034 最初の一歩
二日経って九月二十九日。
お昼を済ませたところへ調査局から迎えが来た。前日に調査局に出向いた石楠さんを介して、迎えを出して貰えるよう頼んでおいたのだ。
「本当に一人で行くの?」
「うん。阿呼たちの修行の邪魔をしちゃ悪いからね」
「あたいはお伴なんだけどなー」
「分かってるけど、放谷はきっと退屈しちゃうよ? それよりも先々の為に御業を覚えて貰った方が私は嬉しい。送り迎えはちゃんとして貰うから大丈夫。――ところで南風さん」
「はいはい。例の件でしょ? 夜刀様には夕方にでも会いに行って来るよ」
「よろしくお願いね。それじゃあ行ってきます」
三人を残して一階に下りると、受付の待合所にイビデが待っていた。一昨日知己を得た金髪の女性調査員だ。イビデはフランボワーズの瞳に私を捉えると、静かな目礼をした。
「お待たせ。じゃあ行こう」
私は旧来の友人にするように、立ち止まらずに声だけかけて通りに出た。酒食を共にし、歌を交わした仲だ。今更鯱張る必要もない。
閑野生の街を歩いていると、明日は月末とあって人の流れが慌ただしく感じられた。そんな中、耳と尻尾を付けた私と、調査員のイビデの取り合わせは浮くらしく、行き違う人々は珍しいものを見たような顔をして通り過ぎて行く。
「やっぱり目立っちゃうね」
「そうですね。でも、悪い気はしません」
秋の風に金色の髪を靡かせる横顔には、心なしか得意気な笑みが浮かんでいた。余人は知らず、皇大神をエスコートして歩くという事実に、イビデは緊張よりも喜びを感じてくれているようで、私はそれが嬉しかった。
やがて目抜き通りを逸れて調査局に到着。初めて見る昼間の調査局は、あの晩のような喧騒とは無縁で、ひっそりとしていた。食堂には遅めのお昼を取る調査員が数人。カウンターバーに人影はなし。受付では窓口と話すチームらしき調査員たち。その横手、依頼票の貼られた掲示板の前に三人ほど。
私はイビデの案内で奥の階段を上がった。二階は主に調査員の宿泊施設になっていて、両側に狭い感覚で扉が並ぶ廊下を抜けて行く。突き当たりを右に折れてしばらく進むと、イビデはどん突きの扉を開けた。
「首刈様をお連れしました」
「約束通り来たよー」
気兼ねなく部屋に入れば会議机の向こうで三人の男性が立ち上がる。一人はジーノス。ボスと綽名される調査員たちのまとめ役だ。もう一人はカリュー。八弦琴を爪弾いて私の歌の伴奏をしてくれた。そしてもう一人。
「お待ちしてました首刈様」
「こんにちは、ジーノス。カリューも。そっちの人は初めましてですね。どうも、大宮の首刈です」
テーブルの脇に出て佇立する初老の男性は、灰色のローブとともに調査員とは異なる雰囲気を纏っていた。彼は目が合うと緊張気味に近付いて来て、私の前に恭しく片膝を着いた。
「初めて拝顔の栄誉を賜ります。私はカリューの叔父。モナスリゴートの末にて、狼トーテムを祀る者。名をソラン・ブランと申します」
なんとなんと! 真神の狼を信奉する信徒の方ではあーりませんか!
