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CASE2 異界箪笥 3/4

「えっ……?」


 私の思いつき。そんなものいきなり聞かれても困ってしまう。


 多分これも、蓮池さんがよくやる『失敗しても怒らない無茶振り』の一環だ。開け方の分からない箱の開封に挑戦させたみたいに、できない可能性が高いのは承知のうえで、練習としてやらせてみるパターンだ。


「えーっと……」


 とりあえず考えるだけ考えてみることにする。


 江戸時代みたいな文字の書き方の手紙。宛先不明、差出人不明。きっと差出人の住所を書いた封筒すら見つからなかったんだ。でも無記名で切手もない手紙が届くわけがないから、封筒は捨ててしまったのか、それとも別のどこかにしまってあるのか。


 ――ストップ。考え方を少し変えてみよう。仕切り直しだ。そもそも、手紙だからといって()便()()()()()()()


「ひょっとしたら手渡しでやり取りしてたのかも」


 直接渡したとしても手紙は手紙。それなら切手や宛名がなくても問題にならないだろう。


 あまり思い出したくない記憶だけど、前の仕事場から逃げ出してからしばらくの間、私は半ば引きこもりのようになっていた。その間はお父さんとのやり取りも置き手紙でやっていたくらいだ。


「ええ、そうですね。十分にありうる可能性だと思います」


 蓮池さんは、まるできちんと別解を答えることができた生徒を褒める先生のように、優しく笑いながら頷いた。


「仮に綾香さんの仮説のとおりだとしたら、僕達にできることはなさそうですね。やり取りの相手は間違いなく身近な人間でしょうし、にも関わらず名乗り出ないということは、手紙のことを秘密にする取り決めがあったのかもしれません」


 私もそういうパターンは考えた。もしもそうなら赤の他人が首を突っ込んでいい案件じゃない。


 けれど私は、そうじゃない可能性も考えていた。一週間前までの、マルトクというものを知らない私なら思いつかなかった可能性を。


「ひょっとしたら、箪笥の引き出しの中にいる人達と文通をしてたんじゃないでしょうか。だってほら、引き出しに手紙を入れるだけで向こうに届くんだから、宛先も書かなくていいわけですし」


 そう、依頼人のお爺さんはマルトクを所有していた。異界箪笥。引き出しの中に広い空間を持つ道具。お互いに宛先を書く必要がないのなら、手がかりが見つからなくても当然だろう。


 理由はまだ他にもある。手紙の書体だ。


 蓮池さんによると、手紙は江戸時代の文章のような書体で書かれているらしい。そして引き出しの向こうの世界は、(もや)でぼんやりとしか見えなかったけれど、時代劇の中の江戸時代を思わせる風景だった。


 ということは、もしかしたら、使われている書体も江戸時代のそれと似ているんじゃないだろうか。


 私としては渾身の推理だったのだけれど、何故か二人ともきょとんとした表情で顔を見合わせていた。


「あの……私、変なこと言いました?」

「変なことというか……三船さん、向こうで誰かと会ったって、本当?」

「本当です!」


 勢いに任せて、あのとき引き出しを開けてしまってから森久保さんに助けられるまでの間に見たことを、順番に詳しく説明する。よく聞き取れない言葉を話す着物姿の子供のことも、靄の向こうに見えた時代劇みたいな街並みのことも。


 一週間前からずっと、そういうのも含めて異界箪笥の仕様のうちだと思っていた。ああいう人達が暮らす異世界に繋がるんだなと。


 だけど森久保さんはまるで怪談話を聞いたような顔をしているし、蓮池さんは真剣な顔で口を開いた。


「綾香さん。異界箪笥から行くことができるあの空間は無人なんです。建物も箪笥が置いてある一軒だけで、外に他の建物はありません。これまでに発見された全ての異界箪笥がそうなっています」

「えっ……?」

「僕達が買い取った異界箪笥……登録番号第四番もそうです。空間内の様子はもう何年も前に調べられていて、無人の一軒家以外は存在しないことが確認されています」


 とても信じられないことだった。けれど蓮池さんが言っているのなら、きっと間違いないんだろう。


 だとしたら、私が見たものは一体――


「少し待っていてください。ひとつ思い出したことがあります」


 蓮池さんは唖然とする私と顔を歪めた森久保さんを置いてその場を離れ、しばらくしてからカタログのような分厚い本を持って戻ってきた。


「文部省編集のマルトクの資料集のようなものです。もちろん一般には存在すら伏せられている代物ですが……ありました、これを見てください」


 開かれたページには何枚かの古い写真が掲載されていた。写っているのは、いわゆる箱庭というものだろうか。小さな町を丸ごと一つ再現したようなジオラマのように見える。


 ページの表題は『Magical Miniature Garden』――その下には『魔法の箱庭』と訳が振ってある。


「このマルトクは英国で発見されたものですが、類似のものが世界中で見つかっています」

「……どんなモノなんですか?」

「マルトクとしての本体は小さな種で、箱や水槽などの底に土を敷き詰めてその種を埋め込むと、器の大きさに合わせたミニチュアの町が生み出されるそうです」

「全自動ジオラマ製造機みたいな?」

「いいえ。ミニチュアの町の住人は生きています。たとえマッチ箱の中に生じた一ミリ未満の住人であっても、間違いなく生物として……人間として成立しているのです」


 えっ? 今、ものすごく怖い話を聞かされた気がしたんだけど。


「この種のマルトクには幾つかの共通した特徴があります。まず第一に、箱や水槽などの限定された空間でしか作用しないこと。第二に、建物や住人の縮尺(スケール)は器の大きさに応じて変わること。ただし巨大な入れ物を用意しても、通常の人間以上の大きさになることはありません」


