三幻法の御業。姿を消す幽身だ。けれど私と阿呼は千軽ちゃんから戦闘系の物部式を中心に叩き込まれたので、隠密系にまで手を回す余裕はなかった。
水門神社を拠点と定めた私たちは、野広川流域の探索を始める前に約一ヶ月を御業の修行に費やした。私と阿呼は狼だから、狩る獣の特性を活かすには物部式が適しているということで、化け物退治が控えてることもあって、御業の修行はそのまま戦闘訓練にもなった。あとは初代様の神宝を慣らすことにも時間を割いた。
野広川の河口にある水門神社には、大水門と呼ばれる鳥居前町があって、私たちは修行に励みながら支障のない日常生活を送った。
やがて探索が始まると川を遡って、肺魚や鯰を祀る石鰭神社、ヒポポタマスの河神神社、直翅目だらけの飛蝗神社と、流域の神社を訪ねながら、霊塊の化け物を探し歩く日々。
化け物との遭遇は平均して五日に一回。最初の内は千軽ちゃんにお膳立てをして貰って、弱った化け物相手に修行の成果を確かめる戦いが続いた。慣れてくるにつれ千軽ちゃんは督戦に回り、ひと月もすると三人で危なげなく倒せるようになった。
千軽ちゃんによれば霊塊の化け物は全て中央高地から下りて来ると言う。確かにどれも巨大で、私たちが水走で戦った化け猪の比ではなかった。けれど、中央高地で遭遇する巨大生物に比べたら明らかに小さい。その理由は、星霊が飽和している中央高地を離れると、溜め込んだ星霊が漏出するからだそう。化け物は私のように回復力抜群の星霊核を持っている訳ではないから、漏出が回復を上回ることで徐々に本来の大きさに戻って行くのだ。
「あーあ、みんなで化け物退治してる頃はよかったなー。別に戦うことが楽しかった訳じゃないけど、それでも中央高地よりは随分とマシだった」
「中央高地は普通の生き物がもうやばいからなー」
「それ! 倒しちゃう訳に行かないから逃げるしかないもんね。狩って食べろたって大き過ぎるし」
「でも頑張って三宮に行かないと、大嶋廻りが進まなくなっちゃう」
「そこだよね。せめて一宮から三宮まではお参りしておきたいもんなぁ」
「ならそろそろ行くかー?」
「待って放谷。折角ここに寄ったんだから、中央高地に戻る前にジーノスたちの様子も見ておこうよ」
「阿呼は賛成。みんなどうしてるかな?」
ジーノスたちが赤土に来たのは年が明けて間もなくのこと。
イビデ、ラデル、カリュー、バースタンら顔馴染みも含めて閑野生支部の調査員を中心に、ジーノス以下総勢三十名。そこにはカリューの叔父で植物学者のソランが紹介してくれる手筈になっていた狼信仰の女性魔法使いもいた。急遽の赤土行きで会う機会を逸しただけに、彼女との邂逅は私にとっても喜ばしいことだった。
合流後、みんなで行動を共にしたのは僅かに一週間。既に庭と化した野広川流域を案内しながら、霊塊の化け物にも二度ほど遭遇して共闘した。
その後、私たちは千軽ちゃんに追い立てられるように中央高地へ。未だ赤土の封土に慣れない彼らを残して行くのは気がかりだったけれど、大嶋廻りが最優先と言われてしまえばその通りで、以来、再三に亘って中央高地に挑むこととなり、今日に至っている。
「という訳で滾さん。千軽ちゃんや調査員のみんなが今どの辺りにいるか分かります?」
「はい。一昨日お出かけの折には、媛様は猟豹の世話になると仰っていました」
「さっぽう?」
なんだそれ。殺法? 必殺技的な何かだろうか。思い当たる節を探って眉根を寄せていると、クイッと袖を引く我が妹君。
「猟豹だよ、お姉ちゃん」
「うん? さっぽうだね?」
可愛い妹が謎を解明してくれたというのに、知力の及ばない残念な私、皇大神。
困り顔の阿呼はパッと眉を開いて、手首の輪違を外すと、中から矢立と帳面を取り出し、サラサラと文字にして見せてくれた。