私は早速その肩に右の手を添えて、過日南風さんに教わったばかりの湧魂を唱えた。
ソランさんのリュートを爪弾くような波長を感じる。そのリズムを手繰って、彼の星霊核を私の星霊で軽く突っつく。すると彼自身の回復力に星霊が溢れ、私はそれを均等に行き渡るよう五体の隅々に誘導した。
「どうですか? 少し体が軽くなったりしました?」
「……言葉になりません。このような体験は初めてです。最早若返った気すら致します」
「私も狼トーテムの人にこうして幸を与えるのは初めてです。会えて嬉しいです。さあ、立って下さい。席に着いて話を始めましょう」
ソランを戻らせて席に着くと、正面にジーノス。その両隣にカリューとソラン。そして私の隣にはイビデが座った。
「えと、今日は霊塊の件を話すんだけど、その前に審神の小杖の件。昨日、ここへ石楠さんが来た時にはどういう話になったの?」
「はい。彼女は予定通り、この部屋でラデルの聴取を行いました。その後、ラデルを伴い、現在は護解へ向かっています」
「護解へ? それは進展があったってこと?」
「我々は聴取の立ち合いを許されなかったので、詳しくは分かりませんが、そうです。ラデルの依頼元が護解にいるということで、会いに行ったものと思われます」
ジーノスの説明は漠然としていたけれど、石楠さんの立場なら主祭が馬宮の恥と思っている話を必要以上に広めたくないのは当然だ。気にはなるけど、戻って来た時に本人から詳しく聞けばいいだろう。
「じゃあそれは了解。で、霊塊の話だけど、一昨日言った通り、審神の小杖も霊塊も、その用法にプラスの要素があるなら取り立てて問題視する気はないの。対処すべきはその逆で、マイナスの場合。その場合は一旦、依頼そのものや霊塊の流通を止めて、話し合いで解決したい。これが私の希望」
「その件について、事前に我々の方でも検討しました。問題は、我々調査員はあくまでも依頼を受ける形でしか霊塊に関わっていないという点です。従って我々を介して依頼主の手に渡った霊塊がどのように利用されているかまでは分かりません」
「それは、本当に全然分からないの?」
「基本的にはそうです。仮に分かっていた場合でも、守秘義務やら何やら、調査局にも規定があるので、軽々に外部に漏らす調査員はいないでしょう。我々、閑野生支部登録の調査員に関しては首刈様のご意向に従うつもりでいますが、現状、他局までとは行きません。依頼を受け、遂行し、余計なことは口にしない。そうした信頼が次の仕事に繋がるので、お互い調査員同士と言っても、容易ではありません」
「なるほど。なら先ずはこの閑野生から始めよう。それで徐々に他の支部にも波及させて行けたらいいと思う」
私は言葉を切って、イビデが淹れてくれた紅茶を一口味わった。杏子の香りが鼻に抜けて、しばらくその余韻を楽しむ。
「最初に言っておくべきだったけど、私の大なる目的は一つ。この大嶋は神、人、獣が自然の恵みを受けて、自然の掟に従って、時には助け合ったり、互いに寄り添って暮らす場所。けど人は今、嶋人と渡人がいて、貴方たち渡人は神々とも嶋人ともいい関係を築けているとは言えない。でしょ? だから私はその点をきちんと見直して、大嶋を一つにしたいの。――じゃあ何から始めるかって考えた時に、貴方たちは渡人で私は神なんだから、先ずはその二者間から手を付けましょうってこと。その為には審神の小杖や霊塊みたいな、神々が難色を示す問題を取り除いて行かなくちゃいけない――。私は今、この問題で八大神に招集をかけてるけど、会合が成れば小杖のことも霊塊のことも、必ず議題に上がる。ううん、私が議題に上げる。そこできちんと説明をして、分かって貰う必要があるの」
八大神招集。そのワードには全員が動揺を示した。話が大き過ぎると感じたのかもしれない。けれど、神々と渡人の関係を神々と嶋人のそれに近付けようというのだから、神々の束ねである八大神の理解を得ずしてなると思って貰っては困る。
