036 狭蠅生古縄夜刀媛命
「うわ、洞窟だ」
無人宿で二晩目を明かした私たちは、迎えに来た南風さんと一度、閑野生の宿に戻った。私はその日の午前に調査局へ行って進捗を聞き、宿に戻ってお昼を済ませ、何やら南風さんが出かけると言うので茅の輪を潜ったらこの洞窟だ。
手彫りと思しき隧道の坂道には、壁に等間隔に灯る蝋燭台の明かり。道結の閉じた茅の輪の前後を確かめると、どちらも曲がりくねっていて、見通しは利かなかった。
「ここは?」
「転宮の参道」
南風さんの答えに三人揃って虚を突かれた。南風さんと合流した後、その口から八大神との会合は明日だと聞かされた。なのに会場となる転宮に一日早く連れて来られてしまった。
「えっと、このまま夜刀媛に会いに行っちゃう感じ?」
「当日いきなりよりいいでしょ? ご希望の場所もちゃんと回ったんだから」
分かりやすく身振りまで加えて功労をアピールする南風さん。確かに要望した場所は見られたし、歌詞もほぼ仕上がった。後は夜刀媛本人と会えば歌は完成する。
「おけ。急だけど、阿呼も放谷もいいよね?」
「うん、阿呼はいつでも平気よ」
「おー、あたいも早いとこ八大の要ってのに会ってみたいしなー」
二人とも言葉通り気負いはないようだ。そうと決まれば話は早い。私は坂になっている隧道を上り始めた。なんにせよ地下の参道とは予想外。見れば円に近い隧道にぐるりと溝が通されていて、そこに今し方潜って来た茅の輪が埋め込まれている。隧道は全体がじっとりと濡れていて、滑りやすそうだった。
「それじゃあ行こう」
「首刈ちゃん逆、逆」
上る方を選んだら途端にストップがかかり、南風さんは真反対に下る方を指し示した。おいおい、まじか。まじですか!
「下り宮なの!? うわぁ、それは嬉しい予想外!」
珍しい上にも珍しい地下洞窟の下り宮。もうそれだけで背筋の辺りがゾゾッとしちゃう。
神社というものは普通、高みに据えられているものだ。平地の社でも数段の階段や僅かな坂を上がるもので、下る参道となると前世の記憶でも指折り数える程度。
喜色を浮かべる私を見て、三人は何がどう琴線に触れたのか分からないといった顔をなさる。いいの! 好きなものは好きなの!
頼りない灯りの中、足下に注意しながら下って行けば、薄闇がじっとりとまとわり付いて、神聖さよりも先立つのはおどろおどろしさ。
「あっちこっち蛇さんがいる」
「うっかりすると踏んづけそーだなー」
最初は何かの影かと思っていたのだけれど、さすがは蛇神様のご神域。至る所に蛇が這っていた。蛇は存外大人しいものだと知っていても、夥しい数には圧倒される。普通の神経ならちょっと遠慮したくなる参道だ。
「転宮に続く参道には言い伝えがあってね。ここで転べば御利益があるって言われてるんだよ」
「転べば? どうして?」
「ここを転がり落ちて行けば、それは神に召されたってことになるからってね」
なるほど、それは面白い言い伝えだ。けれども蛇を踏んで転んだら折角の御利益も帳消しになりそう。私はそれだけは避けねばと、摺り足気味に歩を進めた。
「あれ? この奥って本殿? レブさんの話だと信徒の人は拝殿までしか入れないって聞いたけど」
「五百年前からはそうだねー」
「なら、ここまで来れない人たちは御利益も?」
「ないねー」
無情だ。私はレブにこの場所を見せてあげたかった。しかも五百年前からとは。そうなると夜刀媛も渡人を疎んじているということだろうか。
「ちなみに神様にも御利益はないよ」
「差別だっ!」
「えこひーきだー!」
「ないんだ、御利益……」
「あるわけないじゃん。あはははっ」
三者三様の反応を一笑に付す南風さん。当然と言えば当然だけど、あからさまに笑われるとちょっと悔しい。こっちは子供なんだ、飴玉一個でも満足するんだよっ、と憤慨する内に広い地下空洞へと辿り着いた。
目の前には二つ並んだ大きな篝火。その向こうに目を凝らせば、広大な地下に蟠踞する深い闇。それは幾ら目を細めても見通せるものではなかった。
