038 是か非か
お待たせ致しました。一五一紀、一五年、風渡月五日。於、水走一宮、大巳輪芽喰神社、御神座にて。九代皇大神こと私、首刈による初の九柱会議開催です。以下、議場座席表となります。
上手上座側から
風渡は鷲トーテムの風声媛。
護解は蛾トーテムの忍火媛。
水走は蛇トーテムの夜刀媛。
黒鉄は蝙蝠トーテムの心媛。
野飛は馬トーテムの夕星。
上座上手側から
白守は梟トーテム、長姉の北風媛。
同じく、三女の南風媛。
続いて下座上手側から
同じく、次女の西風媛。
同じく、末女の東風媛。
下手上座側から
赤土は象トーテムの千軽媛。
真神は狼トーテムの阿呼。
同じく皇大神、首刈。
同じく蜘蛛トーテムの放谷。
青海は鯨トーテムの磯良媛。
ん? 八大神のどっかで「媛」が抜けてる? 気のせいでしょう。大局に影響なしと見て、このまま続けさせて頂きます。
さて、皮きりの言葉にそれぞれの反応を見た私は、流れを切らないように話を継いだ。
「お集まり頂いた皆さんの中で年若い御三方を除けば、凡そ千年前の渡人来航に際して、それぞれが現在の立場に在りました」
夜刀媛、忍火媛、心媛、風声媛、そして白守の四陣風。指摘の神々は動かざる者、ただ頷く者、北風媛は眼鏡のズレを直す素振り。
「私はここへ来る前、渡人の中でも、調査員と呼ばれる人たちと交流の機会を持ちました。そして尋ねました。この千年、神々の渡人に対する態度はどうでしたか? と――。彼らは答えました。取り立てて変化はなかった。五百年前に起こったただ一度の衝突。その前後に於いても大きな違いはなかったように思う。そう言うのです。――不思議です。私にはちょっと分かりません。神々が如何に長命と言っても、千年は十分に長い時間です。その間変化の生じない神々の渡人の関係。それはもう無いようなものなのでは?」
言葉を切って北風媛を見ると何やら考え込む様子。美しい眉間には細く縦皺が通っていた。
「はーい、首刈ちゃん、はいはーい!」
反対側で挙手したのは四陣風の末っ子、東風媛。光の加減で暈繝を描く長い白藍の髪。真っ直ぐに私を見る鮮烈な濃桃色の瞳。
「どうぞ、東風さん」
「ん、あのね? 首刈ちゃんはどうして五百年前に戦争なんて言われる大きな争いが起きたか知ってる?」
「それは、端的に言えば渡人が軍を興して水走と青海に攻め入ろうとしたからです」
「そう。大嶋では縄張りを荒らしたら喧嘩じゃ済まない。けど、他は別にいーんだよ。八大神は八つの封土を預かる立場だから、そこを変に荒らされれば守るし、やり返しもする。飛び火すれば戦なんて騒ぎにもなる。けど、そうじゃなきゃ渡人は渡人で普通に暮らして貰って構わない。でしょ? 獣同士の縄張り争いとおんなじ。そうゆう関係であることの何が問題なの?」
来たよ、これ。この価値観。ほんと動物さん。絶対にこの手の意見は出ると思った。それがのっけから来た。でも、ここが地球と異なる惑星である以上、こうした意見こそ尊重しなくてはいけない。その上で正しいと信じたことを私はする。
「東風さんの言うことは確かに意見の一つとして理解できます。縄張を守ることは大事です。自然界の掟と言っていいでしょう。嶋人はその掟を守り、この大嶋で今日まで神々と二人三脚の暮らしをして来ました。だから嶋人はその意見に共感できると思います。けれど渡人はそうじゃない。渡人と嶋人は違うんです。違うものを放置しておくから問題が生じることになる」
「それは具体的にゆーたら、どぉちごーてんの?」
千軽媛はテーブルに身を乗り出した。斜向かいの南風さんが邪魔そうな顔をしたけれど、私の並びだからこっちを見ようと思ったらそういうポーズにもなる。
「そうですね。神様に会いたくて海を渡って来ちゃうくらいですから、関心事に対する執着はズバ抜けたものがあると思います。例えば嶋人に海の外に出たいという欲求があったとして、果たして西の大陸に辿り着けるかどうか。けれど渡人はそれをやり遂せた。だから大嶋にいるんです。やっとの思いで辿り着いて、なのに神様の対応が塩」
「塩ってなに? 心お塩なんか撒いてないの」
