037 八大神、集う
明けて十月五日。いよいよ八大神召集の日がやって来た。朝餉を終えた私たちはバタバタと準備に追われ、特に汚れてもいない御神座の清掃にも手を着けた。一堂に会したところで昼餐を催し、話し合いはその後の予定だ。
「どのお酒がいいかしらねぇ。みんな好みが違うから……」
祭壇の両脇に並ぶ洋棚を巡回しながら、夜刀媛は悩ましげに呟く。
「夜刀さん! お酒の前に席順! どう並んで貰います?」
「席なんて適当でいいのよ、適当で」
「適当って言うのは当に適しているってことじゃないですかっ。お酒は後でいいですから、こっち来て下さい」
「はいはい、今行くわ」
そう言ったっきり、まったくもって棚から離れようとしない。駄目だこの人。お酒のことしか頭にない。
「南風さん、席順!」
「んー? そーねぇ、代目で並べるのが普通かなぁ?」
「代目? 阿呼、今の八大ってみんな何代目だっけ?」
「えっと、夜刀様が初代でしょ。風声媛が二代で、心媛と忍火媛が三代。それから夕星媛が七代で、他はみんな六代よ」
「するってーとどうなるんだろ? 南風さんたち白守は四人だから……。ダメだ六代が多過ぎる。南風さん、代目じゃ並ばない」
「だったら年齢順?」
「阿呼、年齢だって」
「分かんないよぉ」
眉を八の字にして途方に暮れる我が愛妹。さすがに年齢までは教わってないか。
「夜刀さん! お酒選びながらでいいから、年齢順に八大神の名前を言って下さい」
棚から離れない主祭神に呼びかけると、すらすら答えが返って来た。それを阿呼が手早く帳面に走り書き。ちなみに放谷は夜刀媛の隣でお酒を抱える係。蜘蛛糸で絶対に落とさない安心感に、夜刀媛はご満悦の様子。私のお伴を荷物持ちに使うとは。
「年齢順も並べ難いな……。あ、そうだ! 両側六席を一脚ずつ上下にずらして五席にしよう。あと上座下座も関係なしで」
椅子をずらして上座下座を各二席、上手下手を各五席に変更。私は阿呼の隣で帳面を覗き込み、年齢順に並んだ八大神の名前を確認した。
「おっけー。じゃあ上手上座側から風声媛、忍火媛、夜刀さん、心媛、夕星媛。上座上手側から北風媛、南風さん。下座上手側から西風媛、東風媛。下手上座側から千軽媛、阿呼、私、放谷、磯良媛。これで決まり。もう変更なし!」
白守が四姉妹なので変にずれ込むよりは、と馬宮の媛を上手にスライドさせる席順になった。このくらいは許容範囲だろう。
「決まったの? 心の席どこ?」
ん? と思って見てみれば、テーブルの角にひょっこり頭だけ出している知らない人物。
「あの?」
「心の席どこ? ここ?」
ボッサボサに乱れた禿髪は奇麗な薔薇色。目元まで隠れてしまって表情は窺えない。古代紫と滅紫の併せの羽織を着た、阿呼とほぼ同じ背丈の神。彼女は上手下座側の角席を掴んで繰り返し尋ねた。
「心媛さんですか? 初めまして首刈です」
「皇大神? 心の席ここ?」
「その隣になります」
「ここ?」
「はい」
恋墨筆霑心媛命。その感傷的な神名から連想されるイメージとは裏腹に、コミュ障の気がある神様っぽい。野暮ったい禿の両側から大きく突き出した墨色の尖り耳。黒鉄は扇宮の筆神とも呼ばれる主祭神だ。トーテムは蝙蝠。ベストエイトにはどうかというトーテムだけど、八大神には蛾も含まれてるし問題なっしんぐ。
「あら、心ったらもう来たの? 早いわね。何か呑む?」
「こないだ心があげた烏賊墨のお酒は?」
「捨てたわよ」
吐き捨てるように夜刀媛。