「いや、心配しないでね? 八大神と話をするのはあくまでも私。だから、みんなにはその時の為に材料を揃えて欲しい。審神の小杖に関しては石楠さんとラデルが動いてるから、その報告を待つとして、私たちは霊塊について、何をどうするべきで、実際に何ができるのかを検討し合う。おーけー?」
「承知しました。少なくとも我々閑野生の調査員は首刈様に全面的に協力します。そこで、こちらで幾つか検討した内容を説明をさせて頂きます」
ジーノスは早速に私の意を汲んで話を先に進めてくれた。こんな風に渡人の側が積極的になってくれさえすれば、私の立てた目標も決して手の届かないものではなくなる。
「先ず、先日お話を伺ってから、仲間と検討した結果。その用法がプラスかマイナスか、現状では不明と判断する他ない依頼を全面停止することに決めました」
「全面停止? 依頼を受けないってこと?」
「はい。不明なものに限りますが、その通りです」
「えっ、それは大丈夫なの? その、収入面とか。それに同じ依頼主が発注する別の依頼なんかも、他所の支部に流れちゃったりはしない?」
順番に顔を覗き込んで行くと、隣のイビデがその問いに答えてくれた。
「確かに、首刈様の言われるようなリスクは生じます。ですが、先程一階の閑散とした様子をご覧頂けた通り、みんな普段の仕事を新たな取り組みと感じて頑張ってます。化け物退治専門の調査員も、例えばそちらのソランさんが発注する植生調査など、普段受けたことのない依頼に取り組んでくれています」
「そうなんだ。それで生活が回るならいいけど。……ん? ソランさんって依頼者側の人なんだ。いや、見た目、普通の人だなとは思ったけど、カリューの叔父さんだって言うからてっきり……。ソランさんは普段何をなさってるんですか?」
「私は学者です。主には大嶋の植生相につい研究をしております。中でも日々の暮らしに関わる食料源としての植物。或いは衣服を染める染料としての植物。それらを中心とした新種や自生地の調査、及び研究に従事しております」
「植物学者さんなんですね。なんだか狼トーテムのイメージと違うような」
「ブラン家は代々狼トーテムを信奉しております。私も一度、熊に出くわした時に狼に助けられたことありました」
「へー! うちの子も中々やるもんですね。私は熊なんか見たら逃げ出しますよ」
はい、ぬるい沈黙。アホか私は。どうでもいいことをペラペラと。眷属が立ち向かったって話なのに、主祭神が逃げ出してどうするっての。ほんと恥ずかしい。
「ごほんっ、……で、学者のソランさんがここにいる訳を聞いても?」
「その件については私から」
と、カリューが説明を引き受けてくれた。彼の叔父ソランさんは依頼者側のネットワークを介して化け物退治の依頼、転じて霊塊を回収している者を知っていると言うのだ。そこで今回、ジーノスの要請を受けたカリューが連れて来てくれたという流れらしい。
「すると、ソランさんは依頼者の手に渡った霊塊がどんな風に利用されているのかも知ってるんですか?」
「全てではありませんが、一部は耳に入っております。そもそも霊塊は我々の間では魔石と呼ばれておりまして、その用法は大きく二つに分かれます。一つは魔法使いと呼ばれる渡人の御業使いが、御業を使う際に不足する星霊の補填として消費する使用法。今一つは、これも魔法使いたちの手によりますが、星霊具と呼ばれる特殊な道具の作成に於いて、欠かせない素材として使用されるということです」
分かってはいたけど厄介だ。使用法そのものが明確にはプラスでもマイナスでもない。魔石として使う場合は、御業の内容次第で是非が変わるし、星霊具にしたってどんな道具を作るかでプラスにもマイナスにもなる。それでも私はここで一つ閃いた。
「ジーノス」
「はっ」
「さっきの全面停止の話だけど、依頼票に霊塊の用法を明記するようにしたらいいんじゃない? で、内容次第で受け付けるかどうかを審査して、通過した依頼だけを引き受ける。そうすればみんなの収入面にかかる負担も軽くなるでしょ?」
