019 星霊花
「夜刀様ー、南風が来たよーん」
薄闇の御神座へ軽い調子で現れたのは白守の南風媛。
内陣のテーブルで升酒を楽しんでいた夜刀は前触れもない来訪にギョッとした。慌てて秘蔵の銘酒を足下に隠し、身を包む黒のゴスロリ衣装に乱れはないか手早く確認。そして素足の爪先を揃えて斜めに降ろし、シャッター音を待つかの姿勢で来訪者を迎える。
南風は対面する下座にチェアを引くと、微塵の優雅さも示さずドッカと腰を下ろした。清潔感漂う白いドレスに誰もが羨む美貌を収めながら、所作の一切が雑だ。そんな馴染みの神を見て夜刀は軽く眉を顰めた。
「何? 貴女もう追い返されてきたの?」
作り物めいた驚き顔で目を瞠ってみせる夜刀。これに対して「まさか」と顎を逸らせた南風は己の面前で大袈裟に手を振った。
「そんな訳ないでしょ? ちゃーんと上手くやりました。その報告に来たのに。夜刀様ってばあたしをなんだと思ってんの?」
ちょっと拗ねた言い方をしても、夜刀は甘えた態度には取り合わない。白守の四姉妹を相手に甘い顔を見せたが最後、主題はぼやけて好き放題に脱線すると分かり切っているのだ。
夜刀は飲みかけの升を呷ってカタンと音を立てると、テーブルに肘を乗せて南風を見据えた。
「なんでわざわざ? どこぞの茅の輪を拝借しなくても伝魔を飛ばせば十分でしょう」
つれない言葉に南風はそっぽを向いて抗議の意を示す。親に構って貰いたい子供のそのもの。
「いーじゃーん、直接知らせたかったんだからぁ。聞いてよ夜刀様」
と、半ば会いたいだけで来たのを取り繕って、南風は今し方起きた山中での出来事を仔細に報告した。夜刀も夜刀で半ば足下に隠した酒瓶のことばかり考えていたのだが、さすがに聞き咎める内容が出て来たので掌突いて南風を遮った。
「貴女、確か今、ちゃんと上手くやりましたって言ったわよね?」
「そだよ?」
「そだよじゃないわよ。舌の根も乾かない内に襤褸が出てるじゃないの。霊塊の化け物を取り逃がして騒ぎになったってなんなの?」
「いやそれは、たがら確かにそうはなったんだけど、でも大嶋廻りに合流するって目的はちゃんと果たしたよっていう意味で」
「呆れた娘ねぇ。貴女四桁よ? 千歳を編んだ神が終わりよければ全てよしって、それでなんとも思わない訳?」
「……いや、まあ」
「まあなんなの?」
「……まあまあ、かな? みたいな」
「んふふふ。貴女私を笑わせに来たの? だったら成功してるわよ。はぁ……。まあいいわ。皇大神は無事。合流も果たせた。ならこれで報告はお終いね?」
「あと一つ」
「何よ、さっさと言いなさい」
さも面倒臭そうに言って、夜刀は足で酒瓶を弄り始めた。早く切り上げて続きの酒が飲みたい。頭の中はそれだけだ。
「実は霊塊の説明をしてたら、お伴の蜘蛛神の娘が、風合谷に埋めた野暮らし狐の死因を霊塊じゃないかって言い出して」
「は?」
夜刀は足を滑らせ、危うく酒瓶を倒すところだった。しかし次の瞬間、虚を突かれて丸くなった蛇目を半眼に据えれば、装いでない真面目が声音に宿る。
「貴女、一一四紀に真神を封鎖した訳は知っているわよね? 一三二紀には風合谷も禁足地になったその訳を?」
「知ってるってば。だから念の為、西風西風に頼んで確認しに行って貰ってる。その内、夜刀様にも報告が上がって来ると思うよ」
それを聞いた途端、夜刀は嫌がらせを受けた子供のような顔になった。
「なんであの娘に頼むのよ!? あの娘が一番面倒臭いんだからっ」
「ひっど。西風西風は頼りになるけどなー? そりゃ確かに夜刀様の前ではネジが飛んでくけど」