「ひえー! 心びっくり! ひえー! 夜っちゃんたらひどいぃぃ!」
「酷いのは貴女でしょ! 何よあれ? 塩辛の味がしたわ。お酒を呑んだと思ったらアテを飲まされた私の気持ちが分かる!?」
「心が一所懸命つくったお酒! 夜っちゃんたら捨てちゃった! 心悲しいぃ!」
「あれをお酒とはよくも言ったものね! 冒涜よ! お酒の神に謝りなさいっ、私に謝れ!」
片や諸手を上げて椅子をガタガタ揺らしながら驚き悲しむ心媛。片や被せ気味に怒りの燕返しを浴びせかける夜刀媛。余りの睦まじさにこっちは目が点になる。
一悶着あったところへ従神の潦さんと滴さんが和風メイド姿で現れて、テーブルセッティングが始まった。椅子には私が決めた席次に従って、御神紋を入りの座席カバーが被されて行く。そこにはちゃんと蜘蛛の御神紋も用意されていて、どの御神紋にも目を引く妙や迫力が備わっていた。
テーブルクロス、シックな銀の燭台、共用器と銘々器の食器類。それらが奇麗に整うと、選りすぐりのお酒が順々に置かれて、あとは八大神と料理を待つばかり。
「おー、いよいよだなー」
「やばい、緊張して来た」
「大丈夫。阿呼たちも一緒よ」
「うん、心強いよ」
「ちょっと、どきなさいよっ」
ドンッ――。
突然の一声。突き飛ばされた阿呼は床に手を突いた。
はあ?
「ちょっと! 何やってんの!?」
放谷が妹を助け起こす傍ら、私は狼藉者を咎め立てた。そこには目にも明るい黄色の振袖を着た馬耳の神。南風さんや石楠さんから色々と聞いていたので即座に馬宮の夕星媛だと分かった。
「何って邪魔でしょ。今日は九柱の集まりだって聞いてるけど? それともその子は給仕役?」
「阿呼は私の妹よ、謝って!」
「やーだよっ」
夕星は舌を出して爪先を逸らした。そしてそのまま心媛の隣の席へ飛び込み、音を立てて座る。こっちが幾ら睨んでもツンと顎を反らして歯牙にもかけない態度。私の怒りは臨界点に達した。
「お姉ちゃん、阿呼は平気だから」
「平気じゃない!」
ドロンッ! 私は怒りに任せて狼に転じ、夕星の振袖に食らいついた。
「ぎゃーっ!! 何すんのよぉ!!」
「謝れっ!!」
「放しなさいよっ、お母さんに貰った振袖なんだからぁ!」
席を立った夕星が私を振り解こうと拳を振り上げた。やれるもんならやってみろ!
「こらぁ!! やめなさい! 私の宮で何をしてるの!?」
夜刀媛の制止が響き渡り、同時に潦さんと滴さんが私と夕星を引き離す。私悪くないもん、絶対!
経緯を聞いた夜刀媛は軽く夕星の頭をはたいた。そらみたことか。
「なんでっ!?」
「なんでじゃないわよ。皇大神の御一行は私の宮の賓客よ。それを貴女は何?」
「……」
夕星はもごもごと夜刀媛に謝った。子供だ。
夜刀媛はそんな夕星に「謝りなさい」とこちらへ突き出し、夕星は背後の夜刀媛に見られないからと、律儀に私に舌を出してから「ごめんねっ」と阿呼に謝った。引っ掻いてやろうかホントに。馬宮の媛の第一印象は最悪だ。
「阿呼、大丈夫?」
「うん。お姉ちゃんもカッカッしないで」
なんていい子なんだろう。私は大事な会合を前に感情に走った自分を反省した。そうこうする内にぞろぞろと八大神のお目見えだ。
次にやって来たのは南風さんの姉妹神たち。長姉の北風媛、次女の西風媛、末妹の東風媛ら三柱。そこに南風さんが合流する。
四陣風と称される姉妹は揃ってノースリーブの白いワンピース。灰白のショートヘアに銀縁眼鏡が北風媛。柿色のクリクリした癖っ毛にそばかすが印象的な西風媛。三女が鶏冠髪の南風さんで、末っ子の東風媛は水色の長い髪に強烈な濃桃色の瞳の持ち主だ。
