CASE4 自動人形 4/4
「きゃあっ!」
突然の出来事に晶さんがしりもちをつく。私も悲鳴を上げなかったのが不思議なくらいに驚いていた。
腕の本体が靄を割ってゆっくりと姿を現す。それは骨組みがむき出しになった巨大な木製の人形のように見えた。まるで赤ちゃんのように手と膝をついて、音も立てずに地面を這っている。
――そう、音がしない。あんなに大きいのだから、動くたびに大きな音を立てても当然なはずなのに。
「あ、あ、うそ……」
「晶さん!」
私には名前を叫ぶことしかできなかった。しかもそれをかき消すように、巨大な骨組み人形が声のような音を口から鳴り響かせた。
「XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX!」
きゅるきゅるきゅるきゅる、早回しの逆再生のように耳に滑る音。
骨組み人形の手が和箪笥をわし掴みにし、もう片方の手が晶さんを捕まえようとする。私をこちらの世界に引きずり込んだときと同じように。
「いやああっ!」
「……っ!」
私はとっさに走り出していた。逃げるためじゃなくて、骨組み人形の目の前をめがけて。
走りながらバッグから筆記用具を引っ張り出し、そこから更に筆ペンをもぎ取るように取り出す。手帳を探すのは間に合わない。筆ペンの蓋を噛んで素早く外し、手のひらにそちらの言葉で短く走り書き、骨組み人形に見せつけるように突き出した。
「待って!」
すると、巨大な骨組み人形の動きが嘘のように止まった。
良かった、通じた。内心でほっと胸を撫で下ろす。正直に言って一か八かの懸けだった。あの人形の言葉がこちらの世界の住人の言葉とそっくりだったから、ひょっとしたら文章が伝わるんじゃないかと思っただけだ。
文章が――言葉が通じるならきっと何とかなるはずだ。そう信じて、腕の内側に筆ペンで次のメッセージを書き込んでいく。
『お願い。その家具を使わせて』
骨組み人形が晶さんに向けていた手を逸らし、指先で地面に深い溝を刻んでいく。
――いや・だ。
『どうして?』
――かかさま・に・あえた。かえす・いや。かかさま・の・ともだち・も。
母様。そうか。まさか。もしかして。私が思ったとおりなら、この子は晶さんから離れたくないんだ。
「晶さん。今までに改造したマルトクの中に、人形ってありましたか? ぬいぐるみとかじゃなくて木製の人形です」
「人形……あ、うん、ある。あった……壊れた人形に色んな部品をくっつけて、上手くいかなかったから、こっちの押し入れにしまっておいて……でも! こんな大きくなんか……」
「蓮池さんが言ってました。甲種分類のマルトクを組み込んだ改造品は、予想外の挙動が当たり前に起こるって。きっと知らないうちに組み込んじゃいけないものを組み込んでいたんです」
こう言ったら失礼かもしれないが、蔵と作業スペースの整理整頓の具合はとても雑だった。ロータスポンドの店頭や倉庫の陳列とはまるで比べ物にならないくらいに。
あんな有様なら甲種分類のマルトクが紛れ込んでいても気付きようがないし、うっかり改造に使ってしまってもしょうがない。
私は上着を脱いで肌の露出を増やすと、左腕全体を紙代わりに使ってあの子との筆談を続行した。あんなに大きな体だと、手帳のサイズに書いた文字はとても読めないだろう。
『お願い。私達は、ずっとここにいたら死んでしまう』
森久保さんなら力尽くで何とかなったかもしれない。蓮池さんなら豊富な知識でスマートに解決できたかもしれない。けれど私にはどちらも無理だ。
私ができることは話すことだけ。相手の気持ちを考えて、想像して、どうしたら受け入れてくれるのかを見つけることだけ。
晶さんはすがるような目で私を見つめている。私がやるしかないんだ。私にしかできないことなんだ。
――でも・いや・だ。
『ここだと一緒にいられない』
――いや・だ。
『だから、一緒に帰ろう』
あの子の動きが止まった。まるで、そんなこと今まで考えたこともなかったと言わんばかりに。
『元に戻れる? 最初の体に。お母さんが作った体に』
