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異世界(まほろば)に響け、オオカミの歌  作者: K33Limited
章の二 水走編
26/172

024 合戦神事

 櫓へ続く畔を鋭く曲がって、稲束を積み重ねた稲城いなきの陰へと転がり込む。そこであらかじめ置いてあった柄杓を取り、続いてやって来た阿呼にもう一本を手渡した。


「お姉ちゃん、一個目取ろう!」

「えっ!?」


 受け取るが早いか、阿呼は隣の池へ躍り込んだ。否応なしにバシャバシャと飛沫を上げて妹の背を追えば、陣地の広い浮寝うきね勢はまだ池二つ三つ向こうを向ってくるところ。見れば肩口の羽根を羽搏かせて、一度の跳躍で随分と距離を稼いでいるものの、さすがに間に合うまい。


「おっけー! 阿呼は旗を替えて、私は先に次の畔でまで行ってる」

「分かったー!」


 本来なら左の池に知泥ちねの陣を作った従神たちと合流し、それから突貫する手筈だったけど、ここは臨機応変、先手必勝で景気付けと参りましょう。


「首刈ー! こっちも一段押し上げるぞーっ!」


 放谷の声に左を仰げば、背に痲油めあぶら姫を乗せて北側の池に浮き島を目指している。私と阿呼を見ての動きだろう。同時に、私たちが乗り込んだ池と放谷が押し上げる池との間にもう一つ池があって、そこへは瀬所丸せぜまるさんを先頭に数名が駆け込もうとしていた。


「五つの池は死守! 五つの池は死守だわよー!! 攻めは首刈様の池から東へ! 知泥の陣はわちとこと瀬所丸のとこに張るのだわっ!」


 総大将の号令が響けば叫ぶような応の声に、里人の歓声が追い被さった。


「お姉ちゃん、もう一個行こう!」


 一つ目の池に旗を替え終えた阿呼が貪欲に次の浮き島を指差す。今朝の様子が嘘のように生き生きとしいている妹に呑まれて、私は半ば引き摺られるように畔を越えた。

 私の背丈は一四〇糎。池の深さは膝辺りまである。どの池も前情報では膝から腰程度。腰まで来ると私や阿呼には厄介だけど、更に小柄な谷蟇勢には泳げる深さとなって利する面もある。しかし今は私と阿呼で突出中。谷蟇勢との合流を果たすのは、向かい来る浮寝の先駆けと一戦交えてからになりそうだ。

 その先駆けが今、一つ向こうの畔を越えて来た。更に後方から二つの影。


「向こうの先鋒が速い。旗に取り付いたところを狙おう」


 言って柄杓を池に潜らせ、底の泥をさらう。阿呼もそれに倣って両手で柄杓を繰り出した。


「あんまり深くえぐると柄杓が折れちゃうから気を付けてっ」


 忠告を発しながら先に立って水面を蹴立てれば、浮き島を挟んで敵の一番槍と目がかち合う。あちらも谷蟇勢同様、防水に優れた水鳥の頭だ。その戦術も鳥頭だったらいいのにね、などと思っていたら――。


「うわっ!?」


 まだ遠間の筈が、肩口の翼に隠すようにしていた腕が突き出されるのを見て、成り行き体が仰け反った。

 敵先鋒の立てる水飛沫がひと所に収束したかと思うと、生き物のようにうねってその腕に纏わりつき、次の瞬間大きく弧を描いて私目がけて向かって来たのだ。


「お姉ちゃんっ!」


 敵の攻撃を避けようと咄嗟に背中から倒れ込んだ私を、素早く阿呼が助け起こしてくれた。狼の感性がなければ仕留められていたかと思うと、胸の奥で鼓動が早鐘を打った。


水曲みわたが来た! 阿呼も気を付けてっ」


 阿呼は頷いて、直ぐさま声を張り上げた。


「浮寝は水曲ーっ! 水曲を使ってきましたー!」


 阿呼は味方に敵の手を伝えると、浮き島に取り付いた敵先鋒に向き直る。なんだか阿呼が頼もしいです。

 私は立ち上がって腰溜めに柄杓を構え、左右二手に分かれて浮き島にじり寄った。後追いで来る二人の増援が敵の背越しに見える。まだ距離はある。合流される前に浮き島の敵を撃退しなければ――。


