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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の二 水走編
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035 水走名所巡り

 九月末日。野飛月のとびづきの終わるこの日は谷蟇たにくぐ神社で実りの祭りが執り行われる日。私たちはかねてからの約束通り、痲油めあぶら姫ら社の神々と里人たちとの再会を果たした。

 閑野生しずやなりの宿から茅の輪でひとっ飛び。朝一で訪れると、既に境内は神々と里人が楽し気に入り乱れて、笛の音と太鼓の音が響いていた。

 役者が揃ったところで、以前、お風呂から見渡した御新田の刈り入れ。神々と谷蟇神社衆が総出で刈った稲を、里人と混じって束ねては積み上げた。

 いい汗かいて昼餉を済ませたら、境内に響くのは軽やかな祭囃子。早速その輪に加わって、踊ったり歌ったり、餅搗もちつきをしたり。子供たちと手を繋いで花いちもんめや手繋ぎ鬼をして遊んだ。

 それから覚えたての湧魂わくたまを使って、痲油姫と一緒に里人にさきわいを与えるなど、ここ数日の成長振りを披露することもできた。

 夕餉の振る舞いにおはぎが供されて、私も一つ頂くと、切り目縁に座って足をぶらぶらさせている痲油姫の隣にどっこいしょ。


「すっごく楽しいお祭りだった。招待してくれてありがとう」

「こちらこそお礼を言うのだわ。首刈様たちが来て下さって、例年より賑やかになっただわよ」

「それはよかった。今年は池の数も増えたし、来年の実りも期待できるね」

「その通りその通り。ところで話は変わるのだけど。首刈様が渡人を連れて来た時には何事かと思っただわよ。一体あの者たちと何をしようと言うの?」


 私はこのお祭りに、知り合ったばかりのイビデと数名の調査員を連れて来ていた。

 イビデたちの前ではおくびにも出さなかったけど、私にも多少の不安はあった。茅の輪を潜った直後、谷蟇神社の境内が水を打ったように静まり返った時には随分と肝が冷えたものだ。けれど、私の友人であることを伝えたら、最初はぎこちないながらも次第に打ち解けて、今ではすっかり溶け込んでいる。


「大嶋と渡人の間にある溝を、少しでも埋めたいなって思ったの」

「……知泥ちねで?」

「いやいやいや、そーぢゃない。それ、どーゆう発想?」

「大嶋と渡人の間の溝と言ったら海でしょ?」

「うん、違う。私が言ってるのは心の距離ね」

「ほわぁー、それはまた難しいお話だわ」


 やはり神はそれを難しいと思うのか。いや、今のニュアンスはちょっと違うな。それにしても溝を海と判じた上で、それを知泥ちねで埋めるという発想は凄い。全力で星霊を注いでも、そこまでの知泥は作れっこない。

 私は従神や谷蟇衆、そして里人と酒を酌み交わすイビデたちを見た。彼らは茅の輪を潜るのも初めてで、ガチガチに緊張していたけれど、今の表情を見るに、連れて来て正解だったと心から思えた。


「首刈様は今晩、わちとこにお泊り?」

「いやー、そうしたいのは山々なんだけど、連れて来た渡人のこともあるし、一緒に帰るよ。こっちは明日も忙しいんでしょ?」


 明日は、今日里人が持ち込んだ農具などを直す仕事があるという。湧玉わくたまの池の星霊を用いて丈夫になった道具は、来年の実りに大きく貢献してくれることだろう。

 境内を見渡すと、阿呼は子供たちとお絵かき歌。放谷はお酒を飲んだのか赤ら顔で舟を漕いでいる。南風さんは太鼓に合わせて笛を奏で、イビデたちは里の衆と飲み比べ。

 おはぎを食べ終えた私は、膝の上で鳴く殿様蛙を草陰に放って、切り目縁を離れた。お世話になった瀬所丸せぜまるさんに声をかけると、寝た子を背負った母親を里まで送って行くと言う。その姿を鳥居の向こうに見送って、私もみんなの所へ。