白守の姉妹神は誰もが人当たりよく、南風さんの姉妹だけに、こちらとしても大歓迎だった。中でも次女の西風媛。南風さんからその存在について聞かされていたからだろう。なんとなく初めて会った気がしなくて、人懐こい笑みには自然と好印象が抱かれた。
四姉妹か席に着いて直ぐ、のっしのっしと現れたのは赤土の象神、山動弥猛千軽媛命。
象トーテムの神様とあって、けだし大女だろうと思っていたら、確かに上背はあるけど一七〇糎程度で「背ぇ高いねー」なレベルに収まっている。けれど体付きは引き締まった筋肉質で肌は赤銅色。耳はやや大きいけど鼻は長くない。砂色の短髪に色とりどりの組紐を巻いて、左に垂らした三つ編みにも色紐が編み込まれている。瞳は瑞々しい若竹色。皮鎧を着込んで、背丈ほどもある大きなトンカチを担ぎ、とっても力強い印象だ。
「おっ、なんや、あんたが当代? こらまたちっこいなぁ。うちは千軽や。よろしゅうな」
不意を突く関西弁的な喋りにキョトンとしてしまった。私も奈良育ちなので西の言葉は耳馴染み。赤土弁とでも言うのだろうか。とりあえず夕星みたいなNG神でもなければ、心媛みたくコミュ障の気配もなさそう。
千軽媛の案内を阿呼に任せると、直ぐに次の神様がやって来た。
「遅くなりました」
「いらっしゃい。ええと」
「あ、初めまして。磯良です」
「ああ、青海の磯良媛ですね。お席はこちらです」
如何にも大人しそうな美人さんは鯨トーテムの主祭神、沫戯八潮路磯良媛命。
魚骨編みの髪は藤色で、目を合わせればはにかんで細くなる瑠璃紺の瞳。桜色の袷に波模様を浮かせた蒼海色の外套を羽織っている。先代が大の渡人嫌いという割に和洋折衷で、意外な印象を受けた。
「あの、何か?」
「あ、いいえ。衣装がとってもお似合いだと思って」
褒めたら気恥ずかしそうに「ありがとうざいます」の一言。うーむ、可愛い。白狛さんは、年が近いから気が合うだろうと言っていたけれど、本当にそんな気がしてきた。
「ちょっと貴女。皇大神の首刈さん」
夜刀媛の声に振り返ると、なんとも妙ちくりんな表情を浮かべていらっしゃる。はて、なんでしょうか?
「皇大神が逐一出迎えなんかしなくてもいいのよ。お掛けなさい」
「え、でも」
「お姉ちゃん、お出迎えは阿呼がするから、座ってて」
「おー、あたいもいるしなー」
「え、放谷も? 大丈夫かな……」
「任せろー」
残すところ迎える八大神は二柱。放谷だってそれほど礼儀知らずな訳じゃない……よね? 私は念の為、呼び捨てだけはしないようにと耳打ちしておいた。
そうして待つこと三十分。夜刀媛が取り付けた約束は正午の筈なのに、懐中時計を開くと既に十分ほど回っている。夜刀媛は隣の心媛とお酒を酌み交わしているし、他の神々も気にせず話をしている。席に着いた私の両隣は阿呼と放谷だから今は空席。一人ヤキモキしていると、
「相済まぬ。遅れた。儂の席は何処だ?」
ぬっと現れたのは千軽媛よりも更に上背のある大柄な女神。深く通る美しい声色だというのに、口調が時代劇のおじさんなのは甚だしく謎だ。
「風声は遅刻したから心に血を吸わせるといいの」
「戯けた事を吐かすな、鳥もどきめが」
「ひえー! なんてこと言うのかしら! ひえー! 心、絶対許さないぃ!」
「落ち着きなさい心」
諸手を上げて椅子をガタガタ揺らす心媛。それを夜刀媛が宥める。さっき見たリアクションだ。一周回って心媛が面白く思えてきた。