「阿呼、行くよっ!」

「はいっ!」


 狩りの呼吸で先に飛び出しながらも、目配せ一つで初撃を阿呼に託す。

 恐らく敵は翼を利して飛ぶだろう。だがそれも、水毬みずまり姫ほど大きな羽ではないから、飛び回るような真似はできない筈。そう踏んで攻めかける。


「やあーっ!」


 裂帛れっぱくの気合を込めて阿呼が泥を打ち出した。鴨に似た平たいくちばしからグアーと声が漏れれば、先読み通り敵は高く飛び上がる。


「甘いっ、逃がさないもんね!!」


 跳ぶのと飛ぶのの間の子の高さを目掛けて、渾身の泥一閃。

 柄杓から一直線に放たれた泥は途中、幕状に広がりながら上手いこと目標の顔面を捉えてくれた。カツンといい音がしたのは泥に紛れた砂利石が嘴に当たったからだろう。

 敵は着水と同時に身を翻して即座に自陣へ走り出した。自陣のたらいで顔の泥をすすがない限り、戦線復帰はできない決まりだ。この合戦を戦い慣れているだけに、その動きには無駄がない。


「お姉ちゃん、やったね!」

「見た!? ドンピシャで当てちゃったよ!」

「うん、上手だった」


 緒戦を制した喜びを分かち合う。スムーズに連携を決めた爽快さは格別のものだ。


「阿呼が上手く牽制してくれたからね。ありがとっ。さぁ、直ぐにまた二人来るよ。旗の挿げ替えをお願い」

「うん、まかせて」


 阿呼が浮き島に取り付くと、私はもう手前の畔まで迫っている敵二番槍を迎え討ちに出た。

 二対一は正直きつい。けれど振り返って味方の動きを窺うには怖い距離まで詰められている。

 敵は先刻の私と阿呼を真似てか、私一人に対して二手に分かれて突進してくる。こちらは池の中となると敵の半分も速さが出せない。自然、柄杓を握る手に力が籠った。

 落ち着け。肝心なのは見切りだ。獲物の喉笛を牙にかける一瞬の好機チャンスを見逃してはならない。

 私は己がギラギラネームの面目躍如とばかりに懸命に狩りの呼吸を思い出した。そして腹の底に気合を溜め込む。


「どんとこーーいっ!!」


 私は一度、左の敵に背を晒した。そうしてやや近い右の敵へ左肩から半身に入り、体の陰に柄杓を隠すようにして身構える。

 やがて見据えた相手の右肩に羽が上ずり、その下で捻り込むように動く腕――。


水曲みわたが来る!)


 どの方向にも跳べるように腰を落としたその瞬間、背中にドドドッと激しい衝撃。

 左の敵の水曲だ。弧を描く水流の頭から尻尾まで、全て背中で受け切った。ここまでは狙い通り。けれど衝撃は予想よりも強く、押された体は前のめりに。バランスを崩した私の無防備な左半面を狙って、右の敵から泥々しい水曲が飛んで来た。


(やられた――)


 固く目を閉じて顔面への衝撃に備えるも、何やら胴に巻き付く気配。すると間髪入れずに私の体はもの凄い勢いで後方に引っ張られた。驚きに見開いた目の前を、敵の水曲が飛沫を上げて通り過ぎて行く。