緩むどころか飛んで行くと聞かされて夜刀の頬は引き攣った。このように夜刀には煙たがられる西風だが、四姉妹や他の神々の間ではおしなべて高評価だったりする。
「それにしても、とうとう真神にまでねぇ」
夜刀は余り思わしくないといった表情で指甲套を鳴らした。
「それはまだ何とも。真神は星霊が安定してるから、十中八九、崩れてから真神に入ってことなんじゃない? 真神に入ってから発症したとは限らないでしょ」
南風は言いながら両手を上に向けて肩口に揃えた。相変わらずの態度を目にした夜刀は「用が済んだなら帰りなさい」と仕草で追い払う。
「あ、そうだ夜刀様」
「ま、まだ何かあるの?」
一度席を立った南風が急に振り返ったので、酒瓶に手を伸ばしかけた夜刀は浮足立った。
「やー、皇大神なんだけど、多少あたしが御業の手解きしても構わないでしょ?」
「その辺は織り込み済みよ。北風の報告通りなら、そのままあちこち行かせるのも心配だものね。けれど南風、余り教えられることに慣れてしまうと、自ら編み出すということをしなくなってしまうから、そこだけは注意なさい」
「りょーかいでっす。それじゃー南風はお仕事に戻りまーす!」
型崩れの敬礼を残して今度こそ南風は去って行った。夜刀は完全にその気配が消えたのを確かめると、再びもぞもぞと足元の酒瓶を取り出しにかかる。
「全く、落ち着いてお酒も呑めやしないんだから」
ぶつくさ言いながら空になった升に命の露を注いで行けば、立ち上る香りに我知らず相好を崩して、最古の神は手酌の酒に思う存分舌鼓を打った。
「っぷぁー! 生き返るわー。もう一杯!」
上機嫌で酒瓶を傾けたところへ、聞き慣れた声が届く。ハッとして首を巡らせても御神座に余人の気配はない。夜刀は御業による交信を求められたと察して、直ぐに同じ風声の御業で応えた。
「不躾ね、西風。御神座に直接投げ込むなんて焦眉の急とでも?」
冷たく言いながらも、夜刀にしてみれば西風の突飛は当たり前の範疇だ。
『お酒をお楽しみのところ、本当に申し訳ありません。ですが西風はどうしても夜刀様のお力をお借りしたいんです』
見られた訳でもないのに何故露見したかと、夜刀はその必要もないというのに無駄に足掻いてうっかり酒瓶を落っことした。少女の手には酒瓶の径が太過ぎたのだ。
バリーン――!
「きぃぃゃあああぁぁああ! 私の大吟醸がぁぁああ!!」
酒の一滴は血の一滴とばかりに、夜刀は旋毛から捻り出すような馬鹿げた悲鳴を放った。その表情たるや鬼気迫るものがある。
『あ、お取込み中でしたか。重ね重ね申し訳ありません!』
「うるさい! 黙りなさい! ばかぁ! あんたはもうっ!」
当年取って一万五千飛んで十五歳にもなる楓露最古の女神は、本気の涙目を晒してゴスロリの袖を濡らした。
***
些か時を遡って真神は風合谷。
吹きすさぶ風が似合うのは翼ある神だからだろうか。白守に鎮座する八大神の一柱、白守行暮西風媛命は、谷渡る風に柿色の巻髪を乱しながら、村跡の外れ、草場の切れ目に佇立していた。
「これは一体どうした事態なんでしょうか。西風は困り果ててしまいます」
まるで誰かに告げるような口振りでもって、西風はその場に片膝を付いた。すると、丁度目の高さの位置にエメラルドの輝きを湛えた一輪の花が咲いている。
「どう見ても星霊花です。南風の話は元より、私自身、ここで埋葬が行われている様子を遠目に見ていました。この下に埋まっているのは野暮らしの母狐で間違いありません。死因が霊塊だったとして、どうして星霊花が……」
西風の深い緑色の瞳に映り込む花。それは花と言えどもその実、鉱物の結晶に似て、茎から花弁まで宝石を磨き上げたような姿をしていた。その美しさには幽邃際立つものがある。
