002 大神になった!?
作中での主人公は皇大神になります。
神道と同じで、神様も神社も色んな呼ばれ方をします。
また、ルビを振っていない箇所は自由にアテ読みして下さい。
夕方。雷声が轟いた。
やがて、パタパタと大きな雨粒が軒を叩き、瞬く間に滂沱の雨。
さっきまで夏の盛りの蝉時雨を楽しみながら境内を散策していた私は、摂社の庇を借りて雨宿り。
(みんなは長床かな。濡れ鼠になってなきゃいいけど)
近頃の私たちはすっかり狩りも上達して、家族団欒の時間も徐々に短くなっていた。この分なら巣立も近そうだ。
肩に落ちた雨滴を舐めとりながら、そんなことを考えて、私はずらり居並ぶ摂社を見渡した。いずれも一間流造。全部で八棟。更に先を見れば鳥居まで小さな祠が数知れず並んでいる。
摂社も祠も注連縄の奥に神額が掛かっていて、社には文字が、祠には生き物の絵が刻まれていた。気になるのは文字の方。いずれも二文字。「水走」「護解」「青海」「赤土」「野飛」「風渡」「黒鉄」「白守」と記されている。読み方は分からない。狩場の草原に出る所の大鳥居にも神額があって、そこには「真神大宮」と刻まれていた。
(なんだろうね。ひょっとしたら、あの宇宙で見た鳥居の二文字も、その内どっかで出てくるのかな?)
胸の内に独り言ちて、何となくこれまでを振り返ってみる。
(まあなんにしても死んで終わりじゃなかったのは幸運だ。今度の家族も負けず劣らず仲いいし――。あ、狼の寿命ってどのくらいかなぁ? 前世よりは長生きできそう? 犬だと二十年は行くけど、野生の狼と飼い犬とじゃ比べる意味もないのかな)
前世を短命に終えた反動で、ついそんなことを思ってしまう。今のところ兄妹揃って健康優良児だから別段心配している訳でもないのに。
平穏で、幸せで、満ち足りでいる。そう思った。
そんな中で一つだけ残念に思うのは歌のこと。狼の身の上では鼻唄すら満足に奏でられない。勿論心の中では歌えるし歌っている。けれど歌は声に出してこそ、誰かに聴いて貰ってこそ。
こんな風に雨が降れば「あめあめ ふれふれ 母さんが」と自然と歌い出すものだけど、それを実際にやろうとすると「あうあうあー、あうあー、あおーん」てなもんである。おわかり頂けるだろうか、この悲哀。
私には景色と歌とを繋げて捉える癖がある。これだけ美しい眺めの中にあって、歌うことのできない現状は悲しくも寂しくもあった。日向の縁側に腰掛けて、母の鼻唄に合わせて歌った日々のなんと懐かしいことか。
一方で吠えには別の楽しさがあった。兄妹五頭が揃うと決まって遠吠えや長吠えの練習をする。妹は上ずった声で「あぁ~~」と鳴くので、よく三兄弟にからかわれていた。私は可愛いと思ったけどね。
私? 私は勿論美声だ。自負もある。歌い上げるような遠吠えも、兄妹と唱和する長吠えも、両親にだって引けを取らないつもり。
(これは将来モテモテになるね。ふふん)
悦に入って鼻を鳴らすと、頭の上に雨蛙が飛び乗ってきた。驚きはしない。私は前世の折から苦手な生き物がほとんどない。寧ろネイチャー番組を見漁っていたくらいだから生き物全般が大好き。蛙が頭に乗る程度は平気の平左だ。
なんにせよ境内の中だけを見ても本当に命溢れる環境。鳥も獣も虫たちも、このゆったりとした自然の中で長閑な暮らしを楽しんでいた。
(こんな風に穏やかに生きていけるなら、生まれ変わりも悪くはないな。問題は巣立ちの後だよ。まあ狼は群の生き物だからずっと家族と一緒かもしれないけど。正直何を目標にすればいいのかが分からない。人間と違って特定の職業を目指すこともないし、生きることそのものが仕事だもんね。でも折角転生したんだからなんかこう、これって言う目的が欲しいなあ)
人の暮らしに未練がないと言えば嘘になる。けれど獣に生まれたら生まれたで、その辺を突き詰めて考える暇もない。人間だった頃は動物の自由さを羨んだりもしたけれど、狼は狼でこれが中々に忙しい。思うことはただ一つ。狼としてどう生きたら満足できるのか、ということ。
(お、雨止んでた)
考え事をしてる内に通り雨も行き過ぎて、頭の上の雨蛙がピョンと下生えに姿を消した。私は庇の陰からのっそり抜け出し、一つ大きく伸びを打った。それからおまけの欠伸を噛み殺して、家族の待つ長床へ。
***
夜、変化があった。
初めて目にする同族たちが境内に集まって来たのだ。その数たるや百や二百ではきかず、明らかに複数の群が一堂に会している。
見上げれば夜空に蒼々と輝く真円の月。やがて、何かの儀式のように遠吠え大会が始まって、境内はこの上なく賑やかになった。
(急にぞろぞろ集まって来たけど何これ? 何この盛り上がり? 狼流の納涼大会か何かなのかな?)