「イビデ、そろそろお暇するけど、来てみてどうだった?」

「首刈様! こんな風に神様や嶋人と触れ合えるなんて、夢を見てるみたいです。連れて来て下さって本当に感謝しています」

「ならよかった。一歩踏み込んだだけで変わる景色はあるからね」

「そうですね。村祭りの踊りを教わったので、帰ったら来られなかったみんなにも教えようと思います」


 童心に返ったように歯を見せて笑うその姿に、私も自然と笑みがこぼれた。この光景が大嶋のどこへ行っても見られるようになれば素敵だな。その為に何が必要かを渡人や神々と話し合って、私が思い描く平和な大嶋を、それぞれのニーズに合った形で実現して行こう。


「それじゃあ皆さん、来年もまた会いましょう! 皆さんが健やかな一年を過ごされますように!」


 私は声を大にして別れを告げ、大勢に見送られながら茅の輪を潜った。また新しい明日へ向かって。




 ***




 明けて翌日は月も替わって十月。風渡月ふとづきは一層の紅葉に加え、渡り鳥の季節だ。

 宿に戻った私たちは朝から支度をして、水走の名所巡りに臨んだ。一番手は最寄りの夜刀楠やとのくす。南風さんによると根股に茅の輪があると言うので、宿の茅の輪を借りて早速向かう。

 ひと跨ぎに空間を越えて抜け出すと、色濃い緑の影の中。振り返れば巨大の一言では表現しきれない大樹の幹。見上げれば樹冠の下から横八方無尽に伸びる豪の枝張り。


「おおおお、これはっ……。これが夜刀楠!?」

「こんなにおっきな木があるのね。阿呼、びっくりしちゃった」

「しかも地を這うみたいに横に横に伸びてるのなー」


 言い伝えを真に受けるなら、それは樹齢一万五千年にも及ぶ神秘の巨大樹。私たちの頭上を伝説のくすのきが無尽の枝を張り巡らせていた。

 茅の輪を出た瞬間から感じられた圧倒的な生命力のオーラ。幹幅二〇米は軽々と越す樹幹。水平に伸びる枝すら信じ難いほどの太さで、それが思うさま波打ちながら横へ横へと広がる異観。

 どの枝も更に枝分かれして、下へ向かえば腕木になって自重を支え、上へ向かえばそれが一本の木であるかのように、樹冠も枝張りも目を瞠る秀麗さだ。


「これ、一本の木なのに……」

「うん。たった一本で、森ね」


 阿呼の言う通り、この木一本で森だ。枝に沿って少し離れた場所から見上げれば、まるで水面下から見上げる天橋立あまのはしだて。足下の根上がりは地を這う大蛇のよう。夜刀楠が蔭を落とす範囲は半径一〇〇米を超す勢いで一円を覆い尽くしていた。


「驚いたでしょ。これが夜刀様の分身わけみって言われてる夜刀楠。楠独特の自由な枝ぶりが、そのまんま木の持つ生命力を表してるよね」

「いやー、すげー。こりゃー蜘蛛の巣張り放題だなー」

「こらぁ! 夜刀様に失礼でしょーがっ」

「そんなことしちゃダメ」

「放谷、あんた口を開けば碌なことを言わないね」


 放谷の野放図な物言いに三方からの鋭い掣肘。あまつさえ阿呼に尻を叩かれた放谷は根上がりの向こうに逃げ込んでしまった。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「阿呼、前に上枝ほつえ下枝しずえのお話をしたけど、こんなに立派な下枝になるのは大変そう」

「だね。お姉ちゃんもちょっと無理そう。でもさ、この木は一万と五千年だから、私たちも見習って、焦らずに頑張ろう」

「うん、そうだね」


 葉漏れ陽の柔らかな緑が、まるで星霊の降り注ぐ異世ことよを映しているようで、私たちはこの巨樹が放つオーラに力を分けて貰っているような、そんな不思議な感覚に包まれた。