「確かに。ではこの後直ぐに局の審理部に持ちかけてみましょう」
「ん? どゆこと? この支部はみんな協力してくれるんじゃないの?」
「いえ、それはあくまでも調査員の話です。我々は資格を取って登録しているだけの外部要員ですから、依頼内容の精査などに関わる点では調査局そのものの協力を仰ぐ必要があります」
おお、左様か。それはまた痒い所に手の届かない話だね。困ったな。
「ただし、今回は皇大神であらせられる首刈様のご意向です。それは調査局にとっても前例のないこと。異例中の異例ですから、無下に断られることはないと思います」
天井を睨む私にカリューが付け足した。だよね? 私これでも皇大神だもんね。
「それはそうだけどカリュー。妄りに首刈様のお名前を出す訳にも行かないでしょ。昨日今日始めたことなら右に転ぶか左に転ぶか、それは誰にも分からないわ。局が動いて霊塊の依頼に制限を設けたとなれば、それはもう調査員が依頼を引き受けないこととは次元が違う。下手をしたら依頼元の魔法使いたちが組織立って抗議しかねないわよ」
ですよねー。そんなことになったら、渡人との諍いを禁じたお婆様の神旨にも反することになって、当代の皇大神が下手を打ったと悪しざまに言われかねない。悪い伝承を残すようなことになれば、大宮の御祖神にも顔向けができなくなってしまう。
「おけ、私としても騒ぎは困る。審理部だっけ? その件は一旦置いとこう。全面停止の件も、みんなの生活に差し障らない範囲でやってね。私は私の目標の為に誰かを犠牲にするつもりはないから」
全員の了解を確認して、さあ、どうしますか。
今の私たちにできることは限られている。少なくとも八大神の理解を得るまでは水面下で地道に動くしかない。こうなると南風さんが手っ取り早く段取り付けくれることを祈るしかないな。夜刀媛は私からどうにか説得して、サクッと全員集めて貰わなきゃ。
「調査員にできること。そう考えた場合、今、石楠さんとラデルがしているような、依頼元の調査をするっていうのはどうかな? 依頼料は今はなんとも言えないけど、どうにか考えてみる。その手の依頼を受けることは可能?」
「依頼として掲示板に張り出されてしまえば当然可能です。ただ、今の話ですと依頼元が首刈様になるということでしょうか? 神からの依頼というものは前例がないので、審理部で止められる可能性が高いですし、そうならないまでも念の入った依頼元の調査が行われることになるかと……。カリュー、お前はどう思う?」
「そうですね。この際、言わせて貰えば、何も正規の依頼として通す必要はないでしょう。個々人が伝手で請け負って事後に報告という例は掃いて捨てるほどありますよ。局も仲介手数料さえ支払われれば文句は言いませんし、私はそれでいいと思いますけど」
「私も賛成。それに、依頼の体裁さえ整えれば相場より安かろうが無報酬だろうが、それは依頼を受けた側の判断と責任よ。裏でよくやる受け側主体の依頼にすれば、額面は調査員の側で設定できるでしょ? 懐に余裕のある奴は局に睨まれない程度に低額報酬で請け負えばいいじゃない」
「おけ、みんなありがと。じゃあ、できるっていう前提で話すね。ソランさんの話を聞いた限り、明確に問題になるのは星霊具の素材としての霊塊。これは審神の小杖が出回っている以上、絶対に放置はできない。だから依頼元の調査は、回収された霊塊が星霊具に行き着くかどうかが焦点。当たりならそれが審神の小杖かどうかまで調べ切る。――あとソランさん。ソランさんが持ってる依頼者側のネットワークで、もう少し、誰それが星霊具の依頼を発注してるとか、分かったりしませんか?」
「それでしたら私の知人に魔法使いがいます。彼女は植物染料の知識を求めて時折訪ねて来るのですが、若くして魔法使いの間ではその才能を認められています。彼女が小杖の件に関わっているとは思いませんが、魔法使いの見地から、有益な情報が得られるかもしれません」
