CASE3 本物のお守り 4/4
マルトクを探している――まさかの一言に思考回路がフリーズする。その展開は完全に予想外だった。まさかまさか、ただの女子高生だと思っていた子からマルトクの名前を聞くなんて。
「ど、どこでそんなこと聞いたの、かな?」
我ながら情けないくらいに動揺がハッキリと言葉に出ていた。
「前におばあちゃんから聞いたんです。ロータスポンドさんは不思議な道具を売ってるお店だって。おばあちゃんが買ってきたものも見せてもらいました。確か……本物の花の香りがする造花とか」
あっ、確定だこれ。初日に雪枝さんから見せてもらったマルトクの効果そのままだ。
蓮池さんから教えられた接客手順を頑張って思い出す。こんな風に、マルトクのことを知っているお客さんが来ていた場合は、確か……そうだ、相手が持っている知識の範疇で説明をすること、だ。
「えっと、マルトクのことはどれくらい知ってるんですか?」
「不思議な道具っていうことくらいしか……ええと、おばあちゃんが他に持ってたのは、水が美味しくなる水差しとか、ぐっすり眠れるお香とか……ほ、ほんとに不思議だったんですよ? 言葉にしたらしょぼ、っと、大したことないかもですけど」
本人的にも割と半信半疑だったのか、まだ何も言っていないのに言い訳みたいなことをし始めた。
彼女のおばあさんのマルトクは多分どれも丙種、その中でもとりわけ安心安全なタイプのようだ。これくらいの知識があるのなら、とりあえず『マルトクという不思議な道具は実在する』という前提で話してもいいはずだ。
というか、ここで『そんなもの実在しませんよ?』とか言い出すのはいくらなんでも鬼畜すぎる。私には無理だ。
「本当に効くお守りなら、あそこにあるパワーストーンのお守りがそうですよ。マルトクそのものじゃなくて、マルトクで作った品物ですけど、専門家のお墨付きです」
もちろん専門家とは蓮池さんのことだ。蓮池さんが商品のことで嘘をつくなんてありえないから、本当に効果のあるお守りなのだと胸を張って断言できる。
「……そうですか」
女の子は安心と残念さが微妙な割合で混ざりあった顔で微笑んだ。
やっぱり、学業成就のお守りが本物だと分かって、割り切れない気持ちになっているんだろう。彼氏が音楽学校の受験を成功させれば、嬉しいけれど離れ離れになってしまうから。
そんなことを考えていたせいで、ついうっかり口を滑らせてしまう。
「やっぱり彼氏と進路が違うと大変なんですね」
「……!? ど、どうして進路のこと分かったんです! マルトクってそんなこともできるんですか!?」
「え? ……ああ!? ち、違う違う! この前、彼がレコードを見にきて、音楽学校に行くつもりだって言ってたの! それでほら……あなたは運動部みたいだから進路が違うのかなって」
そう答えながら、彼女が肩から提げているスポーツバッグに視線を向ける。学校指定のバッグとは明らかに違う、本格的な有名スポーツブランドのバッグだ。
いくら私でも、この手のバッグをファッション感覚で使う女子高生がそうそういないことくらい分かる。だから恐らくこれは実用品なのだろう。
「あ、そっか……」
「えっと、とりあえず、恋愛成就のお守りを探してるってことでいいのかな」
女の子は恥ずかしそうにしながらコクリと頷いた。何だろう、何というか、学生時代の私にはこれっぽっちも縁のなかった甘酸っぱい雰囲気だ。くそぅ。
それはともかく、少しはロータスポンドの店員らしいことをやれるよう頑張らないと。蓮池さんの真似事でも構わないから。
「あのアクセサリーは、いわゆるパワーストーンの効果が宣伝文のとおりに発揮される……って、うちの店長が言ってました」
「へぇ……そうなんですか」
アクセサリーのコーナーに移動しつつ、商品についての説明を店員らしくやってみようとする。
「私もここで働くようになって初めて知ったんですけど、パワーストーンの効果って表現がけっこう曖昧というか、解釈次第というか……例えばほら、このブレスレットの石はラリマーって言って……」
具体例として、ブレスレットをつけた左手首を見せてから、売り場の棚に掲示されたラリマーの説明文を指差す。
「ラリマーの効果に『人間関係のサポート』ってあるけど、一番の効果はヒーリングで、マイナスの感情を抑えてくれるから、コミュニケーションが上手になって人間関係がよくなる……っていう感じで」
不思議と普段よりも言葉が出てくる気がする。いつもなら緊張して声も体も固くなってしまいがちなのに。
「恋愛運の石もおんなじで、例えばローズクォーツなら優しさの象徴。自分に優しくなれば気持ちも態度も明るくなるし、他人に優しくなればそれはそれで好印象……」
「どっちもモテやすくなる要素ですね。さっきのもそうだけど、何か連想ゲームみたいな」
連想ゲーム。意外と適切な表現かもしれない。
