021 沼生方痲油姫命
お世話になった無人宿にお辞儀をして、五人になった一行は転宮街道を南へ進んだ。
薄っすらと雲引く空には奇麗な日暈が輪を描き、なんだかとってもいいことがありそうな予感。
道なりに行くこと十分少々。瀬所丸さんは左手の踏み分け道へと入って行った。段々と濃く茂る葦を掻き分けて蛇川の河川敷。川中の飛び石に丸太や板を渡した簡素な橋を渡って、お次は木立の中へ。草分け道か獣道か、狭い道を進んだ脇に瀬所丸さんが寝起きする小さな祠へと辿り着いた。
当の神様を脇に置いて四人並んでご挨拶。瀬所丸さんの住まいは苔生した茅葺の、とても風情あるいい祠だった。そこから先は一路、谷蟇神社へと続く道だ。
「蛙の神様はみんな移姿をしてもお顔を変えないの?」
阿呼の発した素朴な疑問に、後ろを歩く南風さんが、くっくと忍び笑いを漏らす。
「やつがれはどうも人間の顔というものが上手く作れませんで、見苦しいでしょうがご勘弁下せえ」
体の方はせむしとは言えちゃんと人の姿なので、そこに蛙の頭が乗っかると如何にも妙ちくりんな姿になる。正対して直視すると噴き出す危険がある為、私は話しかける時は横合いからと肝に銘じていた。阿呼と放谷はてんで平気な様子だけれど、南風さんは明らかに私と同類。宿で一瞥もしなかった不自然さは笑いを堪えていたからに違いない。
湿地帯の中らしく、じめつく木立の合間を行けば、木下闇を彷徨って日蔭蝶がひらひらと舞う。と、それが突然姿を晦ませて、あれ? と思って瀬所丸さんを見れば、何やら口元がもぐもぐと動いているではないか。
「すいません。ちぃと小腹を空かせまして」
表情の読み切れない顔でそう言うと、瀬所丸さんは再び黙々と先を行く。
これには耐えきれず私も南風さんも噴き出した。黙っててくれたら耐えられたのに! 説明しなくていいんだよ! こっちはもぐもぐしてる時点でほっぺた引き攣ってたんだ。わざとやってるとしか思えない。
なんてことがあって南風さんと二人、いつ来るとも分らぬ笑いの恐怖と戦いながら、実に緊張感漲る道行きとなった。
それにしても蛙頭人躯ともなれば蛙の食事もできるのか。などと妙に感心していたら、いよいよ前方に朱の鳥居。いよっ、待ってましたぁ!
「おおー、古寂びてるけど雰囲気は……ある意味中々だねぇ」
雑木林に囲まれたお社は、こう言ってはなんだけど、あばら家のように屋根が傾いで、分厚く重たそうな茅葺に今にも押し潰されそうに見えた。なんと言うか、夜ともなれば如何にも出そうな気配を漂わせている。
その辺を避けて考えると、熱塩の祖父母と行った山形は置賜の阿久津八幡神社と似た趣きが感じられた。鳥居前のじじばば石に祖父母を並べて記念撮影したのは愉快な記憶だ。
とまあ思い出はさておき、鳥居を潜れば何より私の目を引いたのは、拝殿の横手に開けた境内。そこに集う小人たちが菅笠やら陣笠やらを被り、葦で編んだ胴鎧まで身に付けて、口々に「合戦だ! 合戦だ!」と騒ぎ立てていらっしゃる。そしてまたその合間を蛙たちが賑やかしのようにぴょこんぴょこんと跳ね回っていた。
「瀬所丸さん、この騒ぎは一体? 合戦って?」
「まあま、お気になさらねぇで下せえ。ともかくも姫様にお引き合わせしますので。ささ、こちらへ。ささ」
昔話の一場面のような光景を横目に、言われるまま社の中へ。しかし私はどうしても騒がしい小人たちが気になった。そも合戦とは何ぞや?