「いえ、素気無くされたとか、袖にされたとか言う意味合いです。執着心の強い彼らにそんな対応をしたらヘソが曲がるのも当然でしょう。誰だってがっかりしますよ。悲しいし、腹も立ちます。恨みにだって思うかもしれない。――それに皆さんの手元にあるお酒。テーブルや椅子。これだけ見ても渡人の生み出す物の恩恵に預かっています。なのに彼ら自体は放って置く。それこそ不自然だとは思いませんか?」
「別に無視はしていませんけれど。わたくしは蛾なので、他の方と違って縄張り意識は皆目ありませんから、好きにさせてはいました。それがいけなかったのでしょうか?」
淡々と言う忍火媛の表情は読めない。好きにさせるのは時として放置と同義だ。そうであれば無視にも繋がる。けれど、ここでそのことを論っても意味はない。
伝説を信じるなら忍火媛は、自らの眷属を犠牲にしてまで大勢の渡人を救った神様。渡人たちは彼女の行いに感謝し、その慈悲を歌い継いでいる。好きにさせていたというのは言葉の綾で、本当はもっと気にかけていたんだろう。その辺りの心情を引き出せればと思うのだけど、如何せん複眼という読み解けない面貌でいらっしゃる。
「そうですね。私が思うに、彼らはもっと積極的に関わりたかったと思いますよ。だったらそうしろと思うかもしれませんが、生まれてこの方、神と触れ合う機会のなかった彼らにはそれができなかったんです。神様と接っすることで何か得られるものもある。そんな欲もあったでしょう。けれど何も満たされないまま無為に時間ばかり過ぎて、神に対する複雑な感情が陰に籠って行ったんです。そこへ新興国による大嶋進出。当時の渡人たちはその勢いに呑み込まれてしまった。ここで考えてみて下さい。想像してみて。もし、その時点で神々と渡人との間に確固たる関係が結べていたとしたら? もしそうならお互いに一致協力して、戦なんていう事態は回避できたかもしれない。そうは思いませんか?」
「そんなの都合のいい想像じゃない。実際に起きたことを頭の中でだけひっくり返したって、どれだけの意味がある訳?」
夕星が不満気に鼻を鳴らした。仰る通りだけど、そこもポイントなのでは? 想像で御業を紡ぐ神様が何故想像することを厭うのか。
「意味はありますよ。想像することが大事なんです。それは相手を慮るということです。過去、どうしていればよかったのかを考えることで、今取るべき対応も見えてきます。寧ろ夕星さん。七百年以上生きてる貴女は想像に任せず体験する機会すらあった筈でしょう? でも今日まで、想像も体験もせずに来たんですよね?」
「何よ、言いがかり吹っ掛けようっての? だったら言わせて貰うけど、問題起こさなければいいってだけのところに、頼まれもしない問題を引き起こしてくれたのは渡人の方よね? 五百年前? 冗談じゃない。今だってそうでしょ!」
「だから今の問題の為に――」
「自分に都合のいい言い回しばっかりするんじゃないわよ。そんなのはね、今連中が起こしてる厄介事を解決してから言いなさいっての。それが始末付きさえすれば、過ぎた話の一つや二つ、馬借に持たせた書状一つで解決するわ」
真逆だ。過去から学んで今をどうにかしようと言っているのに、今が収まれば全て丸く収まると言われてしまった。
「夕星。あんた言いたいこと言うのは構わないけどさ、それが皇大神に対する物言いなの?」
私が二の句を選んでいると、南風さんが空白を埋めてくれた。相手が四桁の神とあってか、夕星は「大嶋廻りの最中なんだから関係ないでしょ」ともごもご言うに留まった。
「今の話には頷ける部分もあります。確かに、問題を起こした側という罰則は重くて当然ですし、現行の問題があることも事実です。ただその前に、私たちは私たちが神であることに目を向ける必要があるんじゃないでしょうか? 私たちは星霊から人類を導くことを託されたんですよね? だったらもっと大所高所に立って物事を見渡す必要がある筈で、その為には過去を見つめ直す必要だってあるんです」
「和主、随分と渡人について語るではないか。それらの識見は母御世の受け売りか? 年若くして得られるものではあるまい。さもなくば海外奇談の類か?」
言霊の神、風声媛が痛い所を突いて来た。夜刀媛には既に地球感覚というネタが割れているけど、ここでそれを言うのは憚られる。まだ阿呼にも放谷にも言ってないことだし。どうしよう?