「すけだひにまいりまひた!」


 三米は引き戻された辺りで呂律のおかしな声がかかった。

 見れば舌を出した瀬所丸さんの顔がめっちゃ近っ。伸びた舌を辿ると私の胴に巻き付いて、次の瞬間シュルッと瀬所丸さんの口に収まった。


「おお、さすが蛙頭! 助かりました。ありがとう」

「お姉ちゃん、みんな来たよ」


 駆け付けた阿呼の言葉に辺りを見回せば、予定通り知泥ちねを放った面々が集まっていた。左の防衛線に残っているのは痲油姫と放谷、そして知泥が得意な二人の従神だけだ。


「よしっ、敵の頭数が揃わない内に隣の池に攻め込もう」


 総勢十四名となった谷蟇勢は数で浮寝の二番槍を蹴散らし、敵の水曲に一名の脱落があったものの、勢いそのまま次の池の攻略に乗り出した。

 放谷が押し上げて一つ。

 狭間の池を瀬所丸さんたちで一つ。

 阿呼と私で果敢に二つ。

 元の二つと合わせて次で七つ目。踏み込めば中央の櫓はあと池一つの距離。気付けば陣太鼓の音が随分と大きく感じられた。




 ***




「さて、放谷殿。そろそろ半裂はんざきどものお目見えだわよ」


 下半身を水蜘蛛と化した放谷。その水飴色の胴に立ち、痲油めあぶら姫は遠くを睨んだ。

 首刈たちが七つ目の旗を立て、浮寝の小勢と渡り合う一方。総大将率いる半裂迎撃部隊は二つの池に跨って陣取っていた。

 敵陣を隔てる畔には身の丈一米前後の泥人形が三十体ほど右往左往しており、そこに紛れて痲油姫と二人の従神が操る機敏な知泥が三体、鳴りを潜めている。


「おー、きたぞきたぞー」


 一つ向こうの畔を越えて現れたのは六人の床滑勢。二足歩行の半裂といった体で甚平を着込み、片手には銘々泥を打つ為の木の椀を握っている。

 迎え撃つ放谷の手には、本陣の大盥おおたらいに合わせて作った両手に余る大柄杓。そこに泥をなみなみと湛えて「どっからでも来い」と気を吐いた。

 味方の従神たちは笠を外して水に伏せている。眼だけを水面から出して様子を窺っているのだ。配置は痲油姫を乗せた放谷が瀬所丸さんの取った内側の池。従神たちが一段押し上げた外縁の池。

 放谷は水蜘蛛の多脚を器用に動かして、水面を滑るように東へ寄せた。半裂どもが転進した場合を想定して、阿呼が二度目に旗を立てた、都合六つ目の池へと押し込まれるのを防ぐ為だ。


「頭数足りてるかー?」


 知泥ちねを配したとはいえ僅か四人の防衛線。しかし、言いながらも放谷の笑みは絶えない。


「わちら谷蟇たにくぐ、腹の中に弱虫を飼い慣らす者など一匹もおらぬだわ」

「おー、弱虫毛虫は挟んで捨てろだー」


 息の合うやり取りの向こう。畔に並ぶ知泥を見て躊躇していた半裂の先陣が、物は試しと泥人形の垣根に分け入った。

 外縁の池に伏せた従神の目玉がギョロリと動く。その動きに合わせて一体の知泥が下手投げに腕を振るえば、先端の泥がぷっつり離れて半裂の横っ面を強かに叩いた。騙し討ちが功を奏して残る敵は五人。

 だが、敵は事態を察して怯むではなく、逆撃を加えようとでもいうのか、勢い付けて突進を始めた。痲油、放谷の側に三、従神の側に二。

 敵はそれぞれが一体ずつ、知泥に体当たりする要領で、もつれ合って転がりながら畔を越えて飛沫を上げた。


「越えてきたかー。いっくぞー!」


 敵の起き上がりを狙って放谷が水面を滑った。

 半身を起こした半裂は巻き込んだ知泥にまとわり付かれて藻掻いている。愚鈍な知泥は畔を右に左に歩き回れと命じられているからだ。半裂を手掛かりに立ち上がって畔に戻ろうとする知泥。その存在は結果的に半裂の動きを阻害して、放谷の仕事を援護する形になった。


