CASE4 自動人形 1/4
長くやっているお店には、必ずと言っていいほど常連客というものが付くらしい。
私が前にやっていたのはごく普通の事務系の仕事だったし、たったの数ヶ月で辞めてしまったから実感はないけれど、蓮池さんはそういうものなんだと言っていた。
もちろん、ロータスポンドもその例外ではないようだ。
「えっと。これ全部、同じ人が買っていったんですか?」
「ああ、常連の銭川さんだね。自分がここで働くようになる前からの常連さんだったかな。今回は知り合いの代わりに大量に買い込んだって言ってたよ」
森久保さんは売約済みの商品を梱包しながら、作業の手を止めずに私の質問に答えた。
お店から運び出すのに、台車一台だけなら三往復分だろうか。とてもじゃないけど普通の乗用車には積みきれないような量だ。
「配送するんですよね、これ。凄い量ですけど……」
「その分だけ儲かるんだから良いことだよ。店長は趣味でやってるって言ってるけど、黒字にならなきゃ趣味だって続けてられないしな。それじゃ、自分と店長で行ってくるから、三船さんは雪枝さんと店番を――」
「いえ、今日は森久保くんと綾香さんの二人でお願いします」
急に話に割って入られたので、驚いて振り返る。蓮池さんがお店の電話の子機を片手に分厚いファイルを開いていた。子機から保留音のが聞こえているので、誰かと電話をしている途中だったようだ。
「わ、私ですか!?」
「今しがた、マルトク絡みの組合の方から要請がありまして。他の業者の店舗でトラブルが発生したので救援に回ってほしいと。甲種分類に関わる問題らしいので私以外は行けませんし、かといって雪枝には重い荷物の積み下ろしをさせられませんから」
なんて完璧すぎる事情説明なんだろう。断る口実がこれっぽっちも見当たらない。
「甲種絡みとは珍しいですね。一体どんなトラブルが?」
「どうやら改造品が紛れ込んでいたようです。他のマルトクに無理に組み込まれていた甲種分類品が予想外の動作を引き起こした、と」
「なんてこった。そりゃ面倒な……」
「改造品自体は珍しいものではありませんが、甲種を組み込んだケースは大抵ろくなことになりませんからね。想定外の挙動は日常茶飯事、全く新しい機能が走り出すことすらあるくらいです」
蓮池さんも森久保さんも本当に真面目な顔をしていて、厄介なトラブルが起こったんだということがよく分かった。
「えっと、森久保さん一人で配送するっていうのは……」
「流石に無理。あのデカブツは一人じゃバランスが取れないからなぁ」
森久保さんは、既に軽トラの荷台に乗せられていたソファーに目をやった。
前に森久保さん本人から聞いたことなのだが、重さだけ見れば持ち上げられそうなものでも、形状や幅によっては手がうまく届かなくて持ち上げられないことがあるらしい。
ソファーはその典型例。重さ自体は私と同じくらいだから、抱えること自体は簡単なはずだ。特に森久保さんの体格なら軽々だ――そうに決まってる。けれどソファーの形状は一人だけだと持ちにくいので、運ぶときにはもう一人の手助けが必要になってしまうわけだ。
「……ガンバリマス」
「急で申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
そういうわけで、私は初めて店の外での仕事を経験することになってしまった。いつかは体験しなくちゃいけないと分かってはいたけど、いきなりやらされるとは思ってもみなかった。
軽トラに荷物を積み込むのを手伝ってから助手席に乗り込む。すると運転席に座った森久保さんが、一抱えもある綺麗な木の箱を渡してきた。
「これ何ですか?」
「そいつも商品だ。造りがちょっと繊細だから荷台に積むのが怖いんで、膝の上にでも置いといてくれ。高いから気をつけろよ」
「……具体的にはおいくらで?」
「確か五十万くらいだったかな」
「ひえっ……」
間違っても壊してしまわないように木箱をぎゅっと抱き込む。
森久保さんはそんな私の反応を見て笑いながら、私に持たせた商品についての説明を続けた。
「自在置物って知ってるか?」
「え、何ですか、それ」
「江戸時代になって仕事が減った甲冑職人が作り始めた工芸品で、本物と同じように関節を動かせる動物の置物だ。今でも新しく作られてるんだが、それでもモノによっては平気で三十万とかも越えるらしいぞ」
つまり伝統的スタイルの可動フィギュアということか。江戸時代からということは、商品というよりもはや文化財なんじゃないだろうか。
「ちなみにその箱の中身は昭和期に作られた奴で、しかもマルトクだ。マルトクじゃない普通の奴ならだいたい五分の一くらいの値段だな」
「それでも十万円……」
「有名な奴はオークションで数千万の値が付いたって話だ。凄いよな」
凄いよなと言われても、私は膝に置かれた貴重品を大事に抱えておくだけで精一杯で、余計なことを考える余裕なんて全くなかった。
出発前に伝えられていたとおり、十分くらい走ったところで目的地に着いたらしく、住宅地の端で軽トラが停止した。距離にして数キロ、ちょっと気合を入れれば歩いてでも行き来できる距離だ。