「お姉ちゃ……皇大神は舶来のことにとっても詳しいんです。渡人の子孫のレブさんも関心するくらいの知識です。だから、ちゃんと正しいことを言ってます」
「ふむ、しかしその知識の元は――」
「ちゃんと正しいことを言ってますっ」
「……うむ。そうか」
生後半年の阿呼が四千年近く生きる風声媛を幼女パワーで黙らせた。ナイス援護射撃! で、こっちはヒヤヒヤしたっていうのに、夜刀媛はニヤニヤしてらっしゃると。分かっていたけど本気で支援する気がないね。
「あの、わたくしも質問をしてよろしいでしょうか?」
「はい、忍火さん。どうぞ」
「首刈様は渡人を放置するから問題が生じると仰いましたけれど、放置するなということであれば何をせよというお話なのでしょうか? 何かなさりたいことがあって、それについて八大の同意と協力を得られたい。左様な趣旨かと思います。一体、わたくしたちに何を期待されているのでしょう?」
ふむふむ。ここで私のやりたいことを述べれば話は自ずと次の段階へ進む。その点で忍火媛のこの質問は渡りに船だ。質問して来る以上は興味もあるんだろうし、流れ的にも悪くない。
「渡人の問題に関して、私が導き出した解はこうです。――渡人を大嶋の一員として受け入れること。私たちが嶋人と接するように、渡人とも接すること。その為には先ず、渡人を知ることです。同じ人間でも嶋人と渡人では価値観や判断基準が大きく異なります。縄張り争いにならなければいいと言ますけど、審神の小杖や渡人による霊塊の回収は既に神々の領分を侵してませんか? 国という枠組みを持つ渡人にとって、縄張り争いはそのまんま戦争を意味します。将来的な危険を回避する為にも、もっときちんと交流して、互いを理解し合う必要があると思います」
「だーかーら! その手の話をする前に今のことはどうなのよ?」
「勿論対処します。話しの順序として後回しになってますけど、放って置くつもりは毛頭ありません」
「あっそ。なら続けて頂戴。楽しみに待ってるから」
「ほんで? 具体的にはどーす気なん?」
「はい。神々と嶋人が価値観を共有できているなら、時間をかけることで渡人とも同じことが可能だと私は思います。これまでは縄張り争いさえ起こさなければいいと放置して来た渡人ですが、お互い無理解のままでいれば、いつまた戦争が起きないとも限りません。夕星さんの指摘通り、今では審神の小杖なんていう代物まで出回ってます。霊塊の一部は星霊具を作るのに利用されているという話ですが、それだってどんな道具かは調べる必要があります。ですから皆さん。もう彼らを放って置くのは止めましょう。今更だろうとなんだろうと、この機に双方の主張や要望を突き合わせて、時には折り合いを付け、必要なら新しいルールも作る。何より渡人を大嶋の一員として迎えるには歩み寄りが大切です」
「おっかしいでしょ、そんなの」
「あんた待つって言ってから五分も経ってないじゃん」
「うるさいな。南風さんは黙っててよっ」
また夕星が噛み付いてきた。面白くないという心底がありありと窺える。
南風さん曰く、青海の先代に引き摺られて渡人嫌いの夕星。しかも直近に審神の小杖による被害を受けていて、今現在最も渡人を目の敵にしいている神が彼女だ。
「おかしい、と言うのはどの辺がでしょうか?」
「だから順序よ! 先に落とし前を着けさせなさいって言ってるの。貴女、馬宮衆を好き勝手に使ってるんだから分かってるでしょ!? 少なくともうちの従神から盗んだ物を返して貰わないとね。話はそれからよっ」
当たり前じゃない、と言うだけ言って夕星はそっぽを向いてしまった。
でもそうだよね。言ってることはよく分かるし、正しいと思う。いや、間違いなく正しい。私が石楠さんに色々と任せてることも快く思っていないのだろう。これは私がよくなかった。阿呼を突き飛ばしたのは許せないけど、あれも元を辿れば私への不満が原因……。そういうことになるのかな。言い訳するつもりはないけど、石楠さんのことについてはこの会合を機に事後でも承諾を得るつもりでいた。でも、のっけから妹を突き飛ばされて、その機会はフイになってしまったのだ。