「喰らえーっ!!」


 間近に詰め寄って大柄杓を振り抜けば、大量の泥は半裂の上半身を丸々覆い尽くした。

 放谷はそのままの勢いで次の目標に向かい、それを察した敵が慌てて水の中に伏せる。濁りの中に消えた半裂を探して目見当で探し回る放谷。その下腹目がけて突き出された腕に、何やら白いもやが絡んでいて、それが触れた瞬間――。


「うわっちゃあ!? ひゃっけぇー!」


 無防備な蜘蛛の腹に叩き込まれたのは氷点下の冷気。冷めたい靄が四肢に絡み付いて広がると、さすがの放谷もこれには多脚を縮み上がらせて迷走を始めた。


氷撫ひなずだわよ。八頭やつぶり姫でもなければそうそう遠間では打てぬだわ。近寄らぬが吉!」


 氷撫ひなずは文字通り凍り付く冷気を帯びた手で撫でる御業だ。これを打ち出すとなると、外気に逆らって冷気を保つのに余剰の星霊が必要となる。二時間を戦い抜く合戦で星霊の浪費は誰もが避けたいところだった。


「おー、いちちっ。ちべてーなー。そんでー、その八頭姫はどこだー?」


 水面に弧を描きながら距離を取る放谷。痲油姫はその問いかけに遠く目をすがめた。


「恐らくまだ櫓の向こうで水毬みずまり姫と牽制し合っているだわよ」

「そいつはありがたいなー。なら、こいつらやっつけたら次の池も取っちまうかー」


 大柄杓で池底に泥をさらいながら反転すれば、敵も椀に泥を掬って、片手には氷撫の靄をまとわりつかせている。


「わちが彼奴きゃつらの後ろから知泥ちねで牽制するだわ。最初はどちら?」

「そーだなー。右から順に行って、そのまま隣の池のもやっつけよー」

「承知承知!」




 ***




「だばぁ! けへっけへっ」


 水曲みわたを避けようと無様に池に突っ伏して、腕立ての要領で身を起こした私。


「お姉ちゃん、たっ」


 バチャン――。

 助け起こそうとしてくれた阿呼が、ぬかるむ水底に足を取られて倒れかかってきた。思わず顔を見合わせて噴き出してしまう。


「大丈夫? 耳に水入ってない?」


 獣の耳に水が入ると不快感ばかりか一種の危機感が押し寄せて軽くパニックに陥る。私と阿呼にとって水場で一番嫌なのがこれ。


「大丈夫」

「おけ、じゃあ立とう」


 無事なら無事でのんびり立ち止まってはいられない。動きを止めれば水曲の餌食。それは槍のように鋭く、鞭のようしなり、思いもよらぬ軌道で攻めかかってくる。


「ひどい乱戦だ」


 七つ目の池を制して八つ目もと櫓下の池に突入した私たち。そこへ十名からなる浮寝勢の猛攻を受けてしまい、顔こそ守り切ったものの、もう全身泥だらけ。

 こうした展開はある程度予測していた。毎年の流れとして、前半は力比べに団子状の戦い、後半は旗獲りの追いかけ合いになるという。前半の乱戦で後半の体力を奪う狙いがあるのだろう。

 しかしマジか、と思う。このテンションで二時間とか無理でしょ? と正直合戦を運動会程度と甘く見ていた自分を叱りつけたくなった。これがラグナロクか。いや違う。


「お姉ちゃん、危ない!」


 鋭い警告に顔を上げれば、蛇のようにのたくる水曲を、いつの間にか拾って盾のように構えた陣笠で阿呼が防いだ。


「ナイス阿呼! 助かった」

「うん、お姉ちゃん今よっ」


 愛妹に攻め手を防がれ、隙の生じた敵目がけ、私は一気呵成に柄杓を振り抜いた。


「ストライーック! どうよ!」

「やったね!」


 見れば双方撤退者も増えて、残っているのは谷蟇勢七人に浮寝勢が四人。この乱戦で六人倒して七人撤退は些か分が悪い。しかも残った敵方はやたらと動きがいいのだ。私は叫んだ。