「お姫様、川縁の瀬所丸がお客様をお連れしてめーりやした。なんとなんと大宮の大神様ご一行にごぜーます」
拝殿と本殿を繋ぐ小さな太鼓橋を渡った所で、瀬所丸さんは膝を着いて、開け放たれた奥へと声をかけた。すると何やら「うわー、うわー」と慌てた様子。やがて几帳の陰から転がるように現れたのは、禿髪を胸元まで伸ばした卵に目鼻の女の子。背丈はやはり小人サイズだ。
「ほわぁー、初めましてだわ。寂れた社でびっくりしたでしょ? こっち、こっちへどーぞ」
誘われるままに几帳を回り込んで御神座へと進めば、古めかしさはそのままに、けれど整然と調度の整った十二畳ほどの一間。そこへ主祭神が自ら座布団を並べ始めたので、慌てて瀬所丸さんが手を貸すと、どうにか整った座に膝を折った。瀬所丸さんはそこで退出し、私たちは改めて社の神とご対面。
「急にお訪ねしちゃって済みません。大宮から来ました首刈です」
「妹の阿呼です。初めまして」
「あたいはお伴の放谷!」
「白守の南風よ」
「まあまあ、皆様お揃いで。皇大神に八大神まで。わちはこの谷蟇の社を預かる沼生方痲油姫命。痲油とだけ呼んで下さいな」
ペクリと頭を下げる痲油姫。年季の入った千早に緋袴を履いた姿は巫女然としている。袖から覗く手指にはしっかりと水掻きがあった。
彼女はここ一五〇年ほど主祭の座にあって、畔の神として里人の信仰を領していると言う。私は瀬所丸さんとの経緯を話した上で、ここへは見聞を広めるつもりで足を運んだ旨を伝えて、最前から気にかかっていたことを尋ねた。
「ところで痲油さん。境内のあの騒ぎは? みんな合戦だとかって口々に言ってましたけれど」
平和な筈の大嶋で、合戦とは如何にも物々しい。そう率直にぶつければ、痲油姫は「なんのことはないだわよ」と肩口に髪を整えながら、
「今、丁度、刈り入れで里も忙しいだわよ。湧玉の池へ来る里人が少ないこの時期に、わちらは毎年合戦をするのだわ」
どうやら本当に合戦をするらしい。そして相手は人ではないことも読み取れた。はて?
「誰と、どうして戦うの?」
尤もな阿呼の問に、痲油姫は手の中の扇子を広げて一つ仰いだ。するとひょうと風が舞って祭壇の脇から一枚の紙、筆書きの地図が広げられた。隅に湧玉池と書かれいてるからその場所の地図なのだろう。大池小池が折り連なって、畔や浮き島が描き込まれているその三方に、何やら大きくばってん印が記されている。
「このばってんは?」
「こっちが谷蟇、わちらのお社。そっちの外れは浮寝。首刈様のお手元に近いのが床滑だわよ。合戦は湧玉の池一帯を三つの社で取り合うのだわ」
指し棒代わりにしていた扇子をパチンと開けば、軍配よろしく掲げて見せる。
「でも何の為に?」
「星霊だわよ」
「星霊?」
「そー。湧玉の池に滾々《こんこん》と湧き出づる水には星霊がいっぱい含まれているのだわ。わちらはお池の星霊を頂いて、晦日に行われる実りの祭りで里人の農具を直したり、来る年の豊作を願って田畑に恵みを降らせるの」
谷蟇神社では普段から崩れた畔を直したり、蛙を指揮して作物に悪さする虫を食べさせたりしてるらしい。そして刈り入れ後のお祭りで御業を用いた恩恵を施すことで、社の威信を保っているとのことだった。
「去年の勝ち負けはどーだったんだー?」
放谷は胡坐の中にずんぐりと大きな牛蛙を撫でながら言った。見れば部屋の至る所に、いつの間にやら大小様々な蛙が闊歩している。痲油姫はのそのそ歩く蟇蛙を、むんずと掴んで手に乗せ、その背中を摩りながら答えた。
「勝った負けたで言えば、かれこれ二十年近く負け越しだわよ。今年の陣地は社に近い池二つだけなのだわ」
「そいつはまた随分と弱いなー」
「こら放谷。失礼なこと言わないの」
改めて地図を見れば湧玉の池は五十ほどの池に分かれている。その内の二つだけというのは確かに少ない。得られる星霊の量も知れたものだろう。
合戦のルールは簡単。前年に獲得した陣地に各神社の神々を配し、合図とともに泥合戦をする。ただし、泥合戦といっても泥団子を投げるばかりではない。道具を使おうと、御業を使おうと、相手の顔に泥をかければ討ち取ったことになるのだそう。
敵方を追い払って池の浮き島に旗を立てたら陣取り達成。勿論、合戦終了の鐘が鳴るまでに旗を差し替えれば、奪還したと認められる。
「今年は勝てそうです?」
「皆々様が助けてくれれば勝てるだわ」
「助っ人かー。そいつは面白そーだなー」
ん? なんだか当てにされてる?
