042 助っ人選び
「まったく。ゆっくりとお酒を愉しむ暇すらないのよ」
「来るなりそれですか」
水走一宮の鳥居前町、大巳輪。その目抜き通りと一宮の参道の交点に、大嶋調査局の大巳輪支部はあった。
駆け出し皇大神の首刈が八大神を召集した結果、閑野生支部を起点に始動する運びとなった神々と渡人の融和プロジェクト。それは現在、水走の中心であるこの大巳輪に拠点を移して継続されていた。
「昨日また、首刈が泣きついて来て大変だったのよ」
「また首刈様ですか。確か一昨日も……。今度はどうされたんです?」
調査局で融和策推進の指揮を取る北風を訪ねた夜刀は、二階の奥まった一室に通されるなり、のっけから愚痴を吐き連ね、机上にぐでんと体を突っ伏した。傍から見ればお行儀の悪い子供だ。しかしながらこれが楓露と呼ばれるこの星で最古の女神だったりする。
北風は口当たりのいい地酒と御万菜を用意して、形ばかりの主設けを整えると、斜向かいに椅子を引いた。
「あら、美味しいわね」
夜刀は白味噌に黒胡麻を散らした生麩田楽に目を輝かせて舌鼓を打った。お猪口に延びた手を止めて味わうほどだから、余程美味だったに違いない。細かく波打つ黒髪を肩口に払って、二口目をパクリ。
「町人の差し入れです。お気に召されたなら今度、お社の方へもお届けしましょうか?」
「それは嬉しい気遣いだわ」
夜刀は北風の心配りに笑顔で応じて、酒と肴でしばしの時を過ごした。その間、北風が掻い摘んだ近況を報告する。
北風が妹の西風と共に任されているのは、神々と渡人との相互理解の推進、及び渡人による霊塊の使用制限。これら二点を軸とした双方向の融和だ。対渡人の担当窓口を担う北風は、プロジェクトの推進に当たり、渡人に次の要求を通した。
一つ、霊塊の一元管理。霊塊関連の依頼を調査局から切り離し、各支部に八大神の宮守衆を常駐させ、全ての霊塊を神の側で管理する。
一つ、管理下の霊塊は依頼人の使用目的を精査した上で融通するが、使用目的が適当と認められない場合は、神々の側で買い取り、在庫として管理する。また、適正な使用目的には在庫の融通も行う。
一つ、審神の小杖等、神々の認めざるところの星霊具の製作、並びにそれに準ずる行いを禁じる。違反者の取締りには八大宮の刑部、忍部、並びに各支部の調査員がこれに当たる。
一つ、各支部、或いは適切な施設に於いて、神々、宮守衆、嶋人と渡人の交流機会を定期的に設け、それによって価値観の共有を図る。また、皇大神の提案により、行く行くは学舎を設置して、共存共栄の道筋を付けていく。
一つ、現行の護解、水走、青海に続いて、黒鉄への一部入植を認める。黒鉄では鉱山の開拓を軸に渡人の生活基盤を築いて行く。野飛、白守、風渡への入植については今後の課題として別途検討を行う。赤土は当面の立ち入りを禁じる。真神へは如何なる理由であれ固く立ち入りを禁じる。
一つ、神々は調査局に所属する調査員の一部に対し、赤土に於ける諸問題解決の一助として協力を要請する。選抜は当人の意志、技量等を勘案し、現地での活動は赤土の諸神と共同にて行うものとする。
これらの主立った項目を布告した際、北風が驚いたのは、渡人が唯々諾々と全てに応じる姿勢を見せたことだった。
北風は決して一方的に話を進めるつもりはなかったし、渡人側からの要望があれば公正に取り扱うつもりでいた。ところが、皇大神をして執着心や欲が強いと言わしめた渡人たちが、到底そうとは思えない対応を示したのだ。
「彼らは表立っては何から何までこちらの意に副おうとします。その為、どこまで本意で服しているのか、読み解くのに苦労させられます。一人一人、御業を用いて真意を探るというのも大きな手間ですし。分かっていたことではありますが、嶋人との違いを痛感させられました」