谷蟇たにくぐーー! 必勝ーーっ!!」


 応と答える声に混じって「おぶっ」と変な声を上げたのは瀬所丸さん。見事に泥を顔に受け水柱まで立てていらっしゃる。


「瀬所丸さん、顔洗って来て! ほら急ぐ!」


 叱咤した途端、私の横っ面にも泥水曲がビチャン。


「お姉ちゃん、お顔を洗って出直しよ」

「はいっ」


 どっちが姉だか分かんないやり取りをして、私は初の本陣撤退。櫓間近まで来ているので往復するのに一苦労だ。

 戻りながら南の池々を見渡せば、


「あー、東に食い込むよりあっちを攻めるべきだったかも……」


 と一瞬悔いと迷いが生じた。

 中央に深く食い込めば、当然床滑勢もやって来て三つ巴の大乱戦になるだろう。今、南は静かだ。予測線上の戦いに明け暮れるより、今からでも一手を講じるべきかもしれない。

 しかしそれも、まとまらない頭で考えたところで無駄。ともかくも早く主戦場に戻ろうと畔に上がってひた走った。すると湧玉の池の大外を回り込んでいた里人たちが、やんややんやと賑やかに迎えてくれて、「首刈様かんばれー」と子供たちの明るい声援。真っすぐな声に自然、笑みが戻って、私は前線へ引き返す谷蟇勢に激励の言葉を発した。

 やがて本陣に戻った私はたらいに首を突っ込んでザフザブと泥を落とし、里人が差し出てくれた手拭いで無造作に顔を拭った。


「長老、時計見せてくれます?」


 擦るように拭いた顔を赤くしながら、私は長老に駆け寄った。どうぞと見せられた懐中時計は十時三十五分。まだ四分の一かと軽く眩暈すら覚える。これ、体力持つのかなぁ……。


「あ、そうだ。誰か笠貸してくれませんか?」


 ふと、阿呼が陣笠を盾代わりに使っていたのを思い出して、私は里人たちに笠を所望した。


「こいつをどうぞ」


 そう言って菅笠すげがさを渡してくれたのは平太鼓を抱えた若者だ。


「お祭り、楽しんでる?」


 何の拍子かそう尋ねれば、気兼ねのない朗らな笑顔が返ってくる。


「そりゃもう。是非とも勝って帰りやしょう」

「打てば響くね、気に入った!」

「こいつを叩いて気合をお届けしやす。それ、みんな!」


 太鼓を打ち鳴らす若者に合わせて、勝ってかえろの大合唱。


「勝って勝ってかえろ、勝ってかえろー」


 私も一緒になって一節ひとふし歌い、声援に応えながら最前線へと取って返した。

 やっぱり応援があるのはいい。やられて戻れば励みになる笑顔が待っててくれる。これなら士気の落ちようがない。

 気持ちも新たに櫓へと畔を駆けて行くと、総大将の痲油めあぶら姫率いる半裂はんざき迎撃部隊が更に一段、陣列を押し上げにかかっているのが見えた。


「痲油さーん、放谷ー! そっちはいけるのー!?」


 声に応じて痲油姫がバッと扇を広げれば、放谷は諸手に大柄杓を掲げる。向こうもやる気だ。

 前線に戻る谷蟇勢は途中で新たな知泥を出し、北に延びる総大将の戦線へ放つと、身を翻して激闘の櫓下に乗り込んで行く。それに後れを取るまいと、私も一層、地を蹴る足に力を込めた。

 放谷たちが陣列を押し上げれば新たに自陣に三つの池が加わる。今争っている櫓下の池を制せば、合計十一の池が谷蟇勢のものとなり、当初の目標にも達する。後は如何にそれらを奪還されないよう立ち回るかだ。しかし――。