「風声媛様の席はこちらです」
阿呼が進み出て案内に立つと、風声は「これは可愛いお嬢さん。忝い」と、女神なのに紳士的な態度で席に着いた。
空を映したような天色の髪。前髪は左眼を隠すように流れて、毛先が鷲の羽根へと変化している。晒された右の瞳は静かに輝く銀。身に纏う枯野色の外套は猛禽の羽根を縒り合わせた物だ。神名を風立別大真鳥風声媛命と言って、その名は御業にもなっている。曰く、天の声降らせる言霊の神。それにしても鷲の神様だから儂と言うのだろうか……。
「おっそいなー。阿呼ー、最後の一人は誰だー?」
「あと来てないのは忍火媛様よ。静かにしてて」
上手上座側の角席に風声媛が収まると、余す席は夜刀媛と風声媛の間の一席。焦れた放谷を阿呼が窘めた。
洋棚の前に控えていた潦さんと滴さんが夜刀媛の傍らに進み出て、昼餐をどうするか確認している。夜刀媛の視線がこちらに向いたので、私は首を横に振った。例え前菜を並べるだけにしても、全員が揃ってからにしたい。意を汲んだ夜刀媛は手を挙げて従神たちを下がらせた。
「おい、心よ。忍火は遅参の上にも遅参ではないか。来たら盛大に血を吸ってやるといい」
明らかな揶揄い口調の風声媛。ボサボサ頭の吸血蝙蝠は途端に憤慨してテーブルをバンバン叩き付けた。大丈夫なのかなこの神様……。
「忍火の血は緑色で不味い! 心は赤い血が吸いたいの!」
飲んだんかい……。一体全体、八大神同士で何をやっているのか。
「なんならうちの血ぃでも吸うとくか?」
「……心は騙されない。千軽はお肉を締め上げて心の牙を抜けなくするつもり。心は知ってる」
薔薇色の禿髪の合間でギラリと光る丹色の瞳。そこに激しい警戒の色が宿っていた。千軽媛は「そないなことせーへん」と一笑に付したけど、本当のところは分かったもんじゃない。
やがて十二時半を過ぎた辺りで「さすがに遅いわね」と夜刀媛がこぼし、それを受けて風声媛が何やら御業を使った様子。
「なんだ。忍火はもう来ているぞ。外陣の隅にいるようだ」
「ほらー、夜刀ちゃんはお社と断線してるから気付かないんだよー」
風声媛の言葉を継いで夕星のツッコミ。主祭神は神域の出入りを感知できるものだけど、どうやら夜刀ちゃんはその機能をオフにしているらしい。後で聞いた話では、お酒を愉しむのに余計な邪魔が入るのが嫌だからだとか。ほんと、自由だよね。
ともあれ風声媛の言葉に一同の目が外陣の闇をまさぐった。すると返す谺で姿なき声が投じられる。
「申し訳ないのですけど、そこの蜘蛛の方を下がらせて頂けませんか。待ち構えられていると、わたくし怖くて近付けません」
「んー、あたいかー?」
「わたくし蜘蛛はどうしても苦手で」
「そっかー、じゃあどくよー。ほら、これでいーかー?」
放谷が自分の席まで戻ると、闇の中から最後の一柱、護解の蛾神が姿を現した。
丁子色の肌に蝋色というのか、黒味の強い蛾の複眼。額からは柳葉型の触覚が生え、長い蕎麦切色の髪は八の字状に末広がる。背中の翅に見え隠れする赤黒い今様色が紅下羽蛾の下翅を思わせた。
「申し訳ありません。すっかり出遅れてしまいました」
蛾の神様らしく地味な茶系の着物を幾重にも羽織って、けれどもその柄は極めて精緻な朽ち木の肌合い。
私は蛾はかなり好きだ。もっふもふの体毛に可愛い触覚とつぶらな瞳。蝶がスタイリッシュな美人なら、蛾は地味子カワユスと表現できるだろう。窓辺の明かりに寄って来るのも、人懐っこさと思えば愛が深まるというもの。渡人たちに謳われる忍火媛もまた、伝説とは思いもよらない物静かな神様だった。