「お姉ちゃん、ここに樋がある」
篝火の少し先に立った阿呼が、丁度胸の高さにある樋に手をかけた。もう一方の篝火の先を見ても、やはり同様の樋があって、いずれも闇の中へと伸びている。
南風さんは無造作に篝火に手を突っ込んで、燃え盛る薪を二つ取り出し、一本を私に差し向けた。
「熱くないんですか?」
「私は朱引神だよ? お日様が熱を恐れることはないから」
平然と言う南風さんの神名、朱引とは太陽を表す言葉だ。だからと言って熱さを感じないとは思わない。何らかの御業の効果だろう。
私は水筒の水で濡らしたタオルに薪を受け取ると、南風さんに倣って一方の樋に炎の穂先を触れさせた。
「うわっ!?」
豪っと音を立てて炎が樋を伝う。二筋の炎蛇が闇の中を奔り、その狭間に浮かび上がったのは、うねる海蛇の如き橋。六連の凌雲橋だ。私たちの面前に巨大な地底湖が照らし出された。
美しいアーチを連ねる橋は山口県岩国の錦帯橋とよく似た造り。その橋を挟んで尚も奔る炎は向こう岸の手前で両翼に広がり、赤々と揺れるラインの向こうに本殿、転宮を浮かび上がらせた。
「奇麗……」
「はーっ、やっぱり星霊が創った宮はすごいなー」
感銘と感嘆。私は言葉もない。
阿呼ばかりか放谷をも魅了する均整の取れた社殿。それは似つきもしないのに宇治の平等院を思わせた。それほどにバランスが見事なのだ。どこまでも神気に満ちた佇まいから揺らめき立つ妖しい蠱。神性と畏怖が二匹の蛇のように絡み合っていた。
ザバァーッ――。
魅入られて立ち尽くす私たちの前に突如、水面を盛り上げながら巨大な蛇が影を落とした。
「うわっ、大蛇だー。転宮の護神かー?」
慌てて私と阿呼の前に庇い立ちする放谷。現れた二匹の大蛇は、かつて神庭近くの湿地で遭遇したものよりはるかに大きい。けれどそこには敵意も殺気も感じらず、五、六米の高みから見下ろされる迫力満点の圧迫感だけがあった。
思わず及び腰になった私たちの前に進み出たのは南風さん。そして何やら親し気な身振りを示すと、二つの巨頭が南風さんに寄り添うように伸びてきた。
「大丈夫。この子たちは夜刀様の従神。左近の潦と右近の滴。夜刀様に言われて出迎えに来たってさ」
だったら驚かさないで欲しい。硬い笑みで挨拶をすれば、従神は巨頭の先端からチロチロと舌を出して、恐らくは挨拶を返してくれた。
潦と滴は身を翻して地底湖を泳ぎ出す。私たちは離されないように凌雲橋を渡った。本殿両翼から地底湖に突き出しているのは蛇形の廻廊。潦と滴はそれぞれの突端に人の姿となって降り立つと、橋を行く私たちと並行して歩いた。その歩みに合わせて廻廊の吊り灯篭にぽつぽつと明かりが灯って行く。
先に本殿前に着いた私たちは、広い白木の浜床に立って、両翼から回り込んでくる従神を待った。階の上、転宮には扉も壁もなく、ただ支柱の間に御簾が下りて内と外を隔てている。
「なーんか、あたいなんかが入ってよさそーな雰囲気じゃないなー」
「何言ってんの? 居てくれないと私が困る。ちゃんとしてれば平気だってば」
珍しく物怖じして見せる放谷を叱咤して、自らも気を引き締める。やがて幅のある階の両脇に従神が立ち、正面の御簾が巻き上げられた。
***
背後に御簾が下りて、薄闇の中、四人一列横並び。従神たちは御簾の外だ。広々とした板張りの先に僅かな段差があって、テーブルに置かれた燭台の明かりだけが殿中の闇をやんわりと押し退けている。
「あら、もう来たのね。どうぞ上がって頂戴。南風、貴女ボサッとしてないでお客様を席へ案内して差し上げなさい」
声の主を探せど姿は見当たらない。南風さんに促された私は一歩を踏み出す前に「お邪魔します」と闇に投げかけ、板張りの外陣を渡った。絨毯敷きの内陣に上がると、テーブルには燭台の他にボトルが三本並べられている。
「まぁまぁ、よく来てくれたわね。貴女たちお酒は駄目でしょう? そう思って忍火から搾りたての果実ジュースを貰っておいたの。花梨に葡萄に鬼木天蓼ですって。好きな物を選んで頂戴」