「うーわ、やばいのが来た」


 櫓の高さを行く影が激戦区上空を旋回していた。水毬姫のお出ましだ。

 浮寝鳥の女神は大きな翼を目一杯広げて、手には釣瓶落としのように縄で繋いだ二つの桶をぶら下げていた。


「みんな気を付けてーっ、上から来るよー!」


 私は大声を発して池に飛び込み、柄杓に泥を掬い取った。無論、水毬姫には届かない。しかも悪いことに私の警告が仇になって、上を見た何人かの味方が、その隙に水曲の餌食になってしまった。


「上は見ないで! 笠で受け止めればいいからっ」


 咄嗟に指示して阿呼の隣へ駆け込む。


「お姉ちゃん、どうしよう?」

「水毬姫は無理だね。あんなの届かないもん。私たちは他を倒そう」


 上空からの攻め手が如何なるものかは不安だったけど、それを案じて身を固めたら水曲の餌食になってしまう。私は瀬所丸さんたちに向けてもう一度声を張った。


「上は無視! 泥が降ってくるから体勢を崩されないようにだけ注意してっ、向こうだって真上から笠の下は狙えないから!」


 私も阿呼も盾にしていた笠をそそくさと被り、周囲の敵に備えた。そこへザババババーッと泥水の雨。文字通りに土砂が降って来るんだから、幾ら気構えしてても体の方は大きくぐらついた。

 泥に混じって雹のように降って来る小石が怖い怖い。上から衝撃、下から飛沫の挟み撃ち。まぁ、こっちが柄杓で放つ泥にも小石は混じるけどね。その点、水曲は泥水だけなので当てられても痛みはそれほどない。ありがたいことです。


「避けなせぇー!!」


 耐えて固まっていた私に瀬所丸さんの大警報。両横に迫る圧に竦めば、泥を掬いに来た水毬姫が行きがけの駄賃とばかりに私を薙ぎ払おうという魂胆か。


「やだっ、なんでこっちくんのよぉ!」


 焦って水に取られた足をもつれさせながら、私はめくら打ちに柄杓を振った。物凄い波飛沫とともに、二つの桶が両サイドを抉り取って行く。


「反則でしょ!? 怖すぎる!」


 けれども恐怖に凍り付いてる暇はない。止まった皇大神などただの案山子。私は直ぐに乱戦に飛び込んで大立ち回りを再開した。水毬姫も敵味方入り乱れれば攻め切れない筈。


半裂はんざきが来たぞー!」


 西側の畔近くで戦っている谷蟇から急報が舞い込んだ。

 ごめん、無理!

 とてもじゃないけど手が回らない。そっちはそっちで何とかしてと、心で拝んで飛び交う水曲に身をよじる。どうにか凌いで新手を見れば、見たくなかったモノがそこにいらっしゃった。


「水毬殿、意趣晴らしさせて頂きますよぉぉ!」


 とそこへ異形全開の八頭姫。彼女がそうのたまうからには水毬姫、この巨怪を一度撤退させたに相違ない。

 初手で床滑勢を牽制し、転進してこちらへ。そんな浮寝衆勢の戦術に得心していたら空襲警報発令。ダバダバッと降り注ぐ泥の雨。どうなってんのよもう! こんの怪獣さんどもめっ!


「阿呼!」

「はい!」


 飛んできた阿呼と並走しながら私は直感的に指示を発した。この状況。この混乱。さっき顔を洗いに戻る途中で私は何を考えた? 


「みんなを連れて半裂側に攻め込んで。ここはもう棄てていいから、裏を取ろう」

「分かった。お姉ちゃんは?」

「後から行く。瀬所丸さん!」


 阿呼を送り出し瀬所丸さんの元へ走る。横合いから水曲が飛んできたけど、腕を盾にガードしつつ、脇目も振らない。


「どうされたんで?」

「瀬所丸さんは泥を被って撤退して下さい!」

「は?」

「撤退したら戻らずに南に進んで、浮寝勢の外縁の池の旗を片っ端から取っ替えてって」

「南、でごぜーますな?」


 呑み込みの追いつかない瀬所丸さんと肩組んで走りながら、私は耳打ちを続けた。


「畔は這って、池は泳ぐようにして、とにかく目立っちゃダメ。ここで三社の主力がやり合ってる間に陣地を広げるの。もし気付かれても外縁なら、向こうだって取り返すのに手間はかかる。分かった?」


 瀬所丸さんは今度こそ頷いて「承知でさぁ」と敵前に踊り出た。私の盾代わりに水曲を喰らって手早く撤退。手際がいいね!