両親は私たち兄弟を長床の際に並べ、自らは大勢の輪に加わった。どうやら輪の中心で挨拶を交わしているようだ。すると私の両親は複数の群の上に立つ大物ってことに?
降る月の光に照らされて、お母さんの白い毛並みが淡い輝きを放っていた。奇麗だなぁ。と眩しく思いながら見つめていると、そろりそろりと睡魔が忍び寄ってきて、欠伸をした拍子に漏れる上ずり声。私は重くなった瞼と戦おうともせず、段々と眠りの淵へ沈んで行った。
そうしてどれくらい微睡んでいただろう。薄っすらと開いた瞼の向こうで、狼たちが三々五々散って行くのが見えた。去り際、何故か私たちの方にお辞儀をするように首を垂れるのが不思議で、なんの意味があるのかしらんと小首を傾げてしまった。
(宴も酣。夏祭りもお終いかぁ……ふわぁ)
ならばもう一寝入りと、横並びに寝こける兄弟姉妹に体を預けてむにゃむにゃむにゃ。夢見心地に彷徨う意識は刹那、夜気を震わす遠吠えによって叩き起こされた。
(ほわっ!?)
ピンと耳を立てて首をもたげる。安定の抱き枕になっていた妹もムクリと起き出して、耳をひょこひょこさせながら辺りを窺った。
既に境内には一家の他は誰もいない。両親は長床前で向き合っていて、お月様を仰ぎながら一声、一声、交互に伸びやかな遠吠えを繰り返している。
何かが始まる予感がした。
(でも何が始まるの? ちょっと転生もののお約束的に考えてみようか。普通はのっけからチート能力貰って行ってらっしゃいパターンだけど、物語の本番は適齢期まですっ飛ばしてから始まるのが多いよね。体もできてきて狩も覚えた私ってその点ドンピシャじゃない? お約束展開ならここらでドカンと何かが始まっちゃったりしそうだけど)
などと考えていたら本当におかしなことが起こり始めた。
なんということでしょう! 両親の前にそれまではなかった大きな大きな輪っかが現れたのです。私は思わず二度見したね。
(おお、私あれ知ってる。神社にある輪っかだ。茅の輪……だよね?)
初詣やお祭りに行った先でよく見かける茅の輪。それが何故、忽然と現れたのかは分からない。人間の頃より可動域の広がった首をいくら捻っても謎だ。同じように首を傾げる兄妹たち。余りにも傾げ過ぎて五頭仲良くドミノ倒しに転がった。
しかし両親の遠吠えが終わると私たちを襲った衝撃は更に上塗りされた。なんと茅の輪が淡く輝き始めたのだ。
(え……、この若草色の光って)
私は思い出した。天の川を駆け抜けたあの光の帯。あのエメラルドの輝きに包まれた柔らかな温もりを。
どうやら私の身に起きた摩訶不思議にはまだ続きがあるようだ。人としての生涯を終え、魂となって宇宙を彷徨ったのが一段目。狼に生まれ変わったのが二段目。そして今、目の前で起きようとしている何かが三段落ちの三段目。どうもそういうことらしい。
同時に確信する。これは輪廻転生なんかじゃない。やっぱり異世界転生だったんだ、と。
(こんなオカルト、地球なら例え時代が違ってもありっこない。どんなに日本に似てても、ここは私の知らない世界なんだ)
両親は光る茅の輪の向こうに座り、私たちを見据えていた。数瞬の間が生まれ、二親と兄妹の狭間に静寂が漂う。
次に何が起こるかと固唾を飲んで見守っていると、両親は足並みを揃え、ゆっくりと茅の輪を潜り始めた。
夫婦寄り添って、一歩一歩。
左に回ってまた潜り、右に回って三回目。
再び左に回り始めたところで茅の輪が綴じる円い空間に、今度は青白く波打つ光の幕が下りた。
(奇麗――。でも、何て光景だろう)
私はただ見入った。兄妹たちも静かだった。
十の瞳が見守る中、両親は最後のを締め括る四度目の茅の輪潜りに踏み出す。光の幕を、通り過ぎる。
(……え?)