「有益な情報。それは例えばどんな?」
「一つには首刈様がお望みの、小杖の製作者を知っている可能性です。魔法使い同士のネットワークであれば、一人も引っ掛からないということはないでしょう。更には小杖の製法に関する所見や、小杖を介して入手した波長の用途に関する参考意見。そういったものも聞けるかもしれません」
「おお、それは確かに聞いてみたいですね」
「では戻り次第手紙をしたためましょう。彼女も狼トーテムの信徒ですから、喜んで協力してくれるでしょう」
「それを先に言って下さい! 狼トーテムの人とは是非会いたいですっ」
私が身を乗り出して答えると、ソランは眉を開いて「承知しましたと」応じてくれた。
「ところでジーノスたちは審神の小杖って見たことあるの?」
「はい。俺は以前、護解の本部にいた頃に、局からの依頼で調査したことがあります。それはいわゆる裏の依頼で、ラデルが受けたものと同じです。依頼を受ける振りをして依頼人と会い、その時に小杖も押収しました。凡そ一年前になりますが、当時は小杖が出回り始めた初期で、俺が目にしたのは文字通り棒状のものでした」
「それで、その小杖と依頼人は?」
「はい。それが拘留中に仲間の手引きがあったらしく、依頼人は逃亡。小杖も本部の保管庫から持ち出されていました。このことから調査局内部にも息のかかった者がいると判明しています」
苦い表情で言って、ジーノスはカップに口を付けた。
それにしても局内部からの手引きとは恐れ入る。これは如何にも根が深そう。捕まっても逃げ出し、証拠品も隠滅。どう考えてもキナ臭くて、背後にチラつく八九三の数列。いや、そんなものよりも遥かに厄介な何かが隠れ潜んでいる気さえした。
「よし、ちょっと話を整理しよう。霊塊関連の依頼は正規の手続き、つまり依頼票が張り出されたものは受けない。第二に、ソランさんや調査員の方で下調べをして、問題ない依頼票は受ける。第三に、非正規の依頼は依頼元の調査とセットで行う。――で、依頼元の調査費用は私の方で用意するんだけど、これ、直ぐには無理だからその間の代替案が必要かな。何かある人!」
金策に関しては正直アイデアが思い浮かばない。最悪、犬神神社に戻って無心する手はあるけど、孫が祖父母の脛を齧るようで気が進まなかった。
振ってしばらく互いに考え込んでいると、一方で手が挙がった。
「はい、カリュー」
「はい。費用に関してはその他の依頼の報酬から一部を積み立てて調査費用に回すのはどうですか? 継続的には困難ですが、短期的にはそれで行けると思います。加えて、問題のない依頼が分かれば、発注元の魔法使いの依頼を全面的に優先して、件数を伸ばすことも可能です。優先的に霊塊を得られるとなれば、閑野生に工房を移す魔法使いも出てくるかもしれません」
「そう上手く行くかは分からないけど、クリーンな依頼を増やしていく努力は確かに必要ね」
積立金という提案に加えて将来的な展望。そこにイビデが賛意を示す。
「ええ、そうです。この場合、大切なのは容認できる用途に霊塊が使用されるという事実ですから、叔父の知己の魔法使いを通じて、条件に合致する魔法使いをリストアップすることも必要かと思います」
なるほど。悪いものを取り除くと同時に、いいものを増やして行く、か。
「それ採用! 悪いかどうかを調べればいいかどうかも分かるよね。手に入る情報は有効利用しよう。他は何かある?」
「私から一つ。私たち調査員は依頼を受ける側、つまり川下ですから、基本的には何をするにも後手になります。首刈様の目標に近付くには、いずれ根本的な問題の解決が必要で、そうなると依頼者側である川上に手を加えなくてはなりません。それは先手を取れない私たちには難しいことで、お力になれるかどうか疑問が残ります」