グラスを手に闇を抜けてきたのは、それ自体が闇かと見紛う黒い衣装の少女だった。そして着ている衣装はゴスロリだった。しかもめちゃくちゃそれが似合ってた。
「あ、はい。あの、初めまして、首刈と申します」
「はい、初めまして。私が夜刀よ、よろしくね」
それなりに緊張してやって来たというのに、夜刀媛の応対は何と言うか普通に隣近所のお姉さん。お蔭で早速グラスを受け取った放谷が葡萄ジュースに手を着けるわ、生真面目な阿呼は挨拶に出遅れるわ。
「そう硬くならずにお掛けなさいな。南風、ほら、椅子を引いて差し上げて」
「ちょっと夜刀様。扱い違い過ぎない?」
「いいのよ貴女は。いつも来るなり好き勝手に振舞っているじゃないの。今日くらいは役に立ちなさい。それが済んだら私にお酒を持ってきて頂戴」
「ひどくなーい? んもー!」
文句垂れながらも椅子を引いて、素直に棚の方へお酒を取りに行く南風さん。アットホーム過ぎて頬が緩む。
夜刀媛は上座には着かず、私たちの対面に六脚の椅子の一つを引いた。正対する私の左、上座寄りに阿呼、右に放谷。南風さんは夜刀媛に盃を手渡し、そこに濁酒を注ぐ。特有の甘い香りがプンと漂った。
「あたしは何処に?」
「隣でいいわよ」
そのお許しに嬉しそうな顔をして、椅子を引く南風さん。それから夜刀媛の音頭で乾杯をした。私と阿呼は花梨のジュース。一口含めば余りの美味しさに目を瞠る。鮮度が舌苔の一つ一つを叩き起こすように隅々にまで広がって、花梨の魅力を余すことなく表現していた。
「ふわー、美味しい!」
「それはよかったわ」
遠慮せずに幾らでも、と勧められるままに注ぎ足して、話題は口にしたばかりの飲み物に始まり、軽い世間話を絡めながら近況を語らう。夜刀媛は聞き手となってふんふんと頷いていた。
「そう、血沼ヶ浦まで行ったの。色々と水走を見て回ってくれているのね。嬉しいわ」
「そうなんです。でもまさか、今日こちらへお邪魔するとは思ってなかったので、ちょっとドギマギしちゃいました」
「それなのよ。南風に限らず白守の子たちは直ぐにここへ来たがるの。人様の迷惑なんてこれっぽっちもなんだから。ねえ?」
「ねえって、夜刀様が皇大神に会いたがってるって思うから、早めにって気を回したんじゃん」
「おバカ。私に気を使って皇大神をドギマギさせてたんじゃ本末転倒だって言っているのよ」
「…………」
南風さんはタジタジだ。
夜刀媛は不思議な神様だった。十五、六の少女に見えて姐御肌であり。神々しさは感じるのにとっても身近。冷たく青白い肌に温かく豊かな表情。よく笑うのに赤味の差さない白群の唇。御洒落で気さくで人間臭くて、唯一目に見える獣の特性は瞳。鏡の語源にもなった蛇目は潤いのある金色だ。本当ならヒヤリと刺さる蛇のそれが、夜刀媛の個性に柔らかく輝いていた。
「あの、夜刀媛様は――」
「夜刀で結構よ。貴女は皇大神なのだから」
「え、でも……。じゃあ夜刀様? 夜刀媛?」
結局、様は止めるようにと言われた。明日、他の八大神の前で夜刀媛は様付け、南風さんはさん付けでは確かにおかしなことになる。それで結局、さん付けということに落ち着いた。
「それでですね。夜刀さんに聞いておきたいんですけど――」
私は八大神の様子を尋ねた。何しろ勢い任せの招集だ。その時は「ええいやってしまえ」と意気込んだものの、前触れもなく呼ばれた側はどう思ったか。
「率直に言えば半々ね」
すっぱりと歯に衣着せぬ調子。夜刀媛が言うには、私の大嶋廻りの出立は例のない早さだそうで、それが間もなくして八大神を召集とは、と一様に耳を疑う様子であったという。
召集の目的については「渡人に関すること」としか伝えていないらしい。夜刀媛自身は南風さんからの報告に察する点も多かったそうなのだけど、全て私の口から直接耳に入れた方がいいと判断したのだそう。
「まあその辺がどうであれ、私が直接伝えて、全員に参加を承諾させたから、明日、ここに勢揃いすることは間違いないわよ」