 さあ次は私だ。瀬所丸さんを見送った私は上空に水毬みずまり姫を探した。隠れもしない浮寝鳥の女神。視線と視線がバチコリぶつかる。


「皇大神、首刈様! 何やら算段のご様子ですが、一度本陣へお戻り頂きますわよっ」


 言うや否や再び泥を浚いに滑空してくる水毬姫。しかもその後背から津波のように巨大な水曲まで繰り出しているんですが……。どう見たってオーバーキルだよね?


「オーケーオーケー、OK牧場。わたしの牙は空にだって届く! かかってらっしゃいっ」


 後は野となれ山となれ。意を決して腰を落とし、私は玉砕覚悟で身構えた。こうなったら空元気の糞度胸。鳴かず飛ばずじゃ皇大神の名が廃るってなもんですよっ。

 彼我の距離五米と見定めて屈めた腰、膝に力を溜め込む。それを一気に爆発させて、水毬姫目がけてジャンプ!!

 ぶつかる――。そう感じて目を閉じた瞬間、胸の辺りにズシンと重い衝撃が走り、その衝撃の正体に必死になってしがみ付いた。

 顔に泥を受けた感触はない。

 僅かに水面を引き摺られ、それからふわりと上昇が始る。

 目を開ければ私が取りついていたのは、釣瓶落としの桶と桶を結ぶ荒い縄。眼前には水毬姫の前袷まえあわせに豊かな胸元が覗いていた。


「まぁ何と恐ろしいことをなさるのですか。落ちたら怪我では済みませんよ」


 涼しい声で説教がましく言う水毬姫に、私が贈ったのは放谷ばりの破顔一笑。私は片側の泥桶に柄杓を挿した。

 水毬姫の顔色が変わる。私の顔には喜色が浮かぶ。


「両手が塞がってるところ済みません」

「御冗談でしょう?」

「これが冗談を言う顔に見えますか?」


 引き攣った笑いと心からの笑顔を突き合わせて、私は遠慮なくその美貌に泥をひっかけて差し上げた。




 ***




「止まらないで下さい! 浮き島まで全速力ですっ」


 阿呼の牽引に従って四名の谷蟇勢が八頭やつぶり姫の脇をすり抜けた。

 直前、八頭姫が放つ氷撫ひなずに二人が動きを阻害され、寄ってたかる半裂はんざき勢に泥を浴びせられていた。

 その八頭姫には浮寝勢が襲いかかり、直ぐには追って来られない。浮き島には見張りを兼ねた旗守はたもりが一人いるだけだ。

 阿呼は囲む指示もいとって一直線に旗守へと攻めかかり、その反撃を盾に戻した陣笠で受けつつ、随伴の谷蟇勢に止めを任せた。


「旗をお願いします!」


 一人に指示して自らは残りの者と反転。押っ取り刀で向かってくる八頭姫に備える。と、そこへ総大将を乗せた放谷が音もなく水面を滑って登場。


「なんか面白いことになってるなー。見ろー、首刈が空飛んでるー」

「えっ!?」


 驚き仰げば櫓の辺りを旋回する水毬姫。その懐近くに確かに蠢く姉の姿。


「お姉ちゃん! なんで!?」


 軽くパニックになった阿呼に痲油姫が扇を鳴らして気付けした。


「こちらはこちらのいくさだわ。見よ、山のような八頭殿が向かって来るだわよ」


 空の変事に気を取られた浮寝どもを蹴散らして、魁岸勇偉かいがんゆういの異形の神が、ぐわんぐわんと腕を振り回しながら大股刻んでやって来る。そこに従う半裂三名。徐々に間隔を広げるのは的を絞らせまいとの考えか。