南風に頼まれた西風は、単に死因が霊塊か否か、他にも何か不審な点はないかを確認をするつもりで来た。ところが蓋を開けてみれば不審も不審、事態は西風を大いに困惑させるものだった。
西風はその指を光宿す花へと向けた。しかし、触れる寸前で考え直したのか、手を引っ込めて今度はそれを地面にピタリと付け、名付きの御業を口にした。
「索」
地に触れた掌から身の内の星霊を浸透させていけば、皇大神の一行が拵えた小さなお墓の一帯を、丸ごと己の星霊で覆い込み、地中の様子を手に取るように窺い知る。土中の骸を分解する小さな命を脅かさないよう、繊細な制御で星霊の探知針を操り、目当ての情報を探り当てる。
「確かにこれは霊塊、ですね。ですが増々信じられません。霊塊から星霊花が生えるなんて話、西風は聞いたことがありません」
星霊花はそれ自体が極めて珍しい純粋な星霊の結晶体であり、その名の通り形状は花に似る。万物と融合する性質の星霊がこのように生のままの姿を晒すことは稀だ。開花時間は短く、放って置けば数日も待たずに風に溶けてしまう。それがこうした発見例となる確率はそれこそ万が稀と言えるだろう。
今、西風が確認した星霊花は、野暮らし狐の死因となった霊塊から伸びていた。印象としては霊塊が球根になったかのように見える。
「貴重な星霊花ですから採取したいのは山々ですが、さすがに判断に苦しみます。仕方ありません。ここはお叱り覚悟で夜刀様にお願いしてみましょう。西風の頼みならきっと聞いて下さる筈です」
星霊花は神々の間でも重宝される。就中、最上級の神宝を創造するのに欠かせない素材とされており、おいそれとは無駄にできない。当然御業で保存して回収するべきだが、根が霊塊という前代未聞の予測有害性が西風を迷わせた。
「夜刀様」
声を知己の耳元へ届ける風声の御業で夜刀との交信を図った西風は、それだけでもう幸せな気分だった。刷り込みの影響ではあったが、他の姉妹と比しても突出して顕著なのが西風だ。夜刀は煙たがって逃げ回る風だが、もし逆手に取れば西風ほどちょろい相手もいない。
『不躾ね、西風。御神座に直接投げ込むなんて焦眉の急とでも?』
本来、高位の神に対して、その神域へ直接道を開いたり、交信を図ることは礼儀に反するとされている。同じ八大神でも神々の世界は年功序列が幅を利かせる。唯一五桁の生き神である夜刀は、それだけで神々の頂点に立つ存在だ。
案の定、返信の冒頭にお小言が添えられ、けれどもそれは西風にとっては耳元に咲く花にも等しかった。
「お酒をお楽しみのところ、本当に申し訳ありません。ですが西風はどうしても夜刀様のお力をお借りしたいんです」
言うほど悪びれた様子もなく、夜刀との対話にかえって上ずる気分が声に乗ってしまう。と、そこへ
『きぃぃゃあああぁぁああ! 私の大吟醸がぁぁああ!!』
絶望という名の色を塗りたくった痛ましい悲鳴が轟いた。
「あ、お取込み中でしたか。重ね重ね申し訳ありません!」
『うるさい! 黙りなさい! ばかぁ! あんたはもうっ!』
咄嗟に謝罪すれば怒っているのに可愛い姿しか想像できない稚拙な罵倒が飛んで来る。西風は一旦、相手が落ち着くのを待とうと、賢明にも口を閉ざすことにした。普段であれば可愛い罵倒を楽しむという選択肢もあったのだが、今回は事態が事態だ。子供じみた勢いそのままにこちらの頼みを蹴り付けられては西風が困る。
『あーもう、半分も呑んでないのに全部絨毯に吸われちゃったわよぉ……。何なの、用件は?』
八大神の要とも称される蛇神が随分としょぼくれた声を出す。
西風は考えた。いつもなら少しでも対話を長引かせようと、持って回った話し運びを展開するの場面だが、相手の機嫌や事態の重さを鑑みて、その手は控えようと結論した。