「揃ったわね」
夜刀媛は影法師のように立ち上がって一同を見回した。忍火媛の着座を待って阿呼と放谷が席に着いた今、十四席全てが埋まった。
「さて、皆とは先日、天開神事の座で挨拶を交わしたばかりだけれど、こうして一堂に会すのは久方振りのこと」
「かれこれ五百年振りよ。前は月ちゃんが神旨を読み上げるからって大宮に集まったの」
「そうだったわね、心。尤も、遥か昔には年がら年中集まっていたりもしたけれど、まあそのことは今はいいでしょう。今日の席はこの夏に代替わりをした皇大神から直々のお声がかり。先ずは八大からの御挨拶を。そして皇大神からのお言葉を頂いて昼餐にしましょう。その後で改めて皇大神からお話があるから、余りお酒を過ごさないように」
「言葉を返すようだが、一番の呑兵衛は夜刀だろう。他に誰がいたか?」
「うるさいわね。私は深酔いしないからいいのよ」
「心は血が吸いたいの」
「少し黙ってなさい貴女は」
折角の挨拶も締まらない蛇足に、私はどう表情を取り繕うべきか真剣に悩んだ。笑っちゃっていいのかな、と。
夜刀媛が席に着くと私の並び、下座側から椅子を引く音。八大神の中でも最も年若い磯良媛が立ち上がった。少し向きを変えて聞く態勢を整えたところで「ちょっと待った」コール。
見れば磯良媛の真向かいで、心象最悪の馬鹿神が黄色い振袖を揺らして挙手している。私の大事な妹を突き飛ばした小憎らしい馬神は、すっかり喉元過ぎた顔をして、険のある眼で私を睨んだ。
「なんですか?」
「なんですかじゃないわよ。今日は貴女と八大の、九柱の神々の集まりなんでしょ? 妹ちゃんは別にしても、どうして変な小さ神まで同席してるのよ」
「変じゃありません。蜘蛛神社の主祭神です。何か問題でも?」
キンキンと耳障りな声に、私も私で露骨に顔を顰めそうになる。いけないいけない。平常心、平常心、っと。
「問題とかじゃなくて理由を聞いてるの! そりゃ理由次第では問題ありありでしょっ」
私には語尾に隠された「バカじゃないの?」がはっきりと聞こえた。首刈、心の一句。
平常心 バカはあんただ 平常心
「そうですか。済みません。でも、私は皇大神と言っても大嶋廻りの途中ですから、現状では同行者の二人と三位一体だと考えてます。それが妹の阿呼であり、真神二宮の放谷です。なので、私としてはこのまま二人の同席を希望します」
「はっ、何それ? 半人前どころか三分の一人前ってこと? 笑っちゃう」
おい、あんまり私を試すな。と、相手の死角に拳を握り締めれば、それを両側から優しく包む二人の手。お蔭で羽根を生やして飛び立った私の平常心が舞い戻っていらっしゃった。
「それを言ったら西風たちは四分の一人前ですね。ほんと、笑っちゃいます」
「何よっ、そんなこと言ってないでしょ!?」
斜向かいに座る梟神の割り込みに、夕星は顔を赤くして噛み付いた。フレーメンだ。雌馬のフレーメンとは珍しい。それこそ笑っちゃう。
「なら、いいんじゃないですか?」
「別に、悪いとは言ってないし……。もういいわよ。磯良、続けなさい」
乗り切った。私は夕星をいなしてくれた西風媛に感謝の目配せを送った。西風媛は「どう致しまして」と意を含めた微笑みで返してくれた。なんていい人なんだ。惚れちゃいますよ実際。