「気持ちいいよなー、ここー。夜刀媛ってこんな感じの神様なのかなー?」


 根上がりの上にひょっこり顔を出した放谷が、いつもの歯抜けの笑顔で言う。ふと見ると、南風さんは大好きな人を褒められたような、とっても嬉しそうな顔をしていた。

 夜刀媛は多くの神々から慕われる神だ。それは決して、私や阿呼がそう教わったというだけではない。その名を口にした水毬みずまり姫や八頭やつぶり姫の仕草、表情に確かにそれを感じた。今、南風さんのどこか誇らしげな横顔を見ても、確かにそうと感じられる。

 水豊かなる大地に、その水が走れば川筋は蛇を描いて、土地の隅々にまで恵みを運ぶ。その水を吸い上げて青々と、隆々と育まれる力強い命。太く逞しい幹には獣が寝そべり、梢には鳥たちが歌うだろう。


「会うのが楽しみ」


 最初はどこか、会うことの怖さも感じていた。けれど、この大らかで自由な楠を見れば、今は一刻も早く、春告の女神に会ってみたかった。




 ***




 夜刀楠から半日歩いて一宮の鳥居前町、大巳輪おおみわに宿を取った私たちは、この日も朝早くから支度をして宿の茅の輪を潜った。

 出た場所は見渡す限り葦の原。けれど、それらをしならせる硬い風には、磯の香りが含まれていた。


「海? 海に来たの? 血沼川ちぬがわを見に行くんでしょ?」

「そだよ。ご注文通り、この葦原を出れば血沼川の河口は直ぐだから」

「おお、河口か」

「お姉ちゃん、これが海の匂い?」

「うん、そうだよ。潮の香り」

「ほー、なんだか変な臭いだなー」


 密集する葦を押し分けると、パッと開けた向こう側に黒波寄せる磯浜。十月の海風は内地より冷たくて、駆け出した私たちの肌に刺さった。


「わー、これが海なんだ。とーっても広ーい!」


 時折強く吹き付ける磯風に逆らって、砂浜に点々と足跡を刻む妹。それを追って波打ち際まで駆け下れば、寄せる波のあわ甚三紅じんざもみの赤に染まって、千切れるように風に流された。


「この色、もしかして……」

「直ぐ向こうに血沼川ちぬがわの河口があるからね。それでこの辺りの海も一面赤く染まってる。ここは血沼ヶ浦(ちぬがうら)って呼ばれてるよ」

「そっか、だから海が黒いんだ」


 目の前の海には青さがない。赤い川の水が溶けて黒く見えるからだ。南風さんの言葉に得心した私は、寄せる波に付かず離れずはしゃぐ二人に呼びかけて、河口を見に行くことにした。


「海の水ってのは赤いんだなー」

「いや、ここの海は特別だよ。普通は手に掬えば透明だし、眺めれば青い」

「そうよ放谷。海で有名な青海おうみも青い海って書くんだもの」

「そっかー。あたいの青海波の財布も青色だもんなー」


 放谷は果てのない海を眺めては「大したもんだ」と、上から目線のご感想。

 間もなく河口に着くと、水の赤さに川縁の砂子までもが赤く染まっていた。思っていたよりもずっと赤色が深く、浅瀬を除けば川床が見えないくらい。血よりも尚濃い真紅の川は、なんとなく私に三途の川を連想させた。どこか霊場のように横たわる厳かな気配。