牛蛙を抱き上げながら笑う放谷。キョトンとしている阿呼。南風さんは中坪に向いて表情は見えない。ただ、私的には興味があったので、話を先に進めてみた。
「えと、助っ人はありってこと?」
「この後、陽が傾いたら池で合戦の取り決めがあるだわよ。そこであらかじめ断っておけば、わちとこは負けが込んでることだし、きっと文句を言う者もおらぬだわ」
ふむふむ。合戦と言っても神々だけのもので、その上きちんとルールがあるのなら、泥んこ遊びとまでは言わないまでも、ちょっとした運動会のようなものだろう。しかもこれは神事。駆け出しでも神である以上、参加しない手はないね。
「助っ人、どう? 私は面白そうだと思うけど。他所の神事に参加できる機会なんて初めてだし、何より手助けになるんならさ。それに大嶋廻りは何でも積極的に関わって行かないとだからねっ。できるかな? で立ち止まらないで、できたかな? を確認するのが大事だと思う」
「お姉ちゃんがその気なら、阿呼はやる気ありよ」
「おー、せっかく来たんだ、暴れてこー」
阿呼が楽し気に尻尾を振ると、その肩を放谷が抱き寄せた。二人ともやる気だね。で、南風さんは?
「あたし? さすがにあたしが参加したらまずいでしょ。八大神よ? あたしは見物に回るから泥合戦は三人で楽しんで」
さもありなん。南風さんの実力で御業を振るえば小さ神は束になっても敵わない。どうぞと言って貰えたので、私は素直に頷いて痲油姫に向き直った。
「とりあえず三人です。それで、取り決めって何を決めるんですか?」
「三社の神から合戦の判じ役に、参加する柱の数と合戦に用いる御業を申告するのだわ」
「御業の申告? それは事前に決めたておいた御業しか使えないってことですか?」
問えば痲油姫は硯と筆を乗せた盆を引いて、懐紙を取り出した。
「この紙に谷蟇方が合戦で用いる御業を一つ記すの。他の社も皆おなじようにして持ち寄った紙を畳んで判じ役に渡すのだわ。使える御業は一つだけ。他は全て反則になるだわよ。反則を取られたら判じ役の裁量で池の数を書き換えられてしまうだわ」
「なるほど。でも私と阿呼は道結と移姿しか使えないから関係ないかな」
「あらまあそうなの?」
「ええ、実はそうなんです。恥ずかしながらまだまだ修行中の身なもので」
「なるほどなるほど。それでも結構。うちは手が増えるだけで大助かりなのだわ」
打算のない笑顔が嬉しくて、私は痲油姫の小さな手を握り、「頑張ります」と気持ちを伝えた。少しでも力になれたらいいなと。
***
昼餉に茶粥を頂いて一息ついた私たちは、痲油姫から「お風呂は如何?」と問われて一も二もなく頷いた。湧玉の池へ出向くのは夕方、空色が変わってからということで、この日は瀬所丸さんに言って早めにお風呂を焚いたらしい。
レブの店ではお風呂がなかったので、代わりに盥一杯のお湯を頂いて体を拭いて済ませていた。けれど犬神神社で天然露天風呂に慣れ親しんでしまった私たちにはやっぱりお風呂。これがなくては始まらない。
「おおー、黄金色の田んぼに紅葉の山並みとか最高なんですけど!」
「真っ赤なとんぼさんもいっぱい飛んでる」
「ここなら何処に巣を張ってもとんぼの入れ食いだなー」
「きゃー!」
「放谷あんた、いちいち阿呼に悲鳴上げさせるんじゃないの」
放谷ったら口笛吹いて誤魔化した。
お風呂はこじんまりした湯屋に目一杯の広さがある檜風呂。湯屋の一面が取り払われていて、谷蟇神社が領する御新田に面している。外に張り出す水切りの板場が脱衣所兼洗い場。完全に外から丸見えなのだけど、神域の田んぼに入り込む不心得者はいない。
「この田も合戦神事の後に刈り入れをするだわよ。そこに里人を招いて田楽をするの。この年の実りに感謝を捧げ、来る年の実りをまた願うのだわ」
「じゃあこの景色は今しか見れないんだ。目に焼き付けておかなくちゃ」
「ねーねー。夏の青田もいいと思うんだけどー?」
「まだ夏推しやってた」