ともあれ、場は磯良媛の挨拶に戻って仕切り直し。以降は問題もなくスムーズに流れた。中には自己紹介から脱線して長話しを始める神様もいたけれど、私の方は後々の話し合いを控えていることもあって、ここでは簡単に済ませておいた。
一通り挨拶が済むと潦さんと滴がさんカートに満載された料理を手際よく並べて行く。舶来かぶれと言われる夜刀媛の食卓だけあって、出てくる料理は全て洋風だ。
夜刀媛が逐一料理の説明をしてくれるのだけど、仏蘭西料理や伊太利料理のように統一感のあるメニューとは違って、西方各国のお薦め料理が続々と登場する。
貝と沢海老のパエリヤ。生ハムのサラダ。じゃが芋の冷製ポタージュと南瓜のポタージュはお好みで。もちろん私は両方頂いた。
見回せば様々な料理を相手に、カトラリーの扱いは皆々手慣れた様子。
忍火媛が無言で避けた生ハムを隣りの皿に放り込み、風声媛が文句も言わずにそれを食べる。
夜刀媛はお酒優先。あらかじめ料理は少量しか盛らせない。その分を回してくれと言いながら、千軽媛が南風さんの皿を引っ張り込んでモリモリ食べているのには笑いを禁じ得なかった。
「ちょっと千軽! あんたなんであたしの皿から取って行くのよ!?」
「堪忍堪忍。目くじら立てんと、また盛ってもろたらえーやん」
ご覧の通り、抗議を受けてもぞんざいな棒読み対応。
一方、ガッ、ガッ、と異音のする方を窺うと、心媛がただ一人、グーで握ったフォークを皿に叩き付けるように料理を突っつき回している。飛び跳ねた貝殻が夕星のポタージュに飛び込めば、刹那、夕星は椅子ごと飛沫を回避。返す刀で竹屋の火事よろしく山のような文句を投げつけた。
「賑やかだね、お姉ちゃん」
「うん。みんな楽しそう。お料理も色んな種類があるし。あっ、放谷、お酒はやめといてよ?」
「おー、後に取っとくー」
「それこそダメでしょーが。食事の後は大事な話し合いなんだから」
魚料理、肉料理と来てメインだなーと思っていたらまた別の魚料理と肉料理。メインがリピートされた。いいけどね。
私はガツガツと食しながらも正直、味わって食べる心境にはなかった。腹が減っては何とやらで食べるには食べるのだけど、後のことを考えると味覚に集中するのは難しい。
プレッシャーは色々ある。招集しておいてなんだけど、八大神が全員集まっているだけでもう重い。加えて大嶋廻りを終えていない皇大神は実質の扱いが八大神と同格。即ち、年齢で態度も決まるという神々の旧風にド嵌りする最年少が私だ。そこへ来て癖のある面々の揃い踏みとなればもう。
(深呼吸。落ち着いて事前に少しでも個別の問題点や対策を考えてみよう)
第一に対面の夜刀媛。既に宣告を受けた通り、彼女は大勢が決するまで賛成反対の発言は一切しない。賛成と知っているだけに、どこかで頼るような素振りが出てしまわないように注意する必要があるだろう。だって夜刀媛は優しいから、そんな素振りを見せたら意に副ってくれちゃう気がする。でもそれじゃダメ。ここは自分で頑張らなくちゃ。
次に忍火媛。夜刀媛に次ぐ年長の神様。五百年前に大勢の渡人を救った神様だから早い内に味方に付けてしまいたい。ただ、かなり大人しそうな性格なんだよね。となるとガツガツ行くのは反って逆効果かもしれない。複眼で表情が読み取り辛いのも難点だ。とにかく慎重に。
そして南風さんたち白守の姉妹神。これは痛恨の座席配置ミス! 一番味方になってくれそうな人たちを両サイドに遠のけてどーするの私! バカッバカッ! でも信じてる。南風さんも西風媛も、他の二人だって絶対味方してくれるよね?