わし掴みにされて持ち上げられていた和箪笥が優しく地面に下ろされる。そして見上げるほどに大きかった骨組みの巨体が、まるで蜃気楼のように薄れていって、跡形もなく消えてしまった。
私はさっきまであの子がいた場所に歩いていって、そこに落ちていた不格好な木製の人形を抱き上げた。
大きさは三十センチくらい。見るからに色んな部品を継ぎ合わせたような姿形で、何かを求めるように伸ばした腕を動かしている。
「いい子だね。今、連れて行ってあげるから」
そして元の場所へと引き返して、ぺたんと座り込んだままの晶さんにその人形を渡す。
不格好な腕が晶さんにぎゅっとしがみついた。
「この子は晶さんに会いたかったんです。だから……」
「うん……分かってる」
晶さんが人形を抱き返す。涙ぐみながら、優しく力を込めて。
私はロータスポンドで働くようになってから、いつも他の人の気持ちを考えるように頑張ってきた。今の筆談だってそうだ。努力を重ねてきたおかげか、それなりにできるという自身も少しだけ付いてきた。
それでもまだ察しきれないことはある。例えば、自分が作ったモノが自分に会いたくて暴れていたと知ったときの気持ち。例えば、自分を作った人とようやく再開できて、何が何でも離れたくないと思ったときの気持ち。
こうなんじゃないだろうかと考えることはできても、やっぱり自信はない。
だけど最近は、それも決して悪いことではないんじゃないかと思えるようになってきた。だってそれは、他の人には簡単に理解できないくらい特別な気持ちということだから。
もちろん、だとしても理解しようと頑張ることは必要だ。恋愛経験なんて全く無いこの私が、恋の悩みに苦しむ女子高生をほんの少しでも勇気づけることができたように。
「それじゃあ、帰りましょう。みんな心配してると思いますから」
大変なのはそれからだった。晶さんがマルトクを改造していたことは当然みんなにバレてしまったし、銭川さんからも森久保さんからも思いっきり叱られてしまった。
もちろん私も対象外ではなくて、助けを待たずに自力でなんとかしようとしたことを、説教八割褒めるの二割くらいの配分で叱られた。
森久保さんから連絡を受けていた蓮池さんも、大急ぎで仕事を終えて、仕事仲間と一緒に駆けつけてくれた。
脱出に成功した後だったので無駄足を踏ませてしまったと思ったのだけれど、どうやら専門家の目から見ると、六つ目の異界箪笥や改造人形の存在だけでも十分すぎる理由だったらしく、蔵の中で本格的な討論会が始まってしまった。
――お疲れ様です、綾香さん。後のことは僕達に任せて、君はゆっくり休んでいてください。
蓮池さんにそう言われて、私はロータスポンドに戻って休息を取ることになった。
とりあえずお風呂を借りてブラシを使って墨汁を落とし、一息ついてから雪枝さんと一緒に店番をする。それからしばらく時間が経って、外が真っ暗になった頃、蓮池さんが晶さんを連れてロータスポンドに戻ってきた。
「お、おかえりなさい! その……どうでした?」
「とりあえず一段落といったところですね。本格的な話し合いはこれからになります。異界箪笥の方は文科省の登録審査を待たないことには何とも言えませんが……」
蓮池さんは隣で例の人形を抱えた晶さんに目をやった。人形は何も考えていなさそうな様子でもぞもぞと動いているけれど、晶さんは何だか浮かない顔をしている。
「生き人形と呼ばれるマルトクのうち、甲種分類のものをベースにした改造品ですね。こういったモノは周囲の環境から学習を重ね、やがて生物のように行動し始めます。こうなると思い通りに制御できなくなることから、甲種に分類されているわけです」
「じゃあ、あんなに大きくなってたのは……」
「十中八九、改造によって発生した機能でしょう。晶さんは影灯籠の機能を組み込んだランプシェードを作ったそうですが、恐らくはその余り部品を組み込まれたことで『曖昧な半実体の幻』を作り出したのではないでしょうか」
そうやって論理的に説明されると、あのとき目の前で起きた不思議な現象にも納得がいく。