「どうしてこんなに赤いんだろ? 南風さんは知ってる?」

「上流の血沼ヶ淵(ちぬがふち)に咲いてる花が原因だよ」

「へー! この赤は植物の赤なんだ」

「血沼ヶ淵の水引みずひきは葉っぱまで真っ赤な、他ではちょっと見ない種類でね。そこで蛇川の水が染まって、川の名前も血沼川に変わるって訳」


 きっと植物学者のソランさんなら詳しいだろうな、と思いつつ、私は南風さんに川のいわれを尋ねてみた。

 南風さんは諸説あるとしながら通説を語ってくれた。曰く、この川の赤は情念の赤なのだと。

 くちなわトーテムの象徴にもある川と情念。この赤い川にはきっと、様々な人の想いや願いが流れているのだろう。それは紛うことなく血の通った想いに他ならない。


「どう? いい歌できそう?」

「うん。南風さんが連れて来てくれたお蔭で、埋まらなかった詩行が埋められそう。ホント助かった。ありがとう」

「いえいえ、どう致しまして。夜刀様に贈る歌なら、いい歌に仕上げて貰わないとだからね」


 私は早速歌詞の断片を書き留めようと、鞄から帳面と矢立を取り出した。その時、サッと頭上を過った影。正体を求めて振り返れど既に姿はなく、葦原の向こうへ舞い降りたようだった。


 クォッ、コーーゥ


 吹く風に負けず、強く通る鳴き声。


「この声、もしかして……」

「そろそろ時期だからね」


 南風さんの言葉にやはり、と思う。地図で見た時、血沼川の河口に重なるように、水走二宮、田鶴音たづがね神社が書き込まれていた。

 鶴は千年、亀は万年という私の感覚からすると、二宮と三宮が逆な気もしたけれど、そこは楓露と地球の違い。今の鳴き声は田鶴音たづがね神社の神域に舞い降りた鶴に違いない。


「後で二宮にも挨拶しておいた方がいいよね?」

「今いないよ」

「えっ、そうなの?」

「鳥のトーテムは風渡ふっとの神事の要だからね。明日の天開あまびらき神事に備えて、総出で風宮かぜのみやに行ってる。戻るのは早くて明後日かな」

「そうなんだ……。私、鳥って大好き。空を自由に飛べるし、歌うように鳴くでしょ? 鶴の求愛の踊りなんて最高に素敵だもん」


 風渡は風の大地。ほぼ全域が海抜千米からの台地で、渡り鳥の渡来地や猛禽類の生息圏が随所にある。そこは鳥たちの楽園。風宮かぜのみやいます八大神も翼ある神だ。そして隣り合う水走も浮寝鳥を中心に渡り鳥が多く見られる。ここ田鶴音は鶴の一大越冬地として知られていた。


ふくろうの求愛は鼠とか蜥蜴とか獲物を贈り物にするよ」

「即物的で人間に近いよね。てゆーか南風さん、夏推しもそうだけど、一々対抗心燃やすのやめない?」

「やだ」


 千年生きててこれですよ。やれやれ。と、そこへ河原を行ったり来たりしていた阿呼たちが戻って来た。


「なぁに? 鶴さんのお話?」

「そうそう。やっぱり鶴の恩返しとかってあるのかな?」

「あるなー、鶴は色んな昔話に出てくるぞー」

「阿呼知ってる。助けて貰ったお礼にはたを織るのよ」

「うんうん。それに鶴は美味いんだー」

「きゃー!」

「放谷、なんでも食べる方に持っていくのよしなさいってば」


 まぁ私たちだって必要に迫られれば狩りをして食べるんだろうけど、亀の時といい、放谷は直ぐ阿呼に悲鳴を上げさせるんだから。

 そんなこんなで私たちはお昼近くまで、待望の海を眺めながらまったりとした時間を過ごした。

 私は河口の岩に腰掛けて作詞に取り組み、阿呼は白狼になって浜辺を走る。その後ろを行く大蜘蛛がやけにシュールで、思わず浮かんだ詩行が飛んで行きそうになる。


「おーい、首刈ー。雲が黒いー」

「蜘蛛が黒いって、それは放谷のことでしょ」

「じゃなくて、雨がー」


 言い募る放谷の言葉も終わらぬ内に、ポタリと落ちた大粒の雨。帳面に書き留めた歌詞が滲む。私は大慌てて片づけをして、神庭こうにわで買った桐油紙とうゆしの雨合羽を着込み、葦原の茅の輪へと駆け戻った。




