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CASE5 アイリスの花 1/3

 今日もロータスポンドはいつもと同じ日常を送っている。


 新しい商品が入ってきたり、それをクリーニングしてお店に出したり。たまにマルトクも買い取りがあって、色々苦労しながら商品として売れるようにしたり。


 ちなみに今は蓮池さんと森久保さんは重いキャビネットの配送に行っていて、雪枝さんはお墓の手入れをしてくると言って出かけているので、店番は私一人だけだ。


 高校生達がやって来る時間帯も過ぎ、夕方もそろそろ終わりに近付いてきた頃、からんからんと玄関のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 私は陳列の整理整頓作業の手を止めて、挨拶をしながらそちらの方を向いた。


 そこにいたのはスーツをきちんと着こなした強面(こわもて)の――


「――お父さん?」


 想像もしていなかった来客に驚きを隠しきれない。ここ最近はずっとロータスポンドで住み込みの仕事をしていたから、お父さんと顔を合わせるのは本当に久しぶりのことだった。


 お父さんはいつもの鋭い目つきで店内をじっくり見渡すと、低い声で短い問いかけを投げかけてきた。


「仕事はどうだ。今度は諦めるつもりはなさそうだな」

「……うん。もうすっかり慣れてきたし、皆いい人で、楽しいから」

「そうか……邪魔をした」


 お父さんはそれだけ言うと、表情一つ変えずに振り返って店の外へ出ようとした。


「え、もう帰るの?」

「様子を見に来ただけだからな」

「もうすぐ蓮池さんも帰ってくるのに」

「……あの人がいないと分かっていたから来たんだ」


 私が引き留めようとしたのを聞きもせずに、お父さんはたったそれだけで帰ってしまった。


「蓮池さんが……いないから、来た……?」


 その意味深な一言が頭にこびりついて離れない。


 私がロータスポンドで働くことになった理由は、お父さんが古い知り合いの経営する店で働く約束を勝手に決めてきたからだ。最初はびっくりしたし文句も言いたかったけど、今となっては感謝しているくらいだった。


 けれど、何かがおかしい。雇用の枠を善意で用意してもらえるくらいの知り合いなのに、いないと分かっているから来た? 顔も見たくない関係っていうこと? それなのに――?


「……私って、やっぱり何にも知らないんだな。蓮池さんのことも、お父さんのことも……」


 他人の気持ちに気付けるように。人付き合いへの苦手意識を捨てられるように。そう心がけて頑張ってきた。少しは出来るようになったつもりでいた。


 だけど肝心なことを見落としていたんだ。身近な人達がどんな思いを抱えて過ごしているのかという、とても大事なことを。


 何もかも知らないまま、知らないという事実にすら気付かないまま、出来るようになったつもりのままで暮らしてきた。けれどきっと、そのままじゃダメなんだと思う。


 ――知りたい。そんな思いが胸の奥から溢れ出してきた。









 結論から言うと、蓮池さんに直接尋ねるチャンスはいくらでもあったけれど、私はそのことごとくを棒に振ってしまった。


 何度か声はかけたのだけど、いざ質問を言葉にしようとすると躊躇(ためら)いの感情が湧き上がってきて、思わず適当で無難な会話にすり替えてしまう。そんなことが丸一日も続いてしまった。


 多分、私は怖いのだ。


 他人が触れてはいけないことに触れてしまうんじゃないか。

 聞きたくない答えが返ってくるんじゃないか。

 お父さんや蓮池さんと今までどおりの距離感でいられなくなるんじゃないか。


 そういう根拠のない想像で気後れしてしまっているのだ。


 当然というか、そんな私の態度は周囲にも伝わっていたらしく、作業の合間の休憩時間に森久保さんが心配そうに話しかけてきた。


「なぁ、三船。何かあったのか? ずっと店長に何か言いたそうにしてたみたいだけど」

「いえ……大したことじゃないんですけど……」


 さすがにものすごく個人的な事情なので、身近な人には相談しにくい。だけど『何もない』と嘘を吐いてもバレてしまいそうだ。


「……そうだ。森久保さん、確か夕方から銭川さんのところに書類を届けに行くんでしたよね」

「その予定だけど、それがどうしたんだ?」

「私に行かせてもらえませんか? 自転車で持っていくので!」

「はぁ?」


 森久保さんは怪訝(けげん)そうに眉をひそめ、腕を組んで考え込んだ。


「向こうに何か用事があるんだな。分かった、気をつけろよ」

「ありがとうございます」


 森久保さんに心からの感謝を伝える。何かあると分かっているはずなのに、何も聞かずに首を縦に振ってくれた。今はそれがありがたかった。









「ほほう。蓮池氏の昔の話ですか」

「はい。聞かせてもらえたら嬉しいんですけど」


 そして夕方。私は予定通り書類を渡した後で、銭川さんにそんなお願い事をしてみた。銭川さんの家はお爺さんの代からロータスポンドの常連客だったそうなので、昔のことも知っているんじゃないかと思ったのだ。


