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CASE2 異界箪笥 4/4

 次の日、私はもやもやした気持ちを抱えたまま、買い取った商品のクリーニング作業をやっていた。


 クリーニングと言っても、汚れた陶器の表面を濡らした布巾で綺麗にするだけなので、うっかり割らないように気をつけてさえいれば、私のような初心者でも問題なくこなせる作業だ。


 ふと気がつくと、少し離れたところで蓮池さんと森久保さんが何やら話し込んでいた。


「店長。例の異界箪笥について気になることがあるんですが」

「何でしょうか?」

「手紙を送った後、もう一度引き出しの中に入ってみたんです。確かに建物の外には町らしきものがありましたけど、住人とやらの姿は全く見当たりませんでした。一体どういうことなんでしょう……」


 私は作業を続けながら二人の会話に耳を傾けた。引き出しの中の世界については私も凄く気になっている。というか、そのせいでずっともやもやしっぱなしだ。


「僕も試してみましたが、森久保くんと同じ状態でしたね。ただ、人の気配は感じましたよ。足跡などの痕跡もありました」

「それじゃあ、どうして……」

「警戒されて避けられたんじゃないでしょうかね」


 蓮池さんはそう言って笑った。


「僕達の目では濃霧に遮られて周囲がよく見えませんでしたが、住人にとってはそうではないのかもしれません。なにせ外界から隔絶された箱庭の住人です。余所者を警戒して姿を隠すのは十分にあり得る反応かと」

「でも三船さんの前には現れたんですよね。確か、着物姿の子供でしたっけ」

「不思議なことではありませんよ。綾香さんのときに子供が無警戒に近付いてしまったので、それを反省して警戒レベルを上げたのかもしれません。あるいはたまたま子供が言いつけを破っただけだとか」

「なるほど……」

「もしくは、僕達が成人男性だったから脅威とみなされただけかもしれませんね。特に森久保くんは大柄で筋肉質ですから」


 冗談っぽく笑われて、森久保さんは困ったように頬をかいた。


 引き出しの向こうの世界の建物は、現代の民家と比べて何となく小さいように感じた。といっても極端な差があるわけじゃない。障子の上部分――いわゆる鴨居(かもい)がほんの少しだけ低いとか、その程度の違いだった。


 多分、あそこの住人達は江戸時代の日本人と同じように、現代人と比べて少し小柄なんだと思う。もしもそうだとしら、森久保さんは頭一つ分大きいってレベルじゃないくらいの大男だ。


 そんな人がいきなり現れて歩き回り始めたら、そりゃ遠巻きに警戒されても仕方がない。私だってそうする。全力で距離をとって物陰から警戒する。


「僕としてはむしろ、あの箪笥をどうするべきかで頭が痛いですね。魔法の箱庭の要石を埋め込まれた異界箪笥なんて聞いたこともありません。あのままでは売りに出せませんから、省庁の判断を仰ぐ必要も……」

「最悪、廃棄でしょうかね」

「文科省はマルトクの廃棄を許可しませんよ。ああ、いえ……我々がアレを手放して省庁預かりにするという意味なら、確かにそれも選択肢のうちですが」


 会話の内容はだんだん専門的になってきて、初心者(わたし)が口を挟めるようなものではなくなってきた。


 蓮池さんがその場を離れてこちらに近付いてくる。


 どうしよう。伝えるべきだろうか。言葉にするべきだろうか。私の胸でくすぶっている()()()()とした感情を。引き出しの向こうのことが気になって仕方がないこの気持ちを。


「あっ、あの!」

「はい?」


 私が精一杯の勇気を絞り出して声を上げると、蓮池さんはごく自然な様子で立ち止まって振り返った。


「え、えっと、引き出しの向こうのことなんですけど……私達、もう何にもしないんでしょうか……?」

「と言いますと?」

「……その、ですね。向こうの人達は、異界箪笥の前の所有者さんと文通をしていて、私達が最期の手紙を届けたわけですよね」

「そうなりますね」

「ですから……その……」


 必死になって頭を働かせて、ぼんやり浮かんでいた思いを言い表す言葉を探し出す。誤解されないようにと意識しながら言葉を選ぶのは、本当に大変だ。


 それでも蓮池さんは、まるで緊張している孫の発言を待つお爺さんのように、大らかな態度で私の言葉を待っていてくれていた。


「もしも……もしもですよ? 最後の手紙がお別れの手紙じゃなかったとしたら、向こうの人達は普通に返事の手紙を書いて、返信を楽しみに待つことになりますよね? もう二度と……返事なんて返ってこないのに」


 目の周りがじわりと熱くなるのを感じた。情けないとは分かっているのだけれど、()()()()を思い出すといつも涙腺が緩くなってしまう。


 私にはお母さんがいない。正確には子供の頃に死んでしまった。けれど幼い私はそれを理解することができなくて、お母さんはいつ帰ってくるんだと訊ねて、お父さんにいわゆる優しい嘘という奴を吐かせてしまった。


 ――綾香がいい子にしていたら帰ってくるよ。


 幼い私は愚直にそれを信じた。お母さん宛の切手も宛先もない手紙も書いた。帰ってくるはずのない返事を、それと知らずに待ち続けた。郵便受けも毎日のように覗いた。いつまで経っても返事が来ないことが、とても悲しくて寂しかった。