最初、私はお父さんたちが後足で立ち上がったのかと思った。けれども違った。輝く水面のような幕を通って姿を現したのは、白く清い装束に身を包んだ一対の男女。さっきまで狼だった両親は、突如人の姿になってしまったのだ。
(ふぁー!!?)
兄妹五頭、打ち揃って仰け反った。そりゃそうなる。初めて見る人間に驚く四頭と、眼前で繰り広げられたオカルトに仰天する一頭。
私は現れた男女の頭上に、ちょこなんと鎮座まします獣の耳を見た。ナチュラルに二度見してしまった。尻尾もある。でもそれ以前の問題だ。
一体全体どうしてこんな展開になっているのか。硬直状態の私たちに向かって、白い狩衣を纏った総髪の男性が手招きをした。
お父さん、なのだろう。鼻に頼ってそう判じると、下りて行った先で殊の外若く美男子なお父さんが、優しげな笑みを浮かべて迎えてくれた。
お母さんは一際美しい。余りの美しさに溜息が漏れる。地に触れるほど長い下げ髪も肌も、白々《しらじら》とお空のお月様を映したよう。伏目がちな瞳の奥には、深い深い真朱の輝きが潜んでいて、その白らかな三ツ小袖の細長姿は、見る者によっては感嘆よりも畏れが先に立つだろう。
「こちらへ」
仕草ではなく言葉に促されて、私は不思議な感覚に陥った。普通に話せるという事実もそうだけど、久方振りに耳にした言葉は日本語で、それが私のコアな部分に触れたような気がしたのだ。
兄妹にも意図するところは伝わったのか、揃って両親の前へ進み出る。
「お前たちはここに成人し、一人立ちを認められる。今宵集った一族からも賛同を得られた」
(なるほど。そういう集まりだったのか。となると私たちもいよいよ巣立ち。いやでもこの状況はそう単純なもんじゃないよね?)
これまで観てきた数々のネイチャー番組で、動物の独り立ちが如何に早いかは私にも分かっていた。でも、どの番組を思い返してもこんなオカルト展開はなかったよ。それだけは自信を持って言える。
「これから私たちと同じように、お前たちも人の姿となり、以って成人の儀と為す。そして銘々一人立ちの前に、名と真神の狼としての務めを授ける」
そう告げて膝を折ると、お父さんは長男に向けて茅の輪を潜るよう促した。
可愛そうに。トップバッターに指名された我らが長男。彼は耳を垂れ、不安気に二親の顔を覗き込んだ。
ところが、お父さんもお母さんもにこやかに無言。ただ掌を茅の輪へ向けて、どうぞどうぞと促すばかり。これにはさすがに「もうちょっと優しくしてあげて」と言いたくなった。
私的には確かに不安は残っていたものの、兄妹みんなですることならばと、やや気持ちは上向いていた。何より、人の姿になれるということはだ。それ即ち歌が歌えるようになるということ。凄いことだよ、これは。
と、一人盛り上がっている間に長男は茅の輪の前に立ち、チラリとこちらを振り返った。何か言いたげな顔だ。私は「押さないよ」と、心の声で苦笑交じりに告げた。がんばれ長男!
家族が見守る中、長男の威厳を守らんとしてか、彼はいよいよ一歩を踏み出した。回る順序を間違えやしないかとヒヤヒヤしたものの、長男の茅の輪潜りは無事に終わりを迎えた。
やはり最後に光の幕が現れ、そこを通り抜けた彼は前髪の美少年へと早変わり。白無地の水干を身に纏い、狼の頃の体格のよさがその肩幅にしっかりと宿っていた。
まじまじと己の姿を見つめる長男。そこへお父さんが歩み寄って、緊張した面差しの息子とご対面。それからゆっくりと息子の額に手をかざして――。
「其方を大牙と名付く。これより其方は真神の宮を裾野に抱く、隠居山の守り神となれ」
(…………はい?)