「やめる訳ないよね? 夏の神様よ? あたし。毎晩枕元で夏はいいぞーって囁いてやる」
「白守のめんどくさい南風媛命に改名したらどうですかね?」
「あー、そーゆーこと言うんだ。はい、じゃあ今から同調練習始め!」
「んもー」
折角のんびり浸かってるのに子供みたいなんだから。しかし新たに師匠と仰いだ相手。しかも実力は折り紙付きの八大神ときている。無視する訳にも行かず、私たちは痲油姫も交えてお湯の中で手を繋いだ。
湯屋の屋根で囀る連雀の声を聞きながら、そっと目を閉じれば耳からでなく、体そのものに伝わってくる音、音、音。新たに加わった痲油姫の波長はスタッカートの利いた小気味よいリズム。それを祭囃子にテンポよく重ねて一つの音楽に仕立てる。
「いい感じだねー。みんな慣れて来たね。じゃあ想起して。お互いの波長を心持ち太く厚くして、同調した星霊を通わせよう。一人だけ沢山星霊を流したりしたら崩れちゃうよ。五人の輪を一定の感覚で流して行くこと。そう、その感じ。続けて――」
凄い。今、輪になった私たちの中を一曲の星霊がレコードみたいに回転してる。そしてやはり南風さんと痲油姫は上手い。軽い乱れが生じても、スッと合わせてくる。私も阿呼も放谷も、乱れがあるとそこに意識を引っ張られてしまい、何とかしようという気持ちが逆に乱れを増してしまう。でも二人はそれを見越して、こっちが足せば直ぐに引き、逆に引いたら直ぐに足す。
「同調はただ合わせるだけじゃないよ。合わせてから何かをするのが目的。じゃあ今度は流れてる星霊をちょっとずつお湯の中に注いで行こう。お湯の色が若草色に変わるように想起して――」
手から手へ、受け取っては流して行く星霊を胸の中心から一筋の糸にして湯船の中に溶かして行く。みんながどのくらい放出してるかを、レコード回転を続ける星霊の音量から推測して調整。しばらく待って目を開けてみると――。
「凄い、本当にお湯の色が変わった!」
入浴剤をたっぷり入れたような深い緑の色味。けれど感動に集中を途切れさせたせいで同調は途絶え、お湯の色はゆっくりと褪せて行った。
「まあ今はこんなところかな。色もちゃんと変えられたし、上達してるのは間違いない」
「なんか思ったよりスッと行ったなー」
「うん。阿呼は合わせてるだけで、みんなに引っ張って貰った感じ」
「多少はあたしと痲油姫とで誘導したからねー」
「南風さんも痲油さんもどうしてそんなに上手なの? 私たちがちょっと失敗しても直ぐに合わせてくれてたでしょ?」
感じたことをそのままぶつけたら二人は顔を見合わせて笑った。
「それは首刈ちゃん。当然腕もあるけど年季だよ、年季」
「そうそう。神は二桁でようよう様になり、三桁となれば板に付く。四桁に至って遂に堂に入ると言われているのだわ。わちは百歳を長らえる三桁の神。南風媛様に至っては堂に入った千歳の神」
「それって、一桁の私と阿呼は立場がないような……?」
「あくまでもものの例えだからねー。皇大神と月神なら星霊核も規格外だから、十年待たずに様になると思うよ。ま、焦らず騒がず、地道に修練を重ねることが大事」
一歩一歩、日一日をコツコツ積み重ねて行く。その点では皇大神も人と大差ない。元が人間の私には丁度いい塩梅だ。万事万能にこなせる全能神に憧れはするけれど、実際そうなったら能力に振り回されて、生傷の絶えない日々を送ることになりそう。
私は長閑な景色を眺めながら、焦らず気負わず、そして弛まぬ足取りで歩いて行こうと心を新たにした。
***
「今年も御業は水曲にするだわよ」
天を仰いでブツブツ呟いていた痲油姫。それが扇をパチンと鳴らして掌に打ち付けた。そして難しい顔のまま筆を取り、硯の墨に筆先を浸す。
お風呂から上がって、たっぷりと涼も取った私たちは本殿の御神座でくつろいでいたのだけど……。
「水曲っていうのはどんな御業なの?」