ここで素直に謝ってしまおう。
そう思って口を開きかけたら上座側で手が挙がった。長らく眉間に皺して、口を真一文字に結んでいた北風媛から無言の挙手。
うわー、怖い。先に夕星に謝っちゃいたかったけど、気付いちゃったんだから仕方ない。緊張を隠しつつ、どうぞと発言を促すと、北風媛はフレームに手を添えて眼鏡のズレを直した。できる女がよくやる所作だ。
「ここまで黙ってお話を伺って来ましたが、概ねお話は理解しました。思う所はありますが、決して悪くないお話だとも思います。ですかそれ以前に、皇大神も南風も一体何を考えているのですか?」
叱責の響きに私も南風さんもギョッとした。
え? なんで怒ってるのこの人。意見が違うにしても怒る必要なくない? ひょっとしてずっと怒ってたの? でもそれじゃ言いたいことも言えなくなっちゃう。そんなのは困る。
「渡人と接触。それも問題が多いとされる調査員と。更には馬宮の主祭に無断で馬宮衆を使う。……南風」
「え、あたし?」
姉神の冷たい視線にたじろぐ南風さん。やはり姉は強し、か。我が家は比較的妹が強いですけどね……。
「貴女は何故、危険を予測し得る場所に皇大神を連れ出したりしたの? しかも私に報告すらない」
「いや、だってそれは――」
「待って下さい。南風さんは私に従って同行してくれただけで――」
「そこが問題なのです。首刈様は皇大神としての、南風は八大神のとしての立場を全く弁えていないということです」
言葉に詰まった。多分図星だ。だから今もどう反応していいのかが分からない。そうなると視線は無意識に味方を求めた。けれど、誰も口を挟む気配はない。孤立無援――。
「そんな言い方はないだろー」
沈黙を破ったのは耳馴染みの声だった。思ってもみなかったことに席を立ったのは放谷。見れば怒ってはいないけれど笑ってもいない。これはできる放谷だろうか? 北風媛だけではなく、全員を見回して放谷は続けた。
「今はまだ大嶋廻りなんだぞー? これから八つの土地と八大宮を回って、誰でもない、あんたたちから色々教わって行くんだー。首刈が分かってないって言うならそうさー。でもそう思うんなら文句ばっかりじゃダメだー。教えてやればいーじゃないかー。それが八大神の務めだろー?」
そうだ、そうだよ。放谷の言う通り。私は心の中で拍手喝采を送った。教えを乞う立場で召集をかけたことはこの際棚上げしてしまおう。眼鏡媛なんか怖くないぞ!
「それはそうね」
蜘蛛の糸を掴んだところへ夜刀媛が割って入った。夜刀媛は北風媛に一旦発言を控えるように言って、そのまま場を引き受ける。
指甲套が硝子の酒杯を軽く弾けば、澄んだ音がテーブルの上を流れて燭台の灯を揺らめかせた。それを合図に私も放谷も椅子に腰を落ち着け、成り行きを見守る態勢へ。
「今のは放谷、貴女の言うことが正しいわ。確かに北風の言う通り、皇大神をただ渡人に会わせてしまった点には問題もあるでしょう。ただしそれも、南風の報告は私に入っていたのよ。北風には白守のことを優先するよう言った筈。その点は取り違えのないように」
北風媛は黙って首肯した。夜刀媛は赤々とした葡萄酒を呷り、空けた酒杯を静かに置いた。
要は、と語る夜刀媛の話は、私と南風さんの認識の甘さを白日の下に晒すものだった。
皇大神が行くと言えば八大神が従うのは当たり前で「ダメならダメって言ってよ」と思うのは私の甘え。一方、大嶋廻りも終えていない皇大神に引き摺られる南風さんも、諫め役としての用を成していない。お互いに中途半端で、責任の所在が不明確なのだ。
ただ、事実は私がゴリ押しした結果であって、私としては南風さんに対する申し訳ない気持ちで一杯だった。大好きな夜刀媛から公然と駄目出しをされた心情は如何ばかりか――。チラリと窺えば南風さんは肩口に両掌を突き上げ、お道化た調子で返してくれた。私はその心遣いがとても嬉しかった。
やがて夜刀媛の話に区切りが付くと、再び北風媛が後を継いで話し始める。