 蓮池さんは指を一本ずつ立てながら、魔法の箱庭の特徴を順番に説明していった。


「そして三つ目の特徴は、住人達は綾香さんが目撃した子供のような特徴を備えているということです」


 私が目撃した特徴とは、面と向かっても顔立ちを上手く認識できず、喋る言葉も全然違うものだということ。蓮池さんが言うには、『魔法の箱庭』の住人もこれらの特徴を備えているのだという。


「それらに加えて、箱庭の住人が使う文字も、実際の言語と似て非なるものであるとされています。この資料集に掲載されているのは英国のケースですが、英語に類似した言語が筆記体に見える文字で書かれているだけなのだそうです」

「あの手紙と、同じように、ですか……」


 つまり私が出会ったのは本物の人間じゃなくて――


「店長。それはおかしいですよ」


 森久保さんが疑問の言葉を差し挟む。


「魔法の箱庭は限定された空間でしか作用しないんでしょう? だったら異界箪笥の中で作用するわけがないと思うんですが」

「いいえ。違いますよ、森久保くん。異界箪笥の中の空間はとても広いというだけで、高度にも面積にも限りがある。つまり高さも広さも()()()なんです」

「あっ、そうか!」

「実際に試してみた事例は聞いたことがありませんが、理論上は可能なはず。つまり……」


 蓮池さんはそこで一旦言葉を切って、私の方に視線を向けた。暗に『続きは君が言いなさい』と告げているんだ。


「……誰かが引き出しの中に魔法の箱庭を作って、依頼主のお爺さんはその住人と文通をしていた……」

「ええ、その可能性はあります。箱庭の住人は箱庭の外に出ようとしない習性があるそうですから、家族が間違って箪笥の仕掛けを動作させてしまわない限り、他人に気付かれることもありません」

「そんなこと、一体誰が……」

「分かりません。前の所有者自身が作ったのかもしれませんし、そのまた前の所有者かもしれませんが、どちらも既に亡くなっていますからね」


 でも何のために。そんな疑問は言葉にすることなく飲み込んだ。蓮池さんの言う通り、異界箪笥の前の所有者、依頼主のお爺さんは亡くなっているのだから、もう既に『どうして』という疑問は手遅れだ。


 想像することはできるかもしれないけれど、私にはきっと無理だろう。歳をとった男の人の気持ちなんてよく分からない。そもそも同年代の同性の気持ちすら読めなくて、前の職場で孤立してしまったくらいなのだから。


「前々所有者の銭川氏はうちの常連客でしたが、異界箪笥を持っていたことは僕も知りませんでした。あれを買い取って以降に、所有権移転の履歴を調べて初めて分かったくらいです」

「つまり、どうしてああなったのかは完全に闇の中……ですか」

「はい。しかし困りましたね。どうも依頼主はマルトクの存在を知らないようです。一体どのように説明したものか……綾香さんはどう思いますか?」

「ええっ!? わ、私に聞かれても、困りますよ……店長(プロ)だって悩むくらいじゃないですか……」


 いくらなんでもこの無茶振りには答えられない。考えるまでもなく全面降伏だ。蓮池さんは残念そうに「そうですか」と呟いて、腕を組んで考え込み始めた。


 その沈黙を破ったのは、森久保さんの遠慮のない発言だった。


「言えないなら言わなきゃいいんですよ。文通相手は見つかったけど素性を明かしたくないそうだから教えられない、みたいに説明すれば分かってくれますよ。こういうときは嘘も方便です。個人情報保護とか守秘義務とかで押し切ればいいんです」


 なんていう身も蓋もない豪速球のストレート。私には絶対にできない割り切った発想だ。無理なものは無理と容赦なく言い切る強烈なパワーを感じずにはいられない。


「確かに、森久保くんの言う通りではありますね。マルトクというむやみに広められない商品を取り扱っている以上、適切に誤魔化しを入れる判断は必要不可欠です。しかし依頼主を突き放す形になるのも考えものです」


 そう言いながら、蓮池さんは前所有者が残した手紙のコピーを手にとった。遺言で『届けてくれ』と言い残した封筒の中身、その複製。引き出しの中の住人と同じ書体で書かれた、私には解読不能のメッセージ。


「ですから僕達が手紙を届けることにしましょう。もちろん依頼主の許可を得る必要はありますが、素性は明かせないけれど手紙の複製でもいいから受け取りたい、というのは自然な発想だと思いますしね。どうでしょうか」

「自分は賛成です。それでいきましょう」

「わ、私もです!」


 満場一致。そうと決まれば、依頼主の女の人に電話を入れて、遺族の代わりにロータスポンドが手紙を渡す許可を取り付けるだけ。後は引き出しに手紙を入れて取っ手をひねれば送信完了だ。


 さっそく蓮池さんは電話で了承を取り、倉庫の異界箪笥の引き出しに手紙入りの封筒を入れて、向こう側の引き出しに送り出した。


 差出人不明の手紙の謎は解けて、宛先不明の最期の手紙も送ることができた。これで万事解決だ。


 そのはずなんだけれど、胸の中のもやもやとした感覚がどうしても消えてくれなかった。

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