033 渡人の海へ
千年前、西方大陸の東端に位置する小国、モナリスゴートは抜きん出た海洋国家として頭角を現し、それに目を付けた他国の後押しを受け、長く伝説に歌われるだけだった神の島の探索に乗り出した。
参加各国から集められた腕利きの船乗りたち。彼らは計画に加わった国の名をそれぞれに頂く、当時の最先端技術で建造された五隻の船に乗り込んだ。
旗艦モナリスゴート以下、僚艦カラゴラ、フラドキア、ミラファール、ラナン。難航極まる航海に途中、フラドキアとミラファールの二隻は沈没。可能な限りの遭難者を乗せて、三隻だけが、語る術もない困難の末に大嶋を見出したのだ。
しかし、熟練の船乗りを以ってしても読み切れない複雑な海流に阻まれ、船団はほぼ大嶋を一周する羽目になった。大嶋の影を見ながら雨雲に水を求め、来る日も来る日も魚だけを口にするような日々が続く。そうして苦難の末、ようやく護解へと繋がる狭い航路を割り出した。
この未曽有の難事を成し遂げたのは偏に、海の向こうに熱い想いを抱き続けた男たちの意地と誇りと信念があったればこそ。
けれど私はそんな歴史なんかは知らない。私が歌うのはあくまでもそうであったろうという想像と、斯くあれかしという願いだ。私が紡ぎ上げた歌詞はどんな艱難辛苦をも乗り越える。現実離れした大嵐が来ようと、闇深い海の底から大海獣が現れようと、誰一人欠けることなくだ――。
海は 空を映して 蒼く
水平線の 向こう
翼は胸の中にある
漕ぎだせば 未知を知る 旅
広い 世界のはて
君よ 光浴びて
いざ この海 渡れ
迷わずに 今
幾千の 物語
歌い継ぐ 果てしなき 夢
カリューは弦を弾きながら心が揺すぶられた。祖先はモナスリゴート人であり、海を渡って三世代目になる。その自分に、眼前の女神が歌うような熱い血潮が流れているだろうか。燻る日々に気晴らし程度の八弦琴を爪弾いて、受け継ぐべきを何一つ持っていない。こんなことなら嶋人を娶り、三代目の嶋人としての誇りを探した方がマシだったのではないのか。
ジーノスは口惜しくもあり、嬉しくもあった。自身はバースタンとともに海を渡って来たシールレント人。かつて大嶋に戦争を仕掛けた新興国の生まれだ。今、小さな神に歌われる者たちには含まていない。しかし自身、海を渡った時には同じ思いが確かにあった。神はそれを取り戻せと言ってくれているのだ。目の前にいるのに遠かった神がだ。
行こう 大海原
目指せ 神話の島
声上げ 肩組んで
恐れずに さあ
海は 空を映して 蒼く
水平線の 向こう
翼は胸の中にある
振り向くな ここが勝負だ
羽ばたいて 飛んで行け 未来へ
そんなもんは過去の栄光だと笑い飛ばせない自分にラデルは腹が立った。キラキラしたもんばかり見せるチビな女神にも腹が立った。そこにあるもんは全部俺が、渡人が欲しいもんだ。そして今はもう全部失くしたもんだ。そんでもって見向きもしねぇ神に愛想尽かして落ちぶれたのが俺だ。お前だけは他の神と違うってのか。
目を開けるんじゃなかった。イビデは後悔した。エメラルドに光り輝く神に魂を奪われてしまいそうだった。いや、こうまでも眩しいのは目の前にバースタンの禿頭があるからだ、そうに違いない。神様どうか、私にバースタンの鬘を買う機会を下さい。この場だけは何とか見逃してっ!