ありがたい話だ。しかも「承諾した」ではなく「させた」と聞いて、私は冷や汗垂らしながら舌を巻いた。
「私からも質問をさせて貰うわね。同伴の貴女たちは今回の件、どう思っているのかしら?」
切り返しの問いが私の左右に投げられた。夜刀媛は視線を阿呼に留めたまま、径の大きな黒塗りの盃を南風さんに差し向ける。お酒が注ぎ足され、そこに阿呼の声が真っすぐ返った。
「お姉ちゃんにはしたいことがあります。阿呼は隣で見ていてそれがいけないこととは思いませんでした。だから阿呼は、お姉ちゃんがしたいようにすればいいと思うし、応援してます」
私の輝ける月はとても冷静に、しっかりとした言葉で古き神に答えた。八大神は半々か、などと思っていた私に比べて、余程肚が据わっている。夜刀媛は静かに頷いて、視線を左方へ流した。
「あたいかー。あたいは首刈のしたいこと分かるよー。だから賛成だー。首刈が八大神と話し合った方がいいって思ったんならそうするさー」
放谷はそう言って私の方に向き直った。
「首刈は渡人と仲良くなりたいんだ。そーだろー? あたいはそれに賛成。だから明日は上手く話がまとまるといーなー」
普段使いの笑顔が安心を与えてくれる。夜刀媛は今度も深く頷いて、空になった盃を置いた。そしておもむろに拍手。嫌味はない。小指に光る指甲套が時折当たって、微かな金属音を響かせた。
「いいわねぇ。八大を集めてただ命を下すのではなく、話し合いをする。大抵の娘は神旨を下す真似事でもするのかと考えているようだったけれど。ふふ、明日が楽しみだわ」
そう言って喉を鳴らす夜刀媛は、楽しいという言葉の裏に嬉しさを潜ませているように思えた。この女神は私に、私たちにどんな感情を抱いているのだろう。
「楽しみですか? 夜刀さん自身は渡人についてどう思いますか? あ、違うな。私が渡人と神々との距離を縮めようと考えていることをどう思うか、です」
私はテーブルに身を乗り出して金色の蛇目を覗き込んだ。失礼だとは思ったけれど、八大の要である夜刀媛の賛同は喉から手が出るほど欲しかったから。すると夜刀媛は僅かに目を細めた。
「それも、楽しみだわ」
「それはつまり、賛成ということですか?」
「いいえ」
即座の否定。得たかと思ったものが指の間をすり抜ける感覚に、私は軽く消沈した。
夜刀媛はテーブルから身を引いて背もたれに沈む私をじっと見つめた。私の考えが楽しみなのに賛成ではない。ならばそれは余興としての楽しみなのだろうか? けれど、そんな意地の悪さは感じられなくて、私は戸惑うばかりだった。
「私は賛成も反対もしないわ。八大が集う場で私がそれを口にすれば、幾柱かは傾くでしょう。でも、それでは意味がないのではなくて? それが望みではないのでしょう?」
夜刀媛は注ぎ足された酒を呷り、チラリと横に視線を流した。それに気付いた南風さんが「あたしは日和らないよ」と少しムキになって見せる。
確かに言う通りだ。簡単な問題を多数決で済ますならそれでもいい。けれど渡人のことは過去にも未来にも亘る根深い問題で、私の望みは全会一致。でも私は未熟な神だから敢えて聞いた。甘えだと思われても構わなかった。
「でも本音はどうですか? ここだけの話、聞かせて貰えませんか?」
食い下がる私に夜刀媛は少し困ったような顔をした。隣で南風さんが耳を塞ぐ振りをすれば、即座に肘鉄を入れて呻かせる。シリアスが崩れかけ、やれやれと夜刀媛は肩を竦めた。
「私自身は賛成よ。それも大いにね。だから是非とも明日は、貴女に癖のある連中を説き伏せて貰いたいと思っているわ。貴女はその期待に応えてくれるかしら?」
一筋縄では行かないわよ、と釘を刺しながら、夜刀媛は裏腹な優しい微笑みを向けてきた。見る者の心を穏やかにする懐の深い笑みだ。
「なー、あたい腹減ったー」
唐突な発言に視線を集める放谷。一方の手でお腹の辺りを摩り、一方の手で空になったジュースのボトルを回す。懐中時計を見れば、世間話に始まって小腹の空く午後三時。