心媛はワイルドカード。正直謎でしかない。年嵩の神様だから折り合いが付けばいいけれど、どう切り込んだものか。待てよ? 血を吸わせればもしや……。いや、よそう。感染症とか怖いもん。
同じく年嵩の風声媛はどうだろう? 普通に麗人なのに口を開けば時代がかったおじさん口調。取り付く島はあるだろうか? 言霊の神様という点も侮れない。説得するつもりが逆に説得されないように要注意だね。
千軽媛はノリのよさそうなところを突いて行けば或いは。しかし大きな木槌なんか持って来ちゃって、どう見ても私とは畑違いの戦闘系。脳筋という与しやすい特性持ちであることを祈ろう。
磯良媛。齢一五歳で私とは一番年が近い。性格も大人しくて話せば分かるタイプに見える。親御さんは渡人嫌いの代名詞にされてる節すらあるけれど、彼女自身その影響が受けているかどうかは未知数だ。和洋折衷の服装に倣って、大嶋と西方の架け橋になってくれるとありがたい。
で、最後が夕星。どうしてくれよう。敵意剥き出しだしなところを見れば対話すら難しそうだ。幸い夕星は白守の四姉妹より年が下。味方を増やしてからであれば目はありそうか。それまでは基本放置。寧ろ噛み付いて来るのをどういなすかだ。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「ん? 何?」
阿呼に揺すられて我に返る。テーブルの上は既に粗方片付いて、あるのは燭台。各種硝子の酒杯に盃や升。そしてとりどりに揃えられたお酒。竹葉、葡萄酒、林檎酒、糖酒、薄荷酒、蜂密酒、エトセトラ、エトセトラ。
対面の夜刀媛と目が合うと、青白い面貌に金色の蛇目を細めて、軽く頤が引かれた。
私は軽く息を止め、テーブルに手を添えた。すると、いつの間にか背後にいた滴さんが椅子を引いて、促されるように背筋が伸びる。あからさまな視線はない。けれど、全員の意識が向けられていることはひしひしと伝わった。
「えっと、先ずは素晴らしい昼餐を用意してくれた夜刀さんにお礼を。とても美味しかったです」
正直言えば味は覚えていない。礼儀を示した私に、夜刀媛は謙譲の会釈を返してくれた。さあ次だ。緊張から喉の粘膜は引き攣り、平静を装うのも一苦労。
「えー、それでは皆さん。本日はわたくし、九代皇大神、首刈の招きに応じて頂きまして、ありがとうございます。早速ですが、これから今日の集まりの主題を説明させて頂きたいと思いまう。ます」
うわ、噛んだ……。
続く筈の言葉が噛んだ拍子に飛んで行ってしまった。よく言う頭が真っ白というやつだ。じっとりと肌に貼りつく静寂。やがて場に生ぬるい違和感が漂い始める。
『しっかりせぬか。和主、皇大神であろう』
不意に、胸の中心から広がる波紋のように言葉が響いた。深く通るその響きは風声媛の声だ。言霊の神の気付けに、私は失くした言葉を取り戻した。猫背になりかけの姿勢を正し、瞳だけを流して左隅の風声媛へ目礼を捧げる。それから軽く、喉を鳴らす程度の咳払い。
「本日、皆さんと話し合いたい議題は渡人です。神々と渡人の関係性。その見直しについて、今日はとことん、忌憚のない意見を交わしたと思います。どうぞよろしくお願いします」
言い切った。言い切ることで芽生えた落ち着きが、冷静に八大神の反応を読み取らせる。
一様に驚きの気配を覗かせた後、好意的な表情に変わったのは赤土の千軽媛。それから南風さんもウンウンと頷いている。
反対に拒む様子を窺わせたのは、南風さんの隣りに座る北風媛。頷く南風さんを怪訝な目で見ている。その斜向かい、風声媛も顎に手を添えて思わしくない様子。さっきは言霊で助けてくれたのに、少し残念。反対側では東風媛も「マジで?」みたいな表情を見せている。ううむ、四陣風は割れてしまったか……。
残る面々はどちらとも読み取れない反応。夜刀媛は元よりのことだからいいとして、忍火媛は複眼の奥が見抜けない。心媛もボサボサ禿に目が隠れてしまっている。夕星は「いきなり何言い出すの?」みたいな驚き顔。西風媛は敢えて読ませないポーカーフェイスと言った感じた。
さてもさても、賽は投げられた。出目については些か分が悪いか。しかし、賽の目を変えてでも、ここは結果を掴まなくてはならない。
私はお酒を促しつつ、自らもグラスを取って水を飲み干した。さぁ、より深く、突っ込んだ話へと駒を進めるのです。