「皇大神は八大神がおしなべて渡人に無関心とお思いのようですが、それは誤解です。我々四陣風は先代、即ち首刈様の母君の大嶋廻りを見守ることで西の大陸を見て来ました。ですから大嶋との違いも少なからず理解はしています。だからこそ動向を見守っていたのです。そんな中で、不意に切り込むような真似をなさって、そこで万一、ご自身の波長を盗まれるような事態にでもなれば、一体どうなさるおつもりだったのですか?」
御説御尤もである。
お母さんの旅路を見守って西の大陸にまで行ったと言われては耳を傾けざるを得ない。けれどもまだだ。まだ足りない。
「それは、仰る通りで、反省しますとしか言いようがありません。以後、重々気を付けます。それとは別にお尋ねしますけど、渡人の動向を見守っていたということは、盗まれた波長がどう用いられるか、北風さんには分かっているということでしょうか?」
「いいえ、そうではありません。ですが予測はしています」
「だったらその予測を聞かせてはくれませんか?」
現状、神の波長が盗まれたのは直近だと馬宮の例しかない。よって、審神の小杖から派生し得る成果物は幸いにして未だないそうだ。北風媛の予測とは、渡人が星霊研究の成果として星霊具を生み出した実績にその繋がりを見るものだった。
「神の波長を研究した先には、恐らく、神宝に等しい星霊具という成果が求められていると、私はそう考えています」
この発言には控え目ながらも場にどよめきが起こった。そして北風媛の斜向かいで鷲神が腕を組み直す。
「いや待て北風。それには無理があろう。話の筋として分からぬではないが、その為に注ぎ込む星霊は神であるが故に賄えるものだぞ?」
「無論、一朝にして成ることではないでしょう。ですが理論が立てば他は後から考えればいいこと。例えば霊塊の利用は不足する星霊の補填になるのでは?」
「むぅ、霊塊か……」
論を砕いたつもりの風声媛が一転、難しい顔をして黙り込む。ともあれ北風媛は言葉通り、渡人を無視してはいなかった。そのこと自体は私にとって歓迎すべき事実だ。良し悪しは別としても、興味を持って注視していたのだから。
「分かりました。確かに北風さんの言われるような状況で、私の波長を盗られるのは問題がありますね。軽率でした。ごめんなさい」
ここは謝罪あるのみだ。
私、阿呼、放谷、南風さんと、渡人の側がその気なら誰か一人を的に掛ければいいという鴨葱な状況を作ったのだから、猛省すべしである。
無論、渡人に好き勝手を許す面子ではない。防ぐには防げたと思う。けれど、そうなると今度はあの日成し得た成果は幻となり、それどころか互いの溝を深める結果となったに違いない。反省すべきは素直にして、されどここで持論を引っ込める気もない。
「でも、だからこそもっと胸襟を開いて渡人と話し合う必要があると思うんです。私は今、渡人が霊塊や審神の小杖をどんな用途で用いる気なのかを、当の渡人たちに調べて貰ってます。それが神々の、ひいては大嶋の不利益とならない内容なら、仮に神宝に等しい星霊具が作られたとしても問題にはならないんじゃないでしょうか?」
「いえ、それには大いに問題があります」
「えっ? どうしてですか?」
ピシャリと言われて浮足立つ。
異を唱えたのは最年少の磯良媛。彼女の言葉にほぼ全員が頷いて見せた。例外は葡萄酒に心奪われている心媛だけ。この人さっきからこうだけど、話聞いてるのかな……。
「神宝に等しい品を人が創れる。それはこれまでの神宝にまつわる伝承を大きく塗り替えてしまいます。例えこの場に居合わせる神々のそれに及ばないとしても、小さ神のそれにはどうでしょうか。万が一ともなれば信仰への揺らぎが生じることは防げないでしょう。――神は神、人は人。手を取り合うべき間柄であっても、冒さざる領分というものは確かに存在するのです」
本当にその通りですね。深く考えない私は本当にどうしようもない皇大神です。このツッコミを予期できない自分にはかなり凹んだ。そうだよ、渡人がじゃんじゃか神宝を作ったら神様商売上がったりだったよ!