「早めの晩餐にするにしてもまだ間があるわ。南風、貴女、妹さんとお伴を連れて表境内を案内がてら大巳輪の街で何か食べさせてあげなさい。夕餉に響く量は駄目よ」
「りょーかいっ。阿呼ちゃん、放谷ちゃん、行くよ」
当然二人は動かない。私一人が外されているからだ。けれど夜刀媛がそう切り出した以上は何かあるのだろう。私は意を汲んで、二人を「大丈夫だから」と送り出した。
***
燭台を手に進む夜刀媛を追って、本殿外回廊を御神座の裏手に回り込む。すると祭壇の真裏であろうその位置に、取っ手のない大扉が現れた。
扉の中心には瓢箪絡みに蛇目紋――8の字形に絡む二匹の蛇が描く輪の中に、蛇目を記した転宮の御神紋だ。
夜刀媛が神紋にベタッと両の手を当て、軽く捻れば不思議なことに神紋だけが回転して横を向いた。そうして転ばせた神紋の蛇目に両手を乗せる。すると神紋がまばゆい若草色に輝いて、夜刀媛をも包み込む。
「同じようにしてついてらっしゃい」
その言葉を残して忽然、夜刀媛の姿が消えた。取り残された私は慌てて蛇目に両手を添える。直後、輝きに包まれたかと思った刹那、浮遊感に足元を掬われ、筒状の光の中へと引き摺り込まれた。
「うわっとっと」
ポンッと転がり出たのは薄っすらと明るい岩窟。岩肌を覆う苔が光を放ち、天蓋から張り出す木の根も、星を宿したような輝きに彩られている。
「星彩の翆玉の瞳を持つ皇大神。ようこそ我が星霊の神座へ」
垂れ下がる木の根の下。緑柱石のような茎を持つ不思議な花の前に立って、夜刀媛は手招きした。
「なんですか、ここは?」
「秘密基地よ、ヒ・ミ・ツ・基・地」
段状になった岩棚に謎の花と並び立つ夜刀媛。見た目の年頃相応に悪戯っぽい笑みを浮かべている。近付けば差し向けられた手を取って、私は夜刀媛とともに花の前に並んだ。
「これは? 花の形をしてますけど、植物じゃないですね」
「星霊の結晶よ」
「結晶? 星霊の? でも星霊の結晶って言ったら霊塊なんじゃ?」
鸚鵡返しの問えば、夜刀媛は星霊花について説明してくれた。
万物との融合に種の繁栄を求める星霊が、何かの拍子に純粋に星霊だけで結晶化することがある。それが今、目の前にある花の形をした結晶なのだと。
「これは私の星霊から生まれた星霊花。だから私が生き続ける限り、ここで咲き続けるの。大抵は星霊花を生じたら死んでしまうし、物なら壊れてしまうのよ。そして花もいずれ風化する。けれども神は尽きせぬ星霊の泉! この花は言ってみれば私の子供みたいなものね。見せるのは貴女が初めて」
「奇麗ですね」
素直に言ったら、どういう訳か肘鉄が飛んできた。私が脇腹を抑えながら呻いてる横で、照れながら飛び跳ねるこの生き物は何だろうか。可愛いけどマジ痛いです。色んな意味で。
「あら、どうかしたの?」
「……いえ、なんでも。それで、どうしてそんな大切な花を見せてくれたんですか?」
すると夜刀媛は腰に手を当て、私といい勝負なない胸を反らしながら、ビシッと指を差し宣った。
「貴女! 霊塊から星霊花を創った貴女だからこそよ!」
「はぁ……。えっ!? 私が何? 霊塊から何!?」
まったく以って寝耳に水。狼狽える私を見て、夜刀媛はビシッと決めていたポーズから一転、ガクリと項垂れた。
「まあそうよね。自覚ないわよね。うん、知ってたわ。でもほんのちょっとだけ期待したの。気にしないで頂戴」
「はい、なんか済みません。でも、ホント意味が分からなくて」
「私だって分からないわよ。何をどうすれば霊塊から花が咲くの? だって霊塊自体が結晶なのよ? それを再結晶化って一体……。ほんっと謎だわ。まあ私はそうした謎が嫌いではないけれど」
そんなことを言われてもリアクションに困る。けれど、大幅に端折られた話の筋を辿って行くと、段々話が見えて来た。
南風さんに霊塊の化け物を見せられた時、放谷が口にした一言。野足と夜来の母狐の話だ。