私は小首を傾げた。それから驚いて両親の顔を交互に覗き込んだ。
(神になれって何? 今そう言ったよね? え……と、つまり狼と大神は似てるよねってことでおーけー? 深い意味はないよね?)
何かおかしなことになって来ていやしませんか。
戸惑う私を他所にお父さんは大牙を脇へと控えさせ、もう次男を茅の輪に促している。ペース早っ。
二番手だからだろう。次男は変に畏まる様子もなく、調教の行き届いた競走馬がゲートに入る感覚で小気味よく茅の輪を潜った。胸元の月毛がなんとも誇らしげだ。そんな姿を目にしたら、私も肩肘張らずにササッと潜ってしまおうと、後退る気持ちを前向きに修正することができた。
光の幕を抜けた次男はやはり水干を身に纏い、髪は下げ髪。歌舞伎役者のようにスッと通った鼻梁と涼しげな目元が印象的な、これまた美少年へと変貌を遂げた。そしてまた、額にお父さんの手がかざされる。
「其方を月光と名付く。其方は清き水湧く隠井の神となり、真神の命育む泉を守れ」
まただ。私の困惑を素通りしてお父さんは淡々と告げる。次男坊の月光も目出度く神様にされてしまった。
お次は足の速さが取り柄の三男坊。私が神とはなんぞや、とあれこれ考え知恵熱を発しようかという間に、彼の茅の輪潜りは終わってしまった。
「其方を追風と名付く。其方は狩場の神。ここより真神原へと下り、彼の地を治めよ」
散切頭に悪戯っぽい笑みを湛えた如何にも利かん気な三男坊、改め追風。やんちゃ三兄弟は揃いも揃って神の座へとお進みあそばされたのです。
(いやいやいや、だから神ってなんなのさ? 何かの符丁? もっと分かるように説明して欲しいんですけど……。どうしよう? もう私の番だよね。行っちゃっていいのかな? これ、お約束的にはチート能力貰える場面ってことでいいの? ふにゃー、分からん!)
混乱の最中、お父さんは三兄弟に名と神の位を授けると、その場をお母さんに譲って脇に控えた。
本音を言えばインターバルを頂戴したい。けれどもそうは行かずの後家殺し。お母さんは日舞のお師匠よろしく、しなやかな足取りで私たち姉妹の前に進み出た。私の番ですか。そうですか。
茅の輪の前に進み出ると、思った以上に大きな輪っか。大牙の足が竦む訳だよ。私はサクサクと潜っていた月光と追風に尊敬の眼差しを向けた。
(後戻りは……無理だね。色々聞きたいのにこれを潜らない内は言葉も話せないという巧妙なトリック。行くしかないじゃん)
深呼吸をして気を引き締め、先ずは一投足。
覚悟して踏み出した途端、いつの間にやら隣りいた妹が体を擦り寄せてきた。緊張しきっていた私は一瞬心臓が止まるかと思った。
咄嗟に崩れかけたバランスを立て直し、愛らしい闖入者を見やる。そこにはさも心細げな顔があって、潤んだ瞳が「おいてかないで」と訴えかけて来るのです。そうなると俄然、私の中のお姉ちゃんな部分がムクリと鎌首をもたげて、私はお母さんの目を見てアイコンタクトを発信した。
(よござんすか?)
お母さん細面に静かな微笑みが添えられた。そんな気がした。
(よござんすね?)
私は念押しの目配せをして、妹の鼻頭をペロンと舐めた。そのまま妹を横に伴い、「入ります!」とばかり、壺振りよろしく威勢を駆って、今度こそ茅の輪へ。
両親がそうしたように、寄り添って一歩一歩。
おっかなびっくりの妹を気遣いながら、左回り、右回り、左回り。やがて現れた光の幕を前に立ち止まった。
輝く水面を覗けば、波紋に揺らいだ私自身が見返している。なんとも不思議な光景だ。こんなことがあるものだろうかと、改めてそう思った。
(これを潜れば私はまた人の姿に戻れる。耳や尻尾が漏れなく付いて来るけど、歌が歌えるようになる。他に何があるのかも分からないけれど、考えてもみなよ、そんな奇跡ってある?)