 もちろん駄目で元々という気持ちだったが、銭川さんは意外なくらいにあっさりと了承してくれた。


「いいでしょう。私も懐かしい話ができるのは嬉しいですからな。晶、お茶を淹れてきなさい」

「はーい」


 応接室で晶さんと雑談をしながら待たせてもらうことにする。共通の話題のマルトクの話で盛り上がっていると、銭川さんが古びたアルバムを何冊か抱えて戻ってきた。


「蓮池正蔵氏はロータスポンドの二代目のオーナーなのですよ。先代オーナーは正蔵氏のお父上で、私の父が存命だった頃は先代にお世話になっていました」


 セピア色の写真が一枚ずつ丁寧に並べられていく。そのうちの一枚は、蓮池さんに似ているけれど少し違うお爺さんと、銭川さんを更に老けさせたようなお爺さんが、ロータスポンドの店先に並んで写っている写真だった。


 この二人が蓮池さんのお父さんと、晶さんのお爺さんらしい。


 ロータスポンドの店舗の外見は今とあまり変わっていない。さすがに今の方があちこち傷んできているけれど、大事に維持されてきたんだなと分かる写真だ。


「正蔵氏は歴史学の教官としいう名目で大学に勤め、主にマルトクの研究をしていました。そして五十五歳の定年で退官した後にロータスポンドの経営を受け継ぎました。先代が亡くなったのはその前年です」

「大学ってそんなに定年早いの?」


 そう聞いたのは晶さんだ。ちょうど私も同じところが気になっていた。


「当時はな。近頃はどんな職業でも定年が伸びてきたが、一昔前は五十五にもなれば一線を退いていたものだ。……っと、話が逸れましたな。この頃はロータスポンドも正蔵氏も波乱のあった時期で、私としても不安にさせられたものですよ。今となっては懐かしい話ですが」

「波乱って……何かあったんですか?」

「何かも何も。先代の持病が悪化して亡くなられた翌年ですし、その何年か前には、当時としては遅くに産まれた一人娘が家出当然に結婚してしまったと聞いています。それに……いや、これはいいでしょう」


 銭川さんはしみじみとした声でそう言って、横目でさり気なく晶さんを見やった。これはアレか。自分にも起こりうるからと同情しているのか。特に結婚がどうこうの方。


「ちょっと待って。蓮池さんは大学講師だったんだよね。でも私には人を育てるのが苦手って言ってたんだけど」

「私、苦手と言っても苦手意識があるのと本当に上手く出来ないのとは別だって、前に蓮池さんから教わりました。多分、講師をやれるくらいに出来るけど苦手意識があるので他の人に任せたい……とか」

「あー……もう引退したから腕が鈍ってるとか思ってる線もあるかも」


 納得した様子の晶さんに、銭川さんがもう一言付け加える。


「聞いた話だと、退官の少し前に教え子と激しく衝突して、研究者の道から去られてしまったんだそうだ。その失敗を未だに気になさっているのかもしれないな」

「そうだったんですか……」


 人に歴史ありと言うけれど、蓮池さんにそんな過去があったなんて。


 いつも微笑みを絶やさず、誰に対しても物腰が柔らかい蓮池さん。そんな人が教え子と激しく衝突したり、見ている人が不安になるくらい荒れたりするんて、なかなか想像ができない。


 けれど蓮池さんだって人間だ。私みたいな奴が言っても説得力は無いかもしれないが、常に完璧で最善手ばかり打ち続けられる人間なんているわけがない。


「おっと。珍しい写真がありました。そういえばこんなものも撮っていましたな……本当に懐かしい。晶が産まれるよりずっと前のものだ。結婚もまだしていなかった頃だったな」