南風さんの報告を受けた夜刀媛は、先行した南風さんの姉、西風媛に呼ばれて風合谷に赴き、そこで星霊花を見たという。母狐の死因は霊塊で、その霊塊から星霊花が生じていたのだと。
「へー、そんなことってあるんですね」
「ないわよ!」
「えっ、でもだって……」
「前例のないことが起こったから驚いているんでしょ」
「はあ……。え、まさかその原因が私だと?」
「消去法ではあるけれど、そのまさかね。何か心当たりはないかしら?」
「そうは言われても、私にとっては何もかもが初体験だし、前例があるとかないとか分からないですよ」
「確かにそうね」
「あ、でも」
「何?」
「南風さんには話しそびれたというか、霊塊の化け物が逃げ出す騒ぎとかがあって言えなかったんですけど……。私、あの時、去り際にお墓を振り返ったんです。そうしたら若草色の母狐の形をした影を見ました。直ぐに消えちゃったんですけど、何だか託すように頭を下げていたような気がして」
「それは如何にも曰くあり気ね。ただ、宿主を失った星霊は大気や水に溶けて次の宿り先を探すものだし、立ち昇る残滓を見ること自体はあり得るわ。それに星霊は想いに応えるもの。母狐の忘れ形見を託そうとする想いを映したのかもしれないわね」
だとしたら野足と夜来が無事な今、母狐が迷うことなく天に召されたことは信じていい筈だ。阿呼と放谷と、力を合わせて助けた二人は、犬神神社の夫婦神に迎えられて、今や新たな家族の絆で結ばれているのだから。
私が一人、得心の行った様子でいると、夜刀媛はがらりと空気を換えて、別の話題を振って来た。
「ところで貴女、隠さずに答えて欲しいのだけれど」
「へ? なんのことですか?」
「ぶっちゃけ貴女、楓露以外の星の記憶を持っているでしょう?」
「!!?!」
固まった。思考も体も完全に。発音不能な記号台詞が喉につっかえた感じさえする。
「その反応で十分判ったわ。ありがとう」
「やっ、え? どうして? なんで?」
「いいのいいの。あるのよ、そういうことが。とはいえ神では貴女が初めてだし、それが皇大神であることには驚いているけれど」
「私以外にもいるんですか!?」
「正確には、いた、ね。私の知る限り二人、貴女と同じで瞳に星条光を宿していたわ。いずれも神でなく嶋人。一人は隕火球と呼ばれる星の記憶を持っていて、もう一人は結氷球。それももう、随分と昔の話だけれど」
そんなことがあり得るのか。いや、私という実例がある以上、確かにあり得る。地球以外に人類を有する星の存在も、楓露を見れば否定に値しない。
「あの、他の星の記憶があると何か問題になりますか?」
「それは私には判らないわね。私の興味もそこにはないわ」
「興味?」
「当然でしょう。絶類にして絶比。星霊花の件にしても、特異存在である貴女に結び付けるなという方が難しいわ。私の興味は類稀な皇大神が楓露にどんな影響を及ぼすか、それだけよ」
なるほど、そういう視点か。つまり私は珍獣の類だ。
「私って実験動物みたいなものですか?」
疑念を込めて問うと、夜刀媛は軽く目を瞠って、それから思いやるような笑みを添えた。
「不安なのね? 分かるわ。きっと、この星で唯一人、異物のような存在だと感じているんでしょう?」
夜刀媛は私の頭をクシャクシャッと乱暴に撫でた。そしてそのまま私の頭を胸に掻き抱く。とても温かくて、とても……平たい。
「……ん? 今何か思って?」
「イイエ」
「まぁいいわ。とにかく、貴女は他星の記憶があるというだけのこと。その根っこは紛う事なき楓露の狼よ。そして私が貴女に向けるのは期待」
「期待?」
「そう。それはこの星を愛し、貴女自身を愛すること。星霊は想いに応えるのだから、それだけは忘れないで頂戴」
それだけを忘れなければ大丈夫、と旋毛の辺りに落とされる優しい口付け。夜刀媛が多くの神々から慕われるその訳を、感じ取れた瞬間だった。
「それで、具体的にはね」
あ、具体的な話に移るようです。なんかホンワカ奇麗に結んでお終いかなって思ってたらそうじゃなかったみたい。