私は知らない御業に関心を抱いて、筆先が走る前に問いかけた。口調の方はすっかり打ち解けてタメ口調。一緒にお風呂に入った仲だもんね。
「水曲は水を操る御業だわ。それで泥水を繰り出して敵を仕留めるの。皆使い慣れているし、勝手がよいのだわ」
その答えを受けて「はいっ」と挙手したのは生真面目そうな顔をした阿呼。
「他のお社はどんな御業を使ってくるの?」
「半裂どもは氷撫を使うに決まっているのだわ。わちら寒いのには滅法弱い。冷たい泥を被されると動きも鈍って、それで皆やられてしまうのだわ」
「はんざき?」
「半裂ってのは山椒魚のことだなー」
阿呼の疑問に放谷が合の手を入れる。痲油姫は手にした筆を置いて袖口の皺を整えた。
「床滑神社の連中だわ。半裂はわちらと違って寒いのには強い。浮寝神社の連中も暖かい羽毛で寒いのは慣れたものだわよ」
悔しそうに言う痲油姫。考えてみれば蛙は冬眠をする生き物だ。寒さに鈍るのは頷けた。
阿呼が浮寝について問うと、そちらはこちらと同じ水曲を使ってくるだろうとの予測。過去には遊鶴羽なる風切る羽根の御業を用いた年もあったそうだけど、より合戦向きの水曲で来ることが多いと言う。
ちなみに浮寝とは浮寝鳥のことで、広く水鳥を指す。湖沼地帯が広がる水走には多種多様な水鳥が生息していた。
「他に使えそうな御業はないのかー?」
いつの間にか腹這いになった放谷は指組の上に顎を乗せ、足をパタパタ動かしていた。あんたここ御神座だからね? 自由過ぎるでしょ。けれども主祭の痲油姫は気にも留めない様子。南風さんも柱に寄っかかってるし、主人が何も言わなからか、阿呼もいつもの「お行儀」を口にする様子はなかった。
「そーだわね。わちだけが使えるのでは意味がないし、従神の皆々がとなると……。知泥? あとは砥粉闇あたりだわ」
耳慣れない御業が次々出てくるのを楽しく思いながら、私は今話に出た二つの御業について尋ねた。痲油姫は扇を持ち直してパチンと鳴らす。
「付喪神は御存知だわね?」
「道具に宿る神様だよね?」
「神ではないだわよ。まあこれと言って害のない妖の類だわ。見たことは?」
私は首を横に振った。すると痲油姫は祭壇の方に向けて扇を打ち鳴らし、「御挨拶」と言い放つ。そしたら途端に祭壇の供物台やら燭台やらに手足が生えて、わたわたと動き回りだしたではないか。それらは驚き瞬く私の前に横一列並んで、ピタッと止まったかと思うと、今度は御辞儀をするように傾いで見せた。で、またわたわたと元の配置に戻ってそのまま動かなくなった。
「阿呼、今の見た!? 足が生えて動き回ってた!」
「見た! 阿呼びっくりした! すごーい、今のが付喪神なのね」
「九十九を超えて大切に扱われた道具にはこうして魂が宿るのだわ。誰もがそう信じるから正にそうなるの。知泥というのは命無き土くれを付喪神の如く操る御業。わちらは土や泥を傀儡のように動かしては崩れた畔を直すのだわ」
「泥を操る? それって泥合戦に向いてるんじゃ?」
思ったままを口にすれば、合戦に役立つ程に自在に操れるのは、痲油姫を除けば一人か二人が精々だとの答え。ううむ。
「じゃあもう一つの方は?」
「砥粉闇は砥粉そのものや砥粉色の紙を用いて繰る御業。例えばこのように――」
懐から取り出して見せたのは単語帳ほどの大きさをした砥粉色の色札。痲油姫はそれを扇の先に挟んでフーッと息を吹きかけた。するとお札はみるみる風化するように崩れ去り、途端にもくもくと濃い霧が湧いて広がり出す。目の前が砥粉の色味を帯びた白一色になってしまって、自分の手すらまともに見えない。隣で阿呼も「見えない見えない」と手探りをしている様子。放谷はいつも通り、楽しげに呵呵と笑っていた。
やがてパチンと音がして、ゆっくりと白けた闇が解けて行く。
「とまあ、こんなだわ。これは見通す為の御業を使わないことには、わちらにも見えぬのだわよ」
「なるほどー。実演ありがとう」
実演にお礼を言って、私はしばし考え込んだ。
