CASE1 鍵のない小箱 2/3
蓮池さんが言うには、世の中には常識的な理屈が通用しない、不思議な道具がたくさんあるらしい。普段なら笑い飛ばしていたところだけれど、あんな体験をしてしまったら疑えるわけがなかった。
ロータスポンドが取り扱う本当の商品はそういう不思議な道具なのだ。専門家が使うような正式名称は、特別指定幻想物品。かなり長いので蓮池さん達は丸特と略して呼んでいるそうだ。
「百聞は一見にしかずと言います。雪枝に実物を見せてもらってきてください。僕達はその間に荷物を降ろしておきますから」
「実物って……大丈夫、なんですか?」
「ええ。マルトクは三段階に分類されまして、一番下の分類なら単に不思議なだけで完全に無害ですよ。この箪笥は真ん中の分類なので、扱いは要注意といったところですね」
なるほど、扱いを間違えるとさっきの私みたいになるというわけか。
とりあえず、私は蓮池さんに勧められたとおり、店内に戻って雪枝さんにマルトクの実物を見せてもらうことにした。
正直、不安な気持ちでいっぱいだ。そんな商品を取り扱うお店だったなんて聞いてないし、これを理由に就職を断れるんじゃないかとも思った。けれどそれ以上に、未知の存在に対して興味を覚える気持ちが強かった。
「あらあら……ごめんなさい、正蔵さんったら大事なことを伝えてなかったのね」
店の前で起こったことを簡潔に伝えると、雪枝さんは申し訳無さそうな顔をして、古びた商品を何個か持ってきた。
「例えばこれなんだけど。最近の子はオルゴールって触ったことあるかしら。こうやってねじを巻いて、蓋を開けると、こう」
時代がかった箱からシンプルな音色が流れる。箱のデザインは洋風なのに、メロディは日本の民謡や唱歌のようだ。
私だってオルゴールの仕組みくらい知っている。ねじ巻きの仕掛けが円筒形の部品を動かし、表面の突起が小さな金属の板を弾いて音を鳴らすのだ。
必然的に、鳴らせる音は普通の楽器より少なくなるし、時間も短くなるし、曲の変更だって簡単じゃない。まさにレトロ感あふれる趣味のグッズである。
「それじゃ蓋を閉じて音楽を止めて、はい、綾香さん。今度はあなたが開けてみて」
「え? 何で私が……?」
「いいから開けてみて。きっとびっくりするから」
言われるままにオルゴールの蓋を開けてみる。すると不思議なことに、さっきと全然違う音楽が流れ始めた。雪枝さんは普通に蓋を閉めただけで、それ以上は何もしていなかったはずなのに。
「あれ!? え、ええ?」
「ふふっ。びっくりしたでしょう」
雪枝さんはイタズラを成功させた子供のようにくすくすと笑った。
「このオルゴールはね、蓋を開けた人の心の奥底に強く残っている音楽を鳴らしてくれるのよ」
「心に強く……どんな仕組みなんですか、これ」
「さぁ? 仕組みが分かったらマルトクじゃなくなっちゃうわ。マルトクってそういうものですもの」
試しに一度蓋を閉じて、もう一度開いてみる。流れてくる音楽はさっきと同じ。きっとこれが私の心に強く残っている音楽なんだろう。
言われてみれば確かに聞き覚えがある気がする。心が安らぐ音楽だ。子守唄のようにゆったりとした旋律。一体どこで聞いたのかは思い出せないけれど、何故かずっと聞きたくなってしまう。
ロータスポンドに来てから、こんな気持ちになったのはこれで二回目だった。最初は入口の扉を開けてすぐ、店内の香りを吸い込んだ瞬間だ。初めて来た店なのに不思議と懐かしい。
まだお客さんの姿は一度も見ていないけど、お客さんもそんな気分になっているんだろうか。だとしたらリピーターはかなり多そうだ。
「今度はこっちを試してみましょうか。ほらこのお花、いい香りでしょう?」
「んっと……はい、いい匂いです」
「実はこれ造花なの」
「ええっ!?」
触ってみると、確かに人工物的な手触りだ。なのに香りは本物の花そっくり。一体どういう仕組みになっているのか不思議だけど、これも原理は全く分からないのだろう。
でも、似たようなものは作れるかもしれない。例えば造花の中に花の香りの芳香剤を入れておくとか。そう考えると、原理は謎でも結果そのものは意外と現実離れしていないのかもしれない。
「すっごく不思議ですけど……何ていうか、その」
「地味だなって思った? それはしょうがないわ。買っていった人が安全に扱えないものはお店に並べられないもの」
そう言って、雪枝さんはマルトクの分類について教えてくれた。
一番下の分類は丙種分類。昔ながらのナンバリング方法の『甲乙丙丁』の丙だ。分類基準は初めて触れる人でも簡単に扱えること。ロータスポンドが取り扱うマルトクの大部分はこれに該当するらしい。もちろんさっきのオルゴールと造花も丙種だ。
真ん中の分類は乙種分類。基準は練習さえすれば誰でも安全に扱えること。丙種との違いは使い方を知らなくても扱えるかどうかで、例の箪笥もこれに該当するそうだ。
一番上の分類は甲種分類。正しい使い方をマスターした人でも思い通りに扱うのが難しいものが該当して、基本的にロータスポンドの店頭では販売していない。
甲種の買い取りがあった場合は、ちゃんとした知識と経験のある人にだけ告知して取引したり、役所に引き取ってもらったりするんだとか。
「役所?」
「ええ。マルトクは文化庁の管轄ね」