「最初に聞いておくけれど、貴女の抱える不安は、楓露よりも記憶の星に思いを寄せているという点から来ているのかしら?」
「それは違うっ! 私はもうこの星で生きていくことに迷いなんてないですよ。そういうこと言われると逆に迷いそうだから止めて下さい!」
無論、本心だ。繊細な領域を棒で掻き混ぜられた気分になって、思わず強く否定してしまった。
過去は過去、今は今。その割り切りはもうできてる。新しい家族、旅の仲間、幾多の出会い。取り分け渡人たちと繋がった歌と御業の体験。今や私は固く楓露に紐付いている。郷愁を誘う私の大好きな秋の歌、「旅愁」すら朗々と歌うことができるだろう。その時に思い浮かべるのは大宮という新たな故郷だ。
「あら御免なさい。それなら結構よ」
ムスッとした態度をヒラリと躱して、夜刀媛はさらりと進めた。
「貴女の記憶にある星は地球?」
「えっ、どうして分かるんですか!?」
「別に分かった訳ではないわ。ただ、星霊はその起源となった本貫星から、地球、隕火球、結氷球を経て楓露に舞い降りた。後半二つの記憶持ちと会っていたから、そこから推測をしただけ。けれど地球の記憶があるなら、星霊が如何にその要素を取り入れた形で楓露を導こうとしているか貴女にも分かるでしょう?」
「それは、確かに」
当然だ。神社という器にトーテム信仰を注いだモデルは地球由来のものとしか思えない。星霊は地球の自然崇拝をベースに、人類の、ともすれば破滅に転がり落ちる過度な発展にブレーキをかけているのだ。
「でもどうして? どうして夜刀さんにはそんなことが分かるんですか? 夜刀さんにも地球の記憶が?」
「いいえ。私は純然たる楓露の蛇よ。種を明かせば私の知識は御業によるもの。貴女も大嶋廻りを経て皇大神の神座を継げば、星詠の御業を学ぶことになる」
「星詠?」
「星詠は星霊が蓄える全ての情報と繋がる御業。本貫星から楓露に至るまでの、ありとあらゆる情報を知ることができる。これは皇大神と八大神だけに許された御業なの」
星霊の二大本能の内、一つが情報の集積だ。星霊は集合知を有し、種全体で情報を共有している。
星詠はこの、星霊の持つ巨大データベースにアクセスする御業だという。私のような一個の存在からすれば、複数の惑星に跨る暴力的なまでの情報量はアカシックレコードと言っても大袈裟ではないだろう。
私も無意識下では星霊の情報にアクセスしている。それは御業を使う時だ。星霊は想起に応じて宿主の意を汲み、巨大データベースの情報でイメージを補完する。
私は話を聞くにつけ、地球では決して見られない魔法的現象の発露に関して、他の惑星由来の情報が関わっているではと予想した。
「それだけ膨大な情報が使いこなせたら、そんなのもう全知全能と変わらないじゃないですか」
「使いこなすのは無理よ。ただ、垣間見るだけ。星詠が原初の九柱の神々にしか使えないのは、それが恐ろしいまでの苦行だからだわ」
「苦行?」
「御業を完成させるのは術者と星霊の一致した能動。けれど星詠に限っては星霊は動かない。術者だけが主体となって情報の海に飛び込むの。それはもう那由多の果ての情報量よ。大抵は目当てを探し出す前に酔って弾き出されてしまうわ」
なるほど。図書館のように整然とはしていないのか。はたまたシュレッダーにかけたような断片ともなれば、そこから目当ての情報を抜き出すのは確かに苦行だ。
「でも、貴女は星霊が多分にモデルとした地球の記憶を既にして持っている。それは素晴らしいことだわ。だから私は期待しているの。今度の招集のこともそう。貴女が言葉通り、地球に未練を持たず、楓露で生きることを受け入れているのなら、その知識は必ず正しい形で活かされる。多少の不慣れや経験不足は私たち八大神が補えばいいこと。貴女には失敗を恐れず前へ進んで欲しいの」
「それは……。ありがたいお言葉ですけど、本当に私にできるのかな。正直、自信なんてないですよ」