「おお! 猟豹神社ね! チーターだチーターだっ」
合点を得て三百六十五歩のマーチでも歌い出しそうになりながら、それはチーター違いだと脳内一人ボケツッコミをかまして、揚々襟元を正す。
「よし、早速行こう!」
「おー!」
「それではお見送り致します」
夜刀ちゃんからは助っ人が行くまで三人で頑張れって言われたけど、みんなの様子を見に行くくらい問題ないだろう。
なんとなれば助っ人はちゃーの間でやって来るのだ。僅かな時間、好きにしたって構うまい。千軽ちゃんに多少なりと中央高地の相談をするのもありだ。無論、ジーノスたちの前で最高神の情けない姿を披露する気はないから、コソッとね。
と、このように世間体なるものが気になりだしたのも、一つには体が成長したという点が大きい。ローティーンを卒業してしまった今の姿で、かつてのようにオロオロしていたのでは、如何にも皇大神として格好が付かない。姿形の変化に伴って、面子やら体裁やらが気になるお年頃になってしまったのです。
え? スタイル? そのことはいいじゃないですか。ほっといて下さい。少なくとも同志夜刀ーチカには勝ってるんだからね! ぷんすこっ。
ただ、ここ最近考えるのは、前世を終えた時の背格好に近付いて来たなぁということ。勿論姿形はまったく異なる。背丈こそ前世と同じ一六〇糎前後だけれど、子供特有の丸みが抜けた目鼻立ちは半分大人の思春期で、自分で言うのもなんだけど中々の美人さんだ。ふふふん、余は満足じゃ。苦しゅうないぞ、面を上げい。なんて悦に入る反面、相変わらずの成長の早さにおっかなびっくり。
「おおー、いい川風! これくらい吹いてくれると暑さも気にならないね」
本殿を出た私たちは河口に迫り出す朱の廻廊を渡った。宮島の厳島神社を思わせながら、廻廊の数も長さも遥かに上回る清雅な社殿。私は欄干に指を滑らせながら、川面を覗いては洗濯板のような鼻面を浮かべる河鰐たちに挨拶をした。
「お姉ちゃん、あそこ。阿呼たちがずっと寝泊まりしてた水上殿よ」
汽水域に突き出す幾つもの廻廊の突端。そこは水上コテージよろしく設えた舞台造の棟になっていて、私たちは以前、その一つを借りて寝起きしていた。今はジーノスたちが班を分けて幾つかの水上殿を間借りしている。常夏の赤土では柱と屋根ばかりのそうした場所で過ごすのが一番。川音を耳に横たわれば、船の上にいる気分にもなれた。
一番長い廻廊を進んで辿り着いたのは遥拝殿。台の先に茅の輪を括った鳥居があって、そこから覗く景色の中心には赤土のシンボル、動山の雄姿が収まっている。
「お戻りはいつ頃になられますか?」
見送りに立つ滾姫は長着の奥襟に円錐笠を落として華美を誇らぬ佇まい。薄い御胸から涼やかな目元に視線を移して、私は握手を願い出た。
「同志タギーチカ。今度こそ三宮を拝して戻って参ります」
「どうし? 何やら分かりませんけれど、無事、成就されますことをお祈り致します」
同志との誓いを固く胸に刻んで、それでは参りましょうか。
「あ、首刈様お待ちを」
「はいはい、なんですか?」
参らなかった。
と、そこへ波音立てて二頭の鰐が現れ、それが跳ねて欄干を越えたと思ったらドロン! 二人の水門衆が包みを抱えていた。
「日持ちのよい食べ物など用意させましたので、どうぞお持ちになって下さい」
「わー、嬉しい。お心遣いありがとうございます」
頂戴したのはバナナ、パン、焼き菓子。バナナはツーハンド。いわゆる業務用の大房を二つも頂いた。十枚のパンは堅い仕上がりで、デリバリーピザならLサイズの大きさ。焼き菓子は小麦と山芋を練って甘味と風味に蜂蜜や様々な果物を混ぜ込んだもの。歯が欠けるほど硬いけど、お湯に浸して食べても美味しいし、おやつとしてばかりでなく、長駆する際の携行食として重宝する。