動くときに音がしなかったことや蜃気楼のように消えてしまったことの原因は、影絵のような幻だったから。私や箪笥を掴めたのは半分とはいえ実体だったから。その両方が併存していたのは曖昧な状態だったから。
本当、マルトクは何が飛び出してくるのか分かったものじゃない。どれもこれもブラックボックスなびっくり箱だ。
「ごめんなさい、私のせいであんなことに……それと、ありがとう」
謝罪と感謝を一緒に乗せて頭を下げられて、こちらもつい小さく頭を下げてしまう。
「お父さんからも、マルトクの改造なんて危険なことするなって本気で怒られてさ……三船さんに迷惑をかけちゃったわけだし、やっぱり、もう……」
落ち込む晶さんに蓮池さんが何か語りかけようとする。けれどそれよりも早く、私は精一杯の明るい声で割って入った。
「私、思ったんです。やっぱり血は争えないんだなって」
「え……?」
「うちの店が預かってる異界箪笥、前のそのまた前の持ち主は、常連客の銭川っていう方なんです。もう亡くなってるそうなんですけど」
「それってもしかして……うちのおじいちゃん?」
多分そうだ。今回の配送の前に、常連客の銭川さんと聞いて『どこかで聞いたことのある名前だな』と思ったのだが、異界箪笥の件のときに一回だけその名前を聞いていたのだ。
「二つの異界箪笥をどちらも同じ人が持っていて、どちらも同じ『魔法の箱庭』の種が植えられていたんですよ? 偶然だと思います? 想像ですけど、両方とも晶さんのお爺さんが改造したのか、もしくは手に入れた改造品をお手本に自分でもやってみたのか……そう考えるのが自然だと思うんです」
収集家のお爺さんとその孫娘。その両方がマルトクの改造に興味を持っていたのだとしたら。それはもう『血は争えない』と表現するしかないだろう。
「だから、改造の研究がしたいっていう晶さんの気持ちは、正真正銘の本物だと思います。簡単に捨てちゃうのはもったいないですよ」
「三船さん……」
「僕からも一ついいですか?」
蓮池さんが微笑みを浮かべて口を開いた。
「血を争えないというなら、実は君の父上の銭川くんも同じでしてね。彼も若い頃にはマルトクの製法究明を志していたんです」
「お父さんもですか!?」
「ええ。ですが独学だったこともあって手酷い失敗を被ったらしく、結婚を期に研究からすっぱり手を引いて、以降は収集家に立場を変えたそうです。きっと娘に同じ轍を踏んでほしくなかったのでしょう」
「……そうだったんだ……」
晶さんは心の底から意外そうな顔で驚いている。私もきっと同じ顔をしていたに違いない。
どうして銭川さんが晶さんの夢に強く反対したのか。そこにまでは想像が及んでいなかった。理解しようという発想も浮かばなかった。
しかも。しかもだ。今になって思えば、蔵の二階の作業スペースの存在に、家主が本当に気付いていなかったのかも疑わしい。もしかしたら、何もかも分かった上で見逃されていただけなんじゃないだろうか。
「XXXX XXX XXXXXXXX」
晶さんに抱かれていた人形が晶さんの顔に手を伸ばし、目尻に浮かんだ涙に触ろうとする。晶さんはそれを自分の指で拭い取ると、凛とした顔で蓮池さんに向き直った。
「蓮池さん! お願いです、私を弟子入りさせてください!」
「……そう来ましたか……」
「私もお父さんも、独学だったのが失敗の原因だと思うんです。だから、マルトクのことを本気で勉強したいんです!」
珍しく、蓮池さんは弱ったような表情を浮かべて考え込んでしまった。
「君の熱意は是非とも応援したいところです。この業界も後継者不足は深刻な問題ですしね。しかしながら、私は後進を育てることについては全く自信がありません。ですから……そうですね、私の伝手で他の研究者を紹介しましょう。それでも構いませんか?」
「……っ! はい! ありがとうございます!」
晶さんの顔に明るい笑顔が戻る。やっぱり落ち込んだ顔よりもそういう表情の方がよく似合っている。
私もまだまだ未熟なんだな――そんな当たり前のことを改めて実感した一日だった。何故なら初対面の人どころか、蓮池さんのように身近な人のことすら理解しきれていないのだから。