「夜刀様、星霊花を発見しました。霊塊から生えています。至急いらして下さい」
ド直球。
次の瞬間、隣に愛するゴスロリ女神が降臨なさった。
「どうゆうこと!?」
「こちらになります」
勢い飛び出してきた夜刀に流れるような対応で、西風は見合い相手でも紹介するように、厳かに咲く星霊花と夜刀とを引き合わせた。
夜刀は組んだ腕を崩しながら右手を口元に当て、花に絞った焦点を外さぬままに、その回りをゆっくりと一周する。
「触った?」
「いいえ」
「そう。霊塊は?」
「この下の骸の下腹辺りです」
「それで西風の考えは?」
花に向いたままの夜刀を前に西風は黙考した。正解は持っていない。正答がないと思うからこそ夜刀を呼んだのだ。しかし答えなくてはならない。この質問は先生が生徒にするそれであり、親が子にするそれである。正解することよりも回答することが求められていた。
「西風にその手段はありませんが、事細かに調べて、問題が無いのであれば保存、回収すべきです」
夜刀は何も言わない。未だジッと星霊花と向き合ったままだ。興味の対象を前にするとキラキラと輝き出す金色の蛇目が、今も爛々として世にも稀なる花に囚われていた。
夜刀は好奇心の塊だ。自身そうあることを望んでいる。あらゆる物事に感嘆を示す多感さを留めんが為の少女姿なのだ。だから、いい年した古神が何やってんの、とか思ってはいけない。絶対に。
夜刀が反応を示さないのは、西風の回答に興味がないからではない。より多くの回答を待っているからだ。普段なら口にする筈の「続けて」の言葉が、花への集中に飲み込まれているのだった。
「西風は明白に初見ですが、霊塊から星霊花が生じる例に関して洗い直す必要も感じます。黒鉄の心媛に依頼するのは如何でしょう?」
「心はダメ」
即答に西風が怯む。
「何故ですか?」
理由を問うと、ようやく夜刀は花から目を離し、西風に向き直った。
「あの娘にはもう、皇大神の件で私から頼み事をしてあるのよ。だから、この件は西風に任せるわ」
「え!? 西風には無理です」
突然の御指名に西風は狼狽えた。力及ばぬからと夜刀を呼んだのに、何故振られるのか分からない。その心境は小枝のように身を細めた木兎のそれに近かった。
「そうやって簡単に無理って言わないのよ。もう下調べはしたし、取り出すのもしてあげる。白守に持ち帰って北風や東風とよく調べなさい。西風が見付けたのだから調べ終えたなら西風の神宝を創ればいいわ。ああ、南風にも多少の権利はあるわね。その辺は姉妹で相談なさい。私は報告だけでいいから」
西風は羽角を跳ね上げて目を回した。既に調べ終わったとはどういうことか。ただ観察していただけにしか見えなかったというのに、一体何をどう調べたのか理解に苦しむ。一見百察の墨染の女神に、恐れ入りながらも惚れ直すような、そんな二律が西風の体内を経巡った。
「持って行け、ということは問題はないんでしょうか?」
本音はお任せしますと言いたいところだったが、西風は夜刀に逆らうという選択肢を持ち合わせない。とりあえず受け入れる方向に舵を切って、話を続けた。
「ないわね。私たちの用心に反して過去に目にした星霊花と何ら変わらないわ。元が霊塊というだけで、寧ろ質はいいくらいよ」
言って、未だ理解の追い付かない西風を取り残すように夜刀は花に目を戻した。
霊塊は星霊花のような純粋さはないものの、同じく星霊の結晶体だ。いわば星霊の老化、劣化の果てに生ずる死壊の塊。それが霊塊と呼ばれるものの正体だった。
「繋がっているから丸ごと出すわよ」