北風は夜刀のお猪口にお酒を注ぎ足しながら、溜息混じりにこぼした。何事も理知的にテキパキとこなしていく北風の疲れた様子に夜刀は問う。
「それは敬われ過ぎて困るということ?」
「そうですね。最初は随分と素直で、これほど楽なやり取もないと思っていたのですが、顧みればやり取りが成立していないんです。こちらの言い分を呑むばかりで、内に溜めて不満を抱える者もいるのではないかと……」
「対策は?」
「現在、こちかが提示した要求内容を精査しています。例えば渡人の中でも魔法使いと呼ばれる御業の使い手たちは他より対話が成り立ちますし、あとは首刈様と接触した閑野生の調査員たち。彼らに渡人の底意を汲み上げて貰い、負担になっている部分を適宜修正して行ければと考えてはいます」
困ったことです。と、トレードマークの銀縁眼鏡に触れる北風。その様子を見た夜刀は北風の頭の固さに想いを巡らせた。
「そんなものかしらね。首刈はすっかり打ち解けてなんでも言い合えるようなことを言っていたわよ? 貴女、もう少し距離感を取り除いて接してみたらどうなの?」
「距離感、ですか……。それは私が近寄り難いということでしょうか?」
「有り体に言えばそうなるわね。貴女ってあんまり笑わないし」
白守の主祭、四陣風の中でも北風はつとに生真面目だ。母とも慕う夜刀の前でこそ多少なり砕けた姿を見せる北風だが、渡人相手に四角四面に物事を進めようとする様が思い浮かぶというものだった。
「西風はどうなの? あの娘はその辺り、要領いいのではなくて?」
「確かに。私より遥かに打ち解けてはいますが、それでも嶋人に対するほどには上手く行かないようです」
西風は八大神の中では首刈に近い感覚の持ち主だ。神々しさも程々で、誰に対しても隔てなく接する器用な気質を持っている。世渡りセンスとでも言うのか、何事につけ要領がよく、卒がない上に、心配りというものを備えているのだ。
それが一転、夜刀に対しては病的な愛着ばかりを全面に押し出して来るので、蛇神の白磁の頬は会うたび引き攣る羽目になる。その内に表情筋が崩壊してもおかしくない。
夜刀は頭に浮かんだ西風の顔を掻き消して、別の顔を思い浮かべた。
「夕星はどうなの? 審神の小杖の下手人を会うなりぶちのめしたって話は聞いたけれど」
その名を聞いて北風は大いに溜め息を吐いた。まるで忘れてしまいたかったことを思い出させられたかのように。
「あの娘は遊んでます」
「遊んでる?」
「はい。渡人に混じって日々楽しそうに過ごしています」
「それは打ち解けているということよね?」
「そうとも言えますが、子供と遊び回っているので物の役には立ちません」
「ああ、そうなのね」
しかし長い目で見れば悪くはないな、と夜刀は思った。
渡人の大人たちが神々に対して固さもギラつく奥床しさを取り除けないというのなら、次世代との間に和を育むことは決して無価値ではない。八大神と遊んだという記憶は、子供が大人になった時、神々に対する態度に変化をもたらすに違いないからだ。
審神の小杖の一件ではカンカンだった夕星が、今や渡人の子供たちとの遊びに興じている。それも首刈が望んだ変化の一つと言えるだろう。
夜刀としても嬉しかった。馬競神事の折、渡人への色眼鏡を諫めた事実を、夕星が素直に受け止めてくれていると感じられたから。
「北風」
「はい、夜刀様」
「渡人はこちらの意向を全て容れてくれたのだから、それには親切で返しなさい」
「親切、ですか?」
「そうよ。今更通した話をいじくり回してひっくり返すなんて、そんなのは神の行いとは言えないわ。快く聞き入れてくれたのだから、その分のお返しすればいいの。物でも金銭でもね。ここは親切で攻める一手よ」
「金銭……。それは買収なのでは?」
「失礼ね。正攻法と言いなさい」