「確かに磯良の言う通りです。けれど、その辺も含めて渡人と話し合えばいいのでは?」
私が己の間抜けさと言うか、能天気さを責めている最中、風向きを変えたのは西風媛だった。
「皇大神が仰りたいことは、第一に、これまで渡人を見るとはなしに見ていただけの我々に態度を改めなさいということです。そして彼らと対話し、彼らを知り、我々を知って貰う。それによって過去に起きたような争いの再発を抑止しようという訳でしょう? 西風はいいことだと思いますよ。何処にも反論の必要を感じません。神宝云々はあくまでも予測線上の話ですから、現時点では皇大神が掲げる主題を阻むものではないでしょう。西風はそのように考えます」
「せやな、うちも大方賛成や。話し合うたらえーやん。渡人は霊塊の化けもん向こうに回してよーやる。これは嶋人にはでけへんことや。――赤土は今難儀しとる。うちは上手いこと話し合うて、連中呼ばれへんかなぁ思っててん。神宝のことがホンマやったら、創らんでくれぇゆーたらえーやん。入用やっちゅうならうちらの方でこさえたるぅゆーてみたらどうなん? ほんなら反って伝承かて増えるんとちゃうの?」
話を整理した上で賛成してくれた西風媛。対して、何やら色々と新たな話題を盛り込んで来た千軽媛。
赤土に渡人を招く? 霊塊の化け者と戦えるから? 渡人を戦力として欲しがるほど赤土の星霊崩れは酷い状況なのだろうか。
いや待って。千軽媛の中で霊塊の扱いはどうなってるの? 南風さんは渡人の化け物退治には反対の立場だ。それは霊塊が穢れだからで、神の手で浄化したいと言っていた。千軽媛の話は浄化云々には一切触れていない。その辺りも個々に意見が割れるということなのか――。
思わず目を向けたら、南風さんはわざとらしく目を回して見せた。お道化てないでフォローしてよ、と軽く睨めば、南風さんはやれやれと重い腰を上げて切り出した。
「千軽はちょっと先走り過ぎ。今は渡人との対話の是非でしょ? あたしは賛成。首刈ちゃんの言い分を通した方が色々と手っ取り早いもんね。渡人の大半は、少なくとも例の戦以降お行儀よく暮らしてる。そこにこっちから歩み寄れば、足並み揃えて一部の問題児に対処できるんじゃない? てゆーか、対話すること自体反対だって人いるの?」
南風さんはここで決を求めるような舵取りをした。場は水を打ったように静まって、誰も何も言わない。便りがないのはいい報せってことでいいのかな?
「夕星、あんたは反対じゃないの?」
「えっ、なんで私が!? 私は落とし前が先って言ってるだけだよっ。そこが逆なら絶対反対。断固反対なんだからねっ」
否定から入った夕星は私を見ながら反対を連呼した。忙しい神様だなぁ。でもどうやら対話そのものには反対ではないらしい。夜刀媛が何やら含み笑いを見せたのは気になったけれど、私はいい潮目と見て、この機に夕星に謝っておくことにした。
「審神の小杖の件は私の方で対処します。勝手に馬宮衆の石楠さんに協力して貰ったことは謝ります。ごめんなさい」
「別に、謝らなくったっていいよっ。小杖さえ取り戻してくれれば」
何故か耳をピコピコ動かしながら酒杯を呷ってそっぽを向く夕星。照れてるような仕草がちょっと可愛い。
「それでは特に反対もないようなので、渡人とは対話を進めて行くという方向でいいでしょうか?」
「承認するだけであれば儂は構わん」
「承認するだけ、ですか? まあ現状はそれでも構いませんけれど、行く行くは風声さんにも参加して貰わないと困りますよ」
「ならば渡人どもを風渡に来させるがいい。こちらから出向くのは御免被る」
難しい注文をする人だな。風渡は水走の隣りだけど、風声媛の住まう雲居大社は東の果てじゃないか。まあ会う気があるだけマシなのかな。
「他は皆さんどうでしょう? 何か意見はありますか?」
「基本的には賛同します。ですが時期尚早ではないでしょうか。私の意見としましては、皇大神には何よりも先ず、大嶋廻りを終えて頂きたいと思います。この話、それからでも決して遅くないのでは?」
「私もそれに賛成。北風姉の言う通りだよ。首刈ちゃんのしたいことは分かった。話し合いもいいんじゃない? でも、だからって急ぐ必要なんてないと思う。普通に考えたら大嶋廻りが先でしょ」
北風媛と東風媛の見解が一致すると、風声媛も同意とばかりに頷いた。