「うははっ、迫力あり過ぎだろー。おっかねー」


 あの威容を見て笑う放谷もさすがの主祭神である。そんな風に阿呼が僚友を頼もしく思っていると、痲油姫が鋭く「来るだわよ」と警告を発した。

 めるように鋭い眼光を宿す八頭姫。彼女はその隆々たる両腕を水平に広げ、ググクと後ろに引き絞った。


「大将ー。降りて貰っていいかー?」


 承知と応じたる痲油姫が飛沫を立てて降り立つと、その小躯は胸元まで水面下に沈み込む。


「わちが知泥を壁にするのだわ。皆々は横合いから打って出るだわよ」


 応っと腹に力を溜める谷蟇勢。一方、八頭姫は後方に絞った腕をグンッと戻して前面の大気ごと押し込み、そこに生じた氷撫ひなずの靄を盛大に打ち放った。

 大気はビリビリと震え、白い靄の奔流が一心不乱に迫って来る。


知泥ちねっ!!!」


 痲油姫は両手を池の底に着いて全身池に沈むと、ありったけの力で泥を隆起させた。水面下から現れたのは八頭姫よりも遥かに大きな知泥。それが巨体をぐらりと横臥させて陣前の壁と成り代わる。

 氷撫の靄は知泥にぶつかって表面をパリパリと氷結させた。その音を合図に左翼から放谷、右翼から阿呼と谷蟇勢が飛び出して行く。

 放谷は水面に弧を描く軌道上で一回転。その回転力に託して大柄杓から泥を撒き散らし、それをまた八頭姫が快腕振るって払い除ける。与えた被害は顔三つ。


「うわー、これ全部泥んこにしないと駄目なやつかー」


 八つに分裂した頭はそれだけで強み。放谷は水面を広く取って回り込みながら、そこら中に残る冷気を器用に躱して行った。

 一方、八頭姫を放谷に任せ、取り巻き狙いで散開した阿呼たち。相性の悪い氷撫を相手に谷蟇勢は苦戦を強いられ、早々に二人が脱落。阿呼自身はどうにか一人を撃退したものの、近付くほどに増す八頭姫の圧に、あと一歩を踏み込めない。半裂たちはそれを上手く利用して付かず離れず立ち回る。

 その頃壁の向こうの痲油姫は横臥する知泥を立たせようと、水浅葱みずあさぎのオーラを纏って星霊を練っていた。次第に体積を増す知泥。肥大した体は表面を凝り固める氷の層をバリン、バリンと砕き散らした。


「させませんよぉぉ!!」


 倍は上背のある知泥を相手に体勢の整う前に叩き伏せようと、八頭姫は関取りの鉄砲さながら腕を突いて驀進ばくしんした。


「愚の骨頂!」


 疲労を隠してわらったのは痲油姫。膝立ちの知泥から一気に星霊を抜き取ると、泥の山と化した知泥が八頭姫を頭からすっぽり呑み込んだ。


「おおー! すげーなー、やったなー!」

「痲油さんすごいっ!」


 わっ、と歓声が上がり、泥を振り払った八頭姫すら呵々と笑った。


「これはやられてしまいましたねぇ」

「おつむの差だわよ」


 したり顔で言う痲油姫にすかさず八頭姫が切り返す。


「あら、そうでしたか? 本当に?」


 そこに紛れる剣呑さに痲油姫が顔を上げるや否や。泥まみれの八頭姫の背中、甚兵衛の衿下から小柄な半裂が顔を出して椀の泥水をパシャリ。脱力していた痲油姫は満遍なく泥にまみれて痛み分けと相成った。


「さぁさぁ、これでお相子様。本陣へ戻りますわよぉ」


 去り行く好敵手の背中を、ぐむむと呻いて見送る痲油姫。やがて大きく息を吐いて、後は任せたと本陣目指して泳いで行った。

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