夜刀を絶対と仰ぐ北風にしては珍しく眉を曇らせた。北風は夜刀ほど物や金に慣れていないのだ。北の果てにある白守四方祝神社は大巳輪のような鳥居前町を持たない幽寂な佇まいで、俗世間からは遠く切り離されている。
梟トーテムの象徴は季節と方位、雪と偶発、森と静寂、思考と観察、そして知恵と工夫。お金や物でどうこうするより、知恵を凝らして解決するのが北風のスタイルだ。その象徴に蓄財を持ち、聖性と俗性を併せ持つ夜刀とは根っ子が異なる。その為か、街中の調査局で仕事をする日々は、知らずと北風の負担にもなっていた。
「どうかしたの?」
「あ、いえ」
無意識に耳羽に触れた指を引っ込める。このところ耳羽の羽毛がはらりはらりと雪のように舞い落ちるので、気がかりだった。北風には夜刀のようにお酒で紛らわすような器用さもない。忍び寄るストレス脱毛の危機がそこにあった。
「さて、そろそろ私の用件に移ってもいいかしら?」
気もそぞろなところへ切り出されて、北風は眼鏡の奥の藍色の瞳をパチクリとして見せた。レンズ越しに少し大きく見えるそれは、さながら梟だ。
「愚痴をこぼしに来られたんじゃなかったんですか?」
「勿論それもあったけれど、貴女の愚痴が軽々上を行ってしまったじゃないの」
「それについてはお詫びします。申し訳ありませんでした」
お詫びついでにお酌をすれば、夜刀はフルーティな香りを愉しみながら、クイッと一口に空けた。赤い舌がチロリと白群の唇を上舐めする。
「首刈と阿呼が毎度毎度、帰心矢の如しでベソかいて逃げ戻って来るものだから、この際、誰か一人付けようと思うのよ」
「それなら既に千軽がいるのでは?」
「あの娘は今、北部の草場か丘辺で渡人に付きっきりらしいのよね。そこでなんだけれど、西風とか借りられないかしら?」
「ダメです! あの娘がいなくなったら益々私の羽毛が禿げ上がりますっ」
「あ、そうなの? それはそれで見てみたい気もするけれど……」
北風の目がクワッとなったのを見て、夜刀は口を噤んだ。報告を受けるだけの夜刀と違い、最前線に立つ北風ならではの心労が察っせられた。
「コホン――。それはさておき、誰か適任はいないかしら? 八大でなくとも構わないのだけれど、潦や滴程度の実力は欲しいわね。何せ行く先が赤土の中央高地だもの」
「潦も滴も小さ神の域を超えているじゃないですか」
夜刀の従神、左近の潦と右近の滴は大蛇神だ。従神でありながら、転宮の神域内にある大蛇神社の主祭として祀られている。神名を石砥潦姫命、石穿滴姫命と言って、齢三千年に届く双子神だった。
首刈と気心知れた谷蟇の痲油辺りと比べても、大蛇神とでは大きく力に開きがある。夜刀もいっそのこと左近か右近か、一方を差し向かわすかと考えはしたのだが、身の回りの世話や、社の手入れを考えるとどうにも手放せない。
思い悩む夜刀を目にして、ならばと北風は別案を講じ、探り当てては口にした。
「先代はどうでしょうか」
「先代? 八大の?」
思わぬ方から矢でも飛んできたような顔をして、夜刀は鏡返しに問い返した。
「はい。火群様を始め、真代様もいますし、青海なら須永様に折懸様。野飛は彗星様と妖星様もいます。あとは赤土の千引様ですね。心様の裏の末様は一心同体ですから無理でしょうけど」
「末はそうね。当然、真神からも出せないでしょう。火群は大嶋廻りが終わるまで首刈に会う気はないようだし、真代を行かせようものなら負んぶに抱っこで、それそこ首刈は何もしなくなるでしょうね」
「あ、そんな評価なんですね……」
しかし妙案ではあると、夜刀は残る神々について検討を巡らせた。
引退し、かつ存命の八大となれば実力は折り紙付きだ。どうせすることもなく暇を持て余している連中なのだから、申し入れれば断る理由も持たないだろう。
「須永は無理よね?」