「イビデが言ってるのはつまり、今は依頼を受ける受けないの話をしてるけど、将来的には依頼をするしないの話しが必要ってことだよね。うんうん、確かに。でも先手後手の話は私が八大神の了解を取り付ければ大丈夫。神様のお墨付きが出れば今度はみんなが先手に回れるでしょ。ジーノスはどう思う?」
「はい。これまでの依頼は発注側と受け手側の額面での擦り合わせでしかありませんでした。今後はそこに、倫理的に内容を問う必要性が加わります。各方面から大なり小なり反発が起こるでしょう。そこを無理なく推し進めるには、首刈様の言われる通り、神々と渡人の関係の見直しが必要です。今のままそれをしても、上手くは行きません。過去のことがあるので渡人社会が表立って神々に反発するとは思いませんが、下手をすると面従腹背の形になってしまいます」
ふむ。神々の意見が一致して「やりなさい」と言ったとしても、上辺だけのいい子ちゃんになってしまうということか。
確かに。みんなが感じているように、事は一朝にして成る話ではない。けれどもこの話をした以上は、そこまで持って行かなければ意味がない。
「んー。例えば依頼する側の研究団体? あと学術組織とか? その手の組織間でこの件を活発に議論できるように持って行けたりはしない?」
「組織間の議論ですか。確かに必要になるでしょう。神々が歩み寄りを見せて下さるとなれば歓迎する者は当然います。と同時に、俄かには信じ難いと思う者もいるでしょう。そして、神々との疎遠を理由に好き勝手して来た者たちの中には、反発を示す者も」
「そっか……。そうだよね。うん、分かった。今日以降、私が八大神との会合を持つまでの間。その期間に関しては、これはもうみんなに頑張って貰うしかない。頑張って下さい! ――で、私は八大神の理解を得られるように頑張る。きっといい報告ができるようにする。そうなれば、そこから先はもう、今よりグンッとやれることの幅が広がるんだから、そこでまた一緒に頑張ろう。とにかく今は最初の一歩から! おーけー?」
始める前から憂いていても仕方がない。私は明るく元気に言い切った。みんなも笑顔で頷ていくれた。
困難は分かり切っている。それでも気持ちは前に向いている。ならばやるべし。自分と仲間を信じて進め――。
***
私は来た時同様にイビデの随伴を得て帰途に就いた。
見送りに立った彼らの目。そこに見た確かな意志の輝き。調査員や植物学者の彼らにとって、これから手掛ける仕事は決して専門分野ではない。寧ろかけ離れているだろう。それを彼らがすると言うのだから、私も負けてはいられない。
ジーノスとイビデは今後の霊塊の依頼に関する方針の取りまとめ役になる。依頼人の調査に割り当てる人員や、調査費用として積み立てる報酬の掛け率などを適切に決めて貰う。
カリューはソランさんのバックアップ。ソランさんの交友網にかかる依頼人や魔法使いに接触し、その結果をジーノスたちと共有して連動して貰う。
そして私は神々との会合だ。これがどう転ぶかはまったく以って未知数。そもそもが会合に至らない可能性すらある。仮にそうなった場合、それでも八大神の要たる夜刀媛には会えるので、水走一地域だけでも私の方針を反映できれば、小さいながらも足掛かりにはなるだろう。
神々との会合が無事に済むなら申し分ない。次はソランさんの知己だという狼トーテムの魔法使いに会おう。更には護解に行っている石楠さんとの情報交換も待ち遠しい。
私は袂からお守り代わりのミニ茅の輪を取り出した。そしてそれを胸に押し当てる。そこに感じるお母さんの温もりが、私を後押ししてくれるようで、とっても心強かった。それから、離れて半日足らずだというのに、対の茅の輪を持つ妹に会いたくて仕方なくなった。
(私はお姉ちゃんだもん。頑張らなきゃね――)
「何か言われましたか? もしかしてお疲れですか?」
「ん、平気。私って普段は物事をあんまり深く考えないから、今日だけで頭の中がパンパンになっちゃった」
「それなら私も同じです」
「イビデも? そっか。じゃあ私たち仲間だね」