イビデの願いも虚しく、女神の放つ光は星の光条となって六方に弾け、更にその先で弾けるのを繰り返した。そして分散した光条一つが螺旋軌道を描いてイビデの胸を確かに貫いた。
体内に食い込んだ光は大きくうねって、イビデの意識を空の青と海の青の狭間に放り出す。落ちて行く先には子供が落書きしたような滑稽な造りの船。帆には物凄くイイ笑顔の太陽が描かれている。
目を凝らせば甲板にはジーノスがいた。バースタンも、ラデルも、カリューも、調査局にいた筈の仲間の全てがそこにいた。彼らに受け止められ、無事甲板に降り立つイビデ。舷側に身を乗り出せばイルカの群れが跳ねる大海原が見渡せた。
「どーなってんのよ、これ……」
「知るかよぉ! そんなことよりあの波を見ろぉぉぉおお!!」
バースタンの絶叫に舳先の向こうを見る。するとそこには海がひっくり返るくらいの大波が間近に迫っていた。
「これは死にましたね」
「不可避だ」
「おい、ふざけんなっ、止めろ! クソ女神!!」
淡々と諦めの早いカリューに、考えるのを止めたっぽいジーノスが頷き、ラデルは歌う神を探して天に吠えた。
「おいっ舵を寄越せ! てめーら、なんでもいいから役に立てや!!」
バースタンは歪んだ舵輪を掴み、波に向かって垂直に船を切り込ませる。長年の付き合いからジーノスが斧を取ってロープを断ち切った。すると、どこでどう繋がっているのか、錘が動いて帆が巻き上げられて行く。
「イビデ! 左舷の側も切れ! 舵の効きをよくするんだ!」
「そんなこと言ったって、こっちは船なんか初めてなのよ? ロープだらけで見分けが……」
「どけっ、俺がやる!」
イビデを突き飛ばして斧を掴むラデル。ぶんっと振り上げ、力任せにロープを切った。切れたロープは跳ね踊り、今度は巻き上がった帆が一気に降りてくる。
「をいぃぃ、何してくれちゃってんだよぉ!?」
「まったくイカれてやがる」
「本当に使えないわ」
「これは死にましたね」
「うるせーーーっっっ!!!」
カリューは同じセリフを吐いて、逆切れするラデルに親指を下げて見せた。掴みかかろうとするラデルをジーノスとイビデが取り押さえる。と、そこへ激風が巻き起こり、さながら亡霊の悲鳴のようにマストが軋む。嫌な音が誰彼の耳を劈いた。
「くるぞぉぉぉぉおおお!! 掴まってろぉぉぉおおお!!!」
バースタンの絶叫に全員が手近な物に手を伸ばす。しがみ付いては身を屈め、来る衝撃に備える。
「どうなってんだよボス! こんなのケツの穴じゃねーかっ」
「黙って口を閉じろラデル。舌を噛むぞ」
猛烈な追い風に押された船は冗談のような速さで、これまた冗談のような大波に切り込んで行く。
波に乗り上げた船は仰け反るように傾き始め、固定されていない物がバラバラと艫に落下した。そうして船体がほぼ垂直になると、舳先は捲れ返える波頭を突き破って、その先には降って来そうなほど近い空。
「バースタン! 本当に行けるんでしょうね!?」
「ああん? 訳ないね」
直後、数瞬の自由落下。船は万斛の飛沫を上げて、豪快に波の背へと乗り上げた。
「よっしゃあ! 野郎どもっ、越えたぞぉぉお! 見やがれ畜生! 越えてやったぁぁぁああ!!」
バースタンの声に大歓声が上がり、さすがは禿だ、伊達に禿げちゃいないと、拍手喝采、雨あられ。
突然海に放り出されるというあり得ない事態もすっかり忘れ、十死の局面を乗り越えた喜びと安堵に誰もが肩を抱き合った。
大波の背を滑るように下って行けば、彼らを取り巻く海と空は、どこまでも果てしなく広く、そして澄み渡るほどに青かった。
「クライマックスは終わったんですか?」
「いや、まだだな。あれを見ろ」
ジーノスが指を差し、カリューが目を眇める。その横でラデルが怒鳴った。
「ふざけんなマジで! 酒を浴びた後だってのに寝る時間すらねーじゃねーか!」