「だからせめて……あのお爺さんは死んでしまったんだって伝えなきゃって思うんです。そのときはとても悲しいかもしれませんけど、ずっと待っているよりはいいはずです……」


 蓮池さんは、どう考えてもわがままでしかない私の希望を、正面からしっかりと受け止めてくれた。


「気持ちは分かりますが、僕達にはその事実を伝える手段がありません。彼らの言語と文字は日本語と似て非なるものですから」

「そうですか……あれ、でも」


 前の所有者は引き出しの中の人達と文通をしていて、その手紙は彼らの文字で書かれていた。つまり彼らの言語を理解していたということだ。


 もしかしたら、()()のかもしれない。他所の言葉で文章を書くときに必要な、あの本が。


「ちょ、ちょっと待っててください!」


 私は大急ぎで倉庫に駆け込んで、異界箪笥と一緒に買い取った商品を詰めたダンボール箱を開いた。ダンボール箱数個分のこの荷物には、マルトクではない普通の物品ばかりが分類されている。


 手紙の宛先の手がかりを探すことになったとき、私は店頭と倉庫にあるマルトクではない買取品を調べるよう言われていた。けれど倉庫の分は全て調べていなかった。


 何故なら、あともうちょっとで調べ終わるというところで、森久保さんが異界箪笥から出てきてウヤムヤになってしまったからだ。


 ()()があるとしたら、調べそこねた箱の中。


「……あった!」


 私はダンボール箱の底から分厚い手帳を引っ張り出して、その中を軽くチェックして歓声を上げた。これだ。これさえあれば、きっと。


「綾香さん、どうかしましたか」


 廊下から蓮池さんが顔を覗かせる。私は夢中で探索の成果を見せびらかした。


「ありました! 辞書です!」

「辞書? まさか、箱庭の住人の言語のですか?」

「ほら見てください、手書きですよ、手書き!」


 昨日、普通の買取品をチェックしているときにも思ったのだが、前の所有者の遺品には言語学の専門書や論文集のようなものがたくさん混ざっていた。きっと現役時代にはそういう仕事をしていたんだと思う。


 そんな人が分厚い手帳に書き記した、自筆の辞書。コミュニケーションのためのこれ以上ない手がかり。きっと前の持ち主が自分のために作ったんだろう一冊が、巡り巡って私の手の中にある。


「素晴らしい。前例のない代物かもしれません」


 蓮池さんは、ここ一週間で初めて見た表情を浮かべていた。驚きと嬉しさが絶妙に混ざりあったような顔だ。


「もしも本当にそうなら、次の会合で大々的に発表できるくらいの発見です。さっそく発表原稿を作る準備をしたいところですが……それよりも優先すべきことがありますね」


 そう言うと、蓮池さんは倉庫の奥へ歩いていって、異界箪笥の一番右上の引き出しから、丁寧に折り畳まれた昔ながらの形式の手紙を取り出した。


「手紙の返事が来ているようです。一緒に読み解いてみましょう」

「は、はいっ!」


 店番を雪枝さんと森久保さんに任せて、私達はリビングで手紙と辞書を広げて解読に専念することになった。


 これもサボりの一種なんじゃないだろうかとも思ったけど、蓮池さんが言うには、マルトクについて調べて発表するのも仕事のうちということらしい。お店を任せて蓮池さんは調査に集中、というのは割とよくあるんだとか。


 手紙に書いてある言葉を順番に読み解いていく。一文字一文字、一文一文。日常的で当たり前なメッセージの数々を。


 まだほんの一通目でしかないけれど、本当にただ日常を書いただけの文通でしかないことと、心から文通を楽しんでいるんだということが伝わってくる。


「綾香さん。以前、人の気持ちを察するのは苦手だと言っていましたね」

「は、はい……空気を読めなかったせいで怒らせちゃうことも多くって……」

「私が見た限りですが、そのようなことはないと思いますよ」


 予想もしていなかったことを言われて、思わず顔を上げる。蓮池さんは優しい顔で辞書のページをめくりながら、私が反論するよりも早く続きを口にした。


「一口に苦手と言っても、本当にできないのと苦手意識があるだけなのとでは全くの別物です。恐らく君は後者なのでしょう。そうでなければ、引き出しの向こうの彼らとコミュニケーションを取って悲しみを和らげようと考えたりはしません」

「でも、私は……自分ならそうなるって思っただけで……」

「それこそが、他人を気遣うことの第一歩です。本当に君はよくやっています。この調子で苦手意識が薄れていけば、きっとより良い君に変わることができますよ」

「…………」


 こんな風に褒められたのは何年ぶりだろう。前の仕事場では一度も褒め言葉を掛けられたことがなかった気がする。


 あんまりにも慣れていないものだから、どんな顔をしてどんな返事をすればいいのかも分からなくて、うつむいたまま黙っていることしかできなかった。


「……そうだ。あの、蓮池さん。向こうの人達が良いって言ったらなんですけど、ロータスポンド名義で手紙のやりとりとか、どうでしょうか……」

「いい考えだと思います。そのためにもまずは解読と習得ですね。その後は発表資料の作成を手伝っていただけますか?」

「は、はいっ!」

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