どれも大水門で手に入る品だけど、食べ慣れた物ほどありがたい。見知らぬ土地の見知らぬ食べ物は体験談にはなっても、口に合わないとなると本当に難儀するからだ。訪ねた先の神社でその手のものが出されると、食べない訳にも行かないから尚一層タチが悪い。
頂いた食料を阿呼の輪違に収納してお礼のお辞儀をした途端、川辺の水鳥たちが一斉に飛び立った――。
「お? きたなー」
「うん。揺れてるね」
「阿呼、地震きらいっ」
「さすが赤土は、山動る神の大地だなー」
地震だ。赤土には動山を筆頭に幾つかの活発な火山が存在している。既に何度も体験しているけど、今のは体感だと震度三くらいかな? 地震列島日本で生まれた私には子守歌のようなものだ。対照的に、赤土に来て初めて地震を体験した阿呼は尻尾の毛をケバケバにして震え上がった。今も私と放谷の間にすっぽり収まったまま耳と尻尾を垂れて上目遣いに窺ってくる。可愛過ぎか。
根が動物の阿呼は、前世持ちの私や蜘蛛の放谷と違って、天変地異には本能的な畏怖を感じるのだろう。
「ほら、阿呼、もう収まったよ」
「もう揺れない?」
「大丈夫大丈夫」
私は近頃繋ぐ機会の減っていた阿呼の手をしっかりと握って勇気付けた。それから茅の輪に触れて道結を紡ぐ。開かれた輪っかの向こうには緑の小部屋が覗けた。
「お姉ちゃん、猟豹神社に行くんじゃないの?」
「それが、さっき阿呼の輪違に食べ物仕舞って思い出したの。私の輪違、茅の輪にしたまんまあの崖の横穴に置き去りでしょ。だから先に回収しとこうと思って」
転宮へ逃げ込む為に茅の輪として使った私の輪違は、今も阿呼が作った緊急シェルターに放置したままだ。同調済みの物品を取り寄せる物招の御業は、熟達すれば万里の距離も意に介さない。けれど未熟な私は距離を稼ぐ必要があったので、道結の道を中央高地にある避役神社に繋いだのだ。
「それじゃあ滾さん、水門衆の皆さん、行って参ります!」
「行ってきますっ」
「じゃあまたなー」
***
茅の輪を潜って出た場所は、草を編んで造った緑むせる庵の中。竹枠の草戸を開けると、避役神社の樹上境内がファンタジー映画の景観を織り成している。
避役トーテムを祀るこの神社は、動山を源流とする野広川が中央高地から北部原野へと落水する、突兀の滝を望む樹海に鎮座していた。
地球では決して見られない絵画的な神域。無数の木々を蔦の架け橋で繋ぎ、巨大な古木の枝股に建てられた本殿を仰ぐ。初めてこれを目にした時は、子供心くすぐるツリーハウスと神社のコラボレーションに胸躍らせたものだ。
「物招」
庵を出る前に輪違を回収しておく。身の内の星霊に呼び起こし、自分と輪違の間にイメージラインを描く。延ばした線が輪違の位置を捉えればフィッシュオン! 瀬所丸さんに言わせれば「ちゃーの間」と言うやつで、あっという間に手中に取り寄せることができた。
「おけ! 目賢ちゃんに挨拶しに行こう」
巨樹に巻き付く雁木の廻廊を進み、両端に鳥居を設えた蔦の吊り橋を幾つも渡って、原色の鳥たちに挨拶しながら本殿を目指す。当然カメレオンもいるのだけど、自然界の忍者たる彼らを見つけるのは至難の業だ。いずれにせよ、鳥もカメレオンもその他動植物全て、神域の中では通常の大きさを保っている。それは神域の加護によるものだ。
本社や本宮に代表される神社は通常、三重の神域を有している。それらは本殿から一番遠い一の鳥居に始まり、二の鳥居、三の鳥居と内側に向かうほど厚い加護を得る。