「はい、仲間です。そう言って下さる首刈様が私は好きです」
「わお、告白されちゃった。ふふっ、狼は仲間を大事にするからね」
「そうですね。私は蛇トーテムなので、少し羨ましいです」
「今から狼に乗り換えてもいいんだよ?」
「それはちょっと。加護を頂いているので」
「それは残念」
何気ない会話は行きよりも親密になれた証し。神と渡人と普通の会話。ただそれだけのことが実は小さな革命だ。
私のやりたいことは確かにまだ漠然としている。けれど、渡人が本当に大嶋の一員として、隔てなく暮らして行くことは必要だし、その為に渡人にも神々にも行動を起こして貰わなくちゃならない。
ジーノスたちは、一手目として調査局の活動のクリーン化を目指す。それを以って、審神の小杖に代表される神々の渡人への不信を払拭したい。
神々にはそうした渡人の活動を知って貰って、先ずは彼らに興味を持つところから始めて貰おう。私は神々には渡人を透明な存在にしてしまった責任があると考えている。だから今、千年の過去を振り返って、遅蒔きでも第一歩を踏み出すことが必要なんだ。
「着いた! 送ってくれてありがとう」
「いいえ。それで首刈様。明日以降はどうされますか? 必要なら毎日決まった時間に迎えに来ますけど」
「そうだね……。ん、待って。明日って三十日だ」
「はい」
「お祭りだ!」
「はい?」
「谷蟇神社で実りの祭りがあるの。イビデも行こう!」
「私もですか? そんな急に言われても」
「なんで? 私たち仲間だって言ったよね?」
「それは、言いましたけど調査局の方が……」
「一日くらい平気だってば。何も全員連れてこうって言ってるんじゃないんだから。イビデが行かないならジーノスを誘っちゃうよ? あと今日いなかったツルツルさんとか」
「バースタンです」
「そうその人。どうする? 行く?」
「分かりました。行きます。お伴させて頂きます」
「おけまるー! じゃあ明日、朝一番に来てね。受付で待ってるから」
ゴリ押しに決め込んで。予定が立ったら即退散。呆然と立ち尽くすイビデを残して、私はスタコラサッサと部屋へ向かった。
***
「たっだいまー!」
「おっかえりー」
「お帰りなさいお姉ちゃん」
「おー、返って来たかー」
元気よく乗り込めばおんなじ調子で返事をしてくれたのは南風さん。続いて御業の練習中だった阿呼と放谷が駆け寄って来る。「ただいま」に「おかえり」があるこの喜びよ。
「いやー、話が込み入って頭クラクラ。南風さんはこれから?」
「うんにゃ、もう行って戻って来た」
「えっ、そうなの!? どどど、どうだった?」
どどっとどもればみんなが笑う。仕方ないでしょ。今一番気になってることなんだから。
私は座卓に身を乗り出し、期待を込めて答えを待った。
「結論から言うと、夜刀様はおっけーだって」
「おっけー? 何が? いつ会ってくれるとかの話じゃないの?」
「いや、それがさー」
そう言いながら南風さんは阿呼が入れたお茶をズズッと啜って鶏冠髪を揺らした。
「あたしはちゃんと夜刀様に、首刈ちゃんに会ってって頼んだんだよ? 勿論、用向きも伝えた」
「えっ、じゃあ駄目だったの? でも今おっけーって言ったよね?」
「そう、おっけーだった」
「ごめん、意味が分かんない」
「あたしもよく分かんないんだけど。夜刀様は、他の八大神には夜刀様の方から話を通しておくって言ったのよ」
「ん? それはつまり?」
「うん。だから首刈ちゃんが会いに行って、わざわざお願いする必要はないってこと」
「まじで!? なんで!? いや、ありがたいけど」
「分かんないけど。あたしに大嶋廻りに付いて行けって言ったのも夜刀様だし、よっぽど首刈ちゃんのこと気に入ってるんじゃない?」
「私、何か気に入られるようなことしたっけ?」
「さーねー。でも、夜刀様が機嫌よさそうだったことは確かだよ」