 ***




 血沼ヶちぬがうらを引き上げた私たちは女夜めやの街の宿に転がり込んだ。転宮街道を普通に歩けば閑野生しずやなりから八日ほどの場所にある街だ。


「さ、直ぐに出かけるよ」

「え? 今日はここに泊まるんじゃないの?」

「あたし明日は風宮の神事に顔を出さないといけないから、今日中に水城跡みずきあと近くの無人宿まで行って、そこで一旦別行動ね。明日は三人で水城跡に行って貰って、私は明後日迎えに来るから、無人宿で待ってて」

「そっか、了解。じゃあ早速出かけよう」


 街へ出て遅めのお昼を取り、それから夕飯用の食材を買い足して出発。女夜から水城跡は歩いて二日の距離だ。

 私たちは夜になる前に無人宿を目指し、街道沿いの藪中を獣に移姿うつして駆け抜けた。南風さんは土不要つちいらずで連れて行ってくれると言ったけど、ここしばらく人の姿で過ごしていたし、たまには獣の勘を取り戻さないとね。

 目当ての無人宿に着いたのは夕空が一番深い赤に染まった頃。南風さんは私たちが宿に入るのを見届けると、暮れ行く空へ飛び去った。


「さあ、お夕飯の支度に取りかかろう。放谷は囲炉裏端のお掃除をお願い」

「おー、任せとけー」


 私と阿呼は水屋に立って水を汲み、かまどと流しに分かれて支度を始めた。今日のお夕飯は芋煮! 犬神神社で貰ったレシピを参考に、女夜で買った食材を下拵したごしらえして行く。余分めに買った芋類は次の泊り客の為に食料棚へ。


 トントントン――。


「ん? 今誰か戸を叩かなかった?」

「そう? 阿呼は気が付かなかった」


 火吹竹ひふきだけを構えてしゃがみ込んでいる阿呼。薪の爆ぜる音で妹には聞こえなかったのかもしれない。


「ちょっと見て来るね」

「うん」


 私は広い土間を渡って戸口のつっかえ棒を外した。ガラガラッと建付けのよくない戸を引いて、すっかり日の落ちた外を見渡す。


「おかしいな。誰もいない。気のせいだったかな」


 独り言ちて流しに戻り、俎板の食材を鍋に流し込んだ。すると、


 トントントン――。


「阿呼、今の聞こえた?」

「うん、戸を叩く音がした。お姉ちゃん、さっき見に行ったんでしょ?」

「それが、戸を開けても誰もいなかったの」

「じゃあ今度は阿呼が見て来る」

「うん。誰かいたら呼んで」


 阿呼が戸口に向かうと、私は放谷を呼んで鍋を囲炉裏にかけて貰い、自らは竈の前で火加減に目を光らせた。


「始めちょろょろ中パッパ。赤子泣いても蓋取るな。ってね」


 独り言ちて火吹竹を構えると、「お姉ちゃん来て」と阿呼の声。けれどカタカタ鳴る蓋を見れば炊き上がりの微妙なところ。私は大声で放谷を呼んで、阿呼の様子を見に行って貰った。


「おーい、首刈ー。これ見てみろー」


 二人並んで小篭を抱えている。覗いて見ると柿やら栗やら木通あけびやら、どれも立派な大きさで見るからに美味しそう。


「どうしたのこれ?」

「戸口の前に葉っぱを被せて置いてあったの」

「えーっ、誰が持って来てくれたんだろう?」

「きっと廻戸はさまどだなー」

「はさまど? 何それ」

廻戸狐はさまどぎつね廻戸狸はさまどだぬき、他にも廻戸家守はさまどやもりなんてのもいてなー。こうして世話を焼く代わりにお返しを欲しがるんだー」

「へー! お返しは何をしたらいいの?」

「それなら芋煮でもよそって、戸口に並べてといてやればいーと思うぞー」


 なんとも可愛らしい伝承に巡り会えたようで、私も阿呼もすっかり嬉しくなってしまった。でもこれ、知らずにお返しを忘れたりしたら、どうなっちゃうんだろうね。

 私たちは余分にお椀を三つ揃え、そこに芋煮をよそって戸口に並べた。本音では何が出て来るか見たかったけれど、待ち構えてたら出てこないかもしれない。私たちは囲炉裏に戻って、あーだこーだと話をしながら、久方振りに三人の夕餉を楽しんだ。