木箱を抱えたまま慎重に車を降りると、配送先の家が視界に飛び込んでくる。
「わっ……!」
びっくりして息が止まりそうになった。想像以上の豪邸だ。普通の民家数件分の面積が塀でぐるりと囲まれている。よく考えれば、何十万円もの骨董をあっさり買えてしまう人なのだから、これくらい豪勢でも何一つおかしくはないのかもしれない。
そうだとしても、これは、凄い。ロータスポンドも住宅地の中でかなり浮いている方だったけど、この家の目立ちっぷりには及ばない。
「んじゃ、荷物降ろすぞ」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! この箱どうしたら!」
「とりあえず玄関に置かせてもらって来たらどうだ?」
何かにつまづいて転ばないように細心の注意を払いながら、開けっ放しだった門を潜って玄関の方へ向かう。
ちょうどそのタイミングで、家の中から若い女の人の声とパタパタという足音が聞こえてきた。
「お、来た来た! はーい、今行きまーす」
扉がガラガラと音を立てて開き、私と同じくらいの年代の明るい髪色の女の人が飛び出してきた。
突然のことに固まる私。そんな私を前にきょとんとしている女の人。
「……あっ! ロータスポンドですっ! 荷物をお持ちしました!」
「びっくりしたぁ。いつもの人じゃないんだ」
「先月から働き始めたんです。えっと、これ自在置物です。壊れたら大変なので、玄関に置かせてもらってもいいですか?」
「いいよいいよ。へぇ、これが噂の……」
その女の人は私から木の箱を受け取って、蓋も開けずにまじまじと眺め始めた。
すると、今度は玄関から見える廊下の奥から恰幅のいい男の人がドスドスと歩いてきて、よく響く声を張り上げた。
「おお! お待ちしておりました! ほら、晶。お前も手伝ってきなさい」
「はーい。あ、これは置いとくね」
女の人――晶さんは自在置物の箱を無造作に玄関に置いて、軽トラから荷物を下ろす手伝いをしてくれた。
かなりの大荷物だったけれど、三人がかりでの作業だったのと、体格のいい森久保さんがいてくれたおかげで、思っていたよりも早く全て終わらせることができた。
それでも大変だったことに変わりはなくて、最後の一個を運び終えた頃には全身が隅々まで疲れ果てていて、腕を上げるだけでも大変なくらいだった。
「つ、疲れた……」
「いやはや、お疲れ様です。お茶でも飲んでいってください」
「えっと……」
喉は渇いているけど、こういうのはお店的にどうなんだろう。すぐに帰った方がいいんじゃないだろうか。
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて」
……なんて事を考えていたのだけれど、森久保さんはあっさりと申し出を受けていた。
「帰らなくていいんですか?」
「常連客の好意をありがたく受け取るのも仕事のうちさ。店長も忙しくない日はそうしてるぞ」
本当にそういうものなんだろうか。まぁ、蓮池さんもやっているというなら、ロータスポンドの方針がそうなっているということで納得しよう。
何より本当に喉が渇いた。一分一秒でも早く水分を補給したくてしょうがない。十分も我慢してお店に戻るくらいなら、ここで一杯飲ませてもらった方がずっといい。
「ではでは、こちらへどうぞ」
広い畳敷きの応接間に通されて、そこで暑い緑茶を差し出される。
お茶のことはあまり分からないけど、一口飲んだときに口の中に広がる味わいと鼻を抜ける香りは、スーパーで売っているインスタントな緑茶とは比べ物にならないほどに高品質だった。
そのお茶が淹れられている器の方ならちょっとだけ分かる。多分これ、かなり高い奴だ。うっかり割ってしまったらその瞬間に貧血を起こして卒倒してしまうくらいに。
数ヶ月程度とはいえアンティークショップで働いてきたせいか、最大レベル100の中のレベル2くらいの鑑定スキルが身についている気がする。そしてそのせいで、応接間のあらゆるモノが高級品だという事実に気がついてしまって、もしも何かやらかしてしまったら……という不安がどんどん高まっていった。
「いやぁ、ロータスポンドさんには毎度お世話になっております。まさかこんな希少品を調達してくださるとは」
恰幅のいい男の人――家主の銭川さんが満面の笑みを浮かべながら対面に腰を下ろし、自在置物の箱を開き始めた。
「さすがは『日本に蓮池あり』と言われる蓮池正蔵氏だ。直接お礼を申し上げようと思っていたのですが、本日は都合が付きませんでしたか?」
「店主は急な用事が入ってしまいまして。何やら甲種分類のマルトクに絡む問題が発生したとのことで」
「何と! それは致し方ありませんなぁ。甲種が引き起こした問題となると、まともに対応できるのは日本でも一握りだ」
銭川さんはそんな会話を交わしながら箱の蓋を外し、内側に被せてあった布を取り払った。
中に入っていたのは金属製の伊勢海老の置物。とてもリアルで今にも動き出しそうなくらいだ――と思った直後、その細い足がカサカサと動き出し、自力で箱の中から這い出してきた。