一の鳥居に示される外神域はトーテムの眷属を外敵から護る。二の鳥居から始まる合神域では眷属の怪我や病気を癒す加護が加わる。最内の三の鳥居からは内神域となり、生きとし生ける物に保護と癒しが与えられる。
これらの加護は赤道帯に滞留する星霊の過剰摂取をした個体をも癒し、時間はかかるが元の姿を取り戻させる。無論、再び神域を出れば過剰摂取の症状も再発する。巨大化しても霊塊を発していない個体は神域で暴れたりしない。いわばセーフティゾーンだ。
私たちは三宮を目指すに当たって、こうした中央高地の神社を頼りながら、侵入経路を変えて何度もトライしていた。
「目賢ちゃーん! また来たよー」
返事はない。けれど御神座に上がれば内陣の神座にちょこなんと座る姿があった。
彩窶目賢姫命。その姿は小動物の神様だからか、谷蟇神社の痲油姫同様、小人サイズで愛らしい。けれどもお喋りでよく動き回る痲油姫と違って、目賢ちゃんは視界に収めている内は微動だにしない。口数も極端に少ない神様だった。
ギョロ目ばかりをぐりぐりと左右互い違いに動かして、それがまるで手話ならぬ目話とでも言いたげな素振りなのである。そして目を離した隙に移動してたりと、軽くホラーなところもあったりした。
「らっしゃい」
「端折り過ぎでしょ、もー」
どこの板前さんだよと言いたくもなるこの対応。でも、言い方はおっとりとしていて優しい。
「放谷、今日も美味しそう」
「お、おー、やめてくれー」
捕食者と被捕食者の関係が面白いです。初めて来た時、なんか放谷がキョドッてるなと思ったらそういうことだった。神域にいても本能は揺さぶられるらしい。
そしてだんまりを始める目賢姫。最初は待つ。何か主祭から話があるかもしれないからね。とはいえただ待つのも芸がない。にらめっこでもしてみようか。
私は寄り目をして舌先を鼻下にくっ付けてみた。目賢ちゃんは素のままで目の動きがもう面白い。髪型は剃り落とし部分のない所謂ソフトモヒカン。反則なのは頬に貼りつくようにクルンと巻き上がった揉み上げ。そこに意識を吸い寄せられるとどうしても笑みが込み上げてきちゃう。私は負けじと両耳をピコピコさせて対抗した。
「お姉ちゃん、何してるの? お行儀よくない」
「あ、はい」
阿呼の呆れ顔が痛いです。社の主祭を前に変顔晒す皇大神。そのシュールさを笑って見逃してはくれないものか……。
「えーと、今日は所用で立ち寄っただけなんだけど、何か耳寄りな情報とかあったら聞かせて貰えるかなーって思って。どうかな?」
ギョロギョロ。
うん、だから喋ってよ。私、耳話はできるけど目話は無理なんですよ。さもなきゃ筆談でもしちゃう?
「黒坊主」
「ん? なんて?」
ギョロギョロ。
だっかっらっ! しばらくあって口を開いたかと思えばまたこれだ。
「鏡読に黒坊主。千軽様へよしなに」
「あ、はい」
会話終了。物凄く断片的です。
鏡読というのは鏡を通じて別の場所を覗く御業だ。鏡を用いた御業は基本を練り込めむことで映した相手と会話したり、更には未来や過去を垣間見ることもできるという。
となると、目賢ちゃんは鏡を通して黒坊主とやらを見たのだろう。私はそれを、これから会いに行く千軽ちゃんに伝えればいいってことか。分かったぞ、パシリだこれ。ついでだからいいけどね。
「ありがとう目賢ちゃん。それじゃあ近い内にまた寄るね。今度来る時は助っ人が加わって四人になってるから」
ギョロギョロ。
それはもういいよ。
苦笑いの会釈と手土産のバナナを残して、私たちは御神座を辞した。目賢ちゃんの言葉をそのまま千軽ちゃんに伝えれば、何かしら分かることもあるだろう。さてはて、黒坊主とはなんぞや?
突飛な神様の突飛な言葉を右に左に、頭の中で転がしながら、私たちは千軽ちゃんやジーノスたちのいる猟豹神社へと向かうことにした。




