CASE1 鍵のない小箱 3/3
蓮池さんは佐々木というお客さんから古い小物入れを預かると、修理の申込書に記入してもらい、ひとまず店内で待っているように伝えていた。
そしてお客さんがカウンターから離れた後で、蓮池さんはその小物入れを私によく見せてくれた。
「これもマルトクの一種です。所有者が設定した特定の言葉を聞かせることで鍵が開くようになっています」
「音声入力ってことですか?」
「今風に言うとそうなりますね。造られたのは二百年前なので、当時はそのような言葉はありませんでしたけど」
二百年も前に作られた音声入力システム。しかも原理不明。それってもしかして魔法か何かの産物なんじゃないだろうか。
「あれ? でも音声入力ならパスワードが分からないと開けられないんじゃ……」
「専用の器具を使えば開けられますよ。ただ、無理やりこじ開けることになるので、どうしても箱本体に損傷を与えてしまいます。できることなら使いたくない手段ではありますね」
「……形見の品、なんですよね」
「ええ。強引に開けてもよいという同意は頂いていますが……」
蓮池さんはそこで言葉を切って、何かを思いついたような顔になって、私に依頼品の小物入れを渡してきた。
「いい機会ですから、少し仕事の練習をしてみましょう」
「えっ? こじ開ける練習ですか!?」
「そちらではありませんよ。綾香さん、この小物入れの正しい合言葉が何なのか、自分なりに考えてみてください。ああ、そんな絶望的な顔をしないで。何度外してもペナルティはありませんから、気楽に色々試していいんですよ」
開けられなくなった鍵を開ける――それ自体は確かに古道具屋の仕事のうちかもしれない。この小物入れは不思議な原理で鍵が掛かっているけれど、古典的なダイヤル式の鍵とかなら、普通の古道具屋でも普通にあり得るシチュエーションだと思う。
鍵が開けられなければ商品として売れないけれど、鍵開けのプロに依頼するとお金が掛かる。だからその前に自分で開けられないか試してみるのは、至って自然な発想のはずだ。
「で、でも無理ですよ……総当たりにも程がありますし……」
「意外とヒントは多いんです。まず第一に、あまり長い言葉は設定できないので一単語か二単語。第二に、同じ部屋でたまたま発音しただけでも反応する可能性があるので、日常生活ではあまり口に出さない単語。第三に、記憶力が低下した老人でも覚えやすくて忘れない単語。この辺りですね」
「ヒントになってませんよぉ」
「大丈夫です。あくまで練習なんですから。成功しなくても当たり前という気持ちでやってみてください」
蓮池さんはそれだけ言うと、カウンターを離れてお客さんと雑談をし始めた。
「うう……とりあえず、やってみるだけ……」
小物入れを手に持って、思いついた単語を片っ端からささやいてみる。アンティークショップのカウンターで古い小箱にぶつぶつ話しかける女だなんて、事情を知らない人が見たら不気味に思いそうな光景だ。
けれど不幸中の幸いというか、店内にいるのは私と蓮池さんとさっきのお客さんだけ。不審な目で見られる心配は、多分ない。
「やっぱり勘じゃ無理だって……」
ギブアップを宣言しようかと思いつつ、蓮池さんの方に顔を向ける。蓮池さんとお客の佐々木さんは、何だか寂しそうな笑顔で会話を交わしていた。
断片的に聞こえる会話の内容からすると、どうやら佐々木さんの母親はロータスポンドの昔からの常連で、ここ一ヶ月ほど顔を見せなかったので心配していたらしい。
一方の佐々木さんは、ここ二十年ほど実家に戻っていなかったらしく、母親の訃報を聞いて大慌てで戻ってきたのだそうだ。
「こうなると分かっていたら、前々からもっと顔を見せてたのですが……ままならないものです」
「仕方がありませんよ。本当に突然のことですから」
私は蓮池さんに声を掛けるのを止めて、椅子に座り直した。さすがにあんな空気の中に割って入る勇気はなかった。
もう一度、ゆっくり考えてみよう。できるだけ短くて、普段は口にしなくて、それでいて絶対に忘れない単語――二十年も顔を合わせていなかった母親と息子――
「あっ」
ひらめきが頭に浮かぶ。もしかしたらアレかもしれない。さっき佐々木さんに書いてもらった受付用紙を引っ張り出して、そこに書かれていた二文字の単語を読み上げた。
「――――」
かしゃん、と音がして小箱の鍵が外れる。
正解だ! 予想は大当たり! すぐに報告がしたくって、小箱を持って蓮池さん達のところへ駆け寄った。
「蓮池さん! 開きました!」
「何と。凄いじゃないですか」
「こんなに早く……ありがとうございます。それで、中身は……!」
佐々木さんは興奮を抑えきれない様子で、小箱の中身をテーブルの上に出し始めた。
鍵が空いたのが嬉しくて中を見ずにすぐに持ってきたので、私も何が入っているのかは分からない。あんな箱にしまっていたんだから大切なものなのは間違いないはずだ。