「あんたの人生、今まで散々寝てたでしょ」
辛辣に言うイビデも波間の向こうでのたくる巨大な触手には心底辟易した。
「おい、来るぞ! おめーら何でもいいから武器を取りやがれっ」
「そんなもん何処にあるんです? 最近目がかすみがちで……」
バースタンが叫べばお手上げですよとカリュー。
「武器になりそうなもんならなんだっていい。探せ。おい、バースタン!」
「どうした大将!?」
「もっと船足を遅められないのか!? このままだと直ぐにぶつかるぞっ」
「やってるってんだよぉ! 大体これ以上遅くしてみろっ、船がバックしちまわぁ!」
次なる難題、大海獣。恐怖と、またそこから来る怒りに呑まれて、どの口も我知らず怒号を放つ。
「バースタン! これ直撃するんじゃないの? 早く舵を切ってよっ」
「ふははははっ、それなんだがなぁ」
「何笑ってやがる。さっさと切れよクソッパゲ!」
「ラデルてめぇあとで覚えとけよ。で、この舵だが、さっきの衝撃のせいか知らねぇが、回らねーでやんの」
「はぁ!? どーすんのよ?」
「神に祈ればいいんじゃないですかね」
言ってる間に彼我の距離はどんどん狭まる。誰もが固唾を飲んで運命の時を待った。
「船室に武器があったので持ってきました」
「よくやったカリュー、みんなに配れ。おいバースタン!」
「今度はなんだ!?」
「船体は勿論だが、マストをやられればそこでお終いだ。全部の帆を張って全速を出すぞ」
「おいおいおい、さっきと言ってることが逆様じゃねーか!」
「いいからお前はどうにかして舵を動かせ。面舵だろうと取舵だろうと構わん。やれ!」
「あいさほいさー! ついでにヨーソローってんだこん畜生!」
指示を出したジーノスは甲板を走って錨のレバーに取り付いた。イビデとラデルはカリューから武器を受け取って、他の連中とともに舳先へ詰めかける。のたうつ大海獣はもう目と鼻の先だ。全ての帆が下りて、残された僅かな距離すら縮まって行く。
「よしっ、舵が切れる!」
「どっちだ!?」
「取舵だ!」
ジーノスは左の錨のレバーに手をかけた。そして正面に迫った怪物を睨む。弾む息を抑えてギリギリまで距離を測り――。
「今だっ!!」
「よしきたぁ!」
取舵一杯。更に錨が下りて、船は急激に進路を曲げた。大きく船体が傾けば船縁に寄せられた仲間が悲鳴を上げる。そこへ獲物を逃がすまいと大上段から振り下ろされる触手。槍を投げ、矢を放ち、荒ぶるゲソに剣を構える。
ベキベキベキッ――。
前方のマストに触手が掠めて斜塔のように傾いた。そのままやらせるものかと武器を手に群がる調査員たち。船は急旋回で海面を切り、届いた触手は一本だけ。ザクザクと滅多斬り滅多突きにすれば、触手はマストを離れ、渡人たちは再び九死に一生を得た。
「しかしここまで傾いたら、このマストはもう駄目だな」
「くそっ、あとほんの一歩だったのによ」
「じゃあその一歩に乾杯ね。私たちはまだ生きてる」
悔しがるラデルの肩に手を置いて、イビデは船の向かう先を眺めた。
メインマストは無事だ。後ろの一本も残っている。船足は遅くなるが、進むことはできた。
「見て下さい。遠くに島影が見えませんか?」
「いや、あれは……。あれは島なんかじゃない。陸地だ。あれは大嶋だ!」
「嶋じゃねーか」
「おいっ!」
「冗談だよボス。懐かしいよなぁ。俺とあんたと、シールレントから渡って来た時に見た景色だぜ」
「ああ。俺はもう随分長いこと、この景色のことを忘れていたよ。どうしてだろうな。こうして見れば、忘れようもない景色だと分かるのに……」
「思い出せてよかったじゃない、ボス。本当にいい景色だわ」
「ああ、そうだな。本当にその通りだ」
やがて海は凪いだ。燦燦と降る太陽を浴びて光の絨毯が広がって行く。船は砕氷船のように光る海原を割り、目指す陸地へと一直線に進んで行った。
***
絶 好 調 !