制服を着て元気だった頃の私。お寝坊なし。遅刻なし。病に臥すまで皆勤賞。勉強はそこそこに。合唱部では全身全霊。家庭は円満。住環境も文句なし。恵まれていた人としての記憶がありありと目皮の裏に浮かんできた。
(分かってる。そっちへはもう戻れないよね。それはちゃんと分ってるよ)
柔らかく寄せる妹の体を感じて、私は今の家族を思った。進んで行けると、心から思った。
(さぁ、行こう。いっせーのせ、だよ)
私は一つ妹に頬擦りをして、波打つ輝きの中へと身を投げ出した。
それは、ほんの一瞬の出来事。
柔らかな光に受け止められたと思ったら、前足は両脇に開かれて、だらりと下がる腕に変わり、首筋、背筋、後足が上へ上へと伸びやかに。熱を帯びた面貌は雪解けのように眼鼻を現し、口元が結ばれるにつれてクイッと顎が引かれて行く。――さらり。素肌に纏う水干の感触に包まれれば、私は確かに人の姿を取り戻していた。
「おお~、しゅごいぃぃ!」
思わず声が出た。なんだか舌っ足らずになっちゃったけど言葉が出た! 爪先から押し寄せる感動の波が脳天まで一気に突き抜けて、逆立った毛が肩口に舞い降りてくる。私は三兄弟がしたように自らの姿をつぶさに観察した。隣りでは妹も同じようにしている。
(見てよ見てよ、この手足! どうですか。なんか、こう…………短いね、随分)
期待していた訳ではなかったけれど、以前の人の姿とは多分に異なっていた。
年の頃なら十歳位だろうか。肩まである髪の色は狼の時の毛並みと同じ青味がかった灰色で、質感も狼の毛に近いものだ。頭のてっぺんに触れてみると、みんなと同じに獣の耳があった。妹を見ても毛足の窄まる短い垂髪の上に、可愛い耳がぴょこんと乗っている。人間の耳は、ないね、まさぐっても見当たらない。
そんな風に妹と向かい合い、目で見て触れて確かめ合っていると、
「二人ともこちらへ」
お母さんの温み深い声に引き戻されて、私は妹と揃って一歩前に出た。まだ変貌の衝撃に鼓動は跳ねていたけれど、一通り済ませてしまう方が先だ。
お母さんと妹は長い下げ髪と短い垂髪という違いを除けば本当によく似ていた。アルビノ特有の神秘的な美しさを持つ母娘。そこに混じるのはどうにも気後れだ。鏡でもあれば直ぐにでも自分の顔を見てみたい。
(私、醜いアヒルの子じゃないよね?)
そんな風にまごまごしていたら、お母さんが両手で二の腕を摩ってくれた。人の姿での初めての触れ合いにスッと気が安らぐ。姿は変われどお母さんの優しさは変わらない。
それからお母さんは左手で袖口を抑えながら、そっと私の額に右の手をかざした。
こっちにしてみればまるでデコピン直前のタメ状態。触れてもないのにおでこがヒリヒリしちゃう。思わず目をギュッと閉じたところへ、お母さんの柔らかい声が降り注いだ。
「貴女を首刈と名付けましょう。貴女はこれより母に代わり、この大嶋の皇大神となって、宮の同胞、八大神、そして、数多の祀られし小さ神を束ねる中柱の神となるのです」
(うん? うん。……お母さん、ちょっと待てね? 今私、物凄い大役を仰せつかったような気がしたんだけど、気のせいかなぁ?)
私が目を白黒させているというのにお母さんたらどこ吹く風。もう妹の額に手をかざしている。もっと子供の発するサインに敏感になって欲しいよ! けれど思いは届かぬまま。
「貴女を阿呼と名付けましょう。貴女は月神。如何なる時も首刈に付き添い、その道行きを支えるのですよ」
阿呼はコクリと頷いて私を振り仰いだ。見れば満月の輝きもかくや、と言わんばかりの笑みがそこにはあった。
何が何やら謎しかないけど、妹の笑顔、プライスレス! 例えこの先何が待ち受けていようと、前向きに生きて行こうと思う私なのでした。まる!