CASE3 本物のお守り 2/4
店の前の道路を、セーラー服の賑やかな一団が歩いている。その集団の一部がロータスポンドの扉を開けて、入口付近の商品を楽しそうに物色し始めた。
なるほどそういうことか、と納得する。さっきから蓮池さんが言っていたことの意味がようやく理解できた。
確か、ここから少し離れたところに高校があったはずだ。春休みが終わって新学期になったので、その高校の生徒が登下校のたびにロータスポンドの前を通って、たまに店を覗いたりするんだろう。
「あのアクセサリー、高校生がターゲットだからあんなに安かったんですね」
「いいえ? あれは仕入れ値からして安いんですよ。マザーストーンを活用した大量生産品ですから」
シックな雰囲気のロータスポンドの店内が、局所的にとても華やかな空気になっている。
ちょっと前まで私も同じ立場だったはずなのに、あの集まりに混ざっている自分の姿が全く思い浮かばない。
「あのアクセサリーは僕の教え子のような男が作っていまして、最初は頼み込まれてとりあえず置いているだけだったんです。もう何年前かも覚えてないくらい前のことですね。それからしばらくして、近くに高校が移転してきたわけです」
「へぇ……」
「そのうち、誰かがアクセサリーを購入していったのがきっかけになったんでしょうね。よく効くお守りだという評判が学校で広まったらしく、少しずつ学生のお客さんが増えていきました。そうして上級生から下級生に、在校生から新入生にと伝わっていって、今に至るようです」
制服や鞄の新しさからして、どうやらあの高校生のグループは、在校生と新入生が半々ずつといったところらしい。多分、新しく入ってきた後輩におすすめのお店を教えているんだと思う。
やがて最初に入ってきたグループが会計を済ませ、入れ替わりで男子高校生と女子高校生の二人組が入店してきた。
見たところ、あのカップルはさっきのアクセサリーの棚で商品を見繕っているらしい。
……私にとって、ああいうのは大勢のグループでのショッピング以上に馴染みがない。自分で言っていて悲しくなるけど本当に無縁だった。
「綾香さん。今度はこちらを出しておいてください。値札はこれを」
「あ、はいっ」
おっと、眺めてる隙があるなら仕事しないと。
渡された商品を所定の場所に置いて、ついでに周りの陳列を整える。さすがにこれくらいの仕事は慣れてきた。買い取りの手続きにはまだ手間取ることがあるけど、レジ業務もきちんとこなせるようになっている。
整頓を済ませてカウンターに戻ろうとしたところで、カップルの男の子の方が声をかけてきた。
「すみません。受験のお守りになりそうなのってどれですか?」
「え? ええっと……」
声が上ずりそうになったのをどうにか堪えて、なるべく自分を落ち着かせながら接客しようと頑張ってみる。
二人の制服につけられた校章には三年生を表す数字のマークがあった。つまり二人は進級したばかりの受験生。欲しくなるのも当然のお守りだろう。
数分前の記憶を落ち着いて引っ張り出す。さっきじっくり説明書きを読んだのだから、もう一度確認しなくたってきちんと答えられるはずだ。
「受験に向けて頑張るためのお守りならアマゾナイト、面接や私見の本番で緊張しないためのお守りならアイオライトかラリマーかな……と思います」
「なるほどー……それならアマゾナイトかな? これ二つお願いします」
「はい、ありがとうございます」
選ばれたのは同じデザインのアマゾナイトのキーホルダーが二つ。なるほどつまりペアルックか。さり気なく湧き上がる黒い感情を見なかったことにして、カウンターまで案内して会計を済ませる。
――帰り際も談笑をしていた二人だったけれど、男の子の視線が他所に逸れた瞬間、女の子が浮かない表情で俯いたような気がした。
遠目で見ただけだったし、ほんの一瞬のことだった。でも確かにそう見えたのだ。寂しいとか悲しいとかそういう雰囲気ではなくて、ただ『残念に思っている』というような雰囲気というか。自分でもはっきり言葉にはできない。
「綾香さん。こちらもおねがいします」
「は、はーい」
ついぼうっとしそうになっていたので、慌てて仕事を再開する。
カップルの女の子のこともいつの間にか意識から薄れていって、しばらく記憶の端にも上ってこなかった。
そのことを思い出したのは、今日一日の仕事を終えて晩ごはんをいただいた後のことだった。
「いやぁ。どうやら今年も、新入生の新規客が増えてくれそうですね」
蓮池さんや雪枝さんと一緒に食卓を囲んでいた森久保さんが、何気ない雑談の流れでそんなことを言った。
ロータスポンドは蓮池さん夫妻の自宅だし、私はその自宅に住み込みで働いている店員なのだが、森久保さんは自分の家から通勤してきている店員である。だけど蓮池さんの好意ということで、よく一緒に夕飯を食べてから帰っている。
それはともかく、森久保さんの発言を聞いた途端に、昼間の出来事が急に脳裏に蘇ってきた。
「ええ、そうですね。僕も若い層の来客がここまで増えるなんて、十年くらい前は夢にも思っていませんでしたよ」
「十代女子を中心にアクセサリー、二十代男子を中心にレコードってところですか。他にも客層を広げられそうな商品ってありますかね」
「需要があれば出来る限り応えますが、積極的に客層を広げる必要はないでしょう。老後の趣味でやっているような店ですから」
「おっと。でしたね」
森久保さんはそれで納得したらしく、これ以上は新規客の開拓について何も言わなかった。