歌いきった私は興奮気味に鼻を鳴らして、ドヤッと両目を見開いた。ところがぎっちょん! 飛び込んで来たのは視界に収まる限り一面の死屍累々。なんぞこれ。一体全体何が起こった? 己が目を疑りながら、私はテーブルの上を走った。
「何これ!?」
「何って……、お姉ちゃんよ、やったの」
「んん? いやいやいや、……はい?」
「おー、なんてことすんだ首刈ー、これ大丈夫なのかー?」
「え、ちょ、え? 私? 待って待って、ちゃんと説明してよっ」
あの放谷をして「なんてことすんだ」とまで言わしめた訳ですが、当然私にはそんな自覚これっぽっちもない。一体何をやらかした? 身の置き場もない気持ちでいると、南風さんと目が合った。
「なんなの? これってなんなの? 南風さん、私なんかやった!?」
「いいから落ち着いて」
「無理だよ! まさかみんな死んじゃったの?」
「大丈夫。全員生きてはいるから。でも、普通の人間相手にあんな馬鹿げた勢いで星霊注いだらこうもなるよね? 今は完全に酔ってる感じかな」
「星霊を、注いだ? 私が? どうして?」
「いや、それは自分の胸に聞いて貰わないと」
とりあえず全員ご存命ではあるらしい。最悪の事態は免れた。そこで一体全体何が起きたのかと詳しく聞いてみましたところ、歌い出しから猛然と私の全身が輝き出したということらしい。
眩しいくらいの若草色の光が次から次へと弾けに弾け、分散した光条の一本一本が、今この場に倒れている一人一人に漏れなく突き刺さっと仰る。結果、このような惨憺たる状況を生み出したのだそうな。
全員が口を揃えて言うからにはそうなのだろう。けどぶっちゃけ何それ? なんですけど。言われてみてもまるで身に覚えがない。身の内の星霊を動かそうなんて思いもしなかったし、何かの御業を練ったつもりなど毛頭ないのだ。
私がしたことと言えば、只ひたすらに思いを込めて歌を歌い、乗りに乗ってそれを成し遂げた。ただそれだけなのにどうして……。
「えー、どうしよう? どうしたらいいの? 南風さんの御業で起こせない?」
「いやー、ここで更に私の星霊まで注いだらどうなるか分かんないよ? 一応、索で様子を調べたから、時期に目は覚ますと思う」
「まじで!? よかった! セーーーフ!」
「いやアウトだけどね。どっからどう見ても普通にアウトだから。反省してる?」
「……はい、してます。でもおかしいなあ」
「何がおかしいの? お姉ちゃん」
「だって私歌っただけだよ? そりゃ確かにここ一番と思ってかなり気合は入れたけど、光るどころか弾けるって何?」
「それはきっと、阿呼たちが星霊の扱いに慣れて来たことにも関係してるんじゃない?」
「それってどうゆう?」
「毎日同調練習をして、名付きの御業もどんどん覚えて、阿呼たち前と比べたら星霊をずっと思い通りに扱えるようになって来たでしょ? お姉ちゃんのお歌はきっと古式の詔刀言や嶋歌とおんなじ。だから想起がぐんと深まって、星霊もそれに応えようとしたんだと思う」
「そうなのかな。でも、じゃあなんで光が弾けてみんなに刺さったりしたの? そこがおかしいと思うんだけど?」
「だってそれは。お姉ちゃんはこの人たちに伝えたいことがあったんでしょ? さっきの歌は阿呼たちにじゃない。渡人に聴かせたかったんでしょ? 聴いて貰いたい。伝わって欲しい。そういう気持ちが光になって、みんなに飛び込んで行ったんだって、阿呼はそう思う」
ああ、そうか。そういうことなのか。確かに私は願った。全部阿呼の言う通りだ。
あのまざまざと浮かび上がった臨場感あふれる大海原。あの生き生きと輝いていた時代をどうか取り戻して欲しい。私がそれを切に願ったことは間違いない。今や透明になり果てた彼らに栄光の時代の極彩色を届けたい。心からそう願った。その結果がまさかこうだとは思いもしなかったけれど。
「そっか……。御業ってそもそもが念じれば、想起すれば成るものなんだもんね。名付きの御業ばっかり練習してて忘れてたけど、御業って結局はなんでもありか」
「なんだー? 首刈はこいつらを攻撃しようと思ったのかー?」
疑うような視線を向ける放谷。今の話の流れでどうやったらそこに帰結すると言うのか。