謎だ。こうした状況で人は「解せぬ」と漏らすのだ。いやホント分かんない。でも都合がいいのは確かだ。八大神の要で、八百万の神々の中でも最年長の夜刀媛が動いてくれるなら、十中八九、私の期した会合は成り立つ。この際理由はどうでもいい。間違いなく一歩前進だ。
「ふわー。びっくりついでに願いも叶って、なんだか狐に摘ままれた気分だよ。それで、時期的なことは何か言ってた? 私南風さんにはなる早でって頼んだよね?」
「それも言った。弥の明後日、風渡月の三日に風渡の天開神事があるから、その時に声をかけるってさ」
「四日後か。そうするとどうなるんだろ? 集まるのはいつになりそう?」
「それはまだ分からないでしょ。実際話してみないことには」
「だよね。でも最短で言ったら?」
「神事の翌日とか?」
「最短過ぎる! あり得る?」
「じゃあ翌々日とか?」
「にしても早い。いや、そうか。どの神様も茅の輪でひとっ飛びだもんね。なら翌日すらありなのか。でもでも待って?」
「とうしたの?」
「早過ぎる」
「なる早って言ったの首刈ちゃんだよね?」
「分かってるけど歌が」
「歌? また歌なの? 頼むから面倒なことはやめてよ?」
「違うってば。折角水走を回って来たんだよ? 夜刀媛に会う時に水走の歌を作って贈ろうと思って」
「いーんじゃない? 夜刀様喜ぶと思う」
「や、でも時間がなさ過ぎる。まだ夜刀楠も見てないし、水城にも行ってない。それとほら、水が赤いって言う血沼川も見ておきたいし」
まだ見ぬ名木や名所を口にすると、阿呼も放谷も興味深そうにうんうんと頷いた。
「だったらお姉ちゃん。御業の修行は今日までにして、明日からまた水走を回らない?」
「おー、この宿も六日目だしなー。あたいもそろそろどっか行きたいー」
「そうしよう! あ、ダメだ。明日は谷蟇神社のお祭りだ」
「そうだった。なら水走を回るのは明後日からね」
「祭りかー。楽しみだなー」
「よし決まり! 南風さんもそれでいいよね?」
「あたしは構わないけど、さっき言ってた三箇所、全部結構離れてるよ? どうやって回る気?」
ご指摘を受けて地図を広げますと、南風さんが要所要所に指を差してくれまして、それがまあ実にてんでんばらばら。閑野生から一番近い夜刀楠まで三日はかかる。そこから血沼川まで一日半。水城となると更に六日。いや広い。地図で見る分にはさして大きくもない水走がやけに広い。
水走の歌は夜刀媛に贈る歌だ。会ってもないのにお世話になっている以上、なんとしても完成させたい。旅すがらメロディーは掴んでいる。あとは詩行を埋めるだけ。肝となる名所さえ目に収めれば出来上がる。
夜刀媛と同じ時を生きて来たと伝わる大蛇楠の大木。海に注ぐ血のように赤い川。五年前の戦で築かれた巨大な堀。どれも水走を象徴するものだ。
「南風さん、お願いがあるんだけど」
「えーっ? もう無理難題は駄目だよ? あたし十分頑張ったじゃん」
「招集の件なら棚ぼただったでしょ!」
「何言ってんの!? そこに至るまでのあたしの胃痛はどうなるの!?」
「うぐっ、そうだけど。でも、今言った三つはどうしても見ておきたいんだもん。土不要で連れてってよ。道結でもいいよ?」
南風さんは梅干を口に放り込まれたような皺い顔をして見せた。
「大嶋廻りってそーゆーもんじゃないでょ?」
「ケーキ! ケーキおごるから!」
「ちょっと待って、どんだけ安いのあたし? 八大神よ!?」
「一番高いのおごるから!」
「ホールで?」
「んんっ! ……ほ、ホールでっ」
先日の罰ゲームの傷も癒えない財布の紐を、泣く泣く緩める私、皇大神。
しかしこれでどうにかやれやれ、と思ったところへ追い討ちが来た。
「みんなにホールでおごってくれるってさ」
「ちょっと!? 何言ってるんですかっ!」
「ほーる? それってでっかい丸のままかー?」
「阿呼はそんなには食べられないかも」
なし崩しにホール三つ分の出費が確定しつつある中、私の僅かな抵抗と言えば、全要望先を回った後でと言い張る程度。南風さんは「仕方ないなぁ」と笑いながら鶏冠を揺らした。くぅぅっ!