「そうだね。肝心なことは自分の解釈次第。彼氏さんとおそろいのアマゾナイトも、一番の効果は希望の石。前向きになって、積極的になって、夢や目標のために思いっきり頑張れるっていう感じから……」
「夢や、目標……」
「……私にはそういうのはなかったから、あんまり偉そうなことは言えないんだけど。違う大学に行ってもあの子と仲良くしたいっていう『夢』があるなら、きっとそのキーホルダーが力をくれると思うんだ」
これがもし、ただの綺麗な石ころだったなら、私が言っていることは口先三寸の誤魔化しだ。
けれどあのキーホルダーには、蓮池さんも保証した効果がある。本当にささやかなものだとしても、確かに不思議な力がある。だから、歯の根が浮きそうになるくらいの格好つけた台詞だって堂々と言える。だって本当のことなのだから。
「大学に行っても、和樹と……」
彼女の表情から不安の色が薄れて消えていくのが分かった。石の力……ではない気がする。こんなにはっきりと気分を塗り替えてしまえるのなら、ささやかな効果なんてものじゃなくなってしまう。
――ああ、そうか。もしかしたら、単に気持ちの問題なのかもしれない。
気持ちの問題というと大したことがないように聞こえるかもしれないけど、それは違う。マルトクでもないただの物悲しいレコードが人を自殺に誘ってしまったように、気持ちの力は人間に大きな影響を与えてしまう。
以前、蓮池さんは私にこう言った。君は人の気持ちを察することに苦手意識があるだけなのだと。苦手意識が薄れたらきっと変われるはずだと。それは言い換えれば、苦手意識という気持ちが私という人間によくない影響を与え、立ち振舞いまで変えてしまっていたことになる。
この子に必要だったのは特別な力を持つ石なんかじゃない。将来の夢と進路の違いという現実に、前向きに立ち向かっていこうとするきっかけだったんだ。
「店員さん、ありがとうございます」
「い、いえいえ、どういたしまして……」
あんなことを言った経験がほとんどなかったので、お礼を言われた後にどんな態度をすればいいのか、よく分からなかった。
会話が途切れる気配がした直後、玄関のドアが開いて蓮池さんがひょっこりと姿を現したかと思うと、片手に提げた紙袋を持ち上げてみせた。
「おや、いらっしゃい。綾香さん、例のレコードの件ですけど、恐らく大当たりでしたよ。ジャケットの落書きが聞いた話と完全に一致しています」
「レコード……そうだ! 蓮池さん、ちょっといいですか!」
私は蓮池さんに駆け寄ってレコードの入った紙袋を受け取ると、今考えていることを素早く伝え、手短に了承を得てから元の場所へ戻ってきた。
そして、その紙袋を彼女に押し付けるように渡す。
「実はこのレコード、彼氏くんの大事な物なの。手違いで手放しちゃったのがやっと見つかったから、届けてあげて?」
「え? あ……はいっ!」
私の考えを理解してくれたらしく、満面の笑みで頭を下げてから、駆け足で店を出ていく。
それを見送り終え、店内に静けさが戻ったところで、蓮池さんが静かに口を開いた。
「これをきっかけにもっと仲を深めて欲しい……ということですか。僕には思いつかなかった発想です。君らしい、良い対応だったと思いますよ」
「あ、ありがとう、ございます」
へろへろとカウンターに戻り、待機用の椅子の背もたれにぐったりと全体重を預ける。緊張の糸が一気に切れてしまった。柄にもないことを言い過ぎて、精神力をすっかり使い切ってしまったような気分だ。
ロータスポンドの店員としてうまくやることができただろうか。そんなことをふと考えた後で、結果だけ見ると『商品を買いに来たお客を、何も買わなくていいと考えを変えさせて帰した』ことになるんだな、と気がついた。
他のお店がどうかは知らないけれど、少なくともロータスポンドなら、蓮池さんなら怒ったりはしないだろう。
「それにしても、いつの間にかあそこまで知識を蓄えていたのですね。良いことです。パワーストーンのことは自力で調べたのですか?」
「ええ、まぁ……って、あれ?」
今の言い方、完全に会話の内容を把握されていたような。蓮池さんが戻ってきたのは接客が終わった後だったはずなのに。
「……えっと、どの辺から聞いてました?」
「パワーストーンは効果の表記が曖昧で解釈次第、といったところからですね」
背もたれに体重を預け、レトロな照明の天井を仰いで、両手で顔を覆い隠す。思いっきり聞かれていた。ほとんどというか、カウンターを離れた後の会話が全部。冷静になってみるとめちゃくちゃ恥ずかしい。
「ワスレテクダサイ……ユルシテクダサイ……」
「恥ずかしがる必要なんてありませんよ。良い対応だったと思います。これからも是非この調子で頑張ってください」
蓮池さんが何の他意もなく褒めてくれているのはよく分かる。せっかく一歩踏み出せたのに後戻りしたら意味がないのも分かっている。けれど今だけは、恥ずかしさに悶えさせていてほしかった。