大抵こういうときの私は、聞き役に徹していて自分からあれこれ話したりはしないのだけど、今日は珍しく自分から会話に入っていこうというつもりになった。
「あのアクセサリーってどんなのが人気なんですか? 凄い色々ありましたけど」
「どんなの、ですか」
蓮池さんは、ふむ、と少し考え込んだ。
「アクセサリーとしての種類でいうなら一番はストラップで二番目にキーホルダーですね。直接身につけるのではなく、何か別のものに取り付けるタイプが好まれるようです」
丁寧に説明してもらったことで、私は自分の質問の仕方が下手だったことに今更ながら気がついた。
さっきの質問の仕方だと、アクセサリーとしての人気とパワーストーンとしての人気のどちらを聞いていたのか分からない。私が知りたかったのは、効果の人気度の方だ。
珍しく自分から会話に混ざったと思ったら、口下手ぶりを改めて自覚させられることになるなんて。これは要練習かもしれない。
「昔ながらのジュエリーは不人気なのかとも思いましたけど、どうやら学校側の対応が関係しているようですね」
「……校則とかですか?」
「厳密に校則として決まっているのかは知りませんが。ストラップやキーホルダーなどは多少華美でも見逃され、ネックレスやブレスレット、イヤリングやピアスなどは割と厳しく注意されるそうなんです」
「あー……なるほど」
そう言えば私の高校時代もそんな感じだった気がする。私はそんなに着飾ったりしなかったから、注意されることもなかったけど。
「やはり学校でも付けられるものが人気で、休日でなければ付けにくいものは買いにくいのでしょう」
今日の記憶をまた引っ張り出してみる。確かに、今日見かけた女子高生達のファッションはその条件に合致していた。
ロータスポンドで売っているものに限らず、アクセサリーは主に鞄に取り付けられていて、直接身につけるタイプのものはあまり見当たらなかった気がする。
「効果別の人気は学業成就と恋愛成就が肩を並べてトップですね。その次が恋愛以外の人間関係絡みで、金運と健康運はそれなりです」
勉強と恋愛。やっぱり学生らしいラインナップだ。きっとパワーストーンがどうこうというよりも、オシャレで綺麗なお守り感覚で付けているんだろう。
「……あ」
そのとき、さっきまで忘れていた違和感の答えが不意に頭をよぎった。
受験のお守りとしてアマゾナイトのキーホルダーを買っていった高校生のカップル。その女の子の方が不意に見せた浮かない顔。ひょっとしたら、あの子が必要としていたのは恋愛を助けてくれるアクセサリーだったんじゃないだろうか。
高校三年生が挑む受験といえば、どう考えても大学受験だ。地元の中学から地元の高校に進学することが多い高校受験とはわけが違う。それぞれの将来の夢、将来の目標に合わせて、日本中のどこにでも進学していくことになる。
もしも彼氏と彼女の夢を叶えられる大学が違っていたら。たとえお互いに学力で差がついていなくても、こればかりはどうしようもない。
同じ大学に合格できるか不安だというなら、学力成就のお守りがそのまま恋を護るのお守りにもなる。けれど希望する進学先が違うのなら、受験の成功がお別れに繋がりかねないのだから。
遠距離恋愛で続ければ大丈夫なんていう単純な問題でもないだろう。仮にそうなったとしても、やっぱり恋愛問題の不安が消えることはないと思うから。
「綾香さん、どうかしましたか?」
考えていたことが表情に出ていたのだろうか。蓮池さんが不思議そうにこちらを見ていた。
「何でも……いえ、私、間違えちゃったかもしれません」
少しだけ迷ったけど本当のことを伝えることにした。
蓮池さんは私の話を最初から最後までしっかり聞いてから、優しい声色で私の不安を否定した。
「いいえ、綾香さんの対応には何の問題もありませんよ」
蓮池さんは何事もはっきりと言う人だ。良いことも悪いこともまっすぐ正直に指摘してくれる。それでいて素直に聞き入れられる話し方なのは本当に凄いと思う。
こんな人が先生だったら、私もこんな風にはならなかったかもしれない……なんて、わがままで無責任なことを考えてしまうくらいには。
「確かに世の中には、お客さんが本当に求めているものを見抜いて勧めることができることができる人もいますが、それは一種の特殊技能のようなものです。それに、店員から話しかけられるのを嫌う人は多いですからね」
「……分かります。私もそういうの嫌なタイプですから」
雪枝さんが紅茶を横からさり気なく差し入れてくれた。それを一口飲んでいる間に、蓮池さんは流れるように言葉を続けた。
「君の対応にマイナス点はありません。ですから気に病むことは何もないのですが、そうやって向上心に富んでいるのは良いことです」
向上心――自分の考えや行動をそんな風にポジティブに表現されたことは、あんまりなかったかもしれない。だから少しくすぐったく感じた。
「マイナスがないことに満足できず、プラスを積み重ねることを望むのなら、次の機会に頑張ればいいんです。ただし、相手の気持ちを読み違えて空回りをしないように気をつけるように。初心者は不慣れ故に失敗をしてしまいますが、中級者は慣れてきたが故に失敗をするものですから」
「……はいっ! 気をつけます!」
少し火照った頬を隠すようにティーカップを傾ける。
蓮池さんは遠回しに私を中級者だと言った。私の自己評価と比べると過大なくらいだ。我ながら単純だとは思うけれど、こんな風に認めてもらえたことがちょっとだけ嬉しかった。