先ず水曲。その優れた点は合戦向きの使い勝手と、従神たちが同程度に扱える点。しかしその一方で手の内は読まれている。
次に知泥。これはダミーとして見せかけの頭数を増やせる点で秀でている。ただし、自在に操れる従神の数が少なく、すると多くの知泥が緩慢に動くだけの案山子になってしまう。
最後は砥粉闇。相手の眼を封じられる半面、こちらも見通しが効かない。用法としては忍者の煙玉だろうか。目晦ましや陽動には使えそう。
「みんなどう思う?」
「んー。阿呼だったら知らない御業を使われる方が嫌」
「そーだなー。端っから知られてる水曲よりかは知泥や砥粉闇のがいいかもー」
尤もな口振りだが放谷は大抵直感でしか物を言わない。その頭脳は私の同じくライトフライ級。類友と言えるだろう。
「どちらも合戦で使ったことはないだわよ。その点、奇襲にはなるだわ」
二人の見解に頷いて見せる痲油姫も、水曲に再検討の余地ありと思い始めたのか、談義に加わって来た。一人参加の予定がない南風さんは縁側に三角座りして中坪を眺めている。
「うん。それに水曲を使って負け続けてるなら、今年も水曲を選ぶのはどうかと思う」
何事に於いても打開策の定番にはマンネリズムの排除が挙げられる。あとは挿げ替えた御業をどう活かすかだ。
「砥粉闇は風で流れるのかー?」
「流れるだわ」
「天候に左右されちゃうのは問題か。――あ、今思ったんだけど、御業が一つしか使えないって、移姿を選ばなかったらみんな元来の、蛙の姿で戦うってこと?」
「移姿は特別なのだわよ。申し出の御業が移姿でない限り合戦中に姿を変えたら反則。けれど開戦の鐘が鳴る前に移姿たなら、そのままの姿で合戦が終わるまで参加していいのだわ」
「なるほど。あくまでも合戦中に使わなければ……。あれ? じゃあ事前に知泥を出しておくのは?」
「それはダメだわよ。知泥を操った時点で反則を取られるだわ」
「あ、そうか」
「はい!」
「はい阿呼」
「痲油さんの知泥はどれくらい動けるの? 泥玉は投げられる?」
「できるだわよ。わちとあと二人程は知泥が得意。人の動くくらいには自在に操れるだわ」
胸を張った痲油姫の言葉に、阿呼は得たりと可愛く拳を握った。
「なら阿呼のお奨めは知泥よ、お姉ちゃん」
自信があるのかキッパリと言い放つ我が愛妹。頼もしいね。早速御意見を拝聴しましょう。皆様御静聴下さい。
「最初は上手く動かない知泥だけを並べて壁を作るの。そうしておいてから、みんなで別のお池へ攻め込むのよ」
「ふむふむ。でも待って。痲油さん、知泥を出した人が他所へ移動しちゃっても平気なもんなの?」
ちゃんと作戦ぽい内容に感心しつつ、ちょっと穴があるかなと思えた個所を確認してみる。
「簡単な動きはほっといてもするだわよ。向こうへ行け、こっちへ来い、そこで倒れて畔になれ。そんな風に使うものだわ」
「そうなんだ。続けて阿呼」
「うん。相手もその内、知泥が動かないって分かるでしょ? それで相手が攻めてきたら、動かない知泥に紛れさせておいた動く知泥でやっつけるの。向こうは動かないって思ってるから、急に泥玉が飛んで来たらびっくりするでしょ?」
言われてみればそうかと思う提案に、これを白紙から考えることが私にできたかどうか。些か姉の立場にぐらつきを感じてしまったり。まあ今更だけどさ。
「おー、騙し討ちだなー。それならあたいら蜘蛛の得意技だー」
愛妹の献策を騙し討ちとか言う放谷は後でお仕置きだね。しかし阿呼のこの提案。中々どうして作戦っぽくなっているじゃありませんか。阿呼を谷蟇軍の軍師に採用しよう。そうしよう。
「痲油さん。どう? 阿呼の作戦」
総大将が軍師の立案をどう受け止めたか。
痲油姫はすっくと立ち上がるとバッと扇を打ち広げた。そして高々と掲げた扇の下、まるでもう合戦を制したかのような顔で宣った。
「その策見事なり! 明日の合戦は知泥を用いてこれを制するだわよ!」
そういうことになっただわよ。