「んな訳ないでしょ!? ただ、みんなに向けて色々思ったことを、かなりくっきりイメージして伝えようとしたのは間違いない……かな?」
「お姉ちゃん、どんなことイメージしたの?」
その問いを流せる状況でもなく、私は正直にありのままを説明した。
イメージしたのは現実であれば絶対に無理だろうというレベルの困難。それを海の男たちが一致団結し、気合と根性て切り抜けて行く大海原の冒険スペクタクルだ。その勇気、熱さを取り戻せ! と、かなり熱が籠ったことを覚えている。
「でもねでもね? 前半は広大な海とそこに挑む意気揚々としたみんなの姿を想い描いて、それがまあ、だんだんノリノリになって、終盤は、うん。かなり根性論で無理難題な、それこそ絵に描いたような凄い海を渡ってたね……」
「その内容が仮に御業になっていたとしても、どう作用しているかは全く想像がつきませんよ」
石楠さんの言葉は尤もだ。想像し得る限りのことを思い浮かべても、どう御業になったのかは私にすら見当が付かなかった。
と、その時だ。テーブルに伏せたり、床に倒れ込んだりしていた調査員たちが、一斉にガクガクと全身を震わせ始めた。それは正にホラー映画でゾンビが動き出す瞬間を見るようで、五人が五人とも、固唾を飲んで成り行きを見守った。
「ぶはぁ! 俺はやった! ついに辿り着いたっ!!」
ラデルが立ち上がったかと思えば、拳を固めて吠えるように叫んだ。それを皮切りに続々と目覚めては凄まじいテンションを披露する渡人たち。口々に達成感やら歓喜やらの雄叫びを上げて行く。
こっちにしてみれば何が何やら。目覚めてくれたのは嬉しかったけれど、目の前で繰り広げられる異様な光景には正直恐怖すら感じた。一体、彼らに何が……。
***
数分後。目覚めた調査員たちは何故か向かいのテーブルを片付け始め、ポッカリと空いたスペースに片膝着いて並んだ。
気味が悪い。非難を浴びせられるようなムードではないものの、随分と様変わりした表情の彼ら。次に誰が何を言い出すのか予測不能だ。テーブルを降りた私は席に着いて次に備えた。
「首刈皇大神。我々は心より感謝します」
ジーノスはそれだけ言って再び首を垂れた。うん。何を感謝されているのか分からない。これが普段なら馬鹿正直に「何が?」と聞き返してしまうのだけど、今はそれを口に出せる雰囲気ではない。
私は無い知恵絞って必死に考えた。彼らの身に何が起きたのか、それを聞き出す術を。
「えーと……。ど、どうでしたか私の歌は。私の言いたかったことは少しでも伝わったでしょうか? それは皆さんの祖先の心意気に相応しいものでしたか?」
先ずは歌の感想でも聞いておこう。それを糸口に欲しい答えを手繰り寄せよう。そう企図して発した言葉が、何やら知らぬ間に口火を切ったらしく、一斉に、口々に、調査員たちは奇妙なことを語り始めた。一体全体、私にどうしろと言うのだ。
「物凄い歌でした!」
「海が襲いかかって来ました!」
「空が降って来ました!」
「俺たちはやりました! やってやりました!」
「俺たちの先祖はすげぇ! つーか、あの船で乗り切った俺たちもすげぇ!」
みんな相当興奮していて収拾がつかない。が、聞けば聞くほどに彼らに何が起こったのかが分かってきた。やはり私のイメージに巻き込まれて、あの途轍もない海を追体験してきたらしい。自分で言うのもなんだけど、あの出鱈目で無茶苦茶な荒唐無稽の海を。
「真神の峯より高い波を乗り越えてやりましたよっ!」
おー、それはよかったね。
「イカの怪物に襲われた時はもうダメかと思ったよなぁ」
あー、海の化け物と言えばでっかいイカという乏しい知識で、そんなモンスターを右から左に泳がせた気がします。
「私は海は初めてで、もう無我夢中でした! 二度と船には乗りません!」
いやいや、普通にトラウマになっちゃってるじゃないか……。
「俺たちの先祖はあんな思いをして大嶋に来たんですね!」
それはどうかと思うよ? 貴方たちの先祖はよっぽどマシな航海をしたんじゃないかな。
「護解の浜に降りた時の感動と言ったら!」
昔の人はいいことを言ったもんだ。終わりよければ全てよし。これを座右の銘にしよう。