 銭川さんはしみじみと懐かしそうに語りながら、ほんのり変色しかけた一枚の写真を差し出してきた。


「こちらが正蔵氏の家族と我が家が揃って撮った写真です。ご家族の写真で私が持っているのはこれだけで――」

「わぁ、雪枝さんも若い。娘っていうのは、この人――」


 思考回路がフリーズし、言葉を失う。晶さんも銭川さんも全く同じ反応をしていて、三人ともほとんど同時に写真から顔を上げた。


 ただし、晶さんと銭川さんは私の顔をまじまじと見つめながら。


「いやはや驚いた」

「三船さん……これって……」

「……私に、そっくり?」


 きっと何かの間違いだ。自分の顔なんてよく覚えていないんだから。


 ……なんて言い訳をしようにも、今まさに写真と私の顔を見比べている二人まで唖然としているんだから、写真の女の人と私が瓜二つなのは否定のしようがない事実なんだろう。


 まさか。もしかして。ひょっとしたら。


 ある可能性が私の頭に浮かび上がる。今の今まで考えもしなかった一つの可能性を。


「すみません。蓮池さんの娘さんの名前は分かりますか?」

「ええと確か……そう、()()()だ。蓮池綾芽(あやめ)という名前でした。名字にも下の名前にも花の名前が入っているな、と思ったのをよく覚えていますよ」

「その人は、今どこに?」


 畳み掛けるように質問を重ねる。銭川さんは気まずそうに口をつぐみ、話していいのかどうか散々悩んだ素振りを見せてから、手短に事実だけを伝えてくれた。


「亡くなりました。正蔵氏がロータスポンドを継いだ翌年に。交通事故だったと聞いています」









 その夜、私はベッドに入ってスタンドライトをつけたまま、手帳に今日分かったことを書き込んでいった。


 蓮池さんの前職は大学講師だった。歴史学の名目でマルトクを研究していたらしい。けれど退官の少し前に学生と衝突して、その学生は研究の道から離れてしまった。


 晶さんを弟子にすることを断ったのはそれが尾を引いているからだろう、というのが銭川さんの推測だ。


 五十五歳の頃……今から十五年くらい前に父親からロータスポンドを受け継いだ。父親はその前の年に亡くなっていて、更にその数年前には一人娘の蓮池綾芽(あやめ)が家出同然に結婚してしまっていた。


 大雑把に考えて、綾芽さんが出ていったのは二十年くらい前のことだろうか。そして店を継いだ一年後、今から十四年前に綾芽さんは交通事故で亡くなった。


「……偶然とか、ありえるのかなぁ」


 手帳の左側のページに、今度は私自身のこれまでの人生を簡単に書き連ねていく。


 十九年前、私は産まれた。綾芽さんが出ていった時期の前後だ。


 十四年前、お母さんが死んだ。そのときのことはよく覚えていない。


 ショックが強すぎて思い出せないんだろうとお医者さんは言っていた。どうして()()()()()にそんなことを言われたのかも覚えていない。


 それからずっと地味に生き続けて、一年前にとある会社の事務員として就職。けれど職場に全く馴染めず、逃げるように退職。今年の三月までずっと引きこもった生活を続けて、遂にお父さんから――


 いやいや、違う。そこはどうでもいい。重要なのはそこじゃない。ちゃんとペンで塗り潰しとこう。


 銭川さんの話を聞いて思い浮かんだ可能性。それはここ――十四年前に起こった二つのイベント。


 蓮池綾芽さんは十四年前に亡くなった。死因は交通事故だった。

 私のお母さんも十四年前に死んでしまった。()()()()()()()()()()


 これだけならまだ奇妙な偶然の一致と思えたかもしれない。けれど、もう一つ別の偶然が加わっていたせいで、とてもじゃないけれど偶然だとは思えなくなってしまっていた。


 何故なら――私のお母さんの名前は()()()()だからだ。


 綾香(わたし)に名前の一文字をくれたお母さん。もしも私が男の子だったら、お父さんの名前の晴海から一文字もらうことになっていたけれど、女だったから『綾』の付く名前をつけられた。


 お母さんの旧姓までは覚えていない。死んでしまったのが五歳くらいのときだったし、お父さんも話題にしようとしなかったから。


 まさか。もしかして。ひょっとしたら。

 そんな。ありえない。信じられない。


 色んな思いが頭の中をぐるぐる回り続ける。結局、私は何も考えをまとめることができないまま、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。

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