 朝になって戸口を開けると空っぽのお椀が三つ。草陰で音がして、見ると仔狸が顔だけ出してこっちを見ている。それを後ろから現れた親狸が首を咥えて草叢の中へ。


「狸の一家だなー」

廻戸狸はさまどだぬきだったね」

「おーい、秋の味覚をありがとうねー」


 お礼を言ったら高い草が大きく揺れて、どうやらそれが返事のようだった。




 ***




 水城跡を目指して無人宿を出た私たちは、お昼過ぎに水走大水城と彫られた石塚に行き当たった。街道は段丘を下って護解もりとけへと延びている。けれど何処に水城跡があるのか、開けた段丘には階段状に湿原が広がっているばかりで、それらしいものは何処にもない。


「あのー、済みません。ちょっとお尋ねしますけど」

「は? え、なんですか?」


 日中人通りの多い街道に渡人の旅人を捕まえて問えば、相手は私の耳と尻尾を見て後退る。そんなに警戒しなくてもいいじゃんか。取って食ったりしないよ。


「私たちここに水城跡を見に来たんですけど、塚はあるのに何処がそうなのかよく分からなくて」

「水城跡なら、この湿原が全部そうですよ」

「えっ!? これ全部!?」


 でかっ! まさか眼下に広がる湿原がそうとは夢にも思わなかった。しかし考えてみればここに水城が掘られたのは五百年も前のこと。水草や周辺の草木も茂って、かつての姿は失われてしまったのだ。


「はー、これ全部が水城なんだって」

「端っこが見えないくらい広いのね」

「三段構えになってるんだなー。これを越すのは大変そうだー」

「ねー。あ、どうもありが……。いない」


 教えてくれた渡人の人にお礼を言おうとしたらもういない。逃げることないじゃないかと思ったけど、これが現実なのだ。けれどそのままにはしておかない。よそよそしい渡人との関係を、私が変えて行くんだ。

 決意を新たにして、私は水城跡の湿地に下りて行った。藻で埋め尽くされた堀は濁っていて、正直見栄えのいいものではない。そこを水蛇が泳ぎ、時折魚が跳ねる。


つわものどもが夢の後、か……」

「昔はどんなだったのかな?」

「中を覗いたら渡人の白骨でもあるかもなー」

「きゃー!」

「ある訳ないでしょ。五百年前の戦は誰も死んだりしてないんだから」

「そーだったなー。で、どーするー? しばらくのんびりして行くかー?」

「ううん。帰ろう。ゆっくり行っても無人宿に着くのは夕方になるし」

「もういいの? お歌は書けたの?」


 阿呼の言葉に、私はもう一度水城跡を見渡した。


「ここはいいの。この場所は、忘れられて行く場所なんだよ。同じ過ちを犯さない為に覚えておくことは必要だけど、私が目指す大嶋にはなくていい場所。神々と渡人が争った証拠は、もう、なくていい」

「なくていい場所かー。それもそーだなー」

「でしょ? 見てよこの景色。私たちだーれも、ここが水城跡だなんて思わなかった。石塚にちゃんと書かれてたのにだよ? それくらい、もうこの場所自体が水城跡だったってことを忘れてる。忘れようとしてるんだよ。だから私たちもこのまま帰って、昔のことは掘り返さずに、そっとしておこうよ」

「うん、そうしよ。帰って、またお夕飯の支度しなくちゃ」

「おー、今夜はなんだー?」

「今夜は昨日貰った栗で栗おこわを炊こう。余ってる里芋は衣被きぬかつぎにして食べる! 美味しいよ」

「阿呼、どっちも好き!」


 今夜もまた廻戸狸はさまどだぬきは戸を叩くだろうか。ひょっとしたら今夜は他の過客と居合わせるかもしれない。旅は道連れ。たまにはそんな夜もいい。また耳や尻尾を見て逃げ出したら、その時は追っかけてやろう。そんなことを思いながら私たちは帰路に就いた。

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