ともかく、彼らは私のイメージした海を御先祖様が渡った海そのものと誤解しているのだ。そしてそれを自力で渡りきったことに興奮していらっしゃる。
「どうしよう阿呼」
「阿呼に聞かれても困っちゃう」
「だよね……」
自分で散らかしたら自分で片付けましょう。それがルール。結果オーライは別に悪いことじゃない。彼らが満足しているなら、わざわざ種を明かして水を浴びせる必要もない。私は気を取り直して事態の収拾にかかった。
「みなさん! 私が歌う前に言ったことの意味を分かって貰えましたか? 渡人は変わってしまったというその意味を理解することができましたか?」
問えば彼らは再び片膝を着いた。ただし、今度は首は垂れない。
彼らの真っ直ぐな視線が私を射抜く。ジーノスもバースタンもカリューもイビデも、全員が一皮剥けたような面魂を宿していた。そしてラデルは言った。
「俺は小杖を使って神から盗みを働くような真似がしたかったんじゃない、です。この大嶋で、たった今やったような、何かでっかいことがしたかった。それを思い出させてくれたことを感謝します。小杖は俺自身の手で取り戻します。必ず返すと誓います」
ジーノスがラデルの頭を掴んでワシャワシャした。なんとまあ私の歌は、私の謎めいた名もなき御業は、ここまで彼らの心持ちを変えることができたのか。
私はなんだか無性に嬉しくなった。けれどこれは瓢箪から駒の成果だ。無責任に喜んでばかりもいられない。私は舞い上がる風船のような気持ちを引き戻し、緩んだ頬を引き締めた。
「ありがとう。小杖は返して貰えるというなら、それで結構です。けれど、私はその小杖を貴方たち渡人がどう利用しようとしているか、そのことの方が知りたいです。だって、それが何かの、誰かの助けになるようなことなら返して貰う必要はないでしょ? そうでなければ返して貰った上で、今度は問題解決に向けてお互いに話し合いましょう。なので、今現在、小杖を所有している人と会わせて貰えるのが一番です。それを頼むことはできますか? シーノスさん」
「はっ、承知致しました。我々でその者を探し出し、どうにか話を付けてみます」
「お願いします。そしてラデルさん。小杖の件に関して後日、ここにいる馬宮衆の石楠さんの聴取を受けて下さい」
「分かりました」
「石楠さん、聴取の後のことは全部任せるね」
「承知しました。では、明日改めでこちらに伺います」
小杖の件は一旦これでよし。もし馬宮の夕星媛が何か言ってきても、石楠さんには私がお墨付きを与えたのだ。クレームは私の方で受け付けよう。でも多分、そうなる前に八大神との会合があるから、なんならそこで話せばいいよね。
「ジーノスさん」
「はっ」
「調査員の仕事の一つに化け物退治がありますよね?」
「はい、御座います」
「その件で、つまり霊塊の件で色々と聞きたいことがあります。後日連絡するので、その時はお願いできますか?」
「承知しました。当面は調査局に待機しています」
「ありがとう」
霊塊についても小杖同様、その目的をちきんと知っておく必要がある。これも何らかのプラス要素があるなら、前向きに検討すればいい。化け物退治を渡人と神々の共同作業にしてしまうという構想もありかもしれない。マイナス要素の場合は、こちらも話し合いによる問題解決へ進めよう。
うん、よしよし。なんだか私も神様として、したいことが見つかったような気がする。
「それではみなさん。時間も時間ですので、私たちは今日はこれで帰ります。今夜は本当に楽しかったです。これからは街で見かけたらもう遠慮はいりません。普通に声をかけて下さいね」
言って席を立ち、総立ちの調査員たちに見送られる中、出口へ向かった。と、そこへ予期せぬ歌声が。
「海はー、空を映してあーおくー」
振り向けばイビデが一人、私たちの方を向いて、胸に拳を当てて歌っていた。
「水平線の向ーこおー」
カリューの声がそこに重なる。
「翼は胸のなーかにーあるー」
ジーノス、ラデル、バースタンが更に加わる。そして全員が、あの蛾神頌歌を唱和した時と同じように、私と正対して、私の作った歌を歌ったくれた。
漕ぎだせば 未知を知る 旅