「構わないのではなくて? 自信がなければその分慎重になるでしょう。生まれて半年の貴女にはそれくらいが丁度いいわ」
神格の頂点に立つ皇大神が自信がないなどと口にするものじゃない。私自身ですらそう思うのに、夜刀媛は一切否定しなかった。
「さて、確認と説明が長くなってしまったけれど、具体的な話に移るわよ」
「お手柔らかにお願いします」
畏まって言うと、夜刀媛は背中を叩いて笑った。それだけで緊張がほぐれる。
「星霊の崩れに関してはもう知っているわね。南風の手引きで霊塊の化け物も見たでしょう――。星霊の降臨から一万五千年を経て、随分と星霊の崩れが目立つようになって来ているの。中でも赤土ではそれが顕著で、霊塊の化け物ばかりでなく、大地に根差す星霊の崩れによって、環境の破壊が進んでいるわ。勿論これらのことは、長い目で見れば楓露や星霊の新陳代謝だから、一概に否定するものではないけれどね」
「今の話のどの辺に私が役に立てる要素があるんですか?」
「例えば貴女の接触や歌唱が霊塊にどう影響するかを解明して役立てたいわ。それに、もし霊塊から意図的に星霊花が生み出せるなら、それを素材に強力な神宝を創って、順次災害地に投入することも可能になる」
「なるほど。歌に関してなら私にも期するところがあります」
私は歌にまつわる体験を語った。最初はあの宇宙空間。暗闇に歌で光を見出した。それから歌うと輝くこと。星霊の垂れ流しと言われて凹んだけれど、調査局にで歌った時には、光が調査員に飛び込んで全員に同じ幻を見せた。
「ひょっとしたら貴女は星霊に運ばれて来たのかもしれないわね。瞳に星条光の輝きを持つ者は皆そうなのかも」
私もそんな気がした。あの宇宙空間で私を包み込んだエメラルドの光。あれはやはり星霊だったのだ。だとしたら私の歌が星霊を呼んだのだろうか。
「貴女の歌と星霊とに何らかの関係性があるのは確かでしょうね。風合谷の墓前で歌えば星霊花を咲かせ、御業に慣れてきたところで渡人に不思議な体験をさせた。例えばそう、貴女の歌は星霊のお気に入りかも知れないわ」
「お気に入り? 私の歌が?」
その言葉は私をいたく喜ばせた。渡人の一件以来、歌と星霊とを繋げたオリジナルの御業を想像していた私には、それ以上の言葉などない。私の歌が星霊のお気に召したなら、遠からず確たる御業に昇華できるのではないか。そう思うと嬉しさが過ぎて、くすぐったさに跳ね回りたくなった。
「いずれにせよ、未知数の部分については当面の経過観察が必要よ。だから貴女はこれまで通り自由にやりなさい。私はとやかくは言わない。報告や相談はいつでも歓迎よ」
「分かりました。何かあったら夜刀さんに言います」
「結構。でも今は目の前のことに集中ね。八大神を呼び出した以上、明日の話をきちんとまとめることが第一だわ。既に言ったけれど、私は賛成も反対も口にしませんからね」
「了解しました。健闘だけお祈り下さい!」
「はいはい。しっかりとおやんなさい」
明日のことに主眼を置けば、今夜の会話は確かに脱線だ。けれど地球の話が出て、これまでなんとなく肩にかかってた荷は降りたし、歌の話が色々できて俄然、気持ちは上向いた。
「あっ」
「どうしたの?」
「私、夜刀さんに歌を作ってたんです」
「え? 私に?」
「水走を色々見て回って、こうしてお話もできて、完成した歌を贈り物にしようと思って」
夜刀は私の手を取り、そこにもう一方の手を重ねた。指甲套が振れて、温もりと冷たさを感じる。
「貴女は優しい神様ね。明日のことが済んで落ち着いたら、是非聴かせて頂戴。愉しみにしているわ」
「はいっ」
優しい神様だと言われてしまいました。風合谷で、放谷がそうなると言ってくれた神様に、一歩くらいは近付けたのかな?
私はこの夜、嬉しさからか、明日への緊張からか、中々寝付くことができなかった。目を覚ました阿呼が白狼の姿になって抱き付いてきたので、私も狼の姿になってもふもふの安らぎの中、ようやく夢の淵に辿り着いた。




