彼女とメイドの事情
「お嬢様、明日に備えて早く寝ていただきませんと……ほら、寝間着にお着替えになって」
「嫌よ、私着替えたくない。
明日なんて来なければいいのにっ!」
「もう、そんなことをおっしゃらないでください、明日はお嬢様の大事な、成人の儀が執り行われるのですよ?」
「知らない、そんなの大人が勝手に決めたことじゃない」
品の良い、それでいて一目で質のいいものだとわかる調度の数々に彩られた室内。
硬質な、密度の高い木材に精緻な彫刻の彫り込まれた椅子の上で拗ねる少女に、その傍に仕えるメイドが諭すような声をかける。
明日は少女の成人の儀。
大人の一員として認められる日であり。
貴族である彼女にとっては、婚約者が決められる日でもある。
それがどうにも、憂鬱だ。
「私、大人になんてなりたくないのに……」
「こればかりは、仕方のないことです。
お嬢様、お嬢様から見て、私は仕方のない大人でしょうか」
微笑みながらメイドが問いかけると、少女がはっとした顔で振り返る。
「そんなことないわ!
メアリは私にとって憧れの人ですもの!」
「それはとても光栄なことです、ありがとうございます。
でしたら……僭越ながら、私と同じ世界が見えるようになる、と思っていただけませんか?」
ずるい。
そう、少女は胸の中で思う。
そんなことを憧れの女性である彼女から言われたら、反対などできるはずもない。
「……わかったわ、メアリがそう言うなら、ちゃんと儀式を受ける。
だからその代わりに、今夜だけ一緒に寝て?
私が子供でいられるのは、今夜までだから……」
「お嬢様……わかりました、それでお嬢様がご安心召されるなら。
今夜だけですよ?」
そういたずらっぽく微笑むメイドへと、少女は安心したような微笑みを見せた。
少女が少女でいられる最後の日。
無邪気でいられる最後の日。
明日から大人として、見知らぬ世界へと踏み出さなければならない日。
その日に、全幅の信頼を寄せる彼女のぬくもりを求めたとて、誰も責めることもできない。
また、その想いをメイドが受け止めるのも極めて自然なことだっただろう。
そして二人は、大事な互いの、大事なぬくもりの中で夢を見る。
白い、清純さで染め上げたように白い翼を持つ鳥の夢。
そのくちばしが、想いの欠片をついばんで、拾い上げ。
『あなたの想いを、受け取りましょう』
そして、そっとその欠片を差入れ託す。
『あなたに想いを、託しましょう』
芽生え、健やかに育ちますように。
そんな願いが、祈りが、光となって溢れて。
そして、二人は目を覚ます。
「……お嬢様?」
「……メアリ? 私……その……夢、見ちゃったんだけど……」
そう言いながら、少女はそっとその腹部を撫でる。
大事な大事な、宝物を労わるように。
……夢だけど、夢じゃなかった。
そう気づくと、メイド……メアリはベッドに突っ伏す。
「ああああああ、わ、私、私ったら、なんてことをっ」
「ちょ、ちょっとメアリ、なんでそんなに!
これ……そういうことよね、合意よね!?」
「ご、合意……でない、と、互いにでないと、コウノトリ様は運んで来てくださらないはず、ですから……。
ううう、わ、私、私……そんなつもりじゃ、なかったのにっ」
今の今まで、気付いていなかった。
もちろん、大事に思ってはいた、のだが。
そんな大それた想いだとは、思ってもいなかった。
「メアリ、落ち着いて!
これは、神様が認めてくださった、ということよね?」
「え……そ、それは……そう、ですけども……」
「だったら大丈夫、お父様なんて、私が説得してみせる!
私、絶対この子を産んで育ててみせるから!」
そうきっぱりと言い切った少女の笑顔は、純粋で眩しく、どこか強かで。
成人の儀式を前にして、既に大人になってしまったかのようで。
胸の奥をきゅっと掴まれたように、身体が震える。
ああ、私、そうなんだ。
この人のことが。
「だからメアリ、お願い。私に、勇気を頂戴。
私を、名前で呼んで。そうしたら、きっと私、立ち向かえるから」
「は、はい……エヴァ様」
「だぁめ、今だけは、二人だけの時は、呼び捨てで!」
「も、もう……では、その……エヴァ」
「うん、私、頑張る!」
もう、逃れられない。
逃げるつもりもなくなった。
この人と一緒に、未来を掴もう。
すとん、と心の中に、そんな覚悟が収まった。
「私も、頑張ります。
だって、これからずっと一緒に生きていくんですから」
そう言って手を握ると、エヴァが照れたように微笑みながら、握り返した。
神の使いのコウノトリが、愛し合う二人のもとに愛の結晶を届ける。
そんな伝承の通り、愛し合っている二人が一緒に寝ると子宝が授けられる世界。
「好きよ、メアリ」
「はい、私も……愛しています、エヴァ」
愛し合っていることを気づかせる、お節介な神様がいる世界。
そんな世界の神様は、百合色の翼を持っていた。