広い 世界のはて
君よ 光浴びて
いざ この海 渡れ
迷わずに 今
幾千の 物語
歌い継ぐ 果てしなき 夢
行こう 大海原
目指せ 神話の島
声上げ 肩組んで
恐れずに さあ
海は 空を映して 蒼く
水平線の 向こう
翼は胸の中にある
振り向くな ここが勝負だ
羽ばたいて 飛んで行け 未来へ
自らの行いが報われるというのはこういうことか。私は彼らに向かって駆け出したくなる思いに駆られた。風合谷で、どんな神様になるか、人としてどうあるべきかを考えたり、人が作り上げてしまう垣根を、歌で越えて行きたいと思ったその想いが、確かに今、隔たりの向こうに届いたのだ。
惜しむらくは、それをどうやったのかが分からないこと。けれど、今は目の前のこの結果で十分だった。私は両手を掲げ、それをぶんぶんと振った。
唱和が終わった時、微動だにしない彼らを前に、本当に離れ難かったけれど、そこを無理やりに踵を返した。そうして調査局を後にすれば、背にした戸口の向こうから歓声が届いて、言い知れぬ感情が胸に溢れた。
***
来た道を戻る。時間も遅く、人通りの絶えた中、どうしようもなく滲み出る喜びに、私の足取りは軽かった。
「お姉ちゃん、すごかった」
「えー? えへへへへ、えへへへへへへへへへへ」
阿呼に寄りかかるように身を捩り、ぐりぐり擦りつけながら、言葉にならない嬉しさを表現する。
作った歌を届けたい相手に届けて、それをまた歌い返して貰える。これに勝る喜び、これに勝る幸せ、あるだろうか? そんなものが。いや、ない!
「おい、首刈ー」
ついに私にも至高の反語表現で喜びを表す瞬間が訪れてしまいましたか!
「首刈ってばー」
ひゃっほう! 最高だぜー! どっからでもかかってらっしゃい!
「おい、すが……」
「あだっ、づぅ!!」
有頂天な私は前も見ずにふらふら歩いて壁に激突。放谷に袖を引かれたのにも気付かず、むしろ振り切る勢いでした。
「お姉ちゃん鼻血。はい、ちり紙」
「何やってんの……」
「大丈夫ですか?」
呆れと心配の混ざる声に、鼻にちり紙詰めた私は笑顔とVサインで大丈夫のアピール。ちょっとお星様が見えて涙も出たけど、これ、嬉し涙だからね。
「でも、どうだった? あーだこーだ足踏みしてるより、思い切って行ってみてよかったでしょ?」
「はい。色々と驚きの連続でしたけど、首刈様の言われた通り、前進しました。小杖の件はしっかり引き継ぎます。本当にありがとうございました」
石楠さんは帽子を取って頭を下げた。すると南風さんが来る時とは一変した機嫌のよさそうな声で言う。
「あたしも見たことない御業が見られて楽しかったよー。久し振りに本気でびっくりした。あれだけでも十分行った価値はあったねー。あれ、ちゃんと再現できるようになれば他の八大神も瞠目するよ」
「ホントに!? よしっ、頑張るぞっ」
ここ数日で色々な御業を覚えて調子はいい。阿呼の言った通り、上達や慣れも今度のことの引き金になったに違いない。大好きな歌と御業がしっかりと手を結べば、私にとってこれ以上のものはない。ここは何としても頑張ってモノにしなくては。
「でもさー、首刈ー」
「ん?」
「街で御業は禁止って、皇大神がイの一番に破ったなー」
「…………ん?」
また放谷は余計なことを。そこへ早速南風さんが悪乗りしてくる。
「あー、人の口に戸は立てられないからねぇ。不名誉な伝承が大宮に……」
「ちょっと、伝承とか大袈裟じゃないですかっ!」
「お姉ちゃん、阿呼、昨日とは違うケーキが食べてみたいの」
「阿呼まで何言ってるの!?」
「あ、ならこの時間でも空いてるケーキ屋さん知ってますよ。そうと決まったら早速行ってみましょう」
よし行こうと駆け出す四人に取り残される私、皇大神。
何故みんなして人の喜びに水を差すのか。言ったところでおごりは確定のようで。そして夜道に放谷の十七文字が谺する。
やらかした ケーキをおごる おおみかみ
うるさいよっ!!
どうせ行くなら自分が一番高いのを食べてやる、と、財布の中身も確かめず、私はみんなを追っ駆けた。走れば弾んで揺り返す喜び。なんて気分のいい罰ゲームなんだろうか!