しかし私にとっては都合が悪い。既にジーノスたちと動き始めてる私は先走り過ぎという評価に落ち着いてしまう。その評価に甘んじれば、いいように遣り込められてしまうだろう。否だ。ここは断じて受け入れられない。
「大嶋廻りが先というご意見ですが、私は敢えて反論します。急ぐ必要はない。本当にそうでしょうか? 百年どころか千年万年と生きる皆さんの感覚ではそうかもしれません。けれど人間である渡人にその感覚の共有を強いることは、私は身勝手だと思います。この件を前向きに検討するには、もっと渡人本位な考え方が必要です。彼らから無駄に時間を奪わないで下さい」
短い生涯を終えた私だから分かる。原始人ならいざ知らず、文明人である嶋人や渡人にとって時間の問題は切実だ。動物は与えられた生に忠実だけど、人間は生きることよりも生甲斐に人生を賭す。そして往々にして夢半ばで終わりを迎える。だからこそ死を恐れるんだ。反面、人は生甲斐の為なら死ねるし、生甲斐を失っても死ぬ。目標達成までの有限な時間との戦い。それが人生の正体だと私は思う。
「阿呼もお姉ちゃ……皇大神に賛成です。後回しにしても、よくなることはないって思います」
「そうだなー。なんたってもう千年無駄遣いしてるんだもんなー」
そう。阿呼の言う通り、明日から頑張るじゃダメなんだよ。そして放谷。千年の無駄遣いとは言い得て妙だね。
二人の支援を受けて見回せば、時期尚早と断じた三柱も改めて考え込む様子。そして、幾人かは何一つ見解を述べない夜刀媛の様子を窺っていた。
「どうして私を見るのかしら?」
「そら黙って置物やっとったらそうもなるやろ」
「失礼ね。私はさっき話したじゃないの。――ちょっと心」
「ん? 心を呼んだ?」
「ええ、そうよ。貴女こそ酒浸りで碌に話してないじゃないの。今からでも何か言いなさい」
確かに心媛には敢えて触れないという空気が存在していたのも事実。
夜刀媛に促された心媛は帯に挟んだ布袋を無造作に抜いて、中から一本の筆を取り出した。そして筆先を酒杯に残った葡萄酒に浸し、宙に筆を走らせる。
流れる筆は画数を追わせず、まるでそこに半紙があるかのように空間に筆を結ぶ。赤茶けた文字は楓露。それが滲むと、色の抜けた文字の中に命溢れるこの星の姿が映し出された。
「世の中には様々な生き物がいて、それぞれに寿命が決まっているの。皇ちゃんはそれを神と比べてどうするの? 心は渡人の時間なんか奪ったりしない。血を吸わせてくれるなら遠慮しないけど、時間なら間に合ってる」
「いえ、そういうことじゃないです。今の問題に直面しているのは今の世代の渡人たちです。その彼らと話さずに、心さんは誰と話をするんですか?」
「人間は鳥や獣と違って遺志を受け継ぐでしょ。なら次の世代と話すことになんの不都合があるの?」
「それは、でも、今こじれているものを先送りにして得するこっとあります?」
「損得の話だったの?」
「違いますよ。ただ、人の存在は星霊にも神々にも大きなものじゃないですか。星霊は人の想いから伝承を生んで、神々は伝承と関わって信仰を深めたりするんでしょ? 早めに手を打つことは正しいことだと思いませんか?」
「そんなのは片手落ち。星霊は人類を危ぶんで神を創ったの」
「そ、そうだけど。でも過度な文明の発展を除けば――」
「いいの。心には分かってる。皇ちゃんは自分が正しいと信じたことを口にしただけ。でも心は損得も正論もいらない。大事なのは生存。寄生も托卵も共食いも子殺しも、それが生きる為なら楓露は受け入れる。皇ちゃんのお話は、渡人の生存に必要なこと? 心はまだそれを聞いてない」
心媛はビリヤードのように私の言葉をポケットに沈めた。
正論じゃなくて生存? いや、丸っきり分からないとは言わない。今日までこの世界を見てきて、狩ることも、狩られることも、そこに是非善悪はなくて、あるのはただ、生きるということ。獲物を平らげて生きる。捕食者から逃げて生き延びる。でもその単純明快な枠組みに人類を押し込めたりはできない。
正直、私はまだこの世界について知らないことが多過ぎる。詳しくないどころか、その根本原理さえ分かってない。そんな私に心媛は教えてくれた。地球の価値観ではなく、楓露の価値観で話せと。