「意外とオープンなんですね……こういうのって秘密にされてるのかなって、勝手に思ってたんですけど」
「もちろん秘密よ。でも意外と緩やかな秘密なの。だってほら、最近の機械って凄いでしょう? マルトクみたいなものだって作れちゃうし、写真や映像だけならもっと簡単。だから、必死になって隠さなくても意外と気付かれないの」
――私もさっき同じようなことを考えた。
香りのある造花は確かに作れる。さっきのは仕組みが分からないから幻想物品に分類されているだけで、違う仕組みでいいなら同じようなものを作ることは不可能じゃない……と思う。
オルゴールは同じものを作れないかもしれないけれど、それらしい映像をでっち上げるのは簡単だ。仮に誰かがさっきのオルゴールのことを動画で紹介したとしても、本気で信じる人は殆どいないだろう。
「昔はもっと厳格に管理してたそうだけど、これも時代の流れなのかしらね。最近はマルトクを手放す人も増えてきて……あら」
不意に雪枝さんが玄関の方に向かって微笑みかける。ちょうど蓮池さんと森久保さんが荷物を下ろし終えて戻ってきたところだった。
「おまたせしました。近頃はまとまった買い取りが増えてきたので、店番を任せられる人が増えるのは本当にありがたいですよ」
「ご苦労さま。お茶を淹れてきますね」
「あ、俺も手伝います」
雪枝さんと森久保さんが奥に引っ込み、私と蓮池さんだけが店先に残される。
どうしよう……何か喋ったほうがいいんだろうか。黙り込んだりして気まずくさせたりしないだろうか。どうしたらいいのかさっぱり分からない。
「先ほど雪枝から話を聞いたと思いますが、まだ分からないことはありませんか?」
そんなことで頭を悩ませていると、ちょうどいいタイミングで蓮池さんの方から話題を切り出してくれた。
「あ、えっと、このお店の商品って、全部マルトクだったりするんですか?」
「いえ、全体の一割未満です。そのうち半分ほどは、マルトクを知らない人が間違えて買っていかないように展示品の札を貼ってあります」
展示品の札なんか貼ったら誰も買わないんじゃ?と思ったけど、実際に現物を見せてもらうと、赤い丸の中に『特』の一文字が入ったマークが添えられていた。これなら確かに丸特だと判別できそうだ。
この札が貼ってあるのは、店頭に陳列されたマルトクの半数。つまり残り半分は何も知らない人が買っても問題ないということで、さっきの香りつきの造花も普通に購入可能な扱いになっていた。
「さて、このような商品を取り扱う店であると理解して頂いたうえで、改めて確認をさせてください。当店で働いて頂けますか?」
「え……?」
「もちろんお断り頂いても構いません。大事なことを隠していた時点で非はこちらにあります。晴海君……君のお父さんにはこちらの不手際が原因で話が流れてしまったと説明しておきます。僕としては君と一緒に働きたいと思っていますが……」
「あの……えっと……」
正直、かなり悩んだ。できるだけ働こうという気持ちが揺らいだんじゃない。隙あらば辞めてしまおうという気持ちの方が揺らいでいた。
もちろん、社会復帰への不安、人付き合いへの不安が消えてなくなったわけじゃない。けれど、不思議な道具に対する好奇心とでも言うんだろうか。そんな気持ちがだんだん大きくなっている気がした。
山盛りの不安と、それよりも少しだけ大きな好奇心。その二つを心の天秤に乗せて、傾いたのは――
「……こちらこそ、お願いします……」
もしもここで断ったとしても、お父さんはきっと違う職場を探してくるだろう。そこが前の職場みたいに生きづらい場所じゃないという保証はない。
そもそも、ロータスポンドはお父さんの一番のオススメだったはずだから、第二候補は間違いなくここより見劣りするはずだ。そう考えると、断れば断るほどに状況が悪くなっていくのかもしれない。
だから、どうせ働くのならここがいい。ネガティブな考えだと思われるかもしれないけれど、私としてはこれでも精一杯に前向きな思考で出した結論だった。
「ありがとうございます。それでは書類上の手続きも済ませてしまいましょう」
ちょうどそのとき、ドアの小さなベルが鳴ってお客さんが店内に入ってきた。お父さんと同じくらいの年代で、スーツ姿の男の人だ。
その人と私が親子くらいの年齢差だとするなら、蓮池さんとそのお客も親子くらいの差があって、私と蓮池さんはお爺さんと孫くらいに歳が離れている。
「失礼。この小物入れなのですが、こちらの店で販売していたもので間違いありませんか」
「おや……これは。失礼ですがお名前を伺っても?」
「佐々木と申します。母がこの店の常連だと聞いて、もしやと思いまして」
「やはりそうでしたか。確かにこれは佐々木貞江さんにお売りしたもので間違いありません。何か商品に問題でもありましたか」
佐々木と名乗るお客さんが鞄から取り出した箱を見るや否や、蓮池さんは複雑そうな表情を浮かべた。寂しそうというか悲しそうというか。口では商品に問題があったのかと尋ねているけれど、本当は違うのだと既に理解しているかのように見えた。
佐々木という人もまた、憂鬱そうに眉をひそめる。
「母は先月に息を引き取りました。この箱は形見分けの際に見つけたものなのですが、どうにも開け方が分からず困っていたのです。購入した店なら開け方が分かるのではと思いまして……」