ちろりと見せた舌で唇を湿して、先程までの好奇の輝きを怜悧なそれに置き換える。万古の神は青褪めた白群の唇を静かに震わせた。
「汝、蛇と成りて這い出づれ」
花に手をかざし、嫋やかな指を順に折っては残した小指、指甲套の先から星霊を注ぐ。
「蜿転」
名付きし御業を受けた花は戦慄き、やがて蛇の如く奇妙にのたうって、割れ玉のような霊塊ごと地上に現れた。はたと伏せればそのままに動きを失う。傷一つなく奇麗に根から取り出され、霊塊には腐肉の一片も付着していない。地面にこそ穴が穿たれたが、墓には何ら影響を及ぼすことなく、実に手際のいい摘出だ。
居住まいを正した夜刀は正立して墓前に黙祷を捧げた。それを見た西風も慌てて倣った。
「原因は?」
何だと思う、と沈黙を破った夜刀は西風を見据えた。西風はそれを発見の折から考え続けていたが、答えは一つしかない。
「皇大神です」
「そうね。貴女はあの星彩の翆玉の瞳を見ているものね。それと、真神の地も理由にならない?」
「そうですね。真神の星霊はまだまだしっかりと安定しています。結晶化に何らかの影響を与えたかもしれません」
真神は星霊降臨の地だ。現在、隠居山がある場所に落ちた流星は、この星に生きる者たちに歴史の開闢を告げた鐘であり、当時より生き続ける夜刀の記憶と然程変わらぬ姿を留めているのが唯一、この真神の地であった。
「せめて真神はね。赤土の深奥部は酷いものよ。遠からず沿岸部まで到るでしょう」
南北に別れる大嶋の南全域を預かる赤土。そこでは度重なる星霊の崩れによって、大きな災害が続いていた。夜刀の言う「遠からず」は古き神の時間感覚に拠るものではあったが、夜刀自身、中々に打つ手がないのも事実だった。しかし、だからと言って自棄酒を呑んでいる訳ではない。日々の酒はちゃんと好きで呑んでいる。
「そうですか。ですが、どうでしょう? 当代の皇大神はこの件一つを取っても何か期待できそうな気はしませんか? 西風は首刈皇大神、好きですよ。妹神ととても睦まじくて、振る舞いは小さ神のようですが、いい皇大神になると思うんです」
西風は本心を言った。幼く未熟な皇大神が闇の中、妹神の手を引いて進む姿に、観察だけのつもりが迷わぬよう手助けしてしまう程には好意を寄せていた。
「そうね。期待はしてみましょう。南風が聞いた話では此処に野暮らしを埋める際、骸に直接触れている。それで花が咲いたかしら? 北風が言っていたわね。よく歌を歌っているって。此処で、歌ったのかしら? いずれにせよ、近く対面するのが楽しみだわ」
夜刀もまた心からの言葉で返した。あの星彩の翆玉の瞳を直に見て、そこにある秘密について尋ねてみたいと思っていた。
「それじゃあ後は任せたわよ」
「はいっ、夜刀様は正に干天の慈雨です。お力添えありがとうございました」
立ち去ろうとする夜刀に西風は深々と頭を下げて感謝の意を示した。
「いいのよ」
それだけ言い残すと、夜刀は短く「神渡」と唱え、景色に溶け入るようにその姿を消した。西風の目にはそれがまるで、愛しい姫が谷を渡る風に攫われてしまったかのように映った。
大好きな夜刀が去って、吹き溜まりのような寂しさが胸に渦を巻く。やがて、それを振り払うように星霊花を見据え、今すべきことを行動に移す。
「物招」
唱えた西風の手に美しい純白の織物が、はらり舞い降りた。艶やかな表も滑らかな裏地も何一つ模様のないそれを広げ、西風は地に横たわる星霊花を丁寧に包み込む。霊塊の根から尖端の花まで九〇糎ほどだろうか。この大きさなら二つ三つ神宝を作れそうだと、少し先のことを考えながら、西風は移姿を用いて木兎に姿を変えると、風唸る真神の地を後にした。