「生存は、はい。大事です、勿論。私の言葉が、皆さんには渡人に傾注し過ぎているというのも分かります。でもそうじゃないんです。言い直したりはしません。その代わり付け足します。――人も獣も生きる為に必要なものがあります。それ無くしては生きた心地がしないもの。それは景色です。蝙蝠なら夕闇や洞窟。鷲なら高い木の梢。馬は草原。梟なら木の洞の中。鯨は広大な海。象は草木の生い茂る大地。蛾は葉陰や光の窓辺。蛇なら岩陰や藪の中。どれも居心地のいい場所ですよね? 狼は森に、嶋人は里山に暮らして、みんな景色の中に溶け込んでいます。――渡人は大嶋に来て街を築きました。それは彼ら自身が、大嶋の景色に溶け込もうとした努力の証です。でも居心地の方はどうでしょう? 彼ら自身に聞けば分かります。私は聞きました。どこか余所者のように浮いていて、過去のいざこざから決していい心地とは言えないようです。この土地に希望を抱いて来た彼らに、居心地のよさを感じて貰いたいと思うのは間違いでしょうか? 私たちの自慢の大嶋を、いい場所だと胸を張って言いたくはないですか? 私は言いたいです。そして分かち合いたい。それができて初めて、渡人は大嶋で生きることの意味を知るんだと思います」
生きる為に必要な景色があるというのが私の持論だ。それは見出すもの。築き上げるもの。でも時には与えられなければ得られないこともある。神ならばそれをしてもいいのではないか。ただ与えるのではなく、大嶋のあり方も学んで貰う。そうして互いの居心地がよくなれば、必ずよりよい未来が開ける筈だ。
「渡人の血は赤いの」
浮いた間に落とし込むような心媛の呟き。その両手がテーブルをバンッと叩けば、隣りの夕星が椅子ごと距離を取って顔を顰めた。
「心は皇ちゃんに賛成。渡人も嶋人も血は赤いの。同じように味わえって言う皇ちゃんは正しい」
「誰もそんなこと言ってませんよね?」
「そうなの?」
そうだよ。小首を傾げられても困る。
「皇ちゃん」
「はい」
「皇ちゃんに黒鉄の金鉱を一つあげる」
「はい?」
唐突過ぎてなんの話か分からない。
「渡人の調査員に伝手があるんでしょ?」
「はい」
「金塊を使って渡人が集めた霊塊を全部買って頂戴」
「え、それはどういう?」
「バカなの?」
「……はい」
いや、否定したいけど煙に巻くような話し運びにちょっと付いて行けない。
黒鉄は鉱脈鉱床の豊かな土地だ。心媛が治める金堀宮が金鉱脈一つをポンと出せる事実に驚きはない。けれど、それで霊塊を買い占めろとは……。
「おバカさんな皇ちゃん、よく聞いて」
「はい」
満座で私のバカが確定しました。
「心はお見通し。話し合いを進める間にも、渡人の手で霊塊や小杖がどう使われるか、とっても気掛かりね?」
「はい、そうなんです。だから今日の話がまとまれば、霊塊と小杖の活用法の調査を進めて行く予定です」
私の答えを聞きながら、心媛は夜刀媛に酒杯を向けた。色のない唇に酒杯が触れると、一瞬、乱杭歯の狭間にぬらりと光る鋭い牙。
「大筋がまとまるまで霊塊を買い占めれば後は小杖の心配だけでしょ?」
「ですね」
「だから金鉱をあげるの。金を掘るのにも渡人を雇えばいいでしょ? ついでに渡人の技術を黒鉄の金堀師たちに教えてくれれば心も嬉しい」
なるほど、黒鉄の側にも旨味のあるウィン-ウィンな提案ということか。金鉱が手に入れば頭を悩ませていたジーノスたちの調査費用も捻出できる。こりほどありがたい話もない。ただ、買い取った後の霊塊の扱いに関しては気がかりがあった。
「あの、それってとっても嬉しい提案なんですけど、買い占めた霊塊はやっぱり浄化しちゃいますか? 信用できる渡人には売り渡しても?」
「そんなのはみんなで決めて。心はどっちでもいいから」
「え、どっちでもいいの?」
チラッと見れば南風さんは小難しい顔をしている。以前、そう口にしていた通り、南風さんとしては浄化してしまいたいのだろう。
「なぁなぁ、その金、赤土で渡人雇うんにも回してくれへんかなぁ」
千軽媛の言葉が更に場を揺さぶった。
霊塊は浄化すべきなのか、換金譲渡してもいいものなのか。この点が明確でないことには、この先の話し運びにも一考を要する――。
「はいはい。この辺りで一度休憩を挟みましょう。余り根を詰めるのもよくないわ」
夜刀媛の発した鶴の一声で、場は暫時解散となった。私にしても頭の整理がしたかったので好都合だ。
三々五々、御神座を離れて行く八大神。その姿を見送りつつ、私たちも昨夜間借りした一室へと移動した。掴みかけた希望を胸に、さて、後半をどう乗り切りますか。