ひょっとしたら宝石とかでも入っているのかもしれない。そんな期待しながら様子を見ていたのだけれど、出てきたのはゴミと見分けがつかないようなものばかりだった。
「……ええっと、これは一体……」
「なるほど、そういうことでしたか」
「ええ、どうやらそのようです。本当にありがとうございました」
どうやら状況が飲み込めていないのは私だけのようで、二人とも何だか嬉しそうに笑い合っている。
「ところで綾香さん。パスワードはどんな言葉だったのですか?」
「あ、はい。直幸……佐々木さんの下の名前でした」
自信を込めてそう答える。そうしたら急に佐々木さんが涙ぐんで、目頭を指で強く押さえ始めた。
「そうか……やはりもっと早く帰るべきだったな……」
「えっ、あ、その、ごめんなさい!」
「違いますよ。綾香さんはよくやってくれました」
蓮池さんはそう言ってくれたけれど、知らないうちにやらかしてしまったのではという気持ちはどうしても拭いきれない。
佐々木さんは何度もお礼を言って店を後にした。そうしてお客さんが誰もいなくなったところで、蓮池さんが優しい声で語りかけてきた。
「よく合言葉が分かりましたね。実を言うと、マルトクの扱いの難しさを体験してもらうことが目的だったのですけれど」
「は、はい……普段は言わないけど絶対に忘れない言葉って何だろうって考えて……二十年も帰ってきてない家族の名前ならって思ったんです。だけどあんなに……」
そこで一度、ゆっくりと息を整える。
「……私、人の気持ちを察するとか、そういうの苦手なんです。前の職場でも失敗ばかりで……だから、さっきもまた失敗しちゃったんじゃないかって」
「そんなことはありませんよ」
蓮池さんが売り物の椅子を二つ持ってきて、お互いに向かい合う形で腰を下ろす。
「君はちゃんと、小箱の持ち主の気持ちを考えることができていました。これは立派なことです。それに佐々木氏は君に感謝をしていたと思いますよ。君のおかげで、母親がどれだけ自分を大切に感じていたのか知ることができたのですから」
「大切に……?」
「ええ。箱の中身はご覧になったでしょう。親子の思い出、ささやかな品の数々、そういったものの詰め合わせでした」
確かに、あの箱に入っていたものは、私が期待していた宝石とかじゃなくて、日常生活の中でひょっこり手に入るようなささやかなものばかりだった。
どうしてこんなものを大事にしまっているのか、最初は分からなかったけれど、親子の思い出と言われたら何となく理解できる。あれは佐々木さんがまだ若かった頃――お母さんと一緒に暮らしていた頃のものだったんだ。
きっとそれは、本当にささやかな品々。佐々木さん本人なら迷わず捨ててしまうであろう日常の残骸。わざわざそれを箱にしまって、巣立った息子の名前を呼ばなければ開かないようにしたのだ。
「もしも人付き合いへの苦手意識が拭いきれないなら、このお店で練習しましょう。心配は要りません。初めてマルトクに触れた日のうちにあの鍵を開けられたんですから。苦手意識さえなくなれば、きっと上手にやれるようになります」
客観的に見れば何の根拠もない励ましだ。けれど蓮池さんの言葉は不思議と心に染み込んできて、私なんかでもちゃんとやれるんじゃないか、という気持ちになっていく。
私がこくりと頷くと、蓮池さんは満面の笑みを浮かべて、私を店の奥のリビングへと連れて行った。そこでは雪枝さんと森久保さんが間食の準備をしているところだった。
「では改めて、ロータスポンドの従業員を紹介しましょう。とはいえ退職後の趣味のような店なので、君も含めて四人しかいないのですけどね」
そして蓮池さんはコホンと小さく咳払いをした。
「まず僕が店長兼オーナーの蓮池正蔵で、こちらが僕の妻の蓮池雪枝。そしてあちらが森久保彰くんです。森久保くんは他に本業を持っているのですが、副業という形でお店を手伝って頂いています」
「いやぁ。なかなか儲からない仕事なもので。親父の紹介で働かせてもらってます」
森久保さんは私より何歳か年上みたいな印象で、私より頭一つ分以上背が高くて、シャツの上からでも分かるくらいにがっしりとした体付きをしている。
苦手なタイプなのでどうしても顔を合わせられない。繰り返しになるけれど、嫌いなタイプというわけでは断じてない。何というか、眩しくて気後れしてしまって直視できないのだ。
それでも、勇気を出して、ちょっとだけ。
「よろしくっ!」
「は、はひっ……」
ダメだ、自宅という安全圏に慣れすぎた私には、爽やかスマイルの火力が高すぎる。
「あの、蓮池さん。ひょっとして俺、怖がられてます?」
「森久保くんは体が大きいですからねぇ。大丈夫ですよ、綾香さん。彼は気のいい青年ですから」
きっと大丈夫、ここでなら上手くやっていける――心の中で何度も自分に言い聞かせながら、蓮池さんにぺこりと一礼をする。
「三船綾香ですっ! よろしくおねがいします!」
お父さんから無理やり押し付けられた新しい仕事先。ちょっとだけ頑張ってみて、ダメなら辞めてしまおうと思っていたけれど、今は少しだけ前向きな気持ちになっていた。