「言わずもがなでしょう。渡人嫌いで知られた須永様と首刈様とでは到底反りが合いません」
須永命は青海一宮の先代で、磯良の母神だ。かつて油を求めた渡人が眷属の鯨を殺戮したことから、渡人に対して止まぬ怒りを抱えている。と実しやかに世上に広まっていた。
「折懸様はどうですか? かなり、その、ゆるいというか……」
「あの娘は若い頃から筋金入りの天然ボケよ。特に陸の仕事は任せられないわ。右へ行きなさいといえば上に舞い上がるような極度の方向音痴だもの」
「となると青海勢は無理そうですね」
青海は当代の母神、曾祖母神、揃って却下。
次いで俎上に上がったのは野飛の先代、速彗星命。また先々代の妖星命だ。
「彗星はありかもしれないわね。真面目で性格も穏やかだわ。あの夕星の母親とは思えないくらいよ」
「そうですね。私も当代だった時期が重なっているので、隣近所で何かとお世話になりました。ただ、あの方は甘やかしが酷いですよ。夕星がああも我儘に育ったのを見ても……」
「確かにね。でも母親ってそういうものではないの? 目張だって貴女たちに相当甘かったじゃない」
「まあ、下の二人には甘々でしたね……。妖星様はどうですか?」
「キツネはノー!」
「バッサリですか。色々と噂は聞いていますけど、夜刀様とは仲がおよろしいのでは? 確か火群様と御三方で会われることも多いとか」
「そうね。私とキツネの仲は悪くはないわよ。寧ろ良好ね。ただ、今回の人選には相応しからぬといったところよね。とにかく悪戯好きなの。あんなのを行かせてご覧なさい。首刈も阿呼も目を回してしまうこと請け合いよ」
「あの、夜刀様。このままでは候補が全滅してしまいますが……」
「困ったわね」
「あと一人、現地赤土の千引様がいます」
「千引はどうなのかしら。千軽が出歩いている以上、宮の守りで忙しいのではないかしらね……。ん?」
「どうかされましたか?」
「閃いたわ」
「さすがです夜刀様」
何をかは問わず、すかさずヨイショする北風。夜刀は笑みを返して金色の蛇目を輝かせた。
「馬宮にしろ波宮にしろ、宮事を先代に任せてしまえば当代が自由になるわ。土宮に千引がいて、千軽が出歩いているのなら、他の宮でもそれは可能でしょう?」
「逆転の発想ですね! そうなると夕星か磯良ということになります」
「磯良は代替わりして十数年。まだまだ宮で学ぶことも多い身だから、ここは夕星がいいのではないかしら?」
「遊んでいますしね。ですが八大招集の折、夕星は首刈様とひと悶着あったのでは?」
「ああ、喧嘩していたわねぇ。でもそれも些細なことよ。夕星も最後には賛同したのだし、あの娘の性格なら尾を引くこともないでしょう」
柴漬けの酸いに口を窄めながら、夜刀は内心、中々の取り合わせではないかと悦に入っていた。
首刈の赤土での難航は力量云々以前に性分があると夜刀は考えている。どこか野性味に欠ける首刈は、やけっぱちに押し出すことはあっても、力不足を言い訳に手を引っ込めてしまうきらいがある。先の会合では準備していただけあって、物怖じせずに発言をしていたが、見知らぬ土地で難儀に遭えばそうも行くまい。
阿呼も放谷も首刈を補する立場である以上、当の首刈が進まねば舵取りを代わってまでとは行かない。そこへ多少、気は散漫とはいえ、行動力に富んだ夕星を添えてやれば最早足踏みすることもなくなる。引き摺り回されるくらいが丁度いいだろう。
首刈と夕星の相性について、夜刀は特に心配していなかった。喧嘩は寧ろいい兆候だ。互いに何に対して怒りを覚えるかを理解したのだから、根っ子の部分では通じ合えただろう。夕星の直情は裏を返せば素直さの表れであり、対して学ぶ姿勢のある首刈もまた素直だ。きっと上手く行くに違いない。
「決まりね」
夜刀は箸を置くと、締めの一杯を気風よく呷って、満足